第8話 集結場所はモスグリーン色

「ここ本当にあの女子高生の家?」

 特記するほどの特徴がない一軒家に猫背の女子高生が入った。人通りの少ない住宅街の一角。近くの電柱に身を隠し、拓海は目を凝らしていた。スマートフォンを取り出した柳はメモを開き、電柱に書いてある番地と照らし合わせて確認する。

「間違いない。入手した情報と一致している」

 そこからしばらく柳と拓海はその家を張り込み続けた。一度だけ通行人が現れたときは双方止む終えず帰宅途中の親子の演技をして数メートル歩いた。通行人が角を曲がって消えた瞬間お互い即座に距離を開け無言でにらみ合う。しばしの沈黙ののち二人は同時に口を開く。

「なんで柳が父親なんだよ」

「なんで俺が父親なんかに」

 見事に被ったセリフに妙な気まずさが漂い、二人はまた無言で見合う。

 そこに黒のコンパクトカーが狭い路地を曲がって現れ、運転席の窓から真吾がひょっこりと顔を出した。

「おーい、レンタカー借りてきたったで」

 知った顔にホッとしたような表情を浮かべると拓海が破顔した。

「真吾じゃん」

「遅いぞ」

 柳がそう言って後部座席に乗り込むと、涙目で真吾が勢いよく振り向いた。

「これでも安全運転で最速で来たちゅうねん! 俺かて早く合流したかったんや! 恐ろしい、恐ろしい思いしてきたんや!」

 弦野清正という医師にまつわる話を聞き終えてから得体のしれない渦に巻き込まれていく恐怖心が拭えずにいた。

「なにこれ、どうなってんの?」

 異常な様子の真吾を見て拓海が半笑いになる。医師のことについては電話で報告を受けていたので柳は特別リアクションすることなく、助手席に置いてあったコンビニの袋をのぞき込む。いくら探っても中にはどう考えても真吾一人分の食料しかない。

「おい。俺たちの晩飯は?」

 じとりとにらむ柳の手から真吾が袋を奪い返した。

「え? 知らんやん。これは俺のこずかいで俺のために買うた晩飯や」

「最悪だな。俺子どもなんだけど!」

 柳を押しのけ身を乗り出すと拓海があり得ないと言わんばかりに非難した。真吾も大人げなくむきになる。

「ほなら帰ってお母さんに飯作ってもらいんか」

「マジ最悪なコンビだな!」

 噛みつかんばかりに歯を食いしばって顔をしかめると、拓海は無理やり真吾が持つコンビニの袋に手を突っ込んだ。

「あ、なに勝手に漁ってんのや! それは俺の好物のチキンカツサンドやぞ! 食うならせめてそっちのあんぱんにせぇ!」

 チキンカツサンドとあんぱんが形を変形させながら二人の間を行き来する。

「俺、あんこ嫌い」

「あほか、張り込みの定番アイテムいうたらあんぱんやろが」

 熱弁を振るっている隙に拓海がフイルムを解きチキンカツサンドに食らいついた。

「ああ! 食いやがった! 柳なんとか言うてや!」

 運転席から涙目で身を乗り出し真吾が拓海と取っ組み合う。柳は鬱陶しそうに耳をふさぎ窓際に逃げた。

「お前ら、いちいちうるせー」

 視線を外に向けた柳は猫背の女子高生宅をっ見て身を乗り出し、まだ揉み合ってる真吾たちの頭を押し下げた。

「おい、隠れろ」

 柳自身も身を低くし、目だけ出して窓の外を見つめる。

 猫背の少女が自宅の一階の窓から身を乗り出し、辺りを見渡している。誰もいないと判断すると部屋から外にスニーカーを放り出した。

「出てきた。しかも窓からって私、親に内緒で夜遊んでますの典型的パターンやないか」

 口元を押さえて真吾が大げさにリアクションする。門からそっと出てきた少女は制服から私服に着替え終えていた。真っ赤なノルディック柄のど派手なパーカーを着て、金のドラゴンの刺繍が生地の半分を占めているズボンを履いている。

