第4章『殴られ屋のアレックス 4』
コンテナ天井のハッチが開くと、中から白いDSWが姿をあらわした。
「あれは……? まさか、アレックスが動かしているの……?」
こちらに向かってゆっくりと、一歩ずつ踏みしめるように歩いて来る巨人に対して、エリーは不安げに疑問を投げかけるが、機体の外部スピーカーから発せられた声を聞いて、それが確信へと変わった。
《こいつで瓦礫を持ち上げてみる! エリー達は少し離れて!》
有無を言わせないアレックスの呼び掛けに応じて、エリー達は巨人の足に踏み潰されないように左右へと避ける。ただ一人、助けられる側であり、DSWの操縦の難しさについてそれなりに理解のあるミドだけは、ひどく錯乱している様子だった。
「お、お前! 素人の癖に、マニピュレーターを使ってそんな繊細な操作、できるんだろうなぁ!? 豆を箸で摘むようなものなんだぞ!」
《マ、マニュピ……何だって?》
「マニピュレーター! 指の事だ! 本当に大丈夫なんだろうな!?」
ミドの心配をよそに、白いDSWは瓦礫の前に屈むと、先ほどまで人間5人がかりでも持ち上げる事ができなかったコンクリートの塊を、いともたやすく摘み上げてしまった。覆い被さっていた重りが無くなり、まるで憑き物が落ちたように安堵する二人の姿を確認すると、アレックスはようやくコックピットを開けて、生身を晒した。
「ありがとな、アレックス! にしても、一体どうやって動かしたんだ?」
「僕は腕を運んだだけ。後の動きはAIがオートでやってくれていたんだよ」
下敷きになっていたことも忘れてしまったかのように、ミドは目の前にしゃがんでいるDSWに夢中になっていた。一方、デフはDSWの足元まで近づくと、コックピットハッチに立つアレックスを見上げ、突拍子もないことを言い出した。
「アレックス、俺を殴れ」
これまでのデフからは想像も出来ないような発言に、アレックスも流石に面食らっていが、かまわずデフは言葉を続ける。
「俺は今まで、自分が強い奴だと信じてた。 力を行使して、人を従わせていたんだ。 お前に対しても、そうだ。 でも、今日、戦闘に巻き込まれて、自分の無力さを思い知ってよ、自分が力に溺れていたことに気付いたんだ。 こんなの、シーザーを殺した奴らと、やってることが変わんねぇよなぁ……。だから、せめて俺を殴……ッ!!」
パン、と、デフの頬が引っぱたかれる音がその場に鳴り響いた。平手打ちをしたのはアレックスではなく、ミリアだった。
「そうやって、殴られてチャラにしようっていうの? 甘えないでよ! 無力さを思い知った……? そんなの、私やアレックス……お兄ちゃんは昔から知ってた! 力で人を支配して、いい気になっていたなんて、馬鹿じゃないの!? あなたは卑怯者よ! それをお兄ちゃんだってわかっていたから、今まで抵抗することを拒否していたんだよ……?」
瞼から、自分の意思とは関係なしに溢れてくる大粒の涙を、ミリアは必死に拭っていた。デフの頬を叩いたその手は、どこか痛そうに見えた。
「ありがとう、ミリア。 でも、もういいよ」
赤子のように泣きじゃくるミリアに、アレックスは優しく語りかけた。
「デフ、悪いけど、僕は君を殴ったりしない。 でも勘違いしないでくれ、別に君のためじゃない。 単なる僕のわがままだ」
アレックスは薄く笑う。
「どうしても殴れっていうんなら、僕を殴って無理やり従わせてもいいけどね」
デフも同様に笑みを浮かべた。
「ケッ、やめとくぜ。 お前が拳に屈した試しなんて一度もねえからな」
アレックスはその時、デフとの間に確かな友情が芽生えるのを感じた。
それは皮肉にも、アレックスが望んでいた心の“平穏”が、戦争を通じて手に入った瞬間でもあった。
*
「む? あれは……」
『ミスト・ガーデン』居住区上空。ギム・デュバルのコックピットモニター越しに瓦礫の山と化した街を眺めていたザブー=ムグンは、その中に巨大な人影が鎮座しているのを発見した。ザブーはすぐに手元のコンソールを操作し、映像を拡大する。
「間違いない。あれは“ピージオン”だ……!」
自分たちインデペンデンス・ステイトが血眼になってまで行方を探していたターゲットを見て、ザブーは言いようのない高揚感に駆られた。よく見れば、ピージオンは屈んだ姿勢のまま動く気配がなく、無防備にもコックピットハッチが開
いたままだった。
(これは……人生最大の大チャンスじゃあないか……!?)
