第41話 Desire for recognition




 はじめに動いたのは飛燕だった。

 彼は前兆もなく地面を蹴ると、ミラの前に現れた。


 すでに拳は振り抜かれている。

 岩を砕く拳は神速のそれであり、肉だけでなく存在そのものを揺るがす魔拳である。燕が宙を滑空するように、拳は空間を駆け抜ける。


 それに、七塚ミラは拳を合わせることで返した。

 二つの拳がぶつかり合い、辺りに衝撃波を撒き散らす。


 そこからは、足を止めての乱戦だった。


 互いに息をつく間もなく、打拳を繰り出す。

 その乱打は、一振り一振りが衝撃波を生み出すほどの一撃であり、どれであっても、まともに喰らえば致命傷になりかねない。それを、二人は相手の拳を払いながら、永遠と打ち合い続ける。


 これまでの七塚ミラであれば、この時点で押し負けていただろう。

 彼女が模倣できる因子は、相手の持つ力の劣化コピーであり、同じ力比べになれば、必然的に力負けしてしまうものだった。しかし現在、彼女は乱打合戦において、互角の立ち回りを見せていた。


 否、それどころか、僅かに押してすらいた。


 繰り出す拳の回転数が上がり、飛燕は自然と防戦寄りになっていく。

 そのことに驚愕しつつ、焦りを覚え始める。仮にも飛燕は、武術家の神霊である。こと拳法において、彼が押し負けることは初めてのことだった。



 七塚ミラの新たな因子である『模倣』と『循環』のパッシブスキルが、その差を埋めていた。


 まず、『模倣』のパッシブである『ミラーニューロン』。

 これは、向かい合った存在のステータスの内、一番高いものを一つコピーする、というものである。

 これにより、彼女は飛燕の筋力値をコピーしていた。

 しかし、これだけでは、ただ同じ威力の打撃をぶつけ合っているだけであり、優勢になる理由にはならない。


 差を作っていたのは、『循環』の因子のパッシブスキルである。

 パッシブスキル『第二種永久鏡面マクスウェルのこあくま』。


 ミラが何らかのエネルギーを消費した場合、そのエネルギーの三割を再利用リサイクルすることができるという能力。元々は、『鏡に写った貴方は私いたいのいたいのおすそわけ』という、相手の攻撃を軽減しつつ、三割を跳ね返すというパッシブスキルだったものが、エネルギー全般に拡大解釈されたものだ。

