第3章『ミーディールの帰還 3』

「なんつーか、信じらんねぇ光景だな……」


 マリネリス基地内の格納庫に続々と搬入されてきた数十機ものDSWを眺めながら、デフはつい感嘆の声を漏らした。

 現在、広大な敷地内にはU3Fとインデペンデンス・ステイト双方のDSWが、所属を問わず巨人像の如く立ち並んでいる。オミクロンの掲げた旗の下にこれほどまでの戦力が集っているのは壮観ではあるが、それ以上に数日前まではあり得なかったはずの『両軍が協力する』という状況が現実となっていることが、デフにはあまりにも可笑しく感じられた。


「何をボーッとしている。釘付けになる気持ちもわかるが、せめて手を動かしながらにしないか」


 と、不意に横から整備士ラウラ=アルテッラの不機嫌そうな声が飛び込んできたため、デフは慌ててメンテナンスマシンの方へと向きなおした。下手に無視をしようものならスパナが飛んできそうな迫力のある女性ではあるが、決して悪い人ではないことをデフは承知している。彼女が作業しながらも話題を持ちかけてくれば、特に物怖じすることもなく気楽に応じられるくらいには気心の知れた間柄であった。


「なんだかんだで姐さんも嬉しそうだな」

「姐さんはよせ……ン、まあな。これだけのソリッドとギム・デュバルが同じハンガーにいる。そんな夢のような現場を任されているあーしは、メカニックとしてかなりの幸せ者だよ」


 そう語るアルテッラは相変わらずの仏頂面だが、その声は心なしか弾んでいるように聞こえる。元々は闇コロニー『ダーク・ガーデン』の工房を人知れず営んでいた彼女だからこそ、数奇な運命の果てにこのような光景を目にすることになるとは夢にも思っていなかっただろう。


「それに、これだけの機体数があればコイツの補修パーツにも困らないしな」

「オイオイ」


 デフは苦笑しつつも、眼前に佇む愛機を見やる。

 “A'sHM-78<chimera> キメラ・デュバル”。ライトグレーとダークグレーの装甲をツギハギのように纏う歪なシルエットをしたこの機体は、U3Fの“ソリッド”とインデペンデンス・ステイトの“ギム・デュバル”から拝借したジャンクパーツで構成されている。こうして二つの勢力が互いに手を取り合う形となった今、図らずともこの機体は団結のシンボル的存在として扱われているようだった。


「フッ、どっかの誰かが昔“機体は搭乗者に似る”という言葉を口にしていたが、あながち間違いではないのかもしれんな」

「なんだよそりゃ。キメラ・デュバルと俺が似てるってか?」

「あくまで例え話のようなものだがな。お前はこの数ヶ月間、目紛しく状況が移りゆく中でも、己の振り幅を見失わずに戦い抜いてきた。その様がまるで何度も現地改修を重ねてきたコイツに近しいと思ってな。そういう“調整者モデレーター”とでもいうべき柔軟さがお前の強みであり、この部隊に必要なものだとも思っている」

「み、みなまで言うなよ……照れ臭ェ。なんだかんだでコイツとの付き合いも長いし、そう言われて悪い気はしねぇけどよ」


 アルテッラが言及したように、デフは仲間を守りたいという一心で激闘に身を投じてきた。それを可能としてくれたのは間違いなく愛機キメラ・デュバルという存在のおかげであり、だからこそこうして手作業による整備にも率先して立ち会っている。戦争の兵器であるDSWに対してこのような感情を抱くのは不謹慎なのかもしれないが、少なからず愛着もあった。


「へへっ、お前と一緒に戦うのもあと少しになりそうだけど、それまではヨロシク頼むぜ。相棒」

「ほう……乗機を“相棒”と呼ぶとは、お前もなかなかきたではないか。安心したまえ同志よ。主人が手塩にかけて整備した機体だ、きっとコイツも応えてくれるだろうさ……むっ?」


