第17章『赤い朱いミルカ 7』

 遂にミルカを撃つことができなかった。

 それがどういうことを意味するのかを考えてしまい、居た堪れないナットはついその場に立ち尽くしてしまっていた。

 ミルカという一個人の命と、『ダーク・ガーデン』に住む約500万人もの命。その二つが賭けられていた天秤は、ナットの私情によって傾けられてしまったのだ。

 それだけではない。自らの信条を説くことで善意のあり方を示してくれたバハムートの期待も、身を呈して戦ってくれたデフの決意も、何より自らを撃てと言ってくれたミルカ本人の意思までも、ナットは踏みにじってしまったのだ。

 これは他でもない、ナットのであった。


(果たして本当にそうだろうか)


 確かに自分はコロニーの住民たちを死に追いやった。

 しかし、それによって守られた命だってあるのだ。

 ミルカはこうして生きている。それは、他ならぬ善意ではないのか。


──私は殺したくせに、あの娘はいいの?


 右に立つシェリーが言う。


──僕たちだって同郷……、彼女と同じじゃないか。


 左に立つブルックが言う。


(違う! お前たちなんかとミルカを一緒にするなッ!!)


 ミルカは俺に優しくしてくれた。それなのにお前たちときたら、俺を傷つけるばかりだったじゃないか。そんな奴らの命など、自分にとっては最早どうでもいい。価値なんてないんだ。


──俺たちの命にそんな価値はない。俺たちはモルモットなんだ。


 背後に立つアフマドが言う。


(そんなのは昔の話だ! 俺やミルカはお前たちとは違うッ!)


──それはあなたの言いがかり。あなた個人の価値観に過ぎない。

──個人の物差しで人の命を測るなんて、傲慢だよ……。


 斜め後ろに立つリリーとリリアンが言う。


(俺が俺の価値観で物事を観て、なにが悪いんだよッ! 俺に指図するなッ!!)

──ナット。私の命なんかに、そこまでの価値なんてないよ……?


 眼前に座るミルカが言う。


(でも、俺はお前の為に……)

──違う。私は撃たれることを望んでいた。それなのにあなたは私を生かしてしまった。他でもない、あなた自身の為に……。

(違う……! 俺はただ、お前さえ救われてくれれば、それでよかったんだ……!)


──私はそんなこと、望んでいなかった。


 ミルカに言われ、ナットは押し黙る。


──ても、あなたはそれを望んでしまった。これがあなたの望んだ結果。

 ナットの眼下に、赤く歪な世界が浮かび上がる。血肉が浮遊し、腐臭が込み上げてくる、そんな世界。


 


 赤い大地から、何本もの黒く汚れた長い手が這い上がってくる。それらはナットの足を掴み、必死に引きずり落とそうとしてくるようだった。


 


(そんな……じゃあ、俺は一体どうしたら……)


 俺はミルカというたった一つの命を救うために、500万もの以上を犠牲にした。俺が望んだ世界、結果、責任、選択。

 だが、ミルカはそんなことをちっとも望んではいなかったのだ。

 なら、俺はどうすればいい。

 誰に謝ればいい。

 誰に許されればいい。




「ミルカ……っ!」


 許しを請うように、ナットはようやく顔を上げ、現実と向き合う。


「ナット……」


 目の前で無重力を漂っているミルカが返事をしてくれた。

 そうだ、彼女は生きているのだ。

 これがナットにとっての現実であり、ナットの全てなのだ。

 自分はもう、これ以上は望まない。

 彼女が生きてさえいれば、それでいい。

 ナットはミルカに対して、心からの微笑みを向けた。




「私を……見ないで……」


 しかしナットの意に反して、ミルカは腕で顔を覆い隠してしまった。震えているもう片方の手には、ナットが手渡したサブマシンガンが握られている。


「……おい、ミルカ……何を……」


 ミルカは銃のグリップを両手で逆方向に掴み、銃口を甘噛みするように咥える。その姿は神に祈りを捧げ、救いを求める聖母のようにも見えた。


「やめろ……やめてくれ……なぁ、ミルカァ……ッ!!」




『サヨナラ』




 直後、空気を裂くような怒涛の金属音が鳴り響く。一度や二度ではない。フルオート連射に設定された二挺のサブマシンガンから放たれる銃声は、マガジンに装填された弾薬全てを撃ち切るまで続いた。やがて音が止むと、管理局内の腐臭をかき消すほどの硝煙の香りが漂った。


