第8章『疾走、モーティマー 2』
パウリーネによるインプラントの再調整作業から解放された頃には、既に時間は昼頃を回っていた。
昼といっても、宇宙戦艦の中では太陽が昇ることも降りることもなく、当然ながら昼夜があるわけではない。しかし、完全に昼夜の概念を廃してしまうと不便に思えてしまうのが人間であり、乗組員たちは基本的にグリニッジ標準時刻を基準として、ある程度のリズムに則った生活を送っている。
地球の地を訪れたことは一度もなかったが、このような地球の生活環境に由来した文化を“地球の重力に魂を引かれている”と形容するらしい。アレックスのような宇宙暮らししか経験していない人間ですら、地球と同じような生活を送るよう仕向けられているというのは、考えれば妙な話だ。
インデペンデンス・ステイトを筆頭とする反政府組織の起源も、おそらくそこにあるのだろう。今や世界の統治者である国連政府はきっと、宇宙市民にも地球と同じ暮らしを強いることによって、無意識のうちに地球を尊いものとして崇拝させるよう仕向けているのだ。
(まあでも、地に足が付いていると落ち着いてしまうのもまた事実なんだよな)
理屈を抜きにしても、人はその構造上、地面に立っていた方が安心してしまう生き物なのである。だからこそ、このコスモフリートにも非効率な重力ブロックをわざわざ搭載しているのである。
そんな重力ブロックの一角にあるレクリエーションルームは、乗組員たちにとって憩いの場となっていた。現に今もアレックスは『ミスト・ガーデン』の仲間達と共にテーブルを囲み、各々で軽食を摂ったり、会話を楽しんでいる。
「なんか暗いねぇ、アレックス。キャラメルいる?」
「あ、テオ……。いや、いいよ」
「そっか」
不意に飛び込んできたテオドア=グニスの声に、考え事をしていたアレックスはようやく我に返った。無邪気にこちらの顔を覗き込んでいたテオは、差し出していたキャラメルを自分に放り込むと、うっとりとした表情で甘味を味わう。年少のテオにさえ気を遣われてしまったことに、アレックスは内心気恥ずかしさを覚えた。
「何かあったんでしょう。アレックス」
こちらを気にかけているのか、心配そうにエリーが問い詰めてくる。
「別に、何も…」
「何か大きなミスをしてしまった。そんなところでしょう?」
バツが悪そうに誤魔化そうとするアレックスであったが、どうやら彼女の全てを見透かすような眼差しに対しては無意味だったようだ。
すっかり心のうちを暴かれてしまったアレックスは、仕方なくエリーや聞き耳をたてる仲間たちに弁明する。
「少し違う、僕は失敗したとは思ってない。でも、味方がそれを認めてくれなければ、それは致命的なミスなんだよな……」
「……さっきの戦闘の事か」
デフの言及に、アレックスはコクリと頷く。
十数時間前のU3Fとの戦闘において、アレックスはひと1人の命さえも奪わないよう徹底した。具体的に言えば、敵DSWの武装や腕部、脚部のみを破壊し、戦闘能力だけを奪っていったのだ。これによって、少なくともアレックスと対峙した敵兵は誰一人として戦死せずに済んだ。彼らの時間は、今も途絶えることなく続いているはずである。
(……でも、これではきっと“正解”としては完全ではないんだ)
実戦で不殺を行なったことで、実感として浮き彫りになった問題が幾つかある。その一つが、『戦闘能力だけを奪うという行為が、本当に不殺へと繋がるのか』という疑問である。
おそらく答えは“否”であろう。アレックスが行なったのは、『戦闘の行えない状態を強制した』ことと同意義である。たとえ敵兵が継戦を望んでいたとしても、その者から『戦う』という選択肢自体を奪い取ることなのだ。
これは傲慢であり、実行し続けたところでアレックスの自己満足にしか繋がらない。ましてや、武力をもって武力を制するなど、ルーカスの目指した“平和”とさほど変わらない。それでは、いけないのだ。
そして、重大な問題はもう一つある。
「僕の行いは……僕の善意に基づいた行動は、
ナットからも散々言及されたように、不殺はダイレクトに味方にまで被害が及んでしまうという危険性を伴う。味方全員が不殺主義者なんていう例外でもない限りは、集団に属する者が行っていい行為ではないだろう。それこそ、もしそれが原因で死者が出てしまいでもすれば『済まなかった』では済まされないのだ。
