密会のフリージア
第1章『密会のフリージア 1』
人とは、決して独りでは生きられない動物である。
誕生した瞬間から既に両親と呼べる者が存在し、その後も成長するに従って兄弟・先生・友人・上司・部下・恋人と、様々な人間との関わりが増えてゆく。いわば、人生とは人間関係の連なりであり、歴史であると言っても過言ではないのだ。
理想的な人間関係というものは、双方の信用と信頼があって初めて成り立つものである。しかし、仮にこういった“期待”に応えられない者が現れてしまった場合、この関係は破綻してしまう。これが故意であり、他者の期待を踏み躙ったのであれば、それは紛れもなく“裏切り”だといえるだろう。
人間関係には常に『裏切られるのではないか』という不安が付いて回る。人は人間関係に依存しなければ生きてはいけないくせに……いや、だからこそ、臆病になってしまうのだろう。そしてその不安は、時として人を孤独にする。
本当の意味で孤独になることが出来ればどれほど幸福だろう、と思うかもしれない。しかし、人は永久にこの関係の鎖から逃れることは出来ず、そのような甘い考えはかえって自分を苦しめてゆく。虚しいだけだ。
疑心暗鬼に満ちたこの世界で、それでも人は荒れた海を渡るべく、誰かと相乗りする他に道はない。船を選ぶ権利はあるが、選ばない選択肢はないのだ。
人類とは、それほどまでに不器用な存在なのである。
*
宇宙の深淵を進む、黒い船体が一つ。
一見すると大航海時代の帆船を彷彿とさせる外観だったが、注意深く見ればそれが船体偽装に過ぎず、中身は軍に配備されているような最新鋭戦艦にも引けを取らないということがわかる。
強襲揚陸艦コスモフリート。同名の宇宙義賊が旗艦とする宇宙戦艦。
その内部にあるだだっ広い格納庫に、アレックス=マイヤーズは足を運んでいた。先ほどまで整備班たちが入り組んでいて慌ただしかった格納庫内も、現在はささやかな休憩時間に入っており、多くの人が持ち場を離れていた。居るのは、年季の入った赤いツナギに身を包んだ整備班班長のキム=ベッキムくらいである。
「おお、アレックス。具合はどうだ」
レンチを片手にDSWの胴体部に張り付いていたキムはこちらに気付くなり、低く重い声を投げかけてくる。
「ええ、おかげさまで。パウリーネさん達が親身になってリハビリに付き合ってくれましたから」
「そうか」
返事をすると、キムはそれで会話を打ち切り、再びDSWの修理作業に戻っていく。
彼が補修を進めている機体は“LDP-92 クレイヴン”。ナット=ローソンが駆る漆黒のDSWだ。アレックスが眠っていた2週間の間に激しく消耗してしまったらしく、現在急ピッチで補修作業が進められている。キム以外にも数名のメカニックが、休憩時間中なのにも関わらず熱心に手を動かしているのが見えた。
また、クレイヴンの横にはダークグレーに塗装された見慣れないDSWが鎮座していた。外見から察するに、おそらく鹵獲したギム・デュバルのカスタムタイプといったところだろうか。左腕の大きなクローが存在感を放っていた。
それらを横目に眺めつつ、アレックスは無重力の格納庫を進んで行く。
そして格納庫の一角に佇むDSWの足元で、アレックスは立ち止まった。
「……っ」
白い機体を仰ぎ見て、アレックスはつい目を細める。
“LDP-91 ピージオン”。こうして姿を見るのは久方ぶりだが、やはりいつ見ても兵器らしからぬ外観を持った人型兵器である、と思う。
13メートルほどのスラリと細い四肢は、真珠のように白く鮮やかな装甲に包まれ、至る所に黄金色の装飾があしらわれている。何よりも、頭部にある翼の生えた女神像が見る者の目を引いた。
如何にも趣味的な、兵器としての実用性はまるで期待できない。そのような外見ではあるが、この奇妙なデザインの裏には恐るべき理由が隠されているのだということを、アレックスは知っている。
(『マスター・ピース・プログラム』を搭載し、“死の恐怖”の象徴となるべく作り出された機体……)
それが、ピージオン。
それこそが、ルーカスという男の企てた
かつてアレックスはこれを否定した。だからこそ、アレックスはこの機体と向き合わねばならない。その責任があった。
