第3話

「蘇芳様、お帰りなさいませ。」

蘇芳が部屋に入ると、見張り番が礼を取る。蘇芳はそのまま部屋の奥に進んだ。

「私の命令は聞かなかったのだな。」

重低音の低い声が、冷たく部屋に響いた。

奥の上座に座る声の主は、漆黒の衣を纏い、銀の仮面で顔を隠している。仮面から覗く瞳は赤く不気味な印象を漂わせている。この男は黒士部隊の筆頭 朱雅シュガ。黒士は組織の統率を取仕切る司令部隊。その中でも闇を纏ったような漆黒のこの男は、秘術や闇術に長けており、琥蓮の頭領名代である。組織全体の管理統率を彼が任されている。

部屋の奥で、黒衣の男が卓に肘をつき顔の前で手を組みながらまっすぐに蘇芳を見据えている。彼の周りには、術で作られた青く光る蝶がひらひらと舞っている。刺士たちの情報を伝える伝達蝶である。

「蘇芳様以外の皆様は、既に報告を終えて戻られております。」

駆け寄ってきた1人の少年が蘇芳に耳打ちした。黒衣に青い帯の官服を着た少年は新米の刺士で、朱雅の側近である。蘇芳は少年の言葉に頷くと、そのまま朱雅の前に歩み寄った。

「あなたの蝶は、何と言ってます?蝶たちが見ていたのなら報告するまでも無い話だわ。」

「殺すな、と言ったはずだ。大主の案件の仕事だけ済ませるように命じたはずだ。」

「あれは小物だった。消えたところで先方も惜しくはない駒だわ。ただ面白いもの拾ったの。」

蘇芳は、そう言って朱雅の卓に包を置く。

訝しげに包に視線だけ向けると朱雅は、再び蘇芳を見て無言の威圧を与える。

蘇芳が包を開けると、中から白い粉をふいた手の形のような形状の石の破片が出てきた。

「調べ事は、あなたの専門でしょ。これは陶器とするには硬く、石膏のようだけど弾力のある部分もある。見たことないものだわ。何か調べたら手がかりになるかと。」

「良かろう。受け取っておく。」

「ええ。では、私はこれで。」

蘇芳は、静かに礼を取り踵を返した。

「待て。」

朱雅は指を鳴らし術を使って出口の扉を閉める。再び手を回すように動かしながら指を鳴らすと、蘇芳の体が自由を奪われた。

「(…ったく)。」

蘇芳はため息をついた。

朱雅は術を使って蘇芳を振り向かせると朱雅の前まで無理矢理歩かせ、その場で動きを封じた。術で蘇芳を封じながら操る様は指ひとつ鳴らすだけで造作もないといった様子である。蘇芳は、憎らしげに朱雅を睨んだ。

「まだ何か?」

「話は終わってない。殺すなという命令に背いて起きながら、得体の知れない物を拾ってきたぐらいで収穫ありと見なし命令違反に目をつむるとでも思っているか?相変わらず甘いな。」

「あれは捨て駒よ。何も知らないやつだった。金で動いてただけの強欲ジジイよ。生かしてて得れる情報なんて所詮女の趣味くらいだわ。」

蘇芳は言い返すと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。朱雅の側近の少年が、蘇芳の物言いに思わずクスっと笑う。朱雅は少年に視線だけ向ける。射殺すかのような視線に少年は怖気り慌てて礼を取ると退散した。

「あの豪商は、別件も絡んでいた。泳がせていたんだ。このたわけ!あれほど念押ししておいたと言うのに、お前という女は!」

ダンッ!!

