追憶のナット

第1章『追憶のナット 1』

 人は何故、こんなにも死を恐れるのか。

 死の瞬間に伴う苦痛、死後への不安、喪失感への恐れなど、理由は考えれば幾らでも出る。しかし、この人類にとっては永遠の課題でもある死に対して、具体的な解答を持ち合わせる人間は、果たして存在するのだろうか。いや、いるはずもない。何故なら人は死を経たその瞬間から、思考することも、発声することも出来なくなってしまうからだ。つまり死とは未知の領域であり、人々は生物たる故に、誰一人として例外なくそこへ辿り着くにも関わらず、その実態を知らない。まさに、悪魔の証明と言っても過言ではなかった。

 人は何故、こんなにも死という概念について問い続けるのか。

 人は“死”を経験することはできないが、他人の死を通じることによってはじめて、命や人生という言葉の意味を理解する。そして、『死はとても悲しいもの』として、終わっていく命に対して追悼の意を表すなど、人々は“死”に対して生命活動の一環という認識を超えて、特別な価値観を見出していくのだ。ある者は他者の死を悔やんで花を贈り、またある者は自らの死の瞬間を華々しく飾りたいと語る。

 では、人々にこれほどまでの影響をもたらす“死”とはなんだ?

 その答えは結局、各々の判断に委ねるほかない。



「こちら“バロム6”。アレックス、聞こえていたら返事をしろ!」


 エラーズが示した座標に向かったナットは、宇宙に漂うピージオンを発見すると、中にいる筈のパイロットに向かって必死に呼びかけた。しかし、登場者が応答する気配はなく、白いDSWは依然として静寂を保っている。


「エラーズ、アレックスの容態は!?」

《搭乗者のバイタルサイン低下、危険域です。迅速な救護活動を要請します》

「合点承知……ッ!」


 ナットの駆るクレイヴンはピージオンを抱えて百八十度旋回し、コスモフリートに向けて青白いスラスターの炎を吹かした。


(それにしても、この惨状は一体……)


 ナットは自分の座っているリニアシートを囲む全天周囲モニターを一望して、思わず恐縮してしまった。数十機を超えるDSWの残骸が、デブリの群れとなって機体の周辺を漂っているのだ。その中には捕虜が奪っていったヒューイのソリッドも確認することができた。


(これをアレックス……いや、この機体ピージオンがたった一機でやったっていうのか……?)


 いくらスパルタじみた操縦訓練を受けていたからといって、精神的な問題から銃をまともに撃つことも出来なかったアレックスが、この惨状を作り出した張本人であるとは考え難い。加えて言えば、先ほどの戦闘時のピージオンの機動は、常軌を逸脱しているようにさえ見えた。


(……まあ、そんなことは後でエラーズの戦闘ログを見ればわかることだ)


 何よりもまずは、一人の人命を救うことが最優先事項である、


(アレックス、死んでもくたばるんじゃねえぞ……!)


 ナットは足元のペダルを踏み込む。それに呼応するように加速したクレイヴンが青い閃光となって、星屑の海を突き進んでいく。



「こいつぁ……ひでェな……」


 担架に乗せられて格納庫を後にしていく瀕死の少年を見て、ピージオンの整備をしていたキムは表情にこそ表さないものの、内心ではひどくショックを受けていた。

 アレックスの容態は予想以上に深刻であった。コスモフリートに着艦したピージオンのコックピットからすぐに回収された彼の顔には既に眼球がなく、臓物があるはずの腹部も不自然にへこんでいた。他にも、身体中の骨という骨がありえない方向に曲がり、スペーススーツの隙間からは素人目から見ても致死量だとわかるほどの血液が溢れ出ているなど、つい目を背けてしまいたくなるほど痛ましい状態だった。加えて言及するならば、ピージオンも同様の状態であるといえた。


(フレームもサーボモータもあちこちが悲鳴を上げてやがる。アレックスの奴、一体どんな無茶なマニューバリングをしたっていうんだ……?)


