策謀のルーカス
第7章『策謀のルーカス 1』
良心的兵役拒否、という言葉がある。
文字通り、人の良心や宗教、政治、哲学、道徳などの理由に基づき、戦争への参加を拒否することである。軍隊や国家においてこれは禁忌とされ、「死にたくない」といういたって自然的な欲求から銃を手に取ることを拒否した良心的兵役拒否者たちが、戦う者達から非国民や売国奴、臆病者などと散々に罵られ、差別や迫害を受けてきたということは、歴史が証明していた。
戦争とは、国家という巨大で複雑なコミュニティの威厳を守るために、個人の尊厳を排して行われる行為である。
人の良心は、銃の引き金を引くことに耐えられるほど、丈夫ではない。だからこそ、銃を配られた人間たちは『国家のために』などという大義名文を謳い、生きたい、逃げたいといった人として当然の欲求をタブーとして、徹底的に本能と理性を切り離し、狂気に身も心も溺れさせるしかなかった。
すべての兵士たちが、このような狂気に侵され、支配されてゆく。人が、人としての心を押し殺し、『殺される前に殺す』という生存本能に身を従わせる動物へと退化していく。
戦争とは、そういうものである。
*
「ようこそ。我々は宇宙義賊コスモフリート。俺が船長のキャプテン=バハムートだ。手荒な真似をしてすまなかったな」
海賊のDSWたちに連行されたアレックスとピージオンは、『ミスト・ガーデン』の宇宙港を出ると、コロニー周辺の宙域で待機していた海賊の所有する戦艦へと案内された。手錠のような拘束具はとくにつけられないまま、戦艦のブリッジへと連れてこられ、艦長席に座する男と対峙する。
キャプテン=バハムートと名乗った男は、険悪な表情を隠さないアレックスとは対照的に、自信に満ちた笑みを浮かべている。
栗色の髪は無造作に伸び、肩口まで伸びている。外見は30代前半くらいに見えるが、濁った鋭い瞳はどこか達観していて老成な雰囲気を纏っており、彼のつかみどころのなさを物語っている。映画に出てくる特殊メイクのゾンビのように白い肌はまるで人の温度を感じられないような独特な不気味さを放ち、頬から頬にかけて、何故か細い包帯が何重にも巻かれていた。全身をぴっちりとしたウェットスーツのような服で包んでおり、その上から大きめのマフラーを首に巻き、腰にはメンズ・スカートのような布がつけられていた。
「海賊行為をやっているなら、立派な犯罪集団ですよ。それを義賊だなんて」
アレックスが吐き捨てるように言うと、ブリッジの隅で様子を見守っていたクルーのうちの一人がこちらへ近づいてきた。アレックスと同い年ぐらいに見える少年だった。女性のようなあどけなさの残る顔立ちだったが、全身から放つ狼のような雄々しさが、それを感じさせない。
「俺たちは海賊じゃない! 正義と、平和のために戦っている……!」
少年の瞳がアレックスを捉える。その意志と言葉に、嘘臭さは感じられなかった。
「そう熱くなるな、ナット。アレックス君もまだ状況を把握しきれていないのだ。そう感じてしまうのも無理はない」
「でもよ、おやっさん! こいつは俺たちを海賊呼ばわりして……!」
「いま、俺たちとアレックス君の間に必要なのは対話。向かい合って話すことだぞ、ナット。少なくとも、言葉で解決できる問題は、そうするべきだ」
バハムートに諭され、ナットと呼ばれた少年は納得がいかない様子だったが、渋々引き下がった。これを見ていたアレックスには、バハムートという男が、風貌や肩書きに反して、意外とまともな思考の持ち主であるように感じられた。
「部下の非礼を詫びよう。彼も、悪い人間じゃないんだ。許してやって欲しい」
「いえ……、気にしていません」
海賊の船長なのに他人に謝れるのか、というのがアレックスの率直な感想だったが、口には出さなかった。先ほどから彼らのやり取りは、これまで抱いていた海賊に対する無法者や犯罪者といったイメージとは大きくかけ離れており、そんな彼らを海賊扱いするのは、失礼に感じられたからである。
「我々、コスモフリートというのは、同名の当艦を旗艦とする武装集団だ。察しの通り、いかなる国家・組織にも所属、ないし加担していない」
つまり、コスモフリートという集団は、U3Fでもインデペンデンス・ステイトでもなく、完全に独立した集団ということだ。正式な軍隊でもない集団が軍事力を保有することは言うまでもなく犯罪行為であり、少なくとも法律の上では、彼らは犯罪集団だということになる。
「俺たちの行動理念は、争いの火種となる要因を取り除くことで、大規模な宇宙戦争の発生を未然に防ぐことにある。具体的にいえば、開発中の戦略兵器の破壊などだ」
「そんなの、あなた方の勝手な自己満足ですよ。現にもう、戦争は起きてしまっている」
「だが、大勢の人々が死ぬよりは遥かにいいだろう」
小を殺して大を救う、というのがコスモフリートの方針のようだ。どちらかを選べと言われれば、彼らだけでなく、大抵の人間はこの選択肢のほうを選ぶだろう。
「法的にいえば、俺たちは確かに犯罪集団として扱われるが、それは本意によるものだ。法で裁けぬ悪を裁く。その為にコスモフリートは在る。あとは、法の犬どもから逃げ切れるかどうかという、我々にとって最大の死活問題が残るがね」
バハムートのさりげない冗談に乗組員たちは笑い声をあげていたが、アレックスだけは硬質な表情を崩さなかった。彼らの意見を肯定するか否定するか、判断に迷っていたのだ。善意によって、あえて悪を演じる彼らの立ち振る舞いは、まさに偽悪者だ。悪と偽悪。その二つは、たとえ表面上の行いは同じだとしても、本質は大きく異なる。
「アレックス君」
バハムートが問いかける。
「君は、“戦争”という人の為す行為ついて、どういった考えを抱いている?」
「僕は……」
唐突な質問に、アレックスは戸惑う。頭の中で言葉を探しつつ、すぅ、と一呼吸して、問いに答える。
「戦争は、人の尊厳を踏みにじった、良くない行為だと考えています。御国の為だと言って、人殺しを正当化して志願兵を募集するポスターとか、とても正気だとは思えない。国を動かせるほどの権力を持つ人たちは、もっと穏便に、テーブルの上で事を進めるべきなんです」
「綺麗事だな。しかし偏見ではない。良くも悪くも、今まで戦争というものを、ニュースの中での架空の出来事として捉えてきた者の意見だ」
それは、“君は平和ボケしている”というのと同義である。そうではない、とアレックスは言いたかったが、彼の言葉を否定することはできなかった。確かに『ミスト・ガーデン』での日常は“平穏”でこそなかったものの、戦争が行われているわけではなかった。実際に人が大勢死ぬ戦争と、顔中に腫れができるだけの喧嘩とでは、たとえ本質的には同じでも、もたらされる結果は大きく異なる。アレックスがいくら理不尽な暴力に見舞われ続けてきたからといって、戦争を経験していなかったことに変わりはないのだ。
「だが、俺は君の道徳的な思考に好感を覚えたよ。ただ経験が、圧倒的に足りないだけだ。そこで、だ」
言うと、バハムートは椅子から立ち上がり、アレックスの目の前まで歩いてきた。
「アレックス君、俺たちと共に来ないか?いずれにしても、軍事機密に触れてしまった君は、おそらく軍から指名手配扱いされているだろうし。そちらとしても、悪くない条件なんじゃあないかな」
バハムートの突然のスカウトに、乗組員たちのざわめきが起こった。
「今の君には、選択肢が2つある。俺たちと共に、法で裁けぬ悪を裁くために武器をとるか、全てを忘れて隠居生活を送るか、だ」
(そんな都合よく、人は記憶喪失になれるもんか……!)
2つの選択肢のうちの後者は、実質的な生殺しだ。真実の片鱗に触れながらも、それに立ち向かうことはせず、ただ追われ続けるだけの一生を少して天寿を全うしろというのか。
かといって、もちろん戦うという選択肢も選びたいとは思わなかった。引き金を引くことの責任感に幾度となく押し潰されそうになったというのも理由の一つだが、暴力という手段を取りたくないというのが最大の理由だ。戦いを日常としてしまえば、信条としている“非暴力主義”を根本から否定することになってしまい、それはアレックスというアイデンティティそのものを否定することに等しかった。
「答えを急ぐ必要はない。ゆっくり考えて、決断してくれたまえ。当面の食事と寝床はこちらで用意しよう。それと……」
バハムートはそう言うと、わざとらしく鼻をつまんで、アレックスの服の腹部あたりを見た。そこには、吐瀉物が染み込んだ跡が浮かんでいた。
「服も少々臭うしな。おい、ポニータ! 替えの服も用意してやってくれ!」
「えぇ、なんでアタシが!?」
バハムートに名指しで呼ばれた乗組員の一人、ポニータ=ブラウスという褐色肌の女性が苦言を漏らした。
「そりゃ、お前が今日の洗濯当番だからだろう。ナット、お前はアレックス君をシャワールームに案内してやってくれ」
「俺は今日、シャワールームの掃除当番じゃねえぞ!?」
「新入り候補の面倒は、二番目に新入りのお前が面倒を見ろといっているんだ」
「……わーったよ、おやっさん」
どこか腑に落ちない様子のナットだったが、バハムートには頭が上がらないのか、渋々それに了承した。
「おい、行くぞ。着いて来い」
ナットに促され、アレックスはバハムートに背を向ける。ブリッジのドアを潜ったところで、バハムートの言葉が飛んできた。
「人には与えられた使命というものが存在する。自分には何ができて、何をするべきなのか、考えて欲しい」
「僕はまだ、武器を持つのをためらう心を捨てちゃいませんよ」
その言葉が、残酷な二者択一を迫られた今のアレックスにできる、ささやかな抵抗だった。
*
6人の少年少女とグレゴールは、宇宙港へと向かうリニアトレインの車両に乗っていた。宇宙港に近づくにつれ、車両内は次第に無重力となっていった。しかし、無重力になってもなお、彼らは一人たりとも身体を固定するシートベルトを外したりはしなかった。まだ遊びたい盛りのテオドアやミリアもだ。ここにいる全員が、とてもそんな気分にはなれなかったのだ。
「アレックスのやつ、どうなっちゃってるのかな……?」
「ちょっと、ミド!?」
ミドの不用心な呟きに、ミリアを気遣ったエリーがすぐに制そうとした。
「ご、ごめん! 別にそんなつもりはなくて……」
ミドが申し訳なさそうにエリーとミリアに頭を下げて謝罪すると、車内に再び沈黙が訪れる。これでは会話もままならない。そう思ったミランダは、もう少し雰囲気が明るくなるような話題をあげようと決めた。
「それにしてもアレックス先輩、普段とは見違えるくらい行動力ありましたね。私、びっくりしました」
今まで、とても沈黙に絶えられないといった様子だったミドがそれに続いた。
「そ、そうだよなぁ! 俺、あいつのこともっとヘタレだと思ってたからさ、見直しちゃったよ! うん」
「ヘタレはむしろミドのほうじゃないのー?」
「おいこらテオドア! 自分が言われて嫌なことを人様に言うんじゃありません! てか早速呼び捨てかよ!」
ミドとテオドアの素っ頓狂なやり取りを見て、表情の暗かったエリーにもやっと笑みが溢れた。
「彼は昔からね、意外と我が強いのよ」
エリーは少し自慢げに、そして昔を懐かしむように語り出す。
「ある時ね。……まあ、ほぼ毎日のことでもあるのだけれども、まだ私も彼も10歳くらいだった頃に、彼が散々にいじめられて、泣きながら家に帰ってきたことがあったの。そんな時、彼はあることを学びたいって言っていたわ。それはなんだと思う?」
「……護身術、ですか?」
ミランダが答えると、エリーは首を横に振った。
「普通の男の子ならそう言うところかもしれないけれど、彼が学びたいと言って買ってきたのは、空手とかボクシングじゃなくて、心理学の本だった。『どうしていじめっ子たちが話し合いじゃなくて、殴ったり蹴る乱暴な手段に及んでしまったのか、理由を知りたかった』からだそうよ」
「うわぁ、先輩相変わらず……何というか、変わり者ですね」
アレックス=マイヤーズという人物は、頻繁に殴られることはあっても、仕返しをすることは全くない。その事はハイスクール内ではそこそこ有名な話であり、ミランダも直接の面識は少ないものの、アレックスの人となりについては風の噂として耳に入っていた。
「そして、いじめっ子の俺はアイツに『暴力を振るうのは、地位を誇示する為に最も効率的な方法だからだ』って言われて、論破されちまった。その通りだった。だけど、その時の俺にはアイツが、知識をひけらかしているように思えて、プライドを傷つけられた気がして、苛ついて、また殴っちまった」
デフは自分の握りこぶしを見つめながら、自分を許せないといった表情でそう言った。
「デケェんだ、アイツの器は。俺なんかよりも、ずっと……!」
彼は拳を強く握る。血が出てしまいそうなほどの握力だった。
「へぇ、デフ先輩のって小さいんですね」
ミランダの何気ない一言に、デフは思わず動揺してしまった。なんだか、男としての尊厳を踏みにじられたような気がしたのだ。
「な、ナニが……っ!?」
「器の話ですよ?」
ミランダは弁明すると、にこっ、と小悪魔っぽい笑みを浮かべた。
*
宇宙港へとたどり着いたエリー達は、港に駐めてあった数機の脱出ポッドを発見していた。脱出ポッドといっても、その性質はカプセルというよりは小型の宇宙船に近く、コロニー間の移動程度の航行ならこなすことができる。
(戦闘の形跡がある……。父さん、無事なのかしら)
港に浮かぶスペースデブリを見て、エリーはそんなことを考えたが、捜しているほどの余裕や時間もなかった。
グレゴールは子供達に脱出ポッドに乗るよう促しつつ、これからの方針について話し出した。
「俺たちはこれから、この脱出ポッドで『ミスト・ガーデン』から一番近いエウロパ基地に向かう」
エウロパとは、木星の第2衛星である。イオ、ガニメデ、カリストをあわせたガリレオ衛星の一つであり、『ミスト・ガーデン』と同じようにU3Fの軍事基地が存在している。
脱出ポッドに全員が乗り込むと、グレゴールが操縦席に座り、宇宙港から出港した。
「私たち、いつかここに帰ってこれるのかな……」
窓越しに遠くなっていく『ミスト・ガーデン』を見つめながら、ミリアがそう呟いた。ミリアだけではない。少年少女たち全員が、離れていく故郷にそれぞれの思いを馳せていた。
「帰ってこれるわよ。もちろん、アレックスも一緒にね」
エリーが言った。根拠はなかったが、彼女の優しい言葉は不思議とミリアたちを安心させていた。状況が状況なのだ。この場にいる誰しもが、たとえほんの微かな希望でも、それがあればすがっていたかったのだ。
この航海が、少年少女たちの運命を大きく変える、長く長い旅の始まりに過ぎないということは、この時の彼らには知る由もなかった。
*
退避シェルターに避難していたルーカスとキョウマは、 エウロパの駐留基地から派遣されてきた救助部隊に保護されていた。
彼らの話によれば、ピージオンはどうやらインデペンデンス・ステイトではなく、漁夫の利を得るかのように現れた第三勢力である宇宙海賊に奪取されてしまったらしく、現在U3Fでは追撃部隊の編成が急がれていた。
「追撃部隊に、私たちもご同行させてもらいたい」
ルーカスがそう言うなり、U3Fの将校はつい困惑しきった表情を浮かべていた。U3Fにとって、兵器の提供や出資を行うLOCAS.T.C.とは、いわばスポンサーである。ましてや、ルーカス=ツェッペリンJr.は次期社長候補という身分である。それゆえ、軍属ではないにもかかわらず、U3F内では強い発言力を持っていた。
「ピージオン開発プロジェクトの責任者は私だ。軍側の不始末とはいえ、賊に持ち出されたとなれば、取り返しにゆくのが道理だと思っているのだがね」
相変わらずの物言いだな、と様子を見ていたキョウマはつい苦笑してしまった。無論、一企業の人間であるルーカスには、軍事行動に同行する義務などない。にもかかわらず、軍の厄介ごとにやたらと口を挟むことの多いルーカスを、軍内では煙たがっている者もきっと多いだろう。
「……まあ、そういうことでしたら。いいでしょう。乗艦を許可します」
不本意という文字が顔に出ていた将校だったが、ルーカスとキョウマの乗艦は渋々、承認されたようだった。時に繊細に、時に強引な手段で行動を起こすルーカスという男に、キョウマは珍しく本心から感心していた。
「でもルーカス、これでよかったのかい? ピージオンを取り返すとしても、君がわざわざ赴く理由はないだろう」
U3F戦艦内の廊下を移動する途中で、キョウマが無粋だということを承知で聞いた。
「“私”は臆病者でね。他人を心から信用しきれないのが、私の悪い癖だな」
「知っているさ。ゆえに、あの仮面だって造られたのだからね」
「その話はよせよ。ここは人が多い」
数時間後、ルーカスとキョウマを乗せた追撃部隊の戦艦はエウロパを出港し、先を行くコスモフリートの後を追い始めた。
*
地球圏への帰路を通っているコスモフリートの捕虜となってしまったアレックスだったが、尋問や監禁されることもなく、ナットが付きっ切りで監視の目を光らせるという条件付きではあるが、ほぼクルー達と同じくらいには、艦内での自由な活動を許されていた。
「お前、トシいくつ?」
シャワーを浴び、新しく用意してもらった服を着たあと、廊下の途中で、ナットがそんなことを訪ねてきた。
「17だけど」
「あ、そう。俺いっこ上だわ。お兄さんだわ」
ナットは元からこういった人懐っこい性格なのか、無理してこのような振る舞いをしているのかはわからないが、先ほどから馴れ馴れしく接してきていた。しかし、ナットには悪いが、コスモフリートに囚われている間、アレックスは警戒心を解く気はなかった。それに、遠くなっていく『ミスト・ガーデン』のことが気がかりでもあった。エリー達は大丈夫だろうか。無事にコロニーから脱出しているだろうか。考えれば考えるほど、せめて自分だけでもコロニーに戻りたいと思ったが、先ほどナットにそれを進言したところ、
『それは諦めろ。あのコロニーは今、エウロパから派遣されたU3Fの部隊が厳戒態勢になってピージオンを探してる。お前が戻れば、やつらに捕まって、髪が全て抜け落ちるまで拷問された挙句、アリを潰すように殺されるだけだぜ』
と根拠ありきで否定されてしまった。
考えても自分にはどうすることもできないので、気を紛らわすために、アレックスとナットは格納庫に向かっていた。なんとなく、ピージオンの姿を見ておきたかったのだ。
格納庫に着くと、ハンガーに鎮座するピージオンの姿はすぐに発見できた。機体の周りでは、何やら整備班らしき人達が総動員で作業をしているようだった。
「しっかし、兵器って言葉が似合わねぇくらいに派手な見た目だよなあ。味方に位置を知らせやすくするためってんならわからなくもないが、頭の羽はさすがに趣味的すぎるだろ」
手を後ろに組んだナットがピージオンを見るなり、呆れた様子でそう言った。アレックスも、というより、この機体を見た者のほとんどが、おそらく同様の感想を抱くだろう。それに見た目以外にも、この機体にはいろいろと謎が多い。
(さっきの戦闘中、ECMが発動していたのに、グレゴール中佐の通信機とはやり取りすることができていた。敵だけに電波妨害を与えて、味方とは普通に連絡が取れるのか?)