本来であれば、標的を発見し次第、速やかに他の部隊員に報告するのが、軍人としての勤めであり、義務である。しかし、この時のザブーは違っていた。
標的……ピージオンは、原因はわからないが、現在、乗り手を失っている状態にある。これまで何の功績もなかった兵士が標的を奪取、しかも無傷の状態で生け捕りにしたとなれば、昇進も夢ではないだろう。
「オミクロンだって、ナナキだって、実績をあげて今の地位を勝ち取っているんだ! 俺だって……!」
功を焦ったザブーのギム・デュバルは、ピージオン目掛けて急降下をはじめた。
*
《敵機接近。数は1機》
「敵だって!?」
《2時の方向です》
エラーズの示した方向に視線を向けると、赤土色と銀色の装甲のDSWがこちらに迫りつつあるのが見えた。アレックスは機種名までは知らなかったが、独特のフォルムから、そのDSWがインデペンデンス・ステイトのものだということは何となくわかった。
《直ちに操縦席に戻ってください。ロックオンされています》
「な、何とかならないのか!?」
《戦闘行動は回避できません。直ちに操縦席に戻ってください》
戦いからは逃れられない。エラーズが何気なく告げたその言葉に、アレックスは息を呑んだ。機体の足元には、エリーたちが困惑した表情でこちらを見ている。そして、今ここで彼女たちを守れる人物は、自分しかいない。
(喧嘩と違って、命がかかってるんだ。 ここで抗わなきゃ、僕だけじゃない、みんなだって殺される……!)
もはや彼に、選択肢など残されていなかった。アレックスは覚悟を決めると、足元のエリーたちに避難を促した。
「皆は安全な場所に隠れていてくれ! はやく!」
「安全な場所たって、それは何処だよ!?」
デフは異論を唱える。アレックスはそれに対する適当な答えを持ち合わせてはいなかったが、それでもどうにかして彼を言いくるめるしかなかった。
「離れるだけでいい! 僕はあいつを、足止めぐらいはしてみせる!」
そう言って、アレックスは操縦席へと戻った。ハッチを閉じてモニターを確認すると、赤土色のDSWはもう数百メートルほどの距離にまで向かってきていた。
「エラーズ、出来る限り操縦は君に任せたい。僕は何をすればいい!?」
《了解。では、システムモードを6-Cに移行します》
「モード6-C? なんだそれは?」
《操縦熟練度が最低レベルの搭乗者に向けられた設定です》
「素人用ってことか……」
《概ねその通りです。殆どの動作はこちらでサポートします。貴官には、最低限の操縦動作と火器管制を委ねます》
「レバーとトリガーを握って、ペダルを踏んでいるだけでいいってことか……?」
操縦桿を軽く握り、感触を確かめていると、突然アラートが鳴り響いた。目の前のモニターには、右手に持つライフルの銃口を向けたギム・デュバルが、すぐ目の前にまで迫ってきていた。
額を、手のひらを、汗がつたった。口元が、膝が震えていた。
ここから逃げてしまいたいとさえ思った。だが、逃げれば皆が死んでしまうかもしれない。でも、やっぱり逃げたい。
全身の神経が強張っていた。思考が恐怖に満たされていた。
生物としての本能が、戦うなと叫んでいた。
《戦闘を開始します》
「うわあああああああああああああああッ!!」
アレックスは咆哮をあげた。それは決して、恐怖を克服する為の、勇気による雄叫びなどではない。
望まずとも、戦いを強いられた者の、嘆きの悲鳴だった。
*
「何ッ、動き出した!? パイロットは乗っていなかったのではないのか!?」
突如として動き出したピージオンを目の前に、ザブーのギム・デュバルはすかさず距離をとった。ライフルを構えたまま、目の前の白いDSWと対峙する。
「先ほどは思わずビビッちまったが、こいつ……よく見たら丸腰じゃあねえか」
ザブーの言う通り、ピージオンは武器を一切手にとっていなかった。武器の取り回しの良さが持ち味のDSWにとって、丸腰のDSWというのは、まさに無力に等しかった。それに、先ほどからのピージオンの挙動はどこかぎこちなく、訓練を積んできたザブーからすれば、素人くさい動きだとさえ感じられた。
「生憎こっちはボクサーじゃねえし、騎士道やフェアプレーといった精神の持ち主でもねえんだ。ここは射的を楽しませてもらうぜッ!」
ギム・デュバルの構えたライフルが火を噴き、2、3発の銃弾がピージオン目掛けて襲いかかる。命中を確信したザブーだったが、予想に反してピージオンは寸前でスラスターから蒼い炎を噴かし、真横へと跳躍して回避した。
「避けただと……ッ!?」
ピージオンは一瞬だけ着地すると、直後に大地を思い切り蹴って、こちらに向かって突進してきた。ザブーはすぐに回避運動を取ろうとするが間に合わず、2機のDSWは衝突し、タックルをまともに喰らったギム・デュバルは後方へと吹っ飛ばされた。
機体が地面に叩きつけられた衝撃がコックピットにも伝わり、ザブーは昼に食べたレーションが喉まで上がってくる気持ちの悪い感触に襲われた。
「俺をコケにしやがって……、コックピットだけを貫いて、搭乗者は焼き殺してやる……!」
ザブーは再びギム・デュバルを起き上がらせると、左腕の“ヘッジホッグ”で虚空を振り払った。
*
「はァ……はァ……。 こいつ、まだ動くのかよ……ッ!?」
エラーズのフィードバックもあり、何とか敵DSWに一撃を加えられたものの、アレックスの精神状態は限界に達していた。命のやり取りなど生まれて初めてなのだから、無理もない。こちらが丸腰であることを踏まえても、条件はかなりアンフェアであるといえる。
「武器はないのか!? エラーズ!」
《トレーラーのコンテナ内に、ベイオネットライフル一丁が格納されています》
「コンテナだな!?」
アレックスはすぐに機体をコンテナの方へ翻そうとしたが、左手にある籠手のようなものを構えて再び接近してくる敵DSWを見つけて、咄嗟に機体を退かせていた。防衛本能に身を委ねれば、回避だけなら何とかなるのかもしれないと思ったが、それは自惚れだとすぐに理性が否定した。
敵機は突撃をかわされてもなお、さらに追い討ちを仕掛けてきた。その動きに敵パイロットの執念や怨念のようなものを感じた気がして、アレックスは身震いした。
(こいつは……本気で僕を殺しに、かかっているんだ……!)