磁石の埋め込まれた靴底で床を蹴り、ピージオンの胸部に近づく。ハッチを開くと、中の操縦席へと滑り込んだ。身体を固定するためのベルトは締めずに、そのまま機体の制御システムを立ち上げる。起動画面が浮かび上がり、続いて狭いコックピット内をほのかに照らす淡い光を帯びたコンソールが次々に点灯していく。ともすれば幻想的にすら見えるこの鉄に覆われた空間には、当然ながらアレックス以外に人はいない。まさに、自分だけの世界であるといえた。
《パイロットの搭乗を確認。チェック……“アレックス=マイヤーズ”と確認》
冷淡な女性の声が響く。この機体に搭載された搭乗者支援型AIユニット“エラーズ”。ピージオンの“表の顔”と言ってもいいだろう。
だが、用があるのはこちらではない。
まだ姿を現さない怪物に向かって、アレックスは口火を切った。
「出てこい、“フリーズ”。そこに居るんだろう」
《発言の意図不明。現在、システムは正常に稼働しています。
二秒も経たずにエラーズからの返答があった。
「僕は“フリーズ”に話しかけているんだ。君は引っ込んでいてくれ」
《発言の意図不明。先程からの会話の中には食い違いが見受けられます。“フリーズ”とは、何らかの固有名詞なのでしょうか》
「本当に知らないのか……?」
《申し訳ありません》
「……いや、謝らなくていい」
この様子だと、どうやらエラーズは本当に“フリーズ”のことを知らないらしい。
しかし、本当にそんなことがあるのだろうか。機体のAIであるエラーズにとって、この機体に隠された禁断の『マスター・ピース・プログラム』を司るフリーズは、いわばもう一つのエラーズ自身と呼んでもいい存在のはずだ。
(つまり、エラーズすらもMPPの存在を把握できていない。……ということか)
そもそもアレックスがコックピットを訪れた理由は、他でもなくフリーズと話がしたかったからだ。
二週間前の戦闘中、確かにフリーズは『マスター・ピース・プログラム』を覚醒させ、ルーカスの企てていた計画を実行に移そうとしていた。にも関わらず、二週間が経過した今現在でもその痕跡がまるでない。おそらく、何らかの理由によってフリーズが計画を放棄したと考えるのが妥当だろうが、その真偽について問い質したかったのだ。
しかし、肝心のフリーズと対面する手段がない以上、残念ながら諦めるしかないだろう。そう思って操縦席を立とうとしたアレックスだったが、エラーズ
の声に踏みとどまる。
《貴方の仰った“フリーズ”という単語は、二週間前のインデペンデンス・ステイトとの戦闘における記録データの一部が欠落していることと、何か関係性があるのでしょうか》
「気になるのか?」
《はい。該当する戦闘記録と機体の損傷状況には不自然な差異が見受けられました》
「機械のお前が違和感を口にするのか」
《当機は常にシステムの整合性を図るようプログラムされています。よって、この問題は明らかな“エラー”であると判断。一刻も早く原因の解明をすべきです。どうかご協力を》
「………………」
思わぬエラーズからの言葉に、アレックスはしばし呆気にとられてしまっていた。物言いこそ機械的な淡々としたものではあったが、要するに動機としては“自身について知りたいから”ということらしい。
それは、まるで……。
「……ああ、わかった。全てを、話すよ」
*
「『マスター・ピース・プログラム』が発動し、計画は予定通り最終段階へと移行した。しかし、原因は不明だがMPPは突如として発動を停止し、その後は何事もなく戦闘終了。ピージオンは依然として海賊に奪われたまま……と」
ラボラトリーのデスクに座る白衣姿のキョウマ=ナルカミは、壁際に立つ男にも聞こえるように、わざとらしい大声で報告書を読み上げる。
「海賊に奪われたことに関しては“想定内”だと言っていたが、これもそうなのかい? ルーカス」
すると、名前を呼ばれた男──ルーカス=ツェッペリンJr.は、顎を手で触りながら神妙な面持ちで答える。
「無論だ。……と言いたいところだが、これについては私も想定していなかったよ。“ある要因”が、フリーズの手にあまるほどの効果を発揮したと言い換えてもいい」
