第7話

前のときのように幽人が運転をし、あきらは助手席に座っていた。

 東京拘置所は葛飾区小菅にある。

 死刑囚がいることで知られているが、他にもお務めをしている受刑者、現在、裁判の真っ最中である未決拘禁者もまた生活をしている。

 あきらは手持ち無沙汰で、何度も幽人の横顔を見てしまう。

 はじめて目の当たりにする上司の素顔だ。

 今日という日がくるまで、すりきれたジーンズにティーシャツ、目深にかぶったニット帽と、その素顔は髪型にいたるまでまったくもって判然としなかった。

 そしてその全貌が今、露わになったわけである。

 髪は短くきられた栗色で、すこしクセッ毛のようではあるが、手入れはしているのか艶々と輝いている。

 いつも胡乱な目つきのせいで気づかなかったが、思いのほか睫毛が長く、少し目を伏せれば憂いの表情で、かなり画になる。

 おそらくこの容姿で俳優という肩書きをつければ、女性誌の表紙に掲載されてもおかしくはないだろう。

 そしてなによりあきらが注目したところは。

(警部、肌がきれいだな)

 普段の恰好からはまったくわからなかったから尚のこと驚いた。

 まるで石鹸の表面みたいにすべすべしている。

 あきらは自分の頬を触ってみる。ため息しかでなかった。

「どうした?」

 幽人はタメ息を聞かれてしまったようだ。

「あ、いえっ! なんでも」

「気持ち悪いなら窓でもあけろ」

「いえ、気持ち悪くなんかありませんけど」

「背中」

「え?」

「今、すごく曲がっていたぞ」

「あ、ほんとうですか。すみません」

 あきらは座っている状態で気をつけをするイメージでシートに背中をくっつける。

「あたし、集中するとついつい猫背になってしまうんです……。友だちにもよくそのことで注意されて。気をつけてはいるんですが」

「車のなかでなにを集中することがある」

「それは」

 まさか幽人の顔にみとれていましたとは言えない。

「えっと、被告人にあったら、どう話しをすすめるかについて」

「そんな無駄なことはやめろ」

「……無駄、ということはないと思います、けど

 あきらは眉をひそめてしまう。

「下手に準備をして、それどおりにすすめようとすれば、知能犯タイプの犯罪者はこっちを煙に巻きかねない。でたとこ勝負のほうが有効だ」

 やがて東京拘置所の特徴のある外観がみえてくる。

 拘置所で受付をすませると係員につれられて面会室へ足を向けるが。

「申し訳ないが他の場所にしてもらえないか」

「しかし」

「わかっている。しかしこれは殺人の捜査の一環なんだ。上と相談してくれていいから……そうだな。職員や来訪者がつかう食堂なんかがいい」

 お待ち下さいと係員は早足で去って行く。

 しばらくして戻ってくると、「職員同席でいいということであれば」ということで特例として食堂につれていってもらえることにした。

 拘置所の十二階。荒川や拘置所の敷地を一望できる、一般に解放したらそこそこ人が来そうなスポットだ。

 今日は天気がいいせいか、荒川が陽光をはねかえしてきらきらと輝いている。

 食堂は受け渡しのカウンターがあり、長テーブルとイスがおかれている。一般的に食堂といえば、こんな感じとよべるものだ。

「飲み物はなにかもってきましょうか」

「いえ、大丈夫です

 案内してきた係官に礼を述べ、あきらたちは窓に面した席に横並びに座った。

 しばらくして刑務官とともに、受刑者があらわれる。

 男はあきらたちを見て、いやらしい笑みを浮かべながらちかづいてきた。

 年は片桐とあまりかわらなさそうに見えたが、彼が骨と皮の印象があったが、こちらは腹がでて、眼鏡をかけている。

「へえ。結構いい場所だなぁ」

 男は窓から臨める景色を眺めつつにやりと笑い、身体を揺らして対面の席にどっかと腰かけた。

「直津大輔だな。警視庁からきた樋向だ。こっちは部下の虎熊だ」

 眼鏡ごしの細い目が、あきらを値踏みするように動く。

 思わず全身に力が入った。

 男は感情がよみとれない、金壺眼をしている。

「あんたら、なんだ。組対部か」

「いや。我々は特命捜査課のものだ」

 聞いたことがないなぁ、とのんびりしている。

「最近できたばかりの部署だ」

「ふうん。なにするところなの」

「なんでも屋と思ってくれればいい。なんでも扱う。現在、ある事件について捜査をしていて、それに関して片桐敦のことが知りたくて、今日は尋ねてきたんだ」

 普段の幽人からは想像できないくらいしゃべりは淀みない。

 男は一審判決で四年六ヶ月の実刑判決がでたが、それを不服として控訴し、現在は東京高裁での公判中だが、とても刑事被告人とは思えずひょうひょうとしている。

「へえ」

「片桐はきみの部下だったろ?」

「ビジネスパートナーさ。なあ、あいつの事件、解決したのか」

「鋭意捜査中だ」

「あいつどんな方法で殺されたんだ。新聞読んでもなーんもでてきやしない。売人一人殺されてもなあんも面白くねえんだろうな。あ、そういや、片桐が殺されたときも刑事がやってきたけど、そいつらも教えてくれねえんだよ。いいから質問に答えろってなもんで、あいかわらず刑事っていきもんは揃いも揃って偉そうな連中ばっかだ。ま、女は刑事だろうがなんだろうが別だけどなァ」

