第12章『吸血鬼ヴラッド 2』
「失礼します。オミクロン様、アレックス=マイヤーズをお連れして参りました」
アレックスがドロレスに連れてこられたのは、マリネリス基地司令官であるオミクロンの私室であった。
プライベートルームといっても目に映るのは中央のデスクと時代錯誤な紙の資料が詰まった本棚くらいで、生活感は微塵も感じられない。総帥としての体裁を気にしているという理由もあるのだろうが、それにしたってベッドのシーツにしわ一つないのはあまりにも不自然だろうとアレックスは思った。あるいは、全身を機械で構成した
「急な招致に応じてくれてありがとう。まずは座りたまえ」
ソファに座すオミクロンにそう勧められ、アレックスは一礼してからテーブルを挟んで向かい側へと腰掛ける。目の前にドロレスの淹れた紅茶のカップが置かれても、警戒を解こうとしないアレックスは手に取ろうともしなかった。
「……別に、僕と茶飲み話がしたいわけでもないんでしょう?」
「フッ、手堅いな。ならばさっそく本題に移ろう。君を呼んだのは他でもない、“マスター・ピース・プログラム”と、その搭載機であるピージオンについての今後のあり方を話し合うためだ」
あまりにもあっさりとオミクロンはそう切り出した。それを受けたアレックスは戸惑いつつも、部屋の隅で静観しているドロレスへとつい遠慮がちな視線を送ってしまう。彼の言わんとしていることを察したオミクロンは、肩の力を抜いて告げた。
「ああ、君がそのような心配をする必要はないよ。彼女もまた“MPP”の真相を知る者の一人だからね」
「……協力者、ということですか」
「そして、志を共にする者でもある。なに、信用には足る人物さ。彼女は私のよくできた妹なのでな」
「いも……うと……?」
アレックスは思わず、ドロレスのほうを振り返って凝視してしまう。
あのルーカス=ツェッペリンJr.の妹ということは、つまり彼女もまたツェッペリン一族の血を引いているということだろうか。写真で見たルーカスとは髪色も瞳の色も異なっているが、おそらく腹違いの兄妹といったところだろう。
その話が本当だとしたら、なぜ彼女は一大企業の令嬢という立場でありながら、“ブルーム”と姓を偽ってまで反政府組織に身を置いているのだろうか。怪訝そうな表情を浮かべるアレックスを見て、ドロレスはちらりとオミクロンを一瞥する。
「兄さん、話しても?」
「ああ、いいだろう」
承認を得たドロレスは、アレックスに対して補足の説明を始めた。
「私が──ドロレス=ツェッペリンが“ブルーム”を名乗ってインデペンデンス・ステイトへと潜入したのは1年程前……そう、素性の知れない仮面の男“オミクロン”が突如としてU3Fへと反旗を翻した、その直後だったわね」
「潜入って……。ツェッペリン家の息女であるあなたが、何の為に……?」
「『父の敷いた体制が気に入らなかったから』というのも理由の一つだけれど、一番の目的はオミクロンの正体を暴くこと……いや、兄さんが追い求めているモノの正体と、その真意を確かめたかったからね」
過去を懐かしむように、ドロレスは天井を仰ぐ。
「私にはオミクロンの正体が、ルーカス=ツェッペリンJr.であるという確信があった。だから私はこうして組織内で実力を示し、副官という立場にまで上り詰めたの。まあ、兄さんの方ははじめから私の動向を察知していたようだけどね」
ドロレスは冗談めかしく肩をすくめてオミクロンへと微笑みかける。今まで彼女の冷淡な一面しか知らなかったアレックスは、こんな風に笑う事もできるのかと内心驚いてしまった。
詳しい経緯まではわからなかったが、つまりこのドロレスという女性は、たった一人でオミクロンの正体を嗅ぎつけ、やがて本人の口から真相を開示されるまでに至ったということだろう。
そうまでして、ルーカスの真意が知りたかった理由とは一体何なのか。それをアレックスが問いただすと、
「理由? 理由なんてないわ。ただ、兄さんの考えに私も触れたかっただけ。だって兄さんは凄いんだもの」
