第17話 終章 その鏡はまだ青き蕾



 全治一ヶ月半。

 数年ぶりに見上げる病院の天井は、ただ白かった。


「やー、すごかったなぁシオン。大丈夫か?」

「……無理。大丈夫じゃない。死にそう」


 お見舞いに来た葉隠レオの言葉に、シオンは呻くような声で答えた。

 実際、臓器の一部が機能を停止しているため、この二日は点滴での栄養補給しかしていない。足は感覚がないのでまともに歩けないし、右腕は二重三重にコルセットがはめられ、少しずつ培養生体の移植が行われている。

 満身創痍という言葉がこれほど似あう状況はないだろう。


 二日前に行われた『メイガスサバイバー』の試合結果は、予選通過だった。

 ただし、シオンとタイガの決着はつかなかった。お互いが死力の限りを尽くしてぶつかり合ったのだが、その決着が付く寸前で、他のペアが敗北し、予選通過となったのだ。


 試合終了のアナウンスがあっても、シオンとタイガは戦いをやめなかった。

 霊子庭園が崩壊し、霊子体が解かれるまで、二人は戦い続けた。


 そして現在、二人共入院している。


「しかし、カニングフォークって現実に影響が残るんだなぁ。はじめて知ったわ」


 しみじみと言うレオに、シオンは簡単に説明する。


「……オーバークラフトと違って、マナを体内に取り込むからな。魂魄の方に直接ダメージが行く。霊子体はあくまでコピー体で、情報界での改変の投影までは肩代わり出来ないから、傷は避けられない」

「あー、そっか。魔法を使っているのはあくまで精神で、霊子体じゃないもんな。しかし、使った方にダメージが残るってのも、ひどい話だな」


 レオはそうぼやくが、それも仕方がないことである。

 霊子庭園で負った傷は基本的にほぼ修復されるが、精神を傷つけるほどの大怪我は何かしら影響が残る。ましてや、魂魄のダメージは、ダイレクトに影響が出るだろう。


 実際、シオンもタイガも、相手から与えられたダメージはほぼ修復しているのに、自分で使った魔法の副作用はバッチリ残っているのである。


 そんなわけで全治一ヶ月半。

 シオンに関して言えば、更に退院後の定期健診の日数が増える結果となった。


「でも、久能くんが無事でよかったよ」


 一緒にお見舞いに来ていた姫宮ハルノが、ほっと胸をなでおろしながら言う。


「確かにすごい試合だったからみんな興奮してたけど、その分、救急車に運ばれた時はすごく心配したんだよ。私も興奮してたから、なんだか生きた心地しなかったよ」


 試合のあと、シオンとタイガの二人は、生身に戻った瞬間に気を失ったのだが、同時に異常なまでの歓声が浴びせられたそうだ。

 予選でここまで盛り上がることは、これまでまずなかったという。

 魔法士がハイランクファントムと一対一でやりあうということだけでも異常なのに、二転三転する展開と、最後のカニングフォークのぶつかり合いである。魔法に関わる者であるならば、誰もが注目せずに入られない試合だっただろう。


 最も、その代償として、今シオンは寝込んでいるわけだが。


「教師連中も大騒ぎだったんだぜ。『何をやってるんだあいつらは!』って」

「だろうな……。昨日、目が覚めた直後に学校側から通達があったんだけど、『学内のウィザードリィ・ゲームにおいて、今後カニングフォークの使用を禁止する』だってさ」


 まあ、ほとんど自滅技に近いので、その判断は正しい。

 それにしても、まさかタイガの方まで、カニングフォークを使ってくるとは思っていなかったので、思わず試合に力が入りすぎた。


 彼は今どうしているだろう、と疑問が頭をよぎった所で、的確な回答があった。


「ちなみに、もう一人の馬鹿は隣の病室らしいよ? 挨拶に行ってみたら?」


 草上ノキアが、すました様子でそう言う。


 どうも機嫌が悪いのか、彼女は少し離れたところで壁に背をかけて、ずっとそっぽを向いている。

 何かしただろうか、と不審に思ったところで、そっと、レオが耳元で告げ口をした。


「あいつ、シオンがカニングフォークを使い始めた時、すっげぇ動揺してたんだぜ。『やめろ、死ぬ気かい!?』って、画面に向かって叫びだしたりしてさ。いやあ、傑作だった」

