第4章『密会のフリージア 4』

 宴会室から飛び出したミリアの姿はすぐに発見することができた。休憩用のベンチで蹲っていたミリアは、依然として酷くショックを受けている様子だった。無理もない。気難しい年頃のミリアにとって、この真実はあまりにも残酷過ぎたのだろう。


「なあ、ミリア。その……」

「アレックスもミランダさんも知ってたんでしょ。何で黙ってたの……?」


 アレックスがどのような言葉を掛けようか悩んでいると、先にミリアの方から質問を投げかけられた。二人がこの事実を隠していた理由については、本当はミリアだって理解している。それは他でもなく、ミリア自身を傷つけないための二人の配慮であった。

 しかし、理解することはできても、その現実を容易く受け容れることはできない。だからこそ、ミリアはあえて意地の悪い聞き方をしてしまったのであった。


「ミリアは小さかったから知らなかったかもしれないけどさ、僕たち木星圏の人間だって十数年前まではああいうものを食べていたんだよ」

「えっ……」


 ミリアにとってそれは初耳だった。しかし、確かに合点はいく。

 今でこそ水や食料などの必要物資生産環境が整備されている木星圏であったが、十数年前までは人口分を賄えることすらできない程にそれらが枯渇していたと聞く。それでも何とか生きる糧を確保するには、排泄物などを利用してでも食料を合成する他なかったのだろう。


「でも……やっぱりあんなもの食べたくないよ……」

「皆、ミリアちゃんの作った料理を『美味しい』って食べてくれてたよ? それでもイヤ?」


 ミランダの問いに、ミリアが小さく頷く。

 どうやらこれはアレックスやミランダが思っていた以上に重傷らしい。そうして『お手上げだ』とでも言わんばかりに二人は顔を見合わせていると、


「あんたねぇ。いつまでそうしょげてるつもり?」

「ポニータさん……」


 おそらく心配して様子を見にきたであろうポニータ=ブラウスの姿がそこにはあった。


「ずっと働いてたから腹減ってるだろう? ほら、食べなよ」


 そう言ってポニータが差し出したのは、ミリア自身が手作りしたハンバーグだった。当然ながらその原材料は艦のリサイクルシステムが乗組員の排泄物を合成して作り出したものであり、ミリアが塞ぎ込んでしまっている原因でもある。


「ポニータさん! それは……!」


 アレックスはすぐにポニータを止めようとしたが、隣にいたミランダに服の裾を引っ張られて制される。振り向くと、何かを察した様子のミランダは首を左右に振った。そのようにして、アレックスとミランダが口を出すことなく見守る中、ポニータはミリアの元へと歩み寄る。しかし、ミリアがそれを受け容れることはない。


「食べたくないです……」

「いいから、食べな」

「食べたくないって言ってるでしょ!!」


 ポニータの差し出した手を、ミリアが力一杯に振り払い拒絶する。真空パックに入れられたハンバーグはポニータの手を離れると、重力区画である休憩所の床へと静かに落ちた。


「……! あんたねぇ、食い物を粗末にするんじゃ……ッ!!」


 反射的にポニータの腕がミリアの胸ぐらを掴もうとする。手を叩かれてしまったのだから、この反応はあくまでも自然なものであった。しかし、不幸にもそれはミリアのトリガーを引くに至ってしまった。


「ま、待ってポニータさん! それ以上は……!」

「い、嫌ぁッ!!」


 刹那。アレックスが慌てて制止しようとしたのとほぼ同じタイミングで、ミリアの悲鳴が休憩所に響いた。


「やだ……痛いのは嫌……怖いのは嫌ぁ……」

「み、ミリア……?」


 常軌を逸したミリアの怯えようを見て、ポニータもようやく異常を察知したのか、胸ぐらへと伸びていた腕を引っ込める。アレックスもすぐさまミリアの近くへと駆け寄った。


「落ち着いてミリア! 相手はポニータさんだ。乱暴なんてしない……!」

「嫌……嫌……嫌ぁ……はぐぅ……」


 必死にあやそうとするアレックスであったが、ミリアの小さな肩が震えを止めることはない。動悸は次第に激しくなっていき、そしてミリアは急に左胸を強く抑えたままその場に倒れ込んでしまった。


「ほ、発作だ……! ミリア、しっかりしろ! ミリア!」


 彼女を抱きかかえてひたすら名前を呼ぶアレックスであったが、その声がミリアに届くことはなかった。



「そう。マスター・ピース・プログラムが……奪われてしまったのね」


 灯を絞った部屋で、シーツの上でうずくまるフリージアがささやいた。それに対してルーカスは、まるで母親から叱られることを恐れる子供のように、弱々しく頷く。それは普段のルーカスならば絶対にしない、フリージアに対してのみ見せる表情であった。