「確かに、ナットの言う通りかもな。生き延びようってんなら、結局は戦うしかねぇだろうし」
デフの意見はもっともだ。武装した敵が明確な殺意を持って向かってくる以上、こちらも相応の対処をしなければならない。そのことは、アレックスとて承知しているつもりだ。
『でもよ』と、デフは続ける。
「実際にDSWに乗って戦って、お前の気持ちも痛いほどわかった。人を殴れば拳が痛むみてえに、人を殺しちまえば心も痛むんだってことをさ」
デフは己の握り拳に視線を落とす。かつては憂さ晴らしのために他者を殴り続けてきたその拳も、今は血で汚れてしまっている。しかし、デフ自身はそれを気に病むことはあっても、後悔することはない。その穢れは仲間を守るために拳を振るった時についた傷の勲章であり、いわば彼にとっての誇りでもあったからだ。
「戦いについて、俺はお前ほどよく考えてもいねえし、そうするつもりもねぇけどよ。アレックスはそのままでいいと思うぜ。」
「デフ……。でも、そうすれば君にも危険が及んでしまう……」
「らしくねぇなぁ! 頑固者のアレックス様はどこに行っちまったんだぁ?」
バンッ、とデフがアレックスの小さな肩を叩く。
「俺は仲間を守るために敵と戦う。でも、お前にまで殺しに慣れて欲しいとは思わない。“殺す覚悟をしない覚悟”なんて、それこそお前くらいにしか出来そうにないしな。なぁに、もしもの時は俺がお前を守ってやるから心配するなって!」
言って、デフは少年らしい笑顔を向ける。彼の言葉に、エリーやミランダも後に続く。
「私も、いつだってアレックスの味方よ。だから安心して、アレックスは自分の道を進んでいって欲しいと思うわ」
「そうですよ。そうしていた方が先輩らしいですしねっ。何かを成し遂げるために努力する男の人って、カッコいいと思いますし!」
デフや二人の少女が自分を励ましてくれている。それは、ともすればアレックス以上に青臭いものではあったが、それでもアレックスは彼や彼女らの言葉に少しだけ救われた気がした。自分の掲げる理想は、決して自分だけが思い描いているものではないのだと、改めて思うことができた。
しかし、この場にいる全員がアレックスに同調するわけではない。
「でも、本当にそれでいいのか……? 敵を殺さなかったばかりに俺たちまで死んじまう羽目になっちまうなんて、俺はゴメンだぜ……」
「ミド……」
ミドの重々しく放った一言が、アレックスに突き刺さる。アレックスは黙って彼の言葉を受け止めていたが、デフが先に口を開いた。
「おい、ミド! お前……」
「だってそうだろ……? 敵はこっちに銃を向けてくるから敵なんだ。じゃなきゃ、そもそも戦争にだってならない。なす術があるのに殺されちまうなんて、ハッキリ言って……マヌケだぜ?」
「それ以上言うな! じゃないと……!」
業を煮やしたデフがミドの胸ぐらを掴む。今にも殴り合いに発展しそうなほどに険悪な雰囲気を放つ二人の間に、エリーが仲裁に入ろうとする。
「やめてデフ! ミドも……!」
「……私も、ミドと同じ意見かも」
そう言ったのは意外にも、それまでテーブルの隅の席でやり取りを静観していたミリアだった。
「だって、相手は武器を……暴力を振るってくるのに、こっちはそうしないなんて……。それって泣き寝入りってコトでしょ……? 私はそんなの、ヤダよ」
ミリアの言うことは正しい。相手への仕返しを諦めるというのは、誰だって不満に思うことだろう。しかし、アレックスはどうしてもそれを容認することができなかった。
「ミリア、それにミド。僕は……泣き寝入りだって構わないよ……」
「ア、アレックス……?」
心配そうにこちらの様子を伺うエリーの声も、怪訝の表情を浮かべるミドやミリアの姿にも、アレックスには届かない、見えていない。彼の青い瞳には、最早かつて自分に理不尽な暴力を振るってきた両親や不良たちの姿しか映っていなかった。
「暴力なんて手段に溺れるのは、愚かしくて弱い人間だけだ……。でも、僕はあいつらなんかとは違う……、僕は、強い。そうだ、僕は強いんだ。だから、強く在り続けなきゃ……。あっ……」
言葉を紡いでいるうちにやっと冷静さを取り戻したアレックスは、周囲を取り巻く空気がひどく張り詰めていることにようやく気付く。この状況を作り出してしまった原因は紛れもなくアレックスであり、主張をぶつけ合った少年少女ら全員であった。
しばらくの間、レクリエーションルームに気まずい沈黙が流れる。これほどまでに重々しくなってしまった空気の中で、そうやすやすと口を開ける者などいなかった。
だからこそ。
「んー? よくわかんないけど皆、キャラメルいる?」
そう言って人数分の銀紙に包まれたキャラメルを差し出してくれるテオドアの存在は、誰もが『ありがたい』と思わざるを得なかった。
*
「なるほどねぇ。そんな理由で二人は揉めてたわけだ」
医務室のベッドに横たわる包帯だらけになったシンディの側で、ポニータはリンゴの皮を剥きながら、アレックスとナットが取っ組み合いになっていた経緯について聞いていた。どうやら先程の戦闘でのアレックスの行動に、ナットが激怒してしまったというのが理由らしい。
「あたしもナットに賛成だね! 敵に情けをかけるなんて、百害あって一利なしさ!」
「んー。全くメリットがないってわけじゃない気もするけどね、俺は」
意外にも意見に同調しなかったシンディに対し、ポニータが少しだけむくれる。
「なに、あんたも『敵の命を奪うのは間違ってる』なんて甘い事を言っちゃうワケ?」
「ちがうちがう。俺が言いたいのは、不殺も状況次第では有効な戦術に成り得るってことさ」
「不殺が戦術……?」
いまいち理解が追いついていないポニータに対して、シンディは苦笑しつつ説明する。
「例えばさ、敵DSWの戦闘能力だけを奪ってそのまま放置しておけば、敵は余程のことがない限り生存者の救出に向かわなきゃいけないわけだろ? その分の隙が生まれるし、コスモフリートとしても逃げるための時間が稼げるってわけさ」
実際、ムサシもそういう意図で不殺を行っていたしね。とシンディが付け加える。今は亡きかつての戦友、バロム2のムサシ=マリーンの名前を出されたこともあり、諭されたポニータは首を縦に振って相槌を打った。
「なるほどねぇ……。見方によっては、敵パイロットを殺さないってのもアリっちゃアリなんだ」
「まっ、それ以前に不殺主義自体は別に悪い話じゃないんだけどね。倫理的に見れば、それこそ進んで殺人をする奴のほうがどうかしてるワケだし。アレックスほど徹底はしなくても、なるべく命は奪わないほうがいいさ」
一切の殺人を否定するアレックスも、立ちはだかる敵を全て葬ろうとするナットも、意見としてはどちらも極論なのだ。出来る限り不殺を努めてみるが、周囲に危機が迫ってしまう場合は覚悟を決めるというのがシンディの主張であり、スタンスである。コスモフリート戦闘員の大半も、恐らく同意見だろう。
「うんん、確かに。不殺は甘い考えだなんて思ってたけど、言われてみれば必ずしもデメリットばかりってわけじゃないわねぇ……」
「ま、味方に危険が及びそうって時にまで貫こうとするのは流石にナンセンスだと思うけどね。それはさておき……」
シンディは包帯で巻かれていない左手で眼鏡のフレームをクイッと押し上げ、レンズを光らせる。
「そろそろ本題に入ろっか、ポニータ。二人が喧嘩していた理由とは別に、何か聞きたいことがあって医務室に足を運んだんじゃないのかい?」
「なっ……!」
そろそろリンゴの皮を剥き終えようというところで、果物ナイフを持つポニータの手がピタリと止まった。動揺のせいか、その顔はかなり紅潮している。
「ははっ、図星か! ポニータはわかりやすいなぁ」
「う、うっさいよ! あんまりジロジロ見んなし!」
シンディにからかわれ、ポニータは居心地の悪そうに片腕で顔を隠す。まるで心を見透かされているようで悔しいが、彼の言っていることは正解である。ある疑問について問い質すために、ポニータはシンディのいる病室に顔を出したのだ。
「あの時……あたしがあの新型にやられそうになった時、何であんたがあたしを庇ったのか。それを聞きたかったの」
「何でって……そりゃ、仲間を助けるのに理由がいるかい?」
