第8章『策謀のルーカス 2』

「前方、距離500。脱出ポッドからの救難信号をキャッチしました」


 エウロパを出港して間も無く、ピージオン追撃艦のブリッジで、通信士の一人が告げた。


「グレゴール=ノイマン中佐ほか民間人6名、本艦への着艦を求めています」

「よし、着艦を許可する」


 館長職の将校がそう言うのを聞くと、ルーカスはすぐに身を翻してブリッジに背を向けた。


「どちらへ?」

「少々気になることがあってね」


 ルーカスが背中越しに答えると、彼はブリッジを後にした。



 U3Fの戦艦に無事着艦すると、エリーたちはようやく安堵することができた。


「ここまでくりゃ、とりあえず安心だな」


 ミドがリラックスするように腕を伸ばしていると、U3Fの士官たちが数名こちらに向かってきた。グレゴールが敬礼すると、士官たちも敬礼で返した。


「『ミスト・ガーデン』駐留基地第1防衛部隊所属、グレゴール=ノイマン中佐だ。救難信号に応じて頂き、感謝する」

(階級が上とはいえ、こっちは救助された身だってのに、やけに偉そうだよな)


 少年少女たちは軍人達のやり取りを見て、そんな感想を抱いていた。


「あ、あのっ……!」


 ミリアが士官の一人の軍服にしがみつくと、震えた声で言った。


「ピージオンに乗っていたお兄ちゃんが、私たちを守ろうとして、海賊達に捕まってしまったんです! だからお願い、お兄ちゃんを助けて……っ!」


 それは、ミリアの心からの願いだった。感極まっている彼女の瞳からは涙がこぼれ、頬は紅潮している。

 だが、士官はそんなか弱き少女に対して、拳銃の銃口の先を向けた。


「っ……!?」


 ミリアの瞳から光が消える。他の士官たちも銃を構えると、少年少女たちを一斉に囲んだ。手を上げながら、デフは納得のいかない様子で抗議する。


「おい軍人さん達、一体これはなんの真似だ……?」

「貴様達は軍事機密に触れてしまった。普通なら、禁固刑か銃殺刑は免れんだろうな」


 士官の一人が、何食わぬ顔でそう言い捨てた。


「処分が決定するまで、貴様達には雑居房に入っていてもらう。連れて行け」


 銃口を背中に突きつけられ、デフたちは有無を言わせずに歩かせられてしまう。去り際に、複雑な表情を浮かべていたグレゴールと目が合ったが、彼はすぐに目を逸らしてしまった。



「面会を希望したいのだが、かまわないかね?」


 見張りをしている士官からの承諾を得ると、ルーカスは雑居房が立ち並ぶ収容室に入った。雑居房は柵の中に便器と洗面台が備え付けられているだけの簡素なもので、6人の子供達が男女別に、二つの牢屋に囚われていた。ルーカスを見るなり、子供達は警戒した様子でこちらを睨んできた。


