第18章『疾走、モーティマー 12』
『いいか、まず俺が囮になる。その隙にお前たちは散開して目標の背後へと回り込み、ひたすら撃ち続けろ』
先ほど小隊長であるナナキから受けた指示を脳裏で復唱しつつ、チャーリーは愛機たるギム・デュバルを宇宙に奔らせていた。他の小隊員たちも同様の命令を受け、散り散りになりながらもタランデュラとの距離を着実に詰めている。
「
隕石群を抜けると、すぐにタランデュラの巨大な腹部がモニターへと映りこんだ。DSWとしてはあまりにも規格外の大きさに圧倒されつつも、チャーリーは慎重に照準を合わせていく。
『ヤツの弱点。それは“拠点防衛用兵器”としての役目を与えられたが故の機体構造だ』
兵士としての本能が、自然とナナキに言い聞かせられた言葉を想い起こさせる。
『ヤツは後ろにあるものを護るためだけに作られた、いわば巨大な盾なのだ。正面の敵を払い退けることには特化しているが、それの戦法は以外は度外視されている。そこに付け込むのだ』
それは、巨大兵器という単純過ぎる構造物故の弱点とも言えるだろう。背後の防衛目標を守りながら前方の敵を蹂躙すべく開発されたタランデュラは、初めから死角からの攻撃など前提にされていないのだ。
どんなに重装甲の機体であっても、スラスターを備えた面は決まって脆弱だ。そしてガルド・デュバルが正面から引きつけてくれているおかげで、タランデュラは依然として後ろをこちらに向けている。仕掛けるならば今しかない。
「
トリガーが引かれ、マズルフラッシュが視界に弾ける。それを皮切りに、他のギム・デュバルたちも砲撃を開始した。
無防備にもこちらに背部スラスターを晒すタランデュラに、無数の砲弾が吸い込まれるように迫っていく。しかし、直後にタランデュラがとった思わぬ行動に、チャーリーは自らの目を疑った。
タランデュラは左右に備え付けられた補助スラスターを最大出力で噴かせて急速旋回。有人機であれば中の搭乗者が過度なGにより潰されてしまいそうなほどの勢いであったが、無人機であるタランデュラは難なく正面へと向き直り、装甲の厚い胴体部で全てのライフル弾を受け切ってみせた。
《こいつ……意外と俊敏……っ!?》
《落ち着け、
まるで騎士が盾を構えたまま押し出すように、鈍重なボディが凄まじい速度で切迫する。部隊間の連携もあって、4機のギム・デュバルはこの鋭いチャージを辛くも回避することに成功。
しかし、真横を通り過ぎていったタランデュラはそのまま旋回すると、今度は近くを漂っていた巨大な隕石を8本の節足で引っ掴んだ。
《……ッ! 隕石を足場として固定することで、死角をカバーしようというのか……!?》
ナナキが驚きを口にした。
タランデュラのとった行動は、いわば盾の裏側に別の盾を構えたようなものだ。全長50メートルを誇るタランデュラ以上の直径をもった隕石など、生半可な武装ではとても壊しきれないだろう。
《ここに来て機転を利かせてくるなんて……! やっぱりあれは人が乗ってるんじゃ……》
《いや、有人機であれば先ほどの無理な急速旋回は出来まい。もしあるとするならば……》
「……学習機能を備えたAI」
チャーリーが呟くと、ナナキが『おそらくはな』と応答する。
ここまでの巨大兵器を操り、しかも戦闘中に柔軟な発想を駆使してくる人工知能など、チャーリーはこれまで聞いたことがなかった。しかし、LOCAS.T.C.の開発拠点であるケレス基地の秘蔵っ子ともなれば、自然と頷けるのも事実である。きっと水面下では入念なテストが積み重ねられてきたのだろう。たったいま対峙しているAIは、それほどまでに完成度の高さを痛感させるものだった。
《……ならば、人の叡智が電子回路を乗り越える瞬間を味あわせてやろう。
ナナキのよく響く声に、チャーリー含むトグリル小隊の全員は耳を傾けた。
*
「──とにかくチャージ完了までの時間を稼いでくれさえすればいい。時間がない、生きて還る為にも死力を尽くせよ……ッ!」
部隊員たちの返事を聞きつつ、ナナキはガルド・デュバルの右手に握った機体全長ほどあるハルバードをビームランチャー形態へと変形させる。最大出力で発射するために要する時間は約20秒と長い。しかし、敵が
ハルバードの頂端部から砲身が伸び、横から飛び出したグリップを空いている左手で掴む。ガルド・デュバルがランチャーを構えたのとほぼ同時に、ナナキが叫んだ。
「全機、行くぞ! これで終いにする……ッ!!」
《了解ッ!!》
