第2話 妹の憤慨

「放してよ! お兄ちゃんの馬鹿! 最低! ほんとクズ!」

「どうしてそこまで言われないといけないんだ! 俺はお前を心配して……」

「それが、余計なことなのよ!」

ド派手な罵りがエレベーターの扉が開くと同時にフロアに響く。

あまりの騒々しさに柳たちは顔を見合せた。真吾が腰を浮かせ、扉を開くと妹の首根っこを引っ付かんで如月が流れ込んでくる。

「騒がしい。苦情がきたらどうする」

柳は半眼で兄妹をにらんだ。

腕を振りほどこうともがくスーツ姿の女はやはりどこか如月に似ている。特に大きなキツネ目が瓜二つだ。

だが兄とは違いかなり地味な印象を持つ。

身に付けている装飾品はなく、黒髪を1つに束ね就活生のような真っ黒なカバンとスーツを着用している。

まぁ、はっきり言ってダサい。

「柳さん、妹の律子です。よろしくお願いします」

如月がそう言うと律子は柳を怪しむように上から下まで見た。

「よろしくお願いされるいわれはないけど?」

「俺も別にあんたとよろしくしたいわけじゃない。ただ、あんたの兄貴はあんたの彼氏とやらのことについて頭を抱えてるみたいなんでな」

ふんっと鼻を鳴らして柳は足を組み直した。険悪な空気に真吾が動揺する。やたらと大きな声で、まぁまぁまぁまぁ、と何度も繰り返し愛想笑いを浮かべて如月兄妹をソファーに促した。目配せして拓海にコーヒーを淹れさせる。

「お兄ちゃん。いったいどういうつもり?」

「律子、まだわからないのか? あの男は怪しいって! 柳さんに協力してもらって縁切りしよう」

「縁切りだなんて! お兄ちゃんよりよっぽど志しも高くて尊敬できる人なの!」

律子が腰を浮かせいきり立ったところで柳はコーヒーをずずっと派手に啜った。

「......なに?」

律子の攻撃的な視線が柳に移行する。

「人の話を冷静に聞かない女が、どうしてその志しの高い若手の医者に相手にされているんだろうな?」

「なんですって? 彼は私のことをとっても愛してくれているんだから!」

「どうしてそんな根拠のない自信があるんだか。本当にあんたの彼氏が詐欺師じゃなかったとしてもそんなモノの言い方してたらすぐにフラれると思う。もっと男の逃げ場にもなるような女にならないと」

「柳! なに言うてるねん!」

柳の爆弾発言に律子はわなわなと手を振るわせ、真吾は小さく悲鳴をあげた。口腔内でごにょごにょと、彼女もおらんくせに語っとるでというつぶやきをかみ殺して。

そんな中、拓海はなに食わぬ顔で如月たちにコーヒーを差し出し、飄々と柳に賛同した。

「確かにキーキー騒ぐ女子って僕も好きじゃないなー。お姉さんも愛され大人女子にならないと、その彼氏にいずれフラレるよ?」

「な、なんなの? この生意気な子どもは」

面食らってよろめく律子に拓海が失笑して畳み掛ける。

「子どもって。確かに僕はまだ子どもだけど、彼女はいるから」

「なんやてぇぇぇぇ!?」

誰よりも先に立ち上がり、誰よりも大きくリアクションをとったのは真吾だった。

「おま、おま、お前いつの間にそんな!」

拓海を指差す人差し指が震えている。

「え? もう入学して一月近く経つし、彼女くらいできるよ」

なに言ってるんだと言わんばかりに拓海は冷ややかな目線を向けた。拓海に彼女なんてと頭を抱えて愕然とする真吾に、こんな子どもにも恋愛スキル負けてるなんて……と座り込む律子。

