その4 アウトフォーマーについての仮説
「おにいちゃん、おなまえ、しおん?」
「あー、うん。そうだよ」
自分の中にある愛想を必死でかき集めながら、シオンはなんとか子供向けの笑顔を取り繕う。もっとも普段が仏頂面な少年なので、その笑顔はいびつに引きつっていたが、努力は認めてあげるべきだろう。
そんな年上の少年の内心など気にもせず、あきほは無邪気に話しかけてくる。
「あきほはね、おなまえ、あきほっていうの! あとねあとね、あいざわ、っていうの」
「……『あいざわあきほ』、か。元になったのは日本人なのかな」
童女特有の舌っ足らずな言葉遣いで話すあきほを見ながら、シオンは疑問を覚える。
端末となる情報体のみをこの世界に送ってくる、情報密度を持たない霊体。彼らは存在の維持のために、地上のあらゆる物質を喰らって吸収する。そうしてこの次元への適正を得るまで侵略を続けるのが、アウトフォーマーだ。
この童女の特徴は、知識として知っているアウトフォーマーの特徴と一致する。
今にしても、掴まれているシオンの服の裾は、徐々に情報体に分解されて吸収されかけている。影響がこの程度で済んでいるのは、彼女がまだ幼いため、力が弱いからだろう。
「そうだ! おにいちゃん、おにごっこしよ!」
「……良いけど、部屋の中であんまり暴れたら危ないぞ」
持ち主はもう居ないだろうが、この応接室は高価そうな壺や家具が置かれている。心理的抵抗として、こんなところで走り回るのは御免被りたい。
そんなことを思うシオンに対して、あきほは飛び上がるように立ち上がりながら言った。
「だいじょうぶ! おへや、よういするから!」
「部屋を用意する?」
何を言っているのかすぐには理解できなかったが、結果はすぐに目の前に現れた。
あきほがぐっと背を反らせると、それに呼応するように空間が広がったのだ。
まるで閉じていた壁が全て取り払われたかのように、地平線の向こうまで真っ白な景色が続いて行く。
それは、目の前の景色が塗り替えられたかのような変化だった。
応接室だった空間は跡形もなくなり、真っ白な地面に真っ白な地平線が眼前に広がった。唯一空だけが青く、心細さよりも開放感を覚えるような空間が作られた。
「な……。霊子、庭園……」
今の一瞬で、地平線が見えるほど広範囲の霊子庭園が展開されていた。肉体も強制的に霊子体へと転換されており、自分で作成するときよりも性能が上がっているのを感じる。
唖然としているシオンを横に、あきほは我慢しきれないのかその場で飛び跳ねると、急かすように言った。
「いくよ、おにいちゃん! あきほをつかまえて!」
おーにさーんこーちらー。
そう言いながら、あきほは飛ぶような勢いで白い空間を駆けていった。あまりのスピードに、またたく間に後ろ姿が見えなくなる。
「ちょ、ま……」
この何も無い白い空間で姿を見失ったら、見つけるのは至難の業だ。
シオンは全身の魔力を励起させると、地面と接続して自身の触覚を拡張する。地面に響く微細な振動を感知し、あきほを見失わないように魔法式を組み立てていく。これくらいの単純な魔法であれば、今の彼ならばデバイスなしでも即興で組み上げられる。
またたく間に一キロ先まで逃げていったあきほは、まるでシオンを待つようにその場で飛び跳ねていた。
その動きの振動を一つ一つ感じ取りながら、シオンは身体に強化を施して追いかける。自動車くらいのスピードで追いかけてくるシオンを見て、あきほもまたスピードを上げて逃げ始める。
「おとなしくしろ!」
「あははははははははは!」
あと少しで追いつきそうだが、捕まえようとすると腕をかいくぐるように避けられる。
