第22章『獄中のミリア 4』
ケレス基地を出航してから、一ヶ月と二週間あまりが経過していた。
あまりにも長い惑星間航行の間、乗組員たちはただジリジリと時が過ぎてゆくのを待つことしかできずにいた。一刻を争う状況下の中で、その焦燥感を堪えることに誰もが必死になっていたのだ。
そして遂に火星圏へと到着したアルゴスは、追跡していたアークビショップ級をようやく捕捉するまでに至る。かくして、インデペンデンス・ステイトとコスモフリート残党による“
「こいつの調整は完璧だ。……しかしあんた、本当にDSWを動かせるのかい」
「私も今でこそ
格納庫の一角でそのようなやり取りを交わすのは、整備班のキム=ベッキムとパイロットスーツへと着替えたウォーレン=モーティマーである。
U3Fの管轄宙域を避けながら航行しなければならない都合上、一切の補給を受けることができなかったアルゴスには、当然ながら物資も人材も足りていない。そのため、僅かとはいえDSWの操縦経験があったモーティマーに白羽の矢が立ったのだ。
「……この機体、あんたらのお仲間が根回しをしていたそうだな。ケレスでの戦闘後に損傷の軽微だった個体をサルベージしたようだが」
「牙が届くことはなかったとはいえ、結果として
悲痛を嘆きつつ、モーティマーはハンガーに立つ自らの乗機を仰ぐ。
“LD-58L リキッドライナー”という、J.E.T.S.強硬派に雇われた傭兵らが使っていたとされる機体。黒地に灰色のパターン塗装が施されたマダラ模様の体躯は、細身ながらも力強い重厚感を感じさせた。右肩後方にバズーカの銃身、左肩後方には折り畳まれた状態の大口径レールガンが見え、左右の腰には刃のない柄だけの剣がそれぞれに収納されている。内蔵型がメジャーとなっている現在では珍しい、ハンドタイプのEロングブレードだ。取り回しの良さでは内蔵型に劣るものの、威力という点ではこちらがやや上回っている。
「海賊の俺が言うのも何だが、こんな機体が民間に流出しちまってるとはねぇ」
「だが、そのおかげで我々は反旗を翻すことができる。体制側が過ちを犯そうとしているならば、私は例え鬼でも悪魔にでも魂を売るさ」
モーティマーが言い終えたちょうどその時、第1種戦闘配備を表す警報が鳴った。慌ただしく発進の準備に取り掛かるスタッフを尻目に、モーティマーはリキッドライナーのコックピットへと乗り込む。
他のパイロットたちも搭乗が完了したようであり、部隊の指揮を担うナナキからの回線が開かれた。
《改めて作戦内容を確認する。現在、航路上に待ち伏せしていた我が軍の別働隊が、すでにアークビシップ級との交戦状態に入っている。我々は敵部隊を背後から強襲し、挟撃作戦を仕掛けるという算段だ……皆、準備はいいな?》
ナナキの問いかけに、部隊員たちが応答する。一ヶ月以上もの時をこの日の為だけに過ごしていただけあって、パイロット達の士気は段違いに高い。
U3Fの戦艦が二隻に対して、こちらは別働隊を含めて四隻。少なくとも戦力ではこちらが勝っており、作戦の成功確率は比較的高いといえるだろう。
《よし。各機、順次発進せよ!》
出撃命令が言い渡され、格納庫内のDSWが次々にカタパルトへと運ばれてゆく。モーティマーは操縦桿の感触を確かめつつも、今日まで繰り返し行ってきたシミュレーターでの訓練を思い出していた。
(臆するなよ、モーティマー。私が手にしているこれは決して暴力ではない。大義を全うする為の、正しき怒りの鉄槌だ)
蔓延る悪を滅する為には、時に力を振りかざさねばならない。モーティマーもそれを容認しているとまではいかないものの、仕方のないこととして割り切ることくらいはできている。
そしてこの男には他にもう一つ、果たすべき使命があった。
コンソールを片手で弾き、横で出撃待機している白亜の機体──ピージオンへとプライベートの回線を繋ぐ。搭乗している少年、アレックス=マイヤーズからの応答はすぐにあった。
