第3話 再会

 翌日、午前九時を少し回ったところ。柳たちは缶コーヒー片手に漆総合病院の裏手、スタッフ専用勝手口の前に佇んでいた。

「そろそろここから出てくるはずだ」

 関係者専用出入り口と書かれた錆びれたドアを指さし拓海が言った。柳は鉄筋コンクリート作りの薄ピンク色した五階建ての建物を見上げた。柳が生まれたときからすでにここに存在していた古い病院だ。昔は白い壁だったが五年前に改装して今の薄ピンクの壁になった。はじめはこの苺ミルクみたいな、無意味に派手な壁色に馴染めなかったものだ。

「ふぁぁぁ。休みの日にこんな早起きするやて、バイト代早朝手当つけてや」

 大口を開けて欠伸する真吾に柳は呆れたように頭を振った。

「何が早朝だ。朝の五時や六時であるまいし」

「寝たい盛りの若者の俺にとったら早朝なんや」

 憮然と真吾が答えた。そのとき勝手口が錆びついた音をたてて開く。中から眠そうに目をこすりながら出てきたのは大西瑞穂。拓海の母親だ。ちなみに柳の同級生でもある。

「あれ、拓海? 迎えに来てくれたの?」

 疲れていた表情を一変させ、瑞穂は軽快な足取りで拓海に駆け寄ると思い切り抱き着いた。拓海が照れくさそうにほんのり頬を赤く染め柳たちを横目で見やる。

「母さん、お疲れさま」

 拓海の照れくさそうな視線に気づくと拓海の肩に手を回したまま瑞穂も柳たちに視線を向けた。首を傾げて目を瞬かせている。

「柳くんたちまで一緒に?」

「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな」

「聞きたいこと?」

「この病院の医師に北島樹って人おりますか?」

「北島? うーん。いないと思うけど。私も最近勤め始めたばかりだから、見落としがあるかもしれないけど……」

 瑞穂が眉を寄せて顎に指を添え唸っていると再び勝手口が開いた。中から細身の男が出てくる。

 振り返って瑞穂がその人物を確認すると、軽く会釈をして声をかけた。

「あ、弦野先生。お疲れさまです」

「げっっ!」

 声をかけられ顔を上げたその男はカエルが潰されたかのような悲鳴をあげる。

「あっ!」

 見覚えのある蛇のような顔に柳たちも反射的に声を上げ、その人物を指さした。

「なななんで、お前たちがここに!」

 どもりながら後ずさりしたのは外科医、弦野清正だ。先日、拓海がひったくりに遭い、その犯人は弦野が裏で秘密裏に行っている美容整形の施術費をかせぐために金を必要としていたのだ。金を取り戻すため弦野のところに柳たちが乗り込み、ひったくり犯が入院していたところを取り押さえた。そのため結果として彼の裏稼業を妨害してしまった。

 弦野は非合法の格安整形施術だけでなく、この街の裏社会を担う漆会の闇医者としても腕を振るっている。漆会監修のもと、ただの一軒家にしか見えない普通の住宅で悪行を働いていた。

「本業はここの勤務医だったのか」

 柳がほくそ笑む。前回の案件に関わっていないため一人わけのわかっていない瑞穂は柳たちと弦野の顔を交互に見た。

「あら? 知り合い? そうだ、弦野先生だったら確実に分かるかも」

 柳たちに完全に慄いている弦野は瑞穂の言葉など聞いていない。ずれてもいない眼鏡をガチャガチャと何度も指で押し上げて目を泳がせる。

「なんだ! まだ俺に難癖つける気か!」

「ちゃうちゃう。今回は別件や」

 青白い顔をして薄い唇を震わせている弦野に、真吾はパタパタと左右に手を振りのんびりと否定する。

「ここの医師に北島樹という人物は在籍しているか?」

 柳がそう問うと、弦野はようやく冷静さを取り戻し眉間にしわを寄せて記憶をたどり始めた。ただでさえ細い目がより一層薄められる。

「北島樹? いや、そんな名前初めて聞いたな。うちの病院にはいないぞ」

「そうか。助かった。行くぞ」

 それならば用はないと踵を返した柳の肩を弦野がつかみ引き戻す。

「おい、あのこと厳島さんに言ってないだろうな」

 耳元で男の囁き声が響き、心底気持ち悪そうに柳は顔を離した。あのこととはもちろん裏で行っていた整形稼業のことだ。弦野は漆会の若頭である厳島の世話になって闇医者をしているにも関わらず、格安の整形で稼いでいることは内緒にしていたのだ。末恐ろしいことこの上ない。ばれたときには弦野は最低でも半殺しにされるだろう。よく内緒でそんなことをしようと思ったなと柳は感心しているくらいだ。

「俺が話していたら、あんた今頃こんなところにいないさ」

「あれから俺も手を引いているんだから、これからも余計なことは言わないでくれよ!」

「はいはい」

 鬱陶しそうに返事して柳は弦野の手を振り払った。不安そうに見つめる弦野を置き去りにして柳は足早に真吾たちと病院をあとにする。何度も弦野を不思議そうに振り返っていた瑞穂が興味津々で柳に駆け寄った。

「あんたたち弦野先生とどういう知り合い?」

「仕事に関することだから言えない」

「なにそれ」

 柳はさらに歩調を速め憮然とする瑞穂を引き離した。大西親子は柳の領域にズカズカと入り込もうとするDNAでも組み込まれているのだろうか。

 柳は無意識で舌打ちした。迷惑極まりない話だ。

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