第9話 なんでも屋

 モスグリーンの一軒家の前で女子大生がインターホンを押す。震える指をボタンから話すと男にしては比較的高めの声が漏れた。

「ああ、君たちか」

 カメラに映らないように柳たちが配置していることなどつゆ知らず、弦野は鍵を開けるから待っているようにと話していた。

「先生!」

 玄関の扉が開き、弦野が出てくると患者である二人の少女たちは飛びついた。勢いを受け止められず弦野は神経質そうな薄くて四角い眼鏡を斜めに傾けて数歩後方に下がる。ぐっと前髪を上げて、薄い唇を歪めているその風貌はいかにもインテリで蛇を彷彿させる。団子状になっている三人を押しのけ柳が玄関に押し入った。

「こんばんわ。急に押しかけてすみません」

 玄関の向こう、開いているドアから家内の様子を覗き見るとまるで病院のような診療台が見えた。柳の視線の先に気づいた弦野が声を荒げる。

「誰だ!」

「俺はこういうものです」

 体を固くしている弦野に柳はジャケットの内ポケットから名刺を取り出して渡した。恐る恐るそれを受け取った弦野が文字に目を落とす。

「なんでも屋?」

 訳が分からず弦野が眉を寄せる。だが自分の敵となるような危ない人間ではないと分かったからなのか、急に態度を大きくした。

「なんの用があって……帰れ! 迷惑だ! 警察に通報するぞ」

 胸を張って出ていくように手を振る。腹立たしそうに真吾が割って入り、弦野を上から見下ろした。

「警察? 警察に連絡して一番困るのはあんたやろ?」

「お前たち一体なにを知って……?」

 痛いところを突かれ弦野の腰が引けている。やれやれと柳が首を左右に振った。

「あまり騒がないでください。用のある人物が逃げるでしょうが」

「何を言っている! ここには俺以外誰も……」

 首をひねり眉を吊り上げた柳がはっきりとした口調で割って入る。

「俺以外誰も? いないとでも?」

「そうだ」

 弦野の目は泳ぎ、耳の後ろから冷や汗を流している。真吾が弦野の肩を押した。

「嘘つくなや。あんたのとこに今入院している女子高生はどこや?」

「なんのことだ……」

「めんどくさいなぁ。だからあんたには用事ないねんて。別に厳島さんとこの闇医者してようが、不正な整形してようが俺らはかまへんねん」

 厳島の名前が出るといよいよ面食らって、弦野はわなわなと唇を震わせた。

「お前ら、厳島さんともつながりがあるのか!」

 やけに白を切り続けるし、厳島の名前に反応する。柳は顎に指を添えて考えると、かまをかける。

「ふーん。まさかあんた、整形で稼いでるの国どころか、厳島さんにも内緒にしてるのか」

「っ! 頼む! 言わないでくれ! ばれたら本当にヤバい!」

 弦野は顔の前で両手を勢いよく合わせ、柳に懇願した。本当に厳島には内緒で商売をしていたらしい。厳島にばれたらもちろん稼ぎのほとんどを奪われるだろうし、黙ってこの家を使って商売していたことの責任を取らされるだろう。

 呆れたように真吾が蔑む。

「せやけど、こんなやり方で患者増やしてたらばれるの時間の問題ちゃうの?」

「くっ」

 ごもっともなことを言われ、弦野は歯ぎしりした。顔が土色に変わり、汗でシャツが体に貼り付いている。

「厳島さんに見られてないってことは二階か」

 弦野を置き去りにして柳は階段を上った。

 厳島の妻が不振に思うことなく家から出てきたことを踏まえると、先ほどドアの隙間から見えた一階の診療台は闇医者として訳ありの人物を治療するために使用しているのだろう。厳島たちが入ってきて治療しても一階だけで事足りるならば二階はプライベートスペースだとでも言っておけばわざわざ進入しない。

 二階は上がってすぐリビングが広がっている。その奥に進むと個室が数室あり、手前の部屋を開く。手術室のように簡易ベッドとライト、滅菌パックされた数々の器具やレーザーなどが設置されている。他の部屋も滅菌器などの医療器具が設置されていた。呆けていた弦野が慌てて柳を止めようと駆けてくる。

