第2話 トゥルクの相談


 九月の第二週に入ると、学内がにわかに騒がしくなる。

 一年生の、部活動への本入部の期間に入るからだ。


「みなさんも知っての通り、今週から部活動の勧誘が開始します。その関係で、放課後は全施設が部活動のために開放されるので、皆さん自由に見学してください」


 円居教諭の言葉に、一様に嬉しそうな声があがる。

 魔法学府における部活動は少し特殊で、一年生は後期からしか入部が許可されない。

 それは、活動において魔法の使用を奨励しているため、基礎のない者では競技にならないからという理由がある。特に運動部においては、魔法が使えないとまずついていけない。


 高等部のみでも生徒数は六百人以上になるテクノ学園では、学内に同じ種類の部活が複数存在し、学内での派閥争いのようなものも起きるため、一年生の新入部員争いは熾烈を極めると言われている。


 そのため、便宜上は後期からの入部という決まりだが、前期の段階から先輩部員たちの勧誘は水面下で始まっており、有力な人材はつばが付けられているらしい。


「体験入部は来週まで。本入部は九月末までか」


 案内を見ながら、各々がぼやく。


「別に入部は強制じゃないからなぁ。どっか面白そうなのがあれば入ってもいいけれど」


 レオがぼやきながら部の一覧を見る。

 百に近い部活数を見ていると、それだけで頭が痛くなりそうだった。


「シオンはどうする?」

「僕は別にこれといって希望はない。ウィザードリィ・ゲームに役立つなら考えてもいいけれど、それならファントムも参加可能の部活じゃないとな。姫宮は?」

「私は文化系かなぁ。文芸部とかあればいいけれど」


 シオン、レオ、ハルノの三人は、昼食時に、いつもの様に集まって感想を言い合う。


 いつもの集まりとして、もう一人、ノキアもいるのだが、彼女はこれまたいつものように、そばでぐーすかと昼寝をしていた。

 空調が直ってからというもの、教室から逃げ出すことはなくなったが、それでも昼寝は変わらない。隙あらば眠りに落ちようとするその姿は、むしろ清々しくもある。

 腕を枕にして机で眠りについているその姿は、幸せそのものだ。


 そんなお嬢様とは到底思えない姿を、三人して苦笑して見守るのだった。


「ま、どうせ部活動なんてお遊びだしな。公式戦に出れないから、学内で同じ部活が複数あっていいなんて制度なんだし」

「それを言い出したらきりがないよ、葉隠くん」


 レオの愚痴にハルノが苦笑気味に返すが、しかしそれを否定することは言わなかった。


 魔法学府に通うということは、魔法が使えることを意味する。

 そしてそれは、通常の公式スポーツに出場できないことと同義だった。


 現代社会において、魔法技術は特殊な立ち位置となっている。

 アプリや機器に登録された魔法を、道具として利用するのと違って、自身の魔力を使って魔法を行使する『魔法士』は、それだけで常人とは違う才能を有していると扱われる。


 実際には、訓練しだいで簡単な魔力操作は誰でもできるようになるのだが、それを元に魔法を扱えるようになるには、更に才能が必要になる。

 魔法学府に通うということは、その才能を有しているということであり、そして――凡人ではないということを指す。


 魔法を学ぶために魔法学府に通う子供が大半であるのは確かだが、中には、一般社会にいられないため、否応なく魔法学府に通うことになったものもいる。


 かつてサッカー部にいたレオは、まさにその典型であり、それを知っているからこそ、シオンはなにも言わずにその様子を見守るにとどめた。


 あーだこーだと言い合っているうちに、昼休憩は瞬く間に過ぎていった。

 そして、あと十分もしたら午後の講義が始まるといった時だった。


「ん? ぁ」


 むくり、とノキアが唐突に起き上がる。


「お目覚めか? 寝坊助お嬢様」


 思わずシオンは憎まれ口を叩くが、それに構わずに、ノキアはスカートのポケットから電子端末を取り出す。

 どうやら、それのバイブレーションで目が覚めたようだ。


「……なんだよ。あと十分も、寝れるのに」


 ぼやきながら、彼女は端末を操作する。

 メールでも届いていたのだろう。

 寝ぼけ眼のまま、彼女はそれを半目で読んでいく。しかし、次第に目が見開かれ、驚愕の表情が浮かぶ。


「どうした? 草上」

「なっ! んでも。ない」


 気が立ったように、一瞬大きな声を出しかけたが、それをすんでのところで留める。

 代わりに、乱暴に立ち上がると、端末を手に持ったまま、一目散に教室の外へ向かう。


「どこに行かれるのですか、お嬢様。あと少しで授業が」

「トゥルクはそこに居て。私はちょっと用事ができた」

「お嬢様!」


 トゥルクの制止の声も聞かずに、彼女は教室を出て行く。

 あとに残された者達は、ただあっけにとられることしか出来なかった。


「な、何があったんだろう。……ノキアちゃんが、あんな風にサボるの、珍しい」


 ハルノがそうつぶやく。

 確かにノキアはサボりぐせがあるが、いつもはもっとこそこそとしていて、目立たないようには気を使っていた。さすがに今回のように大胆に出て行くことは、これまでなかったのだ。


 さすがに何かあったのかと、クラスでも動揺が走る。

 結局、その日はノキアが教室に帰ってくることはなかった。

 そして、午後の講義のはじめに、円居教諭の叫びが教室に響き渡ったのであった。



※ ※ ※



「久能様。相談があるのですが」


 そう言われたのは、次の日の放課後のことだった。

 ノキアの契約ファントムであるデイム・トゥルクは、凛々しい顔立ちを困った風に歪めて、申し訳無さそうに頭を下げていた。


 ファントムとはいえ、相手は自分よりも幾分年上の姿をした女性である。そんな彼女が深々と頭を下げる姿は、はっきり言ってかなり目立つ。放課後とはいえ、まだ教室には幾分クラスメイトが残っている。


 いきなりのことに動揺しているシオンに対して、ミラは無邪気に、「どうしたの?」と尋ねる。


「実は、お嬢様のことで相談が……」


 内容については半ば予想していたが、改めてシオンはため息をついた。


 ちなみに、当のノキアは、今は居ない。

 というよりも、今日一日姿を見せなかった。昨日の午後からのボイコットに引き続き、今日は丸一日、講義を自主休講したのである。


 登校しているかも怪しいくらいだったが、トゥルクがここにいるということは、一応学校には来ているのだろうか。


 とにかく詳しく話を聞こうと思い、シオンたちは学内にあるカフェに移動した。

 テクノ学園は、膨大な敷地の中に高等部から大学院までの施設が入っており、その関係で学内はちょっとした繁華街のようになっている。放課後のオープンカフェは賑わっており、放課後を謳歌する学生たちであふれていた。


 トゥルクは女性にしては長身であるが、今は小さく縮こまって、シュンとした姿を見せている。

 戦闘になると堂々とした姿で舞うように戦うのだが、その面影は欠片もない。

 いつまでも黙ったままでいるトゥルクに、シオンは気を使いながら声かける。


「あの……それで、草上について、なにかあったんですか?」


 何かあったも何も、今日も一日姿を見なかったくらいなのだが、それくらいなら日常茶飯事であるので、何も特別なことはないだろうと、シオンは楽観的に考えていた。

 そんな中、思いの外切羽詰まった様子で、トゥルクはシオンに相談を持ちかける。


「久能様。わたくしは……その」


 もじもじと歯切れの悪い様子で、彼女は言う。


「お嬢様のファントムとして、わたくしは本当にふさわしいのでしょうか?」

「……は?」


 思いもかけない言葉に、シオンは思わず言葉を失う。


「わからなくなってしまったのです」


 どう返していいか困っているところに、トゥルクは堰を切ったように話し始める。


「わたくしは、お嬢様のファントムとしてふさわしくないのではないかと、そう思えてしまってなりません。確かに、お嬢様は奔放なところもあり、わたくしはどうしても小言を言ってしまいます。しかし、わたくしがもっとしっかりしていれば、お嬢様も真面目になるのではないかと思うと、自分の力の無さを呪いたくなります。主人が間違いを犯したのなら、それをそっと矯正するのが従者の役目であるはずなのに、そんなことすら、わたくしは出来ないのです。わたくしは従者失格です」


 滔々と、語るごとに肩を落として行き、やがてはシュンとうなだれてしまう。

 その姿があまりにも哀れで、シオンとミラは掛ける言葉を探すのに苦労した。


 草上ノキアと、デイム・トゥルク。

 彼女たちのバディ契約は、家の取り決めでされたのだと聞いていた。


 草上家の令嬢であるノキアを護衛し、なおかつ彼女の学園生活を監視するという目的で、トゥルクは契約をしている。草上家が独自に召喚し、改良を重ねた隠し球。まさに切り札とも言うべきファントムであり、その実力は折り紙つきだ。


 実際、ノキアとトゥルクのバディは、目的を共にした時は、最高のコンビネーションを発揮する。

 記憶にあたらしいところでは、前期にあったインハイ予選において、彼女たちはほぼストレート勝ちでインターハイへの出場を決定していた。(なお、本戦はノキアが寝坊して間に合わなかったため棄権となった)


 しかし、私生活ではというと、奔放なノキアに振り回されるトゥルク、という構図がよく見られる。

 たまに意趣返しとでも言うように、トゥルクが強引に連れまわす姿も見られるが、あくまで立場としては主人と従者といった感じで、力関係としてはノキアが強い。


 総じて、お似合いのバディであるとシオンは判断していた。

 なので、率直な感想を伝える。


「トゥルクさんは十分役割を全うしていると思いますよ。問題は、草上の奴がおてんばで、自由すぎるってだけで」

「……そう、でしょうか」

「そうそう。トゥーちゃんは真面目すぎるんだよ」


 横で、いつの間に頼んだのか、特大のパフェを頬張りながら、ミラが言った。

 フルーツと生クリームをふんだんに使った、もはや山と称するべきそのパフェに、シオンは絶句する。

 どさくさに紛れて、とんでもないものを注文してやがる。一体いくらするのだろうと、わずかに財布の心配をした。


 そんなシオンの逡巡も知らず、ミラは幸せそうにパフェを口にする。満面の笑みでパフェを味わい、つるんとスプーンを口から取り出すと、それを真っ直ぐにトゥルクへと向けた。


「馬鹿正直は、面白くない!」

「ば、馬鹿正直なのでしょうか? わたくし」


 戸惑ったように問うトゥルクに、大仰にミラは頷く。


「そーだよ。真面目なのはトゥーちゃんのいいとこだけど、それだけじゃつまんないよ。世の中には、いーっぱい楽しいことがあるんだから、もっと肩の力抜いて、楽しくしなきゃ」

「楽しい……それが、わたくしがお嬢様に与えられない、足りないもの……」


 得意そうな顔で適当な事をほざくミラの言葉を、生真面目に聞き入るトゥルク。そういうところが馬鹿正直なのだが、本人には自覚がない。

 トゥルクは改まってミラに向き直ると、真剣な表情で尋ねる。


「七塚様。具体的に、どうすれば楽しくなるのでしょうか?」

「甘いモノ食べてると、わたしはだいたい幸せだよ」

「甘いもの……ならば、わたくしも、そのフルーツスペシャルチョコレートパフェを一つ!」

「それと、思いっきり買い物すると、楽しいよ。お洋服とか、じゃんじゃん買っちゃったり。おしゃれにもなるし楽しいよ」

「なるほど、ショッピングですか。確かにわたくし、普段着はこのスーツくらいしか持っていません……ならば、この後ご一緒していただけないでしょうか!」

「あとねー、ひなたぼっこも気持ちいいなぁ」

「そういえばお嬢様もいつも昼寝を! そうか、そうだったのか……!」


 ミラの脳天気なアドバイスを、生真面目にメモしては頭を抱えているトゥルクを見ていると、危ない勧誘に引っかかっているようにしか見えなかった。


 シオンはその様子に頭を抱えながら、冷静に状況を振り返ってみる。

 ノキアの自由気ままっぷりは今に始まったことではないし、ここ最近、特に変わったことがあるようには見えなかった。ノキアもいつも通りであれば、トゥルクもいつも通りだ。


 この半年、積もり積もったものがあるにしても、今、この時に、あえてそれを口にするだけの、理由が足りない。

 つまりは、彼女がこうして泣き言を漏らすだけの何かがある。


「……草上に、何かあったんですか? トゥルクさん」


 変なテンションになりながら騒いでいたトゥルクは、その一言でピタリと動きを止める。

 そして、がっくりと肩を落としながら、切なげに吐息とともに声を漏らす。


「お嬢様が、わたくしに隠し事をしているようです」

「隠し事? 具体的には?」

「わかりません」


 しょんぼりと、肩を落として続ける。


「ただ、最近妙に不機嫌で、こそこそと旦那様とご連絡をとっているのです。わたくしに聞かれないように、霊的な結界を何重にも張っているので、徹底しています。何があったのかと尋ねても、煩わしげにあしらわれるだけで、何一つ教えていただけないのです」


 だから、パートナーとしての自分に、自信が持てなくなった。ということなのだろう。


「別に、隠し事くらい普通だと思うよ? ノキちゃんだって思春期ちゃんなんだから、隠し事の一つや二つ、あるんじゃない?」

「ミラ。言いたいことはわかるけど、少し黙ってくれないか。あと、お前の外見で思春期ちゃんとか笑えない」

「な、シオン生意気!」


 ブーブー文句をいうミラの口を閉じさせ、シオンは少し思慮の時間を取る。

 気になったのは、不機嫌そうに実家と連絡をとっている、と言う点だ。


 元々、ノキアは実家との折り合いがあまり良くないことは聞いている。……というよりも、一方的に煩わしく思っていると言うのが正しい。

 良家のお嬢様なのだから、やはりしきたりなどが厳しいのか、それから逃げるようにして、彼女はテクノ学園に入学してきていた。監視役としてトゥルクが来た時も、最初はかなり抵抗していたくらいだ。


 そんな彼女が、実家と連絡を取ることで機嫌が良くなるわけがないが、トゥルクの話しぶりからすると、一度や二度と言った雰囲気ではない。

 しかも、通話を聞かれないために結界を張るということは、自分から準備をして通信を行なっているのだろう。


 実家嫌いの彼女が、自分から実家に連絡を取る。

 そして、監視役も兼ねているはずのトゥルクが、その事情を知らない。


「……隠し事、というよりは、単純に話したくないのかもしれないですね」


 これまでの草上ノキアと言う少女に対する印象を元に、シオンは口を開いた。


「草上は、隠し事が得意なタイプじゃないですよ。どちらかと言うと、不満はぶちまけて、物事自体を台無しにするたちです。ずっと隠して怯えるくらいなら、開き直って一時の恥を受け入れるようなやつだと思います。心当たり、ないですか?」

「……確かに。お嬢様は、こらえ性がある方ではないですが」

「そんなあいつが、何かをずっと黙っているなら、それは本当に話したくないことだと思います。隠していて得をすることじゃなくて、喋ったら損をするようなこと、じゃないでしょうか。この違い、分かりますか?」

「わかりは、しますが」


 歯切れ悪く、トゥルクは頷く。

 シオンとて、具体的なことがわかっているわけではないので、どうしても遠回しな言い方になってしまう。


 それでも、ある程度の推測を元に、トゥルクを安心させるように言う。


「さっきミラも言ってましたが、隠し事がない人は居ませんよ。それは、信頼していないからではなくて、単純に人に知られたくないだけでしょう。別に、草上がトゥルクさんをバディとして認めてないとか、そんなことは絶対にないと思いますよ」

「そう、でしょうか」


 納得しかかっているのか、彼女は頷きかけた。

 が、すんでのところで、「でも」と続けた。


「草上家の方からも、わたくしに何の話がないのは、どういうことなんでしょうか?」


 やはり、そこは気になるか。

 具体的な事がわからない以上、推測のしようがなかったので、はぐらかすつもりだったのだが、さすがにそこまで甘くはないようだ。


 トゥルクは、草上家のファントムであり、ノキアを監視するのが第一目的だ。

 バディとしての信頼関係があったとしても、立ち位置としては草上家に仕えているに近い。その草上家から何の連絡もないのは、確かに不安になるだろう。


 こればかりは、事情がわからないと説得のしようがないか。

 そう、シオンが諦めかけた時だった。


「あ、ノキちゃんだ」


 邪険にされていじけていたミラが、視線を上げてつぶやいた。

 見ると、草上ノキアがテラスの中を、こちらに向かって歩いてきていた。

 その姿を見て、びくりとトゥルクの肩が動く。罰が悪そうに彼女は顔を伏せた。それに気づいていないのか、ノキアはだまってまっすぐにシオンの前に立った。


 おや? とシオンは怪訝に思う。

 ノキアの表情は、彼女に似合わぬ、思いつめたものだったからだ。

 不穏な空気を振り払うように、シオンは努めて自然な風を心がけて声をかけた。


「重役出勤だな。今日一日、何してたんだ?」

「……別に、ちょっと用事があっただけだよ」


 ぶっきらぼうなその口調は、どこか無理をしているように見えた。必死で感情を抑えているような様子は、彼女にしては珍しい。


 そこでようやく、縮こまっているトゥルクの姿に気づいたのか、ノキアはハッとした顔をする。ちらりと目線を逸らして、「そうか」と小さくつぶやいた。


「あー、もういいや。守秘義務なんて知るもんか。だいたい、トゥルクにまで隠す必要なんて本当はないんだし、一人で悩んでるのも馬鹿らしいし」


 一人でブツブツとつぶやいた後、息を吐いて、皮肉げな表情を浮かべたノキアは、いっそ晴れやかな様子で言った。


「シオンくん、君に一つ、お願いがあるんだ」

「なんだよ。藪から棒に」

「や。唐突なのは、わかってるんだけどね。けど、そう難しいことじゃない。礼だって、私にできることならなんだってしてあげよう。だから」


 ニヤリ、と意味ありげに、しかしどこか自暴自棄な笑みを見せながら、彼女は言った。



「ちょっと、私の恋人のふりをしてくれないかい?」



 ミラは笑顔を輝かせ、トゥルクは驚愕に思わず取り乱し、シオンは思考を止めた。


「は?」


 間の抜けた声は、虚しく掻き消えた。



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