 ピージオンが速度限界に達するまで加速を行ったのだということは、整備班総班長であるキムからすれば、たとえ戦闘を直接目撃していなくとも、機体のコンディションをみれば一目瞭然であった。速度限界というのはあくまでDSWを基準にした目安であり、仮にその速度に達すれば、驚異的なGによって搭乗者が無事に済むはずもない。ましてや、それなりに教養のあるアレックスがそのような常識を知らない筈はなく、知っているうえであえて実行に移すような愚か者か自殺願望持ちの類だとも到底思えなかった。

 つまり、原因は恐らく機体ピージオンの方にある。

 そう結論づけた外側ハードウェアの専門であるキムは、ピージオンのコックピット付近で血相を変えて端末を操作している内側ソフトウェアの専門ことシンディの元へ駆け寄った。


「シンディ。戦闘ログの解析、まだ終わらないのか?」

「それが……おかしいんだ」

「おかしい?」


 シンディはコクリと首を縦に振ると、キムに端末の画面を見るように指示した。画面上には、エラーズが記録した先ほどの戦闘におけるデータが、数字や動画ファイルとして表示されている。促されるがままに、キムは再生されている映像記録を閲覧する。


「……!」

「な? おかしいだろ?」


 ピージオンがヒューイ機のソリッドと交戦している最中。ピージオンの主観視点で撮影されている映像は不意に途切れ、次の瞬間には既に戦闘が収まっていたのだ。


「確かに不自然だな……。おいエラーズ、この間の時間に一体何があった?」

《該当記録なし。よって参照は不可能です》

「記録がないだと……? データの破損か何かじゃないのか?」

《いいえ。確認したところ、記録データに破損箇所は見当たりませんでした》


 エラーズが淡々とした合成音声でそう告げると、シンディもどこか納得のいかない表情ながら渋々頷いた。

 キムは今一度、ピージオンを見上げる。真珠のように輝く白い装甲は所々塗装が剥げている箇所が見受けられ、各所装飾や機体フレームは過度な重力加速度が掛かった影響でひどく歪んでいる。オーバーホールでも行わない限り、再度の出撃は難しいだろう。


(まさか、エラーズが仮病を使ってるってわけ……ないよな)


 満身創痍の機体を目前にして、キムはつい痛むこめかみを押さえた。



担架に乗せられた重体のアレックスが集中治療室に運び込まれるや否や、躊躇せずに手際よく乗組員達に指示を飛ばしていくパウリーネの姿を見て、やはり医者という職種の人間は強い、とバハムートは率直にそんな感想を抱いていた。


「キャプテン。メスをお願いします」


 パウリーネに指示された通り、術衣姿のバハムートは滅菌カゴに入った複数の手術器具の中から鋭利なメスを選び取り、彼女に手渡した。コスモフリートの乗組員にはパウリーネ以外に医療専門のスタッフが皆無なため、人手が足りない場合には(手術支援用のロボットを数機配備しているとはいえ)臨時で他の乗組員達が手伝う必要があった。艦長という立場のバハムートにとってもそれは例外ではなく、緊急時にはこのように医療班であるパウリーネの指示下に入ることだってある。


「臓器が殆ど駄目になってる……。本当に助かるの、コレ?」


 術衣に身を包んだポニータがそう口走ると、すぐにKTが咎めた。


「ポイータ。そういうのは、思っても口に出すもんじゃない」

「ご、ごめん……」

「いえ、確かにこのままだと、助かる見込みはほぼゼロに等しいわね」


 パウリーネが手術に専念しながら、しかし一切の集中力を欠くことなく、そう告げた。専門家としての意見に、その場にいたクルーたちの表情が曇る。ただ一人、パウリーネだけは希望の光を見失っていなかった。


「……でも、救う方法がないわけじゃないわ。医者として、あまり得策とは言えないけれど」


 アレックスを救う唯一の手段。バハムートもそれには心当たりがあった。


「ドクター。その手段とはやはり……」

「ええ、実績もある確かな処置よ。あなたが此処にいることが、何よりの証拠ね」


 何やら怪しげな雰囲気を放ちながら微笑みを交わす船長と船医を交互に見て、なんとなく目のやり場に困ったポニータは無意識に自分の頬を掻いていた。



 遺体安置室の中央に、黒い革袋が置かれていた。その中身が自分達の戦友“バロム2”ことムサシ=マリーンだと聞いても、ナットは特にそれを意に介すことはなかった。決してナットが、生前のムサシに対して無関心であったというわけではない。ただ、目の前の人の大きさ程ある膨らんだ革袋とムサシがどうしても頭の中で結びつかなかった、というだけの事である。


「ムサシよォ……! 時々、こいつの無精髭をガムテープでひん剥いてやろうかって思ったこともあったけどよォ……、根は良い奴だったんだ。なのに、なんでこいつが死ななきゃならねぇんだよ、えぇ!? こんな最期……あんまりだろうよォ!」


 革袋の側でヒューイが膝をついて咽び泣いているのを、ナットはただ呆然と眺めていた。曰く、人質二人の監視役をしていたムサシは、男の方の人質に持っていたライフルを奪われ、床に突き伏せられた挙句に後頭部を撃ち抜かれ、即死だったらしい。


「あの兵士……、チャーリー=ベフロワとかいう奴……。今度、戦場で逢ったら、ただじゃあおかねぇかんなァ……!」

(ヒューイの奴。復讐しようっていうのか……? まあ、それもそうか。ムサシが死んだんだし。人として当たり前の反応……のはずだ)


 客観的に見れば、仲間を失ってもなお、復讐心や弔いの意といったものが微塵も湧いてこない自分の方がおかしいのだろうか。ムサシが死んだという事実に不自然さを感じている自分は間違っているのだろうか。


(だってムサシってのは、長身のくせに猫背で歩いて、いつも皮肉屋めいた笑いを浮かべてて、奥歯に物の挟まったような言い方しかできないような奴のことだろ? こんな動かない物体モノはムサシじゃない)


 何処をどう見てもムサシとは似ても似つかない物体。しかし、これはムサシなのだ。死ぬという事は、きっとそういう事なのである。


(クソッ。仲間が殺されちまったっていうのに、なんで俺はちっとも悲しくねぇんだ……!?)


 自分自身に対して怒りと苛立ちを感じつつ、ナットは静かに部屋を去った。



「なあ、アレックスは? 無事なのかよ!?」


 安置室を出たナットが通路を歩いている途中、前方から来たデフが慌てた様子で聞いてきた。彼の後ろにはミドやエリーら、『ミスト・ガーデン』のメンバーらがみな不安そうな表情でこちらの返答を伺っているのが見える。


「無事……とはとても言えない状態かもな。心拍があるのが奇跡的なくらいだ」


 ナットは変に彼らを心配させまいとして上手く誤魔化すことも一瞬考えたが、アレックスの容態からしてそれは無意味だと判断し、ありのままの事実を伝えることにした。何より、戦闘後で心身共に疲弊していた今のナットには、冗談を言えるだけの余裕すらなかった。


「そっか……でもよかったぜ。アレックスが生きて還ってきたってだけでも。聞いた話じゃ、死んでもおかしくないような状態だったって……」

「何度も何度も、アレックス、アレックスって……。他のことはどうでもいいのか……?」


 怒りを押し殺したような冷たく鋭い声音に、場の空気が凍りついていくのを感じた。それが自身から発せられた声だということをナットが理解するには、更に数瞬の時間を要した。そして、一度口から出てしまった言葉は、もうかき消すことなどできない。


「ムサシが死んだんだ。付き合いの短いお前らにとっては他人事かも知れないけどな、俺にとっては家族同然の人だったんだよ」


 他人事。自分の発した言葉に、ナット自身がまるで首を絞められるような錯覚に陥った。


(そうだ。ムサシは家族同然、俺の兄代わりの人間だったはずだ。なのに、なんで俺はそのムサシの死を、他人事のように思えてしまっているんだ……?)


 すると、ナットの話を聞いていたミリアが、瞳を潤わせながら俯きがちに口を開いた。


「ごめん……なさい……。そんなつもりじゃなかったの……。でも、そんな……ムサシさんまで……」

(まさかミリア、ムサシの死を悲しんでいるのか……?)


