第14章『吸血鬼ヴラッド 4』
ファリスから聞いた話によると、どうやら今日はちょうど国連政府が宇宙国際治安維持部隊『U3F』を発足させてから、66年目の記念日であるとのことらしい。そんな記念すべき日を祝うべく、この月面都市“アリスタルコス・ドーム”にて国連政府のトップ達やスポンサーらが一堂に会し、今宵に祝賀パーティーが開催されようとしているのだ。
「ファリス=ツェッペリン様ですね、お待ちしておりました。それでは、ご案内致します」
これまで乗った事はおろか見た事すらないような豪奢なリムジンを降りるや否や、会場の入り口で待ち構えていた黒服の男と小慣れた様子で言葉を交わすファリスの姿を見て、付き人として相伴していたミリアは思わず呆気にとられてしまっていた。
いくら自分と同い年の年端もいかない少女とはいえ、ファリスは巨大企業『LOCAS.T.C.』の支配者にしてU3F最大の出資者でもある“ツェッペリン家”の、その息女である。きっと幼い頃から礼儀作法や式次第を徹底的に叩き込まれ、このような社交の場にも幾度となく駆り出されてきたのだろうと、長い廊下を歩きながらミリアはおおよその事情を察した。
「会場はこちらになります。それではどうぞ、楽しいひと時を」
「ありがとう。ミリア、こっちよ」
ファリスに促されるがまま、ミリアは眼前にそびえる巨大な扉を潜る。すると、未だかつてかつて見たこともないような眩い光景が彼女の視界に飛び込んできた。
煌びやかなシャンデリアの吊るされた広大なダンスホールを舞台に、ドレス姿の女性たちや燕尾服に身を包んだ男性たちが、グラスを片手にあちらこちらで談笑に花を咲かせている。その全員が国連政府の関係者であり、企業の役員であり、巨額の資産を保有する出資者であった。
「凄いね……」
囚人である自分にとってはあまりにも場違いな会場を目の前に、ミリアはつい率直な感想を溢してしまう。
それを見てファリスはくすくすと笑った。
「あら、そんなに物珍しかったかしら?」
「うん……こんな光景、今まで絵本かテレビくらいでしか見たことなかったから。まるで夢を見てるみたい……」
「ふふっ、喜んでもらえたようで何よりですわ」
満面の笑顔で言うファリスだったが、直後に彼女の表情は暗澹たるものへと変わる。
「妾は嫌いですわ、パーティーなんて。こんなもの、厚化粧と打算に塗り固められた汚い大人たちの社交場でしかないもの」
「そんなに……?」
「ええ。妾がツェッペリン家の末席なのをいい事に、贅沢だけが取り柄の亡者どもが寄ってたかって利権を探り漁ってくる。ここに集まっているのは、そういう愚者どもばかりですのよ」
あくまでミリア以外には聞こえないほどの声量でファリスが愚痴をこぼす。それほどまでにどうやら彼女はこの茶番劇を毛嫌いしているらしい。こんな華やかな会場に有無を問わず出席しなければならないという悩みは、所謂労働者階級の出身であるミリアからしてみれば想像もつかないものであったが、それでもきっとファリスの語る所感のほうがよほど真実味を帯びていることだろう。
そんなことを考えながらミリアがファリスに付き従って人の輪を掻い潜っていたそのとき、不意に妙な出で立ちをした東洋人の男と視線があった。
その人物は礼装を装うのが最低限の礼儀であり常識でもあるパーティー会場において、あろうことかなんとも
「これはこれは、ファリス嬢。以前お見受けした時よりも一段とお美しくなって」
「フフ、慣れないお世辞は言うものではなくってよ。キョウマ」
意外にも砕けた様子で話し始めたファリスと男を前に、ミリアはつい呆然と立ち尽くしてしまう。それに気付いたファリスは微笑を溢すと、自ら仲介役を買って出た。
「紹介しますわ、ミリア。彼はキョウマ=ナルカミ。妾のお兄様のご友人で、『LOCAS.T.C.』の開発主任をやっていますの」
キョウマと呼ばれた男は『以後、お見知り置きを』とだけ言うと、どこか抜け目のない薄ら笑いを浮かべながらも手を差し出してきた。ミリアも社交辞令でその手を握り返すと、それを見たファリスは
「では、妾は少しばかり挨拶に回ってきますの。ミリアはそれまで自由に羽を伸ばしていて頂戴」
「えっ……」
何か言いたげなミリアを差し置いてファリスはお辞儀をすると、『では』と短く告げて群衆の中へと消え去ってしまった。