「ミルカ……? どうして……」


 今にも消え入りそうな声でナットが言う。しかし返事がかえってくることはなく、人の形をしたモノだけが周囲を漂っていた。どこまでも赤く、朱い物体モノ


(俺のせいなのか……? 俺のせいで、ミルカは……)


 ミルカはモノに変わり果ててしまった。


 それは何故か。


 俺が選択を誤ったから?


 俺がミルカの生存を望んでしまったから?


 俺がミルカの意向を無視してしまったから?


 全て、俺のせい……?



















(違う)


 俺は好きで選んだんじゃない。選ばされたんだ。


 俺は好きで望んだんじゃない。望まざるを得なかったんだ。


 俺は好きで無視したんじゃない。そうしなければならなかったんだ。


 全て、アイツのせいなんだ。




「フロッグマン………………ッ!!」


 全ての憎悪の根源。その名前を、ナットは噛み潰すように口にした。



「……ぅぐ…………うぅ……、痛っ……!」


 意識の戻ったデフは目を開くと、辺りは暗闇に包まれていた。どうやら先程の衝撃によりメイン回路がやられてしまったらしい。


「非常電源に切り替え……これでイケるか……!?」


 デフは暗がりの中、手探りで操縦席周りの機器を操作し、非常用電源へと切り替える。すると、モニターはすぐに点灯した。


「………………ッ!!」


 眼前に広がっていたその光景は、あまりにも現実離れしたものだった。

 つい先程まで街を形成していたコンクリートの建造物は瓦礫の山と化し、それらにピンク色の肉の破片のようなものが張り付いている。赤と白の絵の具が混じり合った、絵画の中にいるような極彩色の世界。それらがほんの少し前まで街中を歩き、食事をし、会話をしていた人間たちの成れの果てであるということをデフが理解するのには、さらに数秒を要した。


「………………う……ぷっ……」


 我に帰った途端、デフは急激な悪寒に襲われてしまう。必死に堪えようとするが、ついに抑え切ることができず、喉奥に溜まったどす黒い泥のようなものを自分の膝にぶちまけた。


 ナットたちはどうなった……?

 失敗したのか……?

 今、コロニーでは一体なにが起きている……?

 こうなってしまった以上、俺は何をすればいい……?


 朦朧とする意識の中、それでも必死に思考を纏めようとする。しかし、直後に被ロックオンを表す警告音が鳴り響き、デフの意識はモニターの向こうに現れた悪魔に向けざるを得なくなった。


《あーあ、残念だったねぇー。どうやら君の友人は、君の期待を裏切ってしまったようだ……プクク》

「くそっ……動けよ! キメラ・デュバル……ッ!!」


 スピーカーから発せられる男の声を聞くなり、デフは恐怖に身を震わせながら闇雲に操縦桿を動かす。しかし、半身に瓦礫を被ってしまっている今のキメラ・デュバルには身動きをとることができず、超大型チェーンソーを構えた処刑人が一歩一歩近づいて来るのを甘んじて受け入れるしかなかった。

