その6 哭き叫べ金剛杵
「……なにもんだ、お前」
突然目の前に現れた少年を前に、レイウォンは瞬時に立ち上がって臨戦態勢を取った。
無理もない。周囲を警戒していたレイウォンですら、声をかけられるまで気づけなかったのだ。一歩間違えれば殺されていてもおかしくない。
レイウォンも気配を消すスキルを持っているが、それと同等かもしくはそれ以上のスキルを持っているのだろう。
(この子供、ファントムか。しかも恐ろしく強力だ)
彼から溢れ出る情報圧は、高位のファントムであることをまざまざと見せつけている。少しでも気を抜けば飲まれてしまう。そんな緊張感が場を支配する。
身構えたレイウォンの後ろで、シオンが緊張に身をこわばらせながら口を開いた。
「お前は……テオ」
「おい、シオン。お前らが言っていたテオってのは、こいつのことか」
レイウォンの確認に、シオンは小さく首を縦に振った。
そんな二人のやり取りを見ながら、テオは相変わらず緊張感のない声で明るく言う。
「やあ久しぶりだね、シオン君! そしてあなたとははじめましてだね、『風神』さん! ずっと会いたかったよ。あの『蚩尤』と正面衝突した時はもう終わったと思ったけど、さすがは風神だ。僕のシオン君を助けてくれて本当に嬉しいよ」
「僕はお前のものじゃない」
「別にお前のために助けたわけじゃない」
テオの言葉に、シオンとレイウォンが同時に反論する。
そんな警戒心丸出しの返答を受けても、テオはまったく動じた様子もない。ただケラケラと人を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべて立っている。
レイウォンはシオンを守るように一歩前に出ると、手に巨大なメイスを召喚する。いつでも振り回せるようにメイスを構えながら、彼は油断なく口を開いた。
「俺はお前のことを知らないが、どうしてお前は俺を知ってやがる。それと、シオンたちを連れてきたのもお前らしいな。どういうつもりか、きっちり話してもらおうか」
「あはは。そんな剣呑にしないでよ。僕は君たちと協力したいんだ。争う気なんてないから、殺意を向けるのは止めてくれないかな?」
「それはお前の出方次第だ」
「うん、そうだね。ただで信頼してもらおうとは思ってないよ」
ケロリとした風にテオは言う。
まるで暖簾に腕押しでもするかのように飄々とした態度は、身構えているこちらがバカのようだ。だからと言って、緊張を解くわけには行かない。
「うんうん、分かるよ。僕みたいな正体不明が協力するって言っても、信頼するなんて無理だよね。僕から話せることは全部話すつもりだけど、でもそれだけじゃ信頼は出来ないよね」
テオは地面に突き立てた大鋏を引き抜く。
そして、全てを台無しにするかのように、彼はとんでもない行動に出た。
「だから――誠意を見せよう」
テオは手に持った大鋏の刃を広げる。
腰ほどまでもある巨大な刃。二枚に合わされたその刃を、彼は左肩に当てる。
そして――こともなげに左腕を切り落とした。
「なッ!」
突然の凶行にシオンとレイウォンは目を見開く。
そんな二人を前にして、テオはどくどくと血が流れる左腕を気にもせず、なんでもないように笑ってみせる。
「さ。これで僕の性能は大きく落ちた」
大鋏についた血を振り払って、再び足元に突き立てる。そこには切り落とされたテオの左腕が落ちていたが、大鋏の刃によって修復不能なほどに破壊された。
霊子の塵となって消える左腕を見もしないで、テオは言う。
「まあ治そうと思えば治せるけど、ちょっと時間はかかるかな。少なくとも君たちと話をする間はこのままでいるよ。だから、交渉をしよう」
いかにファントムといえど、欠損した身体を修復するにはそれなりの条件が必要になる。彼が瞬時に回復する手段を持っている可能性もあるが、少なくともその一瞬は、ファントム同士の戦闘において致命的になるはずだ。
