第10章『乖離のミランダ 4』


──撃たれる。


 ミランダが悟った次の瞬間、一筋の閃光が真横からほとばしる。

 だが、それは彼女の乗るフーリーウェイを灼くものではなく、銃口を突き付けていたコンドルフのショットガンを刺し貫いた。

 ほんの一瞬の出来事。それによってショットガンの照準が僅かに逸れ、フーリーウェイは胴体部に散弾を直撃こそしたものの、コックピットまではギリギリのところで弾丸が至らずに済んだ。


「なっ……」


 銀と赤、二つのDSWの間で爆発が起きる。

 ショットガンを失ったコンドルフは咄嗟に後方へと跳躍すると、縦に伸びた岩石の上へと着地。すぐにビームの飛来してきた方角へと頭部を向けた。


「生き……てる……? わたし……」


 まるで生きた心地がしない呆然とした意識の中で、ミランダは自分の呼吸がちゃんと続いていることを朧げに確認する。顔中は冷たい汗でぐっしょり濡れているし、神経を張り詰めていたせいか指も上手く動かせなかったが、どうやらここは黄泉の世界などではないらしい。


(一体何が起きたの……?)


 死を回避できたことへの喜びに浸るよりも、そちらの方がよほど気掛かりであった。ミランダは愕然としたまま、コンドルフと同じ方向を見つめる。

 そこには、暗い夜闇を裂いてこちらに向かってくる機影があった。

 マリンブルーに彩られた装甲、オレンジ色に輝く四つ目のカメラアイ、鬼を彷彿とさせる二本角。右手にエネルギーライフルを構えたその機体はスラスターを噴かして詰め寄ってくると、フーリーウェイとコンドルフの間を遮るように静止した。

 ミランダはすぐさまレーダーを確認する。目の前でこちらに背を向けて立つ機体は、確かに友軍機の反応を示していた。


《無事か》


 “ファントマイル”の機体コードで登録されているその機体から通信が送られてきた。スピーカーから発せられた声は、ミランダと殆ど同年代と思わしき少年のものである。名前は確か、チャーリー=ベフロワといっただろうか。


「は、はい……。でも、ロマリオさんが……」

《……そうか。だが弔うのは後にしろ、あいつは……危険な奴だ》


 口調こそ平淡であったものの、彼の戦慄のほどは通信機越しにでも十分に伝わってくるものだった。自分たちがたった今対峙している存在は、それほどの脅威だということである。

 緊張感と静寂が支配する中で、ファントマイルは高所から見下ろす紅の悪魔を仰いだ。





 チャーリーが、整備を終えたばかりのファントマイルを駆って戦場へと向かわされる事になったのは、敵陣を鑑みたオミクロンがある可能性を思案したことがそもそもの発端であった。


──敵部隊に“ホロウ・リアクタ”の搭載機が配備されているかもしれない。


 従来の核融合炉搭載機に比べ約4倍ものエネルギーゲインがあるホロウ・リアクタ搭載機は、言葉通りに一騎当千を可能にしてしまうほどのマシンポテンシャルを秘めている。

 もしこの推測が本当だった場合、新型機とはいえ核融合炉搭載のフーリーウェイ4機では太刀打ちすることもできないだろう。実際に、いま目の前にいる緋色のDSWからは異常なまでの出力が検知されている。この機体がホロウ・リアクタを積んでいることは明白であり、もう少しチャーリーの到着が遅れていれば、フォックス小隊や撤退中の残存兵たちは全滅していたかもしれない。


(今のところ、ファントマイルこいつのリアクタは問題なく稼働している……)


 サブモニターに表示された機体ステータスを逐一確認する。

 そうしなければならない程にこの急造された試作型動力炉は不安定な代物であり、いわば諸刃の剣であった。出撃の前にも、担当していた整備士から『“ホロウ・ブラスト”だけは絶対に使用するな』と釘を刺されてしまったものだ。


(となれば、残る武装はエネルギーライフルとブレードトンファーのみか。あの機体コンドルフとやり合うには少し心許こころもとないが……)