 静止したコロニー。デフにとってその世界は、黄泉の国へと続く入り口のように思えた。



「キムさん」


 無事奪還に成功したコスモフリートの格納庫内で事後処理を指揮していたキムは、背後からのナットの声に振り向いた。


「ナット。……まぁ、何つうか、色々大変だっただろ。とりあえず今は部屋で休んで」

「クレイヴンは、今すぐ出せるか」


 キムの労いの言葉を遮るように、ナットは目の前に佇む黒い愛機に視線を向ける。キムには彼の表情が、まるで何か魔物に取り憑かれているような、そんな印象を受けた。


「あぁ……? いや、キメラ・デュバルの回収には既にKTとシンディ、それからポニータが向かってる。お前まで向かう必要はないぞ」

「違うよ、キムさん。まだが残ってるだろ」


 ナットは執念に満ちた険しい顔つきを浮かべて言う。その瞳に、もはやキムの姿など映っていなかった。



「天パ君ぅん、大丈夫だったかい!」

《ええ。機体にアンカーが装備されていたおかげで、何とか。駆動系に多少の負荷がかかってしまいましたが、戦闘行動に支障はありません》


 フロッグマンが遠隔操作型機械義手を操作したことによって『ダーク・ガーデン』の回転運動は静止し、シリンダー内にいる全ての人々や物体に凄まじい重圧が襲い掛かった。にも関わらずフロッグマンやアフマドが平然としていられるのは、人体と比べて──当然のことではあるが──頑丈で強固なDSWに搭乗していたからでもあるし、尚且つワイヤーを用いて機体を壁に固定させ、静止する瞬間に備えていたためでもあった。静止のタイミングを知らなかった筈のキメラ・デュバルのパイロットもどうやら辛うじて生きているらしく、DSWはまさに回転の静止という災厄コロニーサイレントから身を守ってくれた方舟であるといえよう。


《……っ! 港口から、コスモフリートのソリッドが三機接近してきます!》

「ほほーん。正義の味方がようやくのお出ましか……。しかァし!!」


 こちらに接近しつつライフルで射撃してくるソリッドに物怖じせず、アリゲーターは右手に持った超大型チェーンソーの刃を振動させる。フロッグマンにはソリッドの射撃が牽制であって当てる気はないということも、それによってキメラ・デュバルから自機を遠ざけようという狙いがあるということも、すべて筒抜けであった。


「遅れてこそ輝くヒーローとて、大遅刻しちゃあ意味ないでしょうがァァァァッ!!」


 眼前の、瓦礫に挟まれ身動きが取れなくなっているキメラ・デュバルに対し、無慈悲にもアリゲーターが襲いかかる。両の手で構えた超大型チェーンソーを頭上に掲げ、そして容赦なくそれを振り下ろす──。




 その時だった。

 アリゲーターの真横……何もない空間から突如として、透過されたベールを脱ぐように黒い影が出現する。闇をも吸い込んでしまいそうな漆黒の装甲で覆われたその機体は、まさに“渡り烏レイヴン”と呼称するに相応しい、禍々しくも勇敢な外見であった。

 その黒い機影はアリゲーターのレンジ内に飛び込むなり、両手に構えた二挺のマシンガンを、さらに胸部や肩部等のあらゆる場所に搭載されたバルカンの砲塔をすべてこちらに向ける。いくら屈強な装甲を誇るアリゲーターといえど、これだけの火力を耐えきれるとは考え難い。即座にそう判断したフロッグマンは、すかさず機体をブースターで飛翔させ距離を取る。


《何故だ、何故ミルカを殺した……?》

(あん? オープンチャンネルだぁ……?)


