第9章『決別するアフマド 4』

「迎えに来た……? お前が何を言っているのかわからない……」


 一瞬だけ警戒を緩めたアフマドだったが、またすぐにナットへ銃口を突きつける。しかし、ナットは拳銃を構えるその手をそっと払い退けた。


「お前は今でもアイツに……フロッグマンに命令されて、仕方なくこんな仕事をしているんだろ」

「当たり前だ。俺たちモルモットは人間じゃない、いつだって誰かの所有物だ。そして、今はあの男が所有者であり、俺は奴の手足となって動く。それだけだ」

「だったら尚更、もうアイツの命令なんか聞いてやる必要はねぇな」


 ナットはアフマドに右手を差し出す。9年前の騒動の後に、バハムートが自分にそうしてくれたように。


「俺と一緒に来てくれ。そして、あの野郎をぶっ倒そうぜ。そうすれば、お前も……シェリー達だって自由になれる」

「自由……? 俺たちが、か……?」

「ああ。もうお前を縛る者はいない……!」


 アフマドは長らく躊躇していたが、やがてナットの期待に応えるように手を握った。太い骨がゴツゴツとして固く、皮膚は乾燥している。アフマドの手は、まるで銃ばかりを握ってきた者の手だった。この9年間、彼がどのような人生を歩んできたかが容易に伺える。だが、それももう御仕舞いだ。


(アフマド、こんなにも心強い仲間が出来たんだ。後はフロッグマンの野郎を……!)


 思惑通りに協力者を取り入れ、次なる行動プランを練っていたその時、ナットの身体が宙に浮かび上がった。それがアフマドによる背負い投げだということを理解するのに、ナットはさらに数瞬を要した。

 背骨から思いっきり床に叩きつけられ、全身の骨が軋む。必死に息を整えようとすることすら許さぬように、アフマドの靴がナットの腹部を目掛けて踏み込まれた。


「アフ……マド……? なに……を……ぐっ!」


 喋るなとでも言わんばかりに、蹴りが二度、三度と飛び込んでゆく。


「自由だと……? 迎えに来ただと……? 笑わせんなよ。言っただろ。俺たちはいつだって、誰かの所有物だ。物は自分で生き方を決めることはできないし、決めてはいけない。昔から今までずっとそう。それが俺の人生だ」

「だから……、もうそんな生き方をする必要は……!」

「はァ? お前、何様のつもりだよ」


 アフマドの靴底が、ナットの口元をグリグリと強く擦る。歯茎中の血管が次々に切れ、血液が靴の先に付着する。


「お前が俺を哀れんで、救おうとしたことそれ自体が、俺の人生そのものの否定なんだよ……ッ! ……反吐が出る」


 アフマドが吐き捨てるように言い、ナットはようやく気付いた。自分が、彼に対して自由を押し付けていたのだということを。

 勿論、ナットはあくまで彼のためを思って話を持ちかけたのであって、別に彼の人生を否定する意図があったわけではない。だが、そんな甘い言葉は、もう乾ききってしまった彼の心には届かないだろう。


(そんな……。たった9年だぞ? たった9年で、俺もお前も、こんなにも変わってしまったというのか……?)


 規格の違う歯車が噛み合わないように、人生も価値観もまるで違えば、解り合えることなど出来ない。それが人間という生き物なのだ。


「………………くっそぉぉッ!!」


 呻き声にも似た叫びをあげると共に、ナットは下半身を勢いよく起こし、アフマドの膝裏を目掛けて膝蹴りを入れる。アフマドが大きくバランスを崩した一瞬のうちに真横へと身体を転がらせる。

 床に落ちているサブマシンガンを拾い上げたナットは、 膝をついたまま背中越しにアフマドを捉え、銃を構える。それとほぼ同時のタイミングで、アフマドが銃をこちらの頬へ突きつけていた。


(アフマドはこっちの話を拒絶した。奴はもう、完全に敵側の人間になってしまった……)


 互いに引き金に指を当てたまま、数秒の沈黙が流れる。こちらを見下ろすアフマドの瞳に、もはや人の温度は通っていない。


(俺に撃てるか? かつての仲間を。ましてや、人としての尊厳を踏み躙られているような、可哀想な友を。俺は銃口を向けることは出来るクセに、救うことも出来ないのか……!?)