それだけのことをしてでも、彼は交渉のテーブルにつこうとしていた。
「……最初に確認させろ」
未だに血を流し続けているテオを前に、レイウォンはメイスを下ろすことなく言う。
「協力する、と言ったが、お前自身の目的を教えろ」
「それはシオン君がよく知ってるんじゃないかな? 僕の主張は、最初から一貫してるよ」
テオはとらえどころのない表情でヘラヘラと笑う。
「カラミティ・ジェイルを倒したいのは僕も一緒だ。だから君たちと戦うつもりなんてない。むしろ協力関係を結ぶべきだと思うんだけど、どうかな?」
「は! 協力ねぇ。お前が協力したとして、こちらにどんなメリットが有る? 俺には、正体不明のお前を味方にするのはリスクにしか感じねぇがな」
レイウォンは話しながらも、なぜこれほどテオを敵視してしまうのか、疑問に思った。
確かに正体不明で、なおかつこちらの事情を一方的に知られているという不気味さはある。しかし、もっと根本的な部分で、この少年を拒絶する自分がいた。
このテオという名のファントムには、相容れないと思うような秘密がある。
それが何なのか分からないが、少なくともコイツを信用してはいけないと本能が叫んでいた。
しかし――そんなレイウォンの意志を意に介さず、テオは明確な役割を口にした。
「ならリスクを限りなく無くそう。こういうのはどうかな? 明日の決戦。君たちがカラミティ・ジェイルの相手をしている間、僕が『蚩尤』の相手をしてあげる」
君たちの戦いを邪魔しない。
むしろ手伝いをしてあげる。
仮に裏切ったとしても大きな意味はなく、ただレイウォンたちの戦いの不安要素を取り除くだけの役割。それは、レイウォンたちにとってこれ以上ない条件だった。
「さあ。僕に協力させてよ」
正体不明の神霊は、ニコニコと笑いながらいざなうように言った。
「きっと、損はさせないさ」
※ ※ ※
カラミティ・ジェイルの火雷天神は、巨大な雲のレイスである。
全長百メートル。どす黒い雷雲は大量の水蒸気を魔力で汚染し、雲の中で気圧差による激しい気流によって雷を発生させる。カラミティ・ジェイルが通った後には激しい雷撃が降り、破壊の限りを尽くすことになる。そうして破壊した物質を情報として分解して吸収することで、カラミティ・ジェイルは魔力を回収する。
そんな凶悪なレイスであるが、その真価は雷雲による破壊ではなく、ただ存在するだけでばらまかれる病原菌にある。
活性化したカラミティ・ジェイルの活動期間は約一週間程度だが、それが不活性状態に入って雷雲が晴れると、今度は島中を天然痘ウイルスが蔓延することとなる。陸地から離れたこの島でこのウイルスに感染した場合、治癒は絶望的である。かつてカラミティ・ジェイルが九州付近の海域で猛威を奮っていた頃は、多くの死者が出たとされている。
そんなカラミティ・ジェイルの火雷天神に関する基礎知識を復習しながら、作戦室にいた比良坂シドウは憎々しげに舌打ちをうった。
「ちっ。何考えてやがる」
彼の手元にあるデバイスには、管理室から届いたデータが表示されている。
カラミティ・ジェイルが活動を開始したと同時に、捜索中だった神童たち二人の反応が発見されたというのだ。
また、神童たちのそばに強力なファントムの反応が確認された。何をするつもりかは定かではないが、放っておくわけには行かない。
「どうされますか? 司令官」
「生きているのなら確保して連れ帰れってのが、上の指示っすよ。ああ畜生。わかりました、『蚩尤』と一緒に俺も出るんで、みなさんは監視と援護を頼みます」
部下に対してそう指示を出してから、シドウは戦艦の外に出る。
甲板には、これからカラミティ・ジェイルへの牽制のために姜緋槭が待機している。
緋槭はシドウの姿に気づくと、顔を向けた。
「どうした、シドウ。カラミティ・ジェイルの牽制は私だけで十分だ。お前は作戦室から魔力を回してくれればいい」
