第43話 赤い靴は優雅に踊る
かつて神童と呼ばれ、そして現在はただの魔法士となった二人。
それぞれ、相手の手は知り尽くしている。その上で、四年という空白期間に得たことを、魔法を通して対話していた。
「やるわね、シオン」
手首にはめたメインデバイスに魔力を通しながら、アヤネは不敵に言う。車椅子という移動手段を失い、あとは狙われるだけとなりながらも、彼女は依然、堂々とした様子を崩さない。
それに、シオンはロッド型デバイスを左手に持ち替えながら、慎重に身構える。
「どうした、アヤ。随分おとなしいじゃないか。もう少し手加減したほうが良いか?」
「冗談。ようやく温まってきて、最高の気分なのよ。こっからが気持ちいいんだから、手なんか抜いたら承知しないわ」
痛みに顔を顰めるようにしながら、アヤネは全身に魔力を通す。
雑な魔力操作は彼女の痛覚を刺激するが、それに構わず、魔法式を発動させるための魔力を全力でデバイスに注ぎ込む。
自嘲げに顔を歪めながら、挑発するように言う。
「それとも、けが人相手じゃ不満? それは侮られたものね」
「けが人はお互い様だ。お前のことを侮ったことなんて、一度もないよ」
不敵に煽ってくるアヤネに対して、シオンもまた、軽口で返す。
シオンの砕けた左手は、魔力強化によってかろうじて握力を取り戻していた。
彼は左手に持ち替えたデバイスに、時間をかけて魔力を出力する。『セブンズミラー・サーキット』を利用すれば全盛期並みの魔法行使は可能だが、それができるのは最大二十秒。限界が来ると、媒介にしている鏡が割れてしまう。
鏡はあと四枚。
一度の使用で二枚の鏡が消費されるので、全力で魔法行使ができるのは、あと二度が限界だ。相手の様子を見ながら、使い所は考えないといけない。
アヤネは激痛に身を捩りながら、何らかの魔法を発動させようとしている。しかし、その初動が遅い。
ならば、先に仕掛けて、様子を伺うべきか。
シオンは魔法式を起動する。
起動する魔法は二工程。
要素部『水』変換部『色彩・赤』――要素部『幻覚』変換部『空白』。
先程は赤い光を地面から掃射することで、触れた存在に熱を意識させた。今回は、水を赤色に染めて血のイメージを付与させ、出血の幻想を抱かせる。
『
色の持つイメージを想起させ、現実に影響を与える概念属性の魔法。
普段ならば絶対に持ち込まないマテリアルとコンバータだが、今日のシオンは、『セブンズミラー・サーキット』のおかげで自在に魔法を扱えるので、魔法式に余裕がある。
いつもは決め手の魔法式にほとんどのメモリスロットを占領されるので余裕が無いのだが、彼は元々、こうした相手を翻弄する魔法の方が得意なのだ。
「『レッドイマージュ』――『スラッシュ』」
シオンは、水を薄くカッターのようにして、噴射させる。
それら自体にはそこまでの攻撃力はないのだが、肉体に触れた時、赤く染まって出血を誘発させる。幻想でしか無いそれは、相手に現実と認識された瞬間、本当に皮膚を裂き、血を流させる。
シオンが射出した水の刃が、アヤネに迫る。
その時だった。
「『下肢』『
アヤネの全身から、赤い魔力が放出する。
雷のように激しく、炎のように苛烈なその魔力は、彼女の両足を覆い尽くすと、周囲に大きな衝撃波を撒き散らした。
「『起動』――『霊子外骨格・赤い靴』」
そして。
彼女は、その両足で、地面を踏みしめた。
「なっ!?」
立てないはずの少女が立ったことに、シオンは目を剥いて驚く。
「『
驚愕するシオンを尻目に、アヤネは赤く染まった両足で飛び上がると、自身に迫る水の刃を残らず叩き落とす。
彼女の足に触れた瞬間、水は赤く染まって血の噴出を演出するが、それすらも、アヤネの下半身の赤い魔力は飲み込んでしまう。
地面に降り立ったアヤネは、踏みしめた地面を砕きながら、猛スピードでシオンに突撃する。
シオンは必死で魔力をデバイスに通し、『
「『ブルーイマージュ』――『アイスウォール』!」
地面から水を噴出させる。幻想によって温度を下げられた水は、瞬時に凍って氷の壁となって突撃するアヤネを遮る。
しかし、所詮は幻想で作った氷。
物理的に作ったものならともかく、その強度はたかが知れていた。
アヤネは壁の手前で地面を踏みしめると、思いっきり回し蹴りを放つ。それによって、氷の壁は粉々に砕けた。
そのまま、アヤネはもうひと回転し、左足をシオンに叩きつけようとする。
「くっ、『イエローイマージュ』――『フラッシュ』!」
僅かな魔力を利用して、強烈な光を放ってアヤネの目をくらませようとする。
しかしその瞬間、アヤネはシオンを凝視しながら、命令を追加した。
「『
目くらましによって視界を奪われながらも、アヤネの回し蹴りは止まらない。
足に目でもついているように、彼女の左足は正確にシオンの頭を狙う。
地面を砕くほどの赤足は、シオンの頭を蹴り飛ばした。
「がっ、ぁ!」
かろうじて、シオンは回し蹴りを左腕で受けた。
それにより、元々砕けていた拳は完全に壊れ、腕自体もへし折られた。
かろうじてロッド型デバイスは右手に握り直したが、魔法を発動させる暇もなく、シオンの身体はボールのように地面にたたきつけられた。
腕ごと蹴り飛ばされたシオンは、そのまま地面をバウンドし、十メートル近く吹き飛ばされる。
ようやく勢いが止まったときにも、激痛に身動きが取れず、身を捩って唸る。
その隙を、アヤネは見逃そうとしなかった。
彼女はまたしても猛スピードで迫ると、地面を砕く勢いで蹴って、上空に飛び上がった。
「『
赤い足を斧に見立てた、かかと落とし。
それはまっすぐに振り下ろされ、シオンを叩き割るだろう。
(まずい。これは、止まらない……!)
