第2章『殴られ屋のアレックス 2』

「これは“フジヤマの空気”です。どうか買ってはいただけませんか……?」

「……もしかして、僕に言ってますか」


 コクリ、と胡散臭い路上販売者の女性に首を縦に振られ、帰宅途中だったアレックスはつい困惑の表情を浮かべた。

 女性は顔つきや背丈から察するに20歳くらいに見受けられたが、肌は病的なまでに白く頬はこけており、無造作に伸びた髪はボサボサで湿っぽく、あちこちに頭垢が付着している等、とても健康そうには思えない風貌をしていた。800コームと値打たれたラベルのない怪しげな酸素缶を路上で押し売りしているところを見ると、失業者の類だろうか。


「私にはわかります……あなたは私と同じ、不幸な人……」


 先ほどデフに殴られて傷だらけだったアレックスの顔をまじまじと見ながら、女性は憐れむような目でそう言った。彼女自身も、隠しきれないほどの不幸なオーラを放っているような気がするし、同類だと思われたのだろうか。


(可哀想かもしれないけど、適当に言い訳してとっとと逃げよう)


 どこをどう見ても、これがぼったくりなのは明らかである。そもそも、これが仮に本物の地球産の美味しい空気であったとしても、あまり需要があるとは思い難いが。目に見えた地雷をわざわざ踏む必要もないだろう。ここは所持金の不足を理由にして、速やかにこの場から離れようと、アレックスは決心する。


「すみません。僕、今あまり持ち合わせがなくて……」

「そう……あれは8年くらい前の話……」

「ええっと……?」

「私は……友人だと信じていた人に……裏切られ……家も、地位も、全て失った……」

「も、もしもーし?」

「私はドリィ……私はあ……不幸の星の下で生まれた女……はぁ……」


 そもそも声をかけたのがマズかったようだ。アレックスは少し前の自分の判断を激しく悔やんだ。そう思っている間にも、ドリィと名乗った女性は無我夢中で聞いてもいない身の上話を淡々と続けていた。


「あの、ドリィ……? さん。 僕、本当に急いでいるので」

「……買ってくれないのですか? あなたも私を不幸にするのですか……?」


 たちが悪い! アレックスは心中で叫んだ。

 こうなったら無言で逃げ去るという強硬手段に出ようか。などと考えていた矢先、


「って、ちょ、ドリィさん!?」


 不意にドリィがアレックスにしがみつき、身動きが取れなくなってしまった。服の上からとはいえ、彼女の胸元の膨らみが自分の二の腕と当たってしまっているのを見つけて、アレックスは慌てて目を逸らす。


「お願いします……私に……どうか御慈悲を……御慈悲をぉお……!」

「お、落ち着いてドリィさん! ってか、痛……!?」


 見かけによらず剛腕なドリィに、アレックスはなされるがまま強く揺さぶられてしまっていた。ただでさえ殴られて満身創痍の状態だったアレックスは、あまりの痛みに悶絶しかけてしまう。いつの間にか、頭の中で必死に助けを請いている自分がいた。だからこそ、


「アレックス……? 何をしているの?」


 丁度、通学路であるこの道を通りかかった少女が自分の名を呼んだことが、今は救いの手を差し伸べる女神のように思えた。

少女はアレックスとドリィの顔を交互に見ると、一瞬、何かを察したような表情を浮かべ、何食わぬ顔で床に置かれた酸素缶を指差した。


「これ、一つ買います。800コームですよね」


にこっ、っと笑顔を向けながら、少女は鞄から財布を取り出した。


「ほああ……毎度ありがとう御座いましたぁぁ……」

「いえいえ」


 会計を済ませると、少女は礼を言うドリィを軽くあしらいつつ、アレックスの手を掴んだ。


「事情は後で聞くから、行くわよ」


 少女に手を引っ張られ、アレックスは一先ず難を逃れることができた。



「新型機の具合は良好のようだな」

「ええ。この様子だと、ロールアウトも近いでしょう」


 U3F駐留基地の格納庫を訪れたルーカスの問いに、バッフ=クランク大尉は依然とした様子で答えた。

 『ミスト・ガーデン』駐留基地防衛部隊所属のバッフ大尉は、心身ともに成熟した人格者であり、部下からの信頼も非常に厚かった。

 一方で、弾圧による統治を行うU3Fの方針には少なからず不満を抱いており、彼のそういった面を看破する上層部の人間達からは疎ましがられ、彼の有能さとは不釣り合いなDSWの一パイロットという地位に留められていた。


