第7話 もう俺いやや

 柳と拓海のでこぼこコンビが呑気にケーキを食しているころ。真吾も真吾で、大学近くのファミレスでティーポットからカップに紅茶を注いでいた。

「ごめんな、忙しいのに時間取らせて」

 彼の前に座るのは、整形して美女に変貌を遂げ、復学したばかりの女だ。

「いえ、かまいませんけど。なんでしょう?」

 ぷっくりと形のいい唇がリップで艶めかしく光っている。真吾はその唇を見つめ、ごもごもと口の中で言葉を泳がせる。

「いや実は……」

 この唇も自然の形ではないな、と術前の写真を思い出していた。どう言葉を切り出すべきか逡巡する。

「こんなこと聞くのは失礼なこととは分かってるねんけど」

「整形のことですか?」

 ばっさり。いとも容易くあっけらかんと女が言った。

「そうです」

 面目なさそうに真吾はうなずいた。いくら仕事はいえ、踏み込んだ話だ。

 だがその気遣いは返って仇となる。真吾の申し訳なさそうな顔が逆に女には癪に障るのだ。女はイライラした様子で、何度も指でテーブルを叩き始めた。

「なにかいけませんか? あなたになにか迷惑かけましたか?」

 振動で紅茶の湖面が小刻みに揺れる。女の機嫌を損ないつつあることに気づき、真吾は慌てて手を振り言い訳を始めた。

「いやいや、ちゃうねん。俺はただ話を聞きたいだけやねん。実は、実はな、俺には妹がおるんよ」

「はあ……?」

 話の趣旨をつかむことができない女が、気の抜けた相槌を打つ。

 真吾は口から出まかせをさも本当のことのように深刻な顔をして一気に話す。

「その妹がな、一重でたらこ唇やねん。俺は兄貴やからそんな妹が可愛いねんけど……妹にしたらものすごいコンプレックスでなぁ。女の子同士って、男よりも複雑怪奇な社会構築して生きてるやんか。やっぱりそのコンプレックスをおちょくってくる奴もおるらしいねん」

「おちょ……?」

「あ、おちょくるって分からへん? えーと、あれや。馬鹿にしてくるってことや」

「なるほど」

 納得したように女はうなずいた。完全に真吾の話のペースに乗せられ、機嫌を直して聞き入っている。

「ほんでな、妹が部分的に美容整形したいって言うねん。金は俺がバイトしてなんとかしたろ思ってんのやけど、どこがええんかとか値段の相場が分からへん。そこで話聞かせてくれへんかな思って。頼むわ!」

 パンっと手を合わせて頭を下げる。女はしばらくそんな真吾を見つめていたが、ふと我に返ったように咳ばらいをする。

「ネットで調べたら出てくるよ」

 どこかのタイミングでそういう答えが返ってくるだろうと予測していた。真吾は狼狽えることなく不本意そうに顔を上げて腕を組んだ。

「そう思って俺も一応見たんやけど、どうも嘘くさくて鵜呑みにできん」

 そう言うと体の力を抜き、途方に暮れたように寂しそうな微笑を浮かべた。

「それに、やっぱりちょっと高くて……俺も学生の身分やし、しかも親から仕送りしてもらってバイト代と足してなんとか独り暮らしできとる。正直余裕があるわけちゃうねんなぁー……」