なんの気恥ずかし気もなく、むしろまるで当たり前の事を聞かれてしまった時のように、至って涼しげな顔をしてドロレスが答えた。
「事実、兄さんが仮面の裏に隠していた真相は私の期待通り……いいえ、想像以上のものだった。だってそうでしょう? これまで誰も成し得なかった恒久平和の実現を、兄さんは本当に成し遂げようとしているんだもの。なら、それを少しでも手伝ってあげたいと思うのは、妹として当然でしょう?」
確かに彼女が先ほどからオミクロンに送っている視線は、家族愛や異性愛などを通り越したような、心からの尊敬が込もっているように感じられる。それほどまでにドロレスは、天才と称されるほどの男であるルーカスの価値観に感化されてしまっているのだろう。妹にそれだけ慕われているルーカスのことが、アレックスは少しだけ羨ましかった。
「少しばかり脱線してしまったね。さて、そろそろ話を戻すとしよう」
オミクロンは言うと、眼前に座るアレックスの顔を覗き込むように捉える。
「実を言うとだね、誠に遺憾ではあるのだが……事態は私の望まぬ方向に進みつつある。我々でない第三者が、裏で糸を引いている可能性が浮上したのだ」
「それは、ケレス基地で開発されていた“ホロウ・リアクタ”の事を言っているんですか?」
「ああ。そして、現状におけるU3Fの不審さもそうだ。これらはいずれも、私の書いた筋書きには本来存在していない」
「だから、僕の協力が必要だと……?」
「話が早くて助かるよ。この混迷を切り裂いていけるのは、“マスター・ピース・プログラム”を搭載した
オミクロンは右の手袋を外すと、露わになった機械の腕をこちらへと差し出す。それだけでも彼の真摯さは十分に伝わってきたし、自分が必要とされているのだということもわかった。
だが、アレックスはその手を握り返すことはなく言う。
「……他の協力者の人たちも、こうやって口車に乗せてきたんですか。もしそうじゃないのだとしても、僕にはそうとしか思えな……」
憂げに語っていたアレックスの言葉を、ドロレスの拳による粛清が遮った。
殴られた頬を抑えながらわけが分からずにいるアレックスの胸ぐらを、ドロレスは掴んで引き寄せる。もの凄い形相で睨まれてしまうも、『やめろ、ドロレス』とオミクロンが彼女を制した事によってすぐに解放された。
「すまないね。妹が出過ぎたことをしてしまった」
「ハァ……ハァ……。謝らないで下さい……、あなたが創ろうとしていた世界だって、こんな風に力でものを言う独裁社会のはずでしょう……。例えそれが暴力ではなく抑止力による統制のつもりだったとしても、僕はあなたに付き従うわけにはいかないんですよ……」
「つまり、我々と手を取り合うつもりなど元よりないと……?」
「ええ。そして、あくまでピージオンは僕の手中にあるということを忘れないで下さい」
「……そうか」
明確に決別を言い渡されたオミクロンは、とても残念そうにため息を吐いた。
次の瞬間、彼の鋼鉄の右腕がアレックスの首元へと伸ばされる。
あまりにも唐突な事態に反応が遅れたアレックスは、そのままなす術もなく首を掴まれ、ソファから立ち上がったオミクロンに持ち上げられてしまう。浮いた足がテーブルにぶつかってしまい、溢れたカップの熱湯が膝に思い切り激突した。
「何もわかっていないのは君の方だよ、アレックス=マイヤーズ。君は自分がピージオンの実権を握っているのだと勘違いしているようだな。仮マスターの分際で……」
「ぐぅっ……あ……ッ!?」
「全くもって
オミクロンの言葉を聞き届ける余裕すらないまま、アレックスは部屋の壁面へと投げ飛ばされてしまう。ろくに受け身の姿勢もとれないまま背中を打ち付け、全身に鈍い痛みが奔った。
「……ルーカスは君の人柄を相当買っていたようだが、私も同じだとはくれぐれも思わないことだな。『アレックス=マイヤーズを同じ平和を望む同志として歓迎したい』というルーカスの進言がなけれな、今頃君をこの場で撲殺していたところだ」