《何ですか、“父さん”》
「アレックス。今から私の言うことは父親としてではなく、共に戦う兵士としての忠告と受け取ってくれ」
《……はい》
短くひと呼吸した後、モーティマーは彼に現実を伝える。
「私もミリアの救出には出来る限りの尽力をするつもりだ。だが、向こうでミリアがどのようになっているかわからないというのもまた事実。例えどのようなことになっていようと、それを受け容れる覚悟だけはしておいて欲しい」
《……わかりました。心にとどめておきます》
そのように応えるアレックスの声音は、ひどく苦しそうだった。
当然だ。彼は妹の安否が保証できないという不安の中で、これから命懸けの戦いに赴かなければならないのだから。
本人にはその事を伝えていないものの、実は作戦前に何度かモーティマーはアレックスを出撃部隊から外すよう、ナナキやオミクロンに進言したこともあった。しかし、パイロット不足という状況がそれを許してくれるはずもなく、結果的にアレックスはこうしてDSWに乗ってしまっている。
だからこそ、モーティマーは心中で決意を固めた。彼の閉じた瞼の裏に映るのは、まだ幼き兄妹の姿だ。
(俺の役目は、たとえどんな現実が待ち構えていようとアレックスを無事に守りきることだ。悲劇の連鎖だけは、何としても絶対に起こしてはならない)
それがいち戦闘単位としてではなく、父親としてのモーティマーが操縦桿に込めたる願いだった。
*
火星が持つ二つの衛星のうちの片方、ダイモス。
その周辺の宙域において、アークビショップ級戦艦は待ち構えていたインデペンデンス・ステイト艦隊との交戦状態に陥っていた。
戦況は均衡の一途を辿っており、両陣営共に一歩も譲らぬ攻防戦を繰り広げている。そのような戦況下であるにも関わらず出撃できないことに、ヴラッドは歯噛みしていた。
彼の赤い双眸の先にあるのは、オーバーホールに伴い内部フレームを剥き出しにされた愛機・コンドルフ。ケレスでの戦いにおいて致命傷を負ってしまったこの機体は、現在急ピッチで修復作業が進められているものの、今回の出撃に間に合わせることまでは叶わなかったのだ。
「チャーリー=ベフロワ……」
ギム・デュバルを駆っていた敵兵の名を呟く。他に邪魔する者がいない一対一での闘争において、ヴラッドはその圧倒的な強さを前に這いつくばる結果となってしまった。搭乗機の性能ではこちらが遥かに勝っていたのに、である。
「俺はより多くの敵を殺すために、どんな苦しい訓練にも耐え忍んできた。それだけではない。より高みへと近付くためならば、どんな手段も厭わなかったはずだ……。なのに何故だ……! 何故、奴には敵わなかった……!?」
反応速度を上げるために、自ら薬物の投与を望んだりもした。
与えられた機体の性能を最大限に活かすべく、徹底して知識を叩き込んだ。
メンタルコンディションにも不足はなかったはずだ。
事実、ヴラッドには複数の敵DSWを相手にしてもなお、単騎でそれを突破できるほどの技術が備わっている。
だがそれでも、たった一機のギム・デュバルに完敗を喫してしまった。思い出すたびに、惨めさや悔しさといった激情が込み上げてくる。
「奴は絶対にこの戦場へと来ている! だというのに、俺はこんな場所でただ指を咥えていることしか出来ないというのかァ……ッ!」
「どうしても戦場に出たいというのなら、与えてあげてもいいのですよ。新しい
真横から飛んできた声にヴラッドは振り返る。
格納庫の入り口からやってきたアーノルドの姿がそこにはあった。彼の隣には、通常とは異なる黒くゴツいパイロットスーツに身を包んだ人物もいる。顔はやや大きめのヘルメットに覆われていて拝むことができない。
「……どういう意味だ、アーノルド」
「別に深い意味はありませんよ。ただ、少し戦況が危ういのでアレを使わざるを得ない、というだけです。ホラ、ちょうど愛機が出撃できない今の君ならば適任ですし、君としても好都合でしょう?」
