第9話

あきらは渋谷駅前にほどちかいカフェで待ち合わせをしていた幽人と合流する。

 時刻は午後九時。

 幽人は渋谷の雑踏のなかにおどろくほど馴染んでいた。

 たしかに、あのスーツモードよりもずっとしっくりくる。

 ただ遠目からみると馴染みすぎるあまりどこにいるのかわからず、幽人かどうかを確かめるためにわざわざ携帯を鳴らして、同じタイミングで電話にでるかをたしかめてしまったほどだ。

「あの、こんな恰好でよかったでしょうか」

 すりきれたジーンズに、ティーシャツ。いつもの非番の日の恰好だ。

「問題ないだろ。ま、俺もクラブへははじめてだからな。それよりどうした。疲れてるようだが」

「あたしも、クラブははじめてで、ちょっと緊張しています。――それで、どのクラブにいくんですか。渋谷には複数ありますけど

「組対から片桐が出入りしていたクラブの情報をもらっている。まずはひとつずつ虱潰しにする」

 幽人はスマフォをいじり、お目当てのクラブのホームページをいくつか開いてみせた。

「聞きこみはお前に頼みたい」

「あ、あたしですかっ!?」

「今回はターゲットが女だからな。俺よりもお前がするのが自然だろう。ナンパとまちがえられて警戒されてはいみがないしな」

「それでは警部はいかれないんですか」

「その呼び方はやめろ。クラブじゃ、どこの誰が訊いてるかわからないんだ」

「あ、申し訳ありませんっ」

「その馬鹿丁寧な言葉遣いも禁止だ。俺ももちろん同行する。だが、聞きこみにいくのはお前の仕事だ。それから、俺たちはカップルという設定だからな」

「カップル……ですか」

「不服だろうが、これは仕事だ」

「不服なんてとんでもないです……あ、いや、とんでもねえ……えーっと……とんでもー……ない……?」

「おい、しっかりしてくれ」

 思いっきりタメ息をつかれてしまう。

「す、すいません……」

 これまで体育会系の世界しか知らないあきらにしてみれば、年上の男性に対してため口で話すことにそもそも馴れていなかった。

 あきらは情けなさのあまり、顔を熱くさせてうつむいた。

「……あの、聞きこみのコツは、なんですか」

「その役になりきることだ」

「役って……か、カップル、ですか」

 鋭すぎる幽人の視線を直視できなくなってしまう。

 どうしても昨日の美形が頭にちらつくのだ。

「背中」

「あ、はいっ……」

 ぎろりと睨まれ、背筋を伸ばして慌てて言い直す。

「う、うん」

「いいか。俺たちはカップルだ。そして片桐とは知り合いだ。クスリが欲しいカップルでこれまでなにかと片桐に融通してもらっていた。だが、ここ最近、めっきり片桐と会えない。連絡もとれない。だから今日はこうしてクラブに足を運んだ――それを入り口にして聞いていくんだ」

 たんたんと伝えられる設定をあきらは頭のなかで反芻する。

「聞くのは、いい、けど……みんなに、話す、の……?」

 あきらはガチガチに緊張しながら尋ねる。。

「聞く相手は俺が見定める。直津が言っていただろう。片桐には陰の気をまとっているやつを見抜く力があった、と」

「……もしかして、片桐も霊能力者……?」

「片桐も、とはどういうことだ。俺は違うぞ」

「いや、そういうことじゃなくて。今のは、えっと、言葉の綾で……」

「とにかく、あいつがなにかしら俺が見ているものと類似したものをみているとしたら、俺にも気の形でそれなりに判別できるかもしれない」

「なるほど!」

「よし、いくぞ」

 あきらたちはそれから店内で時間をつぶす。その間に、これから向かうであろうクラブのフロア案内図をチェックして、できるかぎり頭に入れる作業に費やした。

 片桐が出没していたクラブは千人収容規模の大きなハコから、百人、数十人の中小規模まで多岐にわたる。

 店を出るころには二十三時を回っていた。

 むわっとした熱気が今も滞留して生温かく顔にふきつけてくる。

 カフェの居心地のよさに馴れていた身体にはすこし辛い。

 さすがにこの時刻ともなると駅からでてくるより帰る人のほうが多い。

 飲み会からの帰りか少し顔をあからめた男たちが多い。

 といってまだまだ人手はあって、これはさすがに大都市らしい光景といえた。

 センター街を進み、道玄坂をのぼっていく。

 あきらたちと同じ目的なのか、若い男女や女性、男性のグループが、駅に流れていく人波をかきわけるようにすすんでいくのをなんども見た。

 まず最初にいくのは『ANGEROUS』という千人規模の大きなハコだ。

 フロントは一階で、ダンスフロアは地下一階から三階まで。

 従業員は白いワイシャツの上にベストをはおって清潔感があり、物腰もやわらかだ。

 身分証を提示し、料金を払う。荷物がある場合はロッカーに入れるようだ。

「ここは俺が払うから」

「え、あ、でも……」

 一人あたま三千円ほどだが、さすがにおごられるのはどうなのだろうと思っているうちに幽人は支払ってしまう。

 手の甲にスタンプをおされた。どうやら再入場のときに必要になるらしい。

「あの、お金……」

「かまわん。ぜんぶ、捜査費用で落ちる。それより頼むぞ」

 幽人は口早に言った。

 フロアには大勢の女性客がふりまいているであろう香水のにおいが、蒸し暑い空気にまざりあいながらただよい、あきらは顔をしかめないわけにはいかなかった。

 荷物をロッカーにしまいつつ、受付をする客たちを眺める。

 みんな、気合いを入れたメイクのせいか年齢は判別できないが、女性客のなかにはあきらかに未成年とおぼしい顔立ちの少女までいる。しかしIDチェックはスムーズにパスしていた。

 年齢確認はあくまで形式的にすぎないらしい。

 客はひっきりなしで途切れることがない。

「おい、なにしてる」

 幽人に呼ばれて人が二人も横並びになれるか微妙な狭い階段をおりていく。

 受付の明るさにくらべてぜんたいてきに照明が搾られている。

 映画館にでもありそうな音漏れを防ぐ分厚い扉をひらくと、身体に振動が響いてくる。

(す、すごい……)

 入るなり、その場の空気感に圧倒された。およそ百メートル先にステージがもうけられ、そこにはDJブースで、シャツにジーンズのラフな恰好の男性が音楽を流している。

 音というよりもすでに振動である。耳よりも先にビートが身体をつきあげてきた。

 ステージフロアでは男と女が身体をゆらしてノっている。

 それをとりまくように配置された座席ではカップルや女性だけのグループにちかづく男性陣の姿が見受けられる。

 隅のほうには従業員らしい黒服が立ち、ときおり、耳を押さえ、口を動かしている。

 フロアにいるのは男性だけでなく、ホールスタッフとして女性の姿もみうけられ、常連客なのか女性客と親しげに話している子もいた。

 クラブとはどんなところだろうと思っていたが、驚きながらも、想像していたよりもずっと気安い場所らしい。

 男はシャツにジーンズ、タンクトップが主で、女性も男とそれほど大差ない恰好やらキャミソールやら、スカート丈の短いワンピースとそれぞれが思い思いの恰好だ。

 もちろんあきらの前をいく幽人の恰好はこの場にぴったりくる。

 フロア内は色とりどりの照明がおどり、薄暗いフロア内を妖しく躍っていた。

 バーカウンターでドリンクを注文する。

 そこではソフトドリンクからカクテルまで居酒屋でみるようなものはだいたい飲むことができるようだ。しかし。

(これが四百円……)

 どっからどうみてもただのミネラルウォーターだ。

 タメ息まじりに水を飲む。

 フロア内のブラックライトで星を模した再入場スタンプがぼうっと青白く光っている。

 軽快なポップミュージックに軽くノっていると、ダンスフロアをじっとみつめる幽人が視界に入って、我に返る。

(もう、なにやってんのよ。遊びにきたわけじゃないのに……っ)

「……ど、どう?」

 あきらは幽人と肩が触れ合う距離までちかづく。

 こうでもしなければ、このなかでまともな会話はなかなか難しい。

「あそこだ」

 幽人が指さしたのは壁によっかかりながら小さく身体を揺すっている女性だ。

 青いキャミソールにデニムのショートパンツ、ブーツ姿だ。

「じゃあ、いってきます」

 幽人は小さく顎を引く。

 あきらは人ごみを縫いながら進んだ。

 当然、女性にして百七十センチ前後あるその姿に視線があつまるのが分かるが、無視して進む。何人かの男たちにも半ばひやかしのように声をかけられたがこれもやっぱり無視した。