一斉にトグリル小隊のギム・デュバル達が前進する。タランデュラは盾代わりの隕石を掴んで離さぬまま、36門からなるビームキャノンの砲撃を放ってきた。4機はギリギリまで引き付けた後にすぐさま散開し、タランデュラの注意を分散させてゆく。
複数対単数。数で勝っているからこその撹乱戦法は、極めて有効打であるかと思えた。
しかし、
《ぐああああああああああああああッ!!》
スピーカー越しに、ノイズにまみれた部下の悲鳴があがった。
「トグリル2ッ! どうした!?」
《しぐじった、武器ごと腕を持って行かれちまいました……! でも、時間稼ぎくらいならまだまだやれますよ……ッ!》
「くッ……すまない……!」
何よりも部隊全員での生還を重んじるナナキにとって、中破してしまった味方機を戦わせるなど言語両断であった。しかし、今は猫の手でも借りなければいけない状況であり、こんな状態の部下でさえ頼らざるを得なかった。
苦虫を奥歯で噛み締め、それすらも闘志に変えて、ナナキはただ蠢く敵機に照準を合わせることにのみ意識を注力する。
「
両腕を失ったトグリル2へと、追い討ちをかけるようにタランデュラが接近。
しかし、
「
尚も砲撃の手を緩めないタランデュラ。無数の閃光を前にしてチャーリーすらも全弾を回避することは叶わず、頭部や肩部、脚部を撃ち貫かれてゆく。
(はやく……はやくしないか……ガルド・デュバル……ッ!!)
トグリル4が、
(そうはさせまい……ッ!!)
部下は一人たりとも死なせはしない。
「
たとえそれが叶わぬ願いだとわかっていても、その目標を捨てることはできない。
捨ててしまってはいけないのだ。
「
これまで自分を救ってくれた命の為にも、これから自分が救うことになる命の為にも、大志を抱き続ける。
「……
それこそが、ナナキ=バランガという漢の在り方であり、生き様なのだ。
「……
ナナキの叫びに呼応するように、ハルバードの頂端部から青白い光の矢が迸った。細く鋭い閃光は宇宙の暗闇を瞬く間に突き進んでいき、隕石が行く手を阻むものならば容赦なく溶解させてゆく。
まるでヘラクレスの弓矢を彷彿とさせる
その光の矛先が今、最硬の盾たるタランデュラの表面装甲へと激突した。
爆炎が噴き上げ、宇宙を揺らしているかと思うほどの衝撃波がナナキ達を襲う。銃身が焼き尽きかけているハルバードランチャーを降ろしながら、ナナキは煙に隠れた敵機の様子を伺う。
「やったか……?」
手応えならばあった。
こちらの文字通り全てを賭けた一撃は、確かに毒蜘蛛の喉元へと達し、間違いなく突き刺さったはずだ。
これで倒しきれていないはずなどない。首は討ち取った。
ナナキはそう自分に言い聞かせた。
だが、終わってなどはいなかったのだ。
「な……に……?」
黒煙が次第に立ち退いてゆく。ボロ雑巾のように無残な姿となったタランデュラが、尚もレーザーキャノンに光を収束させていた。
ハルバードランチャーの一撃をくらい、胴体部には大きな風穴が開いていた。頭部さえも失っている。内部のパーツも露出し、それまで装甲の内側に隠れていたであろう赤いランプが点灯している。それでもタランデュラの放つ殺意は、微塵も失われてなどいなかった。
そこでナナキはようやく気付く。
蜘蛛は頭を失ってもなお、動き続けるのだということを。
ただの電子回路から、ただならぬ執念のようなものを感じ取り、“火星解放戦線の英雄”と謳われたナナキでさえも恐怖を覚えていた。部下達の感じている恐怖は、きっとこれ以上のものだろう。
その場にいる誰もが、動くことなどできなかった。
完全なる恐怖に支配されてしまった小人たちを前に、巨神の如きタランデュラが一歩分、前進する。
唯一絶対の神たるゼウスの
その時だった。
《インデペンデンス・ステイトのDSWども! 轢かれたくなければ今すぐ退けェッ!!》
宇宙の大海原を駆け巡った恐れ知らずな大海賊の声が、止まっていたナナキ達の思考を再びつき動かした。
*
「ははっ、こうしていると思い出すよなぁ……昔をさ……!」
長らく座っていなかったブリッジの操舵席で、バハムートは享楽と焦燥が入れ混じった不敵な笑みを浮かべていた。まだ宇宙義賊コスモフリートの規模が小さかった頃は、こうして艦長自らが操舵輪を握っていたものだ。自らの命を賭けるという彼の“選択”が、不思議と若き日の血を蘇らせていた。
バハムートがたった一人で操る戦艦コスモフリートは今、最大戦速による直線飛行をとっていた。
正面に捉えているのはもちろん、半壊状態の拠点防衛用巨大兵器──タランデュラである。
「情けないよなぁ、俺ってば……最期までこんな不器用な方法しか思いつかないなんてな……。けど、もう未練はねぇぜ……」
タランデュラがこちらに向けている36連装ビームキャノンは既に臨界へと達している。にも関わらず、バハムートは回避運動を艦にとらせることもなければ、減速することもない。そればかりか、ひたすらに加速し続けている。
そう、彼がたった今成し遂げようとしているのは、大破寸前のコスモフリートの船体を、同じく満身創痍のタランデュラへとぶつけること。
死を覚悟した者だけがなせる、最後の
──“銃弾には、無念だと散っていった人達の想いや、死んでいった仲間たちの魂がこもっている”。
タランデュラの構える砲台が一斉に線を放つ。それらは容赦なくコスモフリートの船体へと飛び込んでゆくが、それでも
消えゆく炎だけがみせることができる、盛大に燃え盛る魂の燃焼。その炎を導火線へと灯し、バハムートが持ち得る
「こいつぁ俺の、とっておきの大砲だ」
艦橋窓が砕け散った。ブリッジが黒煙に包まれ、機械の肺が鋭い痛みで満たされた。吹き飛んだ鉄の破片が
そんな状態になってしまってもなお、バハムートの黄金色の瞳はまだ輝きを失ってはいなかった。
「受け取れえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
噴き上がる炎すらも引き
バハムートの意思を、そして彼がこれまで背負ってきた無念や怨念すらも内包した圧倒的質量が、こちらを見下して嘲笑う神の刺客へと肉迫する。
──そうだろ、ナット。
激突。次いで衝撃が、バハムートの肉体を吹き飛ばした。
ぶつかり合った鋼鉄と鋼鉄がひしゃげ、絡み合い、押しつぶし合う。
バハムートは薄れゆく意識の狭間で、崩壊していくブリッジを、そして無残にも押し潰されたタランデュラの姿を視た。
「へへっ、成し遂げた……ぜ……」
そう独り言ちたバハムートに、崩れ落ちた天井が迫る。
刹那、残された一門のビームキャノンがまるで悲痛を叫ぶかのように吐き出され、タランデュラの活動はようやく停止を迎える。
二つの巨体は宇宙の闇へと還るように、灼熱へと飲み込まれていった。
*
基地最深部に仕掛けられたDOHボムが起爆し、ケレス基地は跡形も残さず焼き払われた。
コスモフリートを脱出した二隻のスペース・ランチは、ドロレスの進言もあって一先ずインデペンデンス・ステイトのルビゴンゾーラ級戦艦“アルゴス”へと収容されることとなった。
無論、コスモフリート乗組員の中にはインデペンデンス・ステイトとの一時休戦に異論を唱える者もいた。しかし、現に宇宙義賊コスモフリートは事実上壊滅してしまっており、またインデペンデンス・ステイト側としても組織力を失ったコスモフリートをこれ以上痛めつける理由はないとして、武装解除と軟禁の承諾という条件付きではあるが艦内への停泊を許した。
「嘘……だろ……? なあ、デフ。嘘だって言ってくれ……!」
ピージオンを降りたアレックスに待っていたのは、同じくキメラ・デュバルから降り立ったデフからの悪い報せであった。
出撃したヒューイ、ポニータ、ナットの三人が消息不明のまま帰還していないこと。
KTを筆頭とする裏切り者たちが、コスモフリート艦内にて反乱を起こしていたこと。
そして、友達であるミド=シャウネルが実は裏切り者側に加担しており、人質を連れて脱走してしまったこと。
その人質こそが、アレックスにとって唯一の肉親──ミリア=マイヤーズであることを聞かされた。
「嘘じゃ……ねぇ……。あいつは、ミドは敵だったんだよ! そしてミリアがさらわれちまったのも、
デフの声はひどく震えていた。自責の念に苛まれ、ここで拳銃を渡せばすぐに銃口を咥えてしまいそうなほどに危うい状態だった。こんなにも自身を卑下するデフなど、誰も目にしたことがなかっただろう。
しかし、そんな決して些細ではない親友の変化にさえも、放心状態のアレックスは気付くことができなかった。溢れ出る感情をせき止めるのに精一杯で、それどころではなかったのだ。
「なんでだよ……。なんでミリアなんだ……?」
殺しは勿論、本当はDSWに乗って戦うことだって本心ではない。それでも、大切な人を守るためだと思えば、アレックスは引き鉄を引くことができた。
なのに、なぜ。生き延びて帰ってきたら妹の姿がなくなっているのだ。
──よりによって……。
彼女の脆さも、彼女がこれまでに味わってきた苦しみも、アレックスは誰よりも知っているつもりだ。
だからこそ、たとえ何があっても側についてあげなくちゃいけないのに。
そのために握りたくもない銃を握ったのに。
守るために力を振るったのに。
──なぜ……!?