 バハムートを、コスモフリートを、そしてコロニーの住民達を守りたい。その為には敵を排除する必要がある。そして、アフマドはいま目の前に、敵として立ちはだかっている。かつての仲間を易々と射抜ける程、ナットは合理性に支配されてなどいない。

 どちらも守りたい。捨てる事など出来ない。そんな、ナットにとっては大切なものである両方が、天秤に賭けられてしまっているのだ。

 敵を討たねば、コロニーの平和は守れない。

 敵を討つということは、アフマドを殺すことと同義だ。

 そして、今ここで何もしなければ、アフマドに撃たれて意味もなく犬死にするだけだ。


「くそっ、出来るわけないだろッ!」


 決断したナットは、ポケットに入れていた無線機を左手に握ると、アフマドの顔面を目掛けて放り投げた。

 彼はそれを手榴弾か何かだと一瞬勘違いしたのか、瞬時に距離をとる。その隙に、ナットは廊下の突き当たりを目掛けて、一目散に走り出した。


「ッ! 小賢しい真似を……!」


 アフマドが数発の銃弾を撃つ。その内の一発がナットの左肩を貫通するが、ナットは後ろを振り返りもせずに、目の前の窓に向かって思いっきり跳躍した。

ガラスを突き破る騒々しい音と共に、受け身の為に丸まったナットの身体が空中へと放り出される。

 アフマドはすぐに割れた窓から庭を見下ろすが、既にナットの姿は消えていた。


(痛覚が無いのをいい事に無茶ばかりするのは、変わっていないのか)


 先程のナットの言葉を思い出したアフマドは、鬱陶しげに無線機を取り出す。


「こちら“タッドポール1”。目標の位置は特定できた。それから、“E-57”とも接触できた。奴は危険だ。即刻、捜索及び排除するのが望ましいかと」

《んあ? いいよいいよ。“E-57”については別の者を回しておくから。それから……》


 通信相手であるフロッグマンが、いつもの調子で告げる。


《ワタシも今からそっちに向かうから、それまで待機しててねんっ》



 追っ手らしき民間人たちはすぐ近くまでに迫ってきていた。彼らはみな軽装ながら武器を手にしており、互いに連絡を取り合いながらバハムートや“E-57”と呼称される人物……つまりナットを血眼になって必死に捜している。

 無理もない。生活を脅かされれば、誰だって牙を剥く。


「ナット。こっちよ」


 病院を出てすぐの物陰に身を潜めていると、同じように逃げ込んできたであろうミルカ達の姿があった。医療用のカプセルに入れられたアレックスも健在のようだ。


「酷い怪我をしているわね。すぐに応急処置を……」


 ジャケット越しの左肩が血で赤く滲んでいるのを見て、パウリーネはポーチから包帯を取り出そうとするが、ナットはすぐにそれを制した。


「そんなのは後でいい。まずはこの場から離れないと」

「逃げるって言っても、何処へ……?」


 ミリアが不安げに問う。彼女の言う通り、街中には至る所に民間の協力者達が徘徊している。宇宙港に向かうにしても、一先ずこの場から離れるにしても、彼らに発見されてしまうことは避けられないだろう。そうなってしまえば、武器を持たないミルカやエリー達をナット1人で守らなければいけなくなるし、全員を庇い切れる気もしない。


(なるべく敵に見つからずに、ここから離れる方法……ン?)