「それにしても、言ったら悪いけどセンスないね」

 目を白黒させて拓海が率直な感想を述べた。そんな拓海の肩に真吾がポンと右手を置き、左人差し指を唇に添えた。

「言ったんなよ」

 少女がある程度家から離れたことを確認すると柳はコードレスイヤホンを耳に差し込み、真吾の携帯電話に電話をかけた。あらかじめ真吾は通話をカーナビと連動させていたので社内に呼び出し音が響く。

「俺が歩いてつけるから、お前らは適当に車で後を追って来い」

 周囲を見渡し、ドアを開けて外に出る。

「通話は常につないでおけよ」

 そう言って猫背の女子高生を追跡しはじめた柳に真吾と拓海がうなずく。

「分かった」

 猫背の女子高生は十分ほど歩き続け、コンビニエンスストアに立ち寄った。柳も少し遅れて入店する。窓際の雑誌コーナーに向かう少女に立ち読みしていた一人の女が軽く手を上げた。

「あ! あの子、俺が昼間に話聞いた子や!」

 駐車場に車を停めていた真吾がブレーキを踏んで大声を出した。弦野清正の情報を教えてくれた整形を終えた後輩の女。その女と猫背の少女が言葉を交わし、店から出てくる。

 顔を知られている真吾は反射的に座席を全開まで倒し、うつ伏せになって身を隠した。頭を抱え顔を青くして、後輩の女から聞かされた得体のしれない話の内容を思い出す。

「まさかすでにノルマの五人は達成したって言うてたん拓海の事件のあった日に休んでた漆高校の五人とちゃうやろな」

 弦野に整形の顧客紹介をしなくてはならない。そのノルマは五人。聞き込みの印象では漆高校で欠席していた五人の少女たちは全員、コンプレックスを抱えていそうだ。

「まじでそうなの?」

 予想だにしていなかった話に拓海が目を見開く。申訳程度にガムを購入した柳がレジで小銭を支払いつつ、駐車場を横断していく二人の女を見つめる。

「その可能性が濃厚になってきたな」

「どこに行く気だろう」

 後部座席から身を乗り出して前方をうかがっている拓海が首をひねった。

 コンビニエンスストアをあとにしてから再び歩き始めた二人を尾行する。歩いているのはやはり相も変わらず住宅街で、どこに向かているのか見当がつかない。

 二人の女からやや距離を空けて進む柳。その背をさらに後方から眺めている真吾がつぶやいた。

「まさか弦野清正のとこちゃうやろな」

「なきにしもあらず」

 カーナビから柳の抑えた声が響く。拓海は周囲を見渡し、なにか目新しいものがないか探した。だがやはり家しかない。猫背の女子高生の家がある区画と比べるとやや高級住宅が多いというだけだ。

