番外編 カラミティ・ジェイルの火雷天神

その1 神童伝説



 見渡す限り海だった。

 海の表面を漂う氷河が溶けて沈んでいく。水平線の彼方まで広がる流氷の群れを横に、二人の子供が波に揺られて浮かんでいた。


 小学生くらいの少年少女である。年端もいかないような子供が二人、傷だらけの状態で海の上に浮かんでいた。二人は指一本動かすことも出来ないくらいに疲弊しているらしく、脱力しきって波に流されるままになっていた。


「……シオン、生きてる?」

「無理。もう死ぬ」


 少女の問いかけに少年は間髪入れずに答えた。その返答の早さに、存外余裕があるじゃないかという意思を込めて少女はジト目を向ける。しかし、少女の方にもそれ以上の余力はないのか、憎まれ口も叩かず空を見上げた。


 少年の名を久能シオン、少女の名を久我アヤネという。


 最近十歳の誕生日を迎えたばかりな二人は、すでにこの時点で神童と呼ばれて久しい。霊学協会の学会で論文を発表し、魔導連盟の代表を相手にウィザードリィ・ゲームで勝ち越し、そして低ランクであるがいくつかの霊子災害を単独で調伏して来た。それらの活動をたった二年弱で行った二人は、まさに神童と呼ばれるにふさわしいだろう。


 そんな二人だが――現在進行形で死にかけていた。


「シオン、魔力どれくらい残ってる?」

「すっからかんだよ。アヤは?」

「奇遇ね。私も底ついてて、今は呼吸するのもしんどいくらい」


 死にそうだった。


 彼らが浮かんでいるのは、日本列島から千キロ近く離れた太平洋上の海域――俗に言う小笠原諸島周辺であった。この海域は温帯に位置するため年中温暖な地域であるはずなのだが、つい先程までその海面は凍りついて氷河となっていた。海上を覆っていた氷河は砕け、溶けた端から沈み始めているが、未だにその残滓がそこら中に漂っている。


 フローズン・マグマの氷結城ひょうけつじょう


 熱量の遡行する氷の城塞は、霊子戦争以前より発生していたS級指定霊子災害の一つである。そんな危険区域に足を踏み入れたシオンとアヤネは、つい先程、その氷の迷宮を踏破して霊子災害の解体に成功したばかりだった。


 もっとも――成功したと言葉で表現すると簡単だが、その内実は踏んだり蹴ったりの大騒ぎで、胸を張って成功しただなんて言えるほど格好のつくものではなかった。


 しばらく海面にプカプカと浮かんでいたシオンは、おもむろに口を開く。


「……アヤ、最後のアレ見たか?」

「見た」

「人間だったよな」

「しかも私達より小さな子供」

「背中、六番って番号書かれてた」

「世知辛いわね」


 アヤネは平坦な声で答える。本当にそう思っているのか定かではないが、少なくとも何かしら思うところはあるらしい。思いつめたような表情でジッと空を見つめている。


 何はともあれ、氷の城塞は討伐された。


 謎は増え、後味の悪い思いを抱えることにはなったが、それでも目的は達した。あとはこの海の上から陸地に戻りさえすればすべて終わる。


 だが――それが一番の難題だった。


 いかに魔法の才能に溢れた二人とは言え、所詮は十歳の子供。生身の肉体の強度は脆弱で、魔力による身体強化がなくなればすぐにでも凍え死ぬことだろう。フローズン・マグマが討伐されたことで海水温度は徐々に上がっているが、流氷が溶けきれていないのでまだまだ生存に適温であるとは言い難い。このままでは凍死は避けられない未来だった。


「……ねえ、眠くなって来たんだけど」

「アヤ。その冗談笑えない」

「冗談なんかじゃない。ほんともう無理」

「……氷結城の調査で三日くらいまともに寝てないしな」

「もう。どこの誰よ、倒す方法が見つかったからって、徹夜明けにこんな島まで行こうなんて強行したの」

「それはアヤだろ」


 少なくともアヤネが実家のコネでヘリをチャーターしなければ、一晩くらいは休んでから出かけられたはずだった。


 最も、思い立ったら吉日をモットーにするのはシオンも同じなので、あまりアヤネのことを責められない。実際、フローズン・マグマの氷結城が持つ欠陥を見つけた瞬間、興奮しきってそのまま討伐に行こうと思ったのは事実だった。こうして事が終わって冷静になってみると、六時間前の自分をぶん殴ってやりたい気分である。


 ともかく。

 そんなわけで、日本の魔法界に名を轟かせる神童二名は、今まさに死の瀬戸際に居た。


「死んだら天国に行けるかしら」

「魔法の理屈では魂は情報体で、それ自体が意思を持つものじゃないから、死後も意識が連続することはないって本に書いてあったぞ」

「小粋なジョークなんだから笑いなさいよ。それに、意識の不連続は死後の世界の否定にはならないわ」


 ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らした後、アヤネは理屈っぽくシオンの言葉に反論する。


「珍しいな、アヤが概念的な話に肯定的になるなんて。毒でも飲んだ?」

「バカ言いなさい。あくまで理屈よ。別の資料で、所属コミュニティによる宗教観を利用して、死者の情報を現実に投影する理論が説明されていたもの。つまり、死後の世界は情報の蓄積にすぎなくて、その良し悪しや世界観を決定づけるのは生者による死生観って考え方ね」

「なるほど……でもさ。だったら、人に迷惑かけまくってるアヤが天国は無理じゃん」

「なんですって」


 ギャーギャー。

 ほとんど死にかけだと言うのに仲良く喧嘩を繰り広げる二人だったが、その体は徐々に沈んでいっている。

 神童と呼ばれた少年たちは、最後の最後まで自由気ままに生きて、そして死のうとしていた。


 が現れたのはそんな時だった。



「わぁ! 思ったより元気そうだね、お二人さん」



 沈みかけた流氷の上に立ったのは、一人の少年だった。


 浅黒い肌に、腰まで届く黒い髪。あどけない表情には邪気がなく、年の頃は十歳前後とシオンたちと大して変わらない。

 しかし――外見こそ年端もいかない少年のものであるが、その全身からは人外にふさわしい膨大な情報圧が漏れ出ていた。その圧力に呼応して海面がひときわ高く波立つ。


「……ファントム」


 シオンはその存在を凝視しながら小さくつぶやいた。


 霊子生命体ファントム――情報が形を持った生命体であり、人間の上位存在。

 つい先程まで戦っていた霊子災害レイスが無秩序な暴力であるならば、霊子生命体ファントムは知性を持った戦力である。


 そんな人外の存在が、突如として目の前に現れた。


「突然ごめんね。でも、僕は君たちのことずっと見ていたんだよ!」


 そのファントムは、警戒するシオンたちに構わず、喜色満面で大げさに口を開く。


「いやあすごいね。あの『』をたった二人で殺しちゃうなんて! しかもこんなにちっちゃいのに! 神童って言ってもどうせ見掛け倒しだと思ってたけど、びっくりだよ。この気持ちを言葉にするならそう、感動だ! 僕は今、感動しているんだよ!」

