第11話

午後二時。あきらたちの姿は渋谷区広尾の住宅街にあった。

 品川区にある私立英邦大学側から受けとった住所を手がかりに自宅へ向かおとしているところだ。最初、学生課を尋ねたときには露骨に顔をしかめられ、令状をと言われた。

 しかし今の状況で令状をとれるほどの証拠はなかった。

「ある女性の行方を追っていまして。その女性と親しい関係にあった男子生徒がこの学校の生徒さんなんです」

 あきらは言った。

 有賀という名字と、おそらく名前か、名前の一部がシュンであることを告げ、さらに麻美から受けとった写真データを提示した上で粘った。

 しかし結局のところは、

 ――礼状持参ともなればそれ相応の捜査員を投入しての大がかりな捜査もおこなうことになります。おそらく一日は授業をとりやめてもらうことにもなるでしょう。

 幽人の半ば脅しめいた文句が決め手になってデータを呼び出してもらえることになった。

 法学部四年。有賀俊太郎。学生証に登録されている顔写真ともくらべて、間違いなかった。

 学生課に放送でよびだしてもらったが、この建物にはいないようで反応はなく、そこで届けだされている住所を教えてもらったのだ。

 さすがは高級住宅街だけあって心なし道行く人のすべてに品があるように見えてくる。

 あきらはまるでおのぼりさんのようになってあたりを見回してしまう。

 東京の下町である荒川出身のあきらにとって広尾という街並みは眩しいばかりだ。

「ここか」

 御影石に『有賀』と彫られた表札がかかっているのは、二階建ての一軒家。

 小さな庭にはガーデニングがあって、夏らしい原色の花が目を楽しませる。

 風がふくと、甘いかおりが鼻腔をくすぐった。

 門扉から赤煉瓦敷きのアプローチが玄関までのびている。

 チャイムを鳴らすと、すこしの間をおいて、「はい」とふわりとしてやわらかな女性の声で応答があった。

「警視庁から参りました。すこしお時間よろしいでしょうか」

 インターフォンにそう呼びかけると、「お待ち下さい」と戸惑いに声が硬くなる。

 いきなり警察がきたのだから、一般の生活を営んでいる人からすると当たり前の反応だ。

 玄関からてきたのはブラウスにロングスカート、ショールを羽織った女性だ。

 声の印象そのままに、おっとりとした人にみえる。

 ほんのりと茶色がかった髪は腰まで届き、口元のほくろが印象的だ。

「あの……」

 女性は戸惑いに睫毛を震わせた。

「私どもは警視庁の刑事部特命捜査課より参りました。熊虎あきら巡査です。こちらは上司の樋筒幽人警部です」

 警察バッジをみせる。

 女性の目はくずれた衣裳をまとった幽人のほうへ向く。あきらは咄嗟に口をひらく。

「ぜんぜん怪しくありません。えっと、これは捜査上、必要な変装でしてっ!」

 必死に説明するあきらに、女性は苦笑いを浮かべる。

「は、はあ……。あのー、それで御用というのは」

「息子さんのことでいくつかお尋ねしたいことが」

「あの子、なにかに巻きこまれたんですか!?」

「いえ。そうではないんです。実は息子さんと親しくしている方のほうを今、探しているんです。それで――」

 あきらはこれ以上のことを玄関前で話していいものかと思う。

 閑静な住宅街とはいえ人通りがある。

 女性ははっとして「どうぞ」と招き入れてくれた。

 通されたリビングは二十畳はあろうだろうか。ソファーセットに、五十はあろうかという大型テレビ、きれいなカウンターキッチン。

 家具や部屋を飾る小物類のいちいちに目がひきつられる。

 白いカーテンを通って午睡を誘う気持ちのいい陽射しがさしこみ、レースのカーテンのかかった掃き出し窓からはしっかりと手の入った目にも彩なガーデニングをみることができる。