「ちょっと金持ちそうではあるけど、大きいだけで普通の家ばっかりだけど」

 間取りが想像できないスタイリッシュな家が立ち並ぶ。どの家にも高級国産車や外車が数台置ける車庫がある。

「裏でやってる病院やから、病院って分からんような建物でやってるんちゃう」

 真吾はどうあっても弦野に会いに行く説を推したいようだ。

「しっ。閑静な場所だから会話を聞けるかもしれない」

 そう言うと、柳は足音を殺してあくまで自然に歩く速度を速める。そして二人の女たちに近づいた。

「――……は、もう退院ですか」

 背後に柳が忍び寄っていることなど気づきもせず猫背の女子高生が、整形した女子大生に問いかけている。

「そうよ、明日の朝には退院する。きっと会ったら別人に生まれ変わっているでしょうね」

「楽しみですね」

 二人は顔を見合わせて破顔した。頬を赤らめ酔いしれたように、ほうっと息を吐き出す。柳はその様子を眺めて身震いする。その表情はまるで恋する乙女だった。

 確かにそれで自信を持って生きていけるならば、柳は整形に対していい印象を持っている。だが、そのうっとりとした悦の顔がどうも薄気味悪い。

「次はあなたの番よ。お金の工面はできそう?」

「はい、次のバイト代が入ればようやく整形できそうです。他のみんなも学校に来る暇も惜しんでバイトに励んでいますよ」

「そう、頑張ったわね。それにしてもあなたが最初に整形すると思っていたのに、今入院している子は急にお金が手に入ったのね」

 女子大生が首を傾げて腕を組んだ。猫背の少女がピクリと体を固くし、声をひそめる。

「私も詳しくは知らないんですけど、どうも誰かから盗ったらしくて」

「え? そうなの?」

 目を見開く女子大生に猫背の少女が神妙な面持ちでうなずいている。

「はい。ヤバいですよね」

 柳は確信に触れられそうな期待が胸に満ち溢れた。だがそれを勘ぐられないよう、あくまで会話などまったく聞こえていない通行人のふりをする。

「盗ったって……それって警察に捕まらないの?」

「彼女曰く警察が来る前に撒いたらしいんですけど」

「えぇ? 強盗とかひったくりでもしたの?」

「何度かひったくりしたらしくって……。それにほら、数日前に銀行前で子どもがお金盗まれたの知りませんか? それがどうも結構な額だったらしいです」

 ヤバい話を聞いてしまった。そしてヤバい奴に弦野を紹介してしまった。明らかにそう思っている女子大生が頬を痙攣させている。

「……知ってる」

 思っていたよりも早く犯人が見つかった。柳は大きな収穫に口角を吊り上げ、イヤホンに向かって声をかけた。

「おい。ビンゴだ」

「え? どっちかが盗んだんか?」

 のろのろと徐行して追いかけてきている真吾が声を張った。

「いや、弦野のところに現在入院している女子高生が盗ったらしい」

 胸糞悪そうに拓海が運転座席を殴る。

「俺のお金で整形したってこと?」

「そういうこっちゃな」

「まじかよ! 最悪じゃん! もう使われたってことは戻ってこないじゃん」

 拓海は憤っているが、柳と真吾は淡々とした口調でなんでもないことのように告げた。

「そんなことはない」

「せやで拓海。使っていようが使っていなかろうが返してもらうことは可能やからな」

 口を開けたまま拓海がシートを殴る手を止める。そう。相手さえ特定できれば取り返すことは可能なのだ。

 尾行していた柳が足を止める。少女たちの進行方向に目を凝らした。

「ん? あれは……」

「どないしたん?」

 ハザードをたいて真吾も路肩に車を寄せた。

「あの黒のセダン、厳島さんとこの車じゃないか?」

 そう言われて真吾も目を凝らすと、進行方向に高級車と思われる黒光りしたセダンが停まっている。窓ガラスはフルスモークで覆われ中の様子はうかがえない。

「んー、はっきりとは分からんけど風貌はそんな雰囲気やな」

 後ろから拓海が腕を伸ばし、尾行している二人を指さした。

「あの二人の様子もおかしいよ」

 柳から少し前方で歩を止め、顔を見合わせ挙動不審に陥っている。どうも柳も気を止めたいかにも恐そうな車に戸惑っているようだ。

「まさかあの一軒家に用があったのか?」

 黒のセダンは大きな一軒家の前に駐車している。もし、その家に彼女たちが入ろうとしていたのならば躊躇っているのも分かる。

「お前らは車で様子見てろ」

 あの家が弦野清正が不認可で開業している病院だろうか。家は薄いモスグリーンの壁をしており、外から見る限り二階建てだ。大きな車庫があり、そのシャッターは閉じられている。