明確に、自身の敗北を意識した。
見たところ、アヤネの足には強力な概念が付与されている。
先程は、視界を奪っても自動的に頭を狙ってきたので、生半可な妨害では、びくともせず攻撃を続行するだろう。
彼女にしては珍しい概念属性の魔法。
概念属性――アヤネが長いこと苦手に思っていた属性。
その理由は、彼女の場合は大半が物理的に再現可能だったからだ。一から空想するよりも、物理属性で現象を起こす方が彼女にとって労力が少なかったのだ。
しかし、彼女の足を動かしているのは、それとは違う。
事故以来、彼女の足は物理的に動かなくなった。
仮に、魔力を纏って念動力のように動かしても、自由自在とはいえない。こんな風に飛んだり跳ねたりは出来ないはずだ。つまり、何らかのルールのもとに、自身の足を動かしていると考えられる。
対応を誤ったら、ここで敗北する。
(赤い靴――童話をモチーフにした概念魔法。首斬り斧は、足を切り落として、暴走した赤い靴から、少女を開放する役割――なら、これには明確な『切断の概念』が付与されてるはず)
振り下ろされる赤い足を凝視する。それだけではない。アヤネの全身を見つめ、彼女の意図を探り、彼女の策の全てを丸裸にする。
概念属性は、明確なルールを敷いてそれを遵守させる代わりに、ルールを満たした場合や、ルール外の出来事に対しては脆弱な一面がある。
妨害をしても追撃が来る。
回避をしても結果を残すまで彼女の足は止まらない。
ならば――結果だけを先に与えてしまうのが、正道!
「く、ぅおおおおおっ!」
僅かに逡巡した後。
シオンは右手に持ったデバイスを、思いっきり彼女の足に投げつけた。
振り下ろされたアヤネの右足は、そのデバイスを真っ二つに切断する。
しかし、それで終わりだ。
一度切断を成功させた右足は、その下にいたシオンの身体を切り落とすことはなかった。
骨がきしむような激痛が胸元を襲う。しかし、強力な打撃であることは間違いなかったが、肉体が叩き割られるほどじゃなかった。
「くそ、小癪な!」
決め技が失敗したのを悟ったアヤネは、すぐさま地面に降り立ち、右を軸足に左足を鎌のように振るってくる。
そちらの足も赤く輝いていて、ひと目で危険なのが分かる。
そんな絶体絶命の状況において――シオンは、ギリギリで、右腕に魔力を通した。
「『セブンズミラー・サーキット』!」
デバイスは失われた。
組み立てられた魔法式はなく、一から組まなければいけない――そんな状態で、シオンはとっさに、魔力で呪符を作り出す。
火行符――爆砕。
それで起きたのは小さな爆炎だった。
それは、シオンとアヤネの間を無理やり引き離した。シオンは昏倒しかけるが、かろうじて地面を転がりながら意識を保った。
至近距離で無防備に爆発を受けたアヤネは、激痛を覚えながら、地面に足を振り落とす。
「ぐ、ぅうう、こんの!」
地面に足をめり込ませたアヤネは、すぐさま追撃を仕掛けようと口を開く。
しかし、それよりもシオンが早かった。
「『土行符』『金行符』『水行符』! ――『土生金』、『金生水』『水生木』――『木生火』! 地よりい出て、大火よ巡れ、急急如律令!」
シオンは右腕から魔力を噴出させながら、立て続けに四つの魔法を叩き込む。
土の槍、金属の刃、水の柱、木の根――それらは立て続けに地面から躍り出て、アヤネを襲う。
はじめは足でそれらを蹴り倒していたアヤネだったが、その勢いに押され始める。
極めつけが、それらをすべて飲み込む大きな炎だった。
一撃ずつアヤネを襲った土、金、水、木の属性は、それぞれが絡まり合って、最終的に巨大な炎へと成長した。
「まずっ」
炎はアヤネを飲み込むように、周囲を囲いながら逃げ場をなくしていく。
完全に立場は逆転した。それを理解したアヤネは、すぐに対応する。
「『
呪符の相乗によって起きた炎は、周囲の酸素を急激に奪っている。ならばと、それを利用して、アヤネは気圧変化を後押しして突風を起こした。
強力な風に、炎が散り、小規模の爆発となる。
その爆風に乗るようにして距離を取ったアヤネは、地面を踏みしめて、わずかに考える。
対決か、撤退か。
判断は瞬時にくだされた。
全力が使えるシオンと真っ向から張り合うのは危険だ。彼女は脚部に魔力を流すと、シオンから距離を取るために駆け出す。
