見極めさせていただきます
第1話 兄の憂鬱
自分の事務所に我が物顔で居座る思春期真っ盛りの男子中学生がいる。その中学生に向かってアラサーの柳蒼一郎は噛みつかんばかりの勢いで吠えた。
「毎日、毎日来やがって! ここはお前の家じゃねぇぞ!」
喚き声と共に胸元で緩く巻いているネクタイが荒々しく揺れる。ソファーにだらしなく座り、スマートフォンを連打してゲームをしている男子中学生は柳の顔も見ずに返事した。
「分かってるし」
「だったら自分の家に帰れよ」
事務所の扉を指し示して柳はその少年、大西拓海に冷ややかな視線を向けた。
拓海が中学に入学してひと月あまり。春休みに拓海の盗まれた金を取り戻すという依頼を受けたのち、彼は毎日毎日、来る日も来る日もこうして柳の事務所に居座っている。
最近は家に一旦帰ろうともせず、学ラン姿のままやってきてソファーで宿題をしたりゲームをしたりしてくつろいでいる。
「けち臭いこと言うなよ。だから柳はモテないんだ」
大きなアーモンドみたいな目を細めて拓海がため息を吐いた。どこぞのアイドルのような整った愛くるしい顔をしているのに、最近声変りが始まって見た目のイメージと合わないかすれた声をしている。
「勝手にモテないって決めつけるな!」
ただでさえしわになっている眉間をよりひそめて柳は吐き捨てた。慣れっこになっている拓海は体を起こしてゲームを中断し、首を傾ける。
「ねえねえ、コーラー買ってくれてる?」
「買うわけねぇだろ!」
デスクに乗っていた新聞紙を拓海に投げつけるがあっさり躱される。紙面が散らばって床に落ちたとき、事務所の扉が勢いよく開かれた。
「お疲れー!」
入ってきたのはオレンジ色の髪をしたバイトの大学生、中川真吾だ。
すっかり仲良くなった拓海が軽く手を上げて真吾を迎える。
「おかえり真吾」
真吾はスーパーのビニール袋を下げており、入室するや否や簡易キッチンの冷蔵庫に足を向けた。袋から食料を順に冷蔵庫に入れていく。袋の底に入っていたペットボトルに手が届くと、真吾はそれを拓海に掲げて見せた。
「おう、拓海。コーラー買ってきたったで。経費の一部で」
柳が髪を掻きむしる。
「勝手に買ってくるな!」
怒り心頭の柳を気にも留めず、あははと呑気に笑うと、真吾はコーラーとカップ片手にソファーに腰を下ろした。
「細かいことはええやん。それより今日は久しぶりに丸一日講義が詰まってたから俺は疲れたわ」
カップに注ぎ込まれる黒い炭酸を見つめ拓海が身を乗り出す。はじめは違和感を感じていた真吾の関西弁にもすっかり馴染んでいる。
「俺も全時間、通常授業になった」
「へぇ、どうや中学校。おもろいか?」
「んー? まあまあだね」
コーラーで乾杯しようとカップを持ち上げた二人の間に顔を突き出し、柳が鋭い眼光を突き刺した。
「おい! くつろぐな! 拓海は帰れ、真吾は仕事しろ!」
「仕事って……なんか依頼あった?」
出鼻をくじかれた真吾は不機嫌そうに下唇を突き出し尋ねる。
「もうすぐ依頼人が来る」
柳がそう言うと拓海が瞳を輝かせて座ったままソファーの上を跳ねた。
「へー、今度はどんな依頼? 家の掃除? ペット捜し?」
柳の仕事はなんでも屋だ。依頼されればどんなことでも承る。ただし犯罪以外。なのだが、どうにもやはり犯罪に関わる案件を依頼されることが多いのが嘆かわしい事実だ。
「子どもには関係ない」
あしらわれた拓海はソファーに背を投げ出し、あらか様に不機嫌そうに舌打ちした。
「ちぇっ! つまんないの」
じとりとそれを柳がにらんでいると、事務所の扉がノックされそっと開かれた。
「こんにちは」
入室してきたのは先日の件でクラブを調査中、柳に依頼を持ち掛けてきたパチンコ屋の店長をしている男だった。
「あー、ほらお前らがぐずぐずしてるからもう来ただろうが」
思い切り顔をしかめて髪をかく柳に店長の男が申し訳なさそうに頭を下げた。
「柳さん、俺早かったですか?」
長めの髪をオールバックにしてかきあげ、いくつも耳にピアスをつけているその依頼人は風貌とは裏腹に低姿勢な男だ。柳は立ち上がり、自分と歳の変わらないその男をソファーに招いた。
「いや、そんなことない。すまない。ガキが紛れ込んで」
ぐったりと体を傾けている真吾を蹴り飛ばし、拓海を思い切りにらむと柳は二人を押しやり無理やりソファーにかけた。
「俺は別に構いませんよ」
パチンコ屋の店長はキツネ目をにっと細め笑みを浮かべると対面に腰かけた。いてもいいと許可が下りると拓海が意気揚々と立ち上がる。
「俺、コーヒー淹れるよ」
「パチンコ屋の店長さんやないですか。どないしたんですか?」
ようやくまともに顔を上げた真吾が見知った顔の依頼人を見て目を瞬かせる。そんな真吾を横目に柳は記憶を呼び起こした。
「あー、なんだ。この前クラブで会ったときに言ってた件についてだな?」