 柳は二人の少女たちと距離を詰め、できる限りその家に近づいた。少女たちは車に注意を奪われ、柳には警戒心を持たない。

 柳が少女たちの真後ろまで迫ったとき、モスグリーンの家から黒いスーツの男二人が出てきた。あの二人は喫茶店でも会った厳島の舎弟だ。

「やはり厳島さんとこの車だったか」

 その二人に護衛され、真っ白なジャケットと長めのタイトスカートをモデルのように着こなしている婦人が遅れて登場した。

 扉を開けてもらいセダンに乗り込もうとしたところで、婦人が柳の存在に気づく。

「ん? 柳じゃないか」

 声をかけてきたのは厳島の妻で、先日フランス料理店を崩壊させた人物だ。目鼻立ちのくっきりとした映画女優を思わせる婦人である。

「この前は手間かけさせたね」

 護衛の舎弟を押しのけ、厳島夫人が柳のもとに歩み寄ってくる。柳は少女たちの後ろで一礼した。

「こんばんは。怪我の具合はいかかがですか?」

 確か先日の愛人との揉み合いで肩と太ももにナイフが刺さっていたはずだ。厳島夫人はあのときのことを鮮明に思い出したのか、整った顔をこれでもかというほど歪ませ、歯をむきだした。

「ふん。こんなのなんてことはない。胸糞が悪いだけだよ」

「そ、そうですか」

 あまりにもすごい剣幕に思わず柳が後ずさる。突如夫人と柳の間に挟まれ、戸惑い手を取り合う二人の少女たち。もともと背が高い上にヒールを履きこなしている厳島夫人が少女たちを見下ろした。

「今日はまたなにか仕事かい?」

 この二人の少女にまつわる何かが仕事に関係しているのだろうと厳島夫人は感づいている。柳も笑みを湛えたまま横目で少女たちの後頭部を眺めた。

「ええ。ちょっと依頼を受けまして目下調査中です」

「そうか」

 夫人はうなずき片目を細め悪人らしい笑みを浮かべる。そして例のモスグリーンの壁色をした家を親指で指した。

「もし仕事でめんどうな傷を負うことになったら私の名を出してそこの家に行くといい。そこは私らもめんどなことに巻き込まれたときに使う病院だから」

 なるほど。やはり裏稼業の闇医者も兼任している弦野の拠点で間違いなかったらしい。

「覚えておきます」

「それじゃあ、行くよ」

 柳が弦野の家を確認したことを見届けると、厳島夫人は踵を返しセダンに乗り込んだ。一礼して厳島の舎弟たちもそれぞれ運転席と助手席に乗り込み、夜の町に走り去っていく。

 閑静な住宅街にいびつだと思われる存在が去った。セダンを見送ると、立ちすくんだままの少女たちの肩に背後から手を載せる。

「さあ、行こうか。お嬢さん方」

 いびつな笑顔を浮かべて恐怖で慄く女子大生と高校生を振り向かせた。

「なに? 誰?」

 身じろぎして柳の手から逃げようとしている女子大生の動きが止まる。

「あ、あんた昼間の」

 車を路肩駐車して下りてきたオレンジ色の髪が視界に入ったのだ。真吾たちは柳に合流すると、少女たちに軽く手を振り軽口を叩いた。

「どうも。せっかくやからその先生に会わしてもらおうか思ってな」

「誰なのあんたたち!」

 昼間の真吾の話がすべて嘘だったことに気づき女子大生が吠える。きっと頭の中でサイレンが鳴りやむことなく響いているだろう。得体の知れぬ危険そうな奴に事情を話してしまった、居場所を知られてしまった、という恐怖が心を覆っているだろう。

 パニックが極限に達する前に柳は厳しい声を突き刺した。

「黙れ。お前たちに用はない。その弦野ってやつのところに入院している女子高生に用があるだけだ」

 叫ぶことも阻まれ、餌を求める鯉のように二人の少女たちが口を開閉する。

「案内してくれる?」

 顔を真っ青にしている彼女たちに真吾が満面の笑みで優しい声を出した。

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