ならばと、シオンは脳裏で魔法式を改変し、感覚をつないでいる地面に向けて魔力を注ぎ込んだ。
白い地面が隆起し、逃げるあきほの進行方向を塞いだ。
「わ!」
驚いたように急停止したあきほは、勢いを殺しきれずに転びそうになる。それを抱きとめようとしてシオンは身を投げだした。
だが――その時、あきほはいたずらっぽく無邪気に笑った。
「おにーちゃん、だーめだよ!」
瞬間。
あきほの周りを落雷が襲った。
立て続けに落ちる雷撃は、地面を破壊して土砂を巻き上げる。
続けて、白い地面から何本もの角材が立ち上り、格子状に形をとった。地面から木材が生えてくる様子は、まるで大地に杭が突き立てられるようにも見えた。
シオンは目の前に現れた角材の格子に激突し、目を白黒させた。
「いってぇ……、って、ぇえ……?」
痛みを堪えながら顔を上げるとともに、シオンは驚愕の表情を浮かべることとなった。
一言で言えば
屋根は檜を使った
平安京にて内裏に存在したその御所は、帝の日常住まいや神事を行うための建物である。
典型的な寝殿造のその建物の名は、『
たまたま知っていたその建物を、シオンはあっけにとられて見上げた。
「ふっふーん! おーにさん、こーちら!」
突如として出現した中世初期の日本家屋を前に、あきほは「あはははは!」と甲高い声で笑いながら建物の中へと入っていく。
「くっそ、待てこの!」
弄ばれているのを自覚しながら、シオンは意地になって追いかける。
襖を開けて家屋の中へ。畳が敷き詰められた大広間の中を、あきほは縦横無尽に駆け巡っている。
壁走りをするその身体能力は明らかに人外のもので、身体強化を施したシオンでもついていくので精一杯だった。
このままではジリ貧だ。
いくつもの部屋を移動して追いかけっこを続けながら、シオンは決め手となる魔法式を組む。
「『インクルード』『
木造建築ならば火の通りは早いだろうと考え、神話由来の概念の炎を作り出した。幻想の炎は木材を媒介にして、瞬く間に部屋全体を覆って逃げ場をなくす。
次の部屋に向かおうとしていたあきほは、目の前を炎の壁が塞いだことで立ち止まる。シオンが生み出した炎は、精神のみを焼く幻想の灼熱である。生身であれば簡単に突破できるが、霊子体では振り払うのにも難儀するはずだ。
さあ、これで捕まえた。
そう一安心しかけた時だった。
「えへへ。ねえ、おにいちゃん。これすごいね」
「……別にそんなにすごいもんじゃない。こんなのは偽物だ」
「そっか」
謙遜するシオンに、あきほはなんとも言えない返答をする。幻想の炎を見上げる彼女がどんな表情をしているのか、後ろにいるシオンにはわからない。
やがて、あきほは手を後手に組むと、踊るように振り返った。
「じゃあね、あきほがもっとすごいの見せてあげる」
彼女の周囲に青白い放電が起こった。
周囲の魔力が励起し、情報圧が高まっていくのがわかる。
火花を散らす放電は彼女の髪の毛を浮かせ、無邪気な笑みを凶暴そうな影で色付ける。
その姿を見て――シオンはハッとした。
「清涼殿……まさか!」
――この建物のことを、シオンはたまたま知っていた。
平安京の内裏に作られた御殿。日本史に精通していれば一度は目にしたことがあるかもしれないが、ひと目でそれと分かるには相当詳しくないと難しいだろう。
シオンがそれを知っていたのは、つい最近それを調べたからだ。
清涼殿落雷事件。
延長8年6月26日。平安時代に起きた、日本史に刻まれる災害事件。
それは、
「にげ……!」
即時の判断で身を引いた、その時だった。
――落雷が建物を直撃した。
雷電流によるジュール熱が木材を破裂させて弾け散る。