「……聞こえているよ、レオくん」


 ビリビリとした殺気を飛ばしながら、ノキアは二人を睨みつけてきた。

 普段のだらけた感じからは想像もできない殺気に、二人は「はい」と身をすくめた。


 目を覚まして一日しか経っていないが、こんな風に仲の良い同士でわいわい騒ぐ感じは、随分久しぶりのような気がした。

 どこか懐かしく思いながら、シオンはその空気を満喫する。


「でも、残念だったな」


 不意に、レオが言う。


「この分だと、来月のインハイ本戦は、出られないんだろ?」

「うん。まあ、仕方ないさ」


 大したことでないように、あえて軽くシオンは言う。

 全治一ヶ月半の怪我。

 完治する頃には、八月のインターハイは終わっている。


 目を覚まして、治療の話をされながら、インハイは諦めるように言われた時、シオンは思った以上に冷静にその話を聞くことが出来た。

 まあ、そうなるだろうなとは目覚めた瞬間に思ったので、特に驚くこともなかった。


「ミラには悪いと思ったんだけど、それでも、こればっかりは仕方ない」

「そういや、ミラちゃんはどうしたんだ?」

「……」


 思わずシオンは黙りこむ。

 疑問の視線を向ける三人に、シオンは目を逸らしながら、ボソリといった。


「泣かれた」

「あちゃー」


 そりゃご愁傷様、と言った空気が病室に満ちる。


 最も、前回のような感じではなかった。

 目を覚まさないシオンにつきっきりで居たのか、意識が戻った瞬間に実体化して、大声で泣きながらおもいっきり抱きついてきたのだ。

 その瞬間、冗談でなく死にかけた。


 そこから先はずっと大泣き状態で、涙と鼻水で顔はグチャグチャで可愛い顔が台無しだった。医者に何かを言われる度に「うわぁぁん!」と泣き出す様子は、賑やかで仕方がなかった。

 インハイに出られないことを告げられた頃には、泣きべそをかきながらも素直に頷いていたのだが、それから今まで、霊体化して姿を見せていない。


 今も室内にいるのだが、魔力の波長が安定していることから、眠っているのだろう。


「まあ、まだまだ先は長いんだ。今回は、いい勉強をさせてもらったと思ってもらうよ」


 仲間たちに笑いかけて、シオンはそう締めくくった。




 ※  ※



 クラスメイトたちは一時間ほど病室に滞在して、帰っていった。

 シオンは少し外の空気でも吸おうと思って、屋外テラスに向かった。


 松葉杖をつきながら、リハビリのつもりでゆっくりと歩く。

 病室を出ると、意外な人物と出会った。


「お、何だ。すぐ隣だったんだな。なんとかコンプレックス」

「……確かに、劣等感は覚えてるけどな」


 千頭和ナギニがちょうど病室を出るところだった。

 そういえば隣の病室だと言っていたな、と思い出す。

 長身の彼女は、その見栄えの良い肢体を見せつけるように腰に手を当て、ニヤニヤと笑いながらシオンに笑いかける。


「かか! 相変わらず辛気くさい顔してるなぁ小僧。辛気臭いついでにいうけど、コンプレックスを劣等感って訳すのは誤用だぜ?」

「粗雑っぽいのに妙な所で細かいんだな、アンタ。というか実はわざとやってるだろ」

「なぁに言ってんだ。アタシは昔っから繊細なんだよ」


 カカカ! と豪快に笑う姿からは、繊細な空気など微塵も感じなかった。

 げんなりとしながら、シオンは世間話ついでに聞く。


「明星の様子はどうなんだ?」

「どーもこーも、目が覚めてから、ずっと試合の話しかしやがらねぇよ。よっぽどいい刺激だったんだろうな。次は絶対勝つって息巻いてるぜ。そんときは、アタシもリベンジさせてもらうとするかな」

「……こっちはもう懲り懲りだけどな。お手柔らかにお願いしますよ」


 いやほんと、あんな化け物達とタイマン張るのは、二度と御免被りたい。

 そもそもが彼女たちの油断を前提とした作戦だったのだ。次があったとしても、ナギニを完封できる方法はまずない。


 だが――これからウィザードリィ・ゲームで高みを目指すからには、避けては通れない道である。覚悟は決めていかなければならないだろう。


「そうだ。良かったらよ、タイガと一度話をしてくれねぇか?」

「ん? 何を話せっていうんだよ」

「別になんだっていいさ」


 ナギニの突然のお願いに戸惑うシオンだったが、それを彼女は軽く笑い飛ばす。


「うちのご主人様が、あんなに楽しそうな姿を見たのははじめてなんだよ。ま、アンタにとっちゃどうでもいいだろうから、気が向いたらでいい」


 そんじゃ、と。ナギニはひらひらと手を降って、優雅に去って行った。


「………」


 隣の病室をそっと見る。

 一ヶ月半の入院期間。

 気が向いたら、訪ねてみるのも悪くない。



 ※  ※



 エレベーターに乗ると、リハビリ施設のある階で止まった。

 車椅子に乗った久我アヤネが、不機嫌そうな顔をしてエレベーターに乗ってきた。


「……よう」

「……ふん」


 互いにぎこちなく挨拶を交わす。

 エレベーターは最上階へと向かう。

 テラスは最上階にあるので、アヤネと鉢合わせする可能性が高いとは思っていたが、まさかエレベーターで会うとは思わなかった。


 重たい沈黙が二人の間に降りる。

 突然の鉢合わせなので、うまく言葉が出てこない。今のシオンは全身重症なのだから、余計になんと言っていいのかという状態だ。


 シオンがバツの悪さを覚えていると、アヤネがボソリと話しかけてきた。


「……随分、ひどい姿じゃない。何? またやらかしたの?」

「まあ、そんなとこ。……別に、失敗したわけじゃないけど」


 我ながら、変なところで意地を張る。

 安いプライドを出してしまったことに恥ずかしさを覚えながらも、シオンは何でもない風を取り繕いながら、アヤネに話しかける。


「どう? 体の調子は」

「アンタに心配されることはないわ。すこぶる順調。嫌気が差すくらい――痛いわ」


 足のことを言っているのだろう。

 彼女の足は、事故で龍脈に接続した影響で、魔力の毒素が残り続けている。ちょっとした大規模な出力路になっているため、切断した場合は生体魔力を噴出して、最悪の場合死に至るため、リハビリによって緩和させていくしかない。