 フリージアは、ルーカスという男が世間に思われているよりもずっと弱く、脆い男だということを知っている。だからこそ、こうしてベッドに誘ってみたいと思わせられたし、彼の弱さを受け容れた上で、慰めてあげたいと思うこともできた。


「すまない、フリージア。あの機体……ピージオンには、君の理想とする世界も託されていたというのに」

「過ぎてしまったことをとやかく言っても仕方ないわ。いいのよ。それに、あなたにどこまでもついて行くことが、私にとっての理想でもあるんだから」

「すまない……いや、ありがとう。フリージア」


 礼を言い、ルーカスは柔和に微笑む。感謝された側のフリージアも、照れ臭さのあまり彼の顔を直視することができなかった。こういう時、彼の甘いマスクは何というか、のだ。


「だが、私は計画そのものを諦めてはいない。安心してくれ、ちゃんと次の手は考えてある」

「次の手? それって……」


 フリージアはつい反射的に聞き返してしまい、それを聞いたルーカスは苦笑する。


「一応、最重要の機密事項……というやつなのだがな」

「ご、ごめんなさい。私ったらつい……」

「いや、いいんだ。そもそも私は軍の人間というわけではないし、君とて『マスター・ピース・プロジェクト』を掲げる者の一人だ。君には、話すよ」


 そう言って、ルーカスは部屋の奥の窓を睨む。『コペルニクス・ドーム』が誇る最高級の夜景がそこには広がっていたが、ルーカスはそれに対して何の価値も見出すことなく、彼の意識も一切向けられていない。彼が見据えているのは、窓ガラスに浮かび上がった、まだ出会ったこともない少年の虚像であった。


「ピージオンのパイロット……『アレックス=マイヤーズ』というらしい。その少年を、こちらの計画に引き入れる。そろそろ、連中もこちらの蒔いた餌にかかっていることだろう」

「引き入れる? それは……」


 フリージアが問うと、ルーカスは彼女に振り向きつつ笑った。


「ああ。彼もまた、の人間だ」


 滅多なことがない限り他人に対して心を許さないルーカスが、自分以外の人間に心を許した瞬間を、久しぶりにフリージアは目の当たりにした気がした。



心的外傷後ストレス障害PTSD? ミリアが……?」


 ミリアが医務室へと運び込まれた後、アレックスから事情の説明を受けたポニータはひどくショックを受けている様子だった。無理もない。普段は天真爛漫に振舞っているミリアが、まさかそのような闇を抱えているとは夢にも思わなかっただろう。

 アレックスやミリアがまだ児童養護施設に引き取られる前、二人は木星の労働者であった実の両親から度重なる虐待を受けていた。過酷な労働環境故にストレスの溜まった親が子供に対して暴行を加えるというのは、木星圏においてはそれほど珍しくもない出来事であった。当然ながらこれは木星圏の抱える問題として人々を悩ませていたが、アレックスらの両親は自分達の子供に対して、特筆して悪質だった。


 ろくに愛も深めないまま婚前妊娠──所謂デキ婚をした両親は、自分達が産んだ二人の子供を快く思っておらず、ストレスの捌け口として日常的に暴行を加え続けてきた。酒瓶で顔を殴られることもあったし、父親に関してはミリアを強姦しようとしたことさえあった。

 強姦については未遂で終わったものの、ミリアの心に深い傷を負わせるには十分であり、彼女は重度の対人恐怖症を患ってしまうと同時に、自身への──特に男性からの暴力行為に対して過剰に反応してしまうようになってしまった。

 この虐待は後に明るみとなり、両親は逮捕され、兄妹は“父さん”の施設へと引き取られることとなる。そこでエリーやテオドアとの交流も経て、ミリアの対人恐怖症については日常生活に支障のないレベルにまで回復した。しかしながら暴力に対する恐怖は未だに拭うことが出来ておらず、今回のように発作を起こしてしまうことも度々あった。


「すまなかった。あたしも少し、熱くなり過ぎちまって……」

「知らなかったのだから、無理もないですよ。でも、今後はどうか……」

「ああ、わかってる。ミリアにはもっと慎重に接するようにするよ」

「ありがとうございます」


 アレックスが礼を言うのとほぼ同じタイミングで、それまでベッドの上で眠っていたミリアがようやく目を覚ました。彼女は上半身を起こすと、呆然とアレックスやミランダ、そしてポニータの顔を見据える。