 先ほどの射撃によって銃身の耐熱限界に問題がないかチェックしていたその時、スピーカーから聞き覚えのある少年の声が発せられた。


《再び相見えるこのときを待ちわびていたぞ、チャーリー=ベフロワァ……》


 殺した相手のことなど一々気にすることなどないチャーリーであったが、それでもこの人物のことはしっかりと記憶していた。

 ……寧ろ、あれほどまでに胡散臭く仰々しかった名乗りを忘れろという方がよほど難しい。


 まるで何か深い怨念が込められたような、彼の名は──。




《……ヴラッド=デザイア》

「ククク……俺の邪魔立てをするのはやはり貴様か。この運命を仕組んだ神は、よほど俺と貴様のむさぼりあい殺しあう姿がお気に召しているのだろうな」


 もはや宿敵だと言っても過言ではない相手──チャーリー=ベフロワにその名前を呼ばれ、吸血鬼の少年は歪に口元を綻ばせた。


《生きていたとはな》

「……いいや、死んでいたさ。あのとき俺は貴様に殺され、地獄を……否、死よりも深い絶望を味わわされた」


 脳裏に刻み込まれた漂流の記憶が蘇る。

 どこまでも果てしなく続く広い宇宙うみに独り取り残され、自分の存在がどうしようもなく無力に、ちっぽけなものに感じられたものだ。そこに希望の光は一切なく、身も心も真っ黒な恐怖の沼に侵食されていき、そして溺れ死んだ。


「だが、俺はこうして絶望の淵から蘇ることができた。それが何故だかわかるか?」

《………………》


 口を利くつもりはないとでも言うようにチャーリーは無言を貫くも、ヴラッドは意に介することもなく続ける。狂気を孕んだ笑みを浮かべながら語り聞かせようとする彼の様子は、誰がどのように見ても常軌を逸していた。


「貴様が罪と血で汚れた罪人だったからだ。神にとって、貴様の存在はゆるされるものではない。だからこの俺が、貴様の首を刈り取る断罪者として寄越されたというわけだ」

《神、か……》


 ヴラッドのあまりにも偏った弁明を全て聞き届けた上で、チャーリーは言葉を返す。


《そんなものが、戦場ここに居ると思うか。この場所に平等なものなど何一つない。生も死も、全てが不平等に与えられる。俺が生きて来たのは、そういう世界だ》


 彼の言葉は、世の中のあらゆるプロパガンダや募兵ポスターの謳い文句よりも戦場の真実を語っているものだった。例えどんなに優秀な経歴や人格の持ち主であろうと、一度戦いに出ればそれらは全て一戦闘単位としか扱われない。実力や勝負運といったあらゆる要素が不平等に天秤へと掛けられ、生死を分かつのだ。


《そして、俺はお前から何もかもを奪う。勝利も、命も、全て俺が勝ち得るだろう》

「ククク、貴様にしてはよく喋るではないか。それでこそ我が宿敵、興も乗るというもの……!」

《……何か勘違いをしているようだが、俺は別にお前を因縁の相手などとは思っていない》

「なに……?」

《“道に転がる石”と同等……気にする程のものではないが、道を阻むのなら退けるまでだ》


 チャーリーの挑発めいた物言いは、ヴラッドの怒りを煮えたぎらせるには十分過ぎる程の効力を秘めていた。憎悪、逆上、憤怒……それらの感情を全て敵意へと変換して、彼はコンドルフを飛び立たせる。


「ハッ、言ってくれるではないか! ならば俺を殺し、その戯言が負け犬の遠吠えでないことを証明してみせろォ……ッ!!」

《……っ!》


 敵機を目掛けて急降下するコンドルフ。眼下のファントマイルもすぐさま右腕に折り畳まれていた“ブレードトンファー”を展開させると、上空から迫り来る“スパーダ”の剣戟を受け止めた。

 切り結ばれる刃。火花を散らせている時には、すでにファントマイルは空いている左腕のブレードも展開し、コンドルフの胴体に向けて剣先を奔らせていた。だが、それも背部から伸びた“クアットロ・ギロッティーナ”の刀身によって防がれ、続く二撃、三撃目も機体をひねるようにしてかわしていく。

