第二部 言霊の幸わう国

序章 眠たがりのお嬢様



 草上くさかみノキアはまどろみの中に居た。


 その時間だけは、幸せだ。

 誰よりも自由で、何者よりも自由だから。


 彼女は強制を嫌い、自由を好んでいた。思えば、生まれた時から彼女には様々な枷がついてまわった。家柄、才能、期待。彼女はその重圧を常に感じて生きていた。最初の頃は、日々を生きるのに精一杯で、自分のことを考える暇などなかった。


 自由には対価が必要だ。

 それが、ノキアがはじめに学んだことであり、彼女の信条でもあった。

 やりたくないことも、やらなければいけない。

 ならば、最低限の努力でそれを為そう。


 面倒は嫌だし、きついのは論外だ。つらいことも、少し我慢すれば過ぎてくれる。


 多くの習い事も、最低限の時間で習得した。その姿に周囲は瞠目したが、ノキアにとってはつまらないことの積み重ねでしかなかった。習得だけならば誰だってできる。ただ、彼女のそれは、人よりも少しだけ早いだけだ。


 思うに、自分は天才なのかもしれない。

 いつしか彼女は、そんな風に自分を評価するようになった。


 そんな彼女が唯一楽しんだのは、魔法の習得だった。

 神秘の世界に耽溺し、魔術の世界にのめり込んだ。他の習い事は面白くとも何ともないが、魔法ならば、家族の期待に答えてやってもいいと、そんな尊大なことを考えもした。


 身の程も知らずに、思ってしまった。

 そんな時に、彼女は一つの論文を読んだ。

 そして――草上ノキアの世界は壊れた。




※ ※ ※




 Wizardry Game 2ndSTAGE



 『言霊ことだまさきわうくに





※ ※ ※




 二学期が始まり一週間が経った。

 国立魔法テクノロジー学園。通称・テクノ学園においても、長期休み明けの新学期らしい騒がしさがようやく落ち着きを見せ、普通の学園生活を取り戻しつつあった。


 そんな、秋口の残暑残る一日。

 一年技術科クラスは、休みボケこそ抜けているが、全員覇気にかける顔色をしている。


 熱気が、教室を包み込んでいた。


 夏が最後の抵抗でもしているのか、中途半端な暑さが熱気を生み、不快な空気が教室に流れている。逃げ場のない熱気は、嫌がらせのごとく生徒たちにストレスを振りまく。

 ただでさえ立地の関係で風の通りが悪いのに、新学期早々、空調が故障したため、教室内の空気はひどく淀んでいる。

 窓を開けて懸命に外の風を入れようとするが、入ってくるのは生ぬるい温風のみで、教室の不快指数は上がる一方だ。


「だれかぁ、気流操作でも冷気発生でもいいから、魔法使って冷やしてくれぇ」


 クラスメイトの葉隠はがくれレオがそんなことを口走っているが、それが出来る実力があればすぐにでもしている。


 一年技術科クラス。通称Dクラスは、魔法実技の面で劣った生徒が多く集まった学級だ。

 魔法学校に通い始めて半年が経とうとする今、入学時ほど壊滅的な成績の者はそう多くないものの、それでも実技Aクラスなどに比べると、非常に心もとない実力の者ばかりだ。


 気流操作? 温風を室内でかき回すだけなら出来ますが?

 冷気発生? 熱気も一緒に発生して良いなら出来ますが?


 如何に魔法式の理論を頭に叩き込んだところで、それを実際に操作する実力がなければ、プログラムは予期せぬ結果を現実に反映するだけである。


 久能シオンもまた、蒸し蒸しとした教室の中で汗だくで溶けるように座っていた。


「……ぅ。かゆい」


 包帯でくるまれた右腕に触れながら、久能くのうシオンは呻くようにつぶやく。

 一学期末に行われた魔法試合の際に負傷した右腕は、治療に夏休み中かかっていた。


 最近コルセットのとれた右腕であるが、まだ擬似生体の癒着が完全でないので、しばらくは包帯が外せない。包帯まみれの右腕は、この蒸し暑さの中では拷問に等しく、断続的に来る痒みと不快感で全く集中できない。