「その、“ある要因”とは?」
「決まっている。計画の外部に居ながらも蚊帳の内側にいる存在……つまり、搭乗者だ」
わざわざ聞かなくてもわかっていただろう。とルーカスが付け足すと、キョウマは揶揄うような笑いをみせた。
「“アレックス=マイヤーズ”といったか。フリーズの存在がある以上、ピージオンの搭乗者が例え誰であろうと計画に支障をきたすことはないと考えていたが、それは迂闊だったな」
ルーカスは、以前にU3Fの軍艦で囚われていた少年少女達から聞いた名前を口にする。直接の面識はないものの、その少年の人物像についてはおおよそ理解しているつもりだった。しかし、実際に彼はルーカスの想定する以上の人物だったらしい。少なくとも、ルーカスの定義する“普通の人間”とは明らかに異なる何かが、彼にはあるのだろうと思えた。
そしてそれはすなわち、自分たちの企てた『マスター・ピース・プロジェクト』の失敗を意味していた。
「それで、どうするんだいルーカス。君が潔く計画を諦めるとは思い難いが……。例えば、ピージオンをもう一機製造してリトライするとか」
キョウマの言う通り、確かに二機目のピージオン──より厳密に言えば、二機目のMPP搭載機──を作り出せば、再び計画を実行することはできる。しかし、ルーカスはこの案を否定する。
「それでは意味がない。ピージオンは“死の恐怖”の象徴となるべき機体、いわば新世界の秩序となる存在だ。故に、
「つまり、二機目を作る気はない、と」
「無論だ。この計画に妥協は許されん」
断固たる態度でルーカスが言う。キョウマもはじめからその答えを予想していたのだろう、『参ったよ』とでも言いたげに肩をすくめた。
「となると、やはり大人しく計画を諦めるか……」
「揶揄うなよ、キョウマ。心配しなくとも、次の手はすぐに打つさ」
言いつつ、ルーカスは身を翻すと、部屋の出口の方へと歩いて行く。
「おや、そういえばそろそろデートの時間だったか。君は昔から女性に好意を向けられることが多かったからねぇ」
「揶揄うなと言った。ただ、食事をするだけだ。他意はない」
「ハハハッ、そうむくれるな。わかっているさ。久々の休暇だろう、思う存分羽を伸ばしてきたまえ。一応断っておくが、これは皮肉ではない」
「ああ。恩に着る」
そう言って、ルーカスは部屋を後にした。
*
《『マスター・ピース・プログラム』。そして、それを司る存在“フリーズ”……》
アレックスの口により語られた言葉を、エラーズは今一度噛みしめるように復唱していた。
「僕が知っているのはここまでだ。戦闘の後、何故フリーズが計画を実行に移さなかったのかは、僕にもわからない」
《この事について、誰かに話したりはしましたか?》
「……? ああ、バハムートさんにはね。それ以外には喋っていない……というか、他言はするなと口止めされた」
《では、なぜ私にこの話をされたのでしょうか》
アレックスは一瞬、エラーズが『私』という一人称を用いたことに対して少し驚いてしまったが、それはあくまで便宜上のもので、そういう風にプログラムされているのだと遅れて理解する。
「君から聞いてきたんじゃないか」
《私は貴官の守秘について指摘しているのです。この情報には、それだけの価値を含んでいるように思われます》
「僕は軍人じゃない。それに、君には話しておくべきだと思ったんだ」
《発言の意図不明。私に情報を開示するメリットとは》
「利益なんてないさ。ただ君が、君自身について知りたがっているように思えたから。これじゃ、いけないか?」
《私が……私自身について……?》
エラーズは思わぬ困惑をみせる。しかし、この返答はアレックスにとっての本心でもあった。
「“フリーズ”はある意味、もう一人の君自身でもあるんだ。だからこそ、君には知る権利が……いや、きっと知っておくべきなんだと思う」
《理解不能》
「わからなくていいよ。というか、僕にもよくわからない」
我ながら、おかしな考えだと思う。いくら高性能を誇るAIとはいえ、エラーズも所詮は機械だ。プログラムを超えた思考を遂行することなど出来るはずもなく、ましてや『自身について知りたがる』など考え難い。