「そう堅くならなくていい。私は軍の人間じゃないからね」

「軍艦に乗ってるなら、あんたも軍人なんじゃないのか」


 額に傷のある少年が、怒りや不機嫌さを隠さずに言った。


「LOCAS.T.C.のルーカス=ツェッペリンJr.といえば、信じてもらえないかね?」

「ぶぁっ!? ツェ、ツェッペリンだって!?」


 ルーカスが名乗った途端に、小柄なサングラスの少年が唐突に吹き出した。小太りな少年が彼に聞く。


「誰? 有名人?」

「そりゃもう、LOCAS.T.C.社長のプレジデント=ルーカスの息子だぜ!?どっかで見たことあると思ったら、DSWマガジンに載っていたお方じゃあないか!」

「まさか民間人の少年にまで存じ上げられていたとは、光栄に思うよ」

「それで、御曹司が何のようですか?」


 ショートボブの大人びた少女が怪訝な表情で聞いてきた。


「別に尋問を行おうってわけじゃないんだ。ただ、ピージオンを動かしていた少年について話を聞きたくてね」


 すると、金髪の少女が恐る恐る口を開いた。

「わ、私のお兄ちゃんは……」

「ミリア、迂闊よ!」


 すぐにショートボブの少女が制そうとするが、母性的な少女がそれを止めた。


「お兄ちゃん……アレックスは、本当は争いが嫌いな性格なんです。でも、私たちを守ろうとして、偶然見つけたピージオンに乗って……」

「そして、連れ去られてしまったというわけか」


 コクリ、と金髪の少女は頷いた。その表情は暗く、彼女を見ているとルーカスも心が痛んだ。


「アレックス君……といったか、彼は争いごとを好まなかったそうだが、気弱な性格だったりしたのかな」

「そんなんじゃねえ。むしろ、あいつはかなりの頑固者だった」


 傷の少年が答えた。


「頑固者、というと?」

「たとえ殴られようと、前髪を引っ張られようと、『暴力は愚か者のすることだ』と言って、決してやりかえそうとはしない。そんなやつだ」

「ほう……、面白い少年だ」

「?」


 ルーカスの呟きに、少年少女たちが困惑した。


「もっと聞かせてくれないか。彼の人となりについて」


 彼の顔には、笑みが溢れていた。



 艦内で騒々しく鳴り響く警報音を聞いて、あてがわれた個室にて、壁に備え付けられた簡易ベッドで寝ていたアレックスは目を覚ました。色々な出来事が立て続けに起こったせいか、これまで泥のように眠っていたアレックスは瞼を乱暴にこすると、すぐにブリッジへと向かった。


「総員、第2種戦闘配置! パイロットは全員、コックピットで待機しておけ!」

「一体、何があったんです!?」


 ブリッジに着くなり、慌ただしく乗組員たちに指示を飛ばすバハムートに尋ねた。


「U3Fの戦艦一隻がこちらに近づきつつある。このままでは振り切れそうにない、交戦もやむを得ない状況だ」

「連中の狙いは、やっぱり……」

「ああ、ピージオンだろうな」


 また、今度は宇宙で、戦闘が起こる。

 アレックスは戦場特有の、言いようのない恐怖や緊張感を思い出し、思わず身震いしていた。


「アレックス君。ピージオンに乗って、出撃する気はないか」

「っ……!」


 バハムートがそう聞いてくることは、アレックスも予想していたことだった。ただ、どういった答えを出すかを決めかねていたのだ。


「僕は……」


 今の状況は、最初にピージオンに乗った時の状況とは違う。別にアレックスが出撃しなくても、この艦を守る戦力は存在する。そもそも、アレックスはあくまで捕虜であって、コスモフリートの乗組員ではないので、命をかけてまで守る理由や義務はない。


「僕は……」


 すでに自分は無関係ではない。わかっている。

 ピージオンに触れてしまった時点で、この未来は確定されてしまったのだ。今さら『ミスト・ガーデン』に戻ったところで、血眼でピージオンを取り返そうとしているU3Fに捕まり、地獄のような拷問が待ち構えているだろう。かといって、あの時ピージオンに乗っていなければ、そもそも瓦礫の下敷きになっていたデフやミドを助けることすらできなかったのだ。


(運命というものが存在するのなら、それは……神が与えし暴力だ……!)


 理不尽だ。とアレックスは奥歯で苦虫を噛み潰した。あれほど嫌い、あれほど恐怖した争いというものを、強いられているのだ。


「アレックス君!」


 バハムートがこちらを見据える。その眼差しは強く、決断を迫っていた。


「僕に……! ひ、引き金を引かせようとしないでくださいよ……ッ!!」


 そう吐き捨てて、アレックスは逃げるようにブリッジを後にした。情けない、と自分でも思った。


(僕は間違ってない……! 僕が戦う必要なんて、はじめからありはしないんだ……!)


 その言い訳に、筋は通っていた。彼を肯定しない者はいても、否定できる他者など、いないだろう。いるとしたら、それは自分自身である。


(なのに、この胸の痛みはなんだ……ッ!)


 傷心を庇うように、自分を正当化しようと言葉遊びに耽る自分に対して、ひどく嫌気がさした。



(あの妙に動きのいいソリッド……何者だ!?)


 敵DSWの砲撃を軽やかに躱しながら、ナットは岩陰に身を隠す敵影を追った。現在、コスモフリートとU3Fの追撃部隊が交戦している小惑星帯、火星と木星の間に位置するその場所は、通称アステロイド・ベルトと呼ばれていた。ナットの乗るクレイヴンの周りにも、砕かれた岩のようにみえる小惑星が無数に浮かんでいる。


(くそっ、デブリが多すぎて、射撃に集中できねェ……!)


