その8 逢沢あきほと方麗元



 二十六年前。

 病衣を着た逢沢あきほは、そばに立つ姜緋槭にこう言った。


「わたしが死んだら、後はよろしくね、緋槭」

「そうはならん。麗元も手を尽くしている」

「駄目なんだよ。だってわたしは、方先生に隠していることがあるから」


 遠い目をしながら、ベッドの上で上半身を起こしたあきほは言う。


「わたしの中の『疱瘡』の因子は、よそから奪って無理やり封印したものだから。わたしの異能が弱くなったら、制御できなくなるのは分かってたもの。前回の暴走からもう三ヶ月も持っていることの方が、奇跡なんだよ」

麗元レイウォンはそれを承知だったのか?」

「わたしは話してないけど、あの人のことだから、気づいていると思う」


 逢沢あきほは、自身を被験体とした実験によって一度暴走している。周囲に天然痘ウイルスを撒き散らし、パンデミックを起こしかけていた。

 それが収束してから三ヶ月、レイウォンは外部と協力しながら霊子化の研究を進め、あきほもまた、こうして病床に付きながらも研究を続けていた。


 あきほの身体はすでに病魔に侵されている。表面的には分からないが、体の中身はすでにボロボロだった。


 それは、あきほやレイウォンがこれまで消費してきた人体実験の被検体と同じである。止むに止まれぬ事情で自ら志願してきた被検体たちを、トキノエ計画の部署は何人も使い潰した。そうして最終的には、あきほは自分自身すらも使い潰そうとしていた。


 全ては、結果のために。


「ねえ、緋槭。わたしは、あなたにも話せないことがあるの」

「話せないことがある、と明かすのは良いのか?」

「うん。わたしに隠し事があるってこと、あなたは知っているべきだと思うから。きっとずっと後に、それが意味を持つと思うから」


 だから、お願い、と。

 あきほは苦しそうに目を閉じながら言った。


「どうか、戦う相手を間違えないで」



 ※ ※ ※



 そして、現在。

 展開された霊子庭園の中で、逢沢あきほは知らない少年と向かい合っていた。


 あきほと対面した久能シオンは、身構えたまま立っている。そんな警戒した子供を前に、あきほはクスリと微笑んだ。


「ここ、研究所の応接室でしょう。わたしにとっては慣れ親しんだ場所だから、少しはリラックスさせて欲しいかな。ちょっと座ってお話しましょう」

「……逢沢さんは、僕のことをどれくらい認識していますか?」


 真っ先にそんな質問が来る辺り、年齢に対して随分頭の回る子である。

 あきほはそう感心をしながら、ポットから急須にお湯を入れ、二人分のお茶を用意する。


「そうね。『あの子』と『わたし』は確かにつながっているんだけど、厳密には同一人物じゃないの。あの子が見たものを、わたしは知ることは出来るけど、それを自分のこととして感じることは出来ない、って言えばいいかな」

「意識としてつながっているわけじゃなくて、記録を共有できるという感じですか?」

「うん、それが的確ね。君、思った以上に頭いいのね」


 あきほの素直な反応に、シオンは困ったように顔をしかめる。あきほとしては思った以上に知能レベルが高いと思ったがゆえの評価なのだが、頭がいいという評価はシオンからすると複雑のようだった。


 まあ、どんなに大人びていても、子供である以上色々とあるのだろう。

 大人だって、いつになっても自分のことすら制御できないのだから。


「実は意識が浮上したばかりだから、まだ状況がうまく把握できてないの。とりあえず、確認したいこともあるから少しお話しない?」

「その必要があると、あなたは言うんですか?」

「意地悪な返しだね。でも、うん。そのとおり。君はわたしを倒しに来たんでしょ? だったらなおさら、君には一つ、教えておかないといけないこともあるんだ。それは、わたしがずっと待っていたことでもある」


