その3 トキノエ計画
異界人――アウトフォーマーと呼ばれる情報生命体との大規模な戦争が起こったのは、三十五年前のことだった。
その存在はそれ以前にも歴史上に何度か出現していたが、本格的な侵略が行われたのは二十二世紀に入ってからのことだった。
彼らは小規模の霊子空間を作成して地上に実像を結ぶと、空間内にいる生命体を情報に分解して吸収した。その様子は捕食と言うにふさわしく、襲われた人間は塵となって消滅した。
アウトフォーマーとの戦いは世界中で断続的に起こった。
実体を持たない生命体の侵攻に当初は劣勢を敷かれた人類だったが、魔法技術の隆盛によって一転攻勢を図ることになる。
そもそも、魔法とは事象を改変する技術だ。
それは現実を情報として操ることであり、アウトフォーマーと同じ法則を使う技術だった。
有史以来、歴史の影で幾度となくアウトフォーマーの一部と争ってきたのが魔法使いと呼ばれる人種であり、裏に隠れていた彼らは否応なく表舞台に立つことになった。
アウトフォーマーとの戦いは世界中を舞台に行われ、一進一退を繰り返した。
そうした十年の戦時中に、数々の技術が生まれた。
「この双葉列島に立てられた研究所も、戦時中のアウトフォーマー対策の一環でな。そこで研究していた『トキノエ計画』ってのがそもそもの発端だったんだ。ソレが原因で、さっきの蚩尤みたいな連中がこの島を監視している」
そう言いながら、レイウォンは森の中の道なき道を進んでゆく。
その後ろを、シオンとアヤネがついていく。アヤネはまだ本調子ではないため、シオンの背中におぶわれていた。しかし、会話するだけの余裕はあるようで、レイウォンの説明に合いの手を入れていく。
「軍事施設が置かれていたってわけ? その割には集落の跡は牧歌的な雰囲気だったけれど、ここでは家畜の研究でもしていたの?」
「ガハハ! 確かに家畜は飼われていたがな。でもありゃ普通に食用だ。こっちの右ノ島は基本的に居住地で、大半が先住していた一般人だった。研究施設があったのは左橋島の方だ」
今は木々が生い茂っていて見えないが、西の方には佐橋島があるはずだ。右ノ島から一キロ程度しか離れていないもう片方の島は、岩に囲まれた無人島だと聞いている。そこに軍用の研究施設があったと言うのは初耳だった。
レイウォンは森の中で不意にしゃがみ込むと、地面に隠されていた扉を開いてみせる。そこには地下へと続く階段が存在した。
「ここから地下を通って左橋島の研究所に行ける」
右ノ島と左橋島は海を挟んで一キロも離れていないが、地下通路を通るとなると海底を通ることになる。大丈夫なのだろうかとシオンは警戒したが、背におぶさっているアヤネが耳打ちするように言った。
「こうなったらどこに居ても危険は変わらないわ。ひとまずあの男の話を全部聞いてみましょ」
アヤネがそう言うならと、シオンは反論することなくレイウォンの後に続いた。
地下への階段を五分ほど降り、そこから先は広い空間だった。工場施設のような地下空間を歩きながら、レイウォンの後を追う。
「ときにお前ら。アウトフォーマーについてはどれくらい知ってる?」
「一通りは。情報生命体で、情報密度を食らって存在を保つ異次元の住人だ」
レイウォンの言葉にシオンは淡々と応える。
それは一般的に知られている内容であり、真新しいことではない。強いて言うならば、シオンたちの世代にとって戦争は二十五年も前の話なので、実際にアウトフォーマーを見たことはないくらいだ。
アヤネからも補足がないのを確認したレイウォンは、「そうだなぁ」と困ったようにヒゲをさすりながら独り言をぼやく。
「ま、おおかた間違いじゃないから禁則には引っかからないな。よし」
彼の中でどんな確認があったのか分からないが、レイウォンはなめらかに喋り始める。
「アウトフォーマーの特徴としてまず問題になったのは、奴らが実体を持たないってことだ。実像を結ぶために必ず情報空間を展開してくるが、それは相手の土壌に無理やり引きずり込まれるのと変わらねぇ。だからこそ、霊子庭園やら霊子体と言った技術が作られた。ここまでは大丈夫だな?」
レイウォンの質問に、シオンとアヤネは同時にコクリとうなずいた。
実体を持たない情報生命体と戦うためには、こちらも継続的に情報界にアクセス出来なければいけない。
霊子体や霊子庭園と言った技術はその時に開発されたものであるが、あくまで魔法のチャンネルを開いた人間でなければ使えなかった。だからこそ、世界各地で魔法を扱う人間を急速に増やす流れができたのだった。
そうして、魔法使いは魔法兵士――魔法士と呼ばれるようになり、現代へとつながってくる。
「魔法士の数が増えてからは、次に戦う手段だ。魔法のチャンネルを開いたところで、魔力の変換を的確に出来なければ意味がない。そのために魔法式が体系化されたし、もっと単純なテンプレート化したものを組み込んだ魔法デバイスが作られた」
「それは知ってるわ。ついでに、その頃にアウトフォーマーを模倣した霊子生体を作り出したのもね。それが――霊子生体ファントム」
世界各地に点在する『使い魔』の伝承を体系化し、アウトフォーマーと同等の存在となるように調整された存在。成功例はファントムと呼ばれ、失敗例はレイスと呼ばれた。
霊子生体はそれまでも世界中に存在したが、霊子戦争によって爆発的にその数を増やし、今でも発生し続けている。
「要するに、現代のレイスの大量発生は霊子戦争の負の遺産ってことでしょ。ふん、上の世代の不始末を延々と潰していかなきゃ行かないんだから、とばっちりも良いところね」
「ガハハ。嬢ちゃんは手厳しいな。ま、間違いじゃないから訂正はしないがな」
アヤネの憎まれ口を豪快に笑い飛ばしながら、レイウォンは続けて言う。
「その様子なら、歴史的な話はいまさらする必要がないようだな。だったら、もう一つ踏み込んだ話をしよう。これは知ってるか? ――人間を、ファントムにする研究ってのは」
その質問に。
シオンもアヤネも、すぐには言葉を返せなかった。
「……死人の情報を因子として、ファントムを召喚するってこと? いえ、そうじゃないわね」
シオンは困惑のまま口を開けずに居たが、アヤネはかろうじて自分なりの考察を口にする。しかし、レイウォンが言わんとする事はそういうことではないと、口にしたアヤネ自身が理解していた。
まるで答えを待つように無言を続けるレイウォンに、アヤネは根負けしたように言う。
「つまり人体の霊子化実験ね。都市伝説だって言われていたけど、本当にあったんだ」
「……アヤ。それって、霊子汚染でファントム化した、アルバート・ウルフラムのことか?」
シオンは自分の知っている事例を口にする。
アルバート・ウルフラムは、霊子戦争中にアウトフォーマーを取り込んでファントム化した人間である。彼は生きながらにしてファントムとなり、霊子戦争を最後まで戦い抜いた。
ファントムは本来、死した後に残留思念を因子として霊子生体化するのだが、そうして発生した存在は生前の人格とは別存在となる。一度死んだ魂の完全再現は不可能であり、ファントムとして発生する際に必ず不純物が混ざるのである。
しかし、アルバート・ウルフラムの場合は生きたままファントムとなったため、生前の人格を保ったままだった。
霊子戦争を終結まで戦い抜いた彼は、今ではセプタ・チュトラリーの第一席『銀の弾丸』の席に座っている。
シオンが挙げたその名前を聞いて、アヤネは微かに首を振る。
「『銀の弾丸』の場合は、戦争中の事故みたいなもんでしょ。そうじゃなくて、こいつが言ってるのは意図的に行われていた人体実験のことだと思う。そうでしょ、レイウォン」
「ああ、正解だよ。よし、おかげで少し話せる内容が増えた」
レイウォンはニヤリと嬉しそうに笑った。
シオンが例に上げたアルバートのように、戦争中にアウトフォーマーを取り込んで霊子化する事例はいくつも報告されていた。しかし、その多くは情報圧汚染によって死亡し、仮に生き残っても重症を負ったまま闘病生活を余儀なくされていた。
そんな中、僅かな成功例であるアルバートのような存在がいた事は、魔法の軍事研究として重大な意味を持っていた。
「要するにだ。適正のある人間をファントム化させることで戦力の充実を図ろうとしたわけだ。大抵の場合は、情報圧汚染で死にかけている魔法士の治療というのが名目だったから、戦後もそれほど騒がれなかった。あくまで都市伝説なのはその辺が理由だ」
だが、と。
レイウォンは扉の前で立ち止まる。
そろそろ十五分は歩いただろうか。広大な地下施設をまっすぐに通り抜け、頑丈に閉ざされた扉の前で彼はシオンたちを振り返る。
「この双葉列島の研究所で行われていたのは、マジモンの人体実験だったけどな」
左橋島研究施設への入り口。
扉を開けたレイウォンに対して、アヤネが声をかける。
「……確認したいんだけど」
先に進もうとするレイウォンを引き止めて、アヤネは尋ねる。
「その人体実験の被検体がアンタってことで良いのよね? レイウォン」
「ああ、そうだ。そして――カラミティ・ジェイルの火雷天神もな」
扉の先にはまた階段があった。
それを上へと昇っていく。三階分ほど昇った後、脇の扉を開けて中へと入っていく。
そこはここまでの工場施設とは違い、デスクや研究機材などが並んでいるオフィスのような部屋だった。
そのオフィスを抜けると、今度は立派な絨毯が敷かれた部屋があった。調度品や家具の豪華さから、それなりの地位の人間が住んでいたのが分かる。
「まず、お前らに会わせたい相手がいる」
レイウォンはそう言うと、更に奥の部屋へと案内した。
今度は子供部屋のようだった。積み木や遊具が散らかったその部屋はかなり広く、まるで託児所のような雰囲気である。
そこに――一人の女児がいた。
「あー! おかえり、おじちゃん!」
年の頃は5,6歳と言ったところだろうか。シオンやアヤネよりも遥かに幼い。
デフォルメされた牛のパジャマを着たその童女は、レイウォンの姿を見るとパァッと顔を輝かせて突撃してきた。それをレイウォンは優しく受け止めて抱き上げる。
「おう。ただいま、あきほ。おとなしくしてたか?」
「うん! ずっと一人で遊んでた!」
「そうか、偉い偉い」
よしよしと頭を撫でるその様子は、まるで仲の良い親子のようだった。
その姿を見て、背におぶさっているアヤネが、緊張したような声で言った。
「……逃げるわよ、シオン」
「は? なんで」
「ロリコンよ。あいつは幼女を監禁して飼ってるロリコンなんだわ。きっと私達を呼び寄せたのも、捕まえるためなのよ。だから早く逃げなさい!」
冗談を言っているのかと思ったが、思いの外真剣な声色である。
「いや、アヤ。あのな……」
「何よ。早くしないとアンタもただじゃ済まないかもしれないわよ! あの男が少年趣味だったらどうするの! 自分が男だから安全だなんて思っちゃ駄目よ!」
「そうじゃなくて……。っていうか、アヤ、本当に気づいてないのか?」
まだ熱が下がっていないから正常な判断が出来ていないのだろうか。
シオンは警戒しつつも、アヤネの誤解を解くためにレイウォンに向けて尋ねる。
「その子……霊体だよな?」
「ああ、そうだぜ」
うなずいてみせるレイウォンに対して、アヤネが訝しげに言う。
「え? でも、ファントムやレイスにしては、情報密度が……うそ」
そこでようやく、アヤネは目の前の童女の異様さに気づいた。
実像を結んだ霊体。情報密度が限りなく無に等しいその存在は、知識でしか知らないとある生命体の特徴と似通っていた。
「まさか……アウトフォーマー?」
唖然としてつぶやくアヤネの声は、虚しく響いた。
レイウォンに抱かれた童女は、そんなアヤネとシオンを見て、小首をかしげた。
「おねいちゃんとおにいちゃん、だぁれ?」
※ ※ ※
守衛戦艦『ひいらぎ』
対馬海峡から東シナ海周辺を巡回するこの戦艦は日本政府お抱えの最重要機密であり、WMAと共同でカラミティ・ジェイルの火雷天神をはじめとした複数の霊子災害を監視している。
普段であれば日本の魔導連盟から派遣されたバディが交代で警護に当たるのだが、この時期はカラミティ・ジェイルの活動が活発化する周期であったこともあり、WMAから派遣された比良坂シドウと姜緋槭が任務についていた。
双葉列島沖で正体不明のファントムと交戦した緋槭は、そのまま半刻ほど戦い続けた。しかし唐突に敵の姿を見失ってしまった。気づけば双葉列島から遥か離れた海洋上におり、周囲を索敵しながら『ひいらぎ』へと帰還したのだった。
そして、現在。
艦内にある食堂で休息をとっていた緋槭は、シドウが入ってくるのを見て声をかけた。
「怪我をした射撃兵の容態は?」
「一命は取り留めた。腕のいい医療魔法士も居るから、五体満足にはなるだろ。ただまあ、メンタル的にこれ以上の軍務は無理だろうから、階級特進させて退役になるそうだ」
戦艦の装甲があったとは言え、真正面から対物ライフルの弾丸を受けたのだ。体の形を保っていたのが不思議なくらいで、船内に駐在している魔法医師が居なければまず間違いなく命を落としていたと言われていた。
この二十五年、幾度となく領海侵犯者や発生したレイスを始末してきた『ひいらぎ』だったが、反撃を食らったのは数年ぶりのことだった。
今回、双葉列島に不法侵入をしたのは玄界灘沖の小型漁船だった。漁業組合に問い合わせをしてその所有者は判明しており、その人物が狙撃で死亡した漁師であることも確認済みだ。
問題は、その時に同乗していた他の人間の存在である。
「ちっ。神童ねぇ。面倒なことになってきやがった」
「なにか問題でも?」
苦々しそうな顔をするシドウに、緋槭は尋ねる。
「ああ、問題だね。どうもあの二人、魔導連盟の方とつながりがあるらしい。おかげで手が出しづらくなった。可能な限り生かしたまま引き渡せって話だ」
魔導連盟とは、日本の魔法関係組織を束ねる代表機関である。
そもそもWMAは各国の魔法機関の集合であり、シドウは魔導連盟からWMAへと出向している。所属部署からの直接的な命令となれば、無視するわけには行かない。
神童――アヤネ・フィジィとシオン・コンセプト。
特にアヤネの祖父は日本では有名な政治家であり、母親は警視庁の魔法部署の警部である。この二人からの圧力が効いているようで、魔導連盟の方も穏便にことを収めたがっていた。
「ライセンスなしの魔法使用で追求する線も考えてたんだが、魔導連盟の方で博士号相当の論文を理由にBランクライセンスが一時的に発行されてやがった。しかも特例で霊子災害調査員の資格も付与されてる。こうなったら、不法侵入でもしょっぴけねぇ」
「随分な忖度をされているようだな。あの二人の子どもはそこまでの存在なのか」
Bランクライセンスといえば、魔法学府を卒業したのと同等の扱いである。これがあると、進入禁止となっている霊子災害地域にも入ることが出来る。一時的なものとは言え、あの年齢の子どもに与えられるものではない。
それもそのはず。世界的に見ればまだこまでの知名度ではないが、昨年度の神童たちの活躍はめざましいものがあり、日本中の魔法関係者が論争を起こしていた。
特に熱素理論を用いた発火術式については、物理学上で否定された学説を魔法現象として存在させるパラドックスとして、各地で話題を呼び注目を集めていた。
「確かに奴らの視点は頭一つ飛び抜けているのは確かだよ。俺だってそれなりに優秀なつもりだったけど、あいつらの活躍を見たら自信喪失するからな。俺と同じ気持ちのやつはそこら中に居るはずだ」
まだ十歳にもなっていない子どもたちが、まるで何年も研究して来たかのような成果を発表してくるのだ。魔法の大家に生まれて幼い頃から魔法に接してきた者ほど、神童たちの存在は受け入れがたいだろう。
「ま、結局それで、霊学協会のお偉いさんに目をつけられてトラブったらしくてな。そっから数ヶ月音沙汰なかったんだが、それがまさかこんな所で見かけるとは思わなかった」
「霊学協会……日本の魔法関係の学会だったか?」
「ああ。牛耳ってんのが人智派で、現代魔法の研究をやってるところなんだけど、その中でも派閥があるみたいでよ。たかだか三十年程度の歴史のくせに、若者の台頭が許せないんだと」
「いつの時代にも権威者の派閥争いはあるものだな」
緋槭の納得したような物言いに、シドウは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「面倒なのは、その霊学協会のお偉いさんが、魔導連盟のこれまたお偉いさんと仲が悪いってことだ。そんなわけで、霊学協会は神童を排除したくて、魔導連盟は神童を保有したがってる。俺たちはそれに振り回されている。以上だ」
「状況は理解した。つまり、殺さなければ良いんだな」
淡々とうなずく緋槭を前に、それができれば苦労しないだろと苦虫を噛み潰すシドウだった。
ただの破壊ならば悩むことはないのだが、ことが生存確保となると、緋槭の膂力は過剰戦力にもほどがある。武器を一振りしただけで地形を変えてしまうような化け物と組んで一体どうしろというのか。
「とりあえず、優先は神童の居場所の把握だ。少なくとも双葉列島から出てないのは『ひいらぎ』の監視システムで分かってる」
戦艦に搭載されている高性能コンピュータの解析なので、これをかいくぐるにはそれなりのデバイスと魔法式が必要になる。つまり、まだ神童たちは双葉列島から出ていない。
その上で、緋槭に確認すべきことがあった。
「途中からあんたが戦ってた『アレ』。知り合いなんだろ?」
「…………」
レイウォンのことを言われて、緋槭は露骨に黙り込む。
無言の牛面を苛立たしげに見つめながら、シドウは乱暴に言う。
「あんたが話さなくったって、ある程度は推測できてんだよ。ありゃ、トキノエ計画の構成員の一人、
「いや、違う」
シドウの言葉を、緋槭は強引に否定した。
「トキノエ計画は失敗している。カラミティ・ジェイルの火雷天神が生まれた以上、あの計画が成功しているだなんて、口が裂けても言えない」
「……やっぱり、あんたはなんか知ってるんだな、緋槭。トキノエ計画ってのは一体なんだ?」
断定的な緋槭の言葉を聞いて、シドウは確信を持つことが出来た。
比良坂シドウはあくまで新任であり、双葉列島の歴史的事情については表面的なことしか知らされていない。『カラミティ・ジェイルの火雷天神』の誕生の影にトキノエ計画というのが存在し、そこに姜緋槭が関わっている、と言ったことくらいまでは調べがついたが、しかしその内容となると全く不鮮明だった。
意図的に情報が伏せられている。
それはトキノエ計画に限らず、霊子戦争時代の情報を遡ろうとすると少なからず情報統制が存在する。それだけ苛烈な戦争だったと考えるべきなのかもしれないが、戦争を知らない世代からすれば後ろ暗いものを感じてしまう。
「権限って意味なら、俺には足りねぇだろうな」
そう言いながら、シドウはちらりと食堂の入口を見る。今、この食堂に居るのはシドウと緋槭だけだ。他の船員はそれぞれ持ち場についている。
シドウは手首に巻いたデバイスに魔力を通すと、さり気なく結界を張る。比良坂家が保有する、現世と冥界の境界を作る結界術。明確な意図がなければ踏み込めない
「だがバディとして知っておきたい。俺はまだ、あんたのバディとして不足か? 緋槭」
「……いや。お前に不満はない」
緋槭は素直な感想を口にする。
比良坂シドウは魔法学府を卒業してすぐに姜緋槭のバディに任命されたエリートだ。その潜在能力も魔法技術も、若干二十三歳とは思えないほど習熟している。彼と組んできたこの一年、緋槭は久方ぶりに気のおけない相方というものを得た気分だった。
ただのビジネスパートナーであれば、ここから先に踏み込ませる必要はない。
だが――出来ることなら、緋槭はシドウを専属のバディにしたいと考えていた。
「了解した。私の権限が及ぶ範囲でセキュリティレベルを下げよう」
霊子戦争時代の軍事機密には一定のセキュリティレベルが設けられており、当時を知る魔法士やファントムはそれを自由に開示することができないように制約が掛けられている。緋槭にも、自身が知っていることを自由に話す事はできないのだ。
それを、可能な限り下げる。
「カラミティ・ジェイルが、天然痘を撒き散らす霊子災害であることは知っているな?」
「ああ。だからこそこの島一帯は封鎖されてるし、侵入者を外に出すわけには行かない」
天然痘は二十世紀に撲滅された伝染病である。そのワクチンは今でも存在するが、抗体を持つ人間はほとんど居ない。
パンデミックが起こっても鎮圧できるとは言え、多少の犠牲は免れないため、被害の拡大を防ぐには罹患者を野放しにするわけには行かないのだ。
そのために守衛戦艦『ひいらぎ』はこの海洋上で常にカラミティ・ジェイルを見張っている。
「そんな基本的なことは知ってるから良いんだよ。それよりトキノエ計画についてだ。人体の霊子化実験だってのは知ってるけど、それがどうしてここまで情報規制されてる?」
「それは倫理的な問題があるからだ」
人体実験。
それだけなら、まだ言い訳を効かせることも出来た。実際、霊子戦争中は負傷者の治療目的で霊子医療が率先して行われていた。それと同じと言い張れば、別に糾弾されることもなかっただろう。
しかし、トキノエ計画は失敗時にカラミティ・ジェイルの火雷天神を生み出してしまった。
伝染病をばらまく危険な霊子災害を。
「トキノエ計画というのは――伝染病のファントムを生む計画のことだ」
疫病の神霊。
それを人為的に生み出す、悪魔の研究だった。
※ ※ ※
一晩経った。
久我アヤネは倦怠感に満ちた身体を起こすと、魔力で無理やり血の流れを活発化させる。
(まだ万全じゃないけれど、病原菌は死滅しているみたい。ちゃんとワクチンが効いたのね)
昨日、左橋島の研究施設に来てからアヤネはすぐに休息をとった。
まだレイウォンと話をしなければいけないことはたくさんあったが、体力が限界だったのだ。幸い研究施設だけあって宿泊環境は整っており、シオンとともに倒れ込むようにして休んだ。
隣のベッドではシオンが寝息を立てている。彼の切り落とされた右足は問題なくついているが、足が切断されたことは確かなので、それなりにダメージはあるだろう。
(あのレイウォンって男、いくらファントムと言っても、欠損した四肢をノーリスクで修復するなんてでたらめすぎる。よっぽど高位のファントムなのか、それとも……)
考え事をしながら、アヤネはトイレを探して部屋を出る。
レイウォンとあの謎の童女については、初見ではかなり警戒してしまったが、今ではそれが杞憂であると納得している。それは、終始精神感応の魔法式を起動していたシオンが、彼らに対して明らかに警戒を解いていたからである。
シオンの概念魔法の精度は、他ならぬアヤネが信頼している。シオンが敵愾心を抱いていないのであれば、それは安全であると言える。逆に言えば、テオのような相手には終始緊張を保っていたので、アヤネもそれに習って警戒していたのだった。
(そう、テオの存在があったわね。あいつは一体何なのかしら)
レイウォンから聞いたおかげで、昨日の時点でこの島の状況は大体わかった。
まず、トキノエ計画という戦時中の軍事研究によって、レイウォンやカラミティ・ジェイルの火雷天神が生まれた。
それらを封じるために、WMAに所属する『蚩尤』がこの海域一帯を守護し、進入禁止区域として指定されている。
アヤネとシオンは、そんな冷戦状態の戦場にノコノコと顔を出し、そして迎撃されかけた――というのが、ここまでの流れだ。
しかしそこに、あのテオという正体不明のファントムがどう関わってくるのかが謎だった。
(第三勢力……その『トキノエ計画』の研究成果を横取りしようってこと? でも、なぜ二十五年も経った今になって。うーん、わからないわね)
ひとまず『トキノエ計画』について掘り下げてみなければならない。そう思いながら、アヤネは仮眠室を出て研究所内にあるトイレに入る。
そして、個室の中でレイウォンと遭遇した。
「お、何だ嬢ちゃんか」
「…………………」
ズボンを下ろしたレイウォンが大便器に腰掛けていた。
鍵もかけずに。
半裸で。
悠然と。
慌てた様子もなく。
彼は言った。
「おはよう。なんだションベンか? 今出しちまうからちょっと待ってな」
「いいえ、待つ必要は無いわ」
アヤネは能面のように真顔でそう言うと、お前の命はここまでだとでも言わんばかりにあらん限りの魔力を総動員し、せまい個室めがけて高密度のエネルギー弾をぶちかました。
「死に晒せド変態!」
冗談でなく研究施設が半壊した。
「がっはっは! やー、すごいなアヤネは。死ぬかと思ったのなんて二十五年ぶりだぞ。ファントムを殺しかけるなんて、お前なにもんだ」
愉快そうに笑いながら、上半身裸の巨人が座っている。
その目の前には不機嫌そうに唇を尖らせて目を背けているアヤネ。そして、爆発音に目を覚まして慌てて駆けつけたシオンが居た。
三人は応接室のソファーに座って向かい合っている。むっつりとへそを曲げたアヤネは喋ろうとしないので、仕方なくシオンが口を開く。
「……その、レイウォンさん?」
「どうした坊主、畏まりやがって。昨日まではタメ口だっただろう? どうせ協力し合うんだ。敬語なんていらんぞ」
「じゃあ……レイウォン。その……アンタ、いつまで裸で居るんだ?」
シオンの言葉に、「おお、そうだったそうだった」と言いながら、レイウォンは魔力で服を生成して身につける。タンクトップにダルダルの白衣。見た目がレスラーなだけに、信じられないほど白衣の似合わない男だった。
「ま、不幸な行き違いがあったとは思うが、仲良くやろうや、少年少女」
「いやそもそも、なんでファントムがトイレに入ってんだよ」
「なぜって、出るもん出すからだよ。朝から快便だったぜ?」
「そこは聞いてねぇ」
はじめこそ探るように話していたシオンだったが、どうやらこの男相手に気を使うだけ無駄のようだった。深々とため息をついた後、うんざりしたように言う。
「えっと。昨日の続きだけど。結局アンタ、元は人間なんだな?」
「ああ、そうだ。正確には、霊子融合体って呼ばれてる」
霊子融合体。
それは人体が霊子化して、ファントムと同等の存在へと昇華された存在の総称である。
シオンの知る限り、霊子融合体の成功例は世界中で数例しか無い。その代表格がセプタ・チュトラリーの第一席『銀の弾丸』であるが、ほとんどの霊子融合体は戦闘どころか日常生活すらも怪しい状態と聞く。
そんな貴重な成功例が、目の前にある。
○フォウ・レイウォン
原始『■■■■■■』
因子『法』『■■』『秩序』『風』『■■』『雷』『治癒』『■■』『■■』『戦争』
因子10 ハイエストランク
霊具『なし』
ステータス
筋力値A 耐久値C 敏捷値B 精神力A 魔法力B 顕在性B 神秘性B
レイウォンのステータスはすでに受け取っている。シオンとアヤネを共通のバディとした特殊な契約だが、そうしないと扱いきれないほどに、レイウォンは強力なファントムだった。
因子十個。
ハイエストランク。
ファントムの強さは因子数に応じる。十個の因子は、現在世界で確認されているファントムの最高位である。それはセプタ・チュトラリーに所属する『銀の弾丸』や『蚩尤』に比肩する強力な存在だと言える。
そんな化け物が生まれた過程を含め、気になることはいくつもあるが、それよりも前にはっきりさせておきたいことがあった。
「解せないのは、アンタがステータスの一部を隠していることよ」
それまでむっつりと黙っていたアヤネが、不機嫌そうに言った。
言葉こそ突然だったが、言及している内容についてはシオンも同じ考えだった。
協力をするためにバディ契約を結んだのに、情報の一部が隠されている。それも原始と因子という、ファントムの根幹の情報が隠されているので、不信感を抱かずには居られない。
シオンが観察する限り、このレイウォンという男はそう言った小細工をする人物ではなさそうだった。だからこそ、はっきりさせておくべきだと思った。
「そりゃあ気になるよな。俺だって逆の立場だったらそうするわ」
意外にも、レイウォンの反応はあっさりとしたものだった。
「理由は簡単だよ。俺は研究者でもあったけど、実験体でもあったからな。体の隅々に情報規制のセキュリティロックがかかってる。こいつを解除するには、同等の権限でアクセスするか、もしくはすでに既知の情報になっているかのどっちかが必要だ」
「……もしかしてそれは、ファントムとしてのステータスだけじゃなくて、アンタが持っている知識についてもそうなの?」
「ご明察だ。だから今まで、お前らに尋ねる形でしか情報を渡せなかった」
「なるほどね。通りで話し方が回りくどいと思っていたわ」
アヤネは納得したように鼻を鳴らす。
それに対して、シオンは話についていけず、耳打ちするようにアヤネに尋ねる。
「アヤ。どういう意味だ?」
「どうもこうも、この男から引き出せる情報は、私達が知識として知っている事柄だけってことよ。ま、それも随分穴があるみたいだけどね。『知っているだろう』って思わせられれば、そのセキュリティはかいくぐれるんでしょ?」
「ああ。そうだ。嬢ちゃんの方は話が早いな」
鷹揚にうなずいてから、レイウォンはどこか試すように言う。
「だが、今の時点ではもう、これ以上話せることがない。だからおまえさんらには、自分で調べて核心を突く質問をしてもらいたい」
「なるほどね。そんな風に言うってことは、この研究所に答えは全部眠っているんでしょ? 良いわ。戦時中の軍事施設とやら、丸裸にしてやる」
決めるやいなや、アヤネは早速立ち上がってスタスタと歩き始める。
どうやらアヤネの中では話がつながっているようだが、シオンはまだ理解できないでいた。
「待ってくれ、アヤ」
戸惑いながらも後を追おうと立ち上がったところで、ふと裾を掴まれた。
地べたに座り込んで遊んでいたアウトフォーマーの童女だった。
「ねーねー、おにいちゃん。あそぼ?」
あきほ、と呼ばれていたのを聞いている。
彼女はあどけない表情を浮かべて、かまってもらいたそうにギュッと裾を掴んで離さない。
「いや……僕は」
あまりに純粋な視線を向けられて、シオンはタジタジになる。年下の子どもあやすような愛想は無いが、さりとて無碍に振り払うような酷薄さもない。中途半端なシオンは、助けを求めるようにアヤネの方を見た。
しかし、与えられたのは助けではなく突き放すような言葉だった。
「その子の相手は任せたわ」
「ずるいぞアヤ。面倒事を押し付けるな」
「バカね。適材適所よ。そもそもの話、私にガキの相手なんて出来るわけ無いでしょ」
堂々と言うような内容ではないが、事実としてアヤネに子供の相手なんて出来るはずもなかった。彼女であれば、裾を掴まれた時点でためらいなく蹴飛ばしていることだろう。
的確な自己分析による役割配分は、反論の余地もなく決定した。
「そんじゃ、その子のこと頼むぜ、坊主」
レイウォンはそう言うと、アヤネとともに研究室の方へと歩いていく。
あとに残されたシオンは、「ねーねー」と裾を引っ張り続けるあきほを見下ろして、困ったようにため息を付いた。
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