 やがて近距離戦では分が悪いと判断したのか、ファントマイルが距離を取るべく後ろへと跳躍しようとした。その隙をヴラッドは決して逃さない。


「逃げんなよ……逃げんなよォ……ッ!!」

《くっ……!》


 コンドルフは空いた右手を伸ばして無造作にファントマイルの腕を掴むと、荒々しく地面へと放り投げた。しかしファントマイルは叩きつけられる寸前でスラスターを噴かし、空中で体勢を立て直す。コンドルフもそれを追うように跳躍し、真上から覆いかぶさるように襲い掛かった。

 “スパーダ”を片手に斬りかかるコンドルフ。だがファントマイルの回避運動が僅かに間に合い、虚しくも虚空を薙いだ。ファントマイルはその隙に間合いを取ると、エネルギーライフルの銃口を向けて光線を放つ。信じられないことに、コンドルフはそれを“スパーダ”の対ビームコーティングが施された刃で受けると、文字通りビームを横薙ぎに


《何……?》

「ククク……」


 この間、終始ヴラッドの攻勢であった。それはホロウ・リアクタを搭載することで飛躍的なスペックアップを遂げた“コンドルフ・エクスターナル”の性能の賜物でもあったし、それ以上にヴラッドのチャーリー=ベフロワに対する狂気的なまでの執着心が、彼に己の能力限界を超えた動きを実現させていた。

 だが、依然としてファントマイルへのダメージを与えられていないというのもまた事実であったが、ヴラッドはむしろそれに喜びを抱いてしまう。


「最高だ、チャーリー=ベフロワァ……。貴様はまさに、俺の理想とする強者の像に相違ない。そして……!」


 四枚の翼を広げたコンドルフが、急加速をかけてファントマイルとの距離を一瞬で詰めた。


「貴様の首を討ち取ったその時、俺はようやく“英雄”になれることだろう……ッ!!」


 袈裟懸けにスパーダが振り下ろされた。対しファントマイルはブレードトンファーの刃でそれに応える。斬撃を防がれたコンドルフは身を捻って“ラプターネイル”の蹴りを食らわせようと試みるも、やはりもう片腕のブレードトンファーがそれを遮ってしまった。

 刃と刃、鉄と鉄が何度もぶつかり合い、幾度となく金属音が戦場に鳴り響く。

 かつて圧倒的なまでの力量の差を見せつけられ、屈辱を味わわされた相手に対して、今は互角以上の戦いを繰り広げることが出来ている。自身の能力が間違いなく向上していることを確信し、ヴラッドは更に気持ちを昂らせていく。


「いいぞ……! それでこそ我が極上の供物、こうでなければ張り合いがないというもの……ッ!」

《何故そこまで英雄に拘る……?》

「そんなの決まっている! この俺が……“血を渇望する者ヴラッド=デザイア”だからだ……!」

《英雄は他者に求められ、祀られることで初めて成り得るものだ。英雄を望むお前に、英雄になる資格などありはしない……!》

「黙れッ! 貴様に何がわかる!? 俺は“英雄”になる……いや、絶対にならなくてはならないのだァッ!!」

《くッ……!?》


 一閃。コンドルフが切り抜けた刹那、ファントマイルの右腕が二の腕から切り落とされる。

 それは、これまで長い時間をかけて熱心に研ぎ澄ましてきたヴラッドの牙が、ようやく宿敵に届き得た瞬間でもあった。


「まずは右腕だ! 次は左を貰い受ける……ッ!」


 闘争本能の赴くままに、ヴラッドはすぐさま機体を翻してファントマイルへと再び斬りかかろうとする。

 だがしかし、予期せぬ方角からの銃弾が割り込んできたことにより、奇しくもそれは阻まれてしまった。


「なんだ……ッ!?」

《ケッ、U3Fのブタ野郎。俺のこと完全に忘れてたろ?》


 敵パイロットと思わしき中年男性の声を聞きつつ、ヴラッドは弾丸の飛来した方向に視線を向ける。ここからは800メートルほど離れた遠方に、精密狙撃形態となったフーリーウェイの姿を確認することができた。注意深く見ると、別の場所からもこちらを狙っている同型機がみえる。