「事情が変わった。神童たちが現れた。なにするつもりか知らねぇが、止める必要がある」
「……そうか。ではやはり、あの気配はレイウォンだったか」
緋槭は数キロ離れた双葉列島へと視線を向けながらそうつぶやく。彼も島の方で何かが起こっているのを感じ取っているのだろう。
「だが良いのか? 側にいた方が魔力の供給は楽になるが、危険もあるぞ」
「天然痘のワクチンは打ってる。それに、魔法士の相手は魔法士がやった方が良いだろ」
カラミティ・ジェイルの活動時期は予測された通りなので疑問点はない。問題は、それに乗じて島に侵入している連中が何をしようとしているかだ。
神童たちの目的が何かわからない以上、戦いになることは考えておくべきだ。
シドウは魔力駆動のホバーボードを持ち出すと、緋槭とともに海面を走る。そうして数分後、双葉列島の沖合にまで到着した。
カラミティ・ジェイルの火雷天神は、右ノ島上空にもうもうと広がっている。活性化したレイスの情報圧が島全体を覆い、呼吸するのも辛いほどの瘴気に満ちている。
そんな右ノ島の海岸に、二つの人影が立っていた。
どちらも子供である。
一つは少女のもので、利発そうな顔立ちをした目付きの悪い少女だ。そしてもう一つは、浅黒い肌と長髪をした少年だった。
「あの男の方は誰だ」
ホバーボードを停止させながら、シドウは怪訝そうに言う。少女の方は、資料で見たアヤネ・フィジィで間違いないだろう。しかし、少年の方はもうひとりの神童であるシオン・コンセプトとは明らかに違った。
困惑しているシドウに向けて、緋槭は海面に立ちながら教える。
「アレはファントムだ。それも、かなり危険なやつだ」
「神童にバディだって? そんな話は聞いてないぞ」
牛面の下で緊張した声を漏らす緋槭を見て、海岸にいるファントムの脅威をはっきりと理解する。カラミティ・ジェイルの情報圧に隠れているが、浅黒いファントムもまた危険な相手であることは間違いない。
警戒をしながら海岸に近づくと、その正体不明のファントムが先に声をかけてきた。
「やあやあ! 『蚩尤』。はじめましてだね! 僕の名前はテオっていうんだ。仲良くしてくれると嬉しいな?」
「……この島で何をしている」
砂浜に足をつけながら、緋槭は静かに問う。
その落ち着いた問に対して、テオは軽い調子で返す。
「いやあ、ちょっとカラミティ・ジェイルの火雷天神を倒そうと思ってね。だってほら、あんなのがずっといたら危険じゃない? 警備にかかるコストも馬鹿にならないし、手っ取り早く倒しちゃった方が良いと思うんだよね」
「倒す? アレを、だと」
飄々とした態度から語られる予想外の目的に、緋槭は警戒心を高める。
「余計なことをするな。アレは貴様のようなやつの手に負えるものじゃない」
「そうかな? 僕らもただ無策ってわけじゃないよ。何より、アレが消えれば助かるのは君等も一緒でしょ? だったら協力してくれないかな!」
「ふざけるのも大概にしろ。アレはそう簡単に倒せる代物ではない。下手に手を出せば大惨事になるのが分からんか」
「へぇ。それはどういう意味かな?」
緋槭の言葉に、テオは意地悪く聞き返す。
「大惨事になる? それはどういう風に? カラミティ・ジェイルはなにか爆弾でも抱えているのかな? それとも強力な呪いでも持っているのかな? 僕は知らないからわからないなぁ。ねえ、なんで倒しちゃ駄目なのか、僕に教えてくれないかな?」
「……貴様、本当に知らないのか?」
わざとらしいテオの言い方に、緋槭は憎々しげに言う。
カラミティ・ジェイルの火雷天神は、雷雲のレイスであるとともに天然痘のレイスでもある。その内部に溜め込んだ病原体の総量は途方もない。もし活性状態で討伐をしたら、溜め込まれた天然痘ウイルスが一気に放出されることとなる。
双葉列島は九州から百二十キロ離れた位置に存在するため、ここでならば被害を最小限に抑えることは出来る。そのため、かつてはこの土地で討伐を行うことが検討されていたが、その計画もすぐに頓挫することとなった。