主人にすっかり取り残されてしまったミリアは途方に暮れていると、隣に立つキョウマから声をかけられる。
「彼女はあれでもれっきとしたツェッペリン一族の人間だからねぇ。いくらプレジデントの末女といえど、ここに来てる重役一人一人に挨拶して回らなければ、政治的にマズイんだろうさ。……実を言うと、私も今さっき彼女に率先して話しかけてしまったことを少しばかり後悔しているよ」
「後悔、ですか……?」
「彼女ほどの立場の人間であれば、誰から先に挨拶をするかも考慮しなければならない問題だからね。政界ってのは、大の大人でさえも呆れるくらいにねちっこい揚げ足の取り合いで成り立っているのさ」
そういうものか、とミリアは大人たちに挨拶して回っているファリスの姿を遠巻きに見つめる。あれほど社交辞令を嫌悪していたにも関わらず、彼女の浮かべるお淑やかな笑顔には非の打ち所がなかった。自分よりひと回りもふた回りも大きい財界人らに対しても物怖じせずきちんと応対している様は、流石だと言わざるを得ない。
「ところで、だ。君の顔を前にもどこかで見たことがあった気がするのだが……はて、何だったかな」
キョウマに言われ、ミリアはまだ自分の名を名乗っていないことに気付くと、慌てて敬礼を返した。
「も、申し遅れました、ナルカミ開発主任。ミリア=マイヤーズ准尉であります」
「ああ! 思い出した。私のクリサリスを動かしたという例の子だね、聞いているとも」
謎の解けたのがよほど嬉しかったのか、愉快げに指をパチンと鳴らすキョウマを見て、ミリアは思わず呆気にとられてしまう。“聞いている”というのも妙な話だった。
「あの、それはアーノ……ルドウィック少佐からの言付けでしょうか?」
「如何にも。そして、少佐は君も私たちの“計画”に組み込むつもりでもいるらしいね」
「“計画”……?」
そのような話は、アーノルドからは全く聞かされていなかった。何ともきな臭い言葉の響きにミリアは不審げな顔を浮かべていると、それを見たキョウマがほくそ笑みつつ語りかける。
「時にミリア。この場において“支配者”の資格を持つ者は、一体何人くらい居ると思う?」
いまいち要領を得ないキョウマの問いに、ミリアは閉口してしまう。人の上に立ち統べる者という意味であるのならば、このパーティー会場にはごまんといるはずだ。なにせ、たったいま視界を覆い尽くしているふてぶてしい壮年の群れは、その
だがしかし、彼ら全員にその“資格”があるがと問われてしまえば、頷きかねてしまうというのも事実であった。
「おおよそ君の考えている通りだろう。この場には支配者気取りの人間こそ数多くいるが、真に支配者の器たる人間はそういない。権力に寄りすがる事しかできない者達が、宇宙やコロニー居住者といった弱者達に不当な搾取を強いながら、こうして甘い汁を
キョウマの語る現代の社会構造については、ミリアも『ミスト・ガーデン』で嫌になるほど見てきたつもりである。そうした宇宙間での歪みが巡り巡って木星労働者たちの不満を抱かせ、自分のような
「私にとってはそこまで重要ではない問題でもあるが……おそらく殆どの民衆にとって、これは不本意な光景として映っていることだろう。自分よりも能力で劣る者に支配されるというのは、この上ない屈辱でもあるだろうからねぇ」
「……要するに、より相応しい器を持った者が支配者として君臨するべき、って事ですか」
「そんなところさ。例えば……
キョウマが指さした方向へと、ミリアも視線を向ける。
会場の一角に、ひときわ目立つ金色のスーツを着込んだ長身痩躯の男がいた。歳は30台前後といったところだろうか。腰まで届くほどの長い金髪を靡かせ、口や顎に無精髭を生やしている彼は、まるで野心の権化とでも言うように堂々とした態度で歩いていた。その出で立ちを例えるなら、まさしく荒々しくも雄々しい金獅子だ。
「ツェッペリン家の次男坊、ハンス=ツェッペリン。どうやら彼は、次期社長の最有力候補と言われる長男ルーカスを本気で出し抜くつもりでいるらしね」
その後もキョウマは一人、また一人と指し示していく。
黒尽くめのスーツに身を包んだ、こめかみと顎に傷を持つ不機嫌そうな坊主頭の男。サスペンダーシャツにハーフパンツという、少年のような服装をした子供っぽい青年。ドレスを着慣れていないのか少し覚束ない足取りの、青みがかった黒髪を肩まで伸ばした活発そうな少女。そして、深紅を身に