《これで3対1だ。この距離ならテメェなんざ、ロックオンするまでもなく当てられるぜぇ?》


 敵狙撃手からの通信に、ヴラッドは苛立ちのあまり歯噛みした。

 確かにホロウ・リアクタを搭載した今のコンドルフには単騎でDSW10機と渡り合えるだけの性能を有しているものの、それは機体が得意とする近距離戦闘を前提とした話である。遠距離以遠からの攻撃に対処できる武装をコンドルフは持ち合わせてはいないし、それだけに狙撃特化型であるフーリーウェイを2機も敵に回してしまえば、ファントマイルへの勝機はさらに薄れてしまうだろう。


「……フン。せいぜい命拾いしたな、その幸運に免じて此度こたびは退いてやろう」


 すっかり興醒めしてしまったヴラッドはそう吐き捨てると、撤退するべく身を翻して飛び立っていった。





《なあ、隊長……。あのふざけたヤローを後ろから撃つ許可をくれ》


 殺意を隠そうともしないジキルの提案を、マークは押し殺すような低い声で律する。


「駄目だ。今は味方部隊の安全確保と、基地への撤退を最優先事項とする」

《ハッ、止められても俺は撃てるぜ……? 奴はロマリオを殺した。その報いは受けてもらわなくちゃあなあ……!》

「2度も同じ事を言わせるな。もう死んじまった戦友の敵討ちと、一刻もはやく治療を受けなければならない負傷兵たちの命、どっちが大事なのかはわかってるだろ……?」


 すると、通信機の向こう側で鉄に拳を叩きつけるような鈍い音が鳴った。ジキルの気持ちは、マークとて痛いほどわかっている。なにせ数年の時を共に戦い抜いてきた男が殺されてしまったのだ。もしジキルがこちらに狙撃の許可を求めて来なかったら、マーク自身が逃げ行くコンドルフの背中に風穴を開けていたところである。小隊長としての責任感が、ギリギリのところで理性を繋ぎとめてくれていた。


「残存部隊との合流後、予定通り待機中の輸送機へと帰還する。“フォックス4”、機体はまだ動くか?」


 問いかけると、完全に疲弊しきった少女の弱々しい声がすぐに返ってきた。


《それが、駆動系をやられてしまったみたいで……。起き上がらせるのも出来なさそうです……》

「そうか……」

《すみません、大事な新型機なのに……》

「いんや、パイロットのお前が生きていてくれて何よりだ。機体のパーツならともかく、人間の命は替えがきかねぇからな。気にするな、お前は上手くやったよ」

《ありがとう、ございます……》

「とりあえず機体については後で回収班を向かわせるとして、お前は一度降りて……ミランダ?」


 名前を呼ぶと、スピーカーから僅かに可愛らしく寝息を立てる音が聞こえてきた。きっと安心しきったあまり、話の途中で眠りに落ちてしまったのだろう。

 無理もない。彼女に課せられた任務は、初陣の新兵にしてはあまりにも荷が重過ぎるものだったのだ。その上、仲間の死まで早々に経験することとなってしまった。兵士として生きる以上避けられぬ事とはいえ、今の彼女には相当堪えてしまっていることだろう。


「……ったく、世話を焼かせる弟子だぜ」


 マークはラダーを伝ってフーリーウェイ1番機のコックピットから降り立つと、すぐに膝をついたまま静止している4号機の方へと駆け寄った。器用に装甲の隙間を足場にしてよじ登り、外部からコックピットのハッチを開け放つ。

 すると中には、母親に抱かれる赤子のようにすやすやと眠るミランダの姿があった。あまりにも幸せそうなその寝顔を見て、マークはつい強張っていた表情を緩めてしまう。


「ふっ、こいつに愛される男はさぞ幸せ者だろうな。さ、帰るぞミランダ。大切な奴が待ってるんだろう?」


 マークは眠るミランダを抱き抱えると、人型形態のまま朽ち果てた銀狐のコックピットを後にする。

 パヴォニス山の夜空は、ほんの少しだけ青みがかかりはじめていた。

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