すっかりカップの位置もコーヒー豆の位置も把握した拓海が手早くコーヒーを淹れ、依頼人に差し出す。男は丁寧にお辞儀して礼を言ったのち、視線を柳に戻し大きくうなずいた。
「そうっす。俺の妹と妹の男を別れさせてください」
依頼人の男は名を如月という。クラブ近くのパチンコ屋の店長をしており、この街を牛耳っている暴力団から紹介され、情報提供を求めたことなどもあり柳や真吾とは元々顔見知りだ。
「ふむ。お前の妹さんはいくつだった?」
柳の問いかけに如月は頭を抱える。
「俺の一つ下なんで二十七歳ですね。最近初めて彼氏ができたらしくって舞い上がってるんですよ」
「めでたい話やないですか」
それのなにが問題なのだと言わんばかりに真吾が腕を組む。だが如月は頭を振った。
「そりゃ、真面目でいい男だったら俺だって祝福します」
柳と真吾の間に割り込んで座った拓海が身を乗り出す。
「相手が暴力を振るうとか?」
「いや、そういうことじゃないんだ。どうも俺にはその男が、会ったことはないから聞いてる話だけでの憶測ですけど、詐欺師に思えてならない」
三人の顔を順に見つめながら如月がゆっくり慎重に答えた。
「詐欺師?」
「それってもしかして結婚詐欺ってやつ?」
「うん。そう思う」
ドラマのような話に拓海と真吾が食いつく。如月は苦笑して答えた。一人難しい顔をしたままの柳が鋭い視線を如月に向ける。
「なんでそう思ったんだ」
「そうやで、なんか根拠あるん?」
何度もうなずくと真吾も如月を見やる。
如月は妹が結婚を三十歳までにしたいと焦り始めていること、それで婚活パーティーに参加したことを話した。そこでその現在の彼氏と出会い、交際をスタートさせたそうだ。全国各地どこのアラサー女子にでもよくある話だろう。
だがずっと妹を見てきた兄の直感で引っかかることが多々あるらしい。
「いくら婚活パーティーで出会ったからとはいえ、付き合ってまだ一か月なのに相手がやたらと結婚を推してくるんだ」
「せやけど今どきスピード婚もあるやん」
「それだけじゃない。妹が相手の親や友達に会うことを適当な理由つけて拒むし、なによりこの前二十万円必要だから貸してくれって頼まれたらしいんだ!」
声を荒げ必死に訴えかけている如月をよそに、また二十万かよ……と柳は手のひらで顔をこすった。
「それでその二十万は返ってきたの?」
他人事に思えなかったのか拓海が真剣な面持ちで尋ねる。如月はそれに表情を暗くして答えた。
「半分は返ってきたけどもう半分はまだらしい。でも妹はすぐに半分返してくれたからって妙に信じてしまってて」
柳は顎に手を添え唸る。結婚詐欺によくあるパターンだ。最初は少ない額から搾取し、すぐに返済する。そうすることで被害者は本当に一時的に困っていただけで彼はきちんとお金を返済してくれたし、今後も返済をしてくれるだろうと信用してしまうのだ。
「なるほどな。それでその男はその金をなにに使うと言っていたんだ?」
「急に学会に行かなくてはいけなくなったが銀行に行く暇がないから持ってきてほしいと頼まれたそうだ」
真吾が首を傾げる。
「学会? その詐欺男はなんの仕事してるん?」
「医者だそうだ」
医者か。先日の闇医者騒動が記憶に新しい柳たちは顔を見合わせ口角を下げた。
「すこぶる怪しいな」
如月もうなずき同意する。
「そうですよね。しかも近々開業したいとか言って先日さらにその費用の出資を求められたらしくて……」
「自分の病院を持ちたいってことやな?」
なるほどなっと真吾は眉をひそめる。
「その妹さんはなんの仕事してるん?」
「旅行代理店の窓口だ」
「へーすごいね」
大きな目をさらに見開き拓海が微笑む。真吾は構わず如月の妹について追及した。
「ほんでもそんな開業の資金を出資できるほどのお給料なん?」
「そんな高給取りじゃないよ。至って一般的なОLの月給だと思う」
詳しくは知らないけど、と如月がつぶやく。柳は切れ長の瞳で如月を見つめ、めんどうくさそうにため息を吐き出した。
「その医者の名前は? 今務めている病院の名前と」
犯罪に関わることは極力避けたい。にもかかわらず、どっぷりまたかかわらなくてはいけなくなりそうで柳は憂鬱な気持ちを隠し切れずにいた。
詳しく問われ如月も目を伏せ、徐々に困惑した様子を見せ始めている。
「さあ、俺もそこまでは……。でもそいつ個人病院を開業させた暁に結婚しようと言ってるらしくて」
「嘘くさいな」
真吾が即答する。
「よし。分かった。まずはお前の妹と話そう。情報が足りなさすぎる」
そう告げて柳は立ち上がった。とにもかくにも、如月の持っている情報だけでは柳たちも動くことができない。
被害者かもしれないご本人に直接ご登場願おう。
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