 考えていたナットの視界の端で、ふと円形の物体が目に止まった。それはマンホールだった。直径にして約90センチと、通常のサイズよりも大きめに作られている。点検用の機材などを搬入するための処置なのだろうか。


「なあ皆、彼処に逃げ込むってのはどうだ?」

「彼処って……マンホールの事ですよね?」

「エリーお姉ちゃん。それってつまり、下水道ってことだよね?えぇ、私いやだよ」

「私も下水道はちょっと……」

「ええ。不衛生極まりないわね」

「……」


 ナットの提案に、女性陣からの痛烈なクレームが返ってきた。こうまで頭ごなしに否定されてしまうと、流石のナットも傷ついてしまう。割と名案だと思っていたから、尚更だ。

 しかし、こうしている間にも敵の足は刻一刻と近づいてきているのだ。連絡を取り合う声も次第に大きくなってきている。ここは反対を押し切ってでも、彼女らを従わせるべきだろう。


「ええい、時間がねぇんだ! 文句言ってる暇があったらさっさとマンホールに逃げるんだ!」

「絶対にイヤ! 下水道イヤ! くさそう!」

「地獄よりはマシだろ!?」


 ナットの説得により、あるいは自分達が置かれている状況も手伝ってか、彼女らは渋々ながらもようやく意見に賛同してくれた。ミリアだけは最後まで異を唱えていたが、エリーに手を捕まれ、連行されるようにしてマンホールの側まで引っ張られていた。


「私、入れるかなぁ」


 マンホールの蓋を開けたところで、ミルカが呟いた。


「穴が大きいし、車椅子やカプセルは問題なく入れそうだぞ」

「そうじゃなくて、私自身のこと! ほら、私こんな身体だし」


 言って、ミルカは視線を落とす。彼女の瞳の先にあるのはまるで高低差のない胸……てはなく、自らの動かない脚だ。腕力に相当の自身がある者でもなければ、脚を使わずにハシゴを下ることは難しい。


「……しゃあねえな。車椅子は後から入れるとして、お前は……お、俺がおぶってやるよ」

「ホントに!? ありがとうナット!」


 真正面から感謝を示すミルカに対して、ナットは気恥ずかしさでつい目を逸らしてしまった。



 紆余曲折したものの、ナット達はなんとか全員で下水道に入り込むことができた。ミルカは車椅子から一旦降ろして別々に運び、アレックスのカプセルは車輪を折り畳むことでぎりぎりマンホールを通過することができた。

 やはりと言うべきか、下水道内はとても人間が居られるような空間ではなかった。地下水路を流れる生活排水は、まるでこの世に存在するすべての腐を集めて凝縮させたような異臭を放ち、息を吸うことすら躊躇わせる。この空気が体内に段々と染み込んでいると考えただけでも吐き気がした。

 しかしもっと恐ろしいのは、ナットやミルカがこの臭いに少なからず“懐かしさ”を憶えてしまったことである。人体実験用の施設に漂う空気はこの腐臭と薬品の刺激臭をからみ合わせたような臭いであり、生まれた時から施設にいた二人にとっては、この空気を吸って暮らすのが当たり前だったのだ。


(畜生、まさかこんな空気が懐かしいなんてな。ドブネズミはどうしたってハムスターにはなれないってことかよ)


 ナットは自分に嫌気がさした。

 


 下水道はまさに地下迷宮と言っても差し支えないほどに広大だった。ナット、ミルカ、エリー、ミリア、パウリーネ、そしてカプセルに入ったアレックスの6人は現在、宇宙港のある方向を目指して歩き続けている。

 道中、不意にナットは何者かの殺気を感じ取った。思考するよりも早く手が内ポケットのサブマシンガンへと伸び、気配のした脇道の方へ銃口を向ける。


「……っと、なんだお前だったか」

「おやっさん!?」


 そこに立っていたのは、同じく銃口を向けるキャプテン=バハムートだった。彼はすぐに警戒を解き、構えていたリボルバー銃を腰のホルスターに仕舞う。


「よお、ナット。それからドクター、エリー、ミリア。おっと、君はもしかしてローレライ嬢かい」


 ミルカを見るなり、バハムートは久々に再開した親戚の成長に驚く叔父のように感慨深そうな顔をした。9年前の事件時にバハムートは救出したモルモットチルドレン全員と顔を合わせていたので、当然ながらミルカにも面識があった。