 どこからか足音の近づいてくるのが聞こえてきたため、デフとアルテッラは作業の手を止めて音のした方向を見やる。

 何やら真剣な面持ちでこちらに向かってくるのは、デフと同年代くらいの人物だった。


「テメェはたしか……U3Fの“吸血鬼”だったか」

「その名はもう必要のない過去となった。今の俺は、ただのヴラッド=デザイアだ」

「お、おう。そりゃ失礼したな……? 俺はデフ=ハーレイ、こっちがメカニックのラウラ=アルテッラ姐さんだ」

「それで、あーしに何か用か?」

「ああ。折り入って頼みたいことがある」


 ヴラッドはそう言うと、格納庫の奥に眠っているDSWを指で示す。

 その機体にはデフにも見覚えがあった。かつて幾度となくコスモフリートやインデペンデンス・ステイトを苦しめ、そして多くの仲間の命を奪った緋色の悪魔。デフ自身もこれまでに何度か直接対峙したことのある因縁の機体の名を、その操縦者であるヴラッドは告げる。


「俺の“コンドルフ”……今はもう動かなくなってしまったアイツに、もう一度だけ魂の息吹いぶきを吹き込んで欲しい。俺が今度こそ、力を正しく使う為にも……どうか……!」

「こ、コラ! わかったから、別に頭を床に付けようとせんでいい……!」


 何を思ったのかヴラッドは唐突に土下座をしようとしたため、アルテッラは慌ててそれを制した。

 大袈裟な物言いではあったが、とどのつまり彼の言わんとしていることは、動力炉の停止してしまったコンドルフを再び動かしたいということだろう。クリュセでの戦闘においてヴラッドは──暴走というアクシデントを止めるためとはいえ、自らの意思で“ホロウ・リアクタ”を緊急停止させたのだ。そのため、現在コンドルフは起動できぬ状態のまま放置されており、言わば格納庫に置かれたオブジェクトと化していた。

 アルテッラは渋い顔でそれを一瞥すると、取り繕わない現実をヴラッドへと突きつける。


「……お前も当然承知しているとは思うが、一度停止させてしまった“ホロウ・リアクタ”を再び再稼働させることは技術的に不可能とされている。他の稼働可能なリアクタが“ファントマイル”に搭載された一基しかない以上、お前の機体に回せる予備はないぞ」

「なら、通常の核融合炉で代用してくれて構わない。出力はダウンするが、元々コンドルフは核融合炉を前提とした機体に無理やり“ホロウ・リアクタ”を取り付けただけに過ぎない。弱体化というよりは、本来のスペックに戻るだけだ」

「フン、馬鹿言え。カタログスペックほど信用できないものがあるか。あの背中に付いたユニット……マイクロ派を放射する装置か? どうせあれもリアクタなしでは出力不足でロクに扱えなかったのだろう」


 アルテッラの鋭く的確な指摘が図星だったのか、ヴラッドは驚きを隠せないといった表情で言葉を返す。


「わかるのか……?」

「それくらい見りゃわかるよ。あーしの目を舐めないでもらいたいね」

「す、すまない……侮蔑する意図はなかったとはいえ、少々不躾な発言だった。その非礼を詫びよう……」

「そんないちいちかしこまらなくたっていい……! 貴様はあれか、見た目のわりに意外と生真面目か……!?」


 またもヴラッドが頭を下げようとしたため、アルテッラは慌てて止めに入る。

 どうやら味方部隊からあれほどまでに恐れられていたエースパイロットの正体は、少しばかり天然気質なただの少年だったようだ。あるいは、もう“吸血鬼”を演じる必要もなくなったこの姿こそ、彼が本来持つ自然体の人柄でもあるのだろう。


「ともかく、コンドルフを再び戦闘可能な状態まで修復する件についてだが……いいだろう。“ホロウ・リアクタ”を搭載できないのはやむを得ないが、それでもいいのなら手を打ってやらんこともない」

「ほ、本当なのだな……!?」

「た・だ・し、あーしからも条件が三つある。凄腕メカニックウーマンのあーしが整備を担当してやるのだから、今から挙げる要求は最低限のんでもらわねば困る」


 アルテッラはそのように前置きすると、ヴラッドに向けて掲げた三本の指を一つずつ順番に折っていく。


「まず一つ目。他のメカニックには手伝わせてもいいが、口出しは一切させるな。コイツの補修作業はあーしに一任させてもらう」

「わかった」


「二つ目。猫の手も借りたい状況なのでな、パイロットのお前にも作業を手伝ってもらう。あとデフ、ついでにお前も手伝え」

「俺もかよ!?」

「いいだろう」

「あっ、テメー勝手に! ……まあ、別にいいけどよ」


「そして三つ目。あーしの独断で少しばかり機体を改良させていただく場合もあるが、もしその時は目を瞑ってくれ」

「それは……少し困る」

「フッ、安心したまえ。少なくとも現状のスペックを下回るような改悪はしない。むしろその逆、“ホロウ・リアクタ”なしでも大幅に性能を底上げしてみせようじゃないか」

「だが……しかしだな……」


 アルテッラは強引にヴラッドの両手を握ると、乱暴に腕を縦に振るう。終始何か言いたげな眼差しを送るヴラッドだったが、やがて全てを諦めたように溜め息をつくと、『頼むぞ』とだけ短く告げた。