 後数日もすれば完治すると言われているが、それまでこの不快な感覚が続くと思うと、もう腕をとってしまいたい衝動に駆られる。


「ダメだよ、シオン。そんなこと思ったら」


 ふと、そばに半透明の存在が具現化する。

 それは少女の姿を取ると、ぷかぷかとシオンの机のそばで浮遊し始める。中学生くらいの幼い顔立ちと、その姿に似合ったセーラー服。

 ショートの黒髪を揺らしながら、彼女は言う。


「シオンの腕、元通りにはならないんだから、なくならないだけマシと思わなきゃ」

「そりゃあ、そうなんだけど」


 どうやらひとりごとが漏れていたらしく、彼女にたしなめられてシオンは頭をかく。


 少女の名前は、七塚ななつかミラ。

 霊子生体ファントム。神霊や精霊といった存在が具現化した存在である。


 ミラは『鏡』を因子として持つ神霊であり、鏡を生み出して様々な魔法現象を起こす。

 彼女たちは魔法士と契約することで現実世界へ自由に干渉することができ、魔法士はファントムを媒介とすることで霊子世界へのアクセスを容易とする。


 シオンはわけあって一学期にミラと契約し、一年生の中で数少ないバディ契約者となった。


「やっと退院出来たんだから、文句言わないんだよ」

「ま、確かにね」


 つい先日までの病院生活を思い出しながら、げんなりとしてシオンは言った。

 クラス中が騒ぐ元気をなくしてグダっていると、予鈴が鳴った。

 朝礼の時間になり、担任教師である円居鶫まどいつぐみ教諭が教室に入ってきた。


「はーい、みなさーんおっはよー、って暑っ! うわ空気悪! なにこれ!」


 開口一番、快活なキャラを崩す円居教諭。

 地が出てんぞ天然せんせー、とクラスの誰かが言って、それに釣られて力のない笑い声が響く。いつものいじりも、暑さの前には勢いを失うのだろう。


 最も、イジる方はそうでも、イジられる方には関係ない。

 円居は、取り繕うように貼り付けた笑顔の中、額に青筋を立てながら言う。


「なーんだか、せんせー、今の一言でちょぉっと、やる気出ちゃったなぁ。……今すぐ炎熱魔法の実習でも組んでやろうかしら」

「ゴメンなさいマジ勘弁してくださいツグミちゃん!!」

「そこ! 謝る気まったくない答えありがとう。さあみんな、実習室に移動しなさい!」


 ぎゃあー! と悲鳴が教室中に響く。

 なんだってこんなに熱い中、わざわざ暑くならなければいけないのか。原因となるやつは死ね。というかレオ死ね。という暴言が飛び交う。


 阿鼻叫喚の騒ぎも長くは続かず、結局無駄に体力を使うだけになってしまった。

 汗だくで机につっぷする技術科クラス一同を見渡しながら、円居教諭はハンドタオルで汗を拭きながら、教卓に腕を付く。


「えー。せんせー暑いの苦手なんで、早く出欠取って、涼しい職員室に戻ります」

「ぶーぶー! 職権乱用! 横暴だ!」

「職権を乱用してもなければ、横暴を働いても居ません。当然の権利です。恨むなら、この教室の空調を恨みなさい。というわけで、一番、天笠あまがささん!」


 力ないブーイングの中、平然とした出欠を取る声が淡々と響く。

 そして、シオンの番が近づいた時だった。


「次。草上さん」


 円居教諭の呼びかけに答える声はない。

 瞬時に教室は静まり返り、全員がジトッとした目が、教室の一角へと向けられる。

 窓際の角の席。外の景色を眺める分には飽きないであろうその一角。


 そこは今、空席となっている。


 円居教諭が、額の青筋をぴくぴく動かしながら、もう一度言う。


「十二番、草上さん……は、いない、のかしら?」


 苛立ちを必死で抑えた優しい声色は、むしろ周囲に威圧感を与える。


「……姫宮ひめみやさん。何か知らない?」


 矛先は、問題の生徒と仲の良い、姫宮ハルノへと向かう。

 気弱なハルノは、「は、はひ」と怯えながらオドオドと答える。


「その、朝は、来ていたと、思います……」


 語尾がどんどん弱くなる。萎縮したように小さくなった彼女に対して、円居教諭も追撃を加えるほど余裕があるわけではなかった。

 教室の不快指数に耐えながら、彼女は精一杯の大人の威厳を保ちながら、クラス全員に尋ねる。


「他に、草上さんの居場所を知っている人はいる?」


 その声に、シーンと教室が静まり返る。

 その時だった。


 空席だった席の前に、半透明の人影が実体化した。


 現れたのは、スーツ姿の二十代半ばほどの女性だった。凛々しい顔立ちの女性は、その姿に反するよう、しょんぼりとした表情でうなだれていた。


 草上ノキアの契約ファントム、デイム・トゥルクである。


「申し訳ございません」


 彼女は、平身低頭を体現するかのごとく、机のそばで頭を下げた。


「お嬢様は先ほど、涼んでくるとおっしゃいまして、出て行かれました」

「まぁぁぁぁた、ですかぁあああ、草上さぁああああん!!」


 円居教諭の絶叫が響く。

 暑さで我慢していた苛立ちも限界だった。


 二学期に入ってから都合七度目のボイコット。問題児のその行動により、円居教諭は笑顔の皮を脱ぎ捨て、とうとうブチ切れた。

 クラスメイトたちはその様子に「またか」と苦笑いを浮かべるのだった。

 テクノ学園は今日も平和である。




※ ※ ※




 草上ノキアは保健室に居た。


 二時間目が終わり、昼休みである。


 久能シオンは、昼食の前に蒸れた右腕の包帯を換えるため、保健室に寄った。

 蒸し風呂と化している教室に比べると、廊下すらもひんやりとしていて心地よく感じる。保健室に至っては、冷房がしっかりと効いていて、もはや楽園である。


 そんな楽園で、自堕落なお嬢様は、ベッドを一つ占領してぐーすか寝ていやがった。


「………」


 幸せそうに寝ている同級生を見て、叩き起こしたい衝動をそっと抑える。

 わざわざ結界を二つ張って、更に防音魔法までかけるという徹底っぷりである。ここまで来るとサボりも堂に入りすぎていて、むしろ尊敬の念すら覚える。


「つーかなんでこの術式使えるんだ。一般公開された分は実用レベルじゃなかったはずなのに」


 彼女が使っていたのは、大気や物体そのものに魔力を張ることで、音に全く同じ震動をぶつけて相殺するという術式だった。

 発表当時では、自動的な防音魔法としては画期的な発明で、現在は主に法人向けで現在研究されている術式だ。

 そんな特殊な術式を解呪し、更に内側にかけられた結界二つを、時間をかけて破る。


 疲れたシオンは、保険医の来栖野くるすのひじり教諭を振り返りながら言う。


「一応、結界は壊しましたけど、本当に起こさなくていいんですか?」

「はっ。構わん構わん」


 ひらひらと手を振りながら、彼女はボサボサの髪の毛をかき乱す。


「室内で余計な魔法を使われたくなかっただけだから、それさえなくなりゃ文句はない。まったく、魔法式が干渉して、まともに魔法の発動が出来ねぇって言ってんのに、このお嬢様は」


 粗暴な言葉遣いの保険医は、タバコでも加えるように、ココアシガレットを咥える。

 白衣を着ている以外は、ほとんどヤンキーである。

 もう三十代の後半にもなろうという年齢だろうが、それゆえに堂に入った姿は、患者を威嚇こそすれ、癒やしはしないだろう。


 来栖野は、頭を乱暴に掻きながらシオンに近づく。


「そんで、包帯だっけ。ほれ、こっちに来な」

「……痛くしないでくださいよ」

「ああん? 無茶言うなよ。痛くしないと治らないだろうが」


 そんなことはないと思う。

 しかし、不用意に文句でも言おうものなら、更に痛い思いをすることは学習していたので、シオンは黙って右腕を差し出す。汗と体液で汚れた包帯は綺麗に剥ぎ取られ、消毒の後に新しい白い包帯が巻かれる。


 作業をしながら、来栖野教諭はココアシガレットを器用にかじっていく。


「ま、随分良くなったほうだな。早ければ週末には要らなくなるかもしれないぞ」

「この暑い中、蒸れ続けたらなんか悪化しそうな気もしますけどね」

「そうだな。だからこまめに替えに来い」


 できれば軽口として否定して欲しかったのだが、その反応からすると、やはりあまり患部に良くない環境らしい。

 顔をひきつらせるシオンに対して、来栖野は笑い飛ばすように言う。


「大丈夫だ。壊死したところで、擬似生体を移植しなおせばいいだけだからな。どうせ元の右腕はほとんどないんだろう?」

「まあ、そうなんですけどね」


 それは、四年前の事故。

 神童と呼ばれていた頃に、自分の身の丈以上の魔法に手を出した結果として得た代償だ。

 現代においては科学技術も相応に発達しているので、再生医療による擬似生体は、本物と大差ないものとなっている。とはいえ、やはり生身とは違うため、成長期に当たる彼は、定期的に調整を行う必要があった。


 擬似生体技術を嫌う者は、義手の方を求めることも多いのだが、そこは好き好きだった。魔法を扱う身としては、出来る限り生体に近い方が、都合が良いというだけの話だ。


「ふん。まあ、お前みたいな生徒は、あたしも仕事が出来て嬉しいもんだがね。そこに寝てるお嬢様みたいに、仮病で毎回来られるよりは、ずっとやりがいがある」

「……追い出せばいいんじゃないですか?」

「ところが、そうもいかない」


 おどけたように肩をすくめて、彼女は言う。


「小賢しいことにこの小娘、魔法で体調不良をから来やがるからな。ベッドに寝たあとですぐに回復しているのはわかっているが、曲りなりにも調子の悪い生徒を外に放り出すわけには行かん。完全にお手上げだ」


 困ったやつだよ、と。来栖野は苦笑しながら言った。

 とはいえ、毎回となるとさすがに注意の対象になるのか、ノキアはちゃんとその辺りを計算して、二日続けて来たりはしないらしい。その辺りは抜け目がないというか、どんだけサボり慣れているんだよという話である。


 そういえば、前期の授業も、ノキアは出席日数をギリギリで計算していた事を思い出す。

 前期終了時、円居教諭が顔をひきつらせながら成績表を配布していたのを覚えている。ちなみに、その時の彼女の成績は、実技と筆記、両方共及第点すれすれだったそうで、明らかに狙ってやっていた。


 一定以上の結果を出しているからこそ、叱るに叱れない。

 教師の間では頭の痛い生徒の筆頭となっていた。


「これでよし、と。そんじゃ、また放課後にでも来い」


 包帯を巻き直してもらった直後に、実習で怪我をしたという生徒がやってきたので、来栖野はそちらの対応に回った。

 シオンは、ノキアの寝るベッドの前に向き直る。


「おい、草上。起きろ。昼だぞ」


 昼食を取りに行く前に、ノキアも誘おうと思ったのだ。

 来栖野からは起こさないでもいいと言われたが、ずっとこのままと言うわけにも行かないだろう。


 ベッドの上で眠るお嬢様を見下ろす。

 すやすやと眠っている姿は、本当に幸せそうだ。


 彼女が実は良家のお嬢様であると言われても、おそらく誰も信じないだろう。分家とは言え、神咒宗家に連なる血筋であり、実業家でもある草上家の一人娘。

 それこそ蝶よ花よと愛でられ、箱入り娘として育てられたはずの彼女は、一体どこでこんなにスれてしまったのだろうか。


 シオンが残念なものを見る目を向けていると、ノキアがうっすらを目を開ける。


「ん? ……ふぁ」


 眠り姫の覚醒である。


「やぁ。ごきげんよう、シオンくん」

「もう昼すぎだぞ、寝坊助」


 呆れたシオンに対して、寝起きの無防備な姿を晒しながら、ノキアは上半身を起こすと、大きく伸びをした。

 着崩れた制服はシワが入り、スカートは際どい所までめくれている。寝ている間に窮屈だったのか、胸元のボタンは外されており、これまたかなりきわどい露出となっていた。


 彼女はスカートの裾を丁寧になおすと、シオンに対してニヤリを笑ってみせる。


「なんだい。ぼんやりして。もしかして、色っぽさにドキドキしたのかい?」

「あまりのだらしなさ呆れているだけだ。お前、本当にお嬢様か」

「失礼だね。これでも貞淑さは心得ているつもりさ。心がけていないだけでね」


 肩をすくめて見せながら、彼女はそう言った。

 寝癖ではねた髪の毛を手櫛で整える姿は、だらしないはずなのにどこか淑やかさがある。


「それにしても」


 制服のボタンを止め直しながら、ノキアはからかうように続ける。


「女子の寝顔や無防備な姿を見ておいて、まったく不純な思いを抱かない、っていうのもふざけた話だとは思わないかい? そこまで平然とされると、女子としてプライドが傷つくね。ここは礼儀として、多少ドギマギしてみせるのが筋だと思うけれど」