そんな都合のいいジャミングがあるのだろうか。兵器に関してはミドほどの知識もないアレックスではあるが、そのような兵器が存在するとはさすがに思い難かった。しかし、現にそのような現象は起こっているため、頭ごなしに否定することもできない。
そんな事を考えていると、整備班のうちの一人らしき、ツナギ姿の男がこちらに向かってきた。
「紹介するぜ。うちの船の整備班総班長、キム=ベッキムさん。強面で無口だが、悪い人じゃあない」
「おうよ」
キムと呼ばれだ男は短くアレックスに会釈した。年季の入った、油汚れの目立つ赤いツナギに身を包んだ東洋人の成人男性は、黒い髪を短く切りそろえていて、獰猛なライオンのような野性的な鋭い目つきが特徴的だった。メカニックのはずなのに、まるで人を何人も殺してきたような雰囲気を放っている。
「ピージオンはこの後、どうする気なんですか?」
アレックスが尋ねると、キムは片手でうなじを掻きながら面倒くさそうに答える。
「あー、データの吸出しをして、手に負えないような代物なら、爆破でもして破棄だな。まあ、そのデータの吸出しに手間取ってるんだけどよ」
そう言うとキムは親指で、ピージオンのコックピットとケーブルで繋いだPCを操作しながら頭を掻きむしっている、細身で眼鏡をかけた男性を示した。
「あいつはシンディ=サハリン。コールサインは“バロム4”、つまりこの艦のDSW乗りのうちの一人だ。機械に強いから、非戦闘時にはああやってエンジニアとしての仕事もこなしてる」
ナットがそう補足した。バロム、というのはコスモフリートの戦闘員が用いるコールサインのことらしかった。格納庫にはピージオンを除いて、DSWは5機のソリッドとクレイヴンしかおらず、『ミスト・ガーデン』で交戦した際にも同数だったことから、どうやらこれがコスモフリートの全戦力らしい。ナットがバロム6でシンディという男がバロム4なら、あと四人はいるということだろう。
「ああぁぁぁっあ、あぁぁぁあああああああッ!! クッソ! 何なんだよもう!」
PCと格闘するシンディは、作業が思い通りに進んでいないのか、唐突に絶叫した。それを横目にキムはため息をついて、ピージオンのほうに顔を向けた。
「しかし妙な機体だな、あれは。装飾もそうだが、特にコンピュータユニット。DSWに載せるにしては、馬鹿みたいに性能が良いのを積んでやがる。おまけに解析しようにも、プロテクトまで完璧ときてる」
「そんなにですか?」
「俺やシンディがお手上げときてるんだ、間違いない」
確かに、ピージオンに搭載されているコンピュータユニットの性能は、他のDSWと比べても優れているように思えた。民間人であり、操縦訓練などを全く受けたことのないアレックスにですら動かせたのだ。それはどう考えても、機体に搭載されていた高性能AI“エラーズ”の操縦サポートのおかげだろう。必要最低限の操縦さえしていれば、あとはほとんど自動操縦をしてくれていた。もしこれが搭載されていなかったら、戦闘はおろか、瓦礫を退かすことさえできなかっただろう。
「なあ、お前。どうやってあいつを動かしていたんだ?」
キムがアレックスに尋ねた。
「搭載されてたAIが操縦をサポートしてくれて……」
「ああ、いや、そういうことじゃない。普通、DSWには厳重なセキュリティが設けられててな、機体に登録されたパスコードと個人のパスコードキーが一致しなければ、本当は起動すらできないはずなんだ」
「えっ……」
確かに、言われてみれば疑問に思う。アレックスのような民間人が日常的に使う携帯端末やPCにさえ、所有者以外が操作できないようにロックを掛けることができるのだ。ましてや軍用の兵器なら、そのような機能が備えられているのは当然のことである。
「U3Fの“バッフ=クランク大尉”。たしか、エラーズ……ピージオンに搭載されたAIは、その人物が正規パイロットであると言っていた……」
「つまり、そいつがピージオンに登録されていたパスコードの人物ということか。なのに、エラーズとやらはそれを上書きして、お前をパイロットとして認識したと」
「状況が緊急事態だったから、条例に基づいて僕に操縦権限を委ねると、エラーズは言っていました」
「それ、マジか? 条件付きで登録されているパイロット以外に操縦権を渡すAIなんて、聞いたことねえぞ」
明らかに不自然な現象である。とキムの表情がそう語っていた。メカニックの彼が言うのだから、事実なのだろう。
