第16章『吸血鬼ヴラッド 6』

 全ての人間に、そして世界に裏切られた。

 無論、目の前でそのような事象が本当に起こったわけではない。だが、たった一度の挫折をそれほどまでに拡大解釈してしまうのは、アレックスが未だに無根拠な万能感を抱いたティーンエイジャーたる所以だろう。

 皮肉にも、優しい心を持った彼は人の善意にも悪意にも敏感であり、そして何より生来から責任感が強過ぎた。そんな彼だからこそ、ひと一人ではとても背負いきれぬどうしようもない重圧を一身に受け止めようとし、そしてとうとう耐え切れなくなってしまったのだ。


 きっと自分は此処に居て良い人間ではない。

 誰も自分の存在を許してなどくれるはずもない。

 少なくとも今のアレックスの淀んだ瞳には、世界がそのように映し出されていた。味方など、誰一人としていない。いるはずがない。

 そんな自嘲と自暴自棄の織り混ざったドス黒い掃き溜めのような感傷を抱えたまま、彼は壁に手をつきながら宛てもなく歩き続けていた。

 目眩で視界が定まらず、棒のようになっている脚は気を抜くとすぐに崩れてしまいそうになる。機械インプラント化が成された肺だけはひどく健康なままで、威勢よく脈打つ鼓動が胸の痛みに拍車をかけていた。


 一体どれほどの距離を歩いただろうか。正確な数字は記憶していないが、それでもかなり長い時間が経過しているはずだ。だが、直径にしておよそ200キロメートルにも及ぶマリネリス要塞基地をたった半日足らずで踏破できるはずもなく、目に映る景色は依然として何の代わり映えもない無機質なコンクリート造りの廊下だった。まるで無限回廊の中に閉じ込められたような錯覚を覚えてしまい、思わず気が遠くなってしまう。

 それでも構わずに歩行を続けようとしたそのとき、手先に触れていた壁の触感が不意に


「──!?」


 体のバランスを大きく崩し、重力のままに下降階段へと勢いよく倒れ込む。全身を激しく打ちつけながら段の上を転がり、踊り場の壁に激突してようやく転落は止まった。


(……何やってんだろうな、俺)


 もはや立ち上がる気力さえなく、アレックスは翼の傷ついた雛鳥のように小さくうずくまる。階段を転がり落ちてしまうような自分の不注意さもそうだが、それ以上に己の非力さを思い知らされたような気がした。

 こんな惨めな思いをするのは、決して初めてではない。寧ろ、自分が如何に惨めで滑稽な存在であったかを思い出したまであった。

 全身のありとあらゆる箇所が苦痛に悲鳴を上げ、それなのに自分はただ茫然と天井を見上げていることくらいしか出来ない。これでは『ミスト・ガーデン』にいた頃の自分と何も変わらないではないか。絵空事のような理想を抱きながらも、それを叶える術を何も持たなかった、無力な自分と──。









「アレックス……?」


 自分の名を呼ぶ少女の声に、アレックスは思わず目を見開く。

 その声は、小さい頃からずっと聞いていた慣れ親しんだもので──それなのに、ずっと近くにいた筈なのに、長らく聴いていなかったような、そんな懐かしさすら感じさせる温かくて優しい響きだった。

 彼女の名前は──。


「エ……リー……」


 エリー=キュル=ペッパー、其の人だった。

 何やら救急ポーチを肩に下げている彼女はアレックスの姿を見るなり顔面を蒼白させると、慌てて彼の元へと駆け下りてくる。心配そうに覗き込んでくる顔が献身的な聖女を連想させ、アレックスに必要もない罪悪感を抱かせた。


「そこのベンチまでは歩け……そうにないわよね。肩かして」

「い、いや……僕のことは放って……」

「いいから、はやく」


 子を叱る母のような有無を言わせない口振りは、まさしくいつも通りの正義感に溢れたエリーだった。こうなってしまったら梃子でも動かないだろうと悟ったアレックスは、止むを得ず満身創痍の身体をエリーに預ける。よろめく足取りを支えられながら階段を二人三脚で降りると、すぐ傍にあったベンチへと座らせられた。