「紅茶かコーヒー、どちらになさいますか」

「いえ、おかまいなく」

 とはいえ、女性はアンティーク調のカップに淹れられたアイスコーヒーをはだしてくれる。

「お砂糖とミルクです」

 女性はミルクポッドとスティックシュガーの入った器をつっと差し出す。

 ストローまでそろえられる至れり尽くせりのもてなしに、恐縮してしまう。

「ありがとうございます。いただきます」

 あきらはミルクポッドとスティックシュガーをそれぞれひとつずついれる。

 一方、幽人はミルクポッドを三つ、スティックシューを一気に五本くらいいれる。溶けきれない砂糖が底に沈殿して、ベトナムコーヒーのようにした。

 女性はカップをのせてきたお盆を胸に抱くような恰好でソファーに身体を沈ませた。

「俊くん……む、息子について、ということでしたが」

 女性の目が不安に揺れる。

「あの奥様」

 あきらが口をひらく。

「香奈恵で結構です」

「香奈恵さん。息子さんはどちらに?」

「今の時間は、大学です」

 あきらはすっと小さく息を吸った。幽人はそれを自然にうけとめる。

「そうですか。私どもはとある女の子を探しているんです。その子が俊太郎くんと親しくしていたという話しを聞きまして。息子さんは女友達を家につれてきたことはありますか?」

「……いえ。ありませんが」

「二人きりでなくても、たくさんの友だちのなかに女性がいる場合でも構いません」

「いいえ。あの子が女の子をつれてきたことはなかったと思います」

 香奈恵の雰囲気がさらに一層硬くなるのを感じた。このままでは仮に知っていたとしても話してもらえないかもしれない。あきらはつっと視線を、彼女から転じた。

「息子さん、優秀な方なんですね」

 あきらはリビングにある飾り棚を見やった。そこには賞状やトロフィーと一緒に、写真が立てられていた。

 あきらは足を運んで、中腰になる。賞状は漢字検定準一級、英語検定準一級だ。どちらも高校時代に習得している。写真はおそらく高校時代のものだろう、体操着姿で友人たちと肩を組んでいる。大学時代よりも顔が焼けているよりも品の良さに精悍さが加わって見えた。同級生の少女たちからは人気があったかも知れない。

「この写真はいつのころでしょうか」

「それは高校時代の体育祭のときのです」

「ご自慢の息子さんですね」

「小さな頃から手の掛からない子で、優しい子でした。すこし出来すぎてしまって親としては物足りない、という気持ちはありました。まあ、こんなことはないものねだりなんですけれど」

 息子を褒められ、すこし硬かった雰囲気が心なしやわらぐ。

「友人も多かったんじゃないですか?」

「そう、ですね。でもやっぱり女の子は見たことはありません。全部、男の友人でした」

 開きかけていたものがまた閉じてしまう。

 たしかにいきなり警官に訪ねてこられて警戒する気持ちはわからなくはない。しかしなにかをそんなにも警戒するのだろう。

「これから息子さんに連絡をとっていただくことは可能でしょうか。できれば直接、話せればと思っているのですが」

「あの子はなにに巻きこまれたわけじゃないんですよね」

 あきらが口を開きかけるが、幽人に目顔で制せられる。

「でも、付きあってる子はいたんじゃないですか」

「……私の知る限りでは」

「ご子息は男ぶりもいい。惹かれる女性がいてもおかしくはないのでは?」

「学生の本分は、勉強だと、主人がきつく言ってましたから」

 幽人の不躾な語りかけに、香奈恵は目を伏せて言う。あきらは今にも彼女のが泣き出すのではないかと不安に思わずにはいられなかった。

「我々の捜査で、ご子息には親しくしている女性がいるという話しがありまして。ご子息がどうのというわけではないのですが是非、その女性について教えていただきたいことが」

「……すみません。私の一存では。あの、夫と相談をさせてもらってもいいでしょうか」

 香奈恵は不安そうな顔で言う。

「どうぞ」幽人が手で示す。

「それじゃ、すぐに連絡しますので」

 香奈恵は助かったといわんばかりにスマフォをとりだしかけ、あきらたちを見、失礼しますと廊下へ出て行く。

「息子さんは大学にいってはいない……。嘘をついているんでしょうか」

 あきらは声をひそめた。

「どうだろうな。本当にそう思っているのか。そう信じたいのか。……どちらにしろ、嘘がつけるようなタイプじゃない。説明を求めていけば、いずれボロがでる」

 こちらは普通にしているだけでも息子のことを考えればパニックなってもおかしくない。

 警察としては一般市民を守るつもりで接しても、向こうにしてみれば非日常の世界がいきなり目の前で口をあけているようなものだ。比較的、住民と接している交番勤務でも巡回連絡簿をつくる作業が相手側の警戒によって遅々と進まないことは日常茶飯事だ。