「ようし、契約成立だな。大丈夫、あーしが責任を持って貴様の機体を生まれ変わらせてみせると約束しよう」

「デフ=ハーレイと言ったか。この女は本当に信用できるのか……?」

「まあ、少なくとも悪い人じゃねえよ……多分」

「何であれ貴様達パイロットには頑張ってもらわねばならんからな。聞けば此間交戦した“アルトギア”とやらは完全なメンテナンスフリーを実現したという、あーし達メカニックの存在意義を根本から否定したクソみたいな機体なのだろう? 我々の尊厳を守るためにも、貴様達には『LOCAS.T.C.』の野郎どもをブッ倒してもらわんと困る。いや、ぶっ潰せ。跡形も残さず」

「結局それが本音かよ……!?」

 

 ともあれ、これで両者の利害は一致し、あとは次の戦闘までにコンドルフに搭載された動力源の換装作業を済ませるだけである。とりあえずの一件落着にデフは安堵すると、すぐさま作業の手伝いをするべくキメラ・デュバルの元を離れようとした。

 ほんの一瞬。不覚にもデフの注意が散漫になっていたその瞬間の隙を突くように、事件は起こった。


「ん……? 待て、そこのガキ! おい、止まれって!」

「誰でもいい! そのビークルを止めてくれぇーっ!」


 何やら急に格納庫内の整備士たちが騒ぎ立て始めたため、訳の分からぬままデフもそちらに視線を向ける。すると遠くの物陰から、格納庫間移動用の小型ホバービークルが勢いよく飛び出したのが見えた。その車体は大胆なカーブを描いて方向転換すると、今度はあろうことかこちらを目掛けて突っ込んでくる。


「な、何だってんだァ……!?」

「デフどいて! 危ないよ!」


 ブレーキをかけているもののすぐには止まりそうにないビークルの車体が段々と近づいてくるのを見て、デフは咄嗟の判断で横へと跳躍する。刹那、先ほどまでデフの突っ立っていた場所にビークルがようやく静止した。


「痛つっ、危ねぇのはテメーだっつうの……ってか、お前テオか……!? 何でこんなことを……!」


 一連の騒ぎを起こした犯人は、なんと『ミスト・ガーデン』出身の子供達の中でも最年少のテオドア=グニスだったのだ。彼はすぐにビークルから降りると、キメラ・デュバルの足元にある搭乗用リフトへと迷わずに飛び乗る。デフが慌てて止めに入ろうとするも間に合わず、リフトはテオドア一人を乗せたまま上昇を始めてしまった。


「降りてこい、テオ! エリーに怒られても知らねぇぞ!?」

「やってみなきゃわかんないじゃないか! 皆にだってできたんだ、ボクだって動かせる……!」

「動かすって……オイ馬鹿! ふざけた真似はよせッ!」


 デフは必死に静止を訴えるが虚しくも聞き入れられず、遂にリフトはキメラ・デュバルの胸部辺りにまで辿り着くと、テオドアはハッチを開いてコックピットへと滑り込む。不幸にも機体はメンテナンス作業の最中であったため、既にアイドリングモード──すなわち、搭乗者の認証を介さずとも動かせる状態にあった。


 頭部の双眸に赤い火が灯り、鋼の巨人が一歩を踏み出す。全身に取り付けられていたメンテナンスケーブルが強引に外され、先端から火花を散らしながら地上に上げられた魚のように暴れ出した。

 格納庫にいる多くの人々が悲鳴と絶叫をあげる。その騒動の中心にいるテオドアを目の当たりにしながらも、もはや何もできないデフはその場に力なく膝をついた。

 彼のすぐ真横の床にケーブルの鞭が叩きつけられる。あと数メートルほどずれていれば、デフの体に直撃していただろう。運良くそうはならなかったとはいえ、このままでは非常にマズい。


(テオ……どうしてこんなことを……)


 ふらつきながらも、しかし着実に一歩一歩を踏み締めていくキメラ・デュバル。その様子はまるで初めて大地に立つことができた赤子を彷彿とさせるような、他者に成長と焦燥を同時に感じさせるものだった。


(何がお前をこうさせちまったんだよ……?)


