第8章『決別するアフマド 3』

「ナットさん! それは……?」


 広場を後にしたナットが手にしていたモノを見るなり、エリーが不審顔で訊ねた。


「ああ。知っての通り、連中が配っていた無線機だ」


 応え、ナットはその無骨なデザインの無線機をテーブルの上にそっと置いた。直方体の側面にはラベルシールが貼られ、“E-57”と記されている。


《こちら、管理局より“Eグループ”。次の指示があるまでの間は各自、自由に捜索に当たっていてくれ》


 無線機のあまり良い音質とはいえないスピーカーから、フロッグマンとは違う若い男の声が発せられる。その声に、ナットは聞き覚えがあるような気がしてならなかった。もしかしたらこの声の主はシェリーと同様にモルモットチルドレンかもしれないが、数年経っているのだから声も変わっているはずなので、それだけでは判別できない。


「まさか、本当にバハムートさんをテロリストに差し出しちゃうんですか……?」


 不安そうに聞いてきたのはミリアだ。彼女の言う通り、この無線機はコスモフリートの頭領、キャプテン=バハムートを捕らえる為に配られていたものである。そのような代物を、部下であるナットが受け取っていたのだ。ミリアが疑問を抱くのも無理はない。

 しかしナットは決して、自分達にとっての親方を明け渡そうなどとは考えてはいなかった。かといって、コロニーの住民を見殺しにできるほど、彼は非情でもない。


「いいやその逆だ。これを使ってコロニーの何処かに居る筈のおやっさんと合流して、管理局にいる犯人を潰す」


 淡々と語るナットの表情に、もはや昨日の夕飯時のような剽軽さは微塵も無い。今の彼は、獲物を狩るべく入念な準備を行う狩人であった。


「潰すって……。そんなことをしたら、コロニー住民の大半を敵に回すことになるんじゃ……」


 先ほど広場にいた者のうち殆どは、シェリーから無線機を受け取り、バハムート捜索の協力者と化してしまっているのが現状だ。白兵戦の経験があるナットといえど、多勢に無勢では流石に無謀である。

 もちろん、そのことについてはナットも承知の上だ。だからこそ、より勝算のある方法をナットは選ぶ。


「俺が相手にするのは、あくまでフロッグマンだけだ」


 要は、全ての元凶であるフロッグマンさえ仕留めてしまえば、事は丸く収まるのだ。彼に協力している民間人の人々も、決して心から服従しているわけではない。むしろ、不本意でさえあるはずだ。

 そして、あの男に従わされているのは、『ダーク・ガーデン』の住民たちだけではない。


「リーダーだけを? そんなこと本当にできるの?」

「一人じゃ無理かもな。だからこそ、フロッグマンが従えている部下を、こっち側に抱え込む」

「部下って……、もしかしてシェリーのこと?」


 ミルカが確認をする。すると、先ほど広場でのナットとミルカのやり取りを見ていて何となく察しがついていたのか、エリーが質問をしてきた。


「その人、広場で無線機を配っていた女の人のことですよね。もしかして彼女も昔、ゲノメノンの施設に居たんですか?」

「そうだ。多分、他にも何人かがあいつの支配下にいると思う」


 そもそも、コロニー内に潜んでいるバハムートを捕まえるのが敵の目的ならば、こんな回りくどい真似をする必要もないのだ。そうしないのは、単に相手側の手駒が圧倒的に不足しているからであろう。民間人の手さえ借りようとしているくらいなのだから、組織と呼べるほどの人員が揃っているかどうかすら怪しい。


「そいつらをこの通信機を使って上手く誘き寄せて、協力を持ちかけるんだ。あいつらなら、手を貸してくれるに違いない」


 この無線機は、いわば敵側が情報を共有することで円滑に行動を進める為のネットワークだ。この見えない電波の蜘蛛の巣は、かつての仲間達にも繋がっている。であれば、こちらが揺さぶりをかければ、その声はきっと糸を伝って彼らへと届くはずだ。


「俺はさっそく行動に移すが、お前たちは……ん?」


 言いかけたところで、着信音が鳴った。無線機のものではない。ナットの私物である携帯端末から発せられていた。

 ナットは上着のポケットから携帯端末を取り出すと、連絡を寄越してきた相手を確認する。画面に表示されていたのは、パウリーネの名前だった。現在病院内に居るはずの彼女が通話をしてしまうのはマナー的にいかがなものかと思ったが、かといって無視するわけにもいかないので、ナットは通話に応答する。


「もしも……」

《大変よナット! いま病院で、テロリスト協力者達の暴動が発生しているの!》


 携帯端末越しに聞こえるパウリーネの声はひどく切羽詰まっている様子だった。


「暴動? おやっさんは、いま病院にいるのか!?」

《いいえ、キャプテンはここには居ないはずよ! 多分、それとは別の目的があって病院が襲撃されている!》

「別の目的……?」


 つまり、フロッグマンの目的はキャプテン=バハムートの身柄だけではないということだろうか。だとしたら、その病院にあるとされる別の目的とは?


(まさかとは思うが、奴らの狙いはアレックスか……? いや、流石にそう決め付けるのは早計か……?)


 ゲノメノン社の残党が病院を襲う理由など、挙げるとしてもこれくらいしかないだろう。軍の重要機密であったピージオンに搭乗してしまったアレックスは、もはや普通の民間人ではない。となれば、ゲノメノン社はかねてより密接な関係であったLOCAS.T.C.にアレックスを差し出すことにより、信頼を取り戻そうとしているのだろうか。

 連中はアレックスに関する情報をどこで手にいれたのか、という不明瞭な疑問も残ったが、これ以外にゲノメノン社が病院を襲う理由など思い浮かばなかった。


「それで、アレックスは。無事なのか!?」

《ええ。手術を終えたばかりでまだ昏睡しているけれど。とはいえ、彼を安静にしている必要がある以上、病室からは出られない……きゃっ!》


 パウリーネの短い悲鳴と同時に、鈍い銃の連射音やガラスの砕ける音が響く。


《とにかく、まずはアレックス君を病院の外へ運び出す必要があるわ! 手伝ってくれないかしら!? 場所は昨日の病室よ!》

「わかった。すぐに行く! それまで持ち堪えていてくれ!」


 通話を切ったナットは端末を仕舞うと、エリー達のほうへ目をやった。話を聞いていた彼女たちは、顔面を蒼白とさせている。


「聞いての通り、俺は病院に向かう。お前たちは安全なところに……」

「私も一緒に行きます。ナットさん」


 避難を促そうとしたところで、エリーに遮られてしまった。さすがにこの答えは想定していなかったナットは、慌てて彼女を制する。


「それは駄目だ! 通話を聞いた限り、連中は武装だってしている。戦えないお前が来たって、危険なだけだ!」

「戦えなくても、アレックスを運ぶのを手伝うことくらいはできます! それに、私はこれまで何度も彼に助けられた。その恩を返したい……だから!」


 エリーは真っ直ぐな瞳でナットを見据えた。彼女が掲げた二つの理由のうち、後者が本音だということは、女心に疎いナットでもわかる。


「私も手伝う! お兄ちゃんが心配だもん」

「ナット、私からもお願い。あの病院なら行き慣れてるから、水先案内くらいならできるわ」


 いつの間にか三人の少女に言い迫られていたナットは思わず面食らう。こうなってしまっては、断ったところで這いつくばってでも付いてきそうだ。


(……ったく、モテる男は羨ましいねぇ。じゃあ、俺は精々ナイト役にでも徹しますか)


 ナットは、ジャケットの内ポケットに仕込んだ二挺の銃の感触を確かめつつも、三人の同行を渋々了承することにした。


「わーったよ。その代わり、俺の足を引っ張るような真似だけはするなよ」



《こちら“タッドポール1”。目標は以前として見つからず。引き続き、探索を続行する》

「はーい。がんばってねーん」


 管理局のデスクチェアに座しながら、フロッグマンはディスプレイに映る『ダーク・ガーデン』のマップに視線を注いでいた。線と線で繋がれた簡素な三次元マップ上には、無線機の位置座標がオレンジ色の点としてマッピングされている。


「んっン〜?」


 流れ作業のように地図を眺めていたフロッグマンの目が、ある一点でピタリと止まる。

 民間の“協力者”達が市街を捜索している中で、たった一つの点だけが、真っ直ぐに病院へと向かっていた。無線機のナンバーは“E-57”を示している。


「ほーん。この彼……もしくはカノジョ、なかなか鼻が利くじゃなぁい」

「この者の動きは明らかに不自然です。即刻排除するのが得策かと」


 フロッグマンの背後で“休め”の姿勢をとっている痩せ細った長身の少年が、彼に耳打ちをする。が、フロッグマンはそれを大袈裟に払いのけた。


「ヴァッカモォォォォン!! そう何でもかんでもすぐに人を殺そうとしちゃあ、“めっ”でしょうが!」

「いやしかし、我々はバハムートという人間を殺すために行動しているのでは……」

「言い訳はおヨシッ! はしたない!」


 何だかよくわからないうちに言い負かされていた少年は、少し腑に落ちないといった様子だったが、仕方なく押し黙った。


(さて、この“E-57”。まだ青臭いが、悪くない判断だ)


 再びディスプレイに目を向ける。どうやら“E-57”と記されたオレンジ色の点は病院に到着したようだ。


(……少し遊んでやるか)


 フロッグマンの口元が歪にほころんだ。



 ようやく辿り着いた街はずれの病院には一切の灯りが点っておらず、半日前に訪れた時とは打って変わって不気味な雰囲気を醸し出していた。


「こっちに裏口があるわ」


 手招きしながらミルカが誘導する。自らを水先案内人と称していただけあって、敷地内の地図は頭にしっかりと叩き込まれているようだ。

 棟内からは未だに銃声が鳴り響き、一向に止む気配はない。いざという時に戦えるのがナット一人だけということもあり、正面出入口から堂々と突入というのはあまり利巧な判断だとは言えないだろう。ここはミルカに着いて行くことにした。

 案内されたのは職員用の玄関口だった。人目につかない裏側に位置しているためか、アルミ製の扉はあまり掃除の手が行き届いていないらしく、薄っすらと黒ずんでいた。

 先陣を切っていたミルカは、さっそくドアノブに手をかける。がしかし、


「あれれ。開かない」


 扉には鍵が掛かっていた。関係者以外は立ち入りが禁止されている扉なので、当たり前といえば当たり前である。


「ちょいと下がってろ」


 ナットはミルカを退けると、上着の内ポケットからサブマシンガン一挺を取り出した。オートマチック機能をセミオート射撃に設定し、ドアノブに向けて一発だけ銃弾を撃ち込む。

 すると、扉は問題なく開かれた。


「ミルカ。ここからアレックスの病室まで距離はどれくらいだ?」

「3階の311号室だから、ここのほぼ真上のはずよ」


 どうやら裏口から病室までの距離はそれほど遠いわけではないらしい。というよりも、きっとミルカが目的地に近い入り口を選別してくれていたのだろう。一見軽薄そうにみえて意外と思慮深い一面を持っていた彼女に、ナットは少なからず関心を覚えた。

 一先ずナット達は上の階に登るべく、最寄りのエレベーターへと向かう。病院内の廊下は薄暗く、灯りも最低限しか灯っていないようだった。

遠くでは依然として空気を引き裂くような銃の連射音が鳴り響いている。騒動が収まる気配はまだない。

 こちらで武器を持ち取り扱えるのがナット一人だけな以上、なるべく敵との交戦は避けつつ進むのが得策だろう。

 そのようにナットが思考を張り巡らせている内に、一同はエレベーターの前へと辿り着いた。

 上階行きのスイッチを押し、四人は少し広めに設計された病院用のエレベーターへと乗り込む。ちゃんとエレベーターにも正常通りに電気が通っているかが心配だったが、この様子だとどうやら問題なく動きそうだ。

 扉が閉じ、エレベーターがゆったりと動き出す。しばらくして、四人を乗せたカゴはすぐに三階へと到着した。


「このまま何も起こらなければいいけれど……」


 アレックスの居る311号室へと向かっている途中、エリーが不安そうに呟いた。幸い、ここまでの道中では一切の戦闘は発生しておらず、スムーズに行動することができている。寧ろ、不自然なくらいに円滑に進みすぎている現状に、違和さえ感じていた。


「ああ、そうだな……」


 警戒するあまり心ここに在らずといった様子のナットが、適当に返事をした。

 その後も銃を構えたナットを先陣に歩いていた四人は、ついに目的地である311号病室の前まで来た。

 病室のスライド式の扉は僅かに開けられている。ナットは扉の隙間に銃口を向けつつも、室内の様子を覗く。特に敵は居なさそうだと判断したナットは、物音を立てずにドアを開け放った。

 すると、不意に室内で小さな物音が鳴った。ナットはすかさず銃口を音のした方へと向ける。


「待ってナット! 私よ!」

「パウリーネさん……!」


 物陰から姿を表したのはパウリーネだった。どうやら敵を警戒して、物陰に隠れていたらしい。彼女の側には、車輪つきの医療用カプセルに寝かせられたアレックスの姿も確認できた。


「アレックスの容体は?」

「重要な器官の機械(インプラント)化は完了しているけれど、まだ目覚められる状態ではないわ」

「わかった。とりあえず、はやくここから脱出しよう」


 銃を構えたナットが廊下に出て、医療用カプセルを運ぶエリーとミリアが続けて部屋を後にする。ここまで来れば、あとは来た道を辿っていけば病院を脱出することができる。

 しかし、ことはそう上手く運ぶことはなかった。

 エレベーターに乗り込もうとしたその時、暗い廊下の奥から足音が近付いてくるのが聞こえたのだ。足音はゆっくりと、しかし確実に大きくなってきている。


「ミルカ、皆を頼む!」

「ナットは、どうするの!?」

「敵の注意を引きつけておく。その間にお前たちは病院を出ていてくれ!」


 ミルカが何かを言い淀んだところで、ナットは有無を言わせず彼女らを押し込み、エレベーターの扉を閉じた。

 降下していくエレベーターを示すランプを見送っていると、もう足音はすぐ近くにまで迫ってきていた。

 ナットは振り返る。暗闇に包まれた廊下の奥から現れたのは、数名の民間人を従えた一人の少年だった。中東系のやや浅黒い肌を持ち、灰色に近い天然パーマが目を引く彼を見て、ナットはまたもや嫌な予感が当たってしまったことに驚愕し、つい息を呑んだ。


「上から“E-57”の動きには注意しておけと言われていたが、まさかお前だったとはな」

「アフマド……!」


 シェリーと同様に、やはりフロッグマンはモルモットチルドレンであるアフマドさえも従えていた。かつて、自分に“ナット”という名前を与えてくれたルームメイト。そんな彼が、今は敵として立ちはだかっている。


「その名前は捨てた。俺はもうアフマドじゃない」

「じゃあ、なんて呼べばいい……?」

「今の俺に名前はない。どうしても呼びたければ、“タッドポール1”と呼べ」


 “タッドポールおたまじゃくし”。そのコールサインはさしずめ、フロッグマンカエル男の手足といったところか。


「お前はまだ“ナット”なのか?」

「ああ。今の俺はナット=ローソンだ。そして、もう俺は“B-22640179”でもなければ、ゲノメノンの実験動物でもない」

「見ないうちに、砕けたな。お前は」

「そっちはえらく堅物そうだ」


 二人は警戒を解くことなく、互いに視線と銃口を交錯させる。こうして会うのは9年振りだが、どうやら感動の再会というわけにもいかないようだ。


「アフマド。何故、お前がここにいる」

「そう命令をされたからだ」

「何故、病院を襲っている」

「お前に知る権利はない」


 ナットの質問に、アフマドは淡々と答えた。その言動の一つ一つにまるで人間味が感じられない。今の彼はまるで人間の姿をしたロボットのようだった。


(そうか。やはりアフマドは今も、フロッグマンの野郎に縛られているんだ……)


 モルモットチルドレンに自由はない。当時は研究者たちにそう教えられてきた。その価値観を変えてくれたのが、9年前に施設を襲撃したコスモフリートのメンバーだ。あの一件がなければ、ナットやミルカはあのまま籠の中で自由の意味さえ知らぬまま、溝鼠のように死んでいったのかもしれない。

 だからこそ、9年前にバハムートがそうしてくれたように、今度はナットがアフマドやシェリー達に、救いの手を差し伸べなければならない。


「……お前は本当に迂闊になったな。俺の知るお前は、もっと警戒心が強かった筈だぞ。だというのにお前は、無線機の位置情報を追跡されているとも知らずに、のこのこと病院まで来てしまっている。正直、失望したぞ」


 どうやら、無線機——つまりは協力者——の位置情報は、全てフロッグマンにも筒抜けらしい。きっと安全な場所で位置をマッピングして、協力者たちの統率を図ろうという魂胆だろう。


「……フフッ、クハハハハハハ!」


 唐突に、ナットが腹を抱えて笑い始めた。


「何が可笑しい」

「ハハハ……いんや、予想がここまで連続で当たると、わけもなく面白くなっちまってさ」

「何……?」


 正直なところ、無線機の仕様については“E-57”のラベルを見た時から既に見当がついていた。民間人を含めた大部隊を指揮するのであれば、位置情報を常に監視しないほうがむしろ不自然でさえあるからだ。


「では、お前はわざわざ“敵”に見つかるために、あえて不審な動きをとったというのか」

「半分正解ってとこだが、“敵”に見つかるため……ってのは少し違うな」


 言うと、ナットはこれまでサブマシンガンを握っていた拳をそっと解く。持ち手を失ったサブマシンガンは、コロニー内の疑似重力に引かれるがまま床に落ちた。


「お前を迎えに来たんだよ。アフマド」


 ナットは、9年振りに再会した親友に向けて笑顔を見せた。

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