立ち上がる力も無いまま息を整えているアレックスに歩み寄るオミクロン。見下ろす彼の仮面の瞳に同情の色は一切なく、これまでルーカス=ツェッペリンJr.を温厚な人物だと捉えていたアレックスは、その豹変ぶりに驚愕した。
オミクロンも自身の行動に驚いたのか、自らの掌を恐る恐る見つめながら語る。
「失礼、これは私にとっても想定外の現象でね。『同一存在も受け容れることができるだろう』などと自惚れていた過去の自分を恥じるべきか、それとも研究者として興味深いこの結果に喜ぶべきか……ともかく、今の私はもはや“ルーカス=ツェッペリンJr.”とは異なるアイデンティティを持った存在に成りつつあるらしい」
たった今オミクロンに起こっている事象については、彼の真実を知るアレックスにも朧げながら理解することはできる。
ルーカスの企てた『マスター・ピース・プロジェクト』の一端を担う為に生み出された
つまり目の前にいる仮面の男は、今や“オミクロン”ではあっても“ルーカス”ではなくなってしまっているのだ。
「私が未だに君を生かし、自由な判断を委ねているのは、それをルーカスが望んでいたからだという事を忘れるな。精々、彼に感謝するといい」
オミクロンはそう言い捨てると、身を翻して部屋の奥へと向かっていく。突き放すような彼の冷たい背中が、無言で『立ち去れ』と告げていた。
*
数にして27つ存在する月面都市。そのうちの一つである北西のクレーターを利用したドーム都市『アリスタルコス・ドーム』こそが、巨大軍事産業複合体“LOCAS.T.C.”の本社所在地である。
プレジデント=ツェッペリンを乗せたアークビショップ級戦艦に同乗していたミリアは、意外にもアリスタルコス・ドームへの下船許可が降りたことに内心驚いていた。勿論、囚人という立場には変わりないことから爆弾付きの首輪は依然として嵌められているし、自由行動が許されているわけでもない。プレジデントの末娘であるファリス=ツェッペリンの申し出により、特別に彼女への同行が許諾されたというだけの話である。
「まあ! 凄く似合ってますわよ、ミリア」
本社の敷地内にあるVIP専用の客室で、鈴を転がすように笑うファリスを横目に見つつも、ミリアは自分の姿が映るスタンドミラーを今一度確認する。
彼女がファリスに言われて袖を通しているのは、男物の黒いスーツだった。もともと起伏の少ない華奢な体躯の印象も手伝ってか、その男装に違和感は全く感じられない。そればかりか、自分でも呆れるくらいに舞台役者の如き中性的な男装麗人の雰囲気を醸し出してしまっていた。
新たな特技の発見に若干の戸惑いを感じつつも、ミリアはファリスの方へと顔を向ける。
「ファリス様……」
「
「じゃあ……ファリス、ちゃん。この格好は一体……?」
先ほどから漠然と抱いていた疑問を投げかけると、ファリスはなにやら意味有り気に微笑みながらその場でくるっと回ってみせた。豪奢な真紅のドレスが優雅に舞い、桃色の長い髪がそよ風のように靡く。
軽やかなステップをミリアの眼前で止めた彼女は、スカートの裾を持ち上げてお辞儀をすると、上目遣いでこちらを覗き込んできた。
「これからお父様が主催のパーティに出掛けますの。ミリア、貴方にも
「私が、そんなところにいっても大丈夫なの……?」
当然ながら木星コロニー出身者であるミリアに社交界のパーティへの出席経験などあるはずもなく、彼女が謙遜してしまうのも無理はなかった。ダンスの踊り方すらもろくに知らない自分が、そのような場所に赴いてしまっても果たして大丈夫なのだろうか。
様々な心配事がミリアの頭に浮かんだが、ファリスはそんな懸念を吹き飛ばすように首を縦に振った。
「貴方としか踊りたくないわ。ミリア、会場までのエスコートを頼めるかしら?」
ファリスが長手袋に包まれた細い手を差し出した。
それを受けてミリアは暫し目を丸くした後、片膝をついてファリスの手を優しく掴む。自分の眼前まで引き寄せると、手の甲にそっと小さな唇を重ねた。
「ミリア=マイヤーズ。及ばずながら、今宵は
「フフフ……それでいいのよ、ミリア。貴方の持つ極彩色の
眼下にひざまずく可憐な騎士を見て、ファリスはいつもの妖艶な笑みを浮かべた。
