第4話それぞれの仕事

 俺は内心、ため息をついた。

「多めに炊いて残しといてやる。だが、俺の姿が見えるときは来るな。俺は一人で過ごしたいんだ、この終末を」

「わかった、気をつけるよ……」

 マサキは思考が途中で迷うこともなく、筋道を立てて話せる人間らしかった。

 そこで俺は、最初から持っていた懸念を切り出してみた。

「その、ベルトにつけてる糸鋸はなんだ? 血塗れじゃないか、何をした?」

 マサキの口調が変わった。自信に溢れた響きで言う。

「俺だって仕事をしてるんだ。アンタが飯を炊くように、さ」

 マサキの目が輝いたように見えた。正気からポンと飛び出したように。

 俺は心の中で舌打ちした。

 もしかすると、まずいスイッチを踏んでしまったのかもしれない。

 しくじったような気分になったが、とりあえず話を聞いてみるつもりはあった。


 マサキが語り始める。

「俺の仕事は死体をバラバラにすることさ。世界がバラバラになるのを防ぐために」

 自分が緊張してくるのを感じた。俺は先を促す。

「どういうことだ……?」

「世界はバラバラになりかけてるだろ? 車が消えたり、店に大穴が開いたり、建物が溶けたり」


 俺はハッとした。

 今日、軽自動車が消えるのを見たばかりだ。

 あれはやはり幻覚の類じゃなかったらしい。

 俺にとっては初体験だったが、マサキはもっと前からこの現象に出くわしていたようだった。


 マサキは朗々と続けた。

「世界がバラバラになりかけてる。みんな、その隙間から落ちていくんだ。外へ。車が一台まるごと、家の壁がごっそりと。ときには構成要素の一部分が外へ漏れ出す。そういう場合には、溶けるはずのないものが溶けたように見えるのさ。俺は長いこと考えて、原因がわかったよ。人間が急に消えたせいで、物質で溢れた世界が、己を保てなくなったんだ。人間は社会を作るだけじゃなかった。物を観察し、認識することで、その物体の形を保っていたんだ。ところがその目はほとんど失われてしまっただろう? 耳も鼻も手もな。意識という意識がなくなっちまった。もう世界は今までどおりの形を保てないんだよ、どんどん崩れている」


 マサキの言っていることは、もしかしたら真実かもしれない。

 昨日までならさっさと追い払っていたところだが、今日からは違う。

 俺も溶けたコンクリートを見た。


 俺は疑問を口にした。

「それが本当だとして、死体を切り刻むのと何の関係があるんだ?」

「それが俺の思いついた考えなんだ!」

 マサキは手を振り、熱のこもった口調で喋り始めた。

「世界の外側がバラバラになりかけてるなら、内側からもバラバラにすれば、崩壊を遅らせることができる! リアクティブ・アーマーみたいなもんさ。バラバラでバラバラを相殺するんだ!」