「ふん。ドギマギね。そんな貧相な身体で言われてもな」

「し、失敬な! スタイルには気を使っているし、胸だって!」


 勢い込んで言いかけて、ノキアは赤くなりながら胸を隠す仕草をする。


「……た、確かにハルちゃんに比べたら慎ましいが、平均以上はあると自負しているぞ」


 誰も胸のことは言っていないのだが、確かにハルノに比べると、ボリューム負けしてしまうのは否めない。とはいえ、言うほど悪いスタイルと言うわけでもない。

 顔を紅潮させ、珍しく感情を表に出したノキアは、ふん、とそっぽを向く。


「そーかい! シオンくんは、素知らぬ顔して実はおっぱい星人だったんだね! だったら一刻も早くハルちゃんに伝えないと、いつ毒牙にかけられるか分かったものじゃない」

「勘弁してくれ。そんなこと姫宮に言ったら、あいつ卒倒するぞ」


 気弱なハルノが倒れる姿がありありと想像できて、シオンはげんなりする。

 困った顔のシオンを横目で見て、ノキアは少し機嫌を直したのか、ニヤリと笑う。


「ふむ、君もハルちゃんには弱いらしい」

「お前と違って気が弱いからな、姫宮は」

「その言い方だと、私は図太いみたいに聞こえるんだけれど?」

「事実だろ?」


 おどけてみせると、こらえきれなかったのか、ノキアがけらけらと笑い声を上げた。

 一息ついたところで、シオンは話題を変える。


「今週に入ってから、サボりが毎日じゃないか。円居先生、怒ってたぞ」

「仕方ないじゃないか。教室が暑いのが悪い」

「その暑い中で、僕たちは授業を受けているんだけどな」


 今のセリフを聞かせたら、殺気立っているクラスは一気にブチ切れることだろう。


 だいたい、ノキアは技術クラスの中では珍しく、かなり実技の成績が高いのだ。

 普段は手を抜いているが、手を抜けるだけの実力があるというのがそもそも貴重である。彼女ならば、あの暑い教室も何とか出来るのではという希望があった。


「お前なら魔法使って多少涼しくできるだろ。してくれよ、ほんと暑いんだから」

「やだよ、疲れるし、私一人暑くなるじゃないか」


 バッサリと言い切ったノキアは、大きく伸びをして、ベッドに再び寝転がりながら言う。


「ずっと労働し続けるなんて、怖気が走るね。それなら、一時的にでも逃げたほうがずっとマシだ。私はゆっくり、教室のクーラーが直るのを待つね」


 この涼しい保健室は、まさしく天国なのだろう。午前中ずっと惰眠を貪ったノキアは、寝転がった状態で微笑みながら、シオンに向けて言う。


「面倒は嫌だし、きついのは論外だ。つらいことも、少し我慢すれば過ぎてくれる。私はね、シオンくん。怒られるくらいの我慢で面倒が避けられるなら、それでいいって思うんだよ」

「満足そうな顔して何言ってんだよお前……」


 もとより説得するつもりなどなかったが、ここまで堂々と言われると、苦言を申すのもためらわれるほどだ。

 出会って半年程度の関係だが、彼女という人間がよくわかってきたシオンは、小さくため息を付いた。


「まあ、それはそれとして」


 むくり、と起き上がりながら、ノキアは言う。


「午後は確か実技だったね。実技室はさすがに涼しいだろうし、運動がてら参加しようかな」

「授業の参加は、本来自分で決めるもんじゃないだろ」

「ん? そんなことはないさ。学校に通うのは権利であって、義務ではないからね。教えを請う代わりに学費を払っているんだから、本来立場は同等だろう?」

「屁理屈だけは一丁前だよな、お前」

「それだけがとりえだからね」


 くすくす、と笑って、ノキアは手を差し出す。

 なんだそれは、と怪訝な顔をするシオンに、彼女はにこりと笑って言った。


「お昼だろう? ハルちゃんとレオくんも待っているだろうし、早く行こう。シオンくん」


 調子のいい笑顔に、シオンは気の抜けたため息をついたのだった。


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