 と、香奈恵が部屋に戻ってくる。

「あの……主人がお話しを、と」

 幽人へ携帯を差し出してくる。

「はい、お電話かわりました」

 しばしのやりとりがあった。

 幽人は淡々と受け答えをしている。

 俊太郎が犯罪にまきこまれたわけではなく、あくまで俊太郎の友人について知りたいということ、有賀家の住宅は大学の学生課に協力してもらって知ったこと、香奈恵に俊太郎へ連絡をとってもらいたいということを幽人は伝えた。

 ただ、向こうからあまりいろよい返事はもらえなかったようだ。通話を終えるなり、

「お手間をとらせてしましました。ここで失礼します。もし、ご子息がお戻りになられましたら、こちらに電話をしていただけるようご主人に言い添えていただけますか」

 幽人は名刺をとりだす。そこには名前と携帯番号のみが書かれている。

「……わ、わかりました」

 解放されることへの安堵で香奈恵の表情はゆるんだ。

「コーヒー、おいしかったです」

 玄関まで見送ろうとする香奈恵を制し、あきらは頭を下げて上司とともに有賀家をあとにした。

 家を出ると、コンクリートの放つむっとした熱さに思わず顔をしかめる。照り返しで顔が炙られるように熱くなる。

「警部、旦那さんはなんて」

「うちの息子が関係ないのなら話しをする必要はない。まあ、簡単にいえばそういうことだ」

「……そうですか」

「おそらく大学やら警視庁に抗議が入るだろうな」

「また管理官がどなりこんでくるかもしれませんね」

 今にも血管が切れてしまうほど青筋をたてて怒鳴る飯塚警視の顔をおもいうかべると、さすがにぞっとしない。

「そんなことはどうでもいい。べつに我々は違法な手段をつかったわけじゃない。ありのままの事実を伝え、協力を仰いだんだけだ。大学のほうに関しても、――それより、さっきのあの母親のことだ。我々が訪ねた際、なにかに巻きこまれたんですか……あの母親はそう言った。なぜだ」

「いきなり警察がたずねてきたんですから、それは」

「巻きこまれるというのはおかしくないか。事件や事故、警察がたずねてくる理由はたくさんある。なのに、母親の物言いはさも原因が頭に浮かんでいるかのような言い方には思えないか」

「……たしかに……。そうだったかもしれません」

 態度も頑なに思えなくもない。

 母親としては息子に電話をして事情を聞きたいと思うのが一般的ではないか。

 子どもにあまり干渉しないタイプなのだろうか。いや、あの不安そうな表情をみるかぎり、さばさばした教育方針には思えない。

「警部。どうしますか。ちかくで息子さんが戻ってくるのを待ちますか」

「……いや。春日千鶴が決して素行のいい少女ではないことがわかっている。となれば補導のひとつやふたつされてる可能性がある」

「もし補導されていれば記録がのこっている可能性がありますねっ」

 警視庁へ戻ったあきらたちは早速、データベースにアクセスした。

 端末で名前を入力して、補導歴をよびだす。

 ヒットしたのは三件。場所はすべて違う。

 顔写真を見くらべると、探している春日千鶴は一件だけのようだった。

 三年前の事件なだけにかなり幼い顔立ちで、麻美から受けとった写真よりも髪は長く、化粧っ気もない。当時の千鶴は十五歳だ。

 事件が発生したのは一昨日の五月の中旬。場所は池袋の東口、サンシャイン通り。

 時刻は深夜一時すぎ。酔っ払った大学生の一団に、たむろしていた千鶴たちのグループが因縁をつけ暴行に及んだ。

 目撃者が最寄りの交番にかけこみ、警察官が現場に急行。しかしそのときにはすでに逃げたあとだった。

 しかし目撃証言からグループのひとりの逮捕を皮切りに芋づる式に補導された。

 データベースには千鶴のおそらく実家であろう住所が記載されている。

 王子のようだ。あきらは住所をメモする。

「実家にいきますか」

「その前に、池袋へ。春日千鶴がどんな人間だったかを聞きに行こう」

「わかりました」

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