第5話
月明かりに照らされた椿華城の中庭から、二胡の音色が聞こえてくる。
月夜に流れる春風は、花の香りを纏っていた。
不思議な音色だ。どこかで聞いたような覚えがある旋律。けれど、名前は思い出せない。
音色に誘われるように、そっと近づきかけた時、背後から肩を掴まれた。
咄嗟に肩に置かれた手を掴み、身を翻して拘束技で動きを制する。
「…不法侵入ですよ。あなた。」
あっさりと技を受けて地面に押し倒された青年は涼し気な笑みを浮かべながら、そう言った。穏やかな声をしていた。
月明かり差し込み、静かにその姿を照らし出す。
透き通る蒼色の髪に藍色の瞳、スラリと背は高く、肌は小麦色、異国の雰囲気を漂わせたどこか妖艶な美を想わせる青年だった。
「それで君はだあれ?」
男は、椿華行きの船に乗っていた。商談用の積荷の確認を終え、船でのひと時を満喫しようと軽い散策をしていた時だった。
「ひぇーーー。お助けを〜。」
情けない男の悲鳴とともに視界に飛び込んできた光景を見た時、男は絶句した。
甲板の隅で数人の男たちの惨劇が広がっていた。
「もうやめてぇー、もうお願いですから許して下さい。私が悪かったです。もうしませんからぁあ"ー(泣)」
悲痛な声を上げる男たちは体のあちこちにボッコボコにされ打撲傷を負い、頭や鼻から血を流している者もいる。怯えたように縮こまりながら男たちは許しを乞い、怪我を負わせた人物に懇願していた。
異様な光景だった。見れば男たちの身体には長針が刺さっている。暗器と思われる針を器用にくるくると回しながら、男たちを制した人物が余裕の態度で立っている。
服装からすると少年のようだが、声色は女だった。
「どうですか?私の
にこりと微笑みながらひと拍置いて言葉を続けた。
「死んでしまいますからね。」
少女は男たちに優しい笑みを浮かべながらその瞳には強烈な殺意を宿している。
隠れて見ていた男は、静かに口元だけで微笑む。
琥璉には大きく3つの部隊があり、それぞれ『
「今回は任務じゃないんだから、黒衣装束は封印してね?」
「わかってますよ」
とは言ったものの、やはり職業病というか蘇芳は黒衣ではないものの男装の旅装束を着ていた。
「椿華まではまだ時間がある。峻麗は自由にしていていいよ。」
「はーい。」
雪梛は、商人たちに挨拶すると言ってその場を後にした。
蘇芳は、甲板でボーっと海を眺めながめた。
水面に浮かぶ光の粒が無数の白い珠のようにがきらきらと光って見える。その穏やかな海の景色は蘇芳をほんの少しだけ普通の人間にしてくれた。暗殺を生業にする影で生きる人間である自分が、こんなにも穏やかな時間を知るとは思わなかった。
「謹慎処分も悪くない。」
澄んだ空と潮風の香りが心地よい。
蘇芳はゆっくりと深く息を吸った。
「お嬢さん、おひとりで乗船ですか?」
呼びかけられて蘇芳は振り返る。
「この船の警備隊のもんだ。あんた所属商はどこだい?」
蘇芳は訝しげに声をかけてきた男たちを見た。
「私は桜花衆の者だ。」
「桜花?へぇー見ない顔だな。旅券を見せてくれよ。」
「何故?私は衆長の従者だ。旅券なら乗船の時に確認したはずだ。」
「最近偽造旅券で乗船するものが多いんでな。海上でも検査してるんだよ。まさか持ってないのかな?」
「だから、言っただろ。衆長の従者だ。所属商の主長の使用人は旅券がなくても船に乗れる決まりだ。」
「怪しいな?その主人様はどちらにおいでだい?」
蘇芳は、男を睨む。面倒な連中だ。
「今は商人方と話をなさっている。衆長が戻ってから確認したらいい。」
そう言って、蘇芳は立ち去ろうとする。
「おい、待ちなよ。調べさせてもらう。」
男は蘇芳の腕を組んだ。
「旦那さま!大変です!早く」
雪梛は船員が血相を変えて呼びに来た時、とてつもなく嫌な予感がした。
「乱闘騒ぎみたいだ。」
「船の中でか?」
「それが凄いんだ、1人で5人倒しちまった奴で、それが女の子でさ」
野次馬の会話を聞いて、雪梛はますます嫌な予感がした。
「けいさつ、ぐぐっ.....ぎぃあぁー!」
針をツンと突くと、男は体の中をえぐり掻かれるような激痛に襲われて悶え苦しむ。
「急所穴に針を打つことで、効率良く迅速かつ確実に相手を痛めつける針法術です。今回は、動きを封じるに留めておきましたから、ただ痛いだけです。ご安心ください。」
説明されても男の方はそれどころではない。激痛で、もがき苦しんでいる。
ツンツンと刺した針の端を扱いて、振動を与え続けながら、その女はやたら嬉しそうに殺意のこもった極上の笑みで微笑む。
「ついでに、この針には特別に
男が苦しみ叫ぶ側で淡々と話すと、女は冷笑を浮かべている。
もはや、鬼だ。いっそ殺してくれた方がマシな気がしてくる。
「だから、言ったでしょう?」
「私に手を出そうなんて
女はニコリと微笑む。
そのやり取りを見た雪梛は、絶句する。
勝ち誇って冷笑する人物は、紛れもなく蘇芳だった。雪梛は顔面蒼白で固まる。
パチパチパチと軽い拍手が聞こえた。
蘇芳は振り返る。
「なかなか魅力的なお嬢さんだ。」
隠れて見ていた男が、蘇芳に近づいてきた。
「取り締まりと称して、貴殿のやってることは難癖つけて追い剥ぎのような真似をするばかり。まぁ無理もないのでしょう。自警団とは名ばかりの、ろくに働きもせず飲んだくれている
と言って男は蘇芳に会釈をする。
「私は、官府の軍職についております。琳秋桜と申します。この者達の処遇については私に預けてくださいますか?」
男が言うと、蘇芳は頷く。苦しんでいる男をよそ目に蘇芳はさっさと立ち去ろうした。
「あなたの名を聞いても?」
男が蘇芳に聞くと、蘇芳は答えた。
「私に名前なんて無いわ。あとは任せます。」
男は、微笑を浮かべた。
「(なるほど。釣れないお人だ。)」
「君って人は、どうして騒ぎばかり起こすんだい?」
椿華につき宿屋について半刻、雪梛は蘇芳に説教していた。
蘇芳は、ふてくされたように仏頂面で頬杖をついている。
「だからあいつらが先に手を出してきたのよ。」
「だからってもう少し穏便にできないかい?」
「もう何度も謝ってるでしょ。」
蘇芳は鬱陶しいとばかりにそっぽを向いて窓の外を眺める。
「私の侍女として連れてきたんだからね?もう少し振る舞いを改めなさい……もうこんな時間か、蘇芳急いで着替えなさい。」
雪梛が外に合図すると、待ち構えていた数名の女性達が入ってくる。
蘇芳を取り囲み、女たちはいそいそと服を脱がせ始めた。
「えっ?何なの?」
「あとは任せますね。私は外にいますので。」
「お任せください旦那様。」
雪梛は女たちに蘇芳を預けて席を立った。
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