 女はしばらく眉をしかめて悲しそうな真吾を見つめていた。そして決心したように前のめりになって真吾に顔を近づける。

「そうだなぁ、本当に妹さんが二重にして唇を薄くするだけなら三十万くらいあればできると思うよ」

「そうなんや」

 本題を聞けることに喜んで頬が弛むのを頬杖をつくことで真吾は必死に隠した。相手の声に合わせて小声で返事を返す。女は眉をひそめてゆっくりと告げた。

「本当に、それだけで、満足するならね」

 含みのある言い方が気になり真吾は女の瞳を覗き見た。

「どういうこと?」

「私だって最初はただ脂肪吸引したいだけだった。でもいざやって、成果が表れると欲が出てくる」

「もっと、綺麗になりたい部分が出てくるってことやな?」

「そう。その欲は止めることができなかった。そうなるとどんどん施術費用がかさむ」

 女は身震いをした。欲望は果てしなくその深淵が見つかることはない。

「ほなら、どないしてん。まさか借金でもしたんか」

「違うわ」

 真吾の問いかけに心外と言わんばかりに女は嘆息した。そしてさらに声をひそめて、形のいい唇を妖艶に動かす。

「ねぇ、この先は本当に秘密の話。後戻りはできない。それでも聞く?」

「――妹のためや。聞かせてもらう」

 ごくりと喉を鳴らし真吾は緊張した面持ちでゆっくりとうなずいた。女は真吾が真剣だと判断したようだ。そこからはためらうことなく抱える秘密を吐露した。

「実は私は相場の施術費用の半額ほどの値段で整形したの」

「半額やて? まさか海外の変なとこでしたんか?」

「いいえ。国内よ。しかも市内」

「え、近所かいな」

 予想外の身近さに真吾は目を見開いた。そして訝し気に目を細める。

「なんでその病院そんなに安いん?」

「それは……」

 一度ためらうように視線を逸らすが、女はもう一度真吾の瞳をまっすぐに見据えた。

「それは正規の美容外科医ではないからよ」

「え? それ犯罪やん」

 真吾は思わず素で返した。反射的に声にしてしまったのでトーンも抑えられておらず、女が俊敏な動きで真吾の口を手のひらで覆った。

「大きな声出さないでよ。だから秘密って言ったでしょ」

 顔を青くして周囲を見渡す女の手を引っ張りはがすと真吾は怒り口調で言った。

「せやけどそんな素人によう任されへんわ」

「正規ではないと言っても医師免許を持っていないわけではないの。外科で勤務医として現役で働いている先生なのよ」

 小声で女が捲し立てる。真吾は目を閉ざして指で額を押さえた。

「つまり、どういうこっちゃ」

 もどかしそうに女は歯を食いしばる。

「つまり、よく言えば副業ってこと。なんかその先生、美容整形以外にも副業で患者持ってるらしいし」

 想像以上のことをぺらっと言われ真吾は血の気を引かせた。

「めっちゃヤバいやん」

「でも私は安く、満足のいく結果を得られたわ」

 ことのヤバさが分かっていない。安ければいいってものではない。その医者は裏で非合法的な整形を行い、保険診療をなんの障害もなく受けることができない誰かを患者として診ているということだ。その誰かがどんな人間なのかなんて知りたくもない。呆れ果てて真吾は口をぽかんと開けたあと、大きく息を吐き出した。

「せやな……ちょっと妹と相談してええか? ほんまに整形してもいいんか最終確認もしたいし」

「ええ。このことは絶対に口外しないでね。言ったらあなたのことも巻き添えにするから」

 勘弁してくれという言葉を飲み込んで真吾はうなずいてみせた。

「わかった」

「それと、もし施術するのなら安くしてもらえる代わりに、退院後最低五人は先生に新しい患者を紹介すること」

 まるでマルチ商法だ。真吾は頭を抱えた。

「事が事だけに五人って結構厳しいで! え? あんたは俺で何人目なん?」

「私はもう五人達成してるから何人目とか関係ないの」

 得意げに女が笑みを浮かべた。こんなに怪しく危険そうな話なのに、飛びつく人間が易々と五人も見つかるのだ。それともそれはこの女が持つある種の才覚か。

「……自分すごいな」

「それだけ需要があるってこと。とにかく妹さんと相談して。先生にはいつでも紹介するから」

 真吾は頭痛がしてきた側頭部を押さえつつ肝心なことを質問した。

「その先生の名前は?」

「弦野先生よ。弦野清正」

「弦野、弦野ね」

 忌々し気にその医者の名をつぶやく。そして原点に戻し、話を拓海の事件に持っていった。

「あ、あとさ。つかぬことを聞くけどホワイトデーの前日って何してた?」

 突然話が変わり女は戸惑ったように瞬き、顎に手を添えた。

「え? えーっと確かその日は一限から授業出てたわよ。休んでたからあまりサボりすぎると単位落とすし。どうして?」

「いや? 特に意味はないねん。それじゃ」

 テーブルの伝票をつかむと真吾はよろよろとおぼつかない足取りでカフェをあとにした。

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