 エリーはアレックスの前に屈むと、救急ポーチから消毒液や包帯を取り出して何やら準備を始め出す。アレックスは苦痛に顔が歪みそうになるのを必死に堪えつつも、彼女の好意による善行どうにか制そうと声をかけた。


「応急処置くらい自分でやるよ……」

「いいから大人しくしてて。もう、全然大丈夫な怪我じゃないんだから……」

「でも……痛っ」

「……そんなに私って頼りないかな。アレックスは、私に助けられるのがそんなに嫌?」

「別に嫌とか、そういうのじゃ……」


 言いかけたところで、アレックスはようやくエリーが泣きそうになっているのを必死に堪えていることに気付いた。肩をぷるぷると震わせ、顔を紅潮させながら下唇を食いしばっている。少しでも触れようものならば涙が一気に溢れてしまいそうだ。

 今まで見たこともないような少女のか弱い一面を前にアレックスはどう言葉をかけるべきか思い悩んでいると、突然エリーがこちらの背中を引き寄せてぎゅっと抱きしめてきた。


「エ、エリー……?」

「辛かったんだよね、苦しかったんだよね。本当は、ずっと前からわかってた。アレックスにはそういう……人に頼らない生き方しか出来なくて、その生き方は……息をするのも辛いようなものなんだって……わかってた」


 傷だらけの頬にエリーの胸が当たり、そこから彼女の心臓の音が直に伝わってくる。張り裂けそうな痛々しい鼓動が傷口に触れ、それがまるで彼女のずっと隠してきた痛みのように思えて、何とも居た堪れない気持ちになった。


「わかってた筈なのに……私はただ見守っているだけで、何もしてあげられなかった。情けないよね、助けられたのは私の方なのに……」

「僕がそれを拒んでいただけさ、エリーは何も悪くないよ」

「……ううん、そんなことない。本当はね、


 弱々しい、寂しげな笑みを浮かべてエリーは言う。


「“あなたのことを心配している自分”が愛おしかっただけ。アレックスだけじゃない、ミドやミランダにだって、私はいつも“優しい自分”を演じ続けてきた……。こんなのは、きっと本当の優しさなんかじゃない」

「同じだよ。君の善意は本物じゃないか。なら、その優しさだって偽りなんかじゃない」

「全然違うよ……。ただ優しいだけじゃ、本当に苦しんでいる人は助けられなかった。善かれと思ってやったことが、善い行いとは限らないでしょ……?」

「想いだけで十分だよ……その優しさだけでも、僕にとっては有り難い……救われた気持ちにだってなるのに」

「でもアレックスは、いま苦しんでいるわ」


 必死に言葉を選んでは返していたアレックスも、とうとう何も言い返せずに押し黙ってしまう。何処からともなく溢れた熱い雫が、肌に触れるのを感じたからだ。

 途端にこちらを抱きしめる力が強まり、頭が胸元に押し付けられる。彼女の喉元が震えているのを感じ取りながら、アレックスは絞り出されたようなか細い声を確かに聞いた。


「お願いだから、私に頼ってよ……。好きな人が苦しんでるのを見ると、私も苦しいよ……」


 善人でもなければ聖人でもない、泣きじゃくる一人の乙女がそこにはいた。

 彼女から有無を言わせない口振りでものを言われたことはあっても、我儘のようなことは一度も言われたことのなかったアレックスは、思いがけず言葉を失ってしまう。辿々しくて曖昧だった語彙の真意も気になった。


「エリー。今、好きって……」

「ご、ごめんなさい。本当はその、こんなことを言うつもりじゃ……なかったんだけど……。や、やっぱり今のはナシ! 忘れて……?」

「う、うん……」


 『人がそんな都合よく記憶喪失になれるものか』などとは冗談でも言わなかった。それだけエリーの真摯な想いは十分に伝わってきたし、アレックスもそれは嬉しいと感じたからだ。


