その5 疱瘡神と健康保菌者
専攻は病理学。伝染病の霊子化という研究は、それまで霊子技術を知らなかったレイウォンにとって非常に刺激的で、あっという間にのめり込んだ。
霊子戦争が始まったばかりの頃に企画されたトキノエ計画は、戦況が激しくなるごとに重要度を増していった。
霊子戦争が始まってから人類は総人口を一割減らし、史上最大の危機に直面していた。人類はアウトフォーマーへの決定打を求めてあらゆる施策を行ったし、それに伴って後ろ暗い研究も増えてきた。
その女が被験体としてトキノエ計画に参加してきたのは、レイウォンが十八歳の時。トキノエ計画が始動してから二年後のことだった。
「はじめまして、方博士。逢沢あきほと申します。今日からよろしくお願いします」
その時点で二十六歳だったあきほは、八つも年下のレイウォンに対してへりくだった態度を見せた。そこには立場以上の敬意があり、以降六年間、彼らは師弟のような関係を続けることになった。
「逢沢。アンタは被験体であると同時に研究者でもあるが、じゃあ研究の面でアンタはどんな利益を俺に与えてくれるんだ?」
「色々ありますよ。先生の負担を減らすくらいなら、容易いことです」
あきほは被検体だったが、同時に魔法技術の研究者でもあった。自身の肉体の状態を誰よりも正確に把握し、それを元に研究データを纏める。それを元に、レイウォンは研究の方針を固めるというのがパターンとなっていた。
逢沢あきほはいわゆる超能力者だった。
生体電気の操れる特異体質。それは魔法的に言えばパーソナルギフトであり、多くの可能性を持つ強力な能力者だった。
電気を放出するだけにとどまらず、電気分解に寄る化学反応や、電磁誘導からの磁力操作、生体電気を掌握することによる身体能力の向上、果てには、病原菌の不活性保菌と言った様々なことが可能だった。
彼女の能力を更に発展させ、同様の力を持つ霊子生体を発生させることが、レイウォンが携わった研究の一つとなった。
「方先生、方先生。次は何をしましょうか?」
あきほは天真爛漫な女性だった。
昔のレイウォンは、自身の才能を鼻にかけた傲慢な所があったが、あきほと触れるうちに次第に温和な性格になっていった。
人体実験じみた日々の研究にも泣き言一つこぼさず、笑顔を絶やさずに毎日話しかけてくるあきほに、レイウォンは次第にほだされていった。
「逢沢。これなんだが、どう思う?」
「はい! 方先生。こういうのはどうでしょう?」
二人はいいコンビだった。
トキノエ計画の『伝染病を霊子化する』という目的において、魔法的な視点を持つあきほと科学的な視点を持つレイウォンは相性がよく、他の研究チームよりも多くの結果を出した。
その最大の成果と呼べるものが、姜緋槭の召喚だった。
中国神話における最後の怪物『蚩尤』。
「お前たちの思惑は分かった。だが、私はあくまで兵器だ。人を生かすために使おうなどとは思うな」
召喚された直義に緋槭はそう宣言したが、計画には協力的だった。
アウトフォーマーとの戦いは激しくなる一方だったが、人類も少しずつ攻勢に出るようになった。魔法デバイスの開発、魔法式の効率化、そして社会の裏に隠れていた魔法の大家が表舞台に出ることで、次第に戦況は変わっていった。
そんな中、大きな転機となったのは、人体の霊子化に成功した『銀の弾丸』の存在だった。
アルバート・ウルフラム。
アウトフォーマーとの交戦により人体の六割を消失し、代わりに霊子細胞と融合して生き延びた前代未聞の存在。
姜緋槭の召喚以降、大きな成果を出すことが出来ていなかったレイウォンとあきほにとって、この報告は衝撃だった。
「方先生。コレですよ」
明るい普段の雰囲気は鳴りを潜め、覚悟の決まった眼差しであきほは言った。
「わたしをファントムにしてください」
どうせ実験体なのです。
だったら――わたしを使いましょう、と。
逢沢あきほは、自ら人間をやめることを提案した。
※ ※ ※
「カラミティ・ジェイルの原始は『菅原道真』で間違いない。このあきほって子は、カラミティ・ジェイルの端末だ」
焼き魚を雑に頬張りながら、シオンは結論から話した。
「あきほが作った霊子庭園では、清涼殿や太宰府天満宮が内部まで精巧に再現されていた。しかも清涼殿では、落雷の再現まである。あれは完全に、雷神伝説が元になっていると思う」