 だから座ってよ、とあきほは言う。

 シオンは少しだけ迷ったように視線を泳がせた後、素直にソファーに腰を下ろした。


「教えるべきこととは、なんですか?」

「それはね。霊子戦争の真実――言ってしまえば、黒幕のことだよ」


 予想外の言葉に、シオンは目を丸くする。

 そんな彼の姿を見て、あきほは冷静に話すべきことを整理する。


 この少年が自分に会いに来た以上、もはやカラミティ・ジェイルの討伐は秒読みだ。あきほ自身はすでに死んでいるので、命が惜しいとは思わない。こうして思考している自分も、ただの機能でしか無いという割り切りがある。


 けれど、生前に願った思いだけは深く刻まれている。

 自分自身がレイス化してでも守ろうとしたこと。必ず目的を果たすと誓った思い。それらをこの見知らぬ少年に託そうとするのは、それしか方法がないからだ。


 願わくは、ここからレイウォンや緋槭につながってくれれば――


「カラミティ・ジェイルの誕生には、霊子戦争の真相が大きく関わっているの。だから、少し長い話になるけど、良いかな?」

「それが必要だというのなら」


 そっけない言い方だが、シオンは食い入るような表情をしている。そんな彼に、あきほは順を追って説明を始める。


「わたしのレイス化には三つの要素が関わっているの。一つがわたしの異能、二つ目が『疱瘡』の因子、そして三つ目が、アウトフォーマー」

「レイウォンが言っていました。逢沢さんは、アウトフォーマーと通じていたって」

「うん。方先生、やっぱり気づいてたんだ」


 どこか嬉しそうにはにかんでから、あきほは寂しそうに目を細める。


「方先生と一緒にやっていた研究は、人体の霊子化だった。そのことは君も知っていると思うけれど、人体の一部ならともかく、全部の霊子化っていうのはなかなか成功しなかった」

「研究資料によると、人体実験で成功した数例も、すぐに霊体化した肉体を維持できなくなって消滅したって話ですよね」

「そう。生身と霊子細胞の癒着っていうのがどうしても難しくて、必ず比重がどちらかに偏ってしまうの。特に情報圧汚染が致命的で、生身の肉体が霊子細胞に侵食されて消滅してしまうっていうのが問題だった」


 この問題は、あきほがレイス化して二十六年経った今でも解決していないらしいことを、子供の『あきほ』が知っていた。そもそも、現実界に実態を持つ人体では、情報界の情報密度は収めきれないのだ。


 けど、少数ではあるが、成功している事例もある。


「でも、レイウォンは成功していますよね、霊子融合体として」

「あれはちょっと特殊かな。あの人は、何回か自分で自分を殺していると思うから」


 これもまた、逢沢あきほとしての知識ではなく、アウトフォーマーとして残った子供のあきほが見知った知識だった。


 レイウォンは二十六年前、暴走したカラミティ・ジェイルの火雷天神から『雷』の因子を一部抜き取って、あろうことか自身にそれを植え付けていた。その時に一度肉体は死亡したのだが、事前に『雷』の因子の方向性を指定しておき、心臓を無理やり動かしたのだ。


 その後は、『雷』の因子を制御するためにどこからか『風』の因子を持ってきて融合し、その二つの因子を制御するために更に他の因子を――といった調子で、次々に肉体を改造して安定させていったのだった。


「いわばあの人の霊子融合っていうのは、死体を霊子細胞で無理やり動かしているようなものなんだよね。それをやってのける精神力がすごいんだけれど、でもそんなのは死体と変わらない。……改めてこうして記録で閲覧すると、本当にとんでもないなぁ、方先生は」

