第10話
あきらたちは人をおしのけながら階段をかけあがり、ぶつかりそうになったどう見ても十代にしかみえないような女性に舌打ちされた。
人の波にもまれながらも距離はじょじょに詰まりつつあった。
女性は店を出ながらスマフォを耳にあてている。
あきらは腕を伸ばし、肩を掴んだ。
女性はびくりと震え、驚いたようにふりかえった。
あきらを認めた目が恐怖の色を垣間見せる。
「警察よ」
彼女の言葉を制するようにバッジを、鼻先へとつきつける。
「警部っ!」
確保しましたとふりかえったが、幽人の姿はみあたらなかった。
「ちょっと暴れないの!」
腕をほどこうとする女性を一喝しつつ、幽人の姿を探す。
「警部、どこですかっ!」
幽人があきらの前にあらわれたのは三十秒ほど経ったころだった。
幽人はぜえぜえはあはあと荒い息遣いで、身体を追って膝に手を当て、少し咳きこんだ。
「よ、よく、確保……したな」
「すいません。夢中で。あの、大丈夫ですか」
「……いや、俺は。別に……平気、だ……気にするな……」
しかしとてもそうは見えない。今にも倒れてしまいそうだった。
それから息を整えるのに一分ほどつかい、なんとかまともに喋ることができるくらいまで回復した幽人は、女性に警察バッジをみせる。
「すこしそこで話しを聞きたい」
しかし女性はそっぽをむいたまま答えない。
「なんなら交番までいっもいいが、どうする」
女性はわけがわからないという風に表情を強張らせながら、結局、逆らいきれないと思ったのか俯いてしまう。
「ほ、ほんとうに警察……?」
「身分証を」
女性――少女の言葉を遮るように幽人はうながす。しぶしぶという様子でみせたのは原付の免許。石田香織とある。
顔写真とは似ていなくもなかった。もしかしたら姉のものを借りたのかもしれない。
「財布をかしてくれるか」
「なんで。いいじゃん。それで」
「なら、警察署に行くことになるけど、それで構わないなら」
女性はどうしたらいいのかという風に目を揺らす。
「見せたら……」
「我々は補導が目的じゃない」
おもいっきりタメ息をつき、億劫そうに財布をとりだした。
あきらは幽人からなかをチェックするように言われ、確認した。
「あ」
財布に入っている病院の診察券の名前と身分証明書の名前は違っている。
女性は観念したように石田麻美という氏名と、十七歳の高校二年生だといった。
身分証明書は知り合いのものらしかった。
顔写真に似せるようなメイクもおてのもので、そういう手口でクラブへの出入りをくりかえしているのだろう。女性はこの点、型通りのチェックだけではなかなか難しいかもしれない。
「さっきはどこに電話をしてたんだ。チヅルという子にか」
「……うん」
「電話には」
「でてない。っていうか、さいきん、ぜんぜんつかまらないっていうか……。メールの返信もなくって」
麻美はあきらを見る。
「いきなりこの人が片桐と、チヅの話しをしてきたから、なんか、やばそうで……結構、しつこかったし」
「質問攻めにしすぎだ」
「……す、すいません」
逃したくないと逸る気持ちはぜんぜん隠せなかったらしい。
「そのチヅルという子に関して話しが聞きたい」
幽人は朝方まで営業しているカフェに誘う。
店内は六割ほど埋まっている。
麻美と対面する形でボックス席についた。
注文を済ませると、さっそくとばかりに幽人は口を開く。
「まずは自己紹介だ。私は樋向幽人。こちらは虎熊あきらだ。もし我々が警察か疑わしいながらいますぐ警視庁に連絡して在籍を確認してもかまわないが」
「……いいよ、別に」
麻美は髪を忙しなくいじりながら、ふてくされたようにそっぽを向く。
「では早速だがはじめよう。まず、きみのいうチヅルという子だが、フルネームは?」
「カスガチヅル」
「字は?」
彼女はスマフォをいじり、登録データをみせる。
春日千鶴。
「メールアドレスや電話番号を写させてもらっても?」
「勝手にして」
麻美のもとにカフェオレが、幽人とあきらにホットコーヒーがはこばれてくる。