「おやっさん。フロッグマンの野郎が……!」

「ああ。放送は俺も聴いた。奴め、人々の弱みに漬け込むような真似をしやがって」


 バハムートは苛立ちを隠そうとはしなかった。その感想はナットも同様であった。

 宇宙義賊コスモフリートを率いる艦長、キャプテン=バハムート。決して偽りでない善を掲げ、善意によって行動する彼が、ある男の私怨によって、自分の命とその他の命を天秤にかけられているのだ。バハムートにはまるでそれが、フロッグマンからの挑戦状のようにも思えた。“ヒーローならヒーローらしく、悪魔の手を払いのけて罪なき民衆を救ってみせろ”と。


「それで、バハムートさんはどうするつもりなんですか?」


 エリーが尋ねると、その場にいた全員がバハムートの返答を待った。彼が下水道にいた理由を、そして今後どうするつもりなのかを知りたかったからだ。

 彼が自らの身をフロッグマンに差し出せば、民衆は解放される。しかし、果たして本当に解放されるのかという疑問も拭いきれなかった。フロッグマンが提示した条件を無視する可能性も十分にあるからだ。

 かといって、コロニーの実権をフロッグマンが握っている以上、迂闊に手を出せないというのもまた事実である。しかも、このまま時間が経過してタイムリミットに達してしまえば、何の罪もないコロニー住民たちに危険が及んでしまう。


「今の俺の第一目標は、フロッグマンを仕留めることだ。だから俺は、こうして下水道を通って宇宙港へと向かっていた。ミルカには悪いが、住民の安全は二の次だと考えている」

「二の次だって……?」


 そう言ったのは名指しされたミルカではなく、隣で話を聞いていたナットだった。


「コスモフリートを守るためだったら、民間人は見殺しにしてもいいっていうのかよ、おやっさん!?」

「最悪の場合、それもやむを得ない。船と船員の安全が第一だ」

「……っ!」


 いつになく冷酷な判断を下すバハムートに、ナットは絶句してしまった。そしてその答えは、ナットの望んでいた答えとは違うものでもあった。


「なんでそんなことを言うんだよ、おやっさん……! 関係ない人が殺されても構わないなんて……!」

「“火星圏制圧作戦”」


 物騒な響きの言葉がバハムートの口から語られ、ナットはつい押し黙る。


「現在、U3Fが企てている大規模侵攻作戦だ。その内容は新兵器による火星への無差別攻撃。決行されれば、火星に住む10億もの民間人が散ってしまうだろう。それを食い止める為にも、俺たちはこんな場所でのたれ死んでいるわけにはいかない」


 作戦についてナットは初耳だった。おそらく、バハムートが『ダーク・ガーデン』の情報屋から買ったばかりの情報なのだろう。

 『ダーク・ガーデン』の500万人もの人口と、火星圏に住む10億にも及ぶ人口。どちらかを切り捨てろと言われれば、バハムートだけでなく、誰だって前者を選ぶだろう。


(でも、『ダーク・ガーデン』を……ミルカの暮らすこのコロニーの人々を切り捨てるなんて……)


 理屈はわかっても、やはりナットは納得できなかった。より人口の少ない『ダーク・ガーデン』を支持する理由は、当然ながらナット自身の私情に由来している。客観的に見れば、バハムートの意見の方が正しいのだろう。

 しかし、ナットはどうしても彼に賛同することができなかった。ミルカの平穏を守りたいというのも理由の一つであったが、他にも理由はあった。


(コスモフリートを守るか、コロニーを守るか……。どちらにしても、あいつらと戦うことは避けられないじゃねえか……)


 病院で邂逅したアフマドの姿を思い出す。再び説得を試みたところで、きっと彼は何度でも拒絶し続けるだろう。かといって、彼に向けて引き金を引くことなど、自分には出来そうにない。

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