 ある程度まで近づいたあとは不自然にならないよう、少しずつ距離をちぢめていく。

「ひとり?」

 女性がステージからつと視線を逸らしたとき、そっと声をかける。

 二重の黒目がちな目の、しゅっとしたクール系な美人だ。

「そうだけど」

「あたしは、えっと、男友達と一緒なんだ」

「そう」

「でもあんま、ノリがよくないんだよね。誘ってくれたのはうれしいんだけど」

 女性の目が、指さしたほうを向く。

「……やぼったそう。タイプなの?」

「え、あー、どーだろー。あたしは楽しいのが好きだから、誘われたのは好きじゃないけど……あ。座らない?」

 近くにあった座席を指さして座る。

「勘違い、されちゃうかな」

「してんじゃない? なんか粘着質っぽいから気をつけたほうがいいかもよ」

 表情はあまり変わらないが、これくらいしゃべってくれるというのは少なくとも不愉快ではないのだろう。

「か、かもねえ。あーあ。これだったら、他の子たちと違うところにいけばよかったぁ。なんか楽しいものもあるっていうし」

「楽しいものって?」

 声に少し興味の色があった。

「さあ。片桐って人がいろいろおもしろいもんもってるんだって。知ってる?」

 目でしっかりと相手の顔を見るが、目に見えた変化はない。

 ふうん、と興味なげだ。

 と、その目がフロアの出入り口のひとつにむけられた。

「あ、ごめん。カレシきたから」

 女性はさっきの乏しい表情を一変させ、満面の笑みで男を迎えた。

 ちょっとおっそーい、と身長が百八十センチはあろうかという体格のいい男性にすりよる。 男はごめんごめんと爽やかな笑顔を彼女に向け、ふたりは身体をよせあいながら一緒にダンスフロアの真ん中へ移動していく。

 女性がなにかを話し、男と一緒にちらちらとあきらへ視線をやる。

 優越感が色濃くにじんでいる。

「…………外れ、か」ぽつりと独りごちる。

 べつに最初から当たりを引けるはずもないことは理解しているが、要らぬ敗北感を味わったこともあって切ない風が胸をとおってくような気分だった。

 しかしつづいて選んだ相手はひとりめほどうまくいかず――いや、その次もその次も、あきらを警戒して、ひとりめのスムーズさがうそのようだった――話せるまでかなり苦戦した。なんとか話すところまでこぎつけても成果はなかった。

 夜が更けていけばいくほど、クラブ内の密度はあがっていった。

「これからどうしましょうか」

「目立った気は感じない。他にいこう」

「……覚悟はしていたとはいえ、そう簡単にはいかないってことですね」

「片桐もターゲットは吟味していたのかもしれないな……。まあ今日一日で済ませる必要もない」

「あの、見落としたってことはないでしょうか。あたしがただ気づかなかっただけで」

「なにも犯罪者を見つけろというわけじゃない。反応があるかどうかだ。自分に自信をもって臨め。でなきゃかえって相手に不審を抱かせることになる。次、いくぞ」

「は、はいっ」

 次も大型のハコだった。しかしここでもこれといった成果はなかった。

 陰の気をまとっているのはなにもひとり、少人数できているとは限らず、十人ほどの大学生グループのようななかにもあった。その子に話しかけるためにお手洗いにたつのを待ったりして、できるかぎり自然に話しかける、もしくは同好の士を装ったりしつつ片桐の名前をだしてみたが反応は薄かった。

 無駄に高いドリンクの料金ばかりがかさんでいく。

 次に向かったのはスタンディングの二百人収容のクラブ。

 円山町の一画にあるそこは、黒く塗られた壁に赤い爪痕のようなイラストやら、半裸のなまめかしい金髪女性がおどり、おどろおどろしい外観をしている。

『CLUB VLAD』というのが店の名前だ。

 そこは地階にダンスフロアがあるのではなくロビーの奧にある扉の向こうがそうらしかった。

 深夜二時だというのに静寂という言葉とはかけ離れて、フロア内は賑わっている。

 手の甲に押されたこの店に入る際に押されたのもふくめて、三つのスタンプがブラックライトに照らされてぼんやりと浮かびあがった。

 この店は大規模なハコとちがって、ひとり客をあまり見かけなかった。

 だいたいがグループで、最低でもふたり以上でいる。

 音楽もどこか機械音的でアップテンポな曲だ。

 あきらは本日、三本目のミネラルウォーターを手にする。水を飲み過ぎてしまってお腹がたぷたぷだ。

「あの子だ」

 フロアで向かい合って身体を大きく揺らしている二人組。幽人が指定したのはその左側。

 三つ編みにした髪を金にちかい茶に染める、つけまつげをふんだんに盛っている子で、大きい胸でキャミソールがはちきれてしまいそうだ。

 二人は小休止するのか、席へ戻っていこうとする。ターゲットの片割れはフロアからでていく。

「お前はいけ。相手の子は俺がひきとめておく。携帯を鳴らしたら適当な理由をつけて離れろ」

「わ、わかりました」

 気合いをいれるようにぐびっと水を飲み、右手でスマフォを、左手で髪をしきりにいじっている女性へ近づく。

「――ここ、雰囲気良くていいよね」

 顔をあげた女性は化粧やら、しぼられた照明でわかりにくいがなんとはなく幼い顔立ちをしている。まだ未成年かもしれない。

 あきらは空いている席を目顔で示すと、女性は「友だちがもどってくるけど」と言ったが、とりたてて拒絶するわけではなかった。

 あきらは「じゃ、友だちがくるまでちょっとつきあって」と軽い調子で座る。

「べつに」

 構わない、ということだろうか。

 少女はおそらくカラーコンタクトをつけていると思われる青い眼をまたたかせる。

 幽人は陰の気をまとっているというが、これまで接してきた誰にも共通点のようなものは感じなかった。

「ここへはよくくるの?」

「ん、まあね」

 女性はうなずきながら、目はスマフォに注がれ、指をせわしなく動かしている。

 器用なものだと感心してしまう。

「結構、クラブまわってんの?」

 と、女性の目が手の甲に向く。

「ああ、うん。知り合いを探しててさ。連絡がとれないけど、クラブにはよくくるからさぁ。片桐ってやつなんだけど」

「……へえ」

 返事こそ素っ気ないものだったが、目があきらかに反応をみせる。もし一番最初に会っていたら気づかなかったかもしれないが、これまで何人もの素っ気ない反応をみてきたからこそ分かった。

「あ、片桐、知ってる?」

 話しを振ると「別に」と目をそらす。

「隠さなくてもいいよ。あたしも、いろいろ融通してもらったことあるし」

 女は連れのことを気にしているのかフロアの出入り口を見やり、それから再びあきらを見る。

「……あいつ、殺されたんだよ」

 しばらく様子をうかがっていると、女性はスマフォをテーブルにおき、デコレーションしたつけ爪で茶髪の髪を落ち着かないように触れつつ、少し声を低くした。こころなし、髪をいじる手に力がはいったようにみえた。

「うそ? ホントに……?」

「結構前。ニュースにもなったんじゃない?」

「そうなんだ……」

「ご愁傷様」

 あきらは高鳴る鼓動を懸命に押さえる。

 おちつけ、おちつけと言い聞かせる。

「……チヅル、平気かな」

 相手への言葉というよりも、ひとりごちたという風につぶやく。

 女性の目が少し広がる。

「チヅの知り合い?」

「あ、うん……。片桐と会うようになって知り合ったんだけど」

「あの子、片桐とは別れたよ」

「え、そうなんだぁっ、まあ、片桐もやばいところあったし、その……殺されるようなことにもなっちゃったわけだし……。別れて正解よね。いつのこと?」

「あたしが聞いたのは一年くらい前。でもすぐにあたらしいの見つけたみたい。なーんか、いいところのぼっちゃんってカンジで。どこで知りあったんだかしらないけど――チヅの知り合いなのに、知らないの?」

 声の端々に警戒が滲んだ。

(まずい)

 あきらは人目を気にするように視線をほうぼうへやりつつ、声をひそめる。

「実は、パクられちゃってさ……。で、しばらく誰とも連絡とらなかったんだよね。ケータイもとられちゃったまま戻ってこないし」

「そう、なんだ。ツイてないね」

「うん……。昔の仲間に迷惑かけると悪いしさ。だからちょっと自主規制してんの」

「ま、パクられる間抜けにつきあわされちゃたまんないしねー」

 少女の口元に小馬鹿にした笑みがうかんだ。なんとか警戒心を解くことに成功したようだ。

「で、どんななの?」

 あきらは身を乗り出す。

「えーっと、前にクラブにいったとき、写真撮ったとおもうけど」

「もしよかったら、みせてくれる?」

 女性はスマフォをいじってみせてくれる。グループの記念写真といったところか。

「ほら、わかる? チヅの隣」

 女性は指さす。

 チヅルは黒髪のロング、前髪をきりそろた一見すると印象の薄い女性だ。その隣でさわやかな笑みを浮かべているのは好青年を画に描いたような青年だ。

「ありがと。えっと、もしよかったらさ」

 データくれる、と言っていいものか逡巡していると携帯が震える。

 ちらっとフロアの出入り口をみると、女性の連れがあらわれる。

「ごめん。あたし、ちょっとお手洗い」

 あきらはたちあがり、連れの女性のうしろから数人の人間を挟んであらわれた幽人と合流する。

「警部、収穫です。あの子、片桐からクスリを買ってたみたいで。チヅルにはカレシもいたらしく写真もみせてもらいました」

 話しを最後まで聞かず、幽人は顎を小さくしゃくる。

 見ると、さっき話しかけた女性が戻ってきた友人といれかわるように早足でフロアをでていくところだった。

「いくぞ」

 幽人が早足で追いかける。

「は、はい」

 少女がふりかえり、あきらと目が合うや、走り出した。

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