第16話 伝説に挑む挑戦者



 シオンの身体は、明らかに先ほど負った傷よりもひどい状態だった。


 赤き翼は背中からしなびた炎を噴き出しているし、左足と右腕には、異形の皮膚といびつな鉤爪があらわれている。全身穴だらけだった先ほどとは違い、今穴といえるものは左胸だけで、それは見事に貫通している。


 流血による死こそ間逃れているが、彼の身体はおそらく、あと数分も持たないだろう。


 キャパシティをはるかにオーバーした巨大な力を身に受けたために、身体のあちこちが負荷に耐え切れず崩壊している。

 瀕死だった状態が、重体に変わっただけの話である。


「が、は。ったく、ミラの、やつ」


 毒づきながら、シオンは背中に生えた炎の翼を、無理やり引きちぎった。

 とんでもない痛みが襲ってくるが、構わない。このまま翼を付けたままだったら、その炎で自身の体が焼かれてしまう。


 ――七塚ミラは、ナギニにとどめを刺される寸前で、一つの賭けに出た。


 そのまま反撃をしたところで、自分の攻撃が届くことはないだろうと彼女は確信していた。

 歯がゆいが、ファントムとしての性能が違いすぎる。背後から胸を貫かれた時点で、ミラはナギニに敗北しているのだ。


 それでも、彼女は最後まで勝利を諦めなかった。

 勝利に取り憑かれ、敗北を恐れたと言ってもいい。


 最後に彼女が使ったのは、『反射同調ミラーシンクロ』。


 ガルダの姿を模倣した状況で、その力をシオンに与えたら、十中八九無事では済まないのはわかっていた。

 それでも、出血多量で死の寸前の状態よりは、僅かな時間であっても長く生存できるのではないかと、彼女は考えた。


 そして、七塚ミラは、その賭けに勝った。

 シオンは今、半死半生でありながらも、明星タイガの前に立っている。


「ふざけ、やがって。まったく、よ」


 血反吐を吐きながら、シオンは毒づく。

 まったく、どいつもこいつも、自分勝手にしやがって。


 シオンにはかつて程の力はないというのに、それでも誰もが、シオンに神童の頃と同じ賞賛を送る。

 お前はすごい、普通とは違う、と。

 憧れと羨望の眼差しを向け、シオンに分不相応な評価を押し付けている。


 癇に障る。

 いつでも、まるでヒーローを見るような眼差しで見てくる『彼女』の目に、苦痛を覚える。


 そんな彼女は、最後に託したのだ。



 ――



 本当は自分の手で勝利を得たかっただろうに、それが出来ない無念を抱えながら、今まさに退場しようとする間際で、彼女はシオンに託した。

 そこまでして勝利にこだわる彼女を、どうしてこばめようか。


「は、ぁ。はぁ、はぁ」


 シオンはタイガの前に立つと、よろけた身体を必死で支える。

 それに、タイガが声をかける。


「そんなになってまで、どうして立ち上がるんだ」


 意識を手放せば、試合は終わるが、楽になるだろうに、と言外に告げている。


「は、はは。いや、僕も本当は、もう諦めたいんだけどさ」


 もっともな感想に、シオンは同意する。


「すごく痛いし、すごく苦しいし、死ぬわけじゃないけど、もう死んだほうがいいくらいで、はっきり言って、こんなのありえないくらいなんだけどさ」


 珍しく饒舌に語りながら、今にも途切れそうな意識を必死でまとめて、彼は言う。


「うちのバディが、負けたら泣くんだよ」


 だから、と。


「勝たなきゃ、また泣かせちまう」


 それは、死ぬほど嫌だった。

 シオンは場違いなほど優しく微笑んでから、地面に向けて手をおろした。

 なりふりかまわず勝とうとしたミラに倣い、自滅してでも勝利しようと、彼は覚悟を決めた。



「『。『



 一旦、自身の中にある全ての魔法機能を停止させる。

 そして――大地に流れる力の流れを、探り当てる。


「『龍脈』接続。『外部接続』認証」


 シオンの身体に、膨大な量の魔力が流れ込んでくる。


 それによって、


 構わない。

 元々、彼の右腕は事故の後遺症で生体としての機能を失っている。ましてや、今では異形の腕になり変っているくらいだ。生身としての機能を持たない部位など、これから実行する『魔法カニングフォーク』の前では、邪魔でしかない。