「三男・カッツィオ、四男・クルッカ、次女・クラウヴィア、三女・ファリス。あとはこの会場に来ていないのも含めると8人になるが……いずれ器を競い合うことを運命づけられた者達だ。どうだい、彼ら兄弟の中から、真の器を持つ王が果たして現れると思うかい?」
「まだ……よくわかりません」
「ハハッ、それもそうだ。だがまぁ、間もなく君も目にすることになるだろうさ。この世界の行く末というヤツをね……」
何やら含みのある微笑みを浮かべ、そう囁くキョウマ。周囲の人間たちがどっとざわめき始めたのは、その直後のことであった。
会場にいる誰もが同じ方向に振り向いては談笑をピタリと止め、口々に嘆声を洩らしている。ミリアもつられて衆目を集めている場所──赤い絨毯の敷かれた大階段を仰ぎ見た。
ゆっくりとした足取りで降りてくるその男には、見覚えがある。
場に現れるだけで空気を緊迫したものへと変えてしまうほどの威圧感を漂わせた、浅黒い肌の屈強な巨体。どこまでも冷徹な紅蓮色の瞳には、まるで視界に映る万物全てを見下しているような、王者としての傲慢さを包み隠さずに宿しているようだった。
その姿を忘れるはずもない。
ミリアがU3Fに囚われた日、ミドと対峙していたあの男だ。
「あの人……」
「──プレジデント=ツェッペリン、君もその名を覚えておくといい。彼によって、この混沌に満ちた世界は覆されるのだからね」
そのように話すキョウマの表情が、まるでゲームに興じる者のように楽しげだったのを、ミリアは決して見逃しはしなかった。
*
《──えー、こちら“
「良いか悪いかで言えば、サイアクですね。スーツの中も汗でびっしょりですし……はやく帰ってシャワーを浴びたいです」
《よし、問題はないな。お前は引き続き、そのポイントで次の指示があるまで待機だ。以上、交信終わり》
スピーカーの奥で声が途切れるのを確認した後、フーリーウェイのコックピット内で宙吊りとなって座るミランダは深い疲労のため息を吐き出した。
眼前のモニターに上下を反転して映し出されている──つまり、現在逆さまになっているミランダから見れば特に違和を感じない──景色は、高所恐怖症の者を震え上がらせる程度には高い。それはここが無人都市“クリュセ”の一角にそびえる超高層ビルディング跡地の最上部だからであり、朽ち果てた建物内でフーリーウェイを狙撃形態に変形させたまま、ミランダは実に10時間以上も無睡で待機し続けていた。
(雲で覆われてはいるけど、太陽はもう真上にまで登っている……。U3Fが奇襲を仕掛けてくるとしたら、おそらくこの時間……)
ゲリラ戦を得意とするインデペンデンス・ステイトに対し、視界の悪い夜間に戦いを挑むというのは、ともすれば悪手になりかねない。当然ながらU3Fもそれを警戒しているはずであり、であれば襲撃を仕掛けてくるのはおそらく昼中頃だろう。というのが、戦略指揮官であるオミクロンの推測であった。
(……天気、悪いな)
皮肉にも、今日のクリュセ一帯における天候は曇りだった。これはもともと大気の薄かった本来の火星環境ではあり得ず、
ミランダは曇り空が嫌いだった。別に湿気の影響で弾道が鈍るからだとか、そんな理由ではない。
光を直視できない自分のような人間は、太陽の出ない灰色の曇天の下にいるだけで不思議と心地良さを抱いてしまう。光さえ姿を現さなければ、己の中に潜む影もより深くはっきりと浮き彫りになってしまうようなことはないのだから。
ミランダは、そう思えてしまう自分が嫌いだった。
(……いけない、今は作戦に集中しないと)
強引に迷いを振り切るように首を横に振ると、ミランダは再度ライフルコントローラのガンスコープを覗く。
眼下に広がっているのは、砂塵が吹き付ける廃墟の街並みだ。曰く、ここもかつては火星でもっとも繁栄していた巨大都市であったにもかかわらず、U3Fの武力制圧によってこのような無残な姿へと成り果ててしまったとのことである。
そんなインデペンデンス・ステイトにとっては因縁でもあるこの地にて、マリネリス基地へと迫り来る敵を迎え撃つ……というのが、今回の作戦における全容だった。進行ルート上、パヴォニス基地から出撃した敵部隊がクリュセを経由する可能性は極めて高く、さらに建造物が多いことから非常に身を潜めやすい。まさに迎撃作戦には最適の地形であるとも言えた。
