第21章『獄中のミリア 3』

 ハエのように宇宙を蠢く敵機を、正面ディスプレイに表示されたロックオンカーソルが執拗に追いかけてゆく。

 飛び回る敵DSW──ギム・デュバルと照準が重なる。

 その一瞬をアレックスは見逃すことなく、すかさずトリガーを引いた。放たれた火線は発砲者の思惑通りに空間を真っ直ぐに突き進んでいき、敵機の装甲面へと食らいついた。

 いや、違う。弾丸はギム・デュバルの脇を微かに掠めただけだ。

 対峙するギム・デュバルは依然として健在であり、弾かれたようにこちらへと急接近してきた。


「くっ……うぅ……ッ!」


 すぐさまアレックスは乗機に回避運動をとらせようとする。が、敵のヘッジホッグによる刺突のほうがわずかに速い。

 エネルギースピアの鋭い光が迫り、視界を照らし尽くした。続いて、けたたましい爆音と共に砂嵐のノイズがモニターを覆う。眼前に被撃墜と各パラメータを示す文字列が現れ、シミュレーション終了のブザーが鳴り響いた。


「また、完敗だった……」


 今回の戦闘での分析結果に目をやりながら、アレックスはほっと溜め息を吐く。

 チャーリーの誘いを受けたアレックスは、格納庫にある仮装戦闘シミュレーターを用いた訓練に精励していた。その結果は著しいものではなく、チャーリーとの一対一サシでの勝負は5戦中たったの一度も勝つことが出来なかった。


「お疲れ。これ飲んで休憩しなよ」


 マシンを降りて座り込むアレックスに、サクラからドリンクのボトルが差し出される。アレックスは一言礼を言ってからそれを受け取ると、喉を盛大に鳴らしながら乾きを潤した。

 ストローから口を離すと、アレックスは自嘲気味な笑みを浮かべて己の非力を嘆き始める。


「デフやナットとはこうしてシミュレーターで何度も手合わせしていたけど、全然強くなってなんかいなかったんだな、僕は。自分が情けないよ……」

「気を落とすことはないって。だってチャーリーは正真正銘うちのエースだし、それこそ単純な操縦技術だけなら、多分ナナキ隊長より凄いもん」

「それでも、こんなんじゃ全然ダメだ……」


 汗にまみれた右手を突き出し、何もない虚空を掴む。

 ミリアを救いたい。守れなかった大切な存在を、今度こそ自分の手で助け出したい。それを成し遂げる為には、もっと力をつけなければならない。

 アレックスがここまで力を渇望したのは、恐らく生まれて初めてだった。


「僕はね、強くなりたいんだ。いや、強くならなくちゃいけないんだよ……」


 誰に聞かせるわけでもなく、あるいは自分に言い聞かせるように、アレックスは吐き捨てた。その時、


「久しぶりだな。捜したぞ、アレックス」


 横から現れた男性の声に振り向く。その男が艦に同乗していることは知っていたが、こうして直接顔をあわせるのは着艦したとき以来だった。


「“父さん”……」


 自然と口から呼び名が溢れる。しかし、久しぶりに会う義父を前に、アレックスはそれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。話したいことや話すべきことは沢山あったはずなのに、いざ当人を目の前にすると、一体何を喋ればいいのかわからなくなってしまう。

 それはモーティマーも同様であり、気難しい息子の前でただ後ろ首をさすりながら困り果てているだけだった。

 しばらく居心地の悪い沈黙が続いた後、ようやくモーティマーのほうが口火を切る。


「あー、その、なんだ。少し話がしたかったんだが……お取込み中だったか?」

「えっ。えっと、この後もシミュレーションを続けるつもりだから、それが終わったら……」


「いや、訓練はここで一先ず中断としよう。お前はその男と話をしてこい」


 あまりにも辿々しい親子の会話を、向かいのシミュレーターから降りてきたチャーリーが遮った。親子水入らずの会話を期待し静観していたサクラは思わず頭を抱えたが、チャーリーは弁えることなく続ける。


「というよりも、お前は一度訓練から離れる必要があるな。立て続けに行うのは却って効率が悪い」

「待ってくれチャーリー。僕には休んでいる時間なんて……!」

「その焦燥が、仲間を危険に晒す」


 チャーリーの放つたった一言に、アレックスはまともに反論することさえ出来なかった。彼の言葉は極めて正論であり、そして無慈悲な現実そのものでもあったからだ。


「……そうだね。君の言う通り、頭を冷やす時間も僕には必要なのかもしれない」

「安心しろ。訓練の相手ならいつでも付き合ってやる」


 それだけ言うと、チャーリーは身を翻しその場を後にする。それを見たサクラも慌てて立ち上がり、彼の背中をすぐに追いかけて行った。

 シミュレーターマシンの前に、アレックスとモーティマーだけが取り残される形となる。特にこれといった会話が交わされることもなく、格納庫の喧騒だけが虚しく響き渡っていた。