 男の感情の読めぬ目に、かすかな欲情の色が差す。

 あきらはきつくにらみかえしたが、男は目の前に好物を差し出されたようにますます目尻をゆるめた。爬虫類のような男、あきらはかすかに上体を引き、唇を固くむすんだ。

「渋谷の路上でめった刺しに殺されたよ」

「警部……」

 幽人に目顔で制せされる。

「遺体発見時は俯せの恰好だった。全身をナイフとおぼしきものであちこち刺され、臓器すら傷つけるほどだった。それだけじゃない。発見時はうつぶせでわからなかったが、喉笛を斬られていたもいたんだ。こういうふうに」

 幽人は自分の首に人差し指をつーっと真一文字にはしらせる。

「死因は出血性ショックだ」

 あきらは驚いた。たしかに複数箇所を刃物で刺され、それは臓器を傷つけるほどだった。死因も出血性ショック。しかし、首はかききられていない。

 男の目は、悦びに光ってみえた。

「ずいぶんなものさ。そうとう誰かに恨まれていたんだろう」

 へえ、と片桐は眉と同時に口角をもちあげた。

「心あたりはないか」

「まあ、あいつは女にだらしがねえからな。ホント暗がりでいきなり刺されてもべつに驚かないぜ。大方、今回もそんな感じかもな」

 大輔のにやにやとした笑みを前に、あきらは生理的嫌悪を隠せない。

 男の目にはすべてを小馬鹿にした色がみなぎっているのだ。

「そうなのか」

「あいつは人の心に入りこむのがうまいんだよ。あいつ曰く、陰の気をまとっているやつを見抜けるらしい。だが、それだけに深入りしすぎて危ない目にもあったことがあるらしい。身体だけとつまみぐいした女と別れ話になって刺されそうになったりな……」

「陰の気か。面白いな」

「だろ? それが仕事にも活きるんだとよ。あいつが言うには、ドラッグのたぐいに引かれるやつには特徴があるらしい。自分を抑制して、周りに合わせていながら鬱屈としたものをかかえてるってな。ま、ともかくだ。あいつには優先的に新作をおろしてたよ。うちの業界はどんどん新作をださないとな。新作をだしゃ警官あいてにもビビる必要はないんだしさ」

 直津はくつくつと低く笑った。

「新作か。薬剤師やらポスドグやらをネット求人していたんだよな。正直、敵ながら動きが速いなと感心したよ」

 幽人はいつもの口調はどこへやら立て板に水のようにさらさらと言うと、大輔は満足そうに大仰にうなずいてみせる。

「聞きたいんだが、女以外に恨みを買っていそうな心当たりはあるか。片桐の遺体を見る限り、とても女性にはできそうにない」

「なあ、ただで情報をかっさらおうっていうのか」

「つまり?」

「言わせんなよ。わかるだろ?」

「悪いが、ここは日本なんだ。司法取引は制度として存在しないんだ」

「でも検察にかけあってくれることぐらいはできるだろ。俺は殺人犯じゃない。でも片桐の事件は殺人だ。まあ、執行猶予の一年や二年でいいんだよ。俺だっていろいろ考えてるんだよ。心をいれかえて今度は社会のために役にたちたいんだ」

 気味の悪い猫なで声を出す。

(こいつ、こっちが下手にでてるとおもって調子に……っ!)

 奥歯をきつく噛み締める。

 男は押し黙る幽人を前に、つまならさそうに鼻を鳴らして「おい、もういいだろ。帰らせてくれ」と刑務官によびかけた。

 と、幽人の手が動く。

 テーブルをパケがすべる。そのなかには永田朋香の部屋のゴミ箱にみつかったドラッグの袋とおなじものがはいっている。いや、それはまさにその証拠袋であり、しっかりと採取された年月日のついたタグがつけられていた。

 男の目がそれにすいよせられるや、それまでの小馬鹿にしたような薄ら笑いが引っこんだ。 近づいてくる係官は幽人は手振りでそっと制した。

「それはきみの商品だ」

 直津はひったくるように袋をとると、まじまじと見る。

「それは別の事件の現場で発見されたものだ。おそらくきみの商品をコピー……」

「無理だ……」

 男はぽつりと呟く。心なしその顔が白くなったように見えた。

「しかし、現に見つかっているじゃないか」

「そんなはず、ない」

「なぜ」

「決まってる。うちがあつかってるドラッグの製造法は厳密に管理してたんだ。わざわざ行程ごとに人間を変えてまでな。それもそいつらがやっているのはただの単純作業で、つながりは一切ない。材料をそろえたからってそんな感嘆にできるもんじゃねえんだよっ!」