 その上限は七段階。

 これにより、彼女は体力と魔力が続く限り、半永久的にエネルギーを上乗せすることができる。


 現在彼女は、打撃に使うエネルギーを再利用し続け、飛燕よりも早く鋭い、強力な拳を繰り出していた。


 しかし、それも無限ではない。

 あくまで七塚ミラの限界まで力が上昇するというだけの話で、押している現状であっても、ミラは非常に苦しそうに顔をしかめながら連打を続けていた。


 このまま続ければ、押し勝てる。

 そう思い、ミラは更に拳の勢いを加速させる。


 それに対して、途中から防戦に切り替えた飛燕は、慎重にその乱打を防御しながら、自身の立ち位置を調整する。

 攻め手を緩めないミラと、防御に徹する飛燕では、その表情に差がある。積極的に攻めているはずなのに、ミラは追い詰められはじめていた。


 そして、飛燕は後じさりながら、とある地点に立った瞬間、急に攻めに転じた。


「『傷門』――砲拳!」


 リスクを払う代わりに、勝負に出る方位である傷門。

 奇門遁甲によってステータスを変化させた飛燕は、防御に回していた両手を引いて重ね合わせる。

 そして、ミラの拳を受け流しながら、両手を開くように叩きつけた。


 火行砲拳。

 勢い良く繰り出された強力な両手突きは、まるで大砲のように、ミラの身体に吸い込まれていく。


 しかし。

 それを、ミラはしっかりと視ていた。



「『代我身形代雛流しかがみうつしひなにんぎょう』!」



 彼女の身体に砲拳が突き立てられる。衝撃とともに、ミラの全身にヒビが入る。

 そのまま身体が砕けて消滅するかと思われた瞬間、彼女の身体は一枚の鏡に変化した。


 豪華絢爛な装飾が施された、巨大な鏡。


 アクティブスキルによって作られたそれは、自身に与えられたダメージを肩代わりする形代である。

 それが粉々に砕けるとともに、数メートル距離を取って身構えている七塚ミラが、ガラスの破片越しに飛燕を睨んでいるのが見えた。


「……ちぇ。押しきれなかった」


 悔しそうに顔をしかめながら、ミラは不敵に飛燕に向き直る。

 それに対して、飛燕は不可解そうに顔を歪めた。


「何故回避が間に合った。スキルに魔力を回す余裕など、無かっただろうに」

「そんなこと無いよ。そっちが何かを狙っていたのは分かっていた。だから、動きがあった瞬間、ちゃんと『視て』いただけ」


 それ以上の説明は不要といった様子で、ミラは構えを取る。


 それは、『鏡』の因子のパッシブスキルの効果だった。

 名を、『魔経津八咫鏡すけすけのまるはだか』。


 向かい合った存在の持つ能力を、観察によって看破するという反則級の能力である。隠された能力などは見破れないのだが、相手が行動を取った瞬間、その意図や効果を見破ることができる。

 先読みではないので、どうしても対応は後手に回ることになるが、相手が何かを隠していると分かっていれば、こうして注意深く観察することで、即座に対応することができる。


「…………」


 飛燕は静かにミラを観察して、彼女が何らかの予測を立てる手段を持っていることを悟った。飛燕もまた、観察によって敵の戦闘パターンを予測するスキルを持っている。それと同種か、あるいは数段上の能力を持っていることは分かった。


 そこでようやく、飛燕は小さく笑みを漏らした。


「随分と化物に成長したものだ。まさに、カール・セプトの鏡回廊の再来といったところか。どうだ? 醜い自分を受け入れた感想でも聞いてみたいものだな」

「ご想像に任せだよ。あなたの悪趣味に付き合いたくなんてないし、そんな義理もない。はわたしにとって憎い敵だし、わかりあいたくなんて無い。でも」


 そこで。

 ミラは目を伏せながら、不承不承と言った様子で、本音を口にする。


「――ひとつだけ、感謝してる」


 うん、そうだよと。

 七塚ミラは、胸に手を当てて、しみじみと感じ入るように目を閉じる。


 脳裏には、怨嗟と絶望の声が響いている。

 カール・セプトの鏡回廊が取り込んだ、数多くの犠牲者たちの声。霊子災害だった当時ならともかく、少女の人格が全面に出ている今、それを受け止め続けるのは、大きな精神力が必要だ。


 でも、だからこそ、今の自分がある。


 ちらりと、ミラは離れたところでふらついているシオンを見やる。

 ようやく混濁した意識がまとまり始めたのだろう。彼は、ゆっくりと歩きながら、久我アヤネのもとに向かっている。そのボロボロの姿を見るたびに、彼女は辛くて仕方がなかった。



 悔しかった。

 無力な自分が悔しくて、シオンにいつも無理をさせている自分が憎らしかった。

 かつての力の一割もない自分が妬ましくて、周りの強いファントムたちが妬ましかった。



 だから。

 こうして振るえる力があることが、たまらなく嬉しかった。


「やっとわたしは、胸を張ってシオンのために戦える。シオンに頼りっぱなしじゃなくて、自分の力であの人のためになれるんだ。だから――」


 七塚ミラの全身から魔力が噴出する。


 まだ新しい因子に対して、アクティブスキルは調整しきれていないので、自然と彼女のアドリブになる。

 脳裏に響く憎悪の叫びの中に意識を埋没させながら、ミラはかつての『カール・セプトの鏡回廊』の能力を引き出す。


『模倣』の因子で、飛燕の持つ武芸一般をコピーし、

『循環』の因子で、攻撃に使うエネルギーを循環し、

『黄泉』の因子で、自身のダメージを攻撃に変換し、

『牢獄』の因子で、相手の戦闘からの離脱を阻止し、


 そして――『鏡』の因子で、敵の全てを見透かす。


 小さく息を吐きながら、七塚ミラは静かに言う。


「勝負だ武術家。真っ向から、あなたを倒してみせる」

「……飽きもせず、この武の神霊たる私に対して、武術で対抗すると?」


 嘲るように、飛燕は言う。


 先程は確かに押し負けかけたが、そんな力技が何度も通じるほど、武術とは容易いものではい。例えその上澄みをコピーしたところで、戦術や駆け引きと言ったセンスは、積み重ねたものでなければ対応はできない。