「『外部接続』実行。『龍脈解析』開始――完了。『内容回帰』処理」


 彼の身体の表面を、木のツタのようなものが包み始める。

 もげた右腕の部分も、それを補うかのように、植物が腕の形をとった。左足のいびつな鉤爪も、ツタに吸収され、跡形もなくなる。


 シオンという個人が、植物の化け物へと変貌していく。



「術式実行。仮名・『生命大樹・疑似龍ユグドラシル・パターンドラゴン』!!」



 全身を植物の竜と化しながら、シオンは歩き始める。


 彼の歩く地面には、花々が咲き乱れ、緑が廃墟を彩る。

 一歩ごとに、生命の息吹が吹き荒れる。荒廃した土地を侵食するかのごとく、彼の歩みは大地を潤した。


 彼の身体は、今や一匹の竜そのものだった。

 大地の営みと、生命の循環を体現した、霊子災害の一つである緑龍の姿。

 かつて彼が挑み、そしてその身を滅ぼされた、カニングフォークの一つ。


 霊子災害は規模や種類に応じて様々な形をとる。

 その中でも、竜の形を取るものは、最上級の規模と危険性を持っていると言われている。

 タイプドラゴン。

 大地の魔力を直接操り、自分の体を媒介として霊子災害レイスを再現する、カニングフォークの中でも禁呪に位置する大魔法。


 膨大な力は、一時的にシオンのステータスを底上げしているが、しかしそれは諸刃の剣である。

 次の瞬間にも自壊しかねない危うさを身に秘めた状態で、シオンはタイガに向き直る。


「明星。お前、神童に憧れていたって言ったな」


 かつてほどの実力をなくした神童は、ハリボテの虚勢を必死で張り、首席の魔法士に向かう。


 どいつもこいつも自分勝手だ。

 昔ほどの力はないというのに、誰もがシオンのことを、過去と同じように見てくる。


 その期待。

 その重圧。

 ずっと嫌ってきたそれらであるが――鏡の少女が望むのならば、今この時だけは、その称号を受け入れよう。


「だったら、教えてやるよ」


 植物と化した異形の右腕を水平に伸ばし、シオンは言う。







 ――その言葉に、明星タイガは。


「は、はは」


 十五年の生涯において、めったに浮かべることのなかった、無邪気な笑みを浮かべた。


「ああ――!」



 明星タイガはずっと、満たされぬものを感じていた。

 日々行うことは、常に自分との戦いだ。

 実家に居た頃はとにかく研鑚をつまされ、独り立ちした後は身体に住まう竜を押さえつける日々。


 そこに苦痛はあれど、達成感などあるはずもない。


 苦しい時、歯を食いしばるときに、いつも思い浮かべてきたのは、同年代の神童の姿だった。

 直接の面識はない。あるのはただ、風聞による評価と、事実としての彼らの実績だ。

 幾つもの魔法理論を解明し、数々の迷宮を踏破し、何度も霊子災害を調伏してきたという。

 その話を聞く度に、心が踊り、力がわいた。


 いつか必ず、それに挑もう。

 今の苦労が報われる瞬間があるとすれば、それしかない。


「行くぞ、シオン・コンセプト――いや、久能シオン!」



 明星タイガは左目に魔力を通す。

 そこにあるのは、竜の瞳だ。

 ひと睨みで他者を麻痺させ、畏怖と絶望を植え付ける高次の魔眼。

 全身を、竜の魔力が駆け巡る。制御などとうに放棄した。今はただ、この一瞬を全力で向かい討つためだけに、自身にできる全てを吐き出す。


 彼が纏うは漆黒の風と、煉獄の炎。

 嵐の化身たる力の一部と、吐出される炎をその身に宿し、明星タイガは緑の竜へと立ち向かう。


 嵐が暴虐を尽くし、業火が豊かな大地を焼き払う。


 それを押しとどめるのは、久能シオンの身体から絶え間なく流出する、植物の生の息吹である。

 地面から無数に生え続ける草木は、その身をムチのようにしならせて絡めとり、複数の枝葉がまとまり合って巨大な矛と盾になる。


 嵐と炎は植物に抑えこまれ、隙あらばその鋭い切っ先を突きつけんと草根の先が迫る。


 それは、神話のごとき戦いだった。

 絶大な力を持つ神に等しい存在が、互いを削り、喰らい、滅ぼさんとぶつかり合う。


 余波だけでフィールドは更地になる。

 そこに、シオンが大量の緑を育み、タイガがそれを伐採せんと力をふるう。


 植物がタイガの腕を抉る。

 嵐がシオンの足を粉砕する。


 草根がタイガの身体を絡めとる。

 炎がシオンの身体を焼きつくす。


 両者とも一歩も引く気はない。

 竜と化した鉤爪が肉を引き裂く。竜の魔眼が心臓を停止させる。腕がもげる。足が砕かれる。互いが傷を負わせる度に、同じ傷を相手に与え続けた。



「明星――タイガ!」



 もげてしまってまともに機能しない足を、植物で補強して、シオンは駆ける。



「久能――シオン!」



 いたるところの骨を砕かれた身体を必死で起こしながら、タイガは迎え討つ。

 二体のドラゴンが、何度目かの激突を果たした。



 そして――




 ※  ※



 試合終了のベルが鳴り響く。


 霊子庭園は解除され、中に居たプレイヤーたちは生身へと戻る。

 ここに、テクノ学園でのインターハイ予選は終了した。



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