*
「よう、旦那。こんなところに居たのか」
今やU3Fの支配下に置かれたパヴォニス基地の屋上で黄昏ていたヴラッドは、降下作戦の前にやたら馴れ馴れしく接してきた青年の声に振り返る。
機体を降りて実際に会うのは初めてだったが、青年の姿は声の雰囲気に違わず陽気でどこか飄々としていた。やや明るい色の跳ねた赤毛が印象的な彼は、了承を得ることもなくヴラッドの隣に立つと、フェンスを背もたれにして喋りかけてくる。
「いやはや、前の戦闘のスコアを見させてもらったけど、凄かったぜぇ。DSWを16機も撃墜したんだろう? お前のことを怖がってた部隊の奴らも、段々とエースとしての実力を認めつつある。まっ、ともあれ念願が叶って良かったな!」
「フン……当然だ。より多くの返り血を浴びてこそ、俺の存在意義はより確固たるものとして証明されるのだからな」
「ハハッ、何だそりゃ。“英雄”にでもなるつもり……ってか?」
さらりと確信を突くような発言をする青年に、ヴラッドはまたしても微かな動揺を誘われてしまう。部隊内でも“戦闘狂”や“吸血鬼”などというレッテルを貼られがちなヴラッドにとって、このように深みにまで踏み込んでくる人物は物珍しかった。
「……そういえば、貴様の名をまだ聞いていなかったな」
「俺かい? 俺はジグ=ジールベルン。気楽にジグでいいぜい」
「ああ、俺はヴラッド=デザ……」
「ハハハッ! 知ってるよ、部隊じゃ知らない者のいない有名人だからな。さてはお前あれか、ひょっとして意外と天然さんか!?」
「む……うるさい」
ジグと名乗った青年に揚げ足を取られてしまい、ヴラッドはつい目くじらを立てて剥れてしまう。それを見たジグは可笑しさのあまり高笑いを上げるも、それが収まると途端に真剣な口調となって切り出してきた。
「……聞いたかい、旦那。明日の
「無論、承知している。戦力に関しても過不足はないと思うが?」
「だが、U3Fならもっと確実に攻め落とせるだけの戦力だって確保できたはずだ。なあ、おかしいとは思わねぇか……? こんな采配はどう考えたってらしくねぇ。俺ぁ何か裏があるような気がしてならないんだがね」
「何だ、何かと思えばまたその話か……」
ヴラッドはフェンスの網目を握り掴むと、その奥にある景色を赤い瞳で睨みつける。
「前にも言ったはずだ。俺は見窄らしく生き長らえるくらいなら、戦場での大々的な死を望む。尻尾を巻いて逃げるというなら貴様だけで行け。見逃すくらいはしてやる」
例えこの戦いに如何なる陰謀の影が渦巻いていようと、ヴラッド=デザイアの戦いが変わる事はない。
“英雄”と讃えられるその時まで、ただひたすらに屍の山を積み上げ続ける。この贖罪の旅路は決して足を止めてしまってはならず、また後ろに引き返すことも許されない。
彼もまた、強者で在り続けようとする人間だった。
「……プクク、ハハハハハッ!!」
「? 何が可笑しい?」
突然声を上げて笑い始めたジグに対して、ヴラッドはつい
「はー、悪い悪ぃ。いやさ、旦那は本当にブレねぇと思ってよ。しゃーない、俺もあんたに付いて行く事にすっかな」
「作戦に不満があるのではなかったのか?」
「気が変わった。いや、作戦に気乗りしないのは今も変わらねえが、ともかくあんたと一緒なら退屈しないで済みそうだ」
「理解に苦しむな……。貴様はそんな
「適当に生きるのは大事なことだぜ? それに、あんたの道行く先を見届けたくもなった。次の作戦も期待してるぜい、赤き英雄さん」
パンッと肩をジグに叩かれ、ヴラッドは思わず鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべてしまう。久しく忘れていた暖かな感情を、少しだけ思い出したような気がした。
「……フン、勝手にしろ」
照れを隠すようにヴラッドは吐き捨てつつ、ふと空を見上げる。
太陽を覆い隠すほどの曇天が、何やら妙な胸騒ぎを覚えさせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます