第三部 Desire for recognition ~抗いの拳~
序章 孤独の少女と孤高の少年
かつて、少女は孤独だった。
誰もが一度は感じた経験があるだろう。それは、世界で誰一人として、自分を見るものはいないという錯覚。
肥大化した自我は、ちっぽけな自意識を守るために、他者の理解を拒む。
まして、彼女は才女だった。
三歳の時には読み書きを覚え、六歳の時には数字を文字通り自由に扱うようになった。論理を解し、法を読み解き、やがて理を紐解いた。九歳になる頃には、そこらの学者では手がつけられないほどに、彼女は学習を終えてしまった。
情操に似合わぬ知性。
あまりにも早すぎた才覚の発露は、多くのものを彼女から置き去りにした。
大人は始め、彼女を褒めそやしたが、やがてその才覚を畏怖するようになった。そして、鬱陶しがるようになった。唯一の味方と言えた母であっても、理解からは程遠かった。同年代など論外だ。自分以外の同い年は、猿同然だった。同じ言葉を喋っていることすら気づけないほどに、会話が噛みあうことはなかった。
彼女は、孤独だった。
「おかしい」
そう、彼女はつぶやいた。
私の中には、道理を紐解く知識の数々がある。
なのに、なぜ私は、何も持っていない。
知識を吸収すればするほどに開けていった視界が、今はどんどん狭まっていた。
嫌だ。暗いのは嫌だ。目の前が見えなくなる。先が見えないのは死ぬほど辛い。だから私は勉強した。だから私は知らないことをなくそうとした。なのに、なんで、こんなにも、わからないことばかり……。
やがて、彼女は諦めた。
世の中、馬鹿ばかりだ。どうせ、私が何をしても、誰も分かってやくれない。
ならばいっそ、好きに生きればいいと。
八歳の少女が抱くにはあまりにも捨て鉢な思いを抱きながら、彼女は生きていた。
なのに。
彼女――久我アヤネは、外を諦めきれなかった。
親の都合で親戚の家に連れてこられたアヤネは、そこで一人の男の子を見つけた。
暗い部屋で、一人座り込んだ男の子がいた。
彼の周りには、雑多な玩具の山があった。その多くは知育玩具で、知能発達のためのものを無秩序に揃えたようないびつさがあった。
それらに囲まれながら、その男の子は一人で遊んでいた。
その姿が、癇に障った。
まるでその小さな背中が、自分とかぶって見えたのだ。
「何してんのよ。あんた」
だから、声をかけた。
子供が振り返る。同い年くらいの男の子だった。彼の手には、立体パズルらしきものが握られている。ずっと、彼はそれと格闘していたらしい。
「貸しなさいよ、それ」
男の子の返答も待たずに、アヤネは彼の手からパズルを奪った。そして、数秒その構造を観察すると、一瞬で完成させてしまった。
つまらない、と彼女は解いてしまったパズルを放り投げた。
暇つぶしにもならない。随分苦労しているから、どんなに難しいのかと思って手を出してみたが、拍子抜けだった。一瞬で興味をなくした彼女は、その部屋を見渡し、他になにか面白そうなものは無いかと探し始める。
その時、真っ先に興味の外に追いやった存在が、口を開いた。
「そっか」
その子供は、目を丸くして床に落ちた立体パズルを見つめていた。
「そうすればよかったんだ。なら」
そう言って、彼は落ちたパズルを拾うと、あっさりと壊してみせた。
そしてすぐに、組み直し始める。
その手つきは、お世辞にも器用とはいえなかった。おぼつかない手つきで握られたパズルのピースは、何度も目測を誤り、噛み合わない。
しかし、その手つきに迷いはなかった。彼の手つきがぎこちないのは、アヤネのやり方を模倣しようとしていたから拙いだけで、方法自体は、間違いじゃなかった。
すぐに、パズルは完成する。
「出来た」
そう、男の子は感慨深そうに言った。
その言葉には、達成感と共に、一抹の悔しさも混じっていた。その意味が、アヤネにはわからなかった。しかし、一つだけ分かったことがある。
「ねえ、あんた」
「……うん?」
憮然とした様子で、彼は答える。
その中に、アヤネへの感情はない。ただ、自分に対する失望だけが、彼の中にあった。
少しだけ、試してみたくなった。
アヤネはそのへんに落ちている知恵の輪の中で、難しそうなのを選ぶ。
「これ、解いてみなさい」
「……それは、難しすぎるよ」
「バカね。こんなのは、順番にやってちゃいつまで経っても終わらないの。最初に一番難しいのを解けば、他のはソレ以下でしか無いのよ」
「そりゃそうだけど」
「ヒントをあげるわ。回転する回数は四回」
「…………」
そのヒントに、彼はじっと考え始めた。
まだ結果は出ていない。
しかし、その反応だけで、アヤネには十分だった。
万感の思いが彼女のうちに湧き上がる。冷めきっていた胸中に、熱が灯った。それは、涙腺を刺激し、彼女の頬に一筋の雫を伝わせた。
無造作に涙を拭いながら、彼女は沸き立つ心をそっと落ち着ける。胸のうちにあふれる感情は、やがて言葉となる。
「……やっと、見つけた」
そのつぶやきを聞くものはいなかった。
ただ、目の前には、アヤネの言葉に触発されて、課題に没頭する男の子だけだった。
「私は、アヤネ。あんたは?」
「……シオン」
「ねえ、あんた」
アヤネは、その姿を見下ろしながら、決定事項を伝えるように言った。
「私の弟子になりなさい」
「嫌だよ」
にべもなく、断られた。
――それが、二人の出会い。
久我アヤネと久能シオン。
後に神童と呼ばれる、二人の子供のファーストコンタクトだった。
※ ※ ※
八年後。
十一月に十六歳を迎える久我アヤネは、病室の天井を見上げていた。
自由にならない両足と、虚弱な内臓器官。四年前に負った傷は、未だに彼女を苛んでいる。
八年前、全てを知った気でいた自分。
四年前、何もかも知らなかった自分。
そして今。
あの頃と、何が変わっただろうか。
病室に来た訪問者は、ついさっき帰ったところだった。
お見舞いと言うべきなのだが、彼との間にまだそれほどの関係があるとは思えない。しかし、初めは嫌悪感のほうが優っていた感情は、いつの間にかなくなっていた。
来客が帰ったのを見計らってか、声がかけられた。
「機嫌がいいようだな。そんなに良い来訪であったか?」
「……そんなに楽しそうだった? 私」
からかい混じりの言葉に、アヤネは素直に返した。
その反応が以外だったのか、半透明だった影は、驚いたように実体を取る。
中華風の武人だった。男は怪訝そうな顔をして、気遣わしげに尋ねる。
「大丈夫か、アヤネ。私は話を聞いていないから詳しくは分からないが、あの男に、何か毒でも盛られたか?」
「本気で焦ってる感じが癇に障るわね。なんでもないわよ」
そっけなく、アヤネは言う。
そう、なんでもないのだ。
それなのに、なんだろうか。この胸のざわつきは。
今――何一つ、わからない自分。
それを自覚しながら、アヤネは男――飛燕に向けて言う。
「それより、聞いたわよ。シオンのやつ、運び込まれたんでしょ? そろそろ診察終わったの?」
「今しがた、病室に入ったと聞いた。どれほどの怪我かは知らぬが、入院期間は三日といったところだという」
「ふぅん。『言霊の幸わう国』相手に、それで済んだのなら上等かしら」
言いながら、アヤネはそばにある車いすを叩いてみせる。
外に連れて行けという合図だ。
「見舞いかね? 君から出向くとは珍しい」
「あいつのバカ面を見たいだけよ。ま、今朝の電話で、勝負の結果は気になっていたことだし」
そう言い訳をしながら、アヤネはかつての相方であった少年の元へ向かう。
八年前。
四年前。
そして――今。
様々な感情を入り乱れさせながら、彼女はそっと、息を吐いた。
※ ※ ※
Wizardry Game 3rdSTAGE
Desire for recognition
~抗いの拳~
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