 彼女の頬を涙が伝った。悲しんでいるのはミリアだけではない。デフにミド、エリー、ミランダ、そしてテオドアも、それぞれがムサシという人間の死に少なからずショックを受けている様子だった。


(やっぱり、狂っているのは俺の方なのか……?)


 何故、自分の目の前にいる少年少女らは、交流の少なかった人の死を、悲しむことができるのだろう。

 いや、そうではない。自分は何故、近しい人間の死を、悲しむことができないのだろう。


「……違う、あれはムサシじゃない……! あんなモノが、ムサシであってたまるか……ッ!!」


 ナットは思いの丈を吐き捨てると、眼前の六人を払い退けるようにして、通路の奥へと走って行った。



 力なく艦内を徘徊していたナットは、無意識の内に食堂へと足を運んでいた。誰もいない食堂で何も食べずに椅子に座って、ただ何もしないまま時間だけが過ぎていくのを感じていた。


「調子、悪そうだな。ナット」


 バハムートの声が耳に入り、ナットは憂いた顔を少しだけ上げる。部屋に入ってきた彼は術衣姿で、ホルマリンの臭いが鼻腔を刺激した。


「おやっさん。手術の方は」

「今さっき終わったところだ。手術と言っても、生命活動を維持させる為だけの応急処置程度しかしとらんがな」


 バハムートは食堂の隅にある冷蔵庫を開けると、パウリーネ特製の作り置きのアイスティーが入ったボトルを2本取り出し、片方をナットへと投げ渡した。ナットはそれを両手でキャッチすると、心ここに在らずといった様子で、ボトルの蓋に視線を落とした。


「ムサシの奴。今日は食堂に来ないんすね」


 ナットの何気なく放った言葉に、バハムートは一瞬だけ怪訝そうにしていたが、彼はすぐにそれはナットの弱音であると察した。


「だから食堂で待っていれば、いつものようにムサシがやってくるはずだ。そんなところか?」


 頭の片隅で思っていた事をバハムートに当てられ、ナットは驚嘆とも落胆ともとれぬ、複雑な表情を浮かべる。他人の口から改めて言われると、おかしな話である。死んだ人間がいつも通りに過ごしているなどというのは、幽霊の類かゾンビ映画に限った話であり、現実の世界でそんな摩訶不思議な現象が起こるはずもない。ただナットにとって、信じ難いという感想は、ムサシの死においても同様であった。


「わからないんすよ。ムサシが殺されたっていう事実に、どこか納得のいっていない自分がいる。現実味がないっていうか……。何で皆は、そんな簡単にムサシの死を受け入れてるのかって」


 ナットが力なく悩みを吐くと、バハムートは確固たる意志を持ってそれを否定した。


「それは違うと思うぞ、ナット。おそらくこの艦にいる全員が、奴が殺されたという事実に違和感を感じているはずだ」


 自分の予想と違った回答に少し戸惑うナットを見据えつつ、バハムートは続ける。


「生きている人間の中で、死を経験したことのある奴なんていない。言葉の上では知っていても、実態は誰にもわからないんだ。故に、他人の死に直面した時、皆どうしていいのかわからなくなるんだろう。だからこそ、涙を流す者もいれば、落胆する者もいる。実感が沸かないというのも、無理はない」


 長時間の手術を経て喉が渇いていたのか、バハムートは豪快にアイスティーを一気に飲み干すと、空になったボトルをゴミ箱目掛けて投擲した。空中で浅い放物線を描いたボトルはそのままゴミ箱の穴へと綺麗に滑り込んでいった。


「っと、そろそろブリーフィングを始めるからな。お前もすぐに準備しておけ」


 そう告げると、バハムートは食堂を去っていった。


(皆が、違和感を感じている。か……)


 先ほどバハムートに言われた言葉を、心中で復唱する。それはある意味では開き直りとも取れる言葉ではあるが、そう結論づけるほかないのだろう。


(納得できないことに、納得しろってか)


 ナットは渡されていたボトルの蓋を開けると、中に入ったアイスティーを一口だけ飲んだ。


(……やっぱり、納得できないぜ)


 恩師であるバハムートの言葉をもってしても、ナットが憂いから解放されることはなかった。

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