「それって、下手したらレイス化するんじゃないですか」

「そうだね。実際、わたしたちが人体実験で使った被検体には、同じことをして因子一つで暴走した人もいたし。そういったのを始末するのが、緋槭の仕事だったんだけど」

「……よくそれが許されましたね」

「それが当たり前の環境だったからね」


 シオンの複雑そうな言葉に、あきほはこともなげに答える。

 あきほ達が行っていたのは非人道的な実験だったが、その被験者たちは大抵が行き場を失った志願者たちだった。


 あきほ自身もそうだが、異能や異常性を持つがゆえに居場所や生きる理由を失った人間は多く、霊子戦争中はそうした人たちが集められて魔法兵士として使われていた。


 研究者としての素養があったため、あきほはレイウォンの助手として活動していたが、それでも被検体としての役割に疑問を覚えたことはなかった。

 それは戦時中ゆえの倫理観だったのかもしれないが、戦後、人体実験の責任追及で多くの研究者が罰を受けたと知った時には複雑な心境だった。


「話を戻すけれど。わたしたちが研究で使っていた因子は、そのほとんどが本人の異能だったり、もしくは逸話のある物品から抽出したものだったんだよね。そんな中で、一番優先して研究されていたのが、わたしが持っている『疱瘡』の因子――天然痘ウイルスだった」


 アウトフォーマー対策で最も注目されていたのが、疫病を利用した霊子兵器だった。


 人体の霊子化は、研究の後期に行われたものに過ぎない。トキノエ計画の初期はもっぱら、天然痘ウイルスを霊子的に利用する方法の研究が主だった。


「それは僕も聞きたいと思っていました」


 前のめりになったシオンは、あきほに尋ねる。


「天然痘ウイルスは一部の研究機関で保管されたサンプル以外、現代には現存していないはずです。でも、逢沢さんははじめから天然痘ウイルスの保菌者だったと、レイウォンから聞いています。一体どこからそのウイルスを持ってきたんですか」

「うん。わたしが話さなきゃいけないのは、それだよ」


 あきほはゆっくりとうなずくと、胸に手を当てて言う。


「霊子戦争が本格的に始まる前から、世界中で霊子災害が起きていたことは知っているよね?」

「はい。それが、アウトフォーマーが現実界に干渉することで起こる、情報圧汚染の結果だってことくらいは」

「じゃあこれは知ってる? 実体を持たないアウトフォーマーは、情報を吸収しないと現実界で実体を持てない――というのは、嘘だってこと」

「…………」


 あきほの言葉に、シオンは思わず黙り込んだ。

 それは、前提がひっくり返る事実だ。


 情報生命体であるアウトフォーマーは、現実界で実態を持つために現実の情報を食らう。そうしなければいけないからこそ、人間とアウトフォーマーの間で戦争が起きた。それがこれまで伝えられてきた霊子戦争の実態だったはずである。


 黙り込んでしまったシオンを見ながら、あきほはゆっくりと続ける。


「全部がウソじゃないよ。アウトフォーマーにも種類があって、弱いアウトフォーマーはそうしないと現実界で実像を結べない。けれど、情報界とつながりの強いアウトフォーマーは、そのまま現実界にも干渉できる。そうした強いアウトフォーマーを貴人種きじんしゅ、弱い方を庸人種ようじんしゅと呼び分けていた」

「それは……どれくらいの人が知っていたんですか?」

「ごく一部、とだけ言っておこうかな」


 シオンの反応を見る限り、現代でもその事実は公開されていないトップシークレットなのだろう。だとすれば、秘密の範囲についてあきほが口にするべきではない。


 今のあきほが言えるのは、自分の経験を伝えることだけだ。


「少なくとも、方先生は知らなかった。わたしがそれを知っているのは、トキノエ計画に関わる前に、アウトフォーマーと強いつながりを持つことがあったからなの」


 それが、あきほがアウトフォーマーと通じていたという事実につながる。


 レイウォンがそのことをどこで知ったかは分からないが、少なくとも、あきほから彼に話したことはない。生前は、守秘義務で呪いをかけられていたので、話すことは出来なかった。


「生前は方博士にも緋槭にも話せなかったけど、今なら言えるよ。霊子戦争っていうのは、アウトフォーマーの貴人種と庸人種の代理戦争だった。そして、どちらにも現実界の協力者が居たっていうことをね」