「…………」

「…………」


 長い黒髪を振り乱して喜ぶ少年を前に、シオンとアヤネは思わず黙り込む。


 凍えきった身体に緊張が走る。

 絞りきったはずの魔力が励起して全身を駆け巡る。それはまるで、海に沈むこと以上の死の驚異が目の前に現れたかのような反応である。それが大げさではないことは、眼の前のファントムの存在感を肌で感じれば嫌でもわかるはずだった。


 そんな二人の様子を見て、長髪の少年はケラケラと無邪気に笑ってみせた。


「おっと、自己紹介が遅れたね。僕の名前はテオ。こう見えてもファントムさ」


 そんなわかりきったことを言いながら、彼は身軽に氷を蹴って跳び上がる。


 彼はそばに浮かぶ流氷を足場に、ぴょんぴょんとシオンたちの周りを跳び回ってみせる。その天衣無縫の振る舞いには、生身の人間とかけ離れた神霊としての優雅さがあった。


「さて」


 やがて、彼は一つの氷の上に立つと、くるりと振り返って言った。


「実は、僕から君たち二人にちょっとしたお願いがあるんだ。もちろんただとは言わない。きっと君たちにとっても有意義なことだと思うよ」

「……何よ?」


 明らかに危険な存在を前にしても、命知らずを張れたのはやはりアヤネだった。


 彼女は精一杯の虚勢を張りながらテオを睨む。すでに死に体なのだから、仮にここで相手の不興を買っても死ぬのが先か後かの違いでしか無い。


 そんな投げやりなアヤネの態度から発せられた言葉を、テオは嬉しそうに聞いた。


「うん。ちょっと僕と一緒に来てほしい場所があるんだ。そのかわりと言っちゃあなんだけど、僕のお願いを受けてくれたらここから助けてあげるよ」


 要約するなら、一緒に来ないならここで死ね、である。

 愉快そうに声を弾ませながら、テオはとびきり怪しい笑顔で言った。


「ね、悪い話じゃないよね?」

 もちろん、選択肢などあるはずもない。





 こうして――神童の二人は、S級霊子災害の一つであるフローズン・マグマの氷結城を倒した直後に、あらたなS級霊子災害に挑むこととなった。


 雷を閉じ込めた雲の牢獄。

 その名も、カラミティ・ジェイルの火雷天神。


 それが、二十五年前に終結した霊子戦争の負の遺産の一つであることを、この時点では知る由もなかった。



 ※ ※ ※



 霊子戦争と呼ばれる異界との戦争が、二十五年前に終結した。


 情報生命体である異界人は、次元を超えて攻撃してきた。それらとの講和を終えて終戦を迎えた現世だったが、戦争による変化は避けられなかった。


 霊子現象の活発化と、世界的な魔法技術の普及。


 科学技術の発展によって裏社会に隠れていた魔法技術は、情報生命体との戦争によって再び日の目を見ることになった。それは多発する霊子災害への対応や、発生した霊子生命体と共存する上で不可欠なことでもあった。


 そうして迎えた現代――魔法技術は、あらゆる産業に関わる技術として世界に普及していた。霊子現象を魔法式として扱う『人工魔法オーバークラフト』は、現代において霊子現象を操る上で避けては通れない技術となった。


 各国がこぞって人工魔法の革新を図る現代。無論、日本もその技術革新を進めていたが、そんな中に二人の神童が現れた。


 アヤネ・フィジ

 シオン・コンセプト


 若干九歳で突如として魔法界に現れた神童たちは、たったの一年間で魔法技術を冗談でなく一気に十年は進めてみせた。


 終戦から二十五年、権威主義に凝り固まり始めていた霊学協会や魔導連盟を相手に、正面から好き放題暴れてみせたのだ。


 神童伝説。

 これは、そんな神童たちの活躍の一ページである。



※ ※ ※



 双葉ふたば列島。


 九州の長崎県から北西百二十キロの位置に存在する無人島であり、二つの島が一キロ間隔で並んでいる。

 それぞれ周囲五キロメートルから十キロメートル程度の小さな島であり、右ノ島と左橋島と名付けられている。かつては大陸との貿易の中継地点として利用されていたが、今では人が住まなくなって久しい。


 そんな双葉列島は二十二世紀現在、危険地帯として立ち入り禁止区域に指定されていた。


 そんな場所へ、一隻のチャーターボートが向かっていた。


「しかし、あんたらのも物好きなもんだ」


 ボートのエンジン音にかき消されないよう声を張り上げながら、操舵席に座る中年の漁師が大きな声で言った。


「あの雲の牢獄がいつ来るかもわからんのに、双葉列島に行きたいだなんてなぁ。しかもこんな小さな子供二人も連れてよ」


 皮肉げに言う漁師に対して、傍に座っていた久能シオンは白々しく答える。


「……とーさんの故郷らしいので。それと、僕らの修行も兼ねているそうです」

「はぁん。そりゃあ難儀なもんだ。しかし里帰りだからって、人が踏み込んでいい場所じゃないがね、今のあそこは。はん、魔法士って人種はやっぱりよくわからんねぇ。ま、アレだけの大金を報酬としてもらえるんだから、文句はないがね」


 歯に衣着せぬ言葉をはきながらも、漁師は操縦を止めることなくボートを進めていく。


 現在立ち入り禁止区域に指定されている双葉列島に上陸する手段は限られており、正規の方法はほとんど存在しない。だからこそ、地元の漁師と個人的に交渉をし、こうして小型船舶を利用した不法侵入を試みているのだった。


 久能シオンと久我アヤネ。

 現時点で神童の名をほしいままにする二人も、所詮は小学生に過ぎない。これまでも日本中を魔法の修行と称して跳び回っていたが、家出扱いで補導されることがしょっちゅうだった。