 だからこそ。


「よく言った、鏡の神霊」


 武の神霊は、好戦的に笑みを浮かべながら、拳を握った。


「ならばその曇った鏡面のことごとくを叩き割ってくれる。我が武芸の秘奥、受けてみろ!」


 飛燕が駆け出すと同時に、ミラもまた、駆け出した。

 再度、二人の拳がぶつかりあい、衝撃波を撒き散らした。



※ ※ ※



 そして。

 久能シオンは、懸命に歩いていた。


 見える景色は上下左右がひっくり返っている。彩色もおかしく、緑の空に赤い地面、青い身体に黄色い雲と、ありとあらゆるものが不自然に見えた。グニャグニャと視界は歪み、足元がおぼつかない。踏み込んだ足がそのまま沈み込みそうな感覚に襲われる。


 それでも彼は、前に進んだ。

 頭のなかには、相変わらず『鏡』の因子から情報が流れ込んできている。


 ミラを復活させるために、あえて飛燕の拳を受けた。

 彼がミラを壊す時に使ったものと、同じ技を誘い、それを利用してミラの因子の流路を無理やりこじ開けた。下手をすれば因子が再生不能なほどに壊れる可能性があったが、そこは、八重コトヨの言霊によって、制御することに成功した。


 そして、ミラは復活を果たした。

 シオンを通じて大地のマナを大量に吸収したミラは、新たに出来かけていた因子を強引に覚醒させた。

 特に、『循環』の因子が覚醒したことで、魔力効率が格段に良くなり、結果的に潜在状態だった『模倣』と『牢獄』の因子まで覚醒することができた。


 ミラが能力を完全制御した今、無理に接続を続ける必要はないのだが、最後の目的のために、あえてシオンは、鏡の因子を受け入れ続けていた。


 左腕は飛燕を殴りつけたことで砕けている。それ以外に目立った外傷こそ無いが、すでに肉弾戦をするには厳しい状況になっていた。


 その上、右腕は、『鏡』の因子を移植したことで情報圧汚染を起こして異形に変質し始めていた。

 人間としての機能がどんどん侵食され、自身が一枚の鏡に置き換えられていくような、奇怪な感覚に襲われる。目の前が鏡に包まれ、前も後ろも、右も左も、上下天地、東西南北、表裏から斜めに至るまで、ありとあらゆる場所が鏡で包まれ、そこには顔色が悪く、不健康そうな少年が映っている。


 その内面は、目を背けたくなるほどに歪んでいた。


 自分の内面を直視するのは残酷なことだ。

 自己の内面ほど醜悪なものは他に存在しない。誰もがそれを分かった上で、それと折り合いをつけながら生きている。

 自分の中に存在する妬みや嫉み、吐き気を催すような悪意に、身をうずめたくなるような自己陶酔。きれいなものなどほんの一部で、その殆どが、見るに堪えないどす黒い感情だ。



 これが、因子を持つファントムの見ている世界。

 これが、七塚ミラの見ている世界。

 こんなものを見続けたら――気が狂う。



 自分の汚い一面から無理やり視線をそらしながら、シオンは懸命に歩き続けた。


 ストイックに生きている少年の内面もまた、暗く深い憎悪の沼でしかなかった。


 事故にあって実力をなくした。障害を負って将来を奪われた。

 何をしてもうまくいかない、何を目指しても限界が見える。体が動かない。心が動かない。


 深い沼に沈んだ少年の周りには、才能に溢れたきらびやかな子どもたちが走り回っている。


 大した実力もないくせに、

 大した努力もしていないくせに、

 大した志も持っていないくせに!

 あいつらは、それなのに、自分よりも力があって、伸びしろもあって、将来があって――それなのに、なんで、なんで、なんで努力しない、必死にならない、限界までやり通さない!