《……ッ! こちら
《
言われ、ミランダは指示された方角へとスコープを向ける。空中を飛行する黒い輸送艦はまだ粒ほどの大きさにしか視認することはできなかったが、もう少し距離が縮まればどうにか狙えそうではある。
「問題ありません。撃てます」
《了解だ。なら、このままギリギリまで引き付けるぞ。射撃タイミングは俺が指示する》
「フォックス3、了解」
通信を切り上げ、ミランダは慎重にスコープを覗きながらゆっくりとトリガーに指を添えた。首筋から出た汗が額へと伝い、じりじりとした焦燥感を掻き立てる。出来ることなら、はやく引き金を引いてしまいたかった。
(ロマリオさんを殺した赤いDSWも、きっとどれかの輸送機に搭載されている……)
ふと、ミランダの脳裏にそのような推測がチラついた。
もし本当にその通りであれば、輸送機ごと撃ち落とすことであの機体も同時に撃破できるかもしれない。
ロマリオの味わった痛みを、仇にも与えてやれるかもしれないのだ。
(……だめだめ、落ち着くのよミランダ。この一発には私やロマリオさんのだけじゃない、今を生きているみんなの命だって背負っているんだから)
決して照準は怠らぬまま、撃ち放ちたい衝動の放流を理性で必死に堰き止める。ここで私欲に駆られてしまえば、道化に成り果てると誓った自分自身に嘘をついてしまうことになるからだ。
ざわつく心を自ら切り離し、ミランダは持てる全ての意識と思考をスコープの向こう側にのみ注力する。目標との距離はゆっくりと、しかし着実に詰まりつつあった。
(はやく……はやくきて……)
口内に溜まった唾を飲み込む。どろりとした感触が喉を伝って逆流していき、ひどく心地が悪かった。
マークからの指示はまだ降りない。
(はやく……)
パイロットスーツ越しに引き金へと触れた指先が汗で滲む。膝も笑っていた。
別に失敗を恐れているわけではない。弾道の計算は完璧なはずだし、標的に弾を完璧に命中させられる自信だってある。
ただ、自分に嘘をついた心とは裏腹に、体のもっと本能的な部分が萎縮してしまっている。敵を殺すことに何も感じなくなった心の代わりに、肉体が怖がってくれているのだ。
せっかく道化としての生き方を選んだにも関わらず、体が思うように付いてきてくれない。ミランダはそのような事実に少しだけ歯噛みしつつも、やはりその感傷すらも押し殺そうと尽力した。
耐えろ、耐えろ、耐えろ。
必死に自分へとそう言い聞かせ続ける。
マークからの指示はまだ降りない。
このままでは、神経が先に擦り切れてしまうかもしれない。
(……はやくッ!)
もう、どうにかなってしまいそうだった。
次の瞬間、予期せぬ撃鉄が響いた。
どこからともなく放たれた銃弾は、一筋の閃光となって空を切り裂いていき、そして飛行していた“カーディナル級”のうち1隻のメインエンジン部を容赦なく射抜いた。
黒い艦体から爆煙が吹き出し、炎に飲まれながら地上へと堕ちてゆく。
「……えっ?」
一瞬の出来事だった。
それでも理解が追いつかず、ミランダは慌てて自分の手元を確認する。
引き金を引いた覚えは全くないし、指先にその感触も一切残っていない。サブモニターに表示された弾丸の装填数にも特に変化はないことから、少なくとも自分が弾を暴発してしまったわけではないようだ。
では、いったい誰が……?
《オイ誰だよ!? 先走ったバカ野郎は……ッ!!》
通信機越しにマークが怒鳴り声を上げる。
この様子だと、どうやら先ほどの射撃は彼が行ったものでもないらしい。
(マークさんでもないなら、まさか……)
となれば、思い当たる人物は一人だけだった。
寧ろ、あれだけ遠く離れた飛行中の標的を正確に射抜くことができ、尚且つ命令に先んじてでも撃ってしまう動機を持ち得る者など、彼以外には考えられない。
あの銃弾を放ったのは、ジキル=アニアン。
戦友であったロマリオのことを誰よりも気にかけ、彼の戦死を誰よりも悲しんでいた、普段は皮肉屋を気取っていても根は優しい男。
彼は今、仲間を大切に想うあまり冷静さを失っていた。
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