 厳密には、スペースデブリというものは、宇宙に浮かぶ人口のゴミのことを指す言葉であって、小惑星は決してデブリではないのだが、ナットにとってはどちらも、航海や戦闘をするのに邪魔なものといった程度の認識であるため、然程問題ではない。


「……ならさっ!!」


 すかさず、ナットは慣れた手つきでコンソールを操作する。直後、クレイヴンの両肩の装甲がスライドし、傘のようなエネルギーの幕が形成されていく。サイド・エネルギーバリアを展開させたクレイヴンは、そのまま両肩のバリア発生装置を前面に移動させる。それに伴って、機体の左右に展開していたエネルギーの幕は、機体正面を守る光の盾となる。

 ナットのクレイヴンは押し進むように、衝突してくる小惑星をエネルギーバリアで蒸発させながら、敵のソリッドとの距離をつめていく。

 こちらに背を向けて逃げるソリッドの尾を引いているスラスターの光を目で捉え、そこへ有りっ丈の銃弾を叩き込んでいく。


「こちら“バロム6”、敵機撃破! 次はどいつだ……ッ!」


 爆散していく敵機を尻目に、ナットは次なる獲物を追った。



「はい、これ。レモンバーム入りのハーブティーよ」


 自己嫌悪と葛藤に苛まれていたアレックスは、艦の廊下をふらふらと歩いていたところを、船医のパウリーネ=ブレーメンに見つかり、半ば強引に医務室へ連れてこられてしまった。真っ白なベッドの上に座らせられると、淹れたての湯気だった紅茶のマグカップを差し出された。


「……どうも」


 パウリーネという船医は、献身的で落ち着いた雰囲気の女性で、大人特有の気品さを漂わせていた。この艦の人間は宇宙海賊という肩書きが似合わない人間ばかりが乗っていたが、彼女の場合はとくにそれが顕著だった。


「どうかしたの?」


 パウリーネに言われ、アレックスはようやく自分が彼女を呆然と眺めていたことに気がつき、あわてて淹れてもらった紅茶に目を移した。


「あっ、いや、えっと、この部屋は、宇宙船の中なのに、重力がちゃんとあるんだなーって」


 半分は誤魔化すように、もう半分は本心からの素朴な疑問をアレックスは口にした。この部屋のベッドは浮かぶことなく地面に置かれ、綺麗にシーツもかけられているし、手元の紅茶も水の玉となって散らばることもなく、マグカップの中で透き通ったオレンジ色の池となっている。そういえば、食堂にも同様に重力があった。そもそも重力がなければ、まともにビリヤードに興じることもできないだろう。しかし、ブリッジや格納庫は無重力で、人や物が空中を漂っていたはずだ。


「ああ、そのことね。コスモフリートの中心部は重力ブロックと呼ばれていて、円形状の居住ブロックごと、回り続けているの。いってしまえば、縮小版のコロニーなのよ」


 つまり、コロニーと同じように、遠心力を利用して擬似的に重力を作り出しているということだ。廊下がハムスターの走る回し車のような構造だったのはそういう理由だったのか、とアレックスは納得しつつ紅茶に口をつけた。


「………!」


 紅茶を飲んだ瞬間、繊細で透明感のある、それでいて芯があって渋みのある味が口全体に広がった。適切な分量で入れられた砂糖がほんのり甘く、レモンの香りが心地よく鼻腔をくすぐる。


「……美味しい! 美味しいですよ、パウリーネさん」


 紅茶に関して全くの素人であるアレックスはこれまで、紅茶通選りすぐりの紅茶も、市販のティーパックの紅茶も、飲み比べたところで大した差があるとは思っていなかったが、そうではなかった、と断言する。


「それは良かったわ。こう見えても私、紅茶には並々ならぬ拘りがあるの」


 えっへん、とパウリーネは胸を張って両手を腰に当ててみせた。自分で“並々ならぬ”という言葉を使ってしまうあたり、相当な自身と知識を持っているようだが、彼女の淹れた紅茶の味を一度知ってしまえば、それも納得できた。


「どう、落ち着いたかしら? 精神的なストレスや緊張には、レモンバームが効くのよ」


 そう言われるとたしかに、医務室に訪れる前は沈みきっていたアレックスの心は、今では自分でも不思議なくらいに落ち着きを取り戻していた。


「……わからなくなったんです。僕はどうすればいいのか」


 パウリーネがいつの間にか自分の隣に腰掛けていることに内心驚いたが、彼女は親身に話を聞いてくれようとしているので、アレックスは話を続けることにした。


「バハムートさんに言われたんです。自分には何ができて、何をやるべきなのか、考えろ、って」

「じゃあまずは、一つずつ挙げてみて。今のあなたには、何ができるの?」

「……ピージオンに乗って戦うこと。戦わないこと。この船から逃げ出すこと。U3Fに捕まえられて、拷問か死刑にされてしまうこと」

「そう。じゃあ次に、今のあなたは、何をやるべきなの?」

「戦っているコスモフリートの人たちを守ること。エリー達のところへ帰ること。U3Fにピージオンを渡してしまうこと」

「そうね。じゃあ最後に、あなたは今、どうしたいの?」

「……」


 アレックスは押し黙ってしまう。自分でも今どうしたいのかがわからなかった。ピージオンに乗って、U3Fと戦えばいいのか。小型艇でも盗んで、今すぐにでも『ミスト・ガーデン』に戻るべきなのか。バハムートが言っていたように、全てをなかったことにして、隠れて余生を過ごすべきなのだろうか。自分にとって最善の選択とは、一体どれなのだろうか。