 叫び出したいほどの憎悪が内側から漏れる。人に何かを求めても仕方がないのに、それでも羨まずにはいられない。


 だってそれは、彼が最も欲しいものだったから。


 ――少年には、何もなかった。


 物心ついたときから、親からは放任された。

 まるで時間つぶしのように与えられた知育玩具。英才教育という名を借りた放任で、彼は初めから自由を与えられた。何を学んでも良い、何に興味を持っても良い、何をやっても良い。そう言われて、少しでも何かに興味を持てば、それを与えられた。

 けれども、親は与えるだけで、それ以上のことをしてあげようとはしなかった。


 いつも彼は、一人で課題に取り組んだ。


 何もわからないまま、ただ目の前にぽんと用意されたものを前にして、自分なりに何かをやろうとした。けれども、まともな教育も受けていないのに、何かを自分で学習することなんて出来ない。それは天才のみに許された所業であり、彼はただの凡人でしか無かった。


 少年は無為な時間を過ごした。

 目的もなく、手段もなく、やりたいこともなく、やるべきこともなく――ただ黙々と、目の前にあるもので、何の生産性もない一人遊びをするだけだった。




 ――そんな自分を、シオンは視ていた。


 目をそらしても目に入ってくる。だってそれは、上下左右、前方後方、すべての場所に映っているのだ。かつての自分。何も持っていなかった自分。それを見せつけられるのは、あまりにつらいのに、それでも目を離せない。


 気が狂いそうなのに――それでも、かつての自分から、目が話せなかった。


 あの頃の自分に、感情なんて無かった。

 親は何も教えてくれなかった。勉強だけじゃない。家庭も、愛も、信頼も――一つとして、感情らしい感情を教えてくれなかった。



 教えてくれたのは、一人の少女だ。



 自分を連れ回して、一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に学び、一緒に過ごして――家族になって、愛を教えて、信頼して、依存して。


 彼女がいなければ、何もできなかった。


 彼女に見つけてもらわなければ、きっと自分は、今でも一人遊びを続けていただろう。何も学ぶことなく、何を感じることもなく。閉じこもった世界で、たった一人、死んだように生きていただろう。


「ああ、探さなきゃ」


 うわ言のようにつぶやいて、彼はまた、歩き始めた。

 鏡に包まれた世界。すでに、どこが前でどこが後ろかなんて、わからなくなっている。それでもがむしゃらに、前に進んだ。立ち止まってはいけない。とにかく前に。また閉じこもってはいけない。とにかく前に。今の自分を作った彼女を探して。とにかく前に。


 情報が頭脳を圧迫する。情報に押しつぶされそうになりながら、それでもシオンは前を見続ける。視界が霞み、ぼやけて歪んでも――少しでも彼女が見えたら、見逃さないように、ただ懸命に、まっすぐと。



 その時。

 鏡の少女が、シオンのそばに立っていた。



「こっちだよ」



 優しく、鏡の少女は――七塚ミラは、道を示した。



 その瞬間、周囲の鏡がバラバラと砕け散った。



 あとに残ったのは暗闇だけだった。それもすぐに晴れて、シオンの目の前に、霊子庭園のフィールドが見えた。


 遠くでファントムが戦う音が聞こえる。


 フラフラになりながら、シオンはあたりを見渡す。

 そして、必死に意識をまとめ上げながら、視界の端に見かけた存在に向けて、ようやく一歩を踏み出した。


 足取りはおぼつかなく、しかしその歩みには明確な意志がある。

 意識が晴れていく。感情が蘇ってくる。


 多くのものを、シオンは彼女からもらった。


 だから僕は。

 ずっと、君に認めてもらいたかった。


 今、ようやくそれが叶いそうだった。





「やっと、見つけた」





 そう言って。

 久能シオンは、久我アヤネの前に立った。




※ ※ ※




 ボロボロの少年が、目の前に立っている。




「やっと見つけた」




 そう、彼は安心しきった声で、感慨深そうに言う。

 それに対して、孤独だった少女は、ぎゅっと唇を閉じ、歯を噛みしめる。今口を開いたら、胸から湧き上がる情動に、声が震えそうだった。



 私は、ずっと認めてほしかった。

 自分を変えてくれた少年に、認められたかった。



 その感情を落ち着けながら、彼女はやっとの思いで言った。



「……まったく。遅いわよ、シオン」





 私なんて、

 八年も前から、あなたを見つけていた。




 その言葉は、言葉にならずに彼女の内側に溶けていった。



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