「やめろ、勝手に見るな!」

「どこにいるんですか?」

「頼む! 帰ってくれ!」

「それは無理な相談ですね」

 縋りついてくる弦野を避けて柳は最奥の部屋の扉を開ける。

「誰?」

 三つのベッドが並ぶその部屋の中央のベッドに少女が戸惑った顔をして立ちすくんでいた。黒髪のボブカット。ウイッグをとった後に見た犯人の髪型と一致している。

 柳の後ろに控えていた拓海が飛び出し叫ぶ。

「俺のお金返せ!」

 呆然としていた少女だが、拓海の姿と金の話で銀行前の犯行のことだと脳内リンクしたようだ。あからさまに動揺し、上ずった声を出した。

「なっ! なんのことよ!」

 柳は部屋の中にずかずかと侵入し、ベッドの上へ避難し逃げ腰になっている女子高生に詰めよっていく。

「お前、銀行前でこいつの二十万円盗んだだろう」

「は? なんのこと?」

 無表情で迫る柳に恐怖し黒髪の女子高生は尻もちをつき枕にしがみついている。それでも震える唇で強がりを吐き出す。

「本当のことなのか?」

 愕然とした表情で弦野がつぶやいた。本当に盗んだ金で美容整形し、そのせいで柳たちが乗り込んできたのならば弦野にしたらいい迷惑だ。

 柳は黒髪の少女の腕をつかみ、ベッドから引きずり降ろすと弦野と拓海の前に座らせた。弦野の青い顔を指さし告げる。

「お前がいただいた施術料金はこいつがこの子どもから奪った金だ。俺たちはその二十万を返してもらいにきた」

「知らない。この人たちなに言ってるのか分からない!」

 少女はヒステリックに叫び抵抗する。柳はそんな彼女の顎を指でつかみ、視線を上げさせると弦野の後ろで怯えている女子大生と猫背の女子高生を視線で指した。

「この二人がお前が金を奪ったことを知っている」

 しくじった。そう思ったのか、黒髪の少女の声が震える。

「喋ったの?」

「違う、私たちのせいにしないで」

 巻き込まれたくない一心で猫背の女子高生が首を激しく左右に振った。柳は両手を広げ、ふんっと鼻を鳴らす。

「会話してるのを盗み聞きした」

「ひどい!」

 髪を振り乱す猫背の少女に、大人げもなく柳は鋭い眼光を飛ばす。

「ひどい? なぜだ。こいつが金を盗んでいることは避難されないのに、俺が会話を聞いていることはひどいことなのか」

「それとこれとは……」

 猫背の少女は弱々しい声で、違うと言いかけた。だが、柳は問答無用でそれを遮り黒髪の少女――犯人に手を突き出す。

「さあ、金を返せ」

 全員が口を紡ぎ柳の手のひらを凝視する。数秒手のひらを見つめたのち、ふふふっと黒髪の少女は口を歪ませて笑った。

「もうないよ! 全部きれいになるために使ったもん! 見てよ、ほら。ちゃんと二重でしょう? 低かった鼻も高くなった。胸が大きくなってお腹の脂肪もなくなってる。これで私は自信を持って生きていけるの!」

 その主張はもはや悲鳴に近かった。甲高い声で狂ったように自身の体のあちこちを触っては笑い、触っては笑い……。

 そして淡白な柳の言葉にぶちのめされる。

「それはおめでとう。しかし依頼人にはなんの関係もない話だ」

 黒髪の少女はその言葉で悟った。柳たちに逆ギレは通用しない。わなわなと指を震わせ少女は涙を流し柳のズボンに縋りついた。

「お願い、許して。だってお金が必要だったの。きれいになりたかったの。ならないと死にたいくらいだったの!」

 その白々しい態度に憤りを抑えきれず、真吾が前に躍り出た。

「あのなぁ! いくら外見をきれいにしたってなぁ! 他人のもの盗んでいるような奴は結局ブサイクやねん! 心がブサイクなんや! 心ってののは外見と繋がっていくもんや。だから心がブサイクなままのお前は結局何も変わってへんねん! お前は拓海からブン盗った金できれいになったことを誇りに思えるんか! 自分で稼いだ金できれいになるんとどっちが誇りに思えるんかも分からへんのか!」

 関西弁で一気にまくしたてる真吾の口調はきつい。面食らった拓海が思わず口を挟む。

「真吾、ちょっと言い過ぎじゃない?」

 だが真吾の厳しい顔つきが弛むことはなかった。飄々と柳は首を傾げ、片足を上げると少女の手を振り払った。

「そうか? それが真吾の信条だろう。金は真面目に稼ぐ。そしてその稼いだ金で何かを成す」

「もちろんそれが正しいことだけど」

 拓海がもごもごと口を動かす。正しいことだが正しいなりにも言い方が……と被害者であるにも関わらず考えていると、柳が肩を竦めた。

「俺はそうは思わない」

「え?」

 拓海が聞き返す。

「金は天下の回り物だ。一枚、一硬貨、それぞれに、その人間の手元に渡ってくるまでに様々なドラマがある」

 床に座り込んだままの黒髪の少女を冷たく見下ろし、柳は話を続けた。

「そのドラマを引き継ぎ、どんな結末をも迎える覚悟があるのならば、どんな方法で手にしたとしてもそれは手前の金だ」

「ドラマ」

「そうだ。どんな金にもドラマがある」

 ぱんっと手を叩き、真吾が拓海を指さした。そして黒髪の少女、弦野へと指を動かす。

「ちゅうことで、拓海の金はあんたに渡り、そしてこいつに渡った。そしてその金はまた拓海の手に戻るという筋書や」

 話の行く末を見守っていた弦野だが、結局自分のところから金を奪われるということに気づき声を荒げる。

「そんな理不尽な筋書認めてたまるか! 俺の施術料金はどうなるんだ」

 柳の胸ぐらをつかみ、弦野が体を揺さぶってくる。気圧されることなく柳は黒髪の少女に視線を落とし告げた。

「知らないね。こいつが不正を犯したことがことの発端。こいつからまた搾取すればいい。それが嫌なら、あんたが厳島さんに黙ってこんな稼業働いてるって今から電話してもいいんだぜ?」