現実は、いつもこうだ。
神はまるで僕らを嘲笑うかのように、理不尽な世界を構築する。
──どうして……?
アレックスは、己の運命を憎悪した。
「アレックス。お願いだ、俺を殴ってくれ……ッ! なんなら殴り殺してくれたって構わない……っ!」
デフの悲痛な叫びに、アレックスの意識が現実へと引き戻される。彼からこのように言われたのは二度目だった。
しかし、今のデフは『ミスト・ガーデン』を彷徨っていた時の彼とは違う。そこには謝罪や贖罪の意すらない。怯えきった形相の彼は今、果てのない苦しみから逃避するためだけに、友人の拳で自分を痛めつけようとしているのだ。
「デ……フ……」
そんな理由で、親友は殴れない。殴ってはいけない。
わかっていた。
わかっていたのに、気がつけばアレックスの拳には力が込められていた。
「僕は……僕……は……っ」
ついに心の痛みに耐えきることができず、瞼の裏から苦い涙が溢れた。
身を切り裂くような後悔、雪辱、憤怒。
ドス黒い感情の波を、抑えることができない。
──何を迷うことがある。
駄目だ。堪えろ。
──デフだって、これは自分の所為なんだと言っているじゃないか。
堪えたからどうなるというのだ。
こんな主義を押し通して、一体何になるというのだ。
綺麗事では何も救えないのに。
ミリアは、守れなかったのに。
──何よりも、早くこの苦しみから逃げ出したかった。
「うっ……うぅ……うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
格納庫中に響き渡るほどの叫び声をあげながら、アレックスは握った拳を大きく振りかぶった。
拳を受け止める覚悟をしたデフは、涙を滲ませながらも歯を食いしばる。
かつて殴られ屋と呼ばれていた少年は、この時はじめて獣のように人を殴ろうとした。
人としての退化と定義していた“暴力”を、自らの手で振るってしまったのだ。
「そこまでにしておきたまえ」
しかし、アレックスの拳がデフに届くことはなかった。
唐突に割って入ってきた第三者が、アレックスの手首を掴んで止めたのだ。
「何よりも今は、“
声の主のほうを振り返る。
そこには、よれよれのトレンチコートに身を包んだ長身の男がいた。
身軽そうな黒い短髪に、跳ねたもみ上げ。男性にしては長いまつ毛やつぶらな瞳は、彼を実年齢以上に若くみせている。
その人物を、アレックスは知っていた。
忘れるはずがない。ずっと心中で気にかけていた男が、目の前にいる。
「……話は後で聞かせてもらうぞ、アレックス」
「“父……さん”……」
J.E.T.S.の代表取締役会長としてではない。
厳格な父親としてのモーティマーが、そこにはいた。
*
(あれ……ここは、どこ……?)