「でも、どうしてそのガキがカラミティ・ジェイルの端末だって言い切れるの? まったく関係ないガキかもしれないじゃない」
アヤネも同じく焼き魚を食べながら、近くのソファーで寝転がっている童女を見やる。その視線に気づいたあきほは、「えへへー」と笑いながらお行儀悪く焼き魚を丸呑みにする。
海岸からレイウォンが獲ってきた種類もわからない魚を食べながら、シオンとアヤネは議論を深めていく。
「あきほと遊んだ後に、ドローンで外を確認したら、カラミティ・ジェイルがわずかに活動している形跡があった。あきほが霊子庭園で行った活動が、そのまま双葉列島に反映されている」
研究所内には様々な機器が当時のまま残されていた。それらを使って、シオンも出来る限りの調査を行っていた。
「あきほにも聞いてみたけど、たまに一週間くらい休眠するらしい。多分、それがそのままカラミティ・ジェイルの活動期間なんだと思う」
「なるほどね」
アヤネは納得したようにうなずくと、顎に手を当てて考察をすすめる。
「ってことは、カラミティ・ジェイルの活動は、アウトフォーマーとしての食事みたいなものなのかもね。雷撃は単純な破壊じゃなくて、物質を情報に分解する手段ってところかしら。そうすると、島の被害状況に秩序らしいものがあるのも納得だわ」
テーブルに置かれた焼き魚を食べ終わったところで、「ほら、追加だぞ」とレイウォンが扉を開けて大皿を取り替えた。小魚の唐揚げが乗せられた大皿に、三人の子どもたちは群がるように手を伸ばした。
「でもそれじゃあ、なんで雷神なのかしら? さっきも言ったけど、トキノエ計画の主軸は伝染病のファントム化なのよ。天然痘と雷神って、関係ないと思うんだけど」
同じ災害でも、天候と伝染病では大きく違う。これが火災などの二次被害につながる能力であればアヤネも納得するのだが、いまいちピンとこないのだった。
しかし、そんなアヤネの疑問に、シオンは信じられないものでも見るような顔をする。
「……アヤ、それ本気で言ってるのか?」
「何よ。それなら、シオンはもう見当付いてるの?」
「見当も何も……。菅原道真には疱瘡神の逸話がある」
シオンのその端的な回答に、アヤネは目を丸くして言葉を失った。
疫病神の一種で、主に天然痘を神格化した概念である。
日本において
それと関連付けられて、大宰府に左遷された道真の怨念が疱瘡の流行を引き起こした、という逸話が存在している。
「そもそも菅原道真の死後の祟りとしては、落雷より政敵の病死の方が先だし。当時の流行病と言ったら大半が天然痘だから、すぐに分かると思うんだけど……」
「う、うるさいうるさい! 悪かったわね、資料の読み込みが甘くて!」
一応アヤネも雷神伝説については調べていたが、どちらかといえば落雷被害の検証の方が多かった。カラミティ・ジェイルが雷雲のレイスだと思い込んでいたからであるが、そうとわかっていればもう少し伝承について調べておくべきだった。
必死で怒鳴り散らすアヤネを見て、レイウォンが笑いを堪えるように口元を抑えていた。この野郎、さっきは知ってて黙ってやがったな、とアヤネは苦虫を噛み潰す。もちろんセキュリティがあって話せなかったのかもしれないが、内心では大笑いしていたのだろう。
バツが悪そうにすまし顔をしながら、アヤネは気を取り直していった。
「でも、これで確定ね。カラミティ・ジェイルの火雷天神の原始は、菅原道真公の雷神伝説、それなら、あの倒し方が使えるわね」
「ああ。準備は始めてる。実験は必要だけど、僕らが万全になれば問題ないはずだ」
「そう。ならあとは別の問題ね」
もともとはテオに連れてこられたとはいえ、シオンとアヤネは何も無策でこの島に来たわけではなかった。火雷天神という名前から雷神を倒す方法は考えて来ている。
しかし、その『倒す』というのが、何を指すのかが問題だった。
「カラミティ・ジェイルを倒すっていうのは、このガキを殺すことなの? そのあたりどうなのよ、レイウォン」
アヤネは殺意のこもった目をあきほに向けるが、当のあきほは不思議そうに小首をかしげるだけだった。これほど手応えがないと、身構えているこちらが損である。
無邪気に小魚を頬張るあきほの隣に座りながら、レイウォンはアヤネの質問に答える。