「ここは……?」

「安心して、ミリア。ここは医務室だから。パウリーネさんは席を離れてるけど、ベッドを貸してもらってる」


 アレックスが言うと、そこでミリアはようやくここへ運び込まれた経緯を思い出したらしい。先程のように取り乱すことはないものの、彼女の小さな肩は微かに震えていた。

 ポニータはミリアに一歩歩み寄ろうとしたが、また怯えられてしまっては困るため、そうすることはせずに謝罪の言葉を述べる。


「さっきはその……悪かったよ。ミリア」

「私こそごめんなさい。取り乱して……」

「でもね、ミリア。一つだけ言いたいことがある」


 そう前置きして、ポニータはミリアに対して言い聞かせ始める。


「いいかい、ミリア。宇宙ってのは、この上なく広大な……それこそ地球のそれとは比べものにならないくらい広くて、過酷な海なの。“星の海”なんて言うと聞こえがいいかもしれないけどね。実際はそんな生半可なモンじゃない。ここはまさに、“死海”といってもいいような場所なんだ。宇宙に魚なんか泳いじゃいない」


 宇宙空間において、空気や水といった人間が生きる上で必要なものは初めから存在せず、それらは全て人の手によって確保しなければならず、それが出来なければ人は宇宙という名の深淵に溺れて死ぬだけだ。ポニータはそれを、地球に存在するらしい“死海”という場所になぞらえて説明した。


「そんな大海原を渡ろうっていうんだ。飯にありつけることそれ自体が、どれだけ有り難いことか……わかるだろう?」


 ポニータの問いかけに、ミリアは小さく頷く。


「あたし達みたいなスペースマンにとってはね、食糧はそれだけ尊いものなんだ。なぁに、本物のクソを食おうってんじゃないんだから、あたし達は十分に幸せ者だよ」

「そっか……うん。そうだよね……」


 そこで、ようやくミリアの表情に明るさが舞い戻ってきた。彼女はお腹の辺りを抱えると、少し恥ずかしそうにしつつ言う。


「あはは。お腹空いて来ちゃったみたい。私も……ハンバーグ、食べたいな」

「おう、好きなだけ食べるんだね。宴はまだまだ終わらないんだからさ!」


 その後も宴会室に戻ったアレックス達は、一晩中宴を楽しんだ。これまでの鬱憤を吹き飛ばすように笑う仲間達を見て、アレックスもまた安心することができた。



《総員、第1種戦闘配備! DSW隊はすぐに出撃……なんだ、ヒューイの乗る機体がない? 予備のソリッドがあったでしょ!?》


 宴から数日後。騒々しい艦内警戒音を聴くや否や、アレックスはすぐさまに格納庫へと向かった。こうしてアラートを聴くのは実に久しぶりの事であったが、だからと言って戦闘に慣れたとは言い難い。いや、慣れてしまってはいけない……と、アレックスは格納庫までの道中で自問自答を繰り返していると。


「アレックス!」


 通路でエリーに呼び止められ、アレックスは振り返る。エリーはこちらに詰め寄ってくると、心配そうな顔で覗き込んで来た。


「アレックスも、戦いに行ってしまうの……?」

「うん。ピージオンを動かせるのは、僕だけだから」

「でも、危ないわ……。怪我も治ったばかりだし、やっぱり私、バハムートさんに相談して……!」

「待って!」


 身を翻そうとしていたエリーを、アレックスはすぐに呼び止める。エリーはすぐにこちらを振り返ることはなかった。恐らく、こちらに見せたくないくらい泣きそうな顔をしているのだろうということは、鈍感なアレックスでも察することができた。


「心配しなくても大丈夫だから。それに、僕は戦いには行くけれど、それは人を殺す為じゃない。僕はエリーや……みんなを守るために、ピージオンに乗るんだ」


 『それに……』と、アレックスは続ける。


「僕の探しているもの。その答えが、戦場にある。そんな気がするんだ」

「探しているもの……?」


 それについて聞き返そうとしたエリーだったが、そこで運悪くもアレックスは他のクルーから声をかけられてしまった。急かされてしまったアレックスは、止むを得ずエリーとの会話を中断する。


「ごめん、エリー。もう行かなきゃ」

「わかった。でも、絶対にここへ帰って来てね……?」

「うん。約束する」


 そう言って、アレックスは再び格納庫へと向かって行ってしまった。次第に遠退いて行く彼の背中を見つめながら、エリーは無意識に呟く。


「アレックス。お願いだから……にだけはならないでね」


 それは、エリーの切実な願いであり、祈りであった。



 戦闘態勢になり、管制の声と出撃の準備で慌ただしいコスモフリートの格納庫内を、パイロットスーツに身を包んだアレックスは駆け抜ける。向かう先は、格納庫の最奥に佇む白亜の機体、ピージオンだ。