思わぬ拓海のアシストとそれによる想像以上の律子の動揺に柳は苦笑いを抑えられずにいる。

真吾まで動揺しているのは彼のなんでも屋としての未熟さを嘆くばかりなのだが。嘆息して柳は話を戻す。

「とにかく男ってのはそういうもんだ。責め立てられると逃げたくなるからな」

 放心した様子でソファーに沈み込んでいる律子が縋るように柳を見つめた。

「彼もそうかしら」

「その可能性は高い」

 即答する。

 すると律子は手のひらで口元を覆いせわしなく黒目をきょろきょろと動かし始めた。

「じゃあ、やっぱり本当に私と結婚したいなら早く友達とかに紹介してよって何度も責めているのはいけないことなのかしら」

 時すでに遅しでもう責め立てていたか。律子の言葉に拓海が素直に首を傾げる。

「どうしてそんなに友達に紹介してほしいの?」

「だって、彼の友達とか同僚に紹介してもらうなんてシチュエーションあこがれるもの。大事にしてもらってる感もあるし」

 当然でしょうと律子が鼻息を荒くする。唇を尖らせ眉間にしわを寄せると真吾が手のひらを広げた。

「そんなもん?」

「そんなもんよ。あなたも彼女ができたらそうすべきよ?」

 ぴしゃりと律子が告げる。息を大きく吸い、傷ついたように眉尻を下げると真吾は拓海の袖を引いて揺さぶった。

「勝手に彼女おらん設定で話されとるで」

「事実いないからいいじゃないか」

 鬱陶しそうに真吾の腕を振り払うと拓海は律子に向き直る。

「どうしてお姉さん、えっと、律子さん。律子さんの彼氏はどうして友達に律子さんを紹介しないの?」

「彼はお医者さんなんだけど、そんな彼の友達もやっぱりお医者さんが多くて忙しいから中々プライベートでは時間が合わないとか。同僚の方はどうせもうすぐ勤めている病院を辞めるからわざわざ紹介したくないって言ってた」

「嘘くさいんだよ」

 けっと如月が吐き捨てる。すると目をぐわっと見開き噛みつかんばかりの勢いで律子が詰め寄った。

「暇なお兄ちゃんはきっと分からない世界なのよ」

「俺だってそこそこ忙しいわ!」

 怒りのままに如月はテーブルを手のひらで叩きつける。口がつけられていない兄妹のコーヒーが波打ち周囲に飛び散る。真吾は慌てて会話に割り込みぶつかり合う二人の視線を自分に向けさせた。

「結婚の話出てるんやったら向こうの親には会えるん?」

「彼のご両親は交通事故でお亡くなりになってるの」

「ほら嘘くさい」

 嘆く律子と舌打ちする如月。

「もうお兄ちゃんは黙ってて!」

 律子が怒鳴り、反論しようと如月が口を開いたところで柳が退屈そうに欠伸混じりの声を吐息と共に吐き出す。

「それでその彼氏の名前は知ってるのか?」

「当然じゃない。彼の名前は北島樹。年齢は三十二歳」

 自慢げに胸を張って律子がうなずく。だが柳は鼻で笑い飛ばした。

「それを証明することはできるのか?」

「はぁ?」

「その男が本当に北島樹という三十二歳の男であると証明できるのか? 身分証明書を見たことがあるのか?」

 律子の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。

「そんなのいちいちしないわよ! 付き合って彼氏の身分証明書いちいち確認するなんて、端から疑ってるじゃない」

 ごもっともな意見なのだが、なだめるように真吾が手のひらを掲げる。

「目にする機会もなかったん? 例えばスピード違反で警察に捕まったとか、携帯電話を機種変するときに付き添ったとか」

「そんなのないわ」

 付き合って間もないのだからそんなシーンに遭遇する方がレアだ。そもそも付き合って間もない彼氏がスピード違反で捕まってるのとか幻滅するだろう。だが今回に限ってはそれは柳たちに手間を増やす。

「それやったら、ほんまに北島樹かどうか確認するとこからやな」

 真吾と柳が顔を見合わせてうなずきあうと、如月も賛同して腕組みした状態で何度もうなずいた。信じられないと言わんばかりに律子は目を見開く。

「ええ? どこから疑ってるのよ! お兄ちゃんもうなずいてる場合じゃないでしょ! 私の言うこととこの人たちの言うことどっちを信じるのよ!」

「その発言も問題だ」

 ぶっきらぼうに柳は告げる。

「え?」

「私と誰かどっちを信じるの? どっちをとるの? そんなことを彼氏に間違っても聞くなよ」

「な、なんで?」

「重い」

 ずしりと重い一言が室内に投下される。拓海は柳は律子が嫌いなのか? という疑問を抱かずにはいられなかった。

 律子の喚き声が轟くであろうと身構えていた如月と真吾は顔をしかめていたが、律子の反応は予想に反したものであった。顔面蒼白でか細い声を絞り出す。

「――どうしよ。もう言っちゃった」

「ええ? なんて言うたん?」

「結婚と開業どっちが大事なのよ!」

 数回瞬き男たちが顔を見合わせる。真吾と拓海はこめかみを指で押さえた。

「あちゃー……」

「それ俺でもやらかしたって分かるよ」

「そんなぁ……だって私が貯めてた結婚資金を、彼に結婚するために開業資金に回さなくちゃいけないなんて言われたから……先に結婚してまた貯金して開業資金貯めたらいいじゃないのって思ってしまったんだもの」