なぜなら、カラミティ・ジェイルは何度倒しても復活するからだ。
おそらくレイスの核となる存在があるのだろう。表に出ている雷雲は端末であり、それをいくら倒しても、カラミティ・ジェイルは何度も復活した。そしてそのたびに大量の天然痘ウイルスを放出し、動植物構わず感染させていった。そうして感染した鳥類や魚類が大陸付近までウイルスを運ぶ危険性は常に存在する。
そのため、現在は双葉列島周囲の五キロ圏内に結界を張り、辺り一帯の海域に外からの立ち入りができないように厳重な警戒が敷かれている。
核となる原始を殺す算段が立たないままカラミティ・ジェイルと戦うのは無駄である。それどころか、感染源を増やすだけの結果にしかならない。
だが――そういった事情を知らない相手は、まるで煽るように言う。
「ねえねえ、どうして教えてくれないのかな? もしかして、教えることが出来ないの? だったら仕方ないなぁ。僕らはそれを知ることが出来ない。それじゃあ、思い直すことも出来ないよ。だって僕らは、カラミティ・ジェイルを倒すのが最良だって思っているんだから!」
「……貴様」
緋槭には、事情を話すことが出来ない。
彼の霊体に刻まれたセキュリティがそれを許さない。これが味方であれば、同じ呪いをかけることで情報を共有できるが、あからさまに敵だと分かる相手に同じことは出来ない。結果的に黙ることしか出来なかった。
そんな緋槭に、シドウが言う。
「もう良い。緋槭、別に説得する必要なんかない」
シドウはホバーボードを海岸に置くと、緋槭の隣に立って戦闘態勢に入る。全身の魔力を励起させて、デバイスに魔力を通す。
「眼の前には、不法侵入者が二名いる。そのうち一人は保護対象で、一体は敵性ファントムだ。それが確認できれば十分だろう」
「……ああ、そうだな」
緋槭は手に身の丈ほどもある大刀を作り出すと、ゆっくりと構える。
「ファントムの相手はこちらがする。多少本気を出すが構わないな?」
「加減できる相手じゃないのは分かってる。俺はできるだけ距離をとって神童の相手をするから、そっちは気にせず好きにやれ」
「助かる」
二人は打ち合わせを終えると、すぐに息を合わせて一歩を踏み出した。
※ ※ ※
一方、アヤネとテオは終始険悪だった。
「いやあ、やっぱり戦いは避けられそうにないねぇ。人間がわかり合うのって難しいや。君もそう思うでしょ、アヤネちゃん」
「うるさい黙れ。明らかに煽る気満々だったでしょ」
そっけなく言い捨てながら、アヤネはチラリと背後を見やる。
遠くにカラミティ・ジェイルの雷雲が見える。今、あの中でシオンとレイウォンが戦いに向かっている。勝率はかなり高いと思っているが、外からの邪魔が入ればその限りではない。
シオンがアヤネを置いていくと言った時は頭に血が上ったが、その理由自体は納得できるものだった。理屈が通るのであれば、アヤネはそれに逆らうことはない。内心の不満はあるが、現時点でシオン以上にカラミティ・ジェイルの相手をできる人間はいない。
それなら、残された自分だからこそ出来ることをやるべきだ。
「ふん。アンタのバディになるなんて、死んでもゴメンだったけれどね」
隣にいるテオと目を合わせないようにしながら、アヤネは不愉快そうに毒づく。
昨晩、レイウォンがテオを連れてきて、蚩尤と戦わせるなんて言い出した時には正気を疑ったが、これが一番合理的なのも確かだったので受け入れた。だが、受け入れたからと言って、警戒心を解く理由にはならない。
昨夜は片腕を無くしていたテオも、今ではちゃっかり五体満足に戻っている。何もかもが胡散臭い彼は、敵意を隠そうとしないアヤネに向けて不思議そうに言う。
「えー。なんでそんなに嫌がるのさ」
嫌悪感を示すアヤネに、テオは場を和ませようとするかのように明るい声を出す。
「敵のバディはすごく親密みたいだよ。ここは僕らもちゃんと息を合わせないと! さあアヤネちゃん、僕らも作戦会議をしよう!」
「うるさい死ね」
「わあ、辛辣! でも方針くらいはあった方が良いでしょ。蚩尤一人ならともかく、相手もバディを連れてきているんだから、作戦変更は必要だと思うな!」
「アンタは蚩尤と相討ちする。私は横の魔法士を倒して生還する。以上。これでいいでしょ」
「それ僕死んでるよね? もしかしなくても見捨てるつもり?」
「そうなりたくなかったら必死で戦いなさい。ほら、来るわよ!」
向かってくる蚩尤とそのバディの姿を正面から見据えながら、アヤネは魔力をテオへと送り込む。
外部にバディを持つテオだが、こうして身近で魔力供給をすればより活動能力は上がる。この戦いでは、蚩尤をどれだけ抑え込めるかが鍵になる。
「ふ、やれやれ。とんだお転婆さんだなぁ、アヤネちゃんは」
魔力を供給されて力をみなぎらせたテオは、手に大鋏を握ってニィっと口角を上げる。
「それじゃあ! 期待を裏切ってみせようか! 牛退治だよ!」
彼は高らかに宣言すると、勢いよく砂浜を蹴って飛び出した。
黒面の少年と牛面の怪物は互いの獲物をぶつけ合う。
それが開戦の合図となった。
※ ※ ※
そして――
カラミティ・ジェイルの火雷天神が浮かぶ右ノ島から、一キロ離れたもう一つの島。左橋島には、二人の人影が戦闘準備に入っていた。
「どうやらあっちは始まったらしいな」
「……レイウォンはテオのこと、どう思う?」
右ノ島から聞こえる戦闘音に耳を傾けながら、シオンはデバイスの最終チェックを進める。
シオンの問いに、レイウォンはさっぱりとした答えを返す。
「信用はならんが、目的が見えないうちは利用し合うしかないさ。少なくとも、お前やアヤネの命が狙いじゃないのは確かなんだ」
シオンやアヤネに害を加えるつもりなら、いくらでもそのチャンスはあった。むしろテオは二人を守ろうとしているのではないかと、レイウォンは考えていた。
そもそも神童二人をこの島に連れてきたのはテオである。彼が神童たちの手を借りたがっているのは本当のようだった。
カラミティ・ジェイルの火雷天神を倒す。
その目的について、昨日、テオの口からその内容を聞き出した。しかし、その内容ははっきりしているようでどこか曖昧だった。
『僕のバディは、霊子戦争の事後処理を請け負っていてね。トキノエ計画みたいな負の遺産を解消しているんだ。非合法のルートで受けている仕事だから、もちろん公的機関と協力するわけには行かない。だから、その時々で協力者を募っていたんだよ。
そしたら、なんだか独自に霊子災害を倒して回っている子どもたちがいるって噂を聞いたんだ。それは君たちのことだけど、僕が発見した時には、まさかS級災害を倒しちゃってたんだもん。そんな実力があるんだから、そりゃあ、脅してでも協力してもらいたいと思うでしょ?』
テオは自分の目的を、仕事のためだと言った。
それが本当であれば納得できないこともないが、しかし実際は何も分かっていないのと変わらない。相変わらず底が見えないテオの言動には、油断ならないものがあった。
そんなテオは今、右ノ島で最強のファントムである『蚩尤』と交戦している。立て続けに起こる轟音と、島が破壊される激震を見るに、本当に戦っているのだろう。
「テオがどれだけ強かったとしても、緋槭相手じゃ分が悪い。時間稼ぎにも限度があるだろうから、こっちも早めに役割を果たそう」
空中に浮き上がって雷雲を見上げるレイウォンは、シオンを振り返りながら言う。
「準備はいいか、シオン」
それに、シオンは静かにうなずいた。
「いつでもオッケーだ。思いっきりやってくれ」
「よし。そんじゃ掴まれ」
確認を済ませたレイウォンは、シオンを腕に抱える。
そして、最後に後ろを振り返った。
「行ってくるぜ、あきほ」
そこには、研究施設の外に出てきたあきほの姿があった。