 その時、不安定な歩行を続けていたキメラ・デュバルが遂にバランスを大きく崩してしまった。かくして大質量を内包した鋼鉄の塊が、ゆっくりとよろけ始める。今まさに子供を抱えたまま倒れようとしている鉄巨人に対し、生身の小人はあまりにも無力だった。

 鈍い音が格納庫中に響く。うつ伏せのまま床に倒れこんだキメラ・デュバルの搭乗席から重体のテオドアが救出されたのは、それから10分ほど経過した後だった。





 次にテオドアが目覚めたのは、格納庫で一連の騒動が起こった翌日──月への出発を明日に控えた日の、昼下がりの病室だった。


「テオ! ったくよぉ、心配かけやがって……!」

「でも、本当に無事でよかった……」

「デフ……? それに皆も……」


 ベッドの横で心配そうにこちらの顔を覗き込む『ミスト・ガーデン』の面々たちを見て、テオドアは自分の身に何が起こったのかわからず呆然としてしまう。しかし数秒ほど遅れてやってきた骨の軋むような痛みが、気絶する前までの記憶を嫌でも思い出させてくれた。


「いたたた……っ!?」

「ああっ、安静にしてなきゃダメでしょう。手術も終わったばかりで、まだ完全には治りきってないんだから……」


 呻き声をあげるテオドアの肩に手をやって、エリーがベッドに優しく横たえる。首をコルセットで固定されて動かせないので、テオドアは目だけを動かして自分の体を確認する。あちこちに包帯とギブスをキツく巻かれた何とも痛ましい状態だった。全身を骨折してしまっているのだということは、わざわざ聞くまでもない。

 しばらくして痛みが治まってくると、ベッドの端に腰掛けていたアレックスが重々しく口火を切る。


「話はデフから聞いてる。テオ、何でこんなことをしたんだ。幸い他に怪我人が出なかったとはいえ、一歩間違えれば大惨事になるところだったんだぞ?」


 過ちを咎めるアレックスの口調はまるで厳格な父親のようで、厳しくも確かな思いやりがあった。その暖かさが自分の中で氷結していた何かをじわりと溶かしていくように感じられ、テオドアは非を認めるようにゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「……嫌だったんだ。みんなは自分にできることを見つけて前に進もうとしているのに、一人だけ何もできないままでいる自分が。何だか、このまま僕だけ取り残されるような気がして……それが怖かった」

「テオ……」

「だってそうでしょ……? 皆が全員で『ミスト・ガーデン』に帰るために一生懸命頑張ってくれてるのに、僕だけひどい役立たずじゃないか! 僕はそれが悔しい……悔しいんだよぉ……!」


 まだ幼きテオドアの瞳から、たがが外れたように大粒の雫がボロボロと溢れ出す。それは単なる子供の駄々ではない、他者を思いやった者だけが流せる、熱い熱い涙だった。

 今まで小さな弟としてしか見ていなかったテオドアの中に確かな成長をみたアレックスは、同じ男としてベッドに横たわる彼と真剣に向き合う。


「誰もテオのことを役立たずだなんて思ってないよ。だからさ、そんなに自分を責めないで欲しいんだ」

「でも……僕は戦うことができないから、結局またみんなに守られることしかできない……」

「そうだね。テオはまだ小さいから、それは仕方ない。でも……だからこそ、皆にとって大切な役割がテオにはあるだろう?」

「大切な……役割……?」


 テオドアが聞き返すと、アレックスは手を彼の頭にポンと乗せて答える。


「僕たちが帰るべき居場所。押し付けがましいかもしれないけれど、テオにはどうか……それを守っていて欲しいんだ」

「守る……僕が……」

「僕たちだって、守るものがなければ戦えない。でもテオがいるから、僕たちは戦えるんだ。僕たちはテオのところに帰ってくる為に月へ行くから……だからテオも、僕たちの帰る場所でいてくれないか」

「……うん、わかったよ。それが、僕にたったんだね」

 