 律子の話に荒々しく息を吐き出し如月が頭を振る。

「っていうか、そもそもその話がおかしいだろう。男自身の貯金ならまだしも、なんでお前の貯金をそいつの事業に投資しなくちゃいけないんだよ。正式に婚約したわけでもない、ただの彼女に金出させるなんて絶対に変だ!」

「ただの彼女ってなによ!」

「引っかかったんそこかいな!」

 律子のツッコミに真吾がズッコケる。

「他になにがあるのよ!」

 他にいろいろあるはずだ。だが細かいことは流して柳は話を前に進めようと試みる。

「それより、その北島が今勤めているって言っている病院はどこだ」

「総合病院って言ってたから、漆総合病院じゃないの? うちの近所で総合病院といったらあそこでしょ?」

 律子が肩を竦めた。それがなにかと言わんばかりの態度に真吾はド肝を抜かれ、如月は嘆かわしそうに手で顔を覆う。

「え? それって律子さんの思い込みちゃうの?」

「だから頭に花畑咲かせてるって言ってるんだ!」

 二人の発言に律子は心外そうに唇を尖らせた。

「失礼なこと言わないで!」

「漆総合病院だったら俺の母さんが働いてるよ」

 顎に手を添え拓海が冷静に言った。柳は指を鳴らし役に立つじゃないかと拓海を指さす。

「でかした。すぐに瑞穂に連絡して北島樹が在籍しているか調べてもらえ」

 拓海の母は最近離婚してこの街に戻ってきた柳の同級生だ。看護師として漆総合病院に勤務している。

「は? お願いしますだろ?」

 上から見下ろすような冷徹な瞳で拓海が柳を見つめほくそ笑む。一気におもしろくなくなった柳は舌打ちして視線を逸らした。

「ちっ、じゃあもういい」

「大人げないで! 柳!」

 おいおいおいとストップを真吾がかけると、柳は無茶ぶりを発揮する。

「だったらお前がお願いしろ」

「なんでやねん! もう。しゃあないな。拓海、お願いしますわ」

 全力でツッコミを入れた割には即座に切り替え拓海に手と手をあわせてお願いのポーズを向ける。プライドもくそもない。

「なんか腑に落ちないけど、仕方ないな」

 顔をしかめて拓海はポケットからスマートフォンを取り出した。画面を素早くスライドさせ画面を耳に押し当てる。 

「だめだ。夜勤中だから電話に出ないよ」

 首を左右に振る。よくよく時計を見てみるとすでに午後十一時を回っていた。今日はここまでで解散するしかないだろう。柳は嘆息して髪を掻き上げた。

「仕方ない。明日朝一で病院に行くか」

 早起きが苦手な真吾は首がもげそうなほどうなだれ、すでに憂鬱そうなオーラを全開で放出している。瞳を輝かせた拓海は意気揚々と挙手する。

「俺も学校休みだし行くよ」

「だめだ」

 即答されると拓海の顔は瞬時に不服そうに歪み悪態を吐き出す。

「別に柳について行くって言ってないしー。母さん迎えに行くだけだしー」

「クソガキが」

 吐き捨てる柳をよそに真吾は放ったらかされている依頼人たちに向き直った。

「律子さんは北島にコンタクトを取ってください。そこで本当に彼氏が北島樹という人物なのかどうか隙を見て調べます」

「嫌よ。そんな人の彼氏疑って」

 律子はいまだに納得しきっておらず、腕組みしてぷいっとそっぽを向く。やれやれとめんどうくさそうに柳はつぶやくと、目を細めて律子を見やる。

「だったら俺たちはあんたを尾行して張り込んで北島と会う日を待つ。俺たちにはお兄さんから受けた依頼を遂行する義務がある」

「なによそれ!」

 自分のことだというのに自分を無視して如月の言うことを聞くのが気に食わないのだろう。律子はカッと頬を赤く染めて目を剥いた。

 真吾があくまでも冷静に、そして親身そうに穏やかな声でゆっくりと話す。

「別に律子さんと彼氏さんの邪魔はしませんよ。北島さんが詐欺師じゃなかったらよかったなってみんな安心するし、律子さんも幸せになれるやん。俺らに協力するのはあんたを心配してくれてる兄貴孝行になる思うて頼みます、この通り」

「……私は彼を信じてる」

 真吾の切実そうな頼み声に律子がむくれた顔のまま折れた。肩を竦めて柳が言葉を紡ぐ。

「そうだな。それはそれで構わないさ。俺が勝手に仕事するだけだ」

「……分かったわよ! 彼に連絡すればいいんでしょ!」

 投げやりにそう叫ぶと律子はスマホをバックから取り出して荒々しいタップでメッセージを打ち始めた。


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