「ちょっと――待ってください」


 流石に情報量が多く、シオンは混乱し始める。


 頭を押さえるようにして黙り込んだシオンは、少しだけ目を閉じて集中をする。ただ考えるだけでなく、魔力を使って思考を加速させているのだろう。そうしてゆっくりと考えをまとめた彼は、あきほの言葉を的確に要約する。


「……つまり、、ってことですか?」

「うん、そうだよ」


 シオンの結論に、あきほはうなずいてみせた。


「元々は、現実界で生存能力のない庸人種を手引した組織があって、世界中で霊子災害が多発するようになった。それに対抗するために、貴人種が魔法組織に声をかけた。その結果起きたのが、霊子戦争ってわけ」

「じゃあ、世界中で隠れていた魔法関係者が表に出てこれたのは、その貴人種のアウトフォーマーの助けがあったから――ということですか」

「詳しい事情は流石にわからないけどね。でも、わたしみたいな異能者が曲がりなりにも研究者として生きる道を示してもらえたのは、貴人種の声掛けによって制度が整ったからだよ」


 そうでなかったら、きっとあきほは異能を制御できずに自滅していただろう。


 まだ魔法が体系化していない頃には、そうした事例が世界中であった。運良く魔法に関係する団体や大家が近くにあれば話は別だが、そうでない場合、多くの異能者は暴走して秘密裏に処理される定めだった。


 実際、あきほも子供の頃に、そうなる予定だった。


「わたしは子供の頃、とあるテロに巻き込まれて孤児になったの。それは、病原菌を持つファントムを召喚して、パンデミックを起こそうとするものだった。わたしの『疱瘡』の因子は、そのときのパンデミックを防いだ時に奪ったものなの」

「奪った――というのは、具体的にどういう意味なんですか?」

「簡単に言うと、『わたし』っていう不感染者を作ることで、ファントムが起こしたパンデミックの神秘性を打ち消したんだよ。最も、そういう細かい概念魔法は、貴人種とつながりのある魔法使いたちがやったんだけどね。わたしはただ、天然痘に感染した上で、発症しないように生体電気を操作しただけ」


 感染症とは、大雑把に言ってしまえば病原菌が寄生することによる肉体の反応である。

 極端な話、肉体の反応を完全に制御できるのであれば、病気を発症することはない。


 あきほの持つ生体電気の操作というのは、肉体のあらゆる反応を制御出来るレベルのものだった。これに目をつけた魔法使いが、あきほを使ってテロを止める策を立てた。


「結果的に、わたしは『疱瘡』の因子を持ち続けることになったの。言ってしまえば、封印していたようなものだね」

「じゃあ、カラミティ・ジェイルの持つ天然痘のウイルスは、元々別のファントムのものだったっていうことですか」

「そういうこと。ま、わたしが奪ったことでそのファントムは弱体化して、討伐されたって聞いているけれどね」


 ことさらあっさりと口にするのは、あまり思い出したくないからでもあった。

 あきほにとって、あの時にテロで使われたファントムは恐怖の対象でしかなかった。死そのものを体現したようなあの黒いファントムのことは、死んでレイスになった今でもトラウマとして残っている。


 ただの記録に過ぎない感傷を脇に追いやりつつ、あきほは話を戻す。


「その時テロを起こした組織が、庸人種とつながりを持っていた。そして、後に霊子戦争を引き起こしたのもそいつら。君にはそれを、方先生に伝えてほしい」


 それは、蜘蛛の名を関する組織。


 現在の支配体型を破壊し、新たな生態系を築こうとする反乱者。

 血筋や使命ではなく、思想でつながる無貌の組織。


「『国栖蜘蛛クニスクモ』。それが黒幕の名前」

「くにす――くも」


 聞き覚えがなさそうに、シオンはオウム返しにその単語を繰り返す。

 やはり、この様子では現代でも公になっていないのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは定かではないが、少なくとも、『国栖蜘蛛』が消滅したわけではないはずだ。