「“LDP-091 ピージオン”。設計者の私がいうのもなんだが、戦場で出くわしたら思わず目を疑うデザインだよね」


 眼前の12m程の巨大な人型兵器を見上げながら、ルーカスの隣に立つキョウマは皮肉めいた笑みを浮かべていた。

 “ピージオン”というペットネームで呼称されたその機体は四肢と胴体、頭を持った人型ではあるが、人間のそれに比べて手足が細長く、全身を覆う装甲は真珠のように白い。二つの赤い瞳にもみえるデュアルアイが鈍い光を発し、頭部には翼の生えた女神の黄金像が装飾されている。キョウマが言及していたように、その姿は兵器というよりも寧ろ芸術品と表現したほうが適切だとさえ思えた。

 背中には小さな円盤状の広域戦術警戒管制用レドームと呼ばれる電子戦用装備が備わっていることからも、この機体が情報処理やジャミング等の電子戦に特化しているということが窺える。


「バッフ大尉殿。テストパイロットとしてこの機体に乗った君から感想を聞きたい」

「はい。率直な感想としては、機能が全体的に高水準で纏まっているといった印象でした。レドームの性能もそうですが、それよりも私が驚かされたのは、本機に搭載された搭乗者支援型AIユニットです。これがあれば、素人が初めて機体に乗ったとしても、動かすことができるかもしれませんな」


 軽い冗談を交えつつ、バッフは誇らしげに語った。


「ありがとう。大尉にこの機体を任せたのは適任であったと自負するよ」

「いえ、私はそのような……、むっ、どうした?」


 会話をしていたルーカスとバッフの方へ、一人のU3Fの士官が何やら慌てた様子で駆け寄ってきた。士官はバッフに何かを耳打ちすると、バッフは途端に表情を強張らせた。


(事が始まったようだな)


 ルーカスは心中でそう呟きながら、キョウマと顔を見合わせる。彼はやはり皮肉っぽい笑みを浮かべていた。バッフは基地格納庫内の部下達に慌ただしく命令を飛ばしつつ、ルーカス達に神妙な顔つきで告げる。


「どうやら外部に情報が漏洩していたらしく、それを嗅ぎつけたインデペンデンス・ステイトの連中が、コロニー内の民間人を人質にピージオンの引き渡しを要求しているようです」

「なんだと! コロニーの住民は無事なのか?」

「幸い、民間人達はまだ事態に気づいておらず、混乱には至っていないようです。ですが状況が状況ですので、御二方は念のため、基地のシェルターに避難して下さい」

「お気遣い、感謝する」


 ルーカスは短く敬礼すると、キョウマと共にバッフの部下の案内に従って格納庫を後にした。



「おかえり。エリーお姉ちゃん、アレックス……って、また何かあったの?」


 帰宅したアレックスの疲れ切った顔を見るなり、ソファに座ってテレビを見ていた少女は呆れた顔で言った。

 彼女はミリア=マイヤーズ。ファミリーネームが示すように、アレックスの四つ下、13歳の実妹である。髪色はアレックスと同じブロンドに近い金髪ではあるが、父親譲りの癖っ毛が特徴のアレックスとは違って、ミリアのそれは癖のないストレートである。


「ミリア、すぐに救急箱を持ってきて頂戴」


 エリーお姉ちゃんと呼ばれた少女がそう言うと、ミリアは「はぁい」と生返事をして棚に向かった。

 先ほどドリィに絡まれていたところを救ってくれたこの少女は、エリー=キュル=ペッパー。ふわりとした金髪のサイドテールが特徴の、真面目で正義感がある、アレックスとは同い年で17歳の少女だ。

 ミリアからはとても懐かれており、実の兄であるアレックスを呼び捨てにする彼女も、エリーに対しては“お姉ちゃん”付けで名前を呼んでいる。


「ほら、アレックスはソファに座って、はやく」


 エリーは有無を言わせないといった様子でアレックスをソファに座らせると、ミリアが取ってきた小さめの救急箱から、消毒液やら包帯やらを取り出した。


「二人ともおかえりぃ。キャラメルいる?」


 ソファの端を陣取っていたやや小太りの少年は呑気そうに言うと、手に持っていた小箱から包み紙に覆われたキャラメルを二つほど取り出し、こちらに差し出してきた。この少年の名はテオドア=グニス、12歳だ。


「こらテオ。夕食前なのにお菓子なんて食べちゃ駄目でしょう?」

「ちぇっ。いいもんね、ちゃんと晩飯も残さないで食べるし」


 子供を叱る母親のような口調でエリーに言われると、テオドアは若干ふて腐れた様子で手に取っていたキャラメル二つを口の中に放り込んだ。というか、まだ食べるのかよ。

 エリーは横目でテオドアを軽く睨みつつソファの前に屈んで、アレックスの制服のズボンの裾を膝あたりまで捲った。消毒液を含んだ脱脂綿が傷口に触れる。


「お、応急処置くらい自分でやるよ……」

「今更恥ずかしがることないでしょう。 私たち“家族”なんだし」

「べ、別に恥ずかしいとかそんなんじゃ……ってか、し、沁みる……!」

「男の子でしょ、我慢しなさい」


 エリーに言いくるめられて、アレックスはバツが悪そうに彼女から目を逸らした。リビングを見渡すと、ミリアとテオドアがこちらを見てにやけていた。


「アレックス、子供みたい」

「『男の子でしょ〜う? 我慢しなさぁい?』」

「う、うるさいな」


 同じマイヤーズ姓のミリアはともかく、何故アレックスがエリー=キュル=ペッパーやテオドア=グニスと一緒に暮らしているかというと、それはここが児童養護施設だからである。

 木星での過酷な資源採掘作業を生業とする労働者の大人達が暮らす『ミスト・ガーデン』では、その性質上、両親の事故死による子供との死別や、過度な労働によりストレスの溜まった親から虐待を受ける子供が後を絶たなかった。エリーとテオドアが前者、アレックスとミリアの兄妹は後者の理由から、施設に引き取られる事となったのだ。

 特にミリアの場合、今でこそ年相応の明るさを見せているものの、施設に入所して間もない頃は、虐待のトラウマから対人恐怖症を患っていて、アレックス以外には全く心を開かなかった程である。今こうして何気ない会話をこなせていること自体が奇跡だと言っても過言ではない。


「そうだ、アレックス。事情を聞いていなかったわね。なんでこんな事になったの?」


 応急処置を終えて道具を救急箱にしまいながら、エリーは厳しい眼差しで問い詰めてきた。厳しいといっても、それに蔑みや嘲笑のような意図は全くなく、彼女のそれは心から家族の身を案じている者の眼だった。


「別にただ、家に帰ってる途中で、あの路上販売者に絡まれていただけだよ」

「そっちじゃなくて、怪我の話よ! またデフの仕業なんでしょう?」


 アレックスは心配させまいと少し誤魔化そうとしたが、やはりエリーには全てお見通しのようだ。彼女は昔から察しがよく、何事も少し見るだけで、何となく状況を理解できてしまうらしかった。


「アレックス、虐められてるの?」


 ミリアが悲しげな表情でそう聞いてきた。彼女は自身のトラウマと重ねているのか、他人が受けている理不尽な行為を見ると、見て見ぬ振りができないようになっていた。そういう他人思いの一面は、正義感が強く心優しい性格のエリーも同様で、根本的な点で似通っている彼女たちは、まるで本物の姉妹のようでもある。

 だからこそアレックスとしては、あまり彼女たちを心配させたくない、というのが本音だ。


「いじめとか、そういうのじゃないよ。ミリア」


 口下手なアレックスは不器用ながらも、慎重に言葉を選んでミリアをあやす。


「暴力っていうのは、確かに、人に言うことを聞かせる為にはもってこいの、効率的な手段なんだ。でも同時に、人の尊厳を無視した、人として恥ずべき行為でもある。僕は真っ当な人間でありたいから、暴力には屈しないし、暴力に暴力で応えようともしない。そう、これは男のつまらない意地の張り合いであって、決して一方的ないじめじゃないんだよ。だから……」

「アレックス、よくわからないよ……」

「……ごめん」


 言葉を選んだつもりだったが、かえってそれがアダとなってしまったようだ。人を納得させようとすると、つい理屈っぽい言葉遊びに奔ってしまうところが、アレックスの悪い癖だった。

 彼が非暴力、不服従を掲げるのもその癖が所以である。理不尽を受けて傷心する度に、自身を屁理屈という鎧で固めていく彼は、結果的に彼自身の身体を更に傷付けていくという悪循環に陥っていた。それほどまでにアレックス=マイヤーズという少年は、不器用で頑固な男であった。

 アレックスはミリアの寂しそうな顔を見て、明るい話題に切り替えようと思考を巡らせた。不器用で頑固ながらも、根底は優しい少年なのである。


「……そういえば、さ。 今日、久々に“父さん”が帰ってくるだろ。 だからさ、みんなでお祝いをしないか?」

「そうね!今晩はご馳走にしましょう!」


 アレックスがミリアの顔を伺いながら言うと、エリーも意図を察してくれたのか、人一倍明るい声音で賛成してくれた。

 “父さん”というのは、アレックス達が暮らす施設の里親のことである。彼は運送業社に務めていて、アレックスら四人の生活費や学費を稼ぐ為に、ヘリウム3の運搬という激務に日夜勤しんでいた。

 勿論、彼が副職などせずとも、食費など生活を送る上で最低限の資金は国側から支給されてくるのだが、“子供には貧しい思いをさせたくない”というのが、“父さん”が本職よりもハードな副職に励んでいる理由らしい。アレックス達も、彼の好意に対して感謝しきれないほどの恩義を抱いており、二週間ぶりに家に帰ってくる彼に恩返しをしたいというのは、本心からであった。


「……わかった。うんと美味しい料理つくろ!」

「いえーい! ご馳走、ご馳走、いっただきまーす!」

「テオ、食べるだけじゃなくて、あなたも手伝うのよ?」

「えぇー!? もう、しょうがないなぁ」


 アレックスの提案に、ミリアも快く賛成してくれたようだ。テオドアも、口にこそしないものの、満更でもない様子だった。


(そうだ。これでいいんだ)


 早速、“父さん”を迎える為の支度を始めるエリー達を見て、アレックスは心からそう思った。無理に理屈を通すよりも、優しい言葉一つかけることで、人の心はこんなにも簡単に救えるのだ、と。今の社会に有り触れているはずの大義名分や建前といったものが一切ない、この暖かな空間に、アレックスは確かな“平穏”を見出していた。


(大勢に理解されなくたっていい。この平穏が守られるのなら、僕はそれでーー)


 その刹那だった。

 まず最初の異変は、耳障りな警報音が聴こえたことだった。そのアラートがコロニー居住者全員の避難を促しているのだと理解するには、更に数秒を要した。

 続いて、足元から強い衝撃が込み上げ、不規則的なリズムで地面が強く揺れ始めた。


「なにっ? 地震ン!?」

「馬鹿ッ! コロニーで地震が起こるわけないじゃない!」

「じゃあ……なんなのさ!?」


 テオドアもミリアも、立て続けに起こる異常を受けて、ひどく混乱している様子だった。


「二人とも落ち着いて! コロニーの外壁に、少し大きい隕石でも当たったのよ、きっと」


 こんな状況であっても、エリーは冷静だった。


(違う、そう見えるように振る舞っているだけだ)


 彼女の足は震えていた。表情も少し強張っているように見える。きっと、得体のしれない恐怖に怯えて壊れそうな涙腺を、必死に抑えているのだろう。


「僕は外を見てくる! エリー達は、すぐに水とか非常食を適当なバッグに詰めてくれ!」

「ちょ、ちょっと……アレックス!?」

「僕は大丈夫だから、頼む!」


 エリーの制止にも振り向くことなく、アレックスはすぐに玄関の方へ駆けていった。外に出てすぐに上空を見上げると、先程までの警報音や異常な揺れの原因はすぐに明らかとなった。

 コロニーの空。トーラス型のスペースコロニーの大地から見上げる空は、太陽光を取り入れるためのミラーでしかない。その大地とミラーの狭間に溜まったスモッグの中に、人のような影が幾つかあった。崩れ落ちる建物や焚き火のように燃え上がる街並みを見て、その人の影がDSWだということはすぐにわかった。さらに注意深く見てみると、DSWはどうやら二つの勢力に分かれて戦闘を行っているようだった。

 そして、DSWを保有する組織など、平凡な一般市民であるアレックスからすれば、二つの名前しか思い浮かばない。


(“U3F”と“インデペンデンス・ステイト”が、戦争を行ってるんだーー!)

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