 互いに一生残る傷を抱えた二人は、かつてとは違うちぐはぐな関係を続けている。


「……それで」

「ん?」

「勝ったの?」


 唐突に、そう尋ねられる。

 何のことか、なんて聞き返す必要はなかった。正直に伝えようとして、また安いプライドが顔をのぞかせた。


「負けはしなかった」

「ふぅん。やったじゃん」


 そんな賞賛を浴びせられて、少しだけ後悔をした。


 エレベーターが最上階に付いた。

 アヤネは車椅子を動かしながら、先に降りる。後からシオンが降りた時には、彼女は自身の病室の前まですでに移動していた。


 病室の前で控えていた飛燕が、興味深そうに見た後、楽しげに肩をすくめた。

 アヤネは病室に入る前に、ちらりとこちらを振り返って、一言。


「ばーか」


 と言って、シオンに背を向けた。

 顔を背ける寸前。彼女の顔が、真っ赤に染まっていることに、シオンはいつも気付かない。



 ※  ※



 そして、最上階にあるテラスに出た。

 小さな庭のようになっているそこは、人工の芝生と花々が植えられている。階数が高いため風が強いが、風よけが計算されて作られているので、過ごしやすい。


 初夏の風は心地よく、太陽も適度に照りつけていて、なまった身体に暖かさが降り注ぐ。

 ベンチに座ったところで、シオンは虚空に声をかける。


「なあ。ミラ」


 声をかけると、側に気配があらわれる。

 それまでずっと姿を消していた彼女は、シオンの背後にあっさりと実体化した。背中合わせの状態で立った彼女は、吐息のみで存在感を主張する。


 それに、シオンは小さく息を吐く。


「なんでこっちに顔見せないんだよ。恥ずかしがってんのか?」

「……別に、そんなんじゃないよ」


 少ししゃがれた声は、散々泣き涸らした様子を思わせる。あまりそれを感じさせたくないのか、ミラは最低限の言葉だけで、あとは黙りこむ。

 その様子に、シオンは微笑ましさを感じながら、そっとミラに語りかける。


「悪かったな。インハイ、出れなくて」

「……シオンが謝ることじゃ、ないよ」

「そうかもしれないけど、やっぱりさ。僕がもっと強かったら、うまくやれたかもしれないし」


 それこそ、かつての自分なら、と思ってしまう。


 決して過去の自分が、世間の評価に値するほどすごかったとは思わない。

 当時の自分は、とにかく劣等感の塊だった。側に久我アヤネという才女が居たからこそ、より高みを目指すべきだとあがいていた。高みを知るがゆえに、自分を大きく見せようと精一杯だった。だからこそ、身の丈に合わない挑戦などしてしまったのだろう。


 ただ、あの頃はとにかく、まっすぐだった。

 まるで、後ろに立っている少女のように、まっすぐで、ひたむきだった。


「なあ、ミラ。僕は弱いよ」


 全身の痛みを意識しながら、ぼやくようにシオンは言う。


「体はボロボロで、まともに魔法も扱えなくて、ちょっとできることと言ったら自滅技だけだ。考える事しか能のない、落ちぶれた落伍者にすぎない。そんな僕だけど、今はお前のためになりたいと思っている」


 目的のない、灰色の毎日を送る四年間だった。

 生きがいとなるものなど何もなく、かと言って他にできることもないから、魔法の世界にしがみついた。なんて往生際が悪いんだろうと、今でも思う。


 そんな日々を、後ろにいる少女が変えてくれた。


「こんな僕だけど、一緒に、強くなってくれるか?」


 ゼロどころか、マイナスのスタート。

 例え成長したとしても、まともな魔法士になれる可能性はまずない。

 それに対して、今は弱くとも、彼女は将来有望なファントムだ。きっと、選ぶ道さえ間違えなかったら、将来は約束されている。


 こんな自分が、彼女を束縛して良いものか。

 シオンの質問には、行動で答えが返される。


 ガバっと、後ろから首に腕を回され、強引に抱きつかれた。


「そんなの……決まってるよ!」


 涙に濡れた、少女の横顔が目に入る。

 また泣いているのか、彼女の声は震えている。

 鼻水をすすりながら、彼女はワンワンと泣きわめく。何かを懸命に言おうとしているが、あまりにも涙の勢いが強いので、言葉にならない。そのもどかしさから、更に涙の勢いは強くなる。


 シオンはそっと、ミラの頭に手を乗せる。


 その鏡は、まだ青き蕾であるが。

 やがて、出藍となり得る可能性だ。


 ――許されるのならば。

 この彼女の信頼に見合うだけの、立派なバディになろうと、そう彼は誓った。




END



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