 あの組織は、消滅するとか崩壊するとか、そういう類のものではないのだから。


「クニスクモのことを知っているのは、本当にごく一部の魔法使いだけだった。そもそも霊子戦争中は情報が錯綜していたし、アウトフォーマーの区別がつく人間なんていなかったから、その裏に組織立った黒幕がいるというのを共有しづらかったの。だって、目の前にいる相手がクニスクモの一人でないという証拠も無いし、後にクニスクモになるかもしれないから」


 だからこそ、貴人種とつながりを持つ人間は、それぞれ個別に潜伏して機会を待った。


「わたしは天然痘ウイルスを封印した時に、一人の貴人種と同化してその封印を強めていたの。わたしに何かあった時、端末としてわたしと繋がりを持つ続けるためにね。それが、今の子供の『あきほ』になったアウトフォーマーの正体」

「アウトフォーマーと通じていたというのは、そういうことなんですね」


 話を聞いてしまえば単純な話だった。


 守秘義務を重ね合わせた結果共有できなかった話。きっとレイウォン側とあきほ側で、それぞれ言えないことが重なり、今のような状況が生まれたのだろう。


 そして――トキノエ計画は問題の事故の日を迎える。


「トキノエ計画では病原菌の霊子兵器を作ろうとしていたけれど、クニスクモは双葉列島に侵入して『疱瘡』の因子を奪おうとしてきた。それを防ごうとして――わたしは暴走した」

「じゃあ、トキノエ計画が失敗したのは、そのクニスクモの襲撃があったからってことですか」

「そうなるのかな。でもあの計画、目的自体は半ば成功したものだと思っているけれどね。だって、カラミティ・ジェイル単体で、アウトフォーマーを百単位で殺しているし」


 もっとも、人間も同じくらい殺している。

 あきほの記憶にある最後の光景は、大陸に上陸して市街に嵐を巻き起こした時の様子だ。


 カラミティ・ジェイルは海岸沿いの市街に落雷と暴風を見舞い、そして天然痘ウイルスをばらまいた。ちょうど異界との門が開いていたその土地では、一般人の多くが避難していたために被害は少なくて済んだが、それでも抗体を持たない人間が天然痘で何人も死亡した。


 それを止めに来たのが、当時前線で戦っていた姜緋槭である。

 生前にあきほが願ったように、緋槭はカラミティ・ジェイルを止めてくれた。しかし討伐するところまでは行かず、その後数年がかりでこの双葉列島まで追いやるのが精一杯だった。


 もし、緋槭にこの深層にまで到達出来るバディがいれば、もっと早くカラミティ・ジェイルを止めることが出来ただろう。


 出来なかったことを今更言っても仕方ないけれど。


「わたしがカラミティ・ジェイルになったのは失敗だったけれど、でも一番の問題だった『疱瘡』の因子は奪われずに済んだ。これがクニスクモに取られたら、きっと大規模なパンデミックになるから、気をつけないといけない」