「こいつ一機のために、インデペンデンス・ステイトがコロニーを襲撃したり、U3Fが死守しようと徹底抗戦をしていた。こいつはどうやら、相当な厄介者を抱え込んじまったかもなァ……」
何やら意味ありげな声音で、キムが呟いた。その表情はどこか嬉しそうだったのを、アレックスは見逃さなかった。
*
「それにしてもさっきのキムさん、珍しく饒舌だったな」
格納庫を後にして、食堂に向かう廊下の途中で、ナットが思い出し笑いをしながら言った。
「そうなの?」
「ああ。キムさんってば、興味のないことについては全く喋らない人からな」
「そんなに?」
「そりゃもう。あんな調子で会話するキムさんを一日中見てたら、腹筋が鍛えられちまうぜ」
そのようなやり取りを交わしているうちに、二人は食堂へと着いた。
案内された食堂は小洒落たバーのような広い部屋だった。あとでナットに聞いたところによると、どうやら長い宇宙航海を続ける乗組員たちの精神衛生の管理という建前で、艦内にはこのような娯楽性の強い部屋がいくつか存在しているらしかった。
「すごいな……。ビリヤードまであるのか」
「うちらコスモフリートのウリの一つさ、ゲロんちょくん」
「げ、げろんちょ……!?」
部屋に入ってきた二人を見るなり、キューを手に持った褐色肌の女性が、ボリュームのあるポニーテールを揺らしながら近づいてきた。先ほど、アレックスに替えの服を用意してくれた、ポニータ=ブラウスという気が強そうな女性だ。袖を捲ったワイシャツ姿だったが、胸元は大胆にはだけている。彼女のコールサインが“バロム5”、つまりDSWのパイロットだということは、あとでナットから聞いた。
「かわいいもんだねぇ、初陣にゲロッちまうなんてさぁ」
「おうおう、ポニータ! お前も人様のこといえる立場じゃねえだろがよ! おめえが初陣の後に食堂で盛大にぶちまけちまったこと、バラシちまうぞっ!」
「な、何言ってやがんだヒューイ! てかもうバラシちまってんじゃねえか!」
アレックスをからかうポニータに対して、さらに中年のやや腹の出た男がこちらに向かってきた。彼の頭頂部に生えた、白と赤のメッシュの入ったモヒカンを見て、アレックスは思わず圧倒されてしまった。それを見たナットが笑みを浮かべつつ、彼について紹介をする。
「ヒューイ=M=ジャクソン。見ての通りの下品なチンピラ。以上」
「おうナット!てめぇもうちょいマシな説明しやがれっ! 俺様が“バロム3”で、一度に20機のDSWを落とした話とかよぉ!」
「ヒューイ。盛るのは脂肪だけにしような」
「てんめぇ!」
そのやり取りを見て、コスモフリート内でヒューイがとのような立ち位置の人物なのかを、アレックスはなんとなく理解した。
「ははっ。さっそく二人に絡まれて、アレックス君には気苦労をかけるな」
と、背後から二人の男が食堂に入ってきた。話しかけてきたのはいかにもな優男風で長身の白人男性で、もう一人は無精髭を生やした、やや猫背気味な東洋系の男だ。
「おっと失礼、自己紹介がまだだったね。僕はKT。隣のはムサシ=マリーン。コールサインは僕が“バロム1”、ムサシが“バロム2”だ」
“バロム1”というと、コンテナを人質に取られた時に、ピージオンに有線通信を繋いできた相手だ。1ということは、彼がコスモフリートのDSW部隊を指揮しているということだろうか。
「ケー・ティー……?失礼ですが、このアルファベットの意味は?」
アレックスが尋ねると、KTはややバツの悪そうな顔をして答える。
「フルネームの頭文字なんだけど、僕はこれを名乗るのが気恥ずかしくてね。みんなには悪いけど、本名はあんまり人に教えたくないんだ」
「ちなみに、俺も知らない」
ナットが付け加えるように言った。
(この人たちが、本当に海賊だっていうのか……?)
とてもそうには見えない。というのがアレックスの率直な感想だった。彼らの結束はとても強固で、アレックスにはそれが、まるで本物の家族のように思えた。
(ミリア、エリー、テオドア、“父さん”……。今、どうしてるんだろうか)
それだけではない。デフも、ミドも、ミランダも、グレゴールのことも心配だった。彼らと過ごした “平穏”という名の時間が、今ではもう懐かく、愛おしいように感じられた。
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