「結果としてはそうなるかもしれんが、あくまで倒すのはカラミティ・ジェイルだ。シオンの言う通り、あきほはただの端末だから、ここで直接殺したところで意味はない」
そんな物騒なことを言いながら、レイウォンはあきほの頭を優しく撫でる。あきほはくすぐったそうに目を細めた後、気持ちよさそうにもたれかかって船を漕ぎ始めた。
今まさに自分を殺す相談をされているにも関わらず、あきほはレイウォンを信頼しきっている。そんないびつな光景を前に、シオンは確認するように尋ねる。
「つまり、あきほが休眠して、カラミティ・ジェイルが活性化している時に本体を倒す、って事でいいんだよな? もし倒せたとしたら、あきほはどうなるんだ」
「消えるさ。それが俺の目的だし、あきほのためでもある」
小魚の唐揚げをつまみながら、レイウォンはあっさりと言った。
「アヤネはすでに知っているから言えるが、俺とあきほは元々トキノエ計画の研究者だった。そんで、霊子戦争の末期に自分たちを被検体にして計画を実行した。その結果が、暴走してレイス化した奴と、出来損ないのファントムってわけだ」
「……じゃあそのガキは、本当にデータにあった逢沢あきほっていう研究者なの?」
記録によると、逢沢あきほは二十六歳の女性だった。それはトキノエ計画に参加したときの年齢なので、実際はもう少し上だろう。それがどうして童女の姿をしているのか。
「アンタの趣味?」
「ガハハ、面白いこと言うな。まあ、娘がほしいとは思っていたけどな」
どこまで本気なのか、あきほを膝に寝かせながら、レイウォンは続けて言う。
「逢沢は最後にアウトフォーマーと通じてて、半ば乗っ取られるような形だったからなぁ。正直何が起きたのかは定かじゃない。結果としてカラミティ・ジェイルが発生したし、この島にはこの子が生まれて、二十五年間住み着いている。終戦しても地上に残ってるアウトフォーマーは何人かいるみたいだが、あきほもその一人だ」
「カラミティ・ジェイルの活動範囲は、昔は本土まであったみたいだけど、その頃からずっとこのガキはこの島にいるってこと?」
「ああそうだよ」
鷹揚にうなずいてから、レイウォンはあきほの頭を撫でる。
「俺がこの子を発見したのは、カラミティ・ジェイルが発生してから三年後だった。終戦のゴタゴタでなかなかこの島に近づけなかったんだが、帰ってきてみたらこんな置き土産があったもんだからびっくりしたもんだ」
レイウォンは昔を思い出すように目を細める。
「俺が霊子融合体になったのは、そもそも逢沢の暴走を止めるためだった。そのために保管していた因子を持ち出して無理やり融合させたら、俺自身が暴走して死にかけたんだよ。その因子を安定させるために、世界中を駆け回って霊子災害を取り込んでいった」
「なら、レイウォンの原始ってのは、いくつかの逸話が組合わさってるってことか?」
「大本になる神話由来の原典はあるけどな」
シオンの質問に、レイウォンはあっさりとうなずく。
「それでも無茶苦茶な融合だったからか、かなり燃費が悪い。加えて、普通のファントムだったら霊体でも移動はできるが、俺の場合は生身があるから魔力が尽きたらその場でしばらく動けなくなる。その2つが、俺がカラミティ・ジェイルを単独で撃破できない理由だ」
霊子融合体は、生身の肉体を霊体化させる研究である。生身の肉体がなくなるわけではないので、他のファントムができるように電子化してデバイスに潜り込むようなことは、霊子融合体にはできない。
霊体は物理攻撃が効かなくても事象の改変は影響を受ける。魔力が尽きて霊体になってしまった場合、ファントムやレイスから攻撃を受ければなすすべもなく消滅するだろう。
だからこそ、レイウォンはバディを求めていた。
「バディになってくれそうなやつを探して島と大陸を何度も往復してたんだが、条件に見合うやつはそうそういなくてな。そもそも俺の霊体を維持するための大量の魔力と、一緒に戦って足手まといにならない程度の魔法能力。あとは、立入禁止地帯に入ってくれそうな頭のおかしいやつ、なんていう条件を満たすエリートはそうそういるわけなくてよ」
「そんなところに、私達が来たってわけ」
そりゃあ千載一遇のチャンスと言うのもうなずける。
