第2話

テレビドラマでよく見かける象徴的な建造物――通称、桜田門と言われてる警視庁本部の通信塔と一体化した建物を見あげた。

 しかしあきらの目は不安に揺れてはいない。かっちりとした青い警察の制服姿だ。スーツとにしようかと思ったが、これが自分にとっての警官としての誇りなのだ。

 展望がまるっきり見えてこない現状に昨夜はやけ酒しながらひたすら泣いた。

 そのせいか今朝めざめてみると、逆に腹がすわった。

 ゲートで身分証を提示し、金属探知機のチェックを通過して玄関ロビーへ。

 二階までふきぬけになっているそこは広々としている。

 制服、私服、関係なく行き交う人のほとんどが警察官なのだと思うと、ただただ圧倒された。

(のりきってやるわ! ドラマのあの女性刑事だって艱難辛苦をなんどもあじわいながらのりこえたじゃない! 言ってやるわ! 非は相手にもあったって! 相手がどんな人にだって!)

 拳をにぎったあきらは受付に、ずんずんと近づく。

 受付カウンターのなかには、これまでの人生でメスゴリラやらデカブツという言葉とは無縁な、細身で小柄、それでいて目鼻立ちのはっきりとした愛玩動物のような女性がいる。

 顔をあげた受付の女性が、あきらの身体からたちあがる気迫にぎょっとする。

「代々木警察署地域課より参りました虎熊あきら巡査です。人事からよびだしを受けました」

 と一語一語に力をこめて言った。

「あ、はい。お、おまちください……」

 女性が内線電話をとる。しばらくしてあらわれたのは、

「えっ」

 一昨日の夜、あきらがとりおさえた警察官だった。

 ワイシャツに薄汚れたジーンズ、ニット帽も昨夜のままだ。

 ロビーのかっちりとした雰囲気からはあきらかに浮いている。それにニット帽のからのぞく鋭い眼光、そしてその出で立ちともあいまって、あきらが先輩より教授を受けたまず職質をかけるべき人体に合致しすぎている。

「こっちだ」

 挨拶もなにも抜きで顎をしゃくり、さっさと歩き出してしまう。

「ちょっ……え……ま、待ってください……っ!」

 追いついたあきらはできるかぎり頭を整理する。

「あたし、人事部に呼ばれたんですけど……え、あの、人事の方、ですか」

「人事に頼んだんだよ。俺の名前だと警戒されると思ったからな」

「待ってください。どうしてあなたが、あたしを呼び出すんですか」

「詳しい説明はあとだ。黙ってついてこい」

 乱暴なものいいにむっとしたが、誤認逮捕のこともあってだまって従う。

 エレベーターで三階まで移動する。組織犯罪対策課のプレートを横目に、せわしなく行き交う警察たちを縫い縫い、廊下を奧へと向かう。

 扉があって、そこには『特命捜査課』のプレートがかかっている。

 男とともに一室に入ると、その雑然さにおもわずぎょっとした。

 部屋の広さはだいたい二十畳くらいだろうか。

 二メートルはあるだろうスチールラックがいくつもおかれ、デスクには書類やらファイルがいくつもの山をつくっている。 その山のいくつかには絶妙なバランスでのせられている『決済』、『未決済』の箱、そして『かりんとう』という金シールのはりつけられた小袋。

 さらに大量の書類に占拠されてただでさえ足の踏み場もないなかで、室内にあって講義にでもつかいそうな大きなホワイトボードがさらに室内を窮屈にしている。

 そのなかにあってひとつのデスクのうえは磨いたようにキレイで書類の一切もおいてはいない。

「これがお前のデスクだ」

 男は顎をしゃくって、異様ともいっていいデスクを示した。

「あたしの、デスク……? どういうことですか。ついてきたんですから、いいかげんどういうことか説明してくださいっ」

 そこがおそらく男の定位置であろうデスクの端っこ――書類がうまいぐあいにどけられて空きスペースがつくられているが、少しでも身動げばたちまち書類がなだれをうつだろう――に腰かけると、大仰そうに腕を組んでみせる。

「俺は今までああいうことを何度もくりかえしているが、一度も現行犯逮捕されたことがない」

 そんなことをのたまった。

「それがこの前はものの見事につかまった。だからだ」

「……は?」

「俺とお前の間に縁があると判断したんだ。俺は人との出会いはすべて縁であると思ってる」

「そ、そんなことで」

「縁は奇なるものだからな」

「……それで、なんでしょう、か」

「以上だ」

 さあ、わかっただろうと言わんばかりの態度だった。

 しかしあきらのほうでは問題は一切、解決されていない。ただでさえ窮屈で、空気の悪い室内ということもあってか頭が痛くなってくるばかりだ。

「あの、警部……」

 で、あっていますよね、と言外に問うように見る。

 男はむっつりとした顔で唇を真一文字に引き結んでこたえない。

 合っていることを信じて話を進める。

「こんなこと勝手に決められるものではないと思うんですが。あたしはまだ、任官して半年ですし」

「いち巡査の人事で文句はいわないだろう。今は暫定だが、じきに正式な辞令がくだる」

 男の言葉は自信にあふれ、そうなることを確信しているようだった。

(あたし、とんでもない人のあとをついてきちゃった……?)

 鋭い目つきというが、よくみれば胡乱ともいえるし、端的にいってやばそうだ。

 素早く視線をうごかして、出入り口を確認する。

 ここは警察だ。声をあげれば誰かがかけつけてくれるにちがいない。

「お前、刑事になりたいんだろう。警察学校時代の所属希望、みさせてもらったぞ」

「……え、あ、はい、まあ」

「よろこべ。今日からお前は刑事だ」

 もういやだ、逃げたい。いや、逃げよう。

 あきらは覚悟を決め、駆け出そうとしたそのとき、男は書類の山のひとつにのせられている電話をとる。

「――樋向(ひむかい)だが課長はいるか。……うん、そうか。なら頼んでおいた辞令を印刷してもってきてほしいんだ。……ああ、印はいらない。俺の言葉が信じられないみたいだからな。ああ、頼む。すまん」

 しばらくすると女性がおそるおそるという風に部屋にはいってくる。

 制服姿の彼女は紙を男に手渡そうとするが、男はあきらに渡すよう目配せした。

 受けとった紙には、


 辞令

 平成××年七月十日をもって、以下の人事を発令する

 代々木警察署巡査 虎熊あきら 警視庁刑事部特命捜査課へ異動    以上


 女性はちいさく会釈をすると、この部屋の陰気さから逃げるようにそそくさと部屋をあとにしてしまう。

「納得したか。わかっているとはおもうが、理由なく辞令を拒否することはできない」

「あの、この特命捜査課っていうのはなんですか。はじめて聞くんですが……」

「通称……といっても俺がそう呼んでるだけだが、特課だ。部署ができてまだ日が浅い。知らないのも無理はないな。おおっぴらに宣伝もしていないしな。メンバーも俺ひとりだった、今日まではな」

 さすがにここまで話しがすすんでしまっては、あきらの立場ではなにも言えない。

「ちなみにここはなにを扱うんですか」

「重大事件にかぎらず、あらゆる事件を別の視点から見直す」

「別の視点、ですか」

「第六感による視点。人の本能に根ざした感覚だ。直感、虫の知らせ、山勘という言い方もできる」

「第六感って映画にもなったあれですよね。あの、でもあたしは霊感みたいなものは特に……」

「お前には素質がある、と俺はおもっている。霊感とはいわずとも鋭敏なものがな。説明はこれくらいでいいか。さっそく、今回の事件にうつる」

「警部。最後にひとつ……よ、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「……名前」

「ん?」

 男が眉をひそめる。

「警部の名前は」

「名前は一昨日、言ったはずだぞ」

「すみません! あのときは頭のなかが真っ白でぜんぜん覚えてないんですっ!」

 あきらは深く頭をさげた。

 すこし間をおいて小さなタメ息がきこえた。

「樋向幽人だ」

 幽人は新任の教師よろしく手近にあったホワイトボードに名前と、丁寧にふりがなまでふってくれた。

 あきらは念のため、手帳に書きうつす。

「いいか?」

「はい、警部」

「結局、階級で呼ぶなら名前は忘れたままでよかっただろ」

「そこは気持ち的におちつかないので……すみません」

「まあいい。納得したんだったらあらためて事件についてだ。お前、ディアス本町で起きた殺人事件のことをどれだけ知ってる」

「現場で女性が殺害されたと、だけ」

 あきらは表情を引き締める。

「なら最初から説明しよう。被害者は十九歳の女子大生、永田朋香(ながたともか)。遺体の第一発見者は大家だ。同じ階の住人から被害者の部屋からの悪臭の訴えがあり、マスターキーをつかって部屋をあけたところ、ちかごろの陽気で腐敗がはじまっていた遺体を発見。死因は絞殺。発見時点で死後およそ一週間が経過。検死によると喉の骨が折れるほどの強さ、そして索状痕がないことから首を直にしめられたのだろうと推定される。遺体にはもちろん室内には一切、被害者以外の指紋は発見されていない」