「おじちゃん、いってらっしゃい! それから、お兄ちゃん」
あきほは無邪気に笑いながら、思いっきり腕を突き上げて言う。
「頑張ってね!」
「……うん。頑張るよ」
かろうじてそう答えたが、シオンは居心地が悪くて目を合わせることが出来なかった。
あきほは、今から自分が殺されることを知っている。
それは、この二日間何度も念押しをした。カラミティ・ジェイルを倒すことは、あきほの消滅を意味するのだと。だが、何度言っても彼女の答えは変わらなかった。一緒に倒そうと、そう彼女は言うのだった。
本当に理解しているのか、それともそこまで考えが及んでいないのか。
アウトフォーマーに対しては精神感応も使えないため、シオンにはあきほの真意を探ることが出来なかった。だからこそ、額面通りの言葉に答えることしか出来ない。
「レイウォン、行ってくれ」
シオンの言葉にレイウォンは小さくうなずくと、地面を蹴って空に飛び上がった。
二人の身体を、気流が包み込んで空中を駆け始める。
レイウォンの持つ『風』の因子。それは風神の力を持つ因子であり、大気を自在に操ることが出来る。
いくつもの因子をかけ合わせた霊子融合体であるレイウォンだが、彼の肉体に一番馴染んでいるのはこの風神の力だった。
彼はその風神の力を使い、一直線にカラミティ・ジェイルへと迫る。
雷雲に近づくにつれて、雲からの放電による火花が襲ってくる。それらを大気の流れを操って全て弾きながら、レイウォンは雷雲の直ぐ側へとたどり着いた。
「で、こっからどうするんだ」
カラミティ・ジェイルは、雷雲のレイスである。
その外側は分厚い雲で出来ており、内側は雷と乱気流が乱れる嵐である。その中から、レイスの核となる存在の場所まで、どういう風に行くつもりなのか。
シオンの問いに、レイウォンはさっぱりと答える。
「この雲と戦い続けても仕方ねぇ。要は、魔力の中心にまでたどりつけりゃいいんだ」
雲の真正面に立ったレイウォンは、シオンを背に背負うと、両手に弓を作り出す。
巨大な剛弓は常人では引くことも出来ないほど固く弦が張られており、レイウォン以外には使えないような形状をしている。
そんな剛弓に矢としてつがえたのは、鉄アレイのような短い杖だった。
名を、
仏教において使われる宗教具であり、そして神話上で使われた神具でもある。
「しっかり捕まってろよ、シオン!」
レイウォンはその金剛杵を剛弓につがえると、ギリギリと弦を絞る。それとともに、金剛杵の切っ先に雷が集まってくる。
それこそは、レイウォンが持つ『雷』の因子の力。
風神由来の『風』と対をなす、雷神の権能。
「『哭き叫べ、金剛杵』――『ルドラ・ヴァジュラ』!」
悪竜を粉砕した雷神の矢は、火雷天神の雷雲を強引に割って切り開いた。
分厚い雲の壁が開かれ、その中からとてつもない情報圧が噴出した。
巻き起こる暴風と放電による火花。わずかに触れるだけでも即死すること間違いなしの暴力を、レイウォンは真正面から受け止める。
「しゃらくせぇ! 吹き飛びやがれ!」
襲ってくる雷を、レイウォンは風神の力で乱暴に振り払う。
そしてその勢いのまま、彼は開かれた道をカラミティ・ジェイルの中枢へとまっすぐに突き進む。
(――ヴァジュラって、今言ったか)
振り落とされないように必死でしがみつきながら、シオンは今見たことを考える。
(だったら、これは多分、インド神話のインドラの因子だ)
インドラ。
あるいは、帝釈天。
それはバラモン教やヒンドゥー教と言った宗教の神であり、古代インドの聖典リグ・ヴェーダにおいては中心的な神として名を連ねている。雷を司る雷霆神としての側面が強いが、他にも英雄神、天候神と言った性格も持つ強力な神格だ。
雷を操る神格としては菅原道真などより遥かに格上の存在だ。かたや極東の島国の怨霊、方や一つの神話の主要神である。その影響力は比べるまでもない。