「茶化さないで。あんたがそんな怪我を負ってまで、あたしを助けたのは何でかって聞いてるの!」
むしろ、怪我で済んだのが奇跡的だとさえ言えるレベルだろう。あれほどの至近近距離から散弾銃の直撃を受けてしまったのだから、操縦席ごと貫かれていてもおかしくない状況だったはずだ。そのことは、あの時ポニータを庇おうとしたシンディとてわかっていただろう。
にも関わらず、彼は身を呈してポニータを守った。こんな判断は普通ではない。だからこそ、本人に直接その意図を問いたかったのだ。
「はぁ……。常々男勝りな性格だとは思ってたけど、まさかここまで乙女心が欠如しているとはねぇ……」
シンディが肩を落としてため息を吐く。ポニータには彼の言わんとしていることがまだ察せなかったが、とりあえず馬鹿にされているのだということだけは流石に理解できた。
「ど……どういう意味よ……」
「わからないかい? 自分の命を引き換えにしてでも、守りたかったってことさ」
「何よ、それ……」
「つまり、そういうことさ」
シンディに言われ、ポニータはわけが分からず思考を張り巡らせる。そして数秒置いて導き出された結論に、ポニータは思わず頭をオーバーヒートさせてしまった。
「あっ、あああああああんたッ! 急に何てコト言い出すのよ……ッ!?」
「あははっ! 流石のポニータでもこれはわかったか!」
「馬鹿にすんなし! ……って、やっぱり本気なの……!?」
「それで、返事は?」
「〜〜ッ!」
メガネの奥の、いつになく真剣なシンディの眼差しに、ポニータが声にならない声をあげて悶絶する。普段からモテる女をアピールしている彼女であったが、実際のところ異性からこんなことを言われた経験はなかったので、どう言い返せばよいのかわからず、つい取り乱してしまっていた。
「そ、そんなことを言われても、こ、心の準備が……!」
「ンー? 意外と初心なんだねぇ……。とりあえずさ、その剥いたリンゴを食べさせてよ。はい、あーん」
「急に甘えんなし……ッ! あぁ、もう!!」
「ブフゴッ!!?」
照れ隠しなのか、少し大きめに切られたリンゴが次々とシンディの口の中に放り込まれていく。ちょうど医務室へと戻って来たパウリーネが、何かを察して部屋へと入れず立ち尽くしているということを、二人が知ることはない。
*
「この船もそろそろ目的地のケレス基地へと着く。……本当にいいんだな?」
照明の落とされた暗い個室。デスクチェアに座す男がたずねると、彼の背後に立つ少年はそれに答える。
「愚問だな。今さら駄々を捏ねたところで、もう引き返せない場所にまで来てしまっているんだろう? 安心しろ。自慢じゃないが、俺も育ちはいい方だ。泣き喚きはしない」
言いつつ、少年の影は銃弾の詰まったマガジンを拳銃へと装填していく。確認作業を終え、内ポケットにそれを仕舞うと、踵を返して男へと声を投げかけた。
「そちらこそ、準備は万全なんだろうな」
「当たり前だ。こちらとて大切な人の命が掛かっている。失敗など、しないさ」
「そうか」
それきりで会話を打ちきろうとする少年だったが、男は怪訝な表情を浮かべて詰問する。
「君こそ、平気なのか。君は僕と違って帰るべき場所の安全も保証されていれば、逃げ道だってある。何もこの作戦に加担する必要など……」
「その場合、俺はあんたを殺すか……もしくは俺があんたに殺されることになっちまうけどな。大丈夫だ。俺は最後まであんたに協力してやる」
「……僕がこうやって聞くのもなんだが、君にそこまでの決意をさせるものは一体なんなんだ……?」
男は問いかけるも、少年は答えない。彼は部屋を後にすると、先ほど男と打ち合わせた作戦の段取りを脳内でシミュレーションしながら、蛍光灯に照らされた廊下を歩いていく。
その道中で、何やら忙しい様子のナット=ローソンとすれ違った。彼はこちらの存在に気づくなり、すれ違いざまに指示を飛ばしてくる。
「そろそろケレス襲撃作戦開始だ! ミド、お前は個室で大人しく待機しておけってよ!」
言われ、少年はいつも通りのふざけた調子で返事を返した。
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