アヤネとシオンは子供とはいえその実力は大人顔負けだ。魔力総量に関しては一流とまでは行かないが、二人合わせれば十分すぎる量を供給できる。そう考えると、二人の存在は適任と言えるだろう。
「バディ探しをしているときに、お前ら神童の噂は耳にしてたからな。正直ダメ元だったんだが、思った以上の掘り出し物だったよ。雷神殺しの手段を持ってるっつーのが何より好都合だ」
心底嬉しそうにそう言いながら、レイウォンは頭を下げる。
「改めてよろしく頼むぜ、アヤネにシオン。カラミティ・ジェイルの次の活動日は二日後だから、それまでゆっくり休んでくれ。本番では、ちゃんとお前らをカラミティ・ジェイルの本体まで連れてってやる」
「それなんだけどさ」
そこで、シオンが手を上げて口を挟んだ。
彼はちらりとアヤネの方を見た後、微かにためらうような様子を見せながら言った。
「連れて行くのは僕だけにして欲しい」
「ん? そりゃどうしてだ。アヤネはどうするんだ」
不思議そうに聞くレイウォンに、シオンは平淡な口調で答えた。
「アヤは留守番で」
「はぁ!? 何言ってんのアンタ」
シオンの言葉に、アヤネがキレた。
※ ※ ※
カラミティ・ジェイルの活動開始まで一日。
この一日という猶予を、シオンとアヤネは雷神対策に費やした。元々用意していた策を万全にするため、何度か霊子庭園を展開してシミュレーションを行った。幸い、研究所の機材はレイウォンが整備していたためすべて使うことができた。
あきほは、自分が倒されると知っていながら、まるで遊びに付き合うようにシオンたちの雷神対策に付き合った。
時刻は夜の九時。
冬の星空の下、研究所の屋上にいたシオンにレイウォンが声をかけてきた。
「おう、こんなとこにいたのか、シオン」
シオンは小型デバイスを使って魔法式のシミュレーションをしていた。レイウォンの声に気づいて視線をやると、彼は近づいてきてそばに座る。
「こんなに寒いのにどうした。緊張でもしてんのか?」
「……まあ、それなりに」
ぶっきらぼうに答えながら、シオンはデバイスに視線を落とす。
そんな素気ない態度を取られながらも、レイウォンは気にした風もなく正面から向き合う。
「明日が本番だと考えると身構えもするが、そう気負うな。お前らの実力は十分に見せてもらったからな。大丈夫なのはこの俺が保証する」
「……アンタ、こんな子ども相手でも評価してくれるんだな」
レイウォンのまっすぐな言葉に、シオンは愚痴るように言った。
「大抵の大人は、僕たちが何かをしようとしてもまともに取り合ってくれなかった。僕はともかく、アヤですらそうだ。大人に認めさせるには、同じ大人の後押しが必要だった」
「無理もないさ。大人ってのは見栄とハッタリで生きているようなもんだ。舐められないためには認めないというのが一番効果的なんだ」
「くだらないよ、そんなの」
冷めた目をしながら、シオンは作業の手を止めてつぶやくように言う。
「見栄もハッタリもくだらない。そんなの、本物の前じゃなんの意味も持たない偽物だ。なのに、アヤはそんな偽物に邪魔されて活躍できない。そんなの不条理だ」
「だから、実力を見せつけようって思ったのか?」
レイウォンの言葉に、シオンは驚いたように顔を上げる。
大人びた少年の子どもらしい反応に、レイウォンはニヤニヤと小憎らしく笑った。
「アヤネも似たようなこと言ってただけだ。ま、お前らみたいな有能な子どもが考えることなんていつの時代も同じだ。お前らが特別なわけじゃねぇ」
クツクツ、とからかうように笑いながらレイウォンは言う。
「不理解な大人を見返すために手柄を立てる。実に若者らしい青臭さだ。その向こう見ずさは懐かしすぎてなんだか気恥ずかしくすら感じるぜ。最も、俺ですら十代半ばだったのを、こんな若さでやるのは素直にすげぇと思うがな」
「……アンタにもそんな時があったのか?」
「ああ。今思えばくだらない反抗心だったさ」
シオンの質問に、彼は遠くを見るように目を細める。
「頭の良さを鼻にかけて、見返してやるために非合法な研究に没頭した。自分が戦争を終わらせるんだって躍起になったけど、それは義憤じゃなくてくだらないプライドを満たしたいだけだった。その果てがトキノエ計画だったわけだ」
「くだらないって、そう言うんだな」
「俺の場合は、だぜ」
強調するようにレイウォンは言う。
「ご覧の通り、生きてるとも言えなけりゃ死ぬことも出来ない失敗作だ。こんな結末なんてくだらないとしか言いようがないさ」
そこで一拍おいて、レイウォンはシオンの目を見つめる。
「けど、お前さんたちがどうなるかはまだわからないぜ。いつの時代も、英雄ってやつは無謀なことを成し遂げたからそう呼ばれるんだ。お前らが社会を見返すことができりゃ、その時は誰にもくだらないなんて言わせねぇさ」
「…………」
レイウォンの言葉を噛みしめるように黙り込んだシオンだったが、やがてポツリと呟くように言った。
「アヤは、命を狙われてる」
「……ほう。そりゃどういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ」
怪訝な顔をするレイウォンに、シオンはあくまで淡々と言う。
「アヤの研究成果が発表されると困るやつがいて、そいつが殺し屋として魔法士を雇ったんだ。でもアヤは強いから、それを返り討ちにしちゃった」
「ガハハ! あの嬢ちゃんらしい。それでどうなったんだ?」
「次はファントムが殺しに来た」
「…………」
流石に軽口は消え、レイウォンは言葉を失う。
そんな彼を前に、シオンは内心の憤りを抑えながら続けた。
「流石に今度は問題になってさ。アヤの母さんが警視庁に勤めてるから、その伝手で護衛を付けてもらったんだけど、同時に僕たちの活動も休止するしかなくなった。大人からも監視されるようになって、自由はなくなったんだ」
だから、と。
十歳の子供とは思えない底冷えするような声で、シオンは言った。
「見せつけるしかないと思ったんだ」
「……何をだ?」
「実力を。もし僕たちに敵わないって相手が思えば、これ以上邪魔されることはないだろうってアヤは言った。邪魔しても無駄だって思わせなきゃ駄目だ。だから、到底不可能なことをやらなきゃいけない」
「それが、S級霊子災害の討伐、ってわけか」
十歳の子どもたちが無謀なことをする理由がそこにあった。
年齢なんて関係ない。
ただ見せつけたかった。ただ認めさせたかった。ただ――示したかった。
そんな恐れ知らずの承認欲求を抱くくらいに、二人の神童は早熟していたのだ。
やることは大仰だが、それでもやはり彼らは子どもだ。大人に歯向かおうと必死で牙を剥くその意固地さは、レイウォンにも覚えのあるものだった。
彼にはその必死さを笑うことは決して出来なかった。
だから、レイウォンは同じ男としてその気持ちに共感を示した。
「シオンは、アヤネのことが好きなんだな」
レイウォンがそう話をまとめると、シオンはちいさくコクリとうなずいた。
「アヤは僕を連れ出してくれた。だから、アヤのためになりたいって思う」
「気持ちはわかるぜ。男は惚れた女のためだったらなんだって出来るからな。自分が危険な目に合うとしても、それで好きなやつが助かるんなら本望だ」
レイウォンの脳裏には、かつて自分を『先生』と慕った女性の姿が浮かんでいた。
その気持ちは果たして恋だったのか。
今となってはわからない。
そしてそれは、シオンの方も同じだった。
レイウォンの言葉に、シオンは目をそらしながら言った。
「アンタもやっぱり反対か? 僕だけがカラミティ・ジェイルに挑むの」
「いんや。そんなことはねぇさ」
レイウォンはあぐらをかいてシオンを正面から見つめる。
「お前らの雷神対策を聞く限り、一人でも十分だとは思うし、何より嬢ちゃんを連れて行かない理由も納得できる」
レイウォンの視線から逃げるように、シオンは目を合わせようとしない。
そんな態度でありながらも、シオンははっきりと自分の意見を口にする。
「アヤはまだ病み上がりだ。あいつはもう治ったと言ってるけど、魔力で無理やり免疫を上げているだけで、再発する可能性が高い。それよりは、ワクチンで抗体が作られている僕の方が、感染の危険は低い」
「腐ってもレイスの能力だからな。物理的に治せたとしても、概念で上書きされる可能性がある。特にアヤネは一度感染したという穢れがある以上、抵抗力は下がっているだろうな」
魔法には神秘性と顕在性という概念がある。
神秘性とは事象の改変が持つ概念的な強さ、顕在性とは実世界における理屈の強度である。
天然痘で例えるならば、撲滅されたという事実が顕在性で、かつて猛威を奮った歴史が神秘性である。
仮に天然痘を感染させる異能者がいるとして、ワクチンや抗体の概念をぶつければその能力をあっさりと解呪することはできるだろう。しかし、ワクチンがない状態や、かつて感染したことがあるという事実があれば、顕在性は極端に下がり、代わりに相手の神秘性が高くなる。
魔法による事象の改変は、あくまで現実の情報をベースにするため、どうしても事実に縛られるのだ。だからこそ、極端に強力な能力には何らかのカラクリが存在する。
「カラミティ・ジェイルの元になった逢沢あきほは、天然痘に感染していたんだろ? しかも健康保菌者だった」
「ああ。それが、逢沢がトキノエ計画の被検体に選ばれた理由だった」
健康保菌者。
あるいは、無症候性キャリア。
病原菌に感染していながらその症状が出ない特異体質のことで、様々な感染症でその存在は確認されている。
この特徴を持つ人間のもっとも恐ろしいところは、無自覚のうちに病原菌を伝染させる危険性があるところだ。
「逢沢は異能者でもあったから、自覚的に感染を抑えることができていた。けれどそれは、同時に自覚的に人に感染させられる、ってことでもある」
逢沢あきほは生体電気を操作する超能力者だった。
彼女はその能力を使って自身の肉体を完全にコントロールし、病原菌すらも保菌していた。
彼女がどこでそれを保菌してきたかは定かではないが、天然痘のキャリアだったことがトキノエ計画に参加するきっかけだったのは確かだった。
「現代じゃあ、天然痘の抗体を持ってる人間はほとんどいないからな。仮にパンデミックが起こったら、ワクチンが供給される前に相当数の人間が死ぬだろうよ。その仮定が成り立つ限り、カラミティ・ジェイルの神秘性は維持される」
だからこそのSランク判定。
世界魔導協定が常に監視をせざるを得ないほどの危険性を持つ、最凶のレイスである。
「そういう意味じゃ、唯一あいつに優位を取れるのは、抗体を持ってるお前だけになる」
感染する前にワクチンを打ったシオンには、すでに天然痘の抗体が出来ている。
レイウォンの言う通り、今のシオンはカラミティ・ジェイルにとって天敵と言えるだろう。
「……あんたは、成功率はどれくらいだと思う?」
「かなり高いと思うぜ? 少なくとも、お前が準備してる『アレ』の完成度はかなり高い。カラミティ・ジェイルの本体と一騎打ちになれさえすれば、ほぼ勝てるだろう」
そして、その一騎打ちの状況を作るのが、レイウォンの役目である。
活性化した雲の牢獄をかき分け、シオンを雷雲の中枢にまで送り届ける。それが出来るのは、風神の力を持つレイウォンだけである。
「不安があるとすれば、緋槭のやつがどう動くかだな」
「ヒシュク……セプタ・チュトラリーの『蚩尤』だよな」
二日前に海岸で交戦した、牛の面をつけたファントムのことを思い出す。
「そっか、カラミティ・ジェイルが活性化すれば、必ず妨害に来るよな」
「ああ。あいつと目的は一致するんだが、俺たちが倒そうとしていると言っても信じるとは思えないからな。カラミティ・ジェイルを下手に破壊すると、天然痘がばらまかれる。それを緋槭は知っているから、絶対に止めようとするだろう。だからまあ、足止めが必要になる」
「……アヤにやらせるつもりか?」
「心配するな。嬢ちゃんを危険に晒すつもりはねぇよ」
凄んで見せるシオンに、レイウォンは苦笑しながら答える。
「ただまあ、手伝ってはもらった方が良いかな。シオンをカラミティ・ジェイルの本体にまで届けたら、すぐに戻って嬢ちゃんと一緒に『蚩尤』を迎え撃つ。これが一番だろう」
「そんなにうまくいくか?」
「戦力が足りない以上仕方ない。せめてもう一人ファントムがいりゃあ、シオンが本体を相手している間も援護できるんだが――」
それは決して敵わない望みであり、あくまでレイウォンはたとえ話で口にしたつもりだった。
だが、それを聞いている人物が一人だけいた。
「その話、僕が乗ってもいいかな?」
浅黒い肌に長い黒髪の少年。
東洋風の白い民族衣装を着た彼は、足元に突き立てた大鋏に寄りかかりながら立っていた。
「きっと役に立ってみせるよ!」
テオという名のファントムは、大仰に両腕を広げてそんなことを言った。
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