「はぁ……駄目だね、私。助けたい、力になりたいっていう気持ちは本当なのに、いつも裏目に出ちゃうんだ……」

「それは多分、僕だって同じだ。ただ向こう見ずに突っ走って、取り返しのつかないことを……してしまった」

「それでも、あなたは立ち止まらずに進み続けていってしまうわ。それ以外の選択肢を持たないあなたは、きっと茨の道を選び続ける。それが私は悲しいの……」


 やめてくれ。

 そんな辛そうな顔をしないでくれ。


「なら、僕はどうすればいい……? どんな道を選べば、君の悲しみを止められる……?」


 考え得る選択肢としては二つ。

 “全てを背負って進み続ける”か、“理想を捨て、願いを諦める”かだ。

 おそらく多くの者は後者の選択を望むことだろう。こんな自己満足な信念など第三者からしてみれば傍迷惑でしかなく、最悪の場合は惨事に繋がってしまう可能性だって孕んでいる。一個人の行動としては、とても許されるものではない。

 そのはずだった。

 そのはずだったのに、あろうことか自分の罪を許してくれる人がいた。

 それだけではない。自分はあまりにも、仲間に希望を焚きつけ過ぎてしまったのだ。

 進むことを自分が、立ち止まることなど


 目の前にいる少女は、果たしてどちらを望んでいるのだろうか。アレックスが救いを請うように顔を見上げると、エリーは首を横に振って答える。





「いま、なんて……?」

「そんな極端に考えるのはもうやめよう……? それを続けてたら、いつかアレックスが壊れちゃうよ……」


 まるで予期していなかった返答を投げかけられ、それまでフル稼働していたアレックスの思考が一気にフリーズする。

 選ばなくていい?

 僕がいつか壊れてしまう?

 そんな事はない。何故なら、僕は──。


「“僕は強いんだ”って、言いたいんでしょう?」

「……っ」

「“許す事こそが強さの証だ”。その言葉をあなたは信じ続けて、これまでも在り続けてきた……」

「そうしなきゃ、いけない理由があった」

「いけなくないよ。その言葉だって、ただの受け売りでしょう? 確かにこの言葉を遺した人は、あなたが言うだったのかもしれない。だからって、あなたまでそれを真似する必要は何処にもないわ……ううん、真似しちゃダメだよ……」


 『だって』と、エリーの手がそっとアレックスの頬を撫でる。


「本当のアレックスは、決して強い人なんかじゃないもの」

「強く、ない……?」

「うん。弱くて、ちょっと頼りなくて、でも優しい男の子。DSWに乗って戦うようになってからも、それは変わらない。私はずっと見てたんだよ?」

「僕が……」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、アレックスは躊躇いがちにぼやく。


「俺が…………?」


 アレックス=マイヤーズは強者などではなかった……?

 もしもこの疑惑が真実だった場合、彼のアルゴリズムは根本から大きく破綻してしまうこととなってしまう。


『僕は……泣き寝入りだって構わないよ……』


 強者だから、どんな不平をも許そうとした。


『暴力なんて手段に溺れるのは、愚かしくて弱い人間だけだ。でも、僕はなんかとは違う』


 強者だから、自分に暴力を振るってきた両親や不良たちを弱者だと断じた。


『僕は、強い。そうだ、僕は強いんだ。だから、強く在り続けなきゃ……』


 強者だから、どんなに過酷な運命にも耐え抜く覚悟があった。


 今までずっと、そのような生き方を自ずから率先して選び続けてきた。それが全て間違いだったというのなら、掲げてきたこの理想すらも偽りだったというのだろうか。

 ……いや、そうではない。たとえきっかけが歪なものであっても、“暴力のない平穏な世界を創りたい”という願いは本心によるものだ。それが到底叶うはずもないような夢のまた夢であることも、ただの綺麗事であることも重々承知している。それでも、自分はそんな世界に憧れを抱いてしまった。いつだって根幹にあったのは、混じり気のない希望だったのだ。

 では、一体いつからこの真っ白だった信念は、薄汚れた偽りの灰色で塗り固められてしまったのだろう。そんな疑問を自分へと投げかけてみると、案外すんなりと答えは導き出された。