 急に話が飛んだような気がする。

 統失にありがちな論理の飛躍だ。

 今、ここで殺しておくべきか、しばし迷う。

 だが、引き金は引けなかった。


 俺は一応聞いてみた。

「バラバラにするなら、どうして死体ばかりなんだ? 建物をバラせば効果も大きいんじゃないか?」

 マサキは肩を落とした。

「俺にはそんなことできないんだよ。死体をバラすのが精一杯だ。アンタはパワーショベルとか動かせるか……?」

「ユンボ程度なら動かし方を知ってる」

 ランタンの明かりの中で、マサキが顔を輝かせた。

「じゃあ手伝ってくれ! 家を壊そう! 二人で世界をバラバラにすれば、その分、世界の崩壊を遅らせることができる!」


 筋が通っているのかいないのか、詐欺師の口車に乗せられかけているような気分になった。

 俺は冷たく突き放した。

「俺は世界が崩壊しようと構わない。残った時間を静かに過ごしたいだけだ。ドタバタを手伝う気はないな」

 マサキは意外と簡単に引き下がった。悄然として言う。

「そう、仕方ないね。これはやっぱり俺の仕事、ってことか……」

 マサキが静かになった。


 俺もここまでのやりとりで、ずいぶん気力を奪われた。

 疲労感に襲われて、俺はマサキとの話を切り上げようと思った。

「死体をバラすのは好きにやってくれ。もう、ごはんはない。どこでも好きなところへ行って、ゆっくり寝ろ。病気に対抗するには寝るしかないんだからな、俺たちは」

 マサキは承知したように、ゆっくり立ちあがった。

「ごちそうさま。しばらくこの辺で仕事するから。また」


 マサキは門へ向かおうとして、動きを止めた。振り返って言う。

「『青い目』が始末をつけてまわってるけど、アイツは俺たちみたいな健康な人間にも手出しをしてくると思うか……? アンタの考えは……?」

「何のことかわからないな」


 俺は疲れていたので、ぶっきらぼうに答えた。

 こいつの話をどこまで真剣に相手してやったものか、まだ迷いもある。


 マサキは歩き出しながら言った。

「ならいいんだ。俺のほうこそ幻覚を見てるのかもしれないしさ。俺たちゃ自分の感覚を信用できないしね……」

 俺はマサキが門を出て行くまで、ボウガンを下げずに見送った。

 マサキが消えると雨戸をしっかり閉めて、家中の施錠をチェックする。

 ガラス窓を割って侵入してきても、それを咎める人間なんかいない世界だが、俺が気づくまでの時間稼ぎになればいい。


 生き残りに出会ったことで、俺はかえって気落ちしていた。

 この世界における孤高の帝王という身分も、しばらく剥奪されることになりそうだった。

 早くマサキが消えてくれればいいが。


 一つ勉強になったこともあった。

 事前にどう考えていようと、実際に生きている人間を前にすると、殺すのは容易じゃない。それを思い知った。


 寝袋に潜り込みながら、今日の出来事を反芻する。

 マサキの考えに、どこまで同調してやったものか……。

 あいつも不思議な現象には出会っているらしい。

 だが、他の様々な意見はすべて妄想と変わらない。

 誰に聞いたでもない、あいつの想像にしか過ぎないことだった。

 俺はそれを強く自分に言い聞かせた。

 妄想に飲み込まれてはいけない。

 しかし、何かが起こっているのも確かだった。

 もっとよく自分の目で見て、自分で考えなければならない。

 明日は仕掛けたビデオカメラをチェックしたあと、スクーターを出して少し離れた場所を回ってみよう。

 何か見つかるかもしれない。


 考えはまとまった。

 俺は枕の上に矢をセットしたボウガンと鉈を置き、心を静めて眠りに落ちていった。

 特に夢も見ない。

 不安がまったくないではないにしろ、俺はだいたいにおいて満たされていた。


 翌朝、米の準備をしてガス釜に火をつけると、俺はビデオカメラの回収に向かった。

 お袋はいつも通りに腐っている。

 外も昨日と変わらず静かだった。

 いつもより周囲に気を配って、見回しながら歩く。

 マサキに会いたくないというのもあるし、異変を見逃したくもなかった。

 街はどうということもなく、空気は穏やかだった。


 ビデオカメラは昨日のままに置いてあった。

 マサキもいじらなかったらしい。

 ビデオカメラを三脚から外して、路上に座り込む。

 俺は新しいバッテリーを取りつけて、録画を再生してみた。

 コンクリートの歪んだ駐車スペースが映っているだけだった。

 一番早回しにして画像を流す。

 徐々に闇に包まれて、画面は黒いばかりになった。

 しばらくその画面を注視していたものの、すぐ嫌気がさした。

 もう十分だった。

 俺はスイッチも切らずに、ビデオカメラを放り投げる。

 カメラはアスファルトの上に落ちて壊れた。

 家に戻って飯を食ったらスクーターで出かけよう。

 自分の目で見て回ったほうが早い。

 マサキの言っていたことが事実なら、俺にだって異変の幾つかは見つけられるはずだ。


 異変がはっきりしたところで、俺に為す術はない。

 しかし、好奇心は疼く。

 静かな余生を過ごすのは悪くなかったが、奇妙なものを見て歩くのも魅力がある。

 俺はお袋の腐っていく家に戻った。

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