また、インドラには軍神としての逸話がある。前にレイウォンは自分について『軍神』とも呼ばれると言ったが、それが彼の力の一部ということだろう。
(となると、風神は『ヴァーユ』の力か? インド神話の神格を二つも保有している……繋がりはローカパーラだろうか。流石に全部の神格を扱えるはずがないけど、レイウォンの原始はそれに関係がある何かのはずだ)
神話の神の力をそのまま振るえるファントムはそう居ない。大抵は力の一端にとどまるし、それが複数ともなれば、何かしらの共通点を元につながっているはずである。
ローカパーラとは、世界を守るために各方位に配置されたインド神話の神の総称である。成立した時代によってその配置は変わるため必ずしも一定ではないが、後に成立した仏教の十二天の元になるなど、大きな影響力を持っている。
軍神インドラや風神ヴァーユは、その中でも代表的な神格である。
(でも、強力なだけあって魔力消費がきついな。ちゃんと持つんだろうな、これ)
レイウォン自身も言っていたが、強力な能力の反動で燃費は悪い。先程からシオンの魔力はぐんぐん引っ張られている。少しでも気を緩めると、根こそぎ持っていかれそうだった。
ファントムへの魔力供給を制御するのも、一流の魔法士の役割だ。必要な分は惜しまず送り込み、余分な分は引っ張られないように引き止める。その集中だけでも頭の血管が切れそうなくらい神経を使うが、なんとかシオンはそれをやり遂げた。
四方から襲ってくる雷撃を全て弾き飛ばし、上下左右から殴りつけてくる乱気流を振り払い、そうしてレイウォンは雲の中枢にまでたどり着いた。
――そこに、病衣の女がだらりと浮かんでいた。
「来たぜ」
その言葉は、シオンにかけられたものなのか。それとも――
レイウォンがそうつぶやくと、病衣の女はゆっくりと顔を上げた。
伸ばしっぱなしの黒髪は前髪が目元にかかるほど長く、表情がうまく読み取れない。病的なくらいに白い肌に、やせ細った手足。亡霊そのものの外見の女は、小さな口から甲高い金切り声を上げた。
「キュルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
聞くだけで鼓膜が突き破られそうな高音に耳を覆いたくなる。しかし、それに構わずレイウォンは正面から突撃する。
「行くぜ、逢沢ァ!」
「クゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
メイスを構えたレイウォンに対して、病衣の女は雷撃とともに周囲に刀剣を生成する。
それは日本刀だった。
十本近くの日本刀は、雷のように空間を駆け巡り、その切っ先をレイウォンへと向ける。
レイウォンは襲いかかってくる日本刀のことごとくをメイスで砕き落とす。そのたびに病衣の女は新しい日本刀を鋳造し、休む間も与えずに追撃する。背のシオンをかばいながら戦うレイウォンは分が悪く、次第に押され気味になる。
その時、シオンが鋭く言い放った。
「今だ! レイウォン」
シオンは右手首につけたデバイスに魔力を通すと、一つの魔法式を発動させる。
周囲に撒き散らされている電流を魔力で制御して、巨大な磁場を発生させる。それによって、四方から襲いかかってきていた日本刀が、磁力によって弾かれるように吹き飛ばされた。
レイウォンと病衣の女の間にポッカリと空間が出来た。
風神の力を利用してその間を一瞬で詰める。
目にも留まらぬ勢いで迫ったレイウォンは、ためらいなく巨大なメイスを叩きつける。
病衣の女は、それを右手に握った脇差で受け止めようとする。
しかし完全に受け止めることは出来ず、脇差は真っ二つに叩き折られ、病衣の女も深々と切りつけられる。
それは最大のチャンスだった。
「行って来い、シオン!」
病衣の女が怯んだその瞬間、レイウォンに背を押されたシオンは手のひら大の箱を構えた。
その魔道具の名前は『次元ジオラマ』。
