第22話 権利を守る戦い


 ■ ■ ■


 草上ノキアの人生は、言ってしまえば、権利を守る戦いだった。


 彼女には常に立場がつきまとった。


 神咒宗家の血筋で、分家でありながらも、独自の成長を遂げた家柄。


 格式高さは、実はそれほどない。


 草上家は、二代前に本家から分かれた分家だ。

 もはやそこに家柄としての価値はないに等しいのだが、婿養子として入った草上秀星の活躍によって、一気に注目を集めた。


 ありていに言って、政治的な価値が生まれてしまった。


 その事実に対して、草上ノキアの母、草上名冬なゆきが張り切ってしまったのだった。


 古来より続く魔導の血筋でありながら、その恩恵をあまり得ることの出来ない分家の娘として生まれた名冬は、その機会に権威を手に入れようと張り切った。

 ノキアに求められたのは、今後の成長株である家柄の娘という立場だ。

 彼女が生まれた時点で、草上エレクトロニクスは一流企業に成長していたため、生まれた時から、ノキアには商品的な価値しかなかった。


「ノキアさん。あなたには、草上家の家柄がかかっているのですよ」


 それが、名冬の口癖だった。


 幼い頃から、ノキアは様々な習い事をさせられた。

 華道に茶道、書道や日本舞踏と言った和式の作法から、ピアノ、バイオリン、バレエと言った洋式の芸術。果ては武道や護身術に至るまで、様々な技術を教えこまれた。その合間には、一般教養を叩きこまれ、小学校に入学する頃には、すでに中学の分野を学習していた。


 自分の時間、などというものを、ノキアは持った記憶がなかった。


 休むまもなく次の習い事をさせられ、休憩時間は、正に身体を休めるためだけの時間だった。

 それに、疑問を覚える暇すらもなかった。


 当時はまだ、父、秀星は現役で会社を回しており、家にいる時間が極端に少なかった。

 母はとにかくノキアを立派にするという目的に執着し、スパルタ教育を行なった。


「これは貴女のためなんですよ。ノキアさん」

「はい。お母さま」


 彼女は立派に、従順な娘を演じていた。


 一日ごとに、心が擦り切れていた。

 それに気づくだけの感情を、ノキアは持っていなかった。


 当時のことを、彼女は自分で、ロボットのようだと思うことがある。

 命じられたことを実行するだけの自律人形。そこに、自分なんてものはどこにもなかった。


 そんなノキアに、久しぶりに帰ってきた父が、こんなことを尋ねてきた。


「ノキア。何か、やってみたいことはないかね?」


 次は、ノキアがやりたいことをやらせてようと、秀星は気を回したらしい。そろそろ自分で何かに興味を持つ頃だろうと、そう思ったのだろう。


 その質問に対して、ノキアは答えられなかった。

 やりたいことなど、何もなかったのだ。

 そんなノキアを見て、秀星は困ったような苦笑いを浮かべた。


「それじゃあ、ノキア。今の習い事は、嫌いかい?」

「わかりません。お父様」

「そうか。わからないか」


 ニコリともせずに言い放つ娘に対して、父は不器用に頭を撫でてきた。

 乱暴な手つきに不快感を覚えるよりも、せっかくセットした髪型が崩れるのを気にした。稽古の時間までにセットし直すのは面倒だと、ぼんやりと思った。父の真意が分からず、ただなされるがままに、頭を撫でられる。