朱雅は勢いで卓を強く叩いた。

そこにすぅーとどこからか光る金色の蝶がひらひらと飛んできて朱雅と蘇芳の間を横切るとひらひらと朱雅の肩に舞い降りた。

報告を届けると蝶は朱雅の傍ですぅーと消えた。朱雅は少し考えるように瞳を閉じる。

「お前のせいでまた振り出しだ。 」

朱雅はため息をついた。

「雑魚だったし生かす理由もないかなと思って。」

蘇芳はにっこりと笑った。

「…。」

朱雅は仮面越しに怒りを漂わせながら深く息を吐いた。右手を上げ指を絞り握るような仕草をし、手から青い術気を発すると蘇芳目掛けて術を投げ飛ばす。蘇芳の体は突然、宙を舞いそのまま宙ずりにされる。

「うわっ。」

「菊花楼の行方不明者がまた1名増えた。これで20人目だ。お前に任せておくと情報源が毎度死ぬばかりで進展がない。それどころか人の仕事の邪魔までしでかす始末だ!タチが悪い!よってお前は案件から外れてもらう。余計な真似はするな。以上だ。」

「ちょっと待ってよ。報酬はどうなるの?」

「報酬?…笑わせる。そこで反省しておけ。」

朱雅は呆れ顔で蘇芳に言うと卓に広げられた書類を片付ける。

「は?嫌よ!雪梛様の案件分は達成したんですから報酬は貰いますよ!…って朱雅?朱雅さーん!どこ行くのよ。待ちなさいよ!」

朱雅は蘇芳を置いて席を立つ。

「ちょっと!術を解いてよ!」

蘇芳の言葉に朱雅は立ち止まって振り返る。

「解いてほしいか?」

朱雅は蘇芳の顔を覗き込みながら薄笑いを浮かべると、淡々とした声で言った。

蘇芳は至近距離にある朱雅の顔を睨みながらこくりと頷く。

「フッ…。」

朱雅は口元だけで軽く笑みを浮かべると、

「断る。」

そういうと朱雅はそのまま部屋を出ていった。

「ちょっ、ちょっと!ずっとこの状態でいろっていうの?ふざけんじゃないわよ!術を解いていきなさいよ!!バカヤロウー!!」




雪梛は、客人に出す茶器を選びながら、新茶の茶葉を嗅ぎ分けていた。良い葉の茶葉を選びとると茶をいれる用意をする。その隣の席には40代半ばの中年だが、地黒の肌に鍛え抜かれた凛々しい体格の大男が座っている。彼は碧士筆頭 蛛猛チュモウ。碧士は、情報連絡部隊。いわゆる情報屋だ。他の刺史と違い花街外部で生活し、奏国の至る所に潜伏しながら情報収集をしている。情報屋は外部や他のものに顔が知られないために、報告はいつも蛛猛ひとりでくる。他の碧士はどこに何名いるのかも知らない。謎多き部隊である。蛛猛は偵察の定期報告のために戻って来ていた。

「蛛猛。報告が済んだら後で朱雅に伝言を頼まれてくれるかい?」

雪梛は優雅な手つきで蛛猛に茶を汲みながら言った。

「直接会いに行ったらいいじゃないか。大主の願いなら朱雅さんも従うでしょう。」

蝶猛の言葉に、雪梛は苦笑を浮かべる。

「なかなか捕まらない人でね。それに、どうも怖いし近寄り難いというか……おねがいだよ。」

雪梛は優雅な声で、そっと囁くように言った。雪梛の声はどこか妖艶で、まるで逢い引きの誘い文句を聞いているような気持ちになる。そしてその柔らかな物言いからは、なぜか逆らえないような絶対的圧力さえ感じる。蝶猛は、気乗りしなかったが、渋々承諾した。かと思ったが……。

「紅蘭さんが見世にでてるってよ。」

エッ?

客の1人が発した言葉に蛛猛は完全に釘付けになった。

「おい蝶猛、見に行こうぜ!」

駆け寄ってきた男たちの誘いで、もれなく蛛猛の前言は見事に撤回された。

「見世に紅蘭ちゃんが?おーい待ってくれ俺も行くー♡♡」

先程雪梛の願いを承諾した事はどこ吹く風、蝶猛は目をハートにして男たちの後を追った。

「大主すみません。やっぱ俺さっきのお願いパスします!紅蘭ちゃーん!!」

「…………。」

風のように去っていく蛛猛を見て雪梛は呆気に取られて苦笑する。

「はぁ、仕方ない。自分で行くしかないか。」

雪梛はそういうと茶を飲み干し、朱雅の部屋に向かった。


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