「逃がすか!」
シオンは逃げるアヤネを追いながら、立て続けに呪符を作成する。
『セブンズミラー・サーキット』の効果時間は残り十五秒。
脳裏に広げた設計図を、一つ残らず形にする。魔力の消費は気にしない。この機会を逃せば、一方的に攻めるチャンスはないだろう。
ここで決めると、シオンは決死の思いで攻め込む。
「『木火土金水』、『五行相生』! めぐりて栄えろ、急急如律令!」
作成する呪符は、一つ一つは簡易的な、最もオーソドックスなものだ。しかしそれを、相性の良い順番で起動させることで、一つ一つの効果を盛り上げていく。
木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。
五行思想、五行相生。
奇しくもそれは、アヤネが行う
「急急如律令、急急如律令、急急如律令!」
生み出した呪符一枚一枚に命令を送る。
次々と襲い来る呪符の猛攻に、アヤネは疾走しながら風の防壁を作り出すと、その全てを撃ち落としていく。
「『千紫万紅・
もはや呪文という形で結果を口にする余裕もなく、ただ脳裏に浮かべた変化を現実に起こすため、最低限の文言のみで魔法を発動させる。
アヤネの全身をまとう風が、シオンの五行符を打ち払っていく。それでも、追い詰められているのはアヤネだった。一回ごとに強力になっていくシオンの呪術を前に、アヤネは徐々に足を止め始めていた。
それを見て、シオンは最後の三秒、トドメとばかりに魔力を込める。
「急急如律令、急急如律令、急急如律令――ああ、もう、面倒だ!」
脳裏にはすでに過程が組み上がっている。
呪符を作り出す手間も惜しみ、シオンは脳内で組み立てた魔法式を、直接形にした。
「『
木の根が、火の雨が、土の槍が、金属の刃が、水の柱が。
いっぺんに重なり合って、ただのエネルギーの塊となったシオンの呪術は、アヤネの風の防壁をあっさりと貫通した。
「く、まだ!」
アヤネは足に魔力を送り、『赤い靴』の概念を最大限に高めて、蹴りを放つ。しかし、純粋なエネルギーの塊を蹴り飛ばすには、概念力が足りなかった。
弾き飛ばされながら、彼女はもう一度、今度は右足で蹴りを放つ。今度は物理属性の魔法も追加する。『千紫万紅・
膨大なエネルギーがはぜて、アヤネの身体は高く宙を舞い上がる。
「ぐ、ぁあっ」
地面に叩きつけられたアヤネは、激痛に顔をしかめながら、即座に立ち上がろうとする。
残り少ない魔力を『赤い靴』に通し、ふんばろうとした――その時。
急に、足から力が抜けていくのを感じた。
「あ、――」
かくんと、アヤネの身体が崩れ落ちる。
時間切れ。
その事実に、アヤネは絶望を抱く。
魔力はもう残り少ない。霊子体のダメージも大きく、あと少しのダメージで維持するのが難しくなるだろう。
そんな状態で、切り札とも言える移動手段を奪われたのだ。
地面に倒れ込んだアヤネを見て、シオンは最後の力を振り絞って駆け出した。
右腕の魔道具は効果時間が過ぎて輝きを失っている。それでも、彼は最後の数秒で作った一枚の呪符を手に持って、とどめの一撃を放とうとしていた。
彼はアヤネのすぐ手前まで来ると、フラフラになりながら、呪符を構えた。
「『土行符』――『地天を以って陰を撃て』、急急如律令!」
自身の魔力を地の属性によって固めて、直接撃ち出す。それは弱々しい魔力の塊で、豆鉄砲の方がマシと言った程度の威力だが、今のアヤネには、それを回避する手段がない。
最後の最後で、競り負けた。
その事実に、微かに悔しさを覚えるが、不思議と悪い気分ではなかった。
まだ出せていない奥の手はあるが、それでも、全力を尽くしたことは間違いないのだ。なら、単純に及ばなかったのだろうと、どこか冷めたように思う。
ただ――一つだけ。
ここで終わってしまうのは、少しだけ、残念だった。
「諦めが早いぞ。君の執念はそんなものか?」
ふいに。
そんな、皮肉げな憎らしい声が聞こえた。
一つの影が横合いから強襲し、シオンが放った魔力弾を打ち払った。
その流れで、無造作にシオンの身体も吹き飛ばされる。
「ぐっ、お前!」
「決着は少し待ってもらおうか」
そう言いながら、彼――飛燕は、アヤネの前に立った。
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