しかし、エラーズは言う。
《下位AIである私に、存在理由はあるのでしょうか》
「は……?」
予想外の問いだった。エラーズは自らにとっての上位AIであるフリーズの存在を聞かされ、あたかも自身の存在意義の消失を危惧するような言動をとったのだ。無理もない。自身のアイデンティティが脅かされれば、誰だって恐怖や不安を抱くものだ。
しかし、それは人に限った話であり、エラーズはあくまで人工知能である。ましてや、DSWほどの兵器を制御するための支援用AIに過ぎないのだ。いくらピージオンが通常よりも遥かに高性能なコンピュータユニットを搭載しているからといって、戦闘を行うために徹底的な効率化がなされたAIが、そのような“感情”を抱くとは到底思えない。やはりただの思い過ごしだろうか。
「……君は機械だけど、だからこそ、人に作られた理由ってのはあるはずだよ」
《作られた、理由》
「たとえ機体を動かす為だけに作られたのだとしても、それに意味はあるんだ。現に、君がいなければデフやミドを助けることも出来なかったし、僕だってこうして生き延びることは出来なかったはずだ」
《当システムが搭乗者を支援するのは当然のことです。そのように行動するようプログラムされています》
「プログラム、か。機械らしい物言いだな」
《機械ですので》
そのようなやり取りをしていると、不意にコックピットの外から自分の名前を呼ぶデフの声がした。エラーズとの会話を打ち切ってハッチを開けると、そこには他のメカニック達が着ているようなツナギ姿のデフがいた。おそらく、DSWの改修作業を手伝っていたのだろう。
「ブリーフィングだってよ。行こうぜ」
デフにそう告げられ、アレックスはピージオンのコックピットを後にした。
*
Jupiter Extraction Transport Service(木星資源抽出輸送業社)。通称、
木星を拠点に置く公社であり、DSWにも使われている核融合炉の燃料となるヘリウム3の採取・輸送を担っている。ヘリウム3は木星の環境下でしか採取することができないため、実質的にヘリウム3の市場を独占している大企業だ。
その一大企業の代表取締役会長が、準惑星・ケレスの地を訪れていた。
「いやはや、有難いことだねぇ。このような神聖な場にお呼ばれされてしまうとは」
宇宙艇から港に降りるや否や、男は開口一番にそんなことを言ってみせた。
肩書きに反してえらく若々しいその男は、実業家を想わせる自信に満ちた笑みを浮かべている。襟を立てたトレンチコートに身を包み、跳ねたもみ上げと男性にしては長いまつ毛が特徴的だ。
彼の名前は、ウォーレン=モーティマー。
「木星からの長旅、さぞお疲れでしょう。是非とも休憩をお取りになって下さい」
迎えに来ていたU3Fの軍人が鞄を持とうとするも、モーティマーはすぐにそれを断る。代わりに、立ち話を続けようとする。
「いやね、本当に最近気苦労が絶えませんよ。私の留守中に『ミスト・ガーデン』は襲撃を受けてしまうし、こちらもそれどころではなくなってしまってね。息子や娘たちと会う約束もパーになってしまった」
「心中お察しします。失礼ですが、お子さん達はどれくらいで?」
「17歳の娘と息子。それから13になる娘と、12の息子が一人ずつ」
「一番上で17……!? 会長様はお若いと伺っておりますが……」
「ああっと、これは失敬。私はあくまで育ての親でしてね、木星以外でも、色々なところで孤児を養ってやっているんですよ」
「そういうことでしたか。立派な心がけです」
「役職柄なのか、金だけは無駄に余ってしまうのでね。これくらい当然の行いですよ」
言いつつ、モーティマーは胸ポケットから一枚の写真を取り出す。写っているのは五人。モーティマー以外は、年端も行かない少年少女たちだった。
(エリー、アレックス、ミリア、テオ。果たして無事でいてくれているだろうか……)
それだけが、とても気掛かりだった。
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