「……とりあえず、場所を移動しないか?」


 精一杯父親をやろうとしている男が考え抜いた末に出したのは、そのような提案だった。



「ここ、勝手に使ってもいいのかな……。僕は一応、コスモフリートの人間なのに……」

「一時的にとはいえ、今は目的と行動を共にする同志なのだ。問題はないだろう」


 アレックスがモーティマーに連れてこられたのは、アルゴス艦内にあるレクリエーションルームだった。

 ソファに座らせられ、比較的安価な合成コーヒーの入った紙コップを目前のテーブルに置かれる。しかしアレックスはそれを手にすることなく、ただ呆然と黒い水面に視線を落としていた。


「同志……。確かにそういうことにはなっていますけど……でも、心のどこかで割り切れていない自分がいるんです。僕たちはこれまでに何度も彼らに銃を向けられてきたし、逆に銃を向けたことだってあった……」

「……そうだな」

「本当はわかっているんだ。そんなことを気にしている場合じゃないっていうことは。……でも、また大切な仲間を失うことになるかと思うと、怖いんだ。足をすくわれてしまうんじゃないかって、怯えてしまう……」

「インデペンデンス・ステイトの人間が、信じられないと」

「少し、違う。僕が信じられないのは、人を信用しきれない自分自身なんだ。誰も殺したくないなんて言っておきながら、僕は武器を握っていないと安心できなくなってしまっている。僕がこんなんだから、ミリアはさらわれてしまったんですよ……!」


 モーティマーが苦い汁を一口すすり、再びコップをテーブルに置く。息子のアレックスがこれまでに辿ってきた壮絶な戦いの日々は、わざわざ聞くまでもないだろう。それほどに今のアレックスからは確かな成長を感じ取ることができ、同時にひどく疲弊しているようにもみえる。良くも悪くも、彼は前に会ったときよりも大人になっていた。

 だからこそモーティマーは、決してアレックスを軽んじたりはしない。あくまでも対等な男として話をする。


「アレックス、それは違う。お前のことだ、後悔しない選択をしてきた上で、こういう結果になってしまったんだろう。お前は精一杯すぎるくらいに頑張ったんだ。悔やむことはない」

「でも、現にミリアは守ることができなかった……」

「そうだ、だから責任は感じろ。そして二度と失敗をするな。人が壁にぶち当たってしまった時はな、そうやって乗り越えていくしかないんだ」


 言葉は違えど、モーティマーが語ったのはデフを励ました時と同じことだ。その言葉は彼自身の経験に裏付けられたものであり、いわば彼にとって人生の縮図であるとも言えるだろう。

 しかし、それを聞いたアレックスも頷くことまではしなかった。懐疑心の強い彼がこんな言葉如きでは納得しないだろうということは、モーティマーもある程度予想がついていたことである。


「フッ。変わっていないな、お前は」

「……そうですか?」

「ああ、お前は昔っから頑固で聞かん坊だったからなぁ。おかげで孤児院に入所したばかりの頃は手を焼いたもんだ。妹以外は目の敵にしていて、ぶっ倒れかけるまで飯もまともに食わなかったこともあったくらいだし」


 『でもな』と、モーティマーの顔つきが一転して真剣なものとなる。


「父さんや、仲間にはいつでも頼っていいんだぞ。お前は一人じゃない。仲間を守っているお前は、仲間に守られたっていいんだ」


 自分一人で背負いこんで欲しくない。それはモーティマーが、アレックスの味方でありたいと思っているからこその願いだった。

 時に自ら進んで茨の道を進もうとするようなアレックスの生き方は、決して一人で歩んでいけるような生易しいものではない。何より、彼自身の心はそこまで頑丈に出来てなどいない。だからこそ、モーティマーは一人の子の父親として、彼に頼って欲しかったのだ。

 だが、彼がどこまでも一人で背負いこもうとする性格なのだということも、モーティマーにはわかっている。きっと今の言葉も、アレックスの心の壁を溶かすまでには至らないだろう。


(全く、ダメな親父だな。俺は)


 息子の闇を解消してやれない自分に、モーティマーはこめかみを痛めた。



 ミリアが独房に閉じ込められてからというもの、かなりの長い時間が経ってしまっていた。

 15日目を過ぎたあたりから日数を数えるのは止めており、それからさらに何度眠り、叩き起こされるのを繰り返しただろうか。昼夜の感覚も完全に狂ってしまっている。

 なんで自分がこんな目に遭わなければいけないのか。この獄中の日々において、そのような懊悩が解決されることはなかったが、それでも一つだけわかったことがあった。


(──この世界はどこまでも、加害者に優しく出来ている)


 弱冠13歳の少女が見出すには、あまりにも惨たらしい真実。しかし光を失ってしまった今のミリアの眼には、もはや世界などそのようなカタチとしか捉えることが出来なくなってしまっていたのだ。


(お兄ちゃん。私はここに閉じ込められてからずっと、にしてきたよ……。傷つけるくらいなら、傷つけられたほうがいい。泣き寝入りだって構わない。お兄ちゃんがそう言っていたから、私はここまで耐えてきた……)


 にはなりたくなかった。

 自分に優しくしてくれたアレックスに、嫌われたくなかったから。その一心で、ミリアはここまで耐え忍んできた。

 でも、現実はどうだ。


(お兄ちゃんの言う善い子って、ってことでしょ……?)