 やがて、手を離した秀星は、ノキアにこう言った。


「ノキア。君は少し、疲れていないかい?」

「そんなことはありません」

「でも、今、眠たいんじゃないかな? 目がとろんとしているよ」

「……そんなこと、ありません」


 目をゴシゴシしながら、ノキアは答えた。

 そんな娘の姿に、秀星は微笑ましい物を見るように笑った。


「少し無理のし過ぎだよ。真面目なのはいいことだけれど、やり過ぎは効率が悪い。君はもっと、器用になるべきだ」

「けれど、もっと頑張りなさいと、お母さまは言います」

「ふむ、確かに名冬はそう言うだろうね。……なら、こうしよう」


 その時、始めてノキアは、父と約束をした。


「条件をつけよう。その条件を満たせば、ノキアは一つだけ、お父さんにお願いをしていい」

「お願い?」

「最初は何を言っていいか分からないだろうから、君のためになることを、私が決めよう。けれど、君がやりたいと思うことがあれば、そちらを優先させていい」


 その条件とは、父を納得させることだった。

 習い事で、父を納得させるだけの習熟をすればよい。始まりは、ただそれだけだった。


 その日、秀星が見学したノキアの習い事は、茶道と日本舞踏だった。

 そのどちらも、ノキアは小学生とは思えない腕前を披露してみせた。それはもちろん、父の納得に足る熟練度だった。

 その二つの習い事の時間は、毎週二日から、月に一度に減った。そしてその日、ノキアは十時間の睡眠を得た。


 ただ眠れ、と言われても、はじめはどうして良いか分からなかった。


 しかし、気持ちに反して、意識はすぐに落ちた。

 それから十時間、彼女は全く目を覚まさなかった。次に目を覚ました時には、あまりの心地よさに、更に二度寝を図ったほどだ。


 その日から、ノキアの求めるものは、十分な睡眠となった。



 ※ ※ ※



「は、――ぐぅ」


 鉛のように重たい左足を引きずりながら、ノキアは往来を逃げる。

 懸命に逃げながら、背後へとがむしゃらに魔法を撃ちだす。


「『ケース1・ファイア』『ケース3・ウィンド』『ケース2・サンダー』!」


 炎魔法。風魔法。雷魔法――物理属性をありったけぶつけるが、それらは簡単にいなされる。


 背後から悠然と歩いてくる悪魔の名前は、天知ノリト。

 彼の言霊の前では、どんな魔法も意味を成さない。


「なかなか頑張りますね。ノキアお姉さん」


 片手間に、彼はデバイスを操作して、術式を起動させる。


 次の瞬間、彼の左手には、何枚かの呪符が握られていた。


 魔法式がデジタル化された現在においても、アナログの魔法式は顕在だ。符術や魔法陣と言ったアナログの手法を好んで使う魔法士は未だ存在する。

 実物を持ち込むには枚数に制限があるが、彼はその呪符を、デバイスを通して魔力で一から編んでいた。そうすることで、一度作り上げた魔法を、任意に後から起動できるように保っているのだ。


 魔法学府の一つ、修験陰陽専門学校は、そう言ったアナログでの、『個人』にしか使えない魔法を修練する学校であると言われている。


 ノリトの手から呪符が放たれる。

 それは黒い影となって、ノキアを追随する。


「くぅ……こん、の!」


 避けられないのを悟り、ノキアは歯を食いしばりながら、デバイスに魔力を通す。


「『ケース3・ウィンド』『イント・エア』『ループ』!」


 空気の流れを操作する魔法式を呼び起こし、それを連続使用する。

 気流が重なりあい、周囲を巻き込みながら荒れ狂う。


 風は黒い影を巻き込み、霧散させた。


「はぁ、はぁ――『ケース4・ブロウ』『イント・エア』」


 ノキアは立て続けに、両脇で空気を凝縮させる。

 イメージするのは拳の形。

 凝縮された空気は、想像したとおりの形を取り、ノキアの側で顕現する。


「くだ、けろぉ!!」


 巨大な拳に見立てた、空気の塊。

 それを、思いっきりノリトへとぶつける。


「へぇ。それは硬そうだ」


 それを見据えたノリトは、呪符をおろしながら、一言。


「【】」


 その言葉とともに、ノキアのそばで、空気の拳ははじけ飛んだ。炎をちらしながら、爆風は辺り一面に強大な振動を響かせる。

 その衝撃に、ノキアの身体は軽く十メートルほど打ち上げられる。


「あ、……がぁ」


 内臓に響くダメージに、意識がとびかける。

 受け身も取れずに地面に叩きつけられたノキアは、飛びかけた意識を激痛によって取り戻す。危うく、意識を失って霊子体が解けるところだった。


 霊子体の状態でも、痛覚は生きている。現実よりは多少マシと言ったところで、痛いものは痛いし、苦しい物は苦しい。


 何を、自分はこんなに苦しい思いをしているのだろうか。


 あまりの激痛に立ち上がるのすら困難な中、ノキアは這うようにして、どうにか身体を起こす。しかし、足に激痛が走り、うまく立ち上がれない。

 どうやら、足が折れてしまったらしい。内蔵も、いくつかは致命的なダメージを受けているようだった。


「く、――はぁ。『ボックス1・キュア』『イント・ライフ』『ループ』」


 息も絶え絶えに、回復の魔法式を起動する。

 時間はかかるが、一定値まで自動的に回復をしてくれる魔法式だ。最悪、この折れてしまった足さえ動くようになればいい。

 かすかな望みを意識しながら、ノキアは懸命に顔をあげる。


「はぁ、はぁ、は――ぁ」

「頑張りますね。ノキアお姉さん」


 余裕のある足取りで、ノリトは歩いてくる。

 すでにボロボロのノキアに対して、ノリトの身体はホコリ一つない。圧倒的な優劣の差に、気が遠くなりそうになる。


 それでも、ノキアは立ち上がる。

 かろうじて回復したノキアの足は、しかしまだ激痛が残っている。ノリトからかけられた【】もあるので、立ち上がることは出来ても、走ることはほぼ不可能だ。


 そんな、絶望的な状態でも、ノキアは立つ。


「なんでそんなに頑張るんですか?」


 あまりにもがむしゃらなその姿に、ノリトはさすがに疑問を口にする。


「別に、ここであなたが諦めても、勝敗には関係がないんですよ? まあ、シオン先輩は今、八重さんが相手をしているはずですし、そっちで勝手に敗北する可能性が高いですが。どうせ負けるんなら、もう諦めてしまったほうが、楽じゃありませんか?」

「ん、ぁ。はぁ。そん、なの」


 なんでこんな苦しい思いをするのか。

 どうせ苦しいんなら、いっときの我慢で済ませたほうがいいんじゃないか。

 そんなの、ずっと考えていた。


「『ボックス・4』――」


 ノキアはデバイスを構える。

 それを、呆れた目でノリトは見つめた。


「いいでしょう。なら――これで終わりです。ノキアお姉さん」


 そして、ノリトの口が開いた。



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