「もしかして、それを守るためにレイスになったんですか?」

「結果としてそうなっただけだよ。本当だったら、災害なんて形で守るべきじゃないってくらいの倫理観はわたしにもあるから」


 自分で言っていて苦笑しそうになるが、それは本音だった。


 兵器は無差別であってはならない。

 道具は制御して初めて意味を持つ。


 それは、人体実験の時にレイウォンが一度だけ口にした言葉である。

 人間の制御が届かない兵器など、ただの災害でしかない。カラミティ・ジェイルの火雷天神というのは、言ってしまえばそういうたぐいのものだった。


 こうして意識をつなげたからこそ、改めて心のなかで頭を下げる。

 方先生、あなたの教えを守れず、申し訳ございません。


「――少し、話しすぎたかな」


 あきほは意識を外に向ける。

 カラミティ・ジェイルは順調に規模を縮小している。おそらく戦っているレイウォンが奮闘しているからだろう。


「そろそろカラミティ・ジェイルは限界みたい。このままレイウォンが倒しちゃうと、また核が不活性化しちゃうんだよね。その前に、君の手でわたしを倒してくれないかな」

「……良いんですか? だって、今の話だとカラミティ・ジェイルは『疱瘡』の因子を守るためのものなんじゃ」

「今なら、方先生や緋槭がそばにいるでしょ? だったら多分、『疱瘡』の因子自体を破壊することも出来ると思う。どちらにしても、カラミティ・ジェイルっていう殻がある限り、中にある因子を壊すことは出来ないからね」


 それに、と。

 あきほは気の抜けたような表情で最後に本音をこぼした。


「いい加減、ちゃんと死にたいんだよね。意識が連続してなくても、二十六年暴れまわっているのはさすがにしんどいから」

「……分かりました」


 あきほの言葉に納得したのか、シオンはソファーから立ち上がる。


 そして、あきほと正面から向き合うと、何らかの魔法式を発動させる。

 魔力の奔流とともに空間に穴が空き、その中から一振りの刀が現れた。


 六十センチ弱の大脇差と呼ばれる種類の刀。

 柄の部分には鳥の模様があしらえられ、そのことから当初は千鳥と名付けられた日本刀である。


 けれど、この日本刀は後にこう名付けられる。


「――


 シオンが取り出した日本刀を見て、あきほは思わずその銘を口にする。


立花道雪たちばなどうせつ作の大脇差。雷神を斬った刀、か。柄の模様だけじゃなくて、反りまで完璧。すごいね、それ本物?」

「いえ、千鳥を元にしたレプリカですが……詳しいんですね、逢沢さん」

「わたし、歴女だったから」

「……なるほど。だから菅原道真だったんですね」


 あきほの端的な回答に、シオンは納得したように目から光をなくす。初対面のあきほにも分かる。あれは呆れの混じった目だ。


 シオンの想像通り、あきほがレイス化した時に火雷天神などという方向性を得たのは、彼女の中にある知識が大きく関わっていた。

 『疱瘡』の因子に加えて、彼女自身の生体電気を操作する異能も合わさり、さらにはそれらの要素を補強する知識まであった。そこまでお膳立てされた結果、火雷神という伝承は裏付けされて具現化したのだった。


「……こほん。でも雷切丸とは考えたね。確かにそれは、雷神殺しにうってつけだよ」

「魔法でこれを作るために、日本刀の鋳造技術を一から勉強しました。レプリカな上に魔法の即興品なんで、神秘性が少し足りなかったんですが、それは『あきほ』の猫丸を借りて打ち直すことでカバーしたんです」

「なるほどね。だから、あの子の手を借りてたわけだ」


 これから倒しに行く相手に協力を仰ぐとはどういうことかと思ったが、ちゃんと考えがあってのものだったようだ。


 つくづく、外見年齢と内面が噛み合わない子である。こういう子だからこそ、カラミティ・ジェイルの深層にまでたどり着けたのかもしれないが。


「よし、じゃあやってもらおうかな」


 あきほは立ち上がると、シオンの目の前に立つ。


 小さな体で日本刀を構えたシオンは、あきほを見上げながら刀をぐっと握り直す。霊体とは言え、この少年に人間を斬ることが出来るのだろうか。チラリとそんな疑惑が頭の片隅をよぎったが、それもすぐに杞憂だと流せた。