 それに気付いてしまった途端、何とも形容しがたい絶望感に苛まれた。


(ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんって、本当に優しい人なの……? 私がいま苦しんでいるのは、お兄ちゃんのせいなのに……)


 それは言い掛かりだ。わかっている。

 ミリアに直接手を下しているのはU3Fの下士官達であり、彼らを仕向けているのはアーノルド=ルドウィックという拷問好きの将校だ。

 それでも、今の自分を苦しめているのはアレックスだという疑念が掻き消えることはなかった。彼が常日頃から口にしていた言葉を思い出すことがなければ、ミリアはとっくに理性が吹っ飛んでいたことだろう。

 感謝しているのではない。ことに、ミリアは微かに苛立ちさえ覚えていた。


(壊れてしまえれば、どんなに楽だろう)


 破滅の道でさえも、まるで希望の光のようにみえる。ミリアを取り巻くのは、それほどまでに深い闇だ。

 死にたい。殺して欲しい。

 今の自分は、酷く惨めだ。

 そのようなミリアの思いは、当然ながら誰にも聞き届けられることはない。

 むしろそれを跳ね除けるかのように、今日もアーノルドが絶望を運んでやってきた。


「こんにちは、ミリアちゃん。さあさ、お手を」


 牢屋の鍵を開けられ、ルーチンワークをこなすように手錠を嵌められる。ミリアも最初こそは暴れるなどして抵抗を見せていたものの、今では皮肉にもスムーズになったものだ。

 抗ったところで、意味などない。疲れるだけである。

 そんなことをせずとも、既にミリアの精神はとっくに限界を超えていた。

 無気力に支配されるがまま、今日もいつものように裸足で廊下を歩かされる。その間にミリアがやることといえば、現実逃避くらいのものだ。

 そしてミリアは、またしても自分のこれまで行っていた失態に気付いてしまう。


(なんで私、また現実から目を逸らそうなんてことしてるんだろう……。そんなことをしているから、心は壊れてくれないのに……)


 現実逃避というと聞こえは悪いが、要は精神の防衛手段に過ぎない。つまりミリアは無意識のうちに、迫り来る恐怖に対してとしていたのだ。

 人の心は脆い。けれども、そう簡単に壊れるようには出来ていない。

 だからこそポニータも、自殺という形で己の人生に幕を閉じたのだろう。肉体の生きようとするパーツを止めてしまえば、それだけで人の心は苦しみから解放されるのだから。


 そんなことを考えているうちに、気がつけばミリアは誰かの個室に立ち尽くしていた。近くにアーノルドの姿はなく、代わりに薄着となった男の兵士がベッドからこちらを招いている。

 あの男は苦手だ。これまで何度か相手をしていたが、彼はこちらへの気遣いなど全くの皆無である。痛みを訴えたところで、力を緩めてくれることもない。だから嫌だった。


「なにボケっと突っ立ってやがる。はやくこっちに来な」


 促されるがままにミリアは男の隣に座る。嫌悪感は依然として否めないままだったが、だからといって避けることはできない。何より、さっさと終わらせてしまいたい。


(でも、はやく終わらせたところで何も解決なんてしない。ひとつ絶望を乗り越えたって、また次の絶望がやって来るだけ……)


 自分が閉じ込められているのは、獄中という名の迷宮。

 ここから脱け出す為には、やはり方法は一つしかないのだろうか。

 男が執拗にミリアの肌を触ってくる。そこにはなんの快感も伴わない。ただ、ハエがたかっている程度にしか思わなかった。

 この間もミリアは思考の世界へと逃げ隠れる。彼女の前に現れたのは、今は亡きポニータの幻影だった。


(ポニータさん。私もそっちにいけば、楽になれるの……?)


 その問いに答える者はいない。ただ、舌に触れる粘膜の感触が心底気持ち悪かった。

 肉体なんて、今のミリアにとっては枷でしかない。できるものならとっとと捨て去ってしまいたかった。




『死んじゃえば、楽になれるのかな……』


──……! 何を言い出すんだミリア、そんなのダメだ!




 やっぱりだ。

 自分を殺すという選択を、心の奥に住み着く兄は断じて許してくれない。

 このまま自分は、永遠に傷つけられ続ける人生を歩んでいくことになるのだろうか。












──負の感情を否定してはダメよ。



 その時、悪魔がミリアに囁いた。



──それはあなたの根底にある“願い”だもの。ねぇ、ミリア。あなたはどうしたいの……?


(私が……したいこと……)


 そんなものは決まっている。

 一刻もはやく。この苦しみから解放されることだ。

 ミリアに語りかけるその言葉は確かに人を墜落させてしまうような忌むべきものではあったが、それでも彼女にはそれが何よりも甘く優しかった。


 やはり、迷ってなどいられない。





















 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る