建物内の水分は一瞬で蒸発して水蒸気爆発を起こし、可燃性の木材や障子は瞬く間に発火して火の手が上がる。それはシオンが生み出したような幻想の炎ではなく、紛れもない本物の火炎だった。
落雷と爆発の衝撃で吹き飛ばされたシオンは、裂けた壁を突き抜けて屋外へと放り出される。
「あ、ぐぅ……」
満身創痍になって地を這いながら、炎上する清涼殿を見上げる。
火の手は瞬く間に広がり、あっという間に建物の支柱を焼き尽くして倒壊していく。黒ずんで炭化した木材だけが残った焼け跡の中心に、一人の童女が立っていた。
「ふっふーん!」
両手を腰に当てて、まるで誇るように胸を張ったその姿。
可愛らしい童女のその顔をしたその化け物の正体に、ようやく思い当たった。
「火雷、天神……」
カラミティ・ジェイルの火雷天神。
逢沢あきほ。
落雷のレイスが目の前に居た。
ブラックアウトは一瞬だった。
おそらく霊子体が崩壊したのだろう。微かな倦怠感を覚えながら起き上がると、そこは直前まで居た応接間の絨毯の上だった。
生身に戻ったシオンの目の前に、満足そうな顔をしたあきほが仁王立ちしていた。
「えへへ! あきほの勝ち!」
「……いつからバトルになったんだよ」
追いかけっこじゃなかったのか、とぼやきながら、シオンは今見た光景の壮大さに圧倒されていた。
広大な霊子庭園と、一つの建造物を逸話ごと再現するその能力の高さ。焼け落ちる清涼殿の生々しさは、まるで史実の中に放り込まれたような衝撃があった。
あれ程の霊子庭園を現代で展開しようと思ったら、事前にモデリングを作ったとしても、増幅器有りで魔法士数人がかりでないと難しいだろう。
それを単独で作り上げる化け物が、今目の前で無邪気な顔をして立っている。
「なあ、あきほ。他になにか、作れるものあるのか?」
「んー? 他に?」
あきほはキョトンと小首をかしげた後、パァッと顔を輝かせて両手を上げる。
「あるよ! とっておきの」
言った勢いのまま、くるりと一回転。
それだけで、またしても応接室は異世界へと変化した。
霊子庭園が展開されるとともに、無理やり身体が霊子体に転換されるのを感じる。
今度は、目の前に巨大な
楼門から本殿までを廻廊が囲っており、境内には梅の花が咲き誇っている。本殿までの道には広い石畳が続き、両脇には石灯籠が設置されている。
梅の神紋が飾られたその神社は、
学問の神・菅原道真公を祭神とする天満宮の一つ。天神信仰の中枢を担う神社である。
「ねえねえ、見てみて!」
境内の石畳を元気よく走りながら、あきほは野良猫と戯れていた。
「この子、『ねこまる』って言うんだよ」
あきほがその野良猫を両手で捕まえると、猫の体が一振りの刀に変化する。
身の丈ほどもあるその刀を、あきほは軽々と振り回しながら無邪気に見せびらかす。
その一連の様子を見て、シオンは確信する。
(『太宰府天満宮』に『猫丸』……やっぱり、カラミティ・ジェイルの原始は菅原道真だ)
目の前にいる童女は、これからシオンたちが立ち向かおうとしているものの答えそのものだ。
それに――彼女の『遊び』は、魔法士としての鍛錬に大いに役立つだろう。
自然と頬がほころんでしまうのを感じながら、シオンはあきほに声をかける。
「次は何をして遊ぼうか」
「かくれんぼ!」
元気よく答えたあきほに、シオンは思わず笑みをこぼした。
※ ※ ※
・
・ワイルドハント――ヨーロッパ民間伝承 災禍の軍勢
・ヴァースキ――――インド神話 劇毒の海
・アポロン―――――ギリシャ神話 疾病の矢
・ヒュドラ―――――ギリシャ神話 猛毒の吐息
・ネヴァン―――――ケルト神話 毒のある女
・セクメト―――――エジプト神話 疫病の風
・ネルガル―――――メソポタミア神話 病と死の神
・ハスタリスク―――創作神話 微生物の旧支配者
『アウトフォーマーについての仮説』
かの異界人は情報体であり、現実界における肉体を持たない。この次元における物理法則は通じず、干渉をするためには霊子空間を展開するなどの霊的干渉が必要となる。
なお、一般に魔術と呼ばれる現象は、霊的干渉の一手段である。
アウトフォーマーは情報体であるが、同時に人類に限りなく近い性質を有する。
彼らは現実界に干渉する際、人類の肉体と同等の機能を有することが観測されている。それは彼らが人類を模倣して実像を結ぶからであり、知性体として近しい種族であるからと考察される。
事実として記せることは、アウトフォーマーと人類は実体という点において、性能面において同種であると言える。
無論、上位次元とつながりを持つアウトフォーマーと、かろうじて霊子空間にアクセスできる程度の人間の魔法士では、その性能には大きな隔たりがある。故に我らは霊子生体を生み出して使役することで、その戦力差を埋めようとした。
だが、我々はより効率の良い仮説を立てた。
アウトフォーマーの実体は人類の人体に限りなく近い性質を持つ。
更に明確に言えば、急所や致死性は同じなのである。
つまり――霊子空間上に限れば、人体に効果的な殺傷手段は効果を発揮するのではないか。
すなわち、利用すべきは『病』や『毒』と言ったものである。
「――なるほど、ね」
ディスプレイ上に表示された資料を読みながら、アヤネは小さくつぶやいた。
研究所のコンピュータは厳重にプロテクトがかけられていたが、彼女はそれを難なく解除して目的の資料を手にしていた。二十五年前の旧型のPCであることも意に介さず、その研究成果を余すことなく表に抽出することができた。
(まあ、資料がまとまりすぎていることを考えると、誰かさんが『見つかるように』整理していたんでしょうけれど)
部屋の隅に座るレイウォンをちらりと横目で見ながら、アヤネはわずかに嘆息を漏らす。
つまり、この情報を得る所も含めて、アヤネの実力を見ようとしているのだろう。
(試されるのは癪だけど、答えが用意されているのなら話は早い。あとは、『何を隠しているのか』にだけ意識を割けばいい)
ことここに至って、レイウォンが無害な味方であると信じるほど、アヤネは平和ボケしていない。
仮に何の裏がなかったとしても、無条件で信頼をするというのは生殺与奪権を握らせることにつながる。そんなものは協力関係ではなくただの隷属だ。
協力をするからには、互いに相手を利用するべきだ。
それこそが、久我アヤネという少女が齢十という年齢で至った信念だった。
「ひとまず、確認しておきたいんだけど」
「おう、どうした?」
「アンタ、本当にテオってファントムのこと、知らないの?」
「疑ってるところ悪いが、あいにく知らない名前だよ。俺のほうが聞きてぇくらいだ。なんだってそいつは、お前らをこんな所につれてきたんだ?」
心底不思議そうな顔をしているレイウォンの様子は、嘘を言っているようには見えない。
「俺からしても、お前ら神童との出会いは都合が良すぎるんだ。それが誰かの手引だって言われると気味が悪くもなる」
「そう? だったら手を切る?」
「まさか。千載一遇のチャンスだって言ってんだろ。それにこっちには、たとえ罠だったとしてもどうにでも出来るくらいには余裕がある。お前も好きに裏切ってくれて良いんだぜ?」
虚勢なのかそれとも本当に余裕なのか、レイウォンは試すような口調でそう言う。
飄々とした彼の反応を見ながら、アヤネは少しだけ考え込む。
(私の下手な精神感応でも、コイツが嘘を言っていないのはわかる。だとしたら、本当にあのファントムは何だったの?)
テオへの不信感だけがどんどん重なっていくが、これ以上は考察をしても堂々巡りだ。
アヤネはすっぱりと意識を切り替えると、本題に入った。
「そ。なら、話を戻すわ。トキノエ計画について答え合わせをしたいのだけれど」
「えらく早いな。もう解けたのか?」
素で驚いたような反応を見せるレイウォンに、アヤネはあくまで当たり前のように言う。
「トキノエ計画っていうのは、伝染病や毒物を利用した生物兵器で、それをファントム化させようとした事例で間違いないのよね? けれどそれだけでは、使役する人類側も同じように病毒で致死することになる。だから、この計画にはもう一つ先がある」
ただ病気や毒物を元にしたファントムが必要なら、何も人体を霊子生体化させる必要はない。その伝承を持つ神霊を召喚する研究をすれば良いのだ。
そうではなく、あくまで人間を霊子融合体にしなければいけない理由は唯一つ。
「生物兵器を使うのなら当たり前だけど、免疫や解毒の手段が必要になる。要するに、
「正解だ。驚いたな。その辺の研究データは、もうちょっと深い階層においていたはずだが」
レイウォンのセリフに、やはり研究データはまだ隠されていたかと、アヤネは目を細める。
仮に病毒を元にしたファントムを召喚できたとしても、それはファントム単独の能力であり、その性質を他に利用することは難しい。個々の戦闘において治癒の能力を使うことはできるかもしれないが、大規模な戦闘における運用は難しくなるだろう。
それに対して、人体を元にした霊子融合体であれば、情報密度を抑えながらその性質を他者に転用することもできるようになる。言ってしまえば、一人の抗体を利用してワクチンを作り出す事が可能となるのだ。
健康保菌者――病原菌を保有したまま症状を発症しない性質を持った人間を使い、伝染病を撒き散らす生物兵器とする。倫理観という言葉を足蹴にするような鬼畜の所業こそが、トキノエ計画の真相である。
「これで天然痘がメインに使われた理由が分かったわ。ワクチンがあるのはもちろんだけど、人類が一度撲滅したという神秘性が強い。となれば、免疫を持たないアウトフォーマーを一方的に虐殺できる」
「そのとおりだ。だからというわけじゃないが、トキノエ計画では基本的に、あらゆる伝染病の伝承を天然痘に置き換えて解釈することからはじめていた。敵からすれば凶悪な死の病だが、こちらにとってはすでに克服した病であることが重要だった」
そもそも天然痘は、歴史のあらゆる場面で観測されている。その感染力と致死率の高さ、そして生存した場合でもひどい後遺症を残すことなども含め、記録に残りやすい病なのだ。
そこでふと、アヤネは本来の目的に立ち返って疑問を覚える。
「……でも、それならどうしてカラミティ・ジェイルは雷神なの? 雷と天然痘に因果関係なんてあったかしら」
「……………」
「だんまりね。良いわ。それはシオンに聞いて見るから」
黙ったということは何かしら理由があるということだ。雷神の逸話については事前にシオンに調べてもらっているので、彼に聞けば分かるだろう。
それよりも、アヤネにしかできない考察を進めていくべきだろう。
「ちなみにこの研究資料だと、『
「惜しいな。確かに俺は疫病のファントムを倒すための研究体だったが、成功例じゃない。派手に失敗したもんでね。結果的にこうして形を持っては居るが、複数の逸話を掛け合わせてようやく安定したようなツギハギのファントムだよ」
「なるほどね。だからアンタは、カラミティ・ジェイルに決定打を持たないってわけか」
「ま、そういうこった」
手を頭の後ろで組みながら、レイウォンはだらしない格好で言う。
「魔力が足りないというのもあるが、そもそも俺にできるのはせいぜい抑え込むまでで、倒すことができない。だからお前さんらの手助けが必要になるってわけだ」
「そう言う割に、隠している因子を明かしてはくれないのね」
「そこは最上級のセキュリティがかかってるからな。俺だって明かしたいのは山々だが、こればかりは既知の人間でないと公開できないようになってる。際どいところでヒントは出しているんだぜ? 推理するのは勝手だから、せいぜい正解にたどり着いてくれ」
ひらひらと手を振りながらレイウォンはそううそぶく。
推理しろとは言うが、提示されたヒントがあまりにもとっちらかりすぎていて確定性に欠けるというのが現状である。
(風神に戦神、医神に法律神だっけ? どうすればそんな多岐にわたる神格をまとめられるのよ。神話関係はシオンの両分だけど、あいつもピンとは来てなかったみたいだし、適当こいているんじゃないでしょうね、コイツ)
ジト目を向けるアヤネに対して、レイウォンは飄々としてこちらを見ている。その余裕の態度が腹立たしく、アヤネは苛立たしげに舌打ちをした。
「しかし、お前ら本当に優秀だな」
不意に。
レイウォンはまっすぐにアヤネを称賛した。
「俺でさえお前らくらいの頃は、まだ鼻水垂らしたガキだったんだがな。特に嬢ちゃんの方は頭一つ分どころか次元が一つ違う。そこまで出来が違えば、この世界じゃ生き辛いだろうよ」
「そりゃどうも。気遣われてもなんにも出ないわよ」
「ガハハ! これを気遣いと取るか。ますます年齢に見合わないな。もしかして人生二周目か?」
「言われ慣れてるわよ、そんなこと」
アヤネはつまらなそうに鼻を鳴らすと、小馬鹿にする様に続けた。
「頭が良くて大変ね、可哀想に、もっと馬鹿だったら良かったのにね――なんて。それを真顔で言われるんだからおかしい話よ。私からすれば、馬鹿なのに知った風な口を聞くそいつらの方が、よっぽど可哀想よ」
「分かるぜ、底が浅いやつほど、深みをもたせて自分を優位に見せようとするもんだ。そいつらはお前を哀れんでるんじゃない。哀れむふりをして自分を慰めてるんだ」
「ふぅん。随分知った風な口をきくじゃない。アンタも自分を慰めている口?」
「ガハハ。逆だよ。俺にも神童だなんてもてはやされた時代があっただけだ。もっとも、お前らよりもうちょっと歳は上だったがね」
自分で言うのも何だが、と続けながら、レイウォンはわかったふうな口をきく。
「お前らみたいな子供がこんな島に来たのも、行き場がなくなったからだろう。高すぎる能力ってのは、適切な居場所で振るわないとただの暴力だ。お前ら二人に何があったかは知らないが、才能が迫害されるのなんて珍しくもない」
「知ったふうな口を効くのね。でもお生憎様。私達は迫害されたんじゃないわ。見返してやるために敵対したのよ」
「おお、そうかそうか。そりゃ悪かった」
アヤネの敵意に満ちた瞳を軽く受け流しながら、レイウォンは「ガハハ」と豪快に笑い飛ばした。子供扱いそのものの態度に、アヤネは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
そんな神童の子供らしい反応を見て、レイウォンは安心したように言う。
「他人の目を気にしているうちは大丈夫だ。社会はお前を受け入れないかもしれないが、お前には社会を受け入れる度量がある。俺からアドバイスがあるとすれば、嬢ちゃんのその不満は時間が解決するってことだ。もっと大人になれば、いずれうまく社会に溶け込める」
「……別に私、社会なんてどうでもいいんだけど」
「ほう、そうなのか? だったらどうして、あの坊主と一緒に行動している?」
レイウォンの質問に、アヤネは一瞬身体を硬直させる。
その様子を目ざとく見ながら、レイウォンは淡々と話を続けた。
「シオンだったか。あの坊主も優秀っちゃ優秀だが、嬢ちゃんほどじゃない。ありゃ才能という意味じゃ凡人だ。それがお前みたいな才覚についてきてんのは立派だが、あいつはそうとう無理しているぞ。いつか絶対に無理がたたる」
「それがどうしたの? 確かにアイツをバカにするやつはたくさんいたけど、その誰よりもシオンが優秀なのは事実よ。誰になんと言われようと、私はシオンの能力を買ってる」
「別にあいつの優秀さまで否定はしないさ。だが、嬢ちゃんも理解しているはずだ。あの坊主が今のパフォーマンスを発揮するために、どれだけ無理をしているかを」
努力は報われる。
成長に限界はない。
そんな絵空事は一般常識の範囲内でしか意味をなさない。
確かに積み重ねた努力は裏切らないが、同時に現実的な限界は存在する。人としての肉体を持って生まれた以上、どんなにあがいても肉体の性能を超えた結果は出ない。
久我アヤネは例外だ。
自身の性能が常識的な人間を遥かに超えていることを、アヤネははっきりと自覚していた。才能などと生易しい言葉で呼ぶのもおこがましい。人としての仕様を逸脱した能力は、正に人外と呼ぶにふさわしい。
そんな人間の形をした化け物に、ただの人間の子どもがついていこうとするには、どれだけの無理が必要だろうか。
「お前さんくらい能力があれば、あの坊主くらいの優秀さは歯牙にもかけないはずだ。なにせ無理をしているのが丸わかりだからな。それでも一緒に行動するってことは、嬢ちゃんにも社会性がある証拠だ。逆に言えば、曲がりなりにも社会性を維持できているのは、同年代の理解者が居るからとも言えるだろうがな」
「…………」
アヤネはレイウォンの言葉を黙って聞いている。
まるで自問するように目を閉じたその姿は、まだ十代になったばかりの情操には似合わない精神性が垣間見える。
経験不足に寄る幼さと能力過多による知性。そのバランスを取れるようになるには、まだ何年もかかるだろう。
神童と呼ばれる子どもが陥りがちな、全能感と無力感。
なんでも出来るはずなのに、何もうまくできないもどかしさ。
この少女はそれらをしっかりと理屈で理解している。
だからこそ。
次にアヤネの口をついて出たのは、肯定でも否定でもなく、彼女の純粋な気持ちだった。
「誰がなんと言おうと、私はシオンのことをすごいやつだって思ってる。私なんて比べ物にならない。アイツの方が私の何倍も才能があるわ」
「……随分な高評価だな」
「当たり前でしょ。そうじゃなかったら、この私が誰かを頼ろうとするわけないじゃない」
ここまでの会話で、レイウォンなら分かってくれるだろうという確信があった。
組織としての活動ならともかく、個人として活動する上で、自分一人でできることをわざわざ誰かに任せる意味はない。面倒だとしても、人を頼るくらいなら自分でやってしまった方が効率的だからだ。
それでも誰かの手を借りようと思うのは――相手の方が上だと認めているからだ。
「単純なことよ。出来ることを当たり前のようにやる人間より、出来ないと分かっていてもやろうとする人間の方が、誰よりも偉い」
「…………」
「私がシオンを選んだ理由は、それだけの話よ」
久我アヤネという才能を見ても、臆さずに食らいついてきた。
それがどれだけ救いだったことか。
理解されなくてもいいと思っていたが、きっと目の前の男はそれを理解してくれると思った。
「なるほど――な」
レイウォンは納得したようにうなずくと、その場から立ち上がった。
どこに行くのかと怪訝に思っていると、彼は苦笑しながら言った。
「そんだけ頼りにしてるんだったら、あの坊主にも協力してもらわなきゃな」
「当たり前でしょ。アイツが今相手してるの、ヒントの塊なんだから。もう半日は経つんだし、ちゃんと成果を出してもらわないと困るわ」
当然といった調子で言ってから、アヤネは椅子から飛び降りる。その様子を見て、レイウォンはまた苦笑を漏らした。
(こりゃあ、あの坊主は大変だな)
圧倒的な才能と、それに追いすがる凡人。
その残酷さを誰よりも知っている彼は、まだ若い二人の今後を祈るのだった。
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