 先日、小笠原諸島に行ったときには、アヤネの実家のコネを使ってヘリをチャーターしたのだが、あの時はあくまで観光と嘘をついた上にハイジャックをしたので、二度目はない。


 そんな彼らが、危険地帯に指定されている場所への不法侵入を試みることが出来たのは――ひとえに、彼らを双葉列島へと誘う人外の協力によるものである。


「そろそろ右ノ島に着きますぜ、旦那! 幸い、あの雷雲は左橋島の方に向かって一時的に消滅しているようですわ」

「それは好都合ですね。では、このまま右ノ島に上陸してください」


 漁師が大声で叫ぶと、外の様子を見ていた一人の男性が操舵室に入ってきた。


 浅黒い肌に黒髪の美丈夫だった。片目を隠した二十代半ばくらいのその男性は、柔らかな表情で漁師に挨拶をすると、シオンの頭を軽く撫でて外に出るように促した。


「さ、少しは外を見たらどうだい? シオン」

「…………」


 シオンは嫌そうな顔をしながらも、その場では文句を言わずに操舵室を出る。そして、ブリッジに出た所で男と距離を取りながら無言で睨んだ。


「あらら、そんなに警戒心丸出しにしないでくれよ。これから一緒に島を探索する仲なんだし」


 シオンのその反応に、男は悲しそうに肩をすくめる。

 そんな彼に構わず、シオンは船尾で腕組みしているアヤネに向けて声をかけた。


「アヤ。テオからなにか変なことされてないか?」

「大丈夫。その男、今のところは妙なことをする気は無いみたい」

「信頼無いなぁ」


 児童二人に警戒と敵意を向けられて、男はがっくりと肩を落とした。


 浅黒い肌に長い黒髪をしたこの美丈夫――テオと呼ばれた男は、数日前に小笠原諸島でシオンとアヤネを助けたファントムの少年と同一人物である。


 霊子細胞を元に実体化しているファントムは、その肉体を自由に変革できる。とはいえ、知性体である以上、肉体と精神の大きな乖離はその存在に悪影響を及ぼすため、多くのファントムは自身の精神に近い形を取ることが多い。

 テオのように子供と大人の肉体を使い分けることが出来るのは、それにふさわしい精神性を持っているからである。


 テオが大人の姿を取り、なおかつ法外な報酬を用意できたために、双葉列島への密航を実行することができた。


 しかし、そもそもテオの脅迫がなければ指定危険地域に足を踏み入れる必要もなかったわけで、シオンとアヤネにとってはなんの得もない。


「それで――結局あんたは、私達に何をやらせようとしているの」


 島に上陸する前に、それははっきりさせておきたい。

 そう思いながら、アヤネは腕組みして挑むような目でテオに追求した。


 それに対して、テオは相変わらずとらえどころのない態度を取る。


「何度も言っているだろう? 君たちにはあの雲の牢獄――を倒してほしいのさ」


 テオは言いながら、視線を海の向こうに向ける。

 その先にあるのは、双葉列島の一つ、右ノ島。まばらに茂る木々と荒れ果てた岩肌が見えるその無人島には、少し前まで一つの災害が居座っていた。


 名を、カラミティ・ジェイルの火雷天神。

 雷を閉じ込めた雲の牢獄とも称されるその霊子災害レイスは、双葉列島周辺を旋回するS級霊子災害である。


 通った場所に無数の雷が降り注がせ、大地を焼け野原にしてしまうこの霊子災害は、先の戦争が終結する以前から存在するS級霊子災害である。


 もともとは九州北部を活動範囲にしていたのだが、二十年前に魔導連盟による討伐隊が組まれたことで活動範囲を大幅に狭められている。現在は双葉列島周辺を旋回しているのだが、時折九州の方に接近してきて、漁船や海洋船を襲う凶悪なレイスである。


 その基本的な情報を思い浮かべながら、アヤネは口を開く。


「ま、アンタがどんな目的を持っていようと関係ないけどね。私達は私達で、S級霊子災害を攻略できるチャンスをもらえるってんなら、好都合だし」

「うんうん。そう思ってもらえると僕も嬉しいかな。やっぱり協力関係ってのは、ウィン・ウィンの関係であるべきだと思うしね!」


 ニコニコと笑うテオに、アヤネは冷たい目を向ける。


「それにしても――『カーラちゃん』、ね」


 皮肉げに言った後、アヤネは口端を上げて挑むようにテオを直視する。


「この間の氷結城の時は『フロマちゃん』だったっけ? ずいぶんレイスのことを親しげに呼ぶじゃない。まるで、旧知の仲みたいに」

「やだなぁ。こんなのちょっとした愛称じゃないか」


 真正面から嫌味を向けられても、テオは涼しい顔をして飄々と答える。


「ファントムである僕からすれば、レイスは親戚みたいなもんだからね。親近感を覚えているだけで、深くは知らないよ」

「どうかしら。その様子だとアンタ、一般的に知られていること以上の情報を持っているんじゃないの?」

「まさか! 僕はカーラちゃんに手も足も出ないから、藁にもすがる気持ちで君たちに助けを求めているんだよ。そんな僕が、あの子の秘密なんて知っているはずないじゃないか!」


 飄々とした様子で口から出る言葉は、その全てが胡散臭い。


 テオと問答を繰り返しながら、アヤネはちらりとシオンに視線を向ける。それに対して、シオンは小さく首を振って返す。


 シオンは先程から、読心の魔法式を起動してテオの様子を見ていた。

 表情や仕草、呼吸や魔力の流れなどを数値として観察する魔法で、人間相手であればほぼ確実に嘘を見破れる術式だ。しかし、それを持ってしても、このファントムからは不自然な点が見られない。


(ファントム相手に完全な読心が成功するとは思ってなかったけれど、ここまで手応えがないなんて……。甘く見すぎたか)


 これまでも霊子災害レイスは何度か相手取ってきたが、ファントムとなると敵対した事自体がない。魔法の大家を渡り歩いて武者修行をしていた頃に試合したことがあるくらいで、こうして実践で向き合うのは初めてである。


 霊子生体ファントム。

 それは一言で言えば、実体を持った神霊である。


 逸話、伝承、呪詛、概念――そういった情報の集まりが霊子細胞を元に形を取り、知性を持つ。そうして発生した情報体がファントムであり、彼らは己の持つ因子を元に情報界にアクセスして自由に現実を改変する。その深度は人間の魔法士を遥かに凌駕する。