「ふふっ、今あなた、どうしたいのかって聞かれたのに、自分の現実的にできる範囲で、何をするべきなのかを考えていたでしょう?」

「あっ……」


 彼女の指摘は正しかった。まるで読心術でも使われたかのような錯覚に陥るが、不思議と悪い心地はしなかった。


「あなたみたいな、何でも一人で抱えんでしまうタイプの人間は、みなそうするわ。自分が周りの他者から見てどんな立場・立ち位置にいて、自分が周りから何を求められているのかを一瞬で把握して、行動するタイプね。だからこそ、何らかの不本意が原因で、複雑な人間関係の渦に巻き込まれてしまったとき、それが破綻してしまう」


 何らかの不本意。アレックスにとってのそれは、『ミスト・ガーデン』で発生した戦闘のことだ。あの時にピージオンに乗り込んでしまったばかりに、U3Fやコスモフリートなどの組織間の抗争に巻き込まれ、現に今、アレックスは迂闊に動けない状況となってしまっている。


「他人の利害や目的は全て無視して。その上で、あなたはどうしたい?」

「僕は……」


 何も考えず。ただ頭に浮かんだ欲求だけを、一言ずつ言葉として紡いでいく。

「エリー達と、皆ともう一度会いたい。でも、ここの船の人たちには、よくしてもらった。沈んでほしくない。でも、銃の引き金を引けない自分がいる……」


 こうしている間にも、艦内の揺れは次第に大きくなっていった。戦艦が直接攻撃を受けているのだろうか。ベッドは軋み、マグカップに入った紅茶も服の上に少し溢れてしまった。


(引き金を引かずに、『ミスト・ガーデン』の皆も、コスモフリートの人たちを守る方法……。……っ!)


 アレックスは、『ミスト・ガーデン』でコスモフリートと交戦した時のことを思い出す。あの時、確かにピージオンはグレゴールの通信機と交信を交わすことができた。


(味方を識別して、敵だけに電波妨害を起こすピージオンのジャミング。理屈や原理はわからないが、試してみる価値はあるんじゃないか……!?)


 ようやく決心がついたアレックスは、ベッドから立ち上がった。


「自分のしたいことが、見つかったのね」


 アレックスの飲みかけのマグカップを受け取ったパウリーネが言った。


「ありがとうございました、パウリーネさん。あなたのおかげです」

「私じゃなくて“コレ”のおかげ」


 パウリーネが手に持った紅茶を示した。


「心の問題というのはね、紅茶を一杯飲んでいるうちに解決するものよ。あとはそれを、本人が実行できるかどうかなの」

「いい言葉ですね。誰かの受け売りです?」

「ふふっ。内緒、よ」



 更衣室に余っていたパイロットスーツに着替え、アレックスが格納庫を訪れると、丁度ピージオンの背部に見知らぬユニットが接続されようとしているところだった。機体の全長と比べても半分以上の半径を誇るリング状のそれは、よく見るとブースターのついた推進装置であることがわかった。リングの一部にも、アルファベットで小さく“RING BOOSTER”と記されている。


「あのリングブースター……とかいうバックパック、ピージオンにもくっ付けられるんですか?」

「ああ、ちなみに通称は“ドーナッツ”な。『ユナイテッド・フォーミュラ』つって、殆どの兵器は規格が統一されていてな……って」


 振り返りもせずに淡々と答えていたキムが、ようやくアレックスのほうを見た。


「お前、その格好……まさか出撃する気か!?」

「戦況がまずいってことくらい、僕にでもわかります! 出させてください!」

「ったく、こういうのはまず、船長の許可を取らなきゃいけねぇんだがな……」


 キムは困り顔で自分の肩をレンチで叩くと、やがて彼も覚悟を決めた。


「わぁったよ! 後で始末書書くの、一緒に手伝えよ!」

「わかりました、キムさん!」


 胸部のコックピットに乗り込むアレックスを見届けると、キムは格納庫中に聞こえる大声で部下たちに指示を飛ばした。


「聞いたか、野郎どもッ! ドーナッツ付きのピージオンは、アレックス=マイヤーズが出すぞッ!!」

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