アーノルドがわざとらしく肩をすくめる。こういう振る舞いをするときの彼は、決まって何か企んでいる時だ。もっとも、その理屈だと彼は常に何かしらを企てているということになってしまうが。
しかし、アーノルドが何を考えていようとヴラッドの知ったことではないだろう。小賢しい悪魔が駒を欲しているのならば、自分はただ利用されてしまえばよい。ヴラッドの目指す目標とアーノルドの掲げる目的は、きっと同じ場所にあるのだから。
「フン、いいだろう。その話、呑んでやるよ。……で、その機体はどいつだ」
「ああ、それならちょうど君の機体の隣に……」
言われ、ヴラッドはコンドルフの横に佇むDSWに視線を向ける。
そこにあったのは、一ヶ月ほど前にこの艦へと搬入されてきた試作機。
猛禽類の如きコンドルフと似たような、攻撃的なフォルムを持っている。それに対し機体色は対を成すようなマリンブルーであり、虚無を含んだ儚さを感じさせた。
この戦いの発端ともなっている機体。その名は──。
「あいつか。動かせるのか」
「フフフ、勿論ですとも。さぁ、すぐに出撃の準備をして下さい」
アーノルドが不敵に顔を歪ませる。まるで人の悪行を愉しんでいるような、趣味の悪い笑みだった。
「立ちはだかる敵は塵一つ残さず消してしまって構いません。そして彼らに
*
「はぁぁぁぁッ!!」
ナナキの叫びとともに、ガルド・デュバルの両腕に握られたハルバードが力いっぱいに振るわれた。冷たい大質量の刃は立ち塞がるソリッド達に斬りかかり、装甲を容赦なく食いちぎってゆく。
敵機の撃墜を確認するまでもなく、ナナキは次なる獲物へと機体を翻させる。おそらくハルバードの間合いを警戒しているであろう敵のソリッドは、牽制射撃をとりつつも瞬時に距離をとろうとしていた。
「逃すかッ!」
ガルド・デュバルがハルバードを大きく振りかぶった直後、あろうことかナナキはそれを敵機めがけて投げつけた。ソリッドのパイロットも流石に投擲することは思っていなかったのか、対応が一瞬遅れる。それが彼の命運を分けた。ハルバードの回転する刃は真正面から胴体部へと直撃し、噴血のごとくオイルやパーツ類をえぐり出す。
だが、息もつかせぬうちにガルド・デュバルの背後から接近してくる機影があった。Eブレードを抜いたソリッドが、こちらに特攻まがいの突撃を仕掛けてきていたのだ。
ガルド・デュバルの手元からはハルバードが失われており、他にソリッドの攻撃を受け切れるだけの武装はない。あるのは左手に装備した小型のシールドくらいだ。
完全に丸腰の状態となっているガルド・デュバル。このまま、ソリッドの剣撃の餌食となってしまう他に道はないのか。
「……と言うとでも思ったかッ!!」
最低限の動きのみでソリッドの一閃をギリギリで躱す。それと同時に、ガルド・デュバルの左腕に装備された盾が、ソリッドの腹部へと叩き込まれた。
刹那、火薬が炸裂する衝撃とともに、シールドの先端にある鋭利な部分が突き出される。盾……いや、もはや槍と形容するほうが適切であろうその防具の不意な刺突は、ソリッドの背部ブースターを貫くまでに至った。
「ハハハッ! 残念だったな、これは“パイルシールド”なのだよッ!!」
炸薬を用いて杭を射出する機構を備えた、攻防一体の小型シールド。それこそがガルド・デュバルに装備されたパイルシールドである。
恐ろしく短い射程や取り回しの悪さから、極めて限定的な場面でしか扱えない武装ではあるものの、それはかえってナナキの確かな実力を証明するのに一役買っていた。
「キメラ・デュバル、いま援護に赴く!」
《た、助かる……クッ!》
宙を漂っていたハルバードを回収し、すぐさま苦戦している味方機の元へと向かう。パーツ不足という理由により左腕をソリッドのものに換装したキメラ・デュバルが、2機の敵機に囲まれながらも縫うように飛んでいる状況だった。
