母が見ていた

 私を産んだ母親と、私を抱き上げた医者がいた。父親は知らない。母は、一生懸命に私を育てた。でも、私は「話」をしなかった。

 

 言葉を憶えていないわけでも無いのに、話さないのは、その必要性を感じなかったから。


 他人は、見ているだけで色々な情報をくれる。表情一つ、言葉一つ、数に数えたらどんなに少なくても、あまりにはっきりとしたメッセージの山。話したりなんかしたら、きっと溢れてしまうようなメッセージを、私は見ているだけで得られた。私にとっての、精一杯は、沈黙だった。


 母は、精神に異常をきたした。私が、あまりに話さないから、おかしな子だと思ったようだ。母は、私のように、黙っていてもメッセージを受け取れる人では無いらしいと、うすうす気づいていた。

 

 それは、母に限らず、世の大人や、子どもたちは、「感じない」ようだと私は認めていた。けれど、私にも分からない。彼らが私の沈黙を、拒絶や異常と思うように、私には彼らの多弁も、彼らの発話の意義も、また何を言えば、彼らが満足するのかも、分からない。


 私にとって他人の言葉は、ほとんどが彼らの言葉に反しているか、矛盾しているかで、信用性は高くて50パーセント。私の耳は良く聞こえたけれど、ほとんどは聞かなくてもいいように思った。だって、間違っていることの方が多いから。


 他人が私に求めるのは、いったい何なのだろう。私の言葉? 私の真意? 無意味なことでも口走れば、満足するだろうか。


 しんどい。考えるのも、本当はとてもしんどい。だって分かりあいたいわけじゃない。他人だって、そういう風に望んでいない。だって、もし私を知りたいのなら、なぜ、私を理解しない? なぜ「きかない」? 

 

 私の心はここにある。見ているし、考えているし、聞こえている。彼らのことを私はとても理解している。けれど、自分のことを知ってほしいわけじゃない。分かってほしいわけじゃない。


 だから、話さない。彼らの言葉を使わない。彼らの基準に自分をあてはめる窮屈さは、彼らの想像を超えて、私の魂を圧迫する。息が出来なくなるくらいだ。彼らの言葉を安易に使うようなときがきたら、それは私が嘘を付く、ということ。その行為自体が、私の魂の嘘。


 嘘が欲しいのだろうか。私は嫌だ。だって、魂が穢れるから。病気になるから嫌なのだ。気分が重くなって、息が苦しくなる。空が遠くなって、風が自分を避けて行ってしまう。そんなふうになるのは嫌だ。だから、嘘を付きたくない。彼らの言葉は嫌だ。

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