この店のスタンダードなのだろうが、かなり大きいカップだ。
あきらは手早くメモをとった。
「さっき、巡査に写真をみせたと聞いたが」
「あれ、違うから」
「え?」
思わずあきらは聞き返してしまう。
「あれ、チヅじゃない。別人」
「かまをかけたのか」
麻美はカフェオレをのみつつ、うなずいた。
(あたしってば、うまくいったとおもって浮かれすぎじゃない……)
しかし今は自省している場合ではない。一言一句聞き逃すまいと集中する。
「じゃあ、本当の春日さんの写真と彼氏は」
「これ」
たしかにみせてきた写真はさっきのとは違う。
同じような集合写真だが、示された千鶴はさっきとはまったくの別人だ。
黒髪のショートカットの少女で、目がつぶらで、さっきの子よりも彫りが深く、気が強そうだった。そして千鶴と横にいる、人のよさそうな短髪の少年が屈託のない笑顔をみせている。 ジーンズにワイシャツという出で立ちで、たしかに育ちが良さそうな雰囲気があった。
「彼氏の名前は」
「チヅはシュンって呼んでた」
「名字は」
「……アリガ。本人がもじもじしながら、有賀ですっていってて。そういう子、あんま周りにいないしね。珍しいから覚えてて。ありがとう……みたいなこと考えたもん」
「春日さんとは最近ぜんぜんとれていないといっていたが、どれくらいだ」
「何ヶ月も、かな。ま、普段からそんなに連絡とりあってたわけじゃないんだけどさ」
「それは心配だな。家には見にいったりしないのか」
麻美は肩をすくめる。
「あの子、家出少女だから。なんか、友だちのところとかマン喫とか転々としるみたいで。そのときに片桐とも知り合ったんだって」
「ということは現在、シュンという彼氏のところにいるのかな」
「さあ、知らないけど、そうなんじゃない? 着てるものよかブランドぽかったし、金はありそうだったから」
麻美はどこか他人事のような気がしてくる。普通、友だちと連絡がとれないとなれば、もっと心配してしかるべきではないのか。
「あ」
「なにか思いだした?」
思わずあきらは勢いこんでしまう。
「……たしかエー大の子だったよ」
エー大は私立英邦大学のことだ。幼稚園まで付属があり、いわゆる富裕層が比較的多いとよばれている。
「ねえ。片桐とは別れてたっていうけど、彼女、ドラッグとかに手をだしてた?」
麻美はあっさりとうなずく。
「もちろんやってたよ。別れてからはしらないけど」
「ドラッグっていうのは危険ドラッグ以外も?」
「さあ。そこまでは知らない」
「依存具合は。けっこう、やってた?」
また質問攻めかと麻美はうんざり顔でうなずく。
「まあ、ときどきは奇声をあげたりとか、やばいカンジはなくはなかったけど……そのときは、あたしもハイになっててよくわかんない。ねえ、これって訊問?」
「そういうわけじゃないけど。でもあなただってわかってるでしょ。危険ドラッグは」
「説教しないでよ。麻薬みたいに違法じゃないからいーじゃん。それくらい知ってるし」
「そういうことじゃなくて」
「巡査。話しがずれている」
「……すみません」
あきらは身を引いて、コーヒーにうつった自分の顔を見る。頼んではみたものの、これまでさんざん水分をとりすぎたせいか一口も飲めそうにはなかった。
あきらは気を取り直して口をひらく。
「永田朋香って名前、聞いたことある?」
「永田? さあ。なにその子も探してんの」
「ううん、知らないならいいの」
「すまないが、もう一度、春日さんに電話をしてもらえるか」
億劫そうにスマフォを操作する。しかし応答がないのはその顔があきらかだった。
「巡査、頼む」
あきらはうなずき、メモしたばかりの電話番号を押してみるが、すぐに電源を切っている旨の機械音が流れる。
「携帯そのものは存在している……ということか。さっきの写真を巡査のケータイにおくってくれ。それでこちらの用事は以上だ」
「あ、もういいの」
「十二分すぎるほど教えてもらったよ」
