第7話 あの娘が一緒に歌ってくれた
ヘアーバンドが似合う女の子だった。
その娘は、どちらかというと無口で、おとなしい性格の女の子だった。
その娘が静かに、そして何気なく、ヘアーバンドを付けたり付け直したり、
特に付け終わりの完成した姿に、淳一は心をときめかせていた。
淳一は、その娘と近づくだけで、頭が真っ白になった。
初めて、恥ずかしくてしゃべれないという感情を持った。
その娘も無口なので、卒園するまでほぼしゃべったことがなかった。
一緒に遊んだこともなかった。
名前を呼んだことも、呼ばれたこともなかった。
その娘の泣いた顔も、怒った姿も、見たことはなかった。
だからその娘が淳一をどんなふうに思っていたのかは、わからない。
唯一、その娘が淳一に話しかけてくれたような出来事があった・・・・。
そのころ保育園で流行っていたのが、
帰りの送迎バスで、淳一が歌を歌うことだった。
普段淳一は、他の園児からはいじられたり、先生にチクられたりしていたのに、
帰りのバスの時間だけは、なぜか園児はみな淳一の歌を聴いてくれた。
時には、淳一の歌に合わせて、みんなで一緒に歌ったり。
まるで帰りのバスは、淳一のコンサートステージのようだった。
先生だけは、‟うるさい”と言って淳一をしかったこともあったけど。
毎日歌う歌はほぼ決まっていた。
・ラブストーリーは突然に/小田和正
・SAY YES/チャゲ&飛鳥
・情けねぇ/とんねるず
・クラリネット壊れちゃった/童謡
など
特に‟クラリネット壊れちゃった”は何番まであるかよく考えず、
適当に歌詞を作って、5番や6番ぐらいまで歌ったりしていた。
ある日の帰りのバスにて。
今日も淳一は、気持ちよく歌を歌っていた。
それを園児たちが聴いたり、一緒に歌ったりしている。
しかし、バスが園児の家に着くごとに、一人づつ園児が減っていく。
最初は賑やかだったバスの中も、しだいに静かになっていった。
淳一は‟クラリネット壊れちゃった”を歌い出した。
その時、一緒になって歌ってくれた園児がいた。
淳一は、誰が一緒に歌ってくれているのかわからないまま、歌に夢中になっていた。
その日は、何番まで歌ったのだろう。
淳一が歌い終わり、満足感に浸っていたその時、
後ろの席の園児が淳一に言った。
「1番多くない?」
淳一が後ろを振り向くと、ヘアーバンドをしたあの娘が、淳一を見ながら笑っていた。
園児たちが少なくなったバスの中で、後ろの席にはその娘しかいなかった。
淳一は何か言葉を返したかったけど、バスはちょうどその娘の家に着いた。
淳一が言葉をかける間もなく、その娘はバスを降りると、お母さんのもとへ走っていった。
淳一は、そのときはっきりわかった。
あの娘と仲良くなれるきっかけを、失ったことを。
1991年・・・・。
おそらく、淳一の初恋だった・・・・。
つづく?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます