第7章『決別するアフマド 2』

「全く、今日は娘の誕生日だというのに。これだ」


 ワイパーが車窓に付いた水滴を掻き分けているのを眺めながら、運転席でハンドルを握るダンナ=ベスは、本来休日であったにも関わらず出勤せざるを得なくなった現状をため息混じりに嘆いていた。彼の左腕の手首には、ジャンク屋コミュニティ加盟社の証である辛子色のリストバンドが付けられている。


「心中お察ししますよ。先輩」


 助手席に座るまだ若い青年が、あからさまに社交辞令だと言わんばかりに心のこもっていない声音で言った。

 私設の治安警察である二人を乗せた車両が現在向かっているのは、コロニー内の事象を司る管理局だ。昨日の夜から“雨”が降り始めた頃から何故か管理局との通信が途絶えており、さらに日の出の時間を過ぎているのにも関わらず、街は一向に暗いままである。この三つの事件に関連性があるとみた治安警察本部が二人を派遣したのは、つい30分ほど前のことだ。


「ほら、着いたぞ」


 コロニー管理局へと繋がるエレベーターの停車場にて、黒塗りのワゴン車から降り立ったダンナらは、拳銃を構え、警戒しつつ慎重に辺りを見回す。長らく整備されていないのか、アスファルトの地面は相当に傷んでおり、『ダーク・ガーデン』の抱える資源・資材不足という問題を垣間見ることができた。

 早朝という事もあり、周りに一切の人影がないことを確認すると、二人は一瞬たりとも警戒を怠ることなく、停まっている展望型の簡素なエレベーターへと乗り込む。正規の訓練を受けていないはずの彼らが何故ここまで手際良く行動できるかという理由は定かではないが、おそらく彼らが過去に数々の修羅場を潜り抜けてきたからであろう。このコロニーの住民には、そういった裏社会から流れてきた人間も少なくないのだ。


「なあ若造。この事件、どう見る?」


 コロニーシャフトのスプリンクラーから降り注ぐ大粒の雨を見つめながら、ダンナが部下に対して問いかけた。


「先輩も大体の見当はついているんでしょう? “事故”ではなく“事件”と言ったのが何よりの証拠だ」

「ケッ、可愛くねえ奴だ」


 部下に一本取られ、ダンナは不機嫌に続ける。


「ああそうだよ。これは恐らく管理局のシステムエラーなんかじゃあない。何者かによる人為的な犯行だろう」


 “雨”と“日の出”の件だけであれば『天候管理システムの不具合』というだけで一応説明がつくが、管理局はおろか宇宙港にいる人間の個人の携帯端末にさえ連絡がつかないという通報が数件あったことから、もはや制御系の異常という言葉では到底片付けられない。犯行動機までは定かではないものの、宇宙港全体が武装集団の類に襲撃されている、あるいはクラッキング攻撃を受けている可能性が高いだろう。


「僕も概ね同じ考えでした。やりますねぇ、先輩」

「おまっ、これ以上は上官侮辱罪だぞ……?」

「えぇ、冗談キツいですよ。今月は結構やばいのに」

「冗談が過ぎるのはお前だ、お前」


 その後も二人が他愛のないやり取りを続けているうちに、エレベーターは宇宙港へと到着した。カゴを降りた二人は、すかさず拳銃を構えつつ、管理局へと繋がる廊下を進んでいく。


「なんか……薄気味悪いですね」


 長い廊下を進んでいる二人以外に、人らしき気配は全くなく、空調のひんやりとした空気だけが突き抜けていく。いくら朝とはいえ、管理局員や運送業者の人間と誰一人としてすれ違わないのは、さすがに異常である。

 やがて二人は廊下の突き当たり部分、管理局室へと繋がるドアの前へと辿り着いた。扉の隙間から薄っすらと光が差し込んでいることから、何者かが中に居ることが伺える。


「いいか。俺がカウントしたら、部屋に突入する」


 部下に聞こえる最小限の音量でダンナが言った。


「スリー、ツー、ワン……GO!」


 ダンナは合図をすると共にドアに手をかけ、勢いよく開け放つ。管理室内部に侵入した二人は形式的に銃を構える。

 天候や軸の回転速度など、コロニーの様々な事象をモニタリングしている幾多もの巨大ディスプレイを眺めていたボディビルダーのように体格の良い男が、デスクチェアを回してこちらに振り向いた。


「これ以上、下手な真似はしないことだ。ここの警察は政府の犬でもなければ、犯罪者を庇ってやれるような法律もないからな。俺の一存で射殺しようが、A4サイズの始末書一枚で済むくらいだ」

「ちょ、タンマタンマ! そんなことしないってぇ!」


 ダンナに銃口を向けられ、男は両手を挙げた。勿論、男が無抵抗を示そうが警察の二人は一切の気を緩めずに尋問を続ける。


「ここで何をしていた? 目的は?」

「うわぁ、なんだかデジャビュな質問だぁ。読者様の『またこの展開か……』って顔が見えるようだよぉ〜」


 依然としてへらへらと汚い笑みを浮かべている男の顳顬に、ダンナは重い銃口を突き付ける。しかし男は一切物怖じすることなく、張り付いた笑顔が崩れることもない。


「……脅しのつもりかい?」

「それで済めば、こちらとしても楽なのだがな」


 こいつは間違いなくプロだ。ダンナの経験がそう告げると同時に、危険信号を発していた。


「へへっ、見ての通りさ。このコロニーに雨を降らせてやってたんだ」

「動機は」

「そりゃあ、ねぇ……」


 どこか歯切れの悪い男を叱咤しようとダンナが一歩詰め寄ったその瞬間。背後から何者かが音もなく近づいてくるのを、ダンナは本能で感じ取った。

 すかさず後ろを振り返った時には、既に部下が悲鳴を上げることもなく首筋を切断されていた。グロテスクな血肉の模様を描く切断面には、白い脊椎骨すら覗けている。


(一体誰がこんな……ハッ!?)


 ダンナの注意が削がれた一瞬。その一瞬の隙に、華奢な人影が眼下に滑り込む。

 影の正体は金髪でショートボブの少女だった。線の細い少女だったが、彼女の手には鉄の板のような見た目の無骨な直刃の剣が握られている。

 一瞬の不意を突かれたダンナは少女の足払いをくらってバランスを崩してしまう。彼女の細長い足からは想像もつかない程の蹴力だった。

 少女は仰向けに倒れたダンナに馬乗りになると、両手に持ち替えた得物を逆手に構え、


(まだ娘と同じ年頃の少女だというのに、これではまるで殺人のーー!)


 頭部を目掛けて思い切り振り下ろした。勢いよく吹き出た鮮血が、部屋の天井に不規則な模様を描いていく。


「この雨はシャワーの代わりですよ。後でカラダを洗いやすいでしょう?」


 再び静寂を取り戻した室内で、目の前にある二つの血肉を一望しながら、男が囁いた。



《親愛なる『ダーク・ガーデン』にお住いの皆様。おはようございます。こちらはコロニー管理局です》


 時刻が丁度8時を回った頃。未だに暗闇に包まれている街中の至る所に備え付けられたスピーカーから、アナウンス放送が鳴り響いた。

 『ダーク・ガーデン』では毎朝定時にこのような放送が流れるのかとナットは判断したが、ミルカが不思議そうな表情を浮かべているのを見て、それは誤りであると悟った。


《皆様も既にお気付きかと思いますが、現在このコロニーではスプリンクラーが誤作動を起こしていたり、日照時間を過ぎても人工太陽が作動していないなど、不可解な現象が相次いでいます》


 落ち着いた声で深々と事象を述べていくアナウンスを聞いて、ナットは何となく違和感を感じていた。この“雨”や“夜”に対してではない。アナウンスをする男の声音に違和を抱いたのだ。


(この声……どこかで聞いたことがある)


 懐疑の念を抱くナットであったが、男の次の一言を聞いて、それが確信へと近づく。


《あれね、全部ワタシがやったんですよ》


 ミルカも、エリーも、ミリアも。恐らくこの放送を聞いている全ての住民も、同じように驚愕の表情を浮かべていた。ただ一人、事情を察していたナットだけは神妙な面持ちで、声の溢れるスピーカーをじっと睨んでいる。


(あの野郎、懲りずに生きてやがったのか……?)


 脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。こちらを見て嘲笑を浮かべる男の幻影と、スピーカーから漏れる男の声が重なる。


《我々は善良なるテロリスト。感のいい方は御察ししているかもしれませんが、我々は既に管理局や宇宙港の武装占拠が完了しております》


 ま、だからこそこうやって公共の電波を乗っ取って放送できてるんですがね。と男は冗談にもならない冗談を口にする。


(宇宙港だと?みんなと連絡が取れなかったのは、まさか奴らにやられて……!?)

《安心してください。ちゃんと生きてますよ》

「っ……!?」


 まるでナットの心を見透かしているかのように、男が告げた。何がどう安心なのか、誰がどう無事なのか、男は多くを語らなかったが、それでもナットにはまるで、先程のメッセージはナットという一個人に向けられたものであるように感じられた。無茶な発想であるということは承知の上ではあったが、それでもこの考えを拭い去ることは出来なかった。


《まあともかく、我々は今、管理局を占拠している。すなわち、このコロニーの全てを司っているのです。証拠に、今すぐコロニーの回転を止めてみましょうか》


 人工の大地であるスペースコロニーには自然な重力など無く、代わりにコロニーの軸を回転させることによって、遠心力による擬似重力を発生させている。

ナットは、その昔バハムートにコロニーの回転運動をバケツに例えて教わった事を思い出ていた。

 雑巾の入ったバケツを空中で振り回せば、雑巾は遠心力によって落ちること無くバケツの底にへばり付く。当然回転を止めれば遠心力もなくなり、雑巾は残った慣性に従って、回転と同じ方向へ吹っ飛んでゆく。

 では、直径にして6キロメートル程の巨大な建造物であるシリンダー型コロニーが回転を止めてしまえば、どうなってしまうだろうか。答えは簡単である。

 時速約620kmで回転するコロニーが静止した瞬間、内周の大地で暮らす人々は、恐ろしいスピードで壁や建物に叩きつけられるであろう。一人一人に航空機事故以上の衝撃が襲いかかり、コロニーの人口がそのまま死者数となってしまうかもしれない。

 加えて言えば、円の軸部分に位置する管理局には重力がなく影響もない。ある意味では、最も効率的な虐殺であるとさえ言えた。


《じゃあ、いきますよ。10、9、8……》


 男は唐突に秒刻みのカウントを始め、その場に居る全員がパニックに陥る。


「エリーお姉ちゃん! 怖いよぉ!」

「落ち着いてミリア!落ち、ついて……」

「ナット……!」

《3、2、1……》

「や、やめろ……」

《ゼロ》


 もう本当に駄目かと思った。

 瞼を強く閉じ、必死で神に祈っている自分がいた。

 生きた心地がしないまま数秒の時が流れ、アナウンスの笑い声がその長い沈黙を破る。




《……なぁんてね。ささやかなモーニングジョークでしたぁ。睡魔の抜け切ってなかった人には、良い目覚ましになったんじゃあないかな?》


 今まで味わったことのない程の恐怖感を、あまつさえこの男は冗談の一言で片付けてしまった。

 ナットは自分の腸が煮えくり返ると同時に、この男はそういう性格であるということを、改めて実感することができた。


《お詫びといっては何ですが、代わりに今度は“雨”を止めてみせましょう。せーのっ》


 男が言い、ナット達は窓の方に目を向ける。『ホレッ!』という男の気の抜ける掛け声と共に、空から降り注ぐ雨は次第に止んでいった。


《ねっ、驚いたでしょう?》


 驚いたどうかは別にして、男が管理局を掌握しているという話は、どうやら本当らしい。これはつまり、ナットらを含めたコロニー内の人々全員が、この男の手中にあるということを意味していた。


《前置きはこのくらいにしておきましょう。さて、皆様にはこれから我々の計画に協力してもらいます。まずは、中央広場にお集まり下さい。使いの者を待たせております》


 それでは。と男は一旦話を打ち切ると、放送終了を表す木管楽器の短いチャイムが鳴った。


「ねえ、ナット。今のって……」

「ああ。きっとあいつだ」


 男の声を聞いて、やはりミルカにも思い当たる節があったのだろう。

 一方で、事態を上手く飲み込めていないエリーとミリアは、ナットに説明を求める。


「ナットさん。今の人が誰か知っているの?」

「そりゃあな。あんな悪趣味な真似をする奴、全宇宙を探してもそういないだろうからな」


 えらく過大な表現ではあったが、それが彼やミルカにとっての認識であった。


「“フロッグマン”。イカれた野郎さ」


 忌々しいその名前を、ナットは数年ぶりに口にした。



 男が指定した『ダーク・ガーデン』の中央広場には、やはり不安な表情を浮かべた住民たちで溢れ返っていた。広場と呼ばれているわりには自然や噴水のようなものは一切なく殺風景で、むしろ空き地と表現した方が適切だとさえ思えるような場所であったが、それでも住民たちにとってはここが憩いの場であることに違いはなかった。

 そんな広場に集まる人々の視線の先には、一台の黒塗りのワゴン車が止まっている。その車両が『ダーク・ガーデン』の治安警察のものであるということを、ナットは今朝ミルカに教わったばかりだったため、付け焼き刃程度の知識ながら知っていた。


(あれは多分、俺が見た宇宙港の方に向かっていたのと同じ車両だ。しかし、フロッグマンは自分の使いの者を送ると言っていた)


 これはつまり、異常を察知した警察側が宇宙港及び管理局に突入したにも関わらず、返り討ちに遭い、乗っていたワゴン車を奪取されたといったところだろうか。

 いずれにせよ、これでフロッグマンが単独ではなく、複数人で犯行に及んでいることが明らかとなった。先ほどのアナウンス放送の内容からして、言動や身勝手とも取れる行動が非常に多かったことから、彼自身が首謀者である可能性も高い。

 彼は組織を組んでいるのだろうか。だとしたら規模はどの程度だろうか。そもそも何が目的なのだろうか。やはりコスモフリートへの報復だろうか。

 ナットが思考を張り巡らせていると、満を持してワゴン車運転席のドアが開け放たれた。


(なっ……!?)


 悪い予感が的中してしまった。

 車から出てきたのは、大きめのアタッシュケースを手に持つ一人の少女だった。金髪を肩のあたりで切りそろえ、目元が鋭く必要以上に冷たい印象を与えてしまっている彼女を、ナットは知っている。


(記憶よりも成長しているが、間違いない。あれはシェリーだ……!)


 忘れもしない。9年前のコスモフリートによるコロニー襲撃の際に逸れてしまい、以降連絡がつかなくなっていた、かつてのルームメイトの一人。

 感きわまるあまり、ナットはすぐに彼女の名前を呼ぼうとしたが、寸前で理性がそれを咎めた。

 シェリーはワゴン車から出てきた。それはつまり、今の彼女はフロッグマンの支配下にあるということではないか。経緯はわからないが、十分にあり得る話である。いくらコスモフリートがゲノメノン社の施設を襲撃したからといって、すべてのモルモットチルドレンが解放されたわけではなかったのだ。ナットやミルカがかつてそこにいたように、きっと彼女は今でも檻の中に閉じ込められているのだろう。


「まさか、シェ……むぐっ!?」


 感激のあまり涙ながらにシェリーの名前を呼ぼうとするミルカの口元を、ナットは慌てて抑えた。不平を訴えるようなミルカの眼差しを受けて、ナットは『今だけは黙っていてくれと』アイコンタクトを返す。

 いくら旧知の仲であるといえど、今はフロッグマンの手足となっているシェリーに、コスモフリートの所属であるナットが気付かれてしまうのはあまり望ましい事態ではない。何がともあれ、まずは様子を伺うことが先決だ。


《あー、あー。テス、テス。皆様。もう既に広場にお集まりのことかと思いますが……》


 再び、街灯などに備え付けられたスピーカーから男の声が発せられた。


《紹介しましょう。今あなた方の目の前にいるメスブ……ゴホン。少女が、私の部下です》


 すると、シェリーは手に持っていた大きめのアタッシュケースを床に置き、ロックを外して開いた。ケースの中身は、無骨なアンテナの付いた無線機だった。数は目測でも数十個は入っている。


《我々が事を起こしている理由は他でもない、ある一人の男を捜しているのです。男の名前は“キャプテン=バハムート”。このコロニーではご存知の方もいるでしょう。ええそうです。あの宇宙海賊コスモフリートの艦長さんです》


 フロッグマンは堂々と、バハムートを名指しした。彼はコスモフリートに対してではなく、バハムートに対してのみ復讐心を抱いているのだろうか。あるいは頭領であるバハムートを先に潰すことで、組織を壊滅に導こうとしているのだろうか。どちらにせよ、ナットにとって敵であることに変わりはない。


《私調べによって、どうやら彼はこのコロニーの何処かに潜んでいることが明らかとなりました。そこで、皆様にも協力して欲しいのです》

「はぁ、協力だと? 俺たちがか? 何をほざいていやがる」


 放送を聞いていた民衆のうちの一人が吐き捨てるように、そして他の民衆たちに言い聞かせるように喋り始めた。


「俺は所詮流れ者だから当時を知っているわけじゃあねえがよォ、コスモフリートは9年前にこのコロニーを救った英雄だぞ。ましてやお前たちがゲノメノン社の生き残りってんなら、俺たちが協力してやる理由は全くないどころか、今すぐにでもキャプテンと協力してお前たちを追い出してやるまでだ!」


 男がその場にいないフロッグマンに対してそう宣言すると、それに続くように広場は民衆たちの賛同の意見で沸き立った。


「そうだそうだ!」

「ゲノメノンとかいう悪者は出て行け!」

「俺たちの暮らしを邪魔するな!」


 瞬く間に、広場が熱狂の渦に巻き込まれていく。人々の正義感が一体となっている様を見て、ナットは心地の良い高揚感を感じていた。


「……こんな事になってるけど。いいの?」

《困ったねぇ。見せしめがてら5人くらい殺っちゃってよ、メスブタちゃん》

「わかった」


 どこからか歓声を拾っていたのか、フロッグマンが命令を下すと、シェリーは即座にジャケットの奥から拳銃を取り出した。先ほど声明を言い聞かせていた住民が、銃口を向けられたことによって反射的に逃げようとするが、シェリーは躊躇うことなく引き金を引いてしまった。男の後頭部が綺麗に射抜かれると、シェリーは続けて声の大きかった者たちを、続けざまに撃ち続けた。

 五度の発砲音。五度の断末魔が鳴り響き、広場に静寂が戻る。たった一人の少女に対して、誰一人抵抗する者はいなかった。彼女や彼女に命令を下す男を敵に回してはいけないと、身を持って知ってしまったからだ。


《先ほど誰かが口にしていたね。『俺たちには協力する理由がない』と。ならば、理由を与えよう》


 すると間もなく、コロニーのシャフト部分から再び冷たい水滴が降り注いできた。ナットにはそれが、まるでコロニーを手中に収めているという事実をフロッグマンがひけらかしているように思えて、つい腹が立った。


《リミットは、24時だ》


 次第に強くなっていく雨音にかき消される事なく、フロッグマンがはっきりと、一字一句を強調して告げる。


《今夜0時までにキャプテン=バハムートの身柄をこちらに差し出されなかった場合、このコロニーの回転を止める。これがどういう意味か、わかりますよねぇ?》


 コロニー市民にとってこの上ない恐怖を、あろうことかフロッグマンは恐喝の手段として利用してきた。広場にどっとざわめきが起こる。

 いま思えば、今朝の“モーニングジョーク”は決してハッタリなどではなく、コロニーの静止に伴って起こりうる悲劇をあらかじめ住民たちに想像させて置くことが真の目的だったのだろうか。現に、悲劇を事前に想像してしまっている住民たちは、その悲劇が現実に起こってしまうのを回避するべく、渋々ながらフロッグマンに協力する方向で相談しあっている。もし本当にこの状況がフロッグマンの想定通りなのだとしたら、彼の手腕や巧妙さを認めざるを得ない。


《協力してくれるという勇気ある方は、そこの少女が配る無線機を受け取るように。以降、無線機を持つ者をバハムート捜索の協力者とし、こちらに指示通りに動いてもらう。以上、皆様の賢明な判断に期待する》


 合理的な決定を煽るようにフロッグマンは言い残し、一方的に放送を打ち切ってしまった。静まり返った広場に、気の抜けたチャイムが虚しく響く。

 ナットを含め、広場にいた多くの者が、近くの時計塔を確認する。現在の時刻は8時53分。フロッグマンの定めたリミットまで、あと15時間ほどしかない。


「ナット。あの女の子、絶対にシェリーだよね……?」


 ミルカが小声で耳打ちしてきた。確証はないが、その可能性が高い。そう判断したナットは、首を縦に振る。


「そっか、そうだよね。でも、どうして……」

「きっとアイツに無理矢理従わされているんだ。そうに違いない」


 そうだ。シェリーは昔から態度こそ素っ気ないものの、さりげない気遣いができる優しい子だったのだ。そんな彼女が、自分の意思でフロッグマンの命令に従っているわけがないのだ。

 そこに付け込めば、事態を上手く収拾することができるかもしれない。


「よし、ちょっと待ってろ」

「え……どこへ行くの、ナット!?」


 問いかけてくるミルカに背を向け、ナットはシェリーの元へ歩き出した。彼女はワゴン車のトランクルームから更に無線機を取り出し、協力者たちに配っている。


(カエル野郎フロッグマン。お前がコロニーの人々を丸呑みしようってんなら……)


 シェリーの目の前にまで辿り着く。彼女はこちらに顔を向けたが、特に反応は示さない。どうやら気付かれていないようだ。


(俺はあえて呑み込まれ、そして腹から引き裂いてやる)


 確固たる決心をしたナットは、シェリーから手渡しされた無線機を受け取った。

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