 通信回線から、どこか聞き覚えのある声が飛び込む。声質からおそらく年齢は10代後半くらいの少年だと推測できるが、その声音はどこか憎悪に満ちているように思えた。


「この感じ……。さてはこいつ、無痛症のガキだな。 ……アハァ」


 まるで包み隠そうともしていない、純粋な殺気。それを肌身で感じ取り、フロッグマンはつい満面の笑みで顔を歪ませた。



「ナット! それにKT達もか!? 助かった……!」


 駆けつけたクレイヴンと3機の黒いソリッドを見て、キメラ・デュバルのコックピット内にいたデフは心底安堵した。


《そいつがキムの言っていたキメラ・デュバルか……。デフ、機体はまだ動かせるか?》


 KTに問われ、デフは悔しさに顔を滲ませながら答える。


「ああ、問題ねェ。……と言いたいところだが、下半身をひどくやられちまってる。悪ィがこっから動けそうにない」

《了解だ。バロム4、5、6! 俺たちであの二機を抑えるぞ!》

バロム4シンディ、了解……ッ!》

バロム5ポニータ、りょーかい!》


 KTの指示に呼応するように、三機のソリッドは統率の取れたフォーメーションをとる。しかし、残る一機だけは全くそれに同調しようとさえしなかった。


《おい、バロム6! 何をしている!? ナット……!》


 陣形から逸脱したクレイヴンは、闇雲に黄緑色の機体の影を追っていく。KTの必死の呼びかけにさえ、ナットは応じようとしなかった。


《……ええい、仕方ない。黄緑色のDSWはクレイヴンに任せる! 白い方は、俺たちで相手をするぞッ!》


 部下の命令無視に対し多少苛立ちつつも、KTはその感情を包み隠すように、残りの部下二人に再度指示を飛ばした。



《まさかテメェが今はコスモフリートに居たとはねぇ〜! バハムートにでも拾われたクチかい!?》


 目の前で対峙する男の声が、スピーカーから発せられた。その声にナットは怒りで奥歯を噛み締めつつ、冷徹な言葉を返す。


「そんな事はどうでもいい。何故ミルカを殺す必要があった。お前の目的は、コスモフリートへの報復だったんじゃないのか」

《そんなのわざわざ聞かなくても解るでしょぉう! ひょっとしておたく、理解力がちょーっと残念なんじゃあないのォ?》

「ならば尚更、何故ミルカを殺す必要があったんだと聞いているんだ……ッ! コロニーの住民を巻き込んだことだってそうだ。コスモフリートに報復をするのが目的なら、コロニーサイレントを起こす必要もなかっただろ……!」

《殺す必要……? ハハァン……、大有りだよ》


 ナットの問いに、フロッグマンが解答する。


《だってそうだろう? ただコスモフリートに報復するだけ、それの何が楽しい? 否ッ! そんな復讐はツマラナイ! 復讐の醍醐味は相手を殺すことじゃあない。相手を痛めつけ、傷つけ、苦しみを味合わせることにあるんだぜェ!》

「……お前は一体、何がしたいんだ」


 すると、フロッグマンは間髪入れずに返事をしてくる。


《なにってそりゃあ。……“”だよ》


 言われ、ナットは思わず押し黙った。

 “嫌がらせ”だと? つまりこの男の目的はコスモフリートやバハムートに対して直接手を下すことではなく、間接的に、そして精神的に追い詰めたかっただけ……? そんなことの為だけに、『ダーク・ガーデン』に住む約500万人もの住民を、そしてミルカを巻き込んだのか……?


《大体さァ。僕チンらが住民を殺した、ってのも言い掛かりじゃあないのォ? 殺したのは俺じゃあない、お前たちなんだからさァ! 救う余地だって与えた筈だぜぇ!?》

《聞くな、ナット!》


 饒舌に語るフロッグマンの声を、KTが遮る。だが、自分の身を案じてかけられたそんな言葉も、今のナットの耳には届いていなかった。


《ほほぉん? 今はナットって呼ばれているのかい! 俺がこうして目的を達成できたのもお前のおかげだ。感謝してるぜぇ? ナット、ナットォ……、ナァットォ〜ン?》


 その言葉に、遂にナットの怒りが頂点へと達する。血液はマグマのように沸騰し、顔面はもはや平常時の面影を残さないほどに憎悪で歪んでいた。眼球が飛び出てしまいそうになるくらいに、ナットは黄緑色の目を大きく見開き、そして牙を剥いた。口を大きく開き、腹の奥から込み上げてくるドス黒い感情を、叫ぶ。




















「死ぃぃぃねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」


《ハハアッ!! 死なば諸共ォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!》




 咆哮が飛び交い、黒と黄緑、二機のDSWが衝突する。

 決戦の火蓋が、今まさに切って落とされた瞬間であった。



「俺が、クレイヴンを?」

「ああ、こいつが手に入ったのもお前の手柄だからな。今日からは、こいつがお前の愛機だ」


 キムに言われ、ナットは格納庫にそびえ立つ黒いDSWをまじまじと見つめる。つい先ほど搬入作業が完了したばかりのその機体はLOCAS.T.C.が開発を進めていた実験機であり、試験運用をしていたところをコスモフリートに強奪されたのだった。