 殴られるのが痛かった。


 たとえその暴力が理不尽であると頭ではわかっていても、肉体の痛みと恐怖にはとても耐えられそうになかった。


 不当を訴えても聞き入れられないのが悔しかった。


 ボロ雑巾のように床で転がる自分の姿が惨めだった。


 だからこそ自分は『暴力に溺れるのは愚か者の行為』だと定義付け、見下すことでどうにか自己を保とうとしたのだ。


 “自分は強者である”という優越感が、そのまま自己存在アイデンティティとなってしまっていた。


 “殴られ屋”という一見不名誉なあだ名も、心の底では嬉しいと感じていた。


 それが“アレックス=マイヤーズはである”という自身の命題を、図らずも証明してくれているものであったから。


 本当は“強者である自分”が、“理想を貫こうと足掻き続ける自分”が、只々愛おしかっただけなのだ。














 結局自分は、だった。














(……そうか。僕も、エリーや皆と同じだったんだな)


 自分は決して強い人間でもなければ、特別な人間でもない。

 ただ、身の振り方が他人と決定的に違い過ぎただけ。だからこそ、周囲の人間は自分を異分子と認識していたし、自身もそれに対してなんの疑問も抱くことなく、事実として受け止めていた。


(自分を弱い存在だと、肯定できなかった僕自身がだったんだ)


 そんな簡単なことにどうして今まで気付けなかったのかと思うと、つい呆れて力ない微笑みがこぼれてしまう。そして自分が強者ではなかったことが判明したいま、もはや自分に理想を抱き続ける資格などない──わけではない。


 人は変われる。たとえ世界を思いのままに創り変えることは不可能でも、自分自身はどうにだってできる。自分が弱い存在ならば、その弱さを受け入れたまま強くなればいい。


 消えていた灯火が点き、暗く閉ざされていた道はようやく見えるようになった。

 ……いや、エリーのひたむきな優しさが、再び火を灯してくれたのだ。


 今なら道標はハッキリとみえる。ならば、やるべきことは一つだ。


「……ありがとう、エリー。もう、大丈夫だから」


 そう言ってアレックスは腕の中から解放されると、エリーと互いに目を見て向かい合う。段々と照れ臭さや気恥ずかしさが込み上げてきて、二人とも顔が真っ赤になっていた。


「あ、あのねアレックス! その……さっきのっていうのは、別にこ、恋人とかそういうのじゃなくてね……? あ、あくまで家族としてであって……」

「そこまで明確に言われると少し傷つくな……。僕が恋人じゃ、エリーは嫌?」

「べ、別に嫌じゃないというか……むしろ本望というか……って、ふぇっ!?」


 エリーは驚きのあまり、素っ頓狂な声をあげながら尻餅をついてしまった。たったいま何を言われたのかを理解できずに混乱している様子である。


「ご、ごめんなさい。こういう時、どう返せばいいのかわからなくて……そ、その。本当に、私なんかでいいの……?」


 ことの真偽を確かめるように、エリーは涙ぐんだ両眼をアレックスへと向ける。すると彼は真剣な表情で頷いた。


「君以外に考えられない。君に出会えて、本当に良かったと思えるんだ」

「は、はは……そんな……。そっか……」


 それを聞いてエリーはほっと胸を撫で下ろすと、緊張の糸が解れたように崩れ落ちてしまう。アレックスも穏やかに微笑むと、ベンチから立ち上がって座り込んでいるエリーへと手を差し出した。


「ふふっ。確か前にも一度だけ、こうしてアレックスが手を貸そうとしてくれたことがあったわね」

「? そうだっけ……ごめん、覚えていない」

「『ミスト・ガーデン』で避難していたときよ。あのとき私は、あなたの手を借りることを躊躇ってしまった」


 『でも』と、エリーは差し伸べられた手を掴んで起き上がる。向かい合って立ちながら握られた手は、優しい温もりに包まれていた。


「今の私たちなら支え合える。心は、通じ合ってる」

「エリー……」


 名前を呼ぶと、彼女は邪気のない──しかし、少し寂しそうな笑みで応えた。

 できることなら、もう離したくない。ずっとこの手を握っていたい。

 だが、そうしている場合ではないのだということもわかっていた。


「ごめん。でも、行かなきゃ……僕にしか、出来ないことだから……」

「うん、わかってる。アレックスなら、きっとそう言うと思ってた」


 エリーの表情が一瞬だけかげる。だが、彼女はすぐに笑顔を取り戻すと、エールを送るような強い眼差しでアレックスを見た。


「でも、これだけは約束して。必ず、必ず生きて戻ってきて」

「ああ、約束する」

「それで、いつか必ず7で帰ろう──」


 エリーは決意を込めて、強く言った。











「──私達の、『ミスト・ガーデン』へ」
















「……! よぉ、アレックス。その、なんだ……調子は戻ったか?」


 パイロットスーツに着替えたアレックスが格納庫へと辿り着くと、キム=ベッキムは開口一番にぶっきらぼうな挨拶をしてきた。きっと彼なりに不器用ながらも心配してくれているのだろうと思うと、アレックスはつい可笑しくなってしまう。