ガルド・デュバルがすんでのところで射線へと飛び込み、アサルトライフルの弾丸をパイルシールド表面で受け止める。次いでハルバードランチャーを小出力で撃ち返しつつ、ナナキはキメラ・デュバルの搭乗者へと呼びかけた。
「大丈夫か!?」
《ああ、おかげさまでな……!》
コスモフリートの少年、デフ=ハーレイはぶっきらぼうに応える。彼も御多分に漏れずインデペンデンス・ステイトとの共闘に反感を抱いている者の一人ではあったが、それでも今は怒りを堪えて共に戦ってくれている。
「敵だった者に背中を預けるのは、まだ不安か?」
《そりゃあな。あんたらは俺のダチを、シーザーを殺した。俺はそれを忘れないし、許すつもりもねぇ》
『でもよ……』とデフは言葉を紡ぎつつ、ガルド・デュバルに背中同士を合わせる。それは、互いに命を預けあうことを認めたという意味を含んでいた。
《俺もあんたらも、今は同じモンを背負ってる。
「守りたいもの、背負ってるものがあるから……か」
《へっ、半人前がほざいていいセリフじゃないってわらうか……!?》
「いいや、そういうのは私も嫌いではないッ!」
背中合わせとなったガルド・デュバルとキメラ・デュバルが、辺りの敵機に銃撃の連射をばら撒いていく。銃口の向いた先で次々と敵機が炎へと包まれていき、周囲の敵勢力は少しずつ掃討されていった。
「別働隊の侵攻も順調なようだ! このままなら、いけるぞ……ッ!」
敵艦から出撃したDSWの数は確実に減りつつある。この調子で戦力を削いでゆくことができれば、いずれ敵艦を包囲し投降へと追いやることができるだろう。幸いにもこちら側の現時点での損傷率はかなり低く、あわよくば勲章ものの勝利を収めることも可能かもしれない。
部隊を率いる者として、これ以上の喜びはないだろう。戦闘中であるため安堵とまではいかないものの、ナナキは微かに口元を綻ばせていた。
遠くの戦場で眩い光の放流が迸ったのは、その直後だった。
「なんだ、あれは……」
その光景はまるで、宇宙歴が創生する瞬間に立ち会っているかと思わせるような、壮絶かつ壮大なものだった。
おそらくこの場にいる全ての者は一瞬、宇宙が静止したような錯覚に陥ったことだろう。その直後に放たれた膨大なエネルギーの渦はあまりにも美しく、それでいて何よりも恐ろしかった。水色を帯びたその光線が、見るものに死を連想させたからだ。
満ち溢れた螺旋が、周囲一帯を取り囲んでいたインデペンデンス・ステイトのDSWたちを巻き込み、塵へと変えていく。目撃していた者たちの
別働隊の過半数を飲み込んだ光は徐々に和らいでいき、やがて静寂だけを残して消え去る。すかさずナナキはガルド・デュバルの“サーチ・モード”を作動させ、最大望遠で光の正体を探った。
「……ッ! これは、まさか……!?」
鉄の残骸が漂う宙域の中心に、四肢を持つ巨大な影があった。
そう。あれは紛うことなきDSWだ。たった一機のDSWが、これほどまでの破壊を齎したというのか。
冷気を帯びたような青い装甲。触れるもの全てを傷つけてしまいそうな、他を寄せ付けぬ殺気を放つ鋭利なシルエット。鬼のような二本角を頭部に生やし、左右対称に配置された四つのカメラアイがオレンジ色に怪しく輝く。
間違いない。あの機体は──。
「“ファントマイル”だと……? どういうことだ、あの機体はまだ未完成の筈ではなかったのか……ッ!?」
もしくはこの一ヶ月の間に、実戦投入できるレベルにまで開発を推し進めていたとでもいうのか。
そんな彼らの意を踏みにじるかのように、ファントマイルの双眸がこちらへと振り向けられる。
──次はお前達だ。
そう告げるかのように、青き死神が次なる戦場へと生き血を求めて弾け飛んだ。
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