「となると武器が必要だな。こいつ用の武器までは盗めなかった以上、ソリッドのライフルを流用することになるか……」

「いや、武装はマシンガンかガトリングガンがいい」


 顎に手を当てて考え込むキムの言葉を、ナットが遮る。


「……そりゃ、どうしてだ?」


 すると、ナットは眼前のクレイヴンを見据えながら、キムの方には振り向きもせず質問に答える。


「銃弾には、無念だと散っていった人達の想いや、死んでいった仲間たちの魂がこもっているからさ。そいつらが報われるには、数十発ライフル程度じゃ足りない」


 淡々と答えるナットを見て、キムはつい困惑した表情を浮かべてしまう。これには正規軍に比べて弾薬の補充が遥かに難しいというコスモフリートの懐事情が大きく関係していたが、ナットはそんなことを察することもなく続ける。


「……それに、万が一ってコトもあるだろ」

「その、万が一ってのは何だ?」

「何って、そりゃ……」



 

 


 クレイヴンは両手に握るその二対の得物を、アリゲーターにのみ向ける。自らの殺意も、散っていった者達の怨念もその弾丸に込めるように、ナットは引き金に触れる人差し指に力を入れる。


「目には目を……歯には歯を……鼻には鼻を……耳には耳を……。命には、命を……ッ」


 詠唱をする祓魔師のように、ナットは囁いた。彼の意識は最早フロッグマンを殺す事だけに集中しており、他の事は一切頭に入っていなかった。そして、アリゲーターよりも運動性の勝るクレイヴンを駆るナットは、その機体性能をもって相手を撹乱するべきだと本能で判断し、機体を思い切り飛翔させる。回転運動の静止により無重力となった『ダーク・ガーデン』の空を、クレイヴンが駆け巡る。赤い肉の破片や砕けたコンクリートが空中に漂っていたが、そんなものは今のナットの瞳には映っていない。唯一、彼の瞳に映っているモノ……アリゲーターに照準を合わせ、引き金を強く引く。


「死ねぇ!! 死ね……! 死ね……ッ!! 死ぃねえぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

《ハハァッ! 無益な殺しはしねぇのが、コスモフリートの流儀じゃあねぇのかァ!》


 二挺のサブマシンガンの銃口が咆哮をあげる。しかし、射撃にいち早く気づいたアリゲーターはすかさずこれを回避し、放たれた銃弾の奇跡は、虚しく虚空を通り過ぎていった。


「俺は人殺しじゃない!! だが、お前をもう人とも思っちゃあいないッ!!」

《ひでえ言い様だなァ! 俺には人権すらねぇってかァ? えぇ、モルモットさんよォ!!》

「お前のような奴がぁッ! 人であって……たまるかァァァァァァッ!!」


 距離を取ろうとするアリゲーターに、それでも尚クレイヴンは急迫する。気の休む暇すらも与えないように、サブマシンガンは再び鉛の雨を放つ。


「お前はもはや“災害”なんだよ……ッ! お前はただ己の慢心の為だけに悪意を拡散させて、関係ない者すらも巻き込むんだ! だから俺は善意の名の下に、お前という存在を消してやる……ッ!!」

《正義を気取る割には、今のテメェのツラもひでぇもんだがなァ!》


 刹那、これまで背を向けて逃げ惑っていたアリゲーターが急にこちらを振り返ったかと思えば、片手で質量破砕バスターハンマーを構え、その場で大袈裟に振るった。無論、格闘戦用の武器であるハンマーをこの間合いで振るったところで、数十メートルも離れているこちらには届く筈もない。ナットはそう思っていた。

 だが、フロッグマンはその意表を突く。


「……ッ!!」


 ハンマーの柄部分。その底辺と左掌のアンカーを連結させることで、リーチを通常の数倍にまで伸ばしていたのだった。大振りのスイングで放たれたワイヤー付きのハンマーは、弧を描いて横薙ぎにクレイヴンへと襲い掛かる。