「ご心配をお掛けしてすみませんでした。僕はもう大丈夫です」

「ン、そうか……なら良い。既に機体のセットアップは完了させてある、後はお前の好きにしやがれ」

「……! 恩に着ます、キムさん!」


 やれやれといった様子で後ろ首を掻いているるキムにお辞儀をすると、アレックスは急いでリフトへと飛び乗る。機体の胸部辺りまで上昇すると既に開いていたコックピットハッチの中へと滑り込み、すぐさまシステムを立ち上げる。


《パイロットの搭乗を確認。チェック……“アレックス=マイヤーズ”と確認》


 エラーズがいつもの定型文を発する。次いでアレックスが機体の各種パラメータに異常がないかをチェックしていると、再びエラーズの方から声をかけられた。


《以前に私と交わした会話を覚えていますでしょうか》

「僕が“非合理的な人”だっていう話か」

《そうです。ですが、貴方はまた当機を動かそうとしています。人を殺す為の兵器である、この機体に》

「矛盾してるって言いたいんだろう? でも、悪いけど君には付き合って貰うぞ。この機体に乗らなきゃ出来ないことがあるんだ」


 ともすれば傲慢な物言いですらあるアレックスに対し、エラーズは訊ねる。


《……一つだけお聞きします。それは、“優しさ”に由来する行動ですか》

「“優しさ”の意味がわかるのか……?」

《以前にある方から教えて頂きました。優しさとは、“他者ひとの為に尽くすこと”であると》

「他者の為に尽くす……か」


 それをエラーズに教えたのが誰なのかはわからないが、きっとその人物は優しい人なのだろう。アレックスはそう思いつつも、エラーズに言葉を返す。


「……そうだな。僕が行おうとしているのは、他者に対して尽くすことだ。例え相手がそれを望んでいなくとも、それでも僕は……希望という名の星をこの手で掴みたい」

《発言の意図不明。星に手は届きません》

「伸ばし続けること、それ自体に意味があるのさ。何なら、また僕を“非合理的な人”だと言って嗤っても構わないぞ」


 アレックスは軽い冗談のつもりで言ったものの、エラーズは意外な反応を示してきた。


《いいえ、その提案は却下します。御言葉ですが、私はあくまでAIユニットです。搭乗者の言動や思考が不可解なものであれば、それを理解できるようになるまで努めるのが私の役目であり、責務ですので》

「ハハ……君のことを、少しだけ見直したかもしれない」

《全くもって同意見です》


 いつもの冷淡な合成音声でエラーズが言う。無機質ではあったが、その声には心なしか微かに感情が宿っているような気がした。


《システムオールグリーン、You have controlユー・ハブ・コントロール。“ドミネーターウイング”も正常に稼働しています》

I have controlアイ・ハブ・コントロール。……“支配者の翼”か、まるで当てつけだな」

《DSWの基本原則すらも無視する貴方が、今更兵装の名称について苦言を呈するのも如何なものかも思いますが》

「フッ……それもそうだな」


 つい笑みをこぼしたアレックスは、深呼吸をして一度その思考をクリアにする。再びサファイア色の目を開くと、力強く操縦桿を握った。

 その瞳に、もう迷いの彩はカケラもない。


「行くぞ、エラーズ」

《了解》

「アレックス=マイヤーズ。“ピージオンドミネーター”、出ます……ッ!」


 女神像を頭部に象った白亜の騎士はハンガーゲートを飛び出すと、漆黒の翼を広げて灰色が掛かった曇天へと飛翔していく。

 死の象徴として生み出された兵器は今、一人の少年の意志によって変わろうとしていた。

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