眠りから覚めたミリアは、気がつくと自分が知らない場所にいた。
薄っすらと照明が照らしてこそいるものの、やけに暗い部屋だ。なぜ自分がこんな場所にいるのか──あるいは連れて来られてしまったのか、検討もつかない。
ただわかるのは、自分が後手に縛られてしまっていること。周りを銃を構えたU3Fの軍人たちが取り囲んでいること。そして、眼前でミドが誰かと会話をしているということだけだ。
ミドと対峙しているのは、目測でも2メートルはありそうな、浅黒い肌の巨漢。王族服を彷彿とさせる衣装に身を包み、暗黒よりも深い闇を宿したような紅い瞳は、姿を見たすべての者を警戒させた。
そのような男を目の前にしたミドは、まるで親の仇を見ているかのように敵意を包み隠そうとはしていなかった。
「──俺の名はミーディール=ツェッペリン。正真正銘、あんたの血を引いた烙印だ。信じられないというのなら、DNA鑑定にでもかけてみればいい」
ミドの喋っている言葉が、ミリアには半分も理解できなかった。
それでも、彼が何やら危ない橋渡りをしているのだということは、張り詰めた雰囲気から何となく察することができた。
「ほう。それで、我輩に物申したいこととは」
「……彼女の、命だ」
喉奥から辛うじて絞り出すように、ミドが言う。
「あんたらが捕らえたっていう他の捕虜はどうだっていい。でも、ミリアの命だけは絶対に奪うな。それだけは、約束してくれ」
すると、ミドと話し合っていた大柄な男は突然高笑いをし始めた。やがて哄笑が収まると、口元に歪な笑みを浮かべる。
「フッ……お前の眼は好きだ。付いて来い、奥で話をしようではないか」
男が身を翻し、ミドもそれに続く。部屋の出入り口を潜ろうとする寸前、彼はすぐ近くにいた将校へと声をかけた。
「アーノルド少佐。捕虜の扱いについては貴公に全て委ねる」
「かしこまりました。ミスター・プレジデント」
アーノルドと呼ばれた将校は深々とお辞儀をすると、過ぎ去ってゆく二人の背中を見届ける。そして扉が閉まるのを確認すると、彼はミリアの方へとゆっくり近づいてきた。
「初めまして、お嬢さん。名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「あ……、ミリア……マイヤーズ……」
その将校は服装こそ周りにいる軍人たちと同じものであったが、印象はこれまでミリアが抱いていた軍人像とはかなり異なっているように思えた。
穏やかな笑みを崩さず、物腰も柔らかい。直感ではあるが、紳士的で優しそうな男の人にみえた。少なくとも、頭でっかちな軍人のようにはとても思えない。
「ミリアちゃん……良い名前だねぇ。ついでにもう一つ、つかぬことをお聞きするけどいいかな?」
例え相手が遥かに歳下であってもあくまで下手に出るアーノルドに、気付けばミリアは小さく頷いていた。こんなわけのわからない状況下で、頼れるのはこの人くらいだと思えたのだ。いつの間にか、心を許してしまっている自分がいた。
「では……彼女のことは何か知っているかい? 帰還中の兵士が保護したものでねぇ」
アーノルドが部屋の片隅を指差し、ミリアも顔をそちらに向ける。
視界に飛び込んできたのは、傷だらけで横たわっているパイロットスーツ姿の女性だった。褐色の肌にボリュームのある赤毛のポニーテールが特徴のその人物の名を、ミリアは反射的に叫ぶ。
「ポニータさん……!?」
よく見ると彼女の右腕はあらぬ方向に曲がってしまっており、パイロットスーツにも焼け焦げたような酷い跡がある。心配するあまり駆け寄ろうとするミリアだったが、背後からアーノルドに肩を強く掴まれ、拒まれてしまった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと息はありますから。それよりも彼女とは、どういったご関係で」
「え……? ぽ、ポニータさんは……コスモフリートで親切にしてくれて、それで……」
「ふむふむ、わかりました。もう結構ですよ」
一生懸命に言葉を紡いでいる途中だったが、アーノルドは勝手に納得した様子でミリアが喋るのを止めてしまった。彼はミリアと向き合うと、心底申し訳なさそうに後頭部を抑える。
「いやぁ、大変申し上げ難いんですけどねぇ。いくら子供とはいえ、君があの
「それって、どういう……?」
「ええ、つまりですね」
アーノルドが困ったように苦笑いを浮かべる。状況が上手く飲み込めない中、彼の言葉だけがミリアの行く先を示してくれているような気がした。
だが、一瞬でも抱いた希望はことごとく打ち砕かれることとなる。
和やかに綻んでいたアーノルドの口元が、突然に裂けたのだ。
まるで悪魔のように残忍な笑い方をするアーノルドを見て、ミリアはようやく気付いてしまった。この男は、化けの皮を被っていただけに過ぎなかったのだということに。気付くのが、あまりにも遅すぎた。
目の前の男の変貌に言葉を失うミリアだったが、足が竦んで逃げることができない。アーノルドの細く鋭い瞳から放たれる圧が、それを許さなかった。
「死なない程度に、壊せさせて頂きますよ。ねぇ、ミリアちゃん」
ねっとりと、アーノルドの粘液に塗れたような声が耳元で囁かれる。
自分がいつの間にか居たこの場所。
それは地獄であったと、この時ミリアは確信した。
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