 ナットはすかさず防御姿勢をとらせつつ、スラスターを噴かして回避運動をとる。しかし、咄嗟の回避が間に合う筈もなく、右の真横から迫り来るハンマーは、クレイヴン右腕部の肘下装甲を容赦なくえぐった。

 バランスを崩し仰け反ったクレイヴンに追撃するべく、右手にチェーンソー、左手にハンマーを構えたアリゲーターが急接近する。


《おらおらどうしたァ! 俺の存在を消してやるんじゃあなかったのかよォ!》


 サブマシンガンと各部バルカンで牽制しつつ距離を取ろうとするクレイヴンだったが、アリゲーターは一切の減速をすることなく、これらの弾幕を次々と回避していく。そして遂に、クレイヴンの目と鼻の先にまで追いついてしまった。


《チェェェェストオオオオォォォォォォォォォォォオオウッ!!》


先ほどまでの勢いを殺さないまま、右手に持ったチェーンソーが振り降ろされた。刃を振動させたチェーンソーの刀身は、まるで紙を裂くように、クレイヴンのボディを両断していく。、クレイヴンへの攻撃にはまるで手応えが感じられなかった。


《……って、あらん?》


 消え行くようにその空間からフェードアウトしていくクレイヴンの分身を見て、フロッグマンもようやく気づいたようだ。


(インビジブルコーティング・モードCの、その応用……ッ)


 本来ならば、自らの装甲表面に周囲の映像を投影することで、擬似的に機体を透過させる為の機能。ナットはそれを立体映像として自機の周辺に投影したことで、視覚的にではあるが分身を出現させていたのだ。

 周囲を漂う建物の破片から、のクレイヴンが飛び出す。それらはアリゲーターを取り囲むや否や、すかさず砲弾を浴びせにかかる。


《アヒャッハッハハッ! 気持ち……イイぜェ……お前の殺意……! もっと浴びせてくれよォ!! 堪らないなァ、イッちまいそうだぜェ……!》

うるさい……! 全部お前のせいなんだ……全部お前が悪いんだ……ッ! お前みたいな人間は、死ねえぇぇぇ……ッ!!」

《オイオイ! さっそく支離滅裂してるじゃねえかァ! 俺は“災害”なのか“ヒト”なのか、どっちなんだァ? えぇッ!?》

「黙れッ!! 喋るな! これ以上息を吸うなッ! お前は生きているだけで人を不幸にする害虫なんだ! いい加減、モノに変われよぉぉぉぉぉぉッ!!」

《モノ、ねぇ……。結局それが本音じゃねえかァッ!!》


 フロッグマンが言い放つと共に、アリゲーターの胸部・背部にあるスリットが解放され、全身から四本のアンカーが射出される。それらは三体のクレイヴンの幻影を容赦なく貫き、残るをも執拗に追尾する。


「ク……ッ! 何が……ッ!!」


 クレイヴンを後退させつつ、サブマシンガンを用いて迫り来るアンカーを辛くも迎撃する。しかし安堵する暇もなく、アリゲーターの左掌から放たれたもう一本のアンカーがクレイヴンを取り巻いた。


《俺とお前は同類だぜェ、ナットォ……。死んだ人間を物体モノとしか捉えることのできない、血も涙もない人間。それも敵を物体モノに変えることで、初めて安心できるような最低野郎だァ……》

「お前と一緒に……するなァ……ッ!!」


 言い返しつつ、必死に抗おうとするナット。しかしナットの抵抗も虚しく、腕部ごと胴体を縛られ身動きの取れなくなったクレイヴンは、無慈悲にもアリゲーターの元へと引き寄せられていく。


《いいや、言うねェ!! お前は俺と同じ、殺人を肯定するどうしようもない屑野郎だ! そのうち、人を殺すことが快楽にさえなってゆく……あぁっ! 堪らねぇなァ、ナットォ!!》