 テオにしても、おそらくは何らかの概念が形になった神霊のはずだ。その原始が何かはわからないが、如何にシオンたちが神童と呼ばれるほどの才能を持っていたとしても、ただの魔法士では正面からファントムに敵いはしない。


(だからこそ――このテオとかいうファントムに、僕らは逆らえない)


 仮にテオがシオンとアヤネを殺しにかかれば、二人は為す術もなく殺されることになる。故に、小笠原諸島で交換条件を持ち出された時からここまで、シオンたちは彼に言われるままこの双葉列島まで連れてこられたのだった。


(だけど、この数日テオと行動してきた中で、敵意らしいものは感じられなかった。なら――やっぱり僕たちを利用するつもりなんだろう)


 問題は、どう利用するつもりなのか、だ。


 仮にテオが自分たちを利用する気で居るとしても、ただで利用されるつもりはない。

 彼がカラミティ・ジェイルを倒して欲しいというのなら、あえて乗って霊子災害退治の手柄の足がかりにしてやるつもりだった。


「ついたね」


 右ノ島につくと、テオは漁師に挨拶をした後、あっさりと島に上陸した。


「それじゃあ君たちも準備をしたら降りてきてよ」


 有人島だった名残か、右ノ島には人工的な船着き場が存在していた。今では整備する人間もおらず、更にはカラミティ・ジェイルによる度重なる被害にあっているためか、船着き場はかろうじてその機能を果たしているという状態だ。


 周囲十キロメートルの右ノ島は、かつては人が住んでいただけあって、舗装された道が伸びて民家らしいものがちらほら見える。


 テオに遅れて、シオンとアヤネも上陸をする。それぞれ、体中に小型の魔法デバイスを身に着けた厳重装備であり、すぐにでも戦闘が出来る状態だった。


 そんな彼らを、子供の姿に戻ったテオが出迎えた。


「さあ、それじゃあ探検と行こうか!」

「…………」

「あ、ちなみに子供の姿なのは、こっちの方が居心地いいからさ! 大人の姿はどうも窮屈でね。でも安心して。能力的には変わらないからね」

「誰も聞いてないわよ」


 勝手に事情を説明しだしたテオに、アヤネが辛辣に言い返す。

 彼女は地上の感触を思い出すように準備体操をしながら、テオに向けて質問する。


「それで。さっき漁師のおっさんが言ってたけど、カラミティ・ジェイルは今、左橋島に向かったんでしょう? だったら右ノ島に上陸しても仕方ないんじゃないの?」

「いやいや、そんなに焦ったら死に急ぐだけだよ、アヤネちゃん」


 きざったらしく指を振りながら、テオは訳知り顔で言う。


「霊子災害を相手にする時は、まず情報収集が大事だからね。この右ノ島には、二日前までカーラちゃんがとどまっていたらしいから、まずは現場検証から始めようって魂胆さ。そういうの、君たちは得意だろう?」

「そう。わかったわ」


 相変わらず胡散臭いテオのセリフに、アヤネはあっさりと納得してみせる。

 そして――まるで最初からそう決めていたかのように言い捨てた。


「なら、私は先に軽く島を一周して来るわ。シオンより私の方が機動力は高いし、簡単に立地くらいは把握しておきたいしね」

「え、ちょっと」

「集合場所は……そうね。島の中央らへんに民家の跡があるみたいだし、そこにしておきましょうか。多分私が先につくから、狼煙でも上げておくわ。それじゃ」


 アヤネは下半身に強化を施すと、飛ぶような勢いで駆けていった。

 その勢いときたら、下手な自動車よりも速い。あっという間にアヤネの姿は見えなくなる。


 あとに残されたシオンとテオは、呆気にとられて彼女の後ろ姿を見送った。


「あらら。思った以上にお転婆だね、あの子」


 さすがに驚いたのか、テオは苦笑いを浮かべながらポリポリと頬をかいてみせる。


「あんなに自由に動かれると、計画も何も立てられたものじゃないね。あはは、シオンくん、そうとう苦労しているんじゃない?」

「それなりだよ。アヤの勝手は今に始まったことじゃない」


 テオの同情のこもった言葉に、シオンはそっけなく返す。そして、すぐに民家が集まる方へと歩き出した。


 迷いなく進もうとするシオンを見て、テオは慌てたように声を掛ける。


「え、ちょっと待ってよ。どこ行くのさ」

「とりあえず民家を見て回るんだろ? そこに突っ立ってるんなら、先に行くぞ」

「……はは、神童はどっちも神童ってことかい」


 シオンの乱暴な態度に、テオはクスクスと愉快そうに笑い声を漏らす。そして、黒髪を風になびかせながら、ゆっくりと歩き始めた。


「まったく愉快だねぇ、君たちは」


 そんなテオの言葉を、シオンは仏頂面で聞き流した。





 アヤネは去り際、シオンにだけ聞こえるようにこう耳打ちしていた。


『じゃあ、そっちは任せたから』


 彼女の勝手とも言える行動は、実はフェリー内ですでに打ち合わせ済みだった。

 カラミティ・ジェイルが最大の目的ではあるが、その前に探りを入れるべき相手が身近にいる以上、固まって行動するのは得策ではない。


 陽動と偵察。

 互いが双方の役割を担う。

 その阿吽の呼吸は、彼らの年齢離れした精神性を思わせる。


(そっちは任せたよ。アヤ)


 テオの気を引きつつ、霊子災害の情報を収集する。

 神童たちの戦いはすでに始まっていた。



※ ※ ※



 島の外周はあまり舗装されておらず、荒れ放題になっていた。

 そんな道なき道を、久我アヤネは跳ぶように駆けていく。


 岩肌を蹴り、波が打ち寄せる海岸線のギリギリを駆け抜けながら、彼女は油断なく周囲を観察していく。


(嫌な場所。島のあちこちに気持ち悪い魔力が流れている)


 無秩序にばらまかれた魔力は、むせ返るほどの瘴気となって島全体を覆っている。それはこの島が長期間に渡って魔法現象の事象改変にさらされている証拠である。


 事前に調べた情報によれば、カラミティ・ジェイルの火雷天神は、すでに二十年近くはこの双葉列島付近に閉じ込められているそうだ。


 もし少しでも九州や大陸の方に近づいたら、世界魔導協定IMAに所属しているファントムが妨害に来るようになっている。そうして二十年間、カラミティ・ジェイルは活性化と不活性化を繰り返している。


(全長は最大百メートル前後、連続活動時間は平均一週間。活動中は範囲内に雷撃を落として破壊の限りを尽くす……。霊子災害としては確かに凶悪な方だけど、でも常時活性状態じゃないってのは、S級にしてはぬるいわよね)


 強力な霊子災害は、大抵がエネルギーの補給と活動を同時に行っている。


 例えば、小笠原諸島で討伐した『フローズン・マグマの氷結城』は、発生してから四十年間その活動を止めることのなかった半永久機関だった。

 また、同じくS級に指定されている『カール・セプトの鏡回廊』などは、迷い込んだ存在を合せ鏡の迷宮に閉じ込め、エネルギーを吸収し尽くして動力にする凶悪な霊子災害である。


 そうした他のS級霊子災害たちと比べると、活動時間に制限があるというのは、どこか型落ちの印象を拭えない。


 それに――


「破壊の限りを尽くす――はずなのに、ずいぶん原形が残っているのよね」


 島を半周した所で舗装された道が見えたので、アヤネは一旦停止してあたりを見渡す。


 ここまでの道中でも災害の爪痕は島中に見られた。砕けて飛び散った岩盤に、ひっくり返った地面、森林火災の後や、廃墟となって吹きさらしになった民家。どれも、自然と風化したとは思えない悲惨な災害痕だ。


 だが――これが二十年間災害にさらされた無人島かと言われると、疑問を覚える。


(この違和感は何? 雷撃の痕はあるから、カラミティ・ジェイルが存在しないという仮定は成立し得ない。S級という判定が間違い? でも、事実として国際的に危険地帯に指定されている。けれど、実際に見える災害の影響が想像より小さい。IMAで名前がつくほどの災害なのに、なぜこの程度の被害で済んでいるの?)


 思考を進めながら、アヤネはすぐそばの民家に近づく。


 そこは小さいながらも農場だったようで、家畜を飼うための小屋や柵が設置されていた。無論、今となっては家畜の姿などはなく、かすかに骨の跡が残るくらいだ。

 それらをつぶさに観察しながら、アヤネはゆっくりと半壊した納屋に近づく。


 壁が破壊された納屋は、農具が散乱して荒れ放題になっていた。

 人為的な破壊ではないのは見るだけで分かる。しかしこれもまた、雷嵐が何度も通ったにしては綺麗すぎる。


 その時、ふと動物の死骸が目についた。


「猫の死骸?」


 納屋の端、積まれた干し草が風化した場所にその死骸は転がっていた。それが猫だとはっきりわかったのは、その死骸がミイラ化していたからだった。


 アヤネはそばに近寄ると、魔力の糸を垂らして間接的に解析を試みる。


「『インクルード』――『アナライズ』」


 ミイラ化している以上、死骸だけでは正確な死亡時期を割り出すのは難しい。細菌や微生物の有無、胃の内容物の痕跡や付着した不純物などを一つ一つ精査していく。

 その中で、一つの手がかりを見つけた。


痘痕とうこん……? 病気だったのかしら」


 ミイラの表面にぶつぶつと小さなくぼみのようなものがいくつもついていた。その部分は毛も抜け落ちており、皮膚表面がくぼんでいる状態である。


 しばらく猫のミイラの見聞を続けた後、アヤネは納屋の外に出て島の探索を続ける。


 しかし、他にはめぼしいものを見つけることは出来なかった。

 野生の小動物はほとんどが死滅しており、たまに白骨化した死骸を見かけた。野鳥すらも一度も見かけることがなく、代わりに昆虫類が林の中で大量に繁殖しているのを発見した。


(雷嵐が定期的に襲ってくるから、この島自体が生物の生存に適していないのは分かる。そして、捕食者が居ないために昆虫が必要以上に増える。理屈として合っているけど――やっぱり、被害の規模が引っかかる)


 小動物が生存できないほどの災害に繰り返し襲われたのなら、もっと木々は倒れ、建物は原型を留めないくらい破壊されているはずだ。隠れる場所が残っているのに、行動範囲の広い生き物が残らず死滅しているのは、何か他の原因があるように思える。


 一度、シオンと話し合いたいと思った。


 別行動を取り始めてからだいたい二十分くらいが経過している。出来ることなら、テオの相手をしているシオンにはもう少し時間を与えたい。向こうの交渉が一段落つくまでは、もう少し探索を続けるべきか。


 そう思いながら、アヤネは海岸線の方に向かった。


 崖の上に立ったアヤネは、一キロ先に見える左橋島を見つめる。その左橋島の上空付近に、小さなドス黒い雲が発生しかけているのが目視できた。


(あれが、カラミティ・ジェイルかしら)


 もう少しじっくり観察しようと、アヤネは崖を降りる。

 靴底が冷え切った砂浜の砂利踏みしめ、冷たい潮風が頬を撫でた。



 そして――



「な――に」


 気配も何もなかった。


 崖の上に居た時には影すらもなかった女性が、突如としてアヤネの目の前に現れた。

 真っ白な病衣を身にまとった痩身の女。伸ばしっぱなしの黒髪に透き通るような青白い肌は、長期入院でもしている患者のように見える。


(生存者? いや、この島は二十年間立入禁止のはず。そもそも、さっきまで生命の反応は感じ取れなかった)


 慌てて身構えながら、アヤネは手首に巻いたバングル型デバイスに魔力を通す。瞬時に臨戦態勢を取りながら、油断なく女を観察する。


 その女は海を眺めているようだった。

 幽鬼のように佇むその様子は、瞬きの間にかき消えてしまいそうだ。幻や錯覚であると言われれば納得してしまいそうなほどに、その姿は人間味に欠けていた。


(魔力反応ほぼ無し。生命力も感じられないから、もしかして霊体? その割には、情報密度も薄すぎる。まるで映像だけが立っているような……でも、足跡がついているから質量はちゃんと存在している。本当になんなの、あいつ)


 彼我の距離はニ十メートルほど。

 一足には遠く、しかし無防備に退避するには近すぎる距離だ。相手の正体によっては、次の瞬間に即死級の攻撃が飛び交ってもおかしくない。


 どうするか、次の行動に逡巡をした時だった。


『キュ、キュルルルル―――』


 女の口から、人のものとは思えない不気味な高音が響いた。

 やがてその音は周囲の空気を震撼させ、呼応するようにバチバチと火花をちらし始めた。


『キュルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!』


 耳をつんざくような高音が響き渡る。


 周囲に散った火花はやがて電光となった。青白い放電は女から拡散するように発せられ、またたく間に海岸全域へと広がっていく。


 その余波は、アヤネの方にも向かっていた。


「来るのね。なら!」


 放たれた雷撃を見て、アヤネは砂浜に降りた瞬間から準備していた魔法式を起動する。


「『千紫万紅』――『砂漠の塔さじょうのろうかく』!」


 瞬間、アヤネの周囲の砂が一斉に起き上がり、彼女を守るように壁を作った。正面から放たれた雷電は砂の壁に直撃して弾かれ、四方八方に散っていく。


 絶対防御結界『砂漠の塔』

 細かい砂に大雑把に通した魔力を通して、砂の密度を自由に操作する魔法。それは時として強固な盾となり、そして――時として強靭な矛となる。


 壁として持ち上げた砂を解除しつつ、アヤネは渦巻くように砂を操作して一点に突撃させる。


 鋭い槍となった砂は、立て続けに無防備な病衣の女の肉体に突き立てられる。反射的に反撃をしてしまったが、あまりにもあっさり攻撃が通ったのであっけにとられる。

 竜のようにうねる砂に身体を貫かれた女は、空中に持ち上げられる。


 その時、初めてその女はアヤネの方に視線を向けた。

 謎の女と目が合う。


 瞬間――周囲を膨大な情報圧が席巻した。


「……なに!?」


 突如、辺り一帯に黒い水蒸気が満ちた。


 いつの間にか、左橋島上空にあった雷雲は消え失せて右ノ島の海岸を覆っていた。雲が海岸を満たしていくとともに、火花をちらしながら雷撃が立て続けに落ちてきた。


 それはまさしく、雷を閉じ込める雲の牢獄だった。


 次々と襲ってくる落雷を砂の盾で防ぎながら、アヤネは空中で串刺しになっている病衣の女を見上げる。

 だらりと脱力して宙に揺れるその影は、まるで質量がないかのようにとらえどころがない。しかし、確かにアヤネの砂の槍はその女の身体を捉えていた。


(この雷雲。まさかとは思ったけど、こいつが……!)


 次々と落ちてくる雷の雨は次第に威力を増していく。しかし、今はまだ片手間に防げるくらいだ。ならば、今のうちに勝負を決めてしまうべきだろう。


 幼さに似合わぬ豊富な経験は、ここが勝負どころであると告げていた。

 その直感に従い、アヤネは全身の魔力を励起させる。彼女の持つ膨大な魔力量は、周囲の物理現象を無理やり掌握し、恣意的に事象を変革する。


 アヤネは降り注ぐ雷撃を掌握すると、雷が持つジュール熱を一手に集めた。

 そして――病衣の女に向けてためらいなくぶっ放す。


「いっっけええええええええええええええ!」


 膨大な熱量は雲を裂いて標的を焼き殺す。情報そのものを焼き尽くす神秘の熱線は、病衣の女を跡形もなく消し去った。


 雷雲が晴れる。

 十二月の冷えた海風が肌をなで、眩しいほどの青空が途方もなく広がる。消え去った雷雲の残滓を感じながら、アヤネは小さく息を漏らした。


 あっけない――とは思うが、しかし今しがた撃った熱線は必殺のものだった。即興の魔法式とは言え、その熱量はレイスを消し去るに足るだけのエネルギーがあった。


 脅威が去った海岸で、アヤネは痕跡を調べるために一歩を踏み出す。


 その時、わずかに頭痛を覚えた。

 全身を倦怠感が襲い、体温が上昇していく。それ自体は異変と呼ぶほどでもない体調不良だが、急な変化に怪訝な表情を浮かべる。


「……風邪かな?」


 そんな日常の延長のような気の抜けた言葉をつぶやきながら、アヤネはなんとなしに後ろを振り返る。


 そこに、


「――――」


 病衣の女が、だらりと佇んでいた。


「……ッ! な!」


 怖気を覚えながら、アヤネは飛び退くように病衣の女との距離を取る。


 女は無傷でそこに立っている。長い黒髪が目元を隠しているために表情は見えない。ただゆらりと立ち上るその姿は、不気味な影法師のように見えた。


(霊子転換をしそこねた? いや、ちゃんと念入りに魔法式は組んだ。じゃあなんで!)


 霊子災害レイスは実体を情報界に持つため、ただの物理法則は通じない。だからこそアヤネは、物理的な攻撃を情報界に届かせるための変換を加えていた。それはレイスとの戦いでは必須の技術であり、今更それを仕損じるとは思えない。


 いや、それより――今は、目の前の驚異の方が優先だ。


『キュルルルルラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 アヤネの姿を認識した病衣の女は、再び甲高い叫び声を上げる。

 海辺の空気を震撼させる高音とともに、景色を塗りつぶすように暗黒の雲が広がっていく。


 雷を閉じ込めた雲の牢獄。

 カラミティ・ジェイルの火雷天神。


「は、はは! 面白いじゃない!」


 体が熱い。

 発熱して重くなった身体を意識しながら、アヤネは強がりに顔を歪めて火雷天神を見据えた。



 ※ ※ ※



「そもそもの話だけれど」


 島の中心に続く道を歩きながら、テオが雑談でも振るように聞いてきた。


「君たちは、火雷天神についてどれくらい知ってるのかな?」


 彼は荒れ放題になっているあぜ道の草を無造作に切り分けながら進んでいく。


 テオの手には身の丈ほどの巨大なハサミが握られており、彼はそれを使って次々に草木を伐採していく。

 大鋏という異様な刃物を使って道を切り開く様子はどこか現実味に欠けているが、彼がファントムであることを考えると驚くほどのことではない。


 テオの問いかけに対して、シオンは顔も向けずに淡々と返す。


「火雷天神ってのは、天神信仰。日本神道を起源とする天神を祭り上げる信仰だよ。けれど、今では主に平安時代の貴族、菅原道真を神格として崇め奉る概念を指す」

「へぇ。結構詳しいんだね」

「ここに来る前に調べた」


 意外そうに目を丸くするテオに対して、シオンはあくまで感情を動かさずに言う。


 菅原道真。

 平安時代の貴族であり政治家。様々な功績を残す偉人であるが、朝廷での権力争いに敗北して左遷され、失意の後に死没する。しかし彼の死後、天変地異が多発して朝廷に危機をもたらしたことから、道真の怨霊が祟りをなしたと言われ畏怖されることとなった。