 そっと憑き物が剥がれ落ちたように、テオはようやくいつもの無邪気そうな笑顔をみせる。その表情を見てアレックスはそっと胸を撫で下ろすと、穏やかな微笑みを返した。


「絶対に帰ってきてよ、アレックスニイちゃん」

「ふふっ、もちろんだ」


 男と男の約束を二人は交わした。




「で、結局どうすんだ。病室ではつい話そびれちまったけどさ……」


 テオの病室を後にしたあと、廊下に出るなりデフがそのように切り出した。

 その話題が挙げられた途端、それを聞いたアレックス、エリー、ミランダも俯きがちに表情をかげらせる。テオドアが手術している間に四人で話し合っていた、ある未解決の問題を思い出したからだ。

 彼らが『LOCAS.T.C.』の本拠地である月へと向かう間、当然ながらテオドアは火星に一人残ってもらうことになる。しかし、彼の身元を引き受けてくれる宛てがまだ見つかっていないのだ。

 怪我の治療中は入院生活をすることになるとはいえ、退院後まで病院の世話になるわけにはいかない。さらに言えば、戦いに行く自分たちが確実に帰ってこれる保証だってどこにもないのだ。


「勿論、テオとの約束を破る気はない。でも、万が一って事もあるかもしれない……だからテオには、誰か信頼できる大人のところで保護してもらいたいけど……」

「その話、よければ私に詳しく聞かせてくれないかしら?」


 予期せぬ人物に声をかけられ、アレックスは思わず目を丸くする。

 振り向くとそこには、前に自分やエリーを家に泊めてもらいお世話になったエルシャ=ムグンの姿があった。彼女の隣には娘のレミーナもおり、色とりどりの果物が入ったバスケットを両手に持っている。どうやらテオドアの容態を聞きつけ、わざわざ見舞いに来てくれたらしい。

 彼女とは初対面であるデフやミランダを軽く紹介しつつ、アレックスとエリーはテオドアに身寄りがないということをエルシャに打ち明ける。やがて全てを聞き入れると、エルシャは意外な提案を持ちかけてきた。


「……わかったわ。そういう話なら、私がテオ君を引き取ります」

「えっ、いいんですか……?」

「もちろん、本人がそれでよければだけれどね。私としても、食卓を囲む人数は多いほうが楽しいものっ」

「あ、ありがとうございます、エルシャさん……! よかったぁ、これで安心して……アレックス、どうしたの?」


 テオドアの身元を引き受けてくれる人物が見つかり安堵するエリーとは対照的に、アレックスは依然として複雑な表情を浮かべたままだった。

 エルシャにとってアレックスは言わば愛する夫を殺した張本人であり、そんな彼女の元に義弟の身柄を預けるというのには、些か抵抗があった。もしかしたら復讐心に駆られたエルシャが、自分の代わりにテオドアを傷つけてしまうかもしれない。

 そんな根拠のない危惧がつい脳裏によぎったが、恐らくそれを察したであろうエルシャはその場で首を横に振ると、決意を込めた顔で言う。


「大丈夫よ。色々あったけれど、私も未来ある子供たちの為に前へ進むから。だから安心して、テオ君は私が責任を持って預かります」


 過去と決別した者の強さが、エルシャの眼には宿っていた。それを見てアレックスは確信する。この人になら任せても大丈夫だと。

 何よりもここまで親身になって身元引受人を名乗り出てくれる彼女に最大限の敬意と感謝を込めて、アレックスは深々と頭を下げる。


「……わかりました。テオのことを、どうかよろしくお願いします」





 そして、翌日の早朝。

 パヴォニス火山の山頂にそびえしマスドライバーから、一筋の閃光が次々に打ち出されては、まだ暗い空へと伸びていった

 それは多くの民衆達の願いをのせた宇宙を翔ぶ方舟スペースシップ。そして、未来を切り拓いていく力を宿した数十機ものダイバーシティ・ウォーカー。


 かくして、賽は投げられた望みは託された。美しき火星の黎明れいめいに見送られながらも、艦隊は決戦の地たる月を目指す。それが希望の星として目に焼き付けられるか、はたまた帰れぬ場所に向かおうとする矢として滑稽に映るのかは、見上げる人々それぞれのみぞ知るところであった。


 しかし願わくば、地上から徐々に遠くなっていくその光こそが、歴史を紡ぐ煌きとならんことを。

 今はただ、信じるのみである。

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