 男は息を荒げ、拳をテーブルに叩きつけた。

 豹変ぶりに、あきらは身を固くしてしまう。

 刑務官たちが声をあげて近づいてこようとするのを、幽人はおしとどめた。

「だが、ここにはたしかに存在している」

「だからそんなわけねえよ!」

「だったら可能性はひとつだ。きみの自慢のドラッグが流出したんだ」

「あ?」

「片桐敦だよ」

「でもあいつは殺されて……」

「誰かがきみのドラッグの優秀さに目をつけた。そして片桐敦を殺害し、ドラッグを奪ったとは考えられないか」

 男のなにも読ませぬ目が揺れる。

「誰かがなんの危険も冒さず、なんの努力もせず、利益を一挙に手にしている。片桐敦に新商品が供給され、それをロッカールームに保管していることを知っている人間で心当たりはないか。いや、あるはずだ。きみはすべてに目を配っていた。さっきは自由にやらせているといっていたが、ちゃんと目は、首輪はつけていたはず。そうだろ? 優秀な売人は同業者にヘッドハンティングされる可能性だってあるんだからな」

 男の口がひらきかける寸前で、閉じられた。

「いつまでくだらない取引にこだわっている気だ。そんな思わせぶりな態度をとるなよ。知らないならそうはっきり言えばいい。売人がドジふんで殺され、芋づる式につかまった挙げ句、自分のつくったドラッグで他人が儲けてるのを指をくわえて見ていればいい」

「チトセって女だ。あいつ……あいつにしかいねえ。クソ、あのアマがッ!」

 怒鳴りながら直津が幽人につかみかかろうとする。

 あきらは手首をきつくつかんだ。

「てめえっ」

 ギロリと睨まれるが、醜い本性が垣間見えた今となってはなにも怖くなかった。

 実際、女の細腕につかまれて男は腕を動かすこともできない。

「おい、放せッ」」

「それがあんたの本性なのね」

 あきらは口元に薄い笑みをみせた。

「なめんじゃねえっ!」

 もう片方の手を硬く握り、あきらの顔めがけ拳を突きつけてくる。刑務官たちがはしりよってくるが間に合わないだろう。

 あきらはその拳をさらりと買わし、目の前に無様につきだされている腕を握り、軽く力をいれる。男の大柄な体躯がまったく体重を感じさせない動きでふわりと浮かびあがったかと思うと、一回転して脂肪に包まれた男の身体は背中から床にたたきつけられた。

 直津は自分の身になにがおこったのかわかっていないように、見下ろしているあきらの顔をみあげている。

 唖然として動きをとめた刑務官たちが慌てて男をとりおさえる。

「警部、お怪我か」

「大丈夫だ」

 幽人は床にねじふせられる男のもとへ近づく。刑務官の制止もまったく耳にはいっていないようだった。

「チトセ。片桐の彼女か」

「そ、そうだ…… あのアマしかいねえっ!」

 男はあきらから投げ飛ばされたことですっかり毒気を抜かれてしまったように大人しくうなずく。

「チトセのフルネームは?」

「しらねえよ。あいつがチトセはチトセってうるさかったんだ……」

 刑務官は「面会はここまでです」と打ち切った。

「いきなり暴れ出したときはどうなるかと思いました……」

 外にでると、あきらは深呼吸する。

「でもやっぱり警部、すごいですね。相手はずーっとこちがわに駆け引きをしかけてきて、口だって硬そうにみえたのに」

「あれはただのうぬぼれやの小物だ」

「わざと片桐のことをむごたらしく言ったのはなぜですか」

「どういう人間なのかを計るためのジャブだな。案の定、思った通りにすすんで良かったよ。進展もあったことだしな。――それよりも、あの投げは見事だったな。警察学校で習う格闘術があそこまでちゃんと実践できるやつにはじめて出会ったかも知れない」

「ありがとうございます。でもあれは合気道です。祖父から教わったんです。最低限、自分の身だけは守れるようにって」

「そうだったのか。いいおじいさんをもったな」

「それよりも、警部。今後はあのように相手を挑発する場合は事前に一言いってください。いくら相手の人間性を計るためとはいえ、私だって咄嗟に反応できないときがありますから……。警部にケガをさせてしまってからでは遅いんです」

 しばしじっと見つめられる。、その眼差しの澄んだ様子に、全身がむずむずして落ち着かなくなる。と、その目がそっと逸らされた。

「そう、だな。すまない。今度からはそうする。俺も、ひとりでうごくことに馴れてしまっていたからな。気をつける」

 あきらは自分から横道にそらせてしまった話を元に戻す。

「……あの、さっきの話しですが、チトセという女性の名前は片桐の携帯からそれらしい名前は登録されていなかったと思いますが」

 あきらは手帳をめくりながら言った。

 幽人を待っている間に、念のためにとファイルに添付されていた住所リストの名前をかきうつしておいたのだった。

「だがあの男が激昂の演技ができるほど器用じゃない。探る方法はあとで考えるとして成果はあった。戻って検討しよう」

 あきらたちは車にのりこんだ。

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