 ハッチを開き、中の操縦席へと乗り込もうとしたその時、スペーススーツの男性から声をかけられた。整備士班長、キム=ベッキムだ。


「なんです? キムさん」

「ああ、ピージオンについてだがな……」

「はい。ピージオンがどうかしましたか?」


 応じると、キムは明らかに不機嫌といった様子でこちらに近づいてくる。初対面だった時もこんな顔をしていたため、当初は『嫌われているのではないか』と心配したりもしたが、彼と他のクルー達とのやり取りを見た以上、そういうわけでもないらしい。キムにとってはこれがデフォルトなのだ。


「ああ。悪いが今回はリングブースターを外させてもらってる。原因はまだわかっていねぇが、前の戦闘でのピージオンの機動は明らかにリミッターが外れちまっていたからな……。余計な心配かもしれねぇが、万が一ってこともある」

「ですね……。了解です」

「それとな、これは忠告……いや、警告だが」

「警告って……、何ですそれ?」


 何故わざわざそのような言い回しをしたのか気になるところではあったが、とりあえずアレックスはキムの耳打ちに耳を傾ける。


「ラウラ=アルテッラって奴のことは知ってるか?」

「ええ。『ダーク・ガーデン』で工房を営んでいたっていう」

「そのアルテッラのやつが、どうやら俺の隙を見て、ピージオンに何らかの細工を施していやがったらしい」

「さ、細工だってぇ……!?」


 キムの口ぶりからするに、何やらピージオンは得体の知れない改造をされてしまっているらしい。整備班班長たるキムからして全貌を把握できていない機体に、アレックスはこれから命を預けることになるのだというのに。


「じょ、冗談じゃない……!」

「すまないな。俺も今さっき気づいたところなんだ。この件は後で艦長に報告しておくが……ま。頑張ってくれ」

「そんなのって……無責任ですよ……!?」


 抗議するアレックスに耳も貸さずに、言いたいことだけ言ったキムはピージオンから遠退いていく。いい加減な扱いにアレックスは若干腹の虫が煮え繰り返るのを感じつつも、仕方なしに操縦席へと滑り込んだ。

 コックピットシートに身を委ねつつ、手元のコンソールを操作し、機体のシステムを立ち上げる。


《パイロットの搭乗を確認。チェック……“アレックス=マイヤーズ”と確認》


 この機体に搭載された搭乗者支援型AIユニット“エラーズ”が事務的な口調で告げる。機械的ではあるものの、やはり孤独な鉄の棺桶コックピットの中で話し相手がいるという事実は、何よりも頼もしく思えた。

 アレックスが傍の小型モニターに表示された機体ステータスに問題がないことを確認している合間にも、ピージオンはハンガーに固定されたままリフトを降ろされ、ゆっくりとカタパルトデッキの床面が眼前に近づいてゆく。同時に前方のカタパルトハッチが開き始め、暗闇の宇宙が露わとなった。


《カタパルト固定完了。推力異常なし。You have controlユー・ハブ・コントロール

I have controlアイ・ハブ・コントロール。マスターモードを6へ移行してくれ」

《了解》


 操縦桿の感触を確かめながら、アレックスは緊張をほぐすために深呼吸しつつ、頭の中で今一度、その決意を固める。


(もう誰も殺したくない)


 守るために手にした力。これは本来、人を殺すためのものである。脅威から仲間を守るためには、自らも脅威となる力を手にする他ないのだ。

 だが、それでもアレックスは殺人という行為を『止むを得ない』として割り切ることはできなかった。


(……)


 人の命を絶つことに深い悲しみを覚えるのは、敵とて同様なはずなのだ。彼らもまた、人の子なのだから。

 人を殴れば、殴った拳もまた痛む。アレックスはそのことを、『ミスト・ガーデン』での戦闘を通して学んだ。

 もう誰にも、あんな辛く悲しい思いはさせたくない。そんな青臭くはあるが確固たる信念を胸に、アレックスはペダルを踏み込む。


《スタンバイOK。発進、どうぞ》

「アレックス=マイヤーズ。ピージオン、出ます……ッ!」


 カタパルト射出による加速度がアレックスの身体をシートへと押し付ける。アレックスは目を細めて重圧に耐えつつも、やがて視界は開け、ピージオンは白い流星となって暗闇の大海原へと放たれていった。

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