 火雷天神とは、そんな菅原道真の祟りと、神道における雷の神である火雷神を習合させた概念である。


 元々は怨霊として恐れられた火雷天神であるが、渡来した仏教による崇敬を受けたことでそのあり方は変化した。また、時が経つとともに菅原道真の名誉も回復していったため、現在に置いては様々な神格を持つ善神として信仰されている。


「ふぅん。でも、元が個人の怨霊にしては、随分と有名な神格だよね」


 テオは相槌を返しながら、草陰から飛び出してきた大きな蛇を大鋏で片手間に切り刻む。毒々しい色をした毒蛇は、ざく切りにされた途端その肉体を消滅させていく。どうやら、島に満ちた魔力に呼応して発生した低級霊だったようだ。


 ここまでの道中も、似たような低級霊は何体も出てきていたが、それをテオは目を向けることもなく処理していた。シオンの方に襲いかかる低級霊すらも残らず叩き潰しているのだが、テオはそれを気に留めることもなく話を続ける。


「雷神と言ったら、どの神話でもかなり上位の神格だ。ギリシャの主神ゼウスに、北欧のトール、インド神話のインドラ――あと道教には雷祖、九天応元雷声普化天尊なんてのも居る。ただの怨霊が、神話の代表となるくらいの存在になった理由には興味があるね」

「それは天神信仰の成り立ちが理由だ。この信仰の特徴は、日本各地に点在していた火雷神の伝承が、全て菅原道真と同一視されたことにある」


 ふいに二人の視界が開けた。


 元が集落だからだろうか、コンクリ建ての集合住宅や公共施設などの建物がまばらに立ち並び、かつては整地されていたことが伺える。今では廃墟となって荒れ放題であることに変わりはないが、それでも道中に比べると雑草や木々は控えめである。


 その景色を見ながら、シオンは話を続ける。


「元は一つの神格として祀られただけの死者が、怨霊として有名になりすぎたせいで他の神格と習合されることになったんだ。今では、天神さまと言えば菅原道真を指すくらいだ。けれどその実態は、個人というよりは概念の集合体に近い」

「なるほどねー」


 道を切り開く必要がなくなったので、テオは両手を頭の上に回して、リラックスしきった態度であるきながら感想を言う。


「カーラちゃんはやけに強力なレイスだったから、どんな神格が元になったのか気になっていたけれど、君のそれを聞いて納得したよ。なるほど、一柱の神格というだけじゃなくて、無数の信仰が統合された神格だったわけだ」

「……知らなかったのか?」

「うん。君たちが知ってると良いなぁとは思っていたけどね」


 あっけらかんと言うテオは、何を思ったのか不意に地を蹴って高く跳び上がる。


 彼はすぐそばにある近くの廃墟の屋根に跳び乗ると、そこからすぐに隣の民家へと軽業師のように跳び移った。そして、地上を歩くシオンを急かすようにニコニコと手を降った。


 それに対して、シオンはペースを変えずにゆっくりと歩いて近づく。


「おい、テオ」


 屋根の上でくつろぐ褐色肌の少年を見上げながら、神童はつまらなそうに聞く。


「お前はカラミティ・ジェイルを相手に戦ったことがあるんだな?」

「うん? どうしてそう思うんだい?」

「さっきお前は、やけに強力なレイスだったと言った。実際にやりあってないと出てこない感想だ。だって――その感想は、この島の被害の規模に合わない」


 シオンもまた、アヤネと同じ感想をここまでの道中で感じていた。


 二十年以上災害に見舞われているにしてはきれいすぎる島の景色は、何らかの作為が働いていると思えた。少なくともファントムであるテオならば、この程度の破壊は一日もあれば軽く行うことができるはずだ。

 そんな彼をして『強力なレイス』と評価するならば、それなりの理由があると踏んだのだった。


 テオを見上げたままシオンは核心に踏み込む。


「いい加減教えろ、テオ。お前は僕らにどんな役割を期待している? 囮か? それとも生贄か? 少なくとも、協力しようってつもりじゃないはずだ」

「あらら。まったく信用されてないんだなぁ」


 テオはショックを受けたようにがっくりと肩を落とす。その仕草はあまりに胡散臭く、傍目から見ても裏があるのが丸わかりだった。それをシオンは冷めた目で見つめる。十歳の子供のものとは思えない冷たい視線に、テオは困ったように頬を掻く。


「協力してほしいのは本当さ。だってほら。ファントムにはバディが居ないと、現実界で戦闘なんてできないからね」


 ファントムは元が霊体なので、実体化するために魔力が必要となる。簡単に実体を取る程度なら自力で供給することも可能だが、戦闘となると要となる魔法士が必要だ。


 だからこそ、ファントムはバディを求める。


 魔法士はファントムと契約することで情報界へのアクセスに優位を得て、ファントムは魔法士と契約することで現実界とのつながりを得る。それ故に、バディ関係というのは現代の魔法界において何よりも重視されている。


 野良のファントムが、目的のために魔法士を求めるのは間違いではない。テオの主張も、そうして聞いてみるともっともらしい言い分だ。


 だが――


「嘘だな」


 神童はその言い分を真正面から切り捨てた。

 間髪入れずに否定されたことで、さすがのテオも言葉に詰まって目を丸くする。そんな彼に向けて、シオンはあくまで淡白に続ける。


「お前はすでにバディ契約をしている。どこの誰かまではわからないけどな」

「……どうしてそう思うんだい?」

「思ったんじゃない。調べたんだ」


 こともなげにシオンは言う。


 ここまでの道中、シオンはテオが道を切り開くのをただ漫然と眺めていたわけではない。自分に襲いかかってくる低級霊を振り払えないほど、シオンは集中をしていたのだ。


 行っていたのは、テオへの一方的な魔力供給だ。魔法士とファントムのつながりは、魔力供給の繋がりであると言っていい。テオが感じられないほど微弱な魔力だったが、それでも確かに彼とつながったシオンは、そこに別の魔力の流れがあることを感じ取った。


「遠いけど、お前は確かに魔法士からの支援を受けている。それを隠して近づいてきたんだ。手放しに信頼するのは無理だ」

「驚いた。僕が気づかないようにハッキングされるなんて……。いや、本当に、君たちのことを舐めていたよ」


 シオンの回答に、テオは真面目な表情で言った。


 柔和な表情こそ崩れていないが、そこにふざけたような色は見えなかった。本当に感心したようにテオはシオンへと向き直る。


「君たちのことはフロマちゃんの所で十分に見ていたつもりだったけど、でもまだ過小評価だったみたいだ。うん。でも、それは僕にとって好都合だ! やっぱり、君たちを選んだ僕の目に間違いはなかったよ!」