 幽人はホワイトボードにファイルからとりだした写真をはりつけはじめた。

 あきらは顔を背けてしまう。今、視界にとびこんできたものの残像が目を閉じても、頭にやきついたように浮かびあがってくる。

「平然としていろとは言わないが、これからは少しずつでもいい。馴れていけ」

「は、はい……すみません……」

 あきらはうつむき、小刻みにうなずく。

「落ち着いたか?」しばらく間をおき、幽人が聞いてくる。

 あきらはふたたび顔をあげる。唇を引き結んで、無理矢理にでも自分を奮い立たせた。

 それでも自然と眉間に皺がよるのはどうしようもない。

 カラー写真は一面真っ赤に濡れた室内をうつしだしていた。写真だというのにぬらつく質感がわかってしまうくらい生々しかった。そして写真の中央には足を前にほうりだし、力なくうつむく被害者の姿。被害者の遺体はところどころが黒っぽい紫に変色している。

 被害者の腕は後ろ手の状態で、手錠で拘束され、両足首も同じように手錠で固定されている。

「これが被害者の生前の顔だ」

 友人たちと撮影したのを引き延ばしたらしい被害者の生前の全身像。カメラに眩しいばかりの笑顔を向ける彼女は、腰までとどくくらい長い髪の目鼻立ちのはっきりとした、大人びた美しさをもっている。

 生前の美しい姿が余計、凄惨な死に様を強調して見えた。

「遺体の損壊は死後、カナヅチのような重たい鈍器により執拗に行われ、頭蓋骨の損傷は脳にまでとどいているようだ。また写真からだとよくわからないだろうが、被害者は髪を切られている」

 人の命を奪ってなお、その尊厳を徹底的にふみにじるおこないに、自然と握り締めた拳が震える。被害者が同年代の少女ともなれば、なおさらだ。

「警部。まさか、これを幽霊やったと、おっしゃるんですか……?」

「言っただろ。首を締められたんだ。これをやったのは生きている人間だ」

「被害者は、レイプ……されたんですか」

「いや。性的虐待を受けた痕跡は一切ない。服装の乱れもないようだった」

「そう、ですか」

 安心というのは言い方が悪いかもしれないが、不幸中の幸いだった。

「ただ被害者の体内からは向精神薬にふくまれているのに近似した化学成分が大量に検出されている。室内からいくつかのリキッドタイプの危険ドラッグの空き容器がみつかっている。どれもまだ指定されていないドラッグばかりだ」

 通称、危険ドラッグといわれているものは規制されるたびに化学成分を変質させ、次から次へとあたらしいものがうまれ、業者とのいたちごっこがつづいている。

 若者を意識したパッケージのデザインや、また大麻などよりも効果が薄いなどとうたわれ、ファッション感覚でつかわれる場合も少なくはないが、実際は大麻などよりもずっと効果が強いものも多い。

 危険ドラッグ服用者が車を暴走させ、死傷者をだす事故をおこしていることがニュースでたびたびとりあげられていた。

 種類についてもハーブタイプ、今回のような液状のリキッドタイプ、たばこのようなジョイントタイプとさまざまなものが現在、みられる。

「遺体の状況から捜査本部は怨恨の可能性が高いと考え、交友関係を洗い出しているようだ。婦女暴行犯や窃盗犯のたぐいがここまで遺体を損壊させるとは考えにくい」

「……警部は、そう考えていないんですか」

 幽人がすこし驚いたように眉をもちあげた。

 色素の薄い、淡い虹彩でじっとみつめられると落ち着かなくなり、「いや、あの……さっき、警部が別の視点で事件を見る、と仰られていたので……」とつぶやく。

「そうだ。でなければわざわざ捜査することはないからな。これを見ろ」

 あきらは示されたものを見る。それはテーブルにのせられたソーサーの中にある。

 空いた器に入ったそれは形をほとんどなくしている。

「なんですか?」

「鑑識によると一般に販売されているロウソクらしい。現場には買い置きされたアロマがいくつかあった。なのにわざわざこのロウソクが残されていた。これがひっかかる」

 幽人はどう思うと問いたげに見てくるが、刑事としての講習すら受けていないあきらとしては考えこむようにうつむしかなかった。

「現場にいくぞ。お前はまだみてないだろ」

「わ、わかりました……!」

 つみあげられた書類やら段ボールの山を器用に縫いながら部屋をさっさとでていくその背中をあわてておいかけた。

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