敵機に背を向けることなく、怒涛の攻めを慎重に回避しながら、少しずつコンテナに向かって後退していく。
《コンテナまでの距離、あと11メートル》
(もう少しで、届く……!)
すると、こちらの考えを見透かされたのか、敵機がライフルの銃口をコンテナの方へと移した。武器を失ってしまえば、勝ち目はなくなってしまうだろう。
「やらせるかよッ!」
自らを奮い立たせる叫びと共に、アレックスは機体をコンテナに向けて飛翔させた。敵機の銃撃に被弾しつつあるコンテナの中に、銃身の先端部分に剣のようなものがついたベイオネットライフルを見つけ、すかさずそれを右手で掴む。
敵機の左腕の籠手が繰り出される。その一撃をピージオンは左前腕でそれを受け止めると、残った右手のベイオネットライフルを敵機の胴体部目掛けて突きつけた。ライフル先端部の銃剣が敵機の装甲に浅く突き刺さっていたが、それでも致命傷までには至らなかったらしく、敵機は持っていたライフルを投げ捨て、右腕でこちらの肩を掴んできた。
——捕まえた。
敵のパイロットがそう言っているような雰囲気を察して、悪寒に襲われたアレックスは絶叫すると共に、闇雲にトリガーを引いていた。
殆ど接射に近いベイオネットライフルから放たれる銃弾の嵐が、敵DSWの胸部から背中にかけて風穴を次々とあけていった。敵機は何度か痙攣を繰り返したのち、やがて正気が抜けたように動きを止めた。
《敵機、沈黙を確認》
エラーズの合成音だけが、コックピットに鳴り響いた。
敵パイロットは生きているだろうか。いや、そんなはずはない。
やりようのない罪悪感と吐き気に見舞われ、アレックスは思わず震えが止まらない口元を押さえた。
「せ、正当防衛……だった……」
ふと出た言葉は、誰かに否定も肯定もされることはなく、張り詰めた空気の中へと溶けていった。
静かになったコックピットの中で、手元のコンソールだけが、相変わらず不気味に光を灯していた。
*
戦闘が終わって数分が経過してもなお、アレックスはピージオンの操縦席で丸くうずくまっていた。震えの止まらない手を、もう片方の手で必死に押さえ込もうとした。先ほどまで汚れを知らなかった彼の手は、もうすでに人ひとりの命を奪っている。服に染み込んだ吐瀉物が刺激臭を放っていたが、放心状態の今のアレックスにとっては、然程気になる問題ではなかった。
「エラーズ。 人を殺すって、どういうことかな」
救いを求める死刑囚のように、アレックスはエラーズに問いかけた。
《それは言語学的な意味での回答を求められているのでしょうか。それとも、哲学的な観点で述べればいいのでしょうか》
「なんだっていい」
《戦術的な観点でいえば、自身を守る上で、最も効率的な手段だといえます。敵の命を奪うことで、自身や自軍の生存確率は大きく上昇します》
「効率的な……、か」
それはまるで、今まで僕が忌み嫌っていた暴力と全く同じじゃないか。
力を行使してしまった自分の過ちを悔やみ、アレックスは自己嫌悪に陥っていた。不本意だった、正当防衛だったのだと、言い訳は幾らでも思いついたが、自分の信条に反してしまったことに関しては、何も言うことができなかった。
でも、だからこそ。
《先ほどの民間人達が機体の周辺に集まっています。ハッチを開きますか?》
数人の命を守り抜くことができたという事実のほうが、今のアレックスにとっては大切なことであると、思いたい。
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