 そして弦野の肩を勢いよく突き飛ばし、体から離させる。尻もちをついた弦野は額に脂汗をにじませ唇を噛みしめると、絨毯の毛をむしり取るように引っ掻き拳を握った。

「ぐっ……くそぉぉぉ!」

 雄たけびを上げて振り向きざまに立ち上がり元来た方向へ駆けていく。

「どこ行くねん!」

 真吾があとを追う。弦野はキッチンから包丁を持ち出し、切羽詰まったように歯ぎしりして声を絞り出した。

「お前らが厳島に黙ってる保障はない。ここでお前らの口を封じたら金を返す必要もなくなる。一石二鳥だ」

 切っ先をこちらに向けてくる。拓海は真吾の背にしがみつき、何度も服を引っ張った。

「あいつキレたんだ!」

「あほちゃうか」

 背後から体を揺さぶられながらも真吾は落ち着いて、呆れたように嘆息した。

 汗で弦野の前髪は額にべっとりとくっついている。滴る汗をぬぐおうともせず、握った包丁を震わせて再び雄たけびを上げた。

「うおぉぉぉぉ!」

 無我夢中で弦野が包丁を振り回す。少女たちは悲鳴を上げて腰を抜かし、這いつくばって弦野から逃げた。

「仕方ねぇな。おい、お前らはどいてろ」

 首をごきごきと鳴らし腕を大きく回すと、柳はめんどうくさそうに弦野の前に進む。

「柳!」

 無防備なその姿に思わず拓海が声をかけるが、欠伸でもしそうなほどリラックスした体つきで柳は拳を構えた。

「ああ! おら!」

 瞳孔を開き、荒く口呼吸している弦野が包丁を振りかざす。柳はたった一歩、横に逸れただけで躱し、右ストレートパンチを叩き込んだ。

「があっ」

 反動で弦野は下あごを思い切り歪ませ、テーブルの上に吹き飛ばされた。転がりながら床に落下していく。

「くっそがぁ!」

 脳を揺さぶられ焦点が合っていないにも関わらず弦野は必死の形相で立ち上がる。おぼつかない足取りで再び柳に切りかかるが、あっさりと上段蹴りで包丁を弾き飛ばされる。そして流れるように腕をとられて組み敷かれ、弦野は動きを封じられた。

「ぐぅうぅ」

「先生、慣れないことはしない方がいい。心配しなくても俺からいちいち厳島さんに言いませんよ。厄介なだけですから」

 弦野の背に乗っかったままニコリともせずに柳が言う。

「それよりもあの子からもらった二十万こちらに渡してくれますか」

 いまだに腰を抜かしている少女たちに歩み寄り、真吾は犯人の首根っこをつかんで拓海の前に放り投げた。

「おい、あんた。なに呆けてるねん。ちゃんと悪いことしたんやから拓海に謝れ」

「え……」

 床に這いつくばり涙でぐしゃぐしゃになった顔で黒髪の少女が拓海を見上げる。拓海はなんとも言えない脱力感に襲われ、ため息とともに言葉を滑り落とした。

「もういいよ、真吾」

「せやけど」

 真吾を制して、拓海はしゃがみ込み苦笑を浮かべる。

「可哀そうな、お姉ちゃん。はやく誇りを持ってお金を使ってね」

 人間がこういうときに一番向けられて恥ずかしい感情は哀れみだ。

 拓海は哀れみを持って少女を許し、そして弦野の手元に渡っていた二十万円を取り戻した。



 弦野や少女たちを置き去りにしてモスグリーンの家をあとにすると、駐車していたコンパクトカーのエンジンをかけ真吾が破顔した。

「よかったな、手元に二十万返ってきて」

 後部座席に座る拓海が満足そうにうなずく。

「うん。ありがとう。報酬はどうすればいいの」

「俺と真吾に一万円ずつでかまわない」

 横に座る柳が手のひらを突き出した。真吾が目を丸くさせ、バックミラー越しに柳を見やる。

「ちゃっかり採るんかいな! そこはお前のその言葉だけで十分だとか言わんのかい」

「馬鹿か。ありがとうで飯は食えねぇ。これでも破格の値段だと思え。犯罪に関わって危険だったのに」

 食ってかかった柳に、半眼の拓海がやれやれと呟いた。

「シビアなおっさん」

「うるっせ! おっさんじゃねぇし!」

「それにしても、弦野とか警察に突き出さなくてよかったの?」

「お前がそう依頼するなら突き出してもかまわないが?」

 きょとんとした拓海が後頭部を撫でる。

「そういう問題?」

「あいつらがこれからどうなろうと俺には関係のない話だからな。俺たちは警察でもヒーローでもない」

 一呼吸おいて柳は口角を上げた。

「なんでも屋だ」

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