 シオンは目をそらそうとしなかった。

 ただまっすぐに、愚直なまでの真摯さで、あきほを見つめていた。


「……これは、年上からの素直なアドバイスなんだけどね」

「はい」

「君はもう少し、自分に優しくなったほうが良いと思うよ」

「……どういう意味ですか」


 不思議そうに首をかしげる少年の姿を見て、あきほはクスリと笑みをこぼした。


 そういうところだぞ、少年。

 ほんの十分程度の邂逅だったが、この少年が将来苦労しそうなのを感じた。それは、昔堅物だったレイウォンが可愛く見えるくらいだった。


 仕切り直すように、あきほは両手を上げる。

 身にまとった白衣の重さを感じながら、彼女は自らの命運を、目の前の苦労しそうな少年に預けた。


「じゃあ、後はよろしくね、シオン君」

「はい。任されました」


 そうして、シオンは雷切丸を突き立てた。



 ※ ※ ※



 身体を構成している霊子が解けていくのが分かる。それとともに、二十六年分の重みが消えていくようだった。意識こそこの瞬間まで眠っていたが、自分は確かに、二十六年という時間を重ね、災厄を振りまいてきたことを実感する。


 やっと休める、と言うのが素直な感情だった。


 多くの人を不幸にし、多くの人に迷惑をかけた。けれども、その重荷を感じるにはあまりにも実感が遠すぎた。逢沢あきほという人間はいつも誰かの思惑に操られ、自分で何かをなそうと思って人を害したわけではなかった。


 テロで親をなくし、知らない人間の思惑で病原菌を保菌し、そして異界人なんて妙な存在に付きまとわれた。

 いつも何かを決めるのは周りの誰かだったし、従うままにいつの間にか研究者になんかなっていた。


 ああ、けれど。

 一つだけ、自分から誰かのためになりたいと思ったことがあった。


(わたしは、方先生の役に立ちたかった)


 この穢れた身体が役に立つなら、どうぞ使ってくれと言った。


 あきほは自分が犠牲になるなら良いと思ったのだ。

 けれど、レイウォンはあきほを実験台にするために、他の被検体で試験をした。それが、逢沢あきほという研究者を大事に思ってのことなのか、それとも他の感情があったのかは、今ではわからない。


 結果として、あきほは彼の期待には答えられなかった。ただそれだけの話だ。


(あとは――よろしくおねがいします)


 あきほの身体が霊子の塵となって解けるとともに、霊子庭園も崩壊していく。


 最後に目に写ったのは、かつて憧れた研究者の姿だった。

 十代だった頃の若々しさはなく、髭をはやして身体も大柄になったおっさんの姿。けれどもその溌剌とした表情にはかつての面影がある。


 彼は嵐の中で戦っていた。


 病衣をまとった亡霊と殺し合っている。

 落雷が降り注ぎ、暴風が吹き付け、豪雨が荒れ狂う。そんな中で、彼はまっすぐに立ち向かってくる。


「あ、ぁあ……!」


 あのフォウ麗元レイウォンが、わたしを見ている。


 このわたしだけを見て、全力を尽くしてくれている。

 それは――なんて、幸せな。


「先生!」


 伝えたい言葉は何だったか。


 ごめんなさい? すみません? 許してください?


 いいや違う。


 もう一度。

 ただもう一度だけ、こう言いたかった。


「お疲れさまです、方先生」


 コーヒーでも飲みますか?

 分かってます。入れるのはミルクだけですよね。


 待っていてくださいね。

 今、お持ちしますから――



 ※ ※ ※



 カラミティ・ジェイルの病衣が、メイスで叩き潰される。


 胴体がえぐれ、血とともに霊子がこぼれ落ちる。明らかに致命傷であるその一撃は、決定打だった。


 長い黒髪をかき乱し、奇声をこぼす口からは、小さな声が漏れる。


「ふ、ぉう、せん、せぇ……」

「あぁ。おつかれ、逢沢」


 レイウォンはカラミティ・ジェイルの身体を受け止める。そして、肩を叩きながら言った。


「根を詰め過ぎだ。少し休め」


 その言葉に、カラミティ・ジェイルは小さく微笑んだ。

 それは、憑き物が落ちたような笑みだった。



 そして、彼女は消滅した。

 あとに残った雷雲は、しばらく暴れまわった後に、ゆっくりとその勢力を弱めていった。





 それでは、お言葉に甘えて。

 おやすみなさい、方先生。




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