携帯型の霊子庭園発生装置であり、低魔力で強力な霊子庭園を作成することが出来る。
それを、自身と病衣の女にのみ利用する。
シオンの身体が霊子体に転換され、一時的に現実から生身の肉体が消失する。
おそらく今は、霊子庭園内でカラミティ・ジェイルの本体と向かい合っていることだろう。
(あとは任せたぜ、シオン)
まだ出会って数日の相手だが、レイウォンはシオンに信頼を寄せていた。それは感情論ではなく、純粋に彼の能力を買っているからだった。
作戦は綿密に詰めたし、シオンとアヤネが提示した攻略法はしっかりと理が通っていた。ならばあとは、成功することを信じて待つしかない。
「さて。あとはどう出るかね、カラミティ・ジェイルよ」
レイウォンは気を抜くことなくメイスを握りしめる。
深々と傷つけられたはずの病衣の女は、その肉体を雷でつなぎとめるかのように連続で放電を行う。
やがて五体満足になった彼女は、ヨロヨロと右手を前に掲げてみせた。
次の瞬間、これまでとは質の違う紫電が走った。
まばゆいスパークが止むと、そこには一振りの刀剣が握られていた。
「ちっ。おいおい、なんつーもん出してきやがる」
苦笑いを浮かべながら、レイウォンはその宝刀を見据える。
――それこそは、菅原道真が
名を、『
日本刀の祖として伝えられる伝説の刀工、天國。その天國が作ったとされる宝刀を、菅原道真は佩刀していたとされている。その刀は、鞘から抜くと豪雨を呼び起こすという逸話を持っている。
先程までの量産品とは明らかに違う情報密度の日本刀は、おびただしい魔力を放出しながら豪雨を巻き起こす。
雷撃に暴風、そして豪雨。
いくつもの災害に見舞われながら、病衣の女はゆらりと日本刀を構えてみせた。そこに知性は感じられず、ただ機能として攻撃行動を取っているようだった。
「ガハハ! たく、一筋縄じゃいかねぇな」
豪快に笑って見せながら、レイウォンもまたメイスを構える。
そして、全身から情報圧をほとばしらせながら言った。
「暴風には風神、雷撃には雷神――さて、そこに豪雨とくらぁ、太陽を見せるしかないなぁ」
それは、レイウォンが持つ『戦争』の因子を停止させることで初めて機能する因子。
レイウォンのファントムとしての原始は、ひどく強引な解釈によって複数の因子をつなげている。その中でもその『太陽』の因子は、最も原始との相性が悪い因子だった。
太陽神のその力は、己が身を焼く諸刃の剣だ。
高温に血肉を焼きながら、レイウォンはカラミティ・ジェイルに突撃した。
日本刀とメイスを切り結ぶ。
それだけで空間は震撼し、衝撃波が撒き散らされる。ただの機能として攻撃を繰り返す病衣の女と、それを止めるために身を焼くレイウォン。
二つの亡霊は互いを食い殺すかのように刃を重ねた。
※ ※ ※
そして――
久能シオンは、自身が作成した霊子庭園に降り立った。
それは白い空間だった。
なにもない真っ白で広大な地平。あきほと最初に遊んだ時に作られた広大なフィールドは、殺風景でじわじわと精神を追い詰めていく。
地面に足を付けたシオンは、軽く周囲を見渡したあと、ゆっくりと歩き始めた。
やがて、何もない土地に景色が付き始める。鉄の壁に、高性能なコンピュータと実験器具。それは機材が敷き詰められた研究所へと移り変わっていった。目の前に現れた扉を開けると、見覚えのある応接室にたどり着いた。
そこに、一人の女性が座っていた。
「可愛らしいお客さんだね」
長い黒髪を無造作に結んだ、化粧っ気のない女性だった。白衣を纏ったその人物は、シオンのことを見るとニコリと笑った。
「ふふ。こうしてみると、やっぱり子供だね、シオンお兄ちゃん」
「よしてください、逢沢さん」
今はあなたの方が大人です。
そうつぶやくと、逢沢あきほはクスクスと笑った。
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