 テオは手の大鋏を大きく広げてみせる。その禍々しい刃が日の光を浴びて鈍く輝く。全長一メートルはあるそのハサミからは、吐き気をもよおすほどの禍々しい情報圧が漏れ出ている。


 大鋏を構えながらテオはにこやかに言った。


「それじゃあ、質問に答えようじゃないか、シオン君!」


 そう言った途端、周囲の木々が一斉にざわめき出した。


 まるで突風でも吹き荒れたかのような葉擦れ音が、やかましいほどに響き渡る。空気が震撼し、大地が共鳴する。

 その中心となるのは、テオと名乗るファントムである。廃屋の屋根に佇む彼は、全身からおびただしいまでの情報圧を撒き散らしながら大鋏を振り上げる。


「君にさっき聞かれたことはまったくの的外れだよ。囮? それとも生贄? 。それどころか、僕は嘘なんて一つも言ってないんだ」

「くそ……!」


 テオが本性を表したことで、この場は一瞬にして死地に変わった。

 シオンはすぐにデバイスに魔力を通して、複数の魔法を同時に発動させる。


「『虚影よ、実像をつかめ!』」


 シオンの影が伸びてテオが立っている廃屋の影を捉える。


 影でつながった相手を縛る単純な魔法。もちろんファントム相手に通じるとは思っていないが、これは次の手の布石である。


 本命は、この影縛りの術式が破壊される時に起こる影の形の変化――写身となった影は固定されており、その形が変わることはそのまま実像に影響を及ぼす。

 それは対象の情報密度が高ければ高いほど効果を及ぼす呪詛返しだった。


 ファントムを即死させることは難しくても、一時的に戦闘不能にすることはできる。これは、何回もシミュレーションしてきたファントム対策だった。


 そんな二段構えの罠を前に、テオは――


「バディになって欲しいってのは、嘘じゃないよ。だって――」


 影縛りの魔法を意にも介さず。

 テオは大鋏の右刃を、思いっきり真下の廃屋へと叩きつけた。


「――『彼』とバディになって欲しいのは、僕の本心だからさ」


 その一撃は屋根を叩き割り、建物そのものを粉々に粉砕する。建物だけでなく、その下の地面すらも叩き割る勢いで振り下ろされたハサミは、シオンが向けた影の術式を跡形もなく破壊してみせた。


 魔法式の失敗により、シオンは通した魔力のフィードバックを受ける。全身がしびれる感触の後、膝をつきながら目の前のファントムを見上げた。


(ぐ、まずいッ!)


 破壊された廃屋の中心で、テオは大鋏の片刃を地面に突き立てて佇んでいる。彼が大鋏を地面から抜いて無造作に振るうと、砂埃は一瞬で晴れた。


 テオは大鋏を右肩に担ぎながら、微笑をたたえてこちらを見ている。

 彼が身じろぎ一つするだけで、シオンを十回は悠に殺すことができるだろう。霊子生体ファントムとはそれくらい強力な存在だ。真正面から向かい合った時点で勝ち目などない。


 ならばと、シオンは術式失敗のフィードバックをこらえながら、少しでも情報を引き出そうと魔法式を実行する。


(せめてステータスだけでも!)


 かすかにつながっていたテオとの魔力の糸を引き込み、彼のファントムとしての性能を盗み見ようとする。


 そして――絶句した。


(因子……!?)


 ファントムには、能力の源である因子が複数存在する。大抵のファントムは3,4個。強力なファントムになれば、7個以上の因子を持つこともある。

 それを、テオは九つ持っていた。


○テオ

 原始『不明』

 因子『災害』『鬼』『■■』『■■』『■』『■■■』『財神』『■■』『悪霊』


 因子九つ。

 ハイランクファントム。


 わずかでも残されていた持久戦の可能性は、この時点で完全に消え去った。


「………ッ!」


 判断は早かった。

 シオンは地面に転がる木の枝を手に取ると、簡単に強化を施す。


 そして――迷いなくその切っ先を自分の喉元に突き立てた。

 柔らかい皮膚を貫き、鮮血が飛び散る。的確に傷つけられた動脈からは毒々しい赤い魔力が噴出した。


 その流れるような自害に、さすがのテオも目を丸くした。


 止める間もなく、シオンの肉体は死を迎え――そして、霊子体を構成していた魔力は霧散し、跡形もなく消滅した。


「……わぉう。びっくりしたぁ」


 大鋏を地面に取り落しながら、テオは絶句しながら死体が消えた空間に近寄る。


「いや。いやいや。こんなの、まさかまさかだよ。嘘でしょ、僕と一緒に居た時、あの子はずっと霊子体だったっていうの? ここ現実界なのに?」


 霊子体――本来は、生身での活動が行えない情報空間内での活動を想定して作る、人体を模倣した分身である。

 上位次元に存在する霊子災害に干渉するためには必須の技術であるが、反面、現実界での活動にはあまり向いていない。


 生身と見紛うほどのその精度は、二重身ダブルウォーカーと呼ばれる高等技術だ。


 この島に上陸してからテオと行動していた間、シオンはずっと生身ではなく霊子体で活動していたことになる。それを気づかれずにやっていたのだから、恐ろしい話である。


「よっぽど信用されてなかったんだなぁ、僕。そりゃそうだとは思うけど、仲良くしたかったのは嘘じゃないんだけどなぁ」


 テオは大鋏を肩に担ぎながら、自分が今しがた破壊した家屋を見返す。


「ま、でも」


 大鋏を閉じたテオは、それを肩で担ぎながら海岸の方を見て言う。


「後は成るように成れ、だよね。いまので流石ににも気づかれただろうし、ちゃんと隠れてないと僕の命が危ないや」


 テオは海の方から向かってくる膨大な情報圧を感じていた。あれだけ情報圧を撒き散らしたので当然だが、テオの存在に早速気づいたようで、真っ直ぐにこちらに向かってきている。


 正面から『アレ』と戦うのは得策ではない。

 けれど、『彼』なら、対等に戦える。


「というわけで、期待してるよ、『風神』さん」


 気取った風にそう言ったあと、テオはあっさりと実体化を解いて見えなくなった。



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