「黙れッ! 黙れ、黙れ! 黙れええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 左手のアンカーを巻き取りつつ、右手に超大型チェーンソーを構えるアリゲーター。おそらく、クレイヴンの接近と同時に斬りかかるのが目的だろう。両手を封じられ、尚且つ近接戦闘用の武器を一切持たないクレイヴンにとっては、この上なく不利な状況であると言えた。


《お前は好きだぜェ、ナットオオォォォォォォォォォォッ!!》


 接近するタイミングを見計らって、アリゲーターの持つ刃の回転したチェーンソーが、クレイヴンの胴体部を目掛けて大きく振るわれる。あんなものに噛み付かれてしまえば、DSWの装甲など容易に切り裂かれてしまうだろう。


「まだだァ……ッ!!」


 そう簡単に敗北を受け入れるナットではない。クレイヴンの両肩にある円筒状のパーツがスライドし、光の傘にもみえるエネルギー幕……サイド・エネルギーバリアが展開される。そして最大出力で発生させているバリアを、ナットはアリゲーターにぶつけるように移動させた。

 かくして、サイド・エネルギーバリアはチェーンソーの攻撃を寸前で防ぎつつも、アリゲーターの装甲と接触して派手な火花を散らしてゆく。


「そのまま……、焼き切れろおおおォォォォォォォォォ……ッ!!」


 ナットの執念に満ちた瞳は、瞬きすらせず眼前のアリゲーターを捉える。エネルギーバリアはアリゲーターの胴体部にまで食い込み、やがてその切れ込みから爆炎が一斉に吹き出した。

 直後、遂にアリゲーターは爆散し、絡み合っていたクレイヴンもまた炎の渦の中に飲み込まれてゆく。コックピットに強い衝撃が奔り、ナットは思わず、祈るように目を瞑った。



 数十秒ほどだけ気絶していた後、ナットの意識はすぐに戻った。

 すかさず機体のコンディションを確認する。どうやらアリゲーターの爆発に巻き込まれたクレイヴンは特に右半身をかなり損傷しており、右側のカメラアイや脚部は殆ど機能停止にまで陥っていた。最大出力で稼働させたサイド・エネルギーバリアは冷却が追いつかず、どうやらオーバーヒートを起こしてしまっているらしい。このままでは誘爆の危険性があると即座に判断したナットは、クレイヴンの両肩部をパージさせる。無重力の空中に放たれた円筒状のサイド・エネルギーバリア発生装置は、慣性に従ってクレイヴンの元から離れていった。


(そうだ、アイツは……ッ!?)


 レーダーと照会しながら、ナットは辺りを必死に見回す。しかし、アリゲーターの姿は何処にも見当たらず、代わりに黄緑色の装甲の破片だけが宙を漂っていた。


(殺ったのか……? 俺が、アイツを……)


 自分がフロッグマンを殺した。その事実が、次第に現実味を帯びてくる。

 別に悔やんでいるわけでもなければ、哀れんでいるわけでもない。あの男に対してそのような感情は一切湧いてこなかった。ただ、あまりにも呆気ない幕引きであったと、そう感じただけのことだ。


「…………ミルカ……。仇は、取ったぞ…………」


 だから。返事をしてくれ。


 感情の遣り場を見失っていたナットは、力のない笑い声をあげる。眼前で漂うアリゲーターの破片を見ながら、かすれた声で、嗤う。

 望みを果たすことは出来た。多くの善意ある者達の魂を奪った、悪意の源流。その根源を、自らの手で絶つことができたのだ。

 ならば、この虚しさはなんだろう。

 俺は他者のため、善意のため、失われた多くの命のために、自分にやれることを全てやり尽くした筈だ。

 それなのに、褒めてくれる人間は誰にもない。

 返ってくるのは、静寂と空虚さのみだった。




「アハハハ…………ハァ……ハァ……。……ぅ、うううううううううううううううううううううううううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」




 ナットは、吠えた。

 まるで死を弔う狼のように、あるいは悲しみに暮れる赤ん坊のように、ナットは悲しき雄叫びをあげた。


 しかし、彼の望む声は、やはり還ってなどこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る