あきらが写真データをうけとるのを確認すると、「さあ、きみの処遇だが」と言った。
「ま、待ってよっ。補導はしないって」
「補導はしない。だがこのまま見逃すわけにはいかない。今すぐ連絡をとるか、警官を呼ばれるか。選ばせてやる」
「さいっあく……」
麻美は露骨に舌打ちした。
「最悪のなかで、ましなものをえらぶのはキミ次第だ」
すこし悩んだ末に、思いっきり渋々という感じで連絡をとる。
さすがに時間が時間だけあって最初は要領をえないようで、終いには電話口で親子喧嘩がはじまりそうな気配。
幽人は身振りで電話を替わるように麻美に示す。
麻美はうんざりしながら電話を寄越す。
「あ、すみません。お電話をかわりました。私は警視庁の樋筒と申します。――ええ。今、渋谷の道玄坂のカフェに……」
幽人は粘り強く話しをすすめ、なんとか理解してもらえ、通話を終えた。
「すぐにこられるそうだ」
麻美はうんざりした顔つきで、これみよがしにスマフォの画面を拭った。
三十分ほどすると女性が入店してきた。
声をかけてくる店員を無視してあたりをみまわしている。
幽人は手をあげると、駆け寄るなり、すみませんと頭をさげてくる。
「ほんとうに馬鹿な娘がほんとうに」
「今回は彼女に協力を願いましたから目をつむりますが、次は補導しなければならなくなります。ご家庭でも注意をはらってあげてください」
「ほんとうに、ご迷惑を……」
「ちょっと、ママ、やめてよっ!」
麻美は母親の服をひっぱる。
「バカ。あんたは黙ってなさいっ」
娘の分はもちろん幽人たちの分まで料金を払うという母親をなだめ、はやく連れていくようにと幽人がうながした。
母親は店の外からもこちらにむかってぺこぺこと頭をさげ、娘を逃すまいとがっちり腕を掴んでひっぱっていく。
「……これで彼女もちょっとは懲りてくれればいいんですが」
「懲りるような人間なら片桐みたいなやつとは関わらないだろう。俺たちもいくぞ」
さすがにここまで奢られるわけにはいかないと、数百円ではあるが、あきらは自分の分を支払った。
「大学側に春日さんの彼氏について問い合わせてみますか」
「明日にでもいってみよう」
「……春日千鶴、永田さんの事件とつながるんでしょうか」
事件で使用されたドラッグが直津の言葉を信用して、彼らが扱っていたオリジナルの商品であるとすれば、その商品の保管場所を理解しているひとりに、千鶴は当然はいる。
朋香の殺害方法からして女性には難しいことを思うと、直接的にかかわっている可能性は低いだろう。しかし千鶴が何かしらの方法で入手した危険ドラッグを流した先に容疑者がいるはずだ。
「考えるな、感じろ」
「……あの、あたし、霊感はありません……けど」
「有名な映画のセリフだ。知らないのか」
「えーっと……すみません……。初耳です」
幽人は、そうかとうなずく。
「考えればそこには必ず予断がうまれる。これは霊感の有無とは関係ない。捜査官が、必ずといって陥る罠だ。いつの間にか都合の良い、もっともおさまりのいい絵図を書いてしまい、結果的に謝った結論を導き出してしまう。目の前にある事実だけをみろ」
幽人は手をあげると、タクシーを止めた。
「領収書はちゃんともらっておけよ。精算するからな」
「のられないんですか」
「俺は会社によるからな」
タクシーの運転手の手前、幽人はそう言った。
「じゃあ、私も……」
身体を丸めてのりこみかけたあきらは戻ろうとするが、おしとどめられる。
「別に仕事をするわけじゃない。お前は休んで明日に備えろ。いいな」
幽人の眼差しには有無を言わせぬものがあった。
「……わかりました。おつかれさまでした」
あきらにできることは限られている。いても、ただ見ていることしかできないだろう。 渋々、車の中にひっこんだ。
ドアが締まり